2017年 07月 22日
![]() 日蓮大聖人御一代記 より
平頼綱が場の筆頭として口をひらく。 「日蓮上人殿。よくぞまいられた。佐渡はさぞかし難儀でありましたな。わが幕府も、いささか行きすぎた所あってこのたびの赦免とはなりもうした。本日は幕府の面々をあつめ、上人の慰労をかねてお招きいたした次第。不行届きは許されよ」 意外である。 頼綱は日ごろの傲岸無礼には似つかず、礼儀正しく接している。日蓮はのちに「平左衛門尉は上の御使ひの様」としるした。それもそのはず、頼綱は主君時宗の意向を代表していた。 日蓮が答える。 「佐渡の守護代、本間重連殿には大変世話になりもうした。いまとなっては幕府の御沙汰に、いささかの遺恨もございませぬ」 「それを聞いて安堵いたした。じつは蒙古の攻めがいよいよ迫っております。今年とも来年ともいわれておる。いずれにせよ日本にとってこれ以上の難儀はござらぬ。われらも日々憂慮しておるしだいです。ここは蒙古の来襲を見事的中された上人に、教えを請いたいことがございまする」 日蓮は答える。 「某もこのたびの国難には心を痛めておりまする。さりながら災難のおこるゆえんは仏法の乱れよりおこることは、かつて故最明寺入道殿に献じた立正安国論のとおりである。誹謗正法の輩を戒めて、正法の僧侶を重んずれば、国中は安穏にして天下泰平となる。正法を誹謗する輩とは念仏・禅・律、そして真言の僧侶にほかならなぬ」 聞きいる御家人は日蓮が真言をも批判したことに驚愕した。 北条光時が口を開く。彼は部下の四条金吾から日蓮の話をいやというほど聞いていた。しかし直接に会うのは初めてである。 「上人、念仏が無間地獄とは、まことでありましょうか」 「いかにも。念仏宗の開祖善導はこの世の苦しみをなげいて自ら首をくくって亡くなった。念仏をよくよく唱えれば自害の心がおきる。そなたらは殺生をいとわぬ武士である。成仏をあきらめて自害の心をおこす念仏を唱えてはなりませぬ」 つづいて北条宣時が聞く。佐渡の守護代、本間重連に偽りの詔勅を発した人物である。 「日蓮殿、禅宗が天魔の所為であるとは、仏のどの経文にあるのか、うかがいたいのですが」 日蓮の口調はなめらかだった。 「涅槃経にいわく『法に依って人に依らざれ』。仏の経文をよりどころとし、人師の言葉にたよってはならないということです。教外別伝と称し経文は無用であるという禅宗は天魔の所為です。いくら座禅を組もうと移ろいやすいおのれの心にしたがっては道にまようばかりです。釈尊の経文をはなれて、どこに成仏の道がありましょう」 じっくり耳をそばだてて聞いていた頼綱は、あたかも感服したかのように、二度三度頭を下げうなずいた。 「お見事でござる。では某も伺いたい。上人は法華経のみが成仏の法であるとおおせられる。くわえて上人は法華経以前の諸経は成仏できないとおおせとか。これまことなりや」 日蓮はやさしくこたえる。相手が悪人であっても、聞いてくる者にはていねいに接した。 「法華経譬喩品第三云く『不受余経一偈、乃至若し人信ぜずして此の経を毀謗せば則ち一切世間の仏種を断ぜん』と説かれている。法華経以前の経典、いわゆる爾前経は法華経を説くための方便でしなかい。よってこの法華経で祈れば、あらゆる災難をはらうことができる。蒙古の攻めもふせぐことができましょう」 ここぞとばかりに頼綱が日蓮にたずねた。 「で、その蒙古はいつ攻めてくるでありましょう」 この瞬間、この日参集した全ての幕臣が身をのりだし、固唾を呑んで日蓮が発する言葉を待った。 日蓮はこともなげにいった。 「経文にいつ来たるとは見えず。だが天の御気色、怒り少なからず。急なことになるとみえている。よも今年をすぎることはないであろう」 場内がざわついた。 ある者は大きくうなずいた。幕臣がひとり、あわただしく出ていった。時宗に伝達するためだ。 頼綱は満足した。今日一番の目的は成就した。用意周到に問答を計り、予言を聞きだすことができた。 もちろん日蓮は時宗の意向を承知していた。しかし、もったいぶる素振りは微塵も見せない。末法の本仏としての無作の振る舞いそのものだった。 「おどろきましたな。まことに力強いそのお言葉。上人は幕府にとって、いや日本国にとって頼もしい方人でござる。蒙古退治の総大将といってよい。ついては日蓮殿、国のために祈祷をねがいたい。われらは上人を全力で後押しいたそう。上人のための寺の領地もすでに確保いたしておる。幕府もこぞって上人をあがめる。上人を非難する者があれば、きびしく罰するであろう。どうか幕府に骨折りを願いたい。いかがかな」 下女が金糸で刺繍された黄金に輝く袈裟をささげて、日蓮の目の前にそなえた。また屈強な若者が銅銭のつまった箱をおいた。 沈黙がつづいた。 日蓮はしばらく目をふせていた。やがて大きく息を吸ったあと、決意するようにいった。 「この日蓮を幕府が頼りとするならば、日蓮を信じなければならぬ。おのおのがたは、はたして日蓮が説く法門を信じておられるのかな」 だれもが虚をつかれた。 ここで宿屋入道光則がのりだした。立正安国論を亡き時頼に取りついだ人物である。 「むろん、いかにもわれらは上人の法華経を信じまする。でなくば、このようにお招きいたしませぬ」 「ではあそこにひかえる念仏、禅、真言のご僧侶がたは、なぜおられるのかな」 幕府側に控えていた御家人らは押し黙ったままだった。 「おのおのがたは仏法の邪正をわかろうとせず、日蓮が以前より考え申すことをおもちになろうとはしない。たとえば病の起こりを知らぬ者が病を治せば、いよいよ病は重くなる。このたびの国難の祈りに、とりわけ真言の僧侶をお用いあれば、いよいよこの国は敗れるであろう。真言ならびにあの僧侶をもって祈らせてはならぬ。さりながらいかなる不思議か。おのおのがたは他のことは別としても、日蓮が申すことはお用いにならぬ。 このあと、ああそうであったと、お思いにならぬよう申しあげる。後鳥羽法皇は天子であり北条義時は民である。子が親をあだむのを天照大神はうけるであろうか。所従が主君をかたきとするのを八幡大菩薩はお用いあるだろうか。いかなることがあって公家は負けたのか。これはひとえに只事にはあらず。弘法大師の邪義、慈覚大師・智証大師の僻見をまことと思いて、叡山・東寺・園城寺の人々が鎌倉を仇としたために、還著於本人といってその咎は還って公家は負けたのです。武家はそのことを知らずして真言による祈祷も行わなかったので勝利した。今またかくのごとくなるべし。これをもって思うに、あの僧侶らがお祈りあらば、時宗殿は苦難に陥るであろう」 頼綱がさえぎった。 「日蓮殿、ここは少しばかり、和らいではいかがかな。日蓮殿だけを用い、ほかの宗派を捨てることは今の幕府にはできぬこと。事情をくんでいただきたい。見返りは十分に用意いたしている。もうすでに上人を大僧正といたすべく朝廷に働きかけておるところなのだ。貴殿、まさか安穏の未来をお捨てになるおつもりではあるまいな」 頼綱がたらしこむ目で日蓮をみた。 日蓮の目は寂寥に満ちた。そして積年の思いのたけを一気に吐き出した。 日本国の念仏者と禅と律僧等の頸を切ってゆいのはまにかくべし。 『高橋入道殿御返事』 長い沈黙が場内にただよった。 だれもがあ然としている。答える者がいない。 しばらくして日蓮が突きはなすようにいった。 「おのおの方とはこれでお別れでござる」 頼綱が驚愕した。まわりの御家人も互いの顔を見あわせた。 「余は言いつくした。これ以上申しあげても詮なきこと」 頼綱があわてた。 「上人、しばらく」 日蓮は立ちあがって座を見まわし、したたかにいう。 「最後に申す。余が言いのこしたことをよくおぼえておかれるがよい。いつか災難にあって、あのとき日蓮はそう言わなかったと、まちがっても仰せたもうな」 日蓮が去った。 宿屋入道が追いかけたが日蓮は振りほどくように退場した。 みな呆然として見送った。 頼綱が苦虫をかみつぶす。 頼綱が時宗に報告した。 「日蓮は蒙古が今年中におしよせると申しております」 時宗はおちついていた。 「そうか。それはそれは、ありがたいお言葉。で、祈祷の件は」 頼綱が首をふった。 「失敗いたしました。あやつ、われわれになびこうとしませぬ。これ以上説得しても無理かと思われます」 時宗はおどろいた。なまじ自信があっただけに衝撃は大きい。 「われわれの味方にはならぬと申すか」 「あくまで意固地、かたくなでござる。あの男、あらゆる手管をもってしても落ちませぬ」 「幕府が寺を寄進するのも受けないのか」 頼綱が首をたてにした。 「とりつくしまもござらぬ。もし日蓮が法華経に違背し、謗法の供養を受けたら与同罪となり、日蓮自ら地獄に落ちることになると申しております」 時宗が苦渋の色をあらわにした。 「幕府の寄進を受けぬとは、わしも強情だが、日蓮上人の信念には敵わない」 安達泰盛が怒る。 「ばかな、せっかくの時宗殿の好意を無にするとは、日蓮上人は気でも触れたか。とても正気の沙汰とは思えぬ」 最後に頼綱は、腹から絞り出すように低い声でうなった。 「ともかく、日蓮に断られた以上、他の全ての宗派に蒙古退治の祈祷を頼むしかないだろう。数だけでも揃えなくては」 日蓮の館に弟子や信徒が三々五々あつまってきた。 がやがやとした室内には、にこやかな三位房と大進房がいた。 ほとんどの信徒は三位房や大進房のように日蓮が幕府に認められ、華やかな寄進をうけるものと思っていた。 さらに彼らは自分たちも日蓮にあやかり、なんらかの恩恵をうけるものと期待していた。日蓮のおこぼれで、それぞれの栄達がかなえられる。今までの苦労はこのためだった。いやがうえにも彼らのあいだに浮かれた空気が充満していた。その中で一人、伯耆房がけわしい顔でいた。 日蓮が幕府侍所から帰ってきた。 みなよろこびと期待の目で見つめた。 「平の左衛門尉と対面いたした。他宗をくじき、法華経をもって蒙古の調伏をすすめたが、訴えはかなわなかった」 日蓮の口調は無念さが漂っていたが、信徒の多くは日蓮の思いを感じ取ることができないでいた。 「余は今まで二度、国をいさめた。はじめは立正安国論をしたため、時頼殿に進言した。二度目は竜の口の大難の時、平の左衛門尉に申した。日蓮を倒すは日本国の柱を倒すことであると。このたびが三度目である。だがいずれも聞き入れられなかった。いにしえの賢人はいっている。国を三度いさめて用いなければ、山林に交われと。これ以上、日蓮が幕府に申しても詮はない。国主をいさめても聞こうとはしない。ならばそれ以下にさとしても無益であろう」 みなの顔がだんだんあやしくなってきた。雲行きがおかしい。明るさに満ちた空気が険悪になりはじめた。 「余のつとめは終わった。余はこれから鎌倉をでて世間からはなれる。この屋敷もひきはらう。幕府のほどこしもいっさい受けぬ。みなもその覚悟でいるよう」 弟子信徒が動揺の顔をあらわにした。 三位房が思わず立った。 「まってください。上人、それはあまりにも短慮ではございませぬか。これほど幕府の期待をうけているのです。わずかでもお力添えできる道をさがすほうが得策ではございませぬか」 大進房も立った。 「そのとおり。あまりにも急です。上人、いま鎌倉は法華経の題目が響きわたっております。この大進房も檀那衆をかかえることができました。これで楽になったかと思った時に、上人に去られては信徒が減りますぞ」 「どうか考え直してくだされ。この二十有余年、われらは上人に付いてあらゆる迫害を耐えぬき、人目を忍んで生きてきたのです。これからというときに、すべてをなげだすのはあまりにも拙速ではござらぬか」 重い沈黙がながれた。 やがて日蓮が口をひらいた。 「余が僻事を申すと思う者は、止めはしない。いずこにでもいくがよい」 日蓮が立った。 このとき四条金吾が声を大にした。 「某は上人と同意でござる。どこまでもついてまいりますぞ」 土木常忍、太田乗明がつづく。 「われらも同意でござる」 騒然とする中、日蓮が奥の部屋に消えた。
by johsei1129
| 2017-07-22 18:02
| 小説 日蓮の生涯 中
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