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日蓮大聖人『御書』解説

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2017年 04月 24日

四十六、二月騒動の顛末

時宗の兄、北条時輔は京都南六波羅で酒を飲んでいた。

静かな夜だった。

美女がひとり、時輔によりそうばかりに酌をした。

時輔が赤ら顔になっている。

「はかどるな」

美女がほほえむ。

「よいことでございますわ。ご丈夫だからこそ、お酒もおいしくおめしになれます」

時輔はいまの境遇で満足そうだった。

「うまい酒に美しいおなごがそばにおる。なにもいうことはないわ。わしは幸せ者じゃ」

美女が目をほそめる。

「それはご本心でしょうか」

「なんだ。なにを申す」

「男たるもの、まだ欲しいものがおありのはず」

「思わせぶりだな。はっきりと申せ」

 女の目がさらにほそくなった。

「殿は執権時宗さまのお兄様。腹ちがいとはいえ、幕府のまつりごとには権利のあるお方。なのにご家来はわずかしかおりませぬ。時宗様のように指一つでたくさんの殿方を動かしたいのでは」

時輔が笑う。

「わしのまわりには、そなたのようにさぐりをいれる者ばかりじゃ。わしは権力なるものに執着はない。そう伝えよ。安心しろとな」

美女が少しはなれた。

「おぬし、時宗の間者であろう。うろたえるな。わかっておる。ではこちらから聞こう。わしの命はいつまでじゃ。時宗はいつ攻めてくる」

美女がさらにはなれる。

「その様子をみると、近いようじゃのう」

外でさわがしい声がする。剣を交える音、武士の絶叫、女の悲鳴が聞こえてきた。

部屋の戸がひらき、所従がかけこんできた。

「殿、討ち入りでござる」

時輔はおちつきはらった。

「どこから」

所従が苦渋にみちている。

「北六波羅にございます」

北の六波羅探題には、時宗の命をおびた北条義宗の軍団がいた。義宗は日蓮の伊豆流罪を画策した北条重時の孫である。

時輔がにたりとしたが酒をやめない。女はいつのまにかいなくなっていた。

「時宗め、きおったか」

彼は盃をかかげてつぶやいた。

「末法じゃのう。一族が殺しあい、弟が兄を討つ。乱れきっておるわ。だが時宗、この報いはかならず、おぬしにかえるであろう」

座敷の戸がやぶられて、獰猛(どうもう)な武士団が突入してきた。

鎧兜の武士が時輔の前にすすみでて膝をついた。

「時輔様。突然の無礼、お詫びいたしまする。ただ今より、われらとご同行いただきたく参上いたしました」

「いずこへ」

「相州鎌倉」

「あいわかった」

時輔が背後の刀に手をかけたとたん、ふりむきざまに武者を斬った。

武士団がいっせいに身がまえる。

「おぬしらの魂胆はわかっておるわ。道中でわしを葬るつもりであろう。ならばここでいさぎよく戦うまで。だれあろうわれこそは、先の執権、最明寺入道時頼の嫡男、北条時輔なるぞ。われと思う者はかかってきよ」

武士が勇んで時輔と組んだが、時輔のあざやかな太刀さばきに斬られて退場した。

つづいて新たな武士が登場したが、これも時輔に討たれた。

強い。一騎打ちでかなう相手ではない。

時輔が満面の笑みをうかべた。

「どうじゃ、かかってこぬか」

新たな武士が登場して組みあった。

時輔は優勢であったが、新手が卑怯にも時輔の背後をおそった。

背を斬られ、片膝をついた。

ここで時輔が笑った。最後の哄笑だった。

武士団が倒れた時輔をかこんでめった刺しにした。血潮が吹きだし、かえり血が全身にかかった。

武士たちは憑き物がとれたように立ちつくした。

鎌倉の侍所では時宗が一人、座禅を組み目をとじていた。

顔色は落胆と苦渋にみちている。二十一歳というのに、老人のように頬がこけていた。

武士ははかない。

鎌倉幕府の創始者である源頼朝は弟の義経を殺害している。

頼朝の父は義朝である。義朝は父為義を斬った。のちに義朝は戦いに敗れ、配下に裏切られて命を落とした。

その子頼朝は征夷大将軍となって頼家、実朝を生む。だが頼家は北条の手下に殺され、実朝は頼家の子()(ぎょう)に殺された。殺した公暁も直後に討たれた。

こう書いていくだけでも暗然としてくる。

時宗もまた兄を斬った。

彼もまたこの暗い因果に入りこんでしまった。彼は逃れられない宿命を背負った思いにとらわれた。独裁者の悲哀だった。

 鎌倉はいまだに喧噪が聞こえていた。侍所の入口はひときわ甲高い声がひびいた。
 ここに名越光時以下、八人の家来がとらわれの身となっていた。光時と金吾、この主従の命は風前の灯となっていた。

名越光時および家臣の女房子供、供侍までが邸内にはいろうと門番に懇願していた。一目無事を確認したいためだ。この中に金吾の妻日眼女と娘の月満御前がいた。

警備の兵が彼女たちをおしとどめた。

 侍所の中庭では頼綱の配下が藁束(わらたば)ってい。斬首の準備である。

いっぽう北条光時の館では、女房たちが障子や武具が散乱した床につどった。

赤子や幼子の泣き叫ぶ声が邸内にひびく。彼女たちは光時と運命をともにした家来の妻だった。

日眼女が月満御前をだいて侍所から帰ってきた。

女たちがうめく。

「なんの報いでありましょう。謀反の疑いをかけられるとは。わたしたちには神も仏も助けてはくれぬのか」

女たちが日眼女をみつけた。

「おお、これは金吾様の奥方。いまだに法華宗の日蓮上人を信じておられるとか。後生でございます。法華経のお力で夫の命を助けてくだされ」

 彼女たちは神仏に祈るほかはない。夫を助けてくれるのであればだれでもよい。夫の死を目前にした今となっては、流罪の身であろうと、竜の口の首の座から奇跡的に生還した日蓮にすがるしかなかった。

 日眼女は心に固く誓った。

竜の口の時、一度は夫の命をあきらめた。助かるすべはただひとつ法華経しかない。願いは叶うと信じて祈るしかなかった。

 

 遠く安房でも悲嘆に暮れている女性がいた。

大尼御前である。

彼女はかつて名越家に嫁いでいた。

名越がほろぶならば大尼も安泰ではない。日蓮が大難をうけたとき、大尼は日蓮を見たことも聞いたこともないといって法華経の信仰から退転した。

大尼はかけつけた道善房や浄顕房、義浄房にすがりついた。

「おしえてたもれ。わらわが法華経を捨てた報いであろうか」

日蓮の幼いころの師だった道善房は、清澄寺の大檀家でもある大尼が取り乱すのを見ておろおろするばかりだった。

かわりに若い浄顕房がはげました。

「大尼様、お気をつよく。いまですぞ。これまでのことをわびて法華経に懺悔なされませ。いやしくも武士の妻です、なにがおきようと覚悟せねばなりませぬ」

しかし大尼は半狂乱だった。

「なにかがおきるなどと、いわないでおくれ」

侍所の座敷には光時と八人の郎従がいた。

光時が八人を前にしていう。

「おそらくわれらは死罪となろう。身におぼえのないことながら、これも侍の宿命である」

光時は四条金吾に言葉をかけた。

「頼基、おぬしには幼子がいたのう。つらくはないか」

金吾は気丈にいう。

「殿、某は二代にわたり名越様に仕えてまいりました。これも運命と考え、いささかも憂いはございませぬ」

主君のまなざしはやさしかった。

「後悔はないのか」

金吾は懐の数珠をとりだし、手をあわせた。

「わたくしめは、いまだに日蓮上人の教えを信じておりまする。もし首斬られるならば、法華経にすがり、殿とならんで仏にまみえたてまつる覚悟にございます」

光時はじっと金吾を見つめた。

北条時宗がおなじ侍所で平頼綱、安達泰盛と膝をつきあわせていた。

頼綱が目を細めた。

「即刻首をはねるべきでござる」

泰盛が反対した。

「確たる証拠がないうえで処刑することは、のちのち幕府の信用をおとすことになる」

 泰盛にとって名越の滅亡は避けたい。名越の滅亡は執権の絶対化を意味した。泰盛は時宗の義兄だが、しょせん外様である。時宗が絶対君主になれば、側近の頼綱がさらに強大となる。自分が危うくなるのは目に見えていた。

その頼綱が泰盛をにらみつけた。

「鎌倉幕府はいま危機にある。われら北条はしょせん伊豆の田舎の出、武士の世界では新参者にすぎませぬ。執権の批判もいまだに根強い。また蒙古がいつ攻めてくるかもわからぬ現在、侍どもの不満を静めるのは恩賞加増にほかならぬ」

泰盛がおどろいた。

「では名越の所領を・・」

頼綱がうなずく。

「名越は北条一門でも有力な分家でござる。日頃なにかとわれらを批判するあの者どもをつぶせば、幕府体制をかため、財政の建て直しもはかれる」

頼綱の目が不気味に光る。

だが泰盛はあくまで抵抗する。

「いやそれではかえって幕府を弱めることになる。今回のことで京都の公家どもが騒ぐのは必死だ。名越を取りつぶせば、承久の二の舞になることは必定であろう」

頼綱は聞かない。

「騒がせればよいのよ。権力とは人を操ること。操られるのがいやな者は抹殺するまでのことだ」

泰盛が時宗に平伏した。

「どうか武家の頭領として、寛大なご措置を」

頼綱が強くせまる。

「このたびの騒動は光時殿の処分で仕上げでござる。ご決断を」

時宗が正面を見つめた。


光時と四条金吾ら八人が謁見の間に座った。みな覚悟した様子だった。

ここに時宗が登場した。頼綱と泰盛がつづいて座した。

金吾は覚悟をきめた。

しかし時宗の決断は意外だった。

泰盛が高らかに告げる。

「名越殿は無罪放免といたす」

室内がざわめいた。

安堵する家来がいる。だが名越光時は表情をかえない。

予期しないことだった。

これを伝え聞いた使者がすぐさま光時邸へかけこんだ。

「助かりましたぞ。光時様は無罪放免。おつきの面々も無事でござる」

名越の館に女子供の歓喜の声があふれた。

日眼女は赤ん坊をだき、数珠をにぎりながら「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と唱えだす。目には涙があふれんばかりに浮かび、頬を伝って握った数珠に一滴二滴と落ちるが、かまわずいつ果てるともなく題目を唱え続けた。

時宗が光時に語る。
 その声は執権らしからぬ弱々しさだった。

「叔父上、余を許してくださるか。内憂外患、蒙古がいつ攻めてくるかわからぬ最中に、余は誤りをおかした。親子、兄弟、一族の平和を無惨に乱してしまった。さりながら今、目がさめた。北条一門が団結してこそ国難は防げようというもの。これが亡き兄の弔いとなればよいが・・」

老齢の光時が言上した。

「それを聞いて安堵いたした。それでこそ北条の頭領、われらの執権でござります。恨みは申さぬ。二人の弟は亡くしたが、これで幕府が盤石となれば彼らも浮かばれまする。ご安心くだされ、蒙古との戦いのおりは、われらが必ず先陣をきって敵の首を討ちとりましょうぞ」

事実、彼はこののち蒙古の戦いで獅子奮迅の戦いをすることになる。

光時が立ちあがった。

「ここ数日の混乱で配下の者どもは疲れきっております。われらはこれで」

光時主従が退出した。

頼綱がそれを見て鞭を折り、うらみがましく時宗を見た。

「千載一遇の機会をのがしましたな」

ふだん温厚な時宗も、この物言いは、さすがに聞き流すわけにはいかない。

「だまれ、左衛門尉。北条の血を引かぬおぬしになにがわかる」

 この二月騒動は幕府内でも批判が大きかった。時宗は越権行為の頼綱を処罰できなかったが、かわりに討伐に加わった五名の関係者を処刑している。騒動に加わった者にもいっさい恩賞はあたえなかった。

鎌倉の人々はこれを「ただ働き」と笑ったという。

首都の騒動を聞き、全国の御家人がぞくぞくと馳せ参じた。

到着した武士団は侍所へ直行した。彼らは引きもきらず主君の前にでて、型どおりの挨拶をしてさがった。

従者がつぎつぎに呼び出しの声をあげる。

「つぎに本間六郎(ほんまろくろう)左衛門尉(さえもんのじょう)重連(しげつら)殿、ご到着されました」

本間が時宗の前にすすみでた。彼は異例の速さで鎌倉に到着することができた。

安達泰盛がよろこぶ。

「これは本間殿。佐渡から遠路はるばる、祝着であるぞ」

本間が上目づかいで慎重に言上した。

「鎌倉殿におかれましては、このたびの難儀のおり、よくご無事であらせられました。われら御家人にとって、なによりでございまする」

「よく申された。いくさはおわった。長旅でお疲れでござろう。酒の用意を」

しかし本間はとめた。

「おまちくだされ。取り入って申しあげたき儀がございます。じつは先月、このたびの騒動を予言した者がおりまする」

時宗がおどろいた。

本間は一部始終を語った。

「なに、日蓮が・・」

厳粛な空気がただよった。

日蓮が竜の口の法難の最中、内乱がおきることを予言したのは記憶にあたらしい。今また、一月もしないあいだにこの大騒動を予告していたとは。

時宗がはじめて口をひらいた。

「本間殿、日蓮殿はいかがしておられる」

本間の返答は苦渋にみちていた。

(それがし)の宅の裏にある破れかけた三昧堂におわしまする。堂のまわりは死人を捨てる墓場でござる。拙者が見ても気の毒にて・・なにぶん流人のため、これといった施しもむずかしく・・」

 時宗はすぐさまいった。

「執権の命令である。待遇をあげよ。誰か武家の屋敷に場所をかえるのだ。ただしよいか、このわしが指図したことを、だれにも漏らしてはならぬ」

本間が顔をあげ、自分のことのようによろこんだ。

「さっそく手配いたしまする」

日蓮はみごとに自界叛逆難を的中させたが喜んではいない。邪法によってますます国がみだれることを憂いていた。

さらに嘆くべきは二月騒動のおり、命を落とした信徒がいたことだった。彼らの名は伝わっていない。日蓮は信徒の死に不安をつのらせて、急ぎ鎌倉に手紙をつづった。

 

佐渡国は紙候はぬ上、面々に申せば(わずら)いあり。一人も()るれば(うら)みありぬべし。此の(ふみ)を心ざしあらん人々は寄り合ふて御覧じ、(りょう)(けん)候ひて心なぐさませ給へ。世間にまさる歎きだにも出来すれば、劣る歎きは物ならず。当時の(いくさ)に死する人々、実不実は置く、(いくばく)か悲しかるらん。いざはの入道、さかべの入道、いかになりぬらん。かは()()()山城(やましろ)(とく)行寺(ぎょうじ)殿(どの)等のこと、いかにと書き付けて給ふべし。外典書の(じょう)(がん)(せい)(よう)、すべて外典の物語、八宗の相伝等、此等がなくしては消息もかゝれ候はぬに、かまへてかまへて給び候べし。

此の(ふみ)は富木殿のかた、三郎左衛門殿・大蔵たうのつじ(塔辻)十郎入道殿等・さじき(桟敷)の尼御前、一々に見させ給ふべき人々の御中へなり。京・鎌倉に(いくさ)に死せる人々を書き付けてたび候へ。外典抄・文句二・玄四本末・(かん)(もん)宣旨(せんじ)等、これへの人々もちてわたらせ給へ。『佐渡御書

いざわ(井沢)の入道、さかべの入道、河野辺の入道と得行寺。この四人はかつて竜の口の法難の時、日朗とともに土牢にはいった信徒といわれている。彼らは法難につづいてこの騒動にまきこまれたのか。遠く離れているだけに、日蓮の焦燥はつのった。

冨木殿とは土木常忍、三郎左衛門尉は四条金吾、大蔵塔の辻とは鎌倉の地名で、ここに十郎入道と名乗る信徒が住んでいたという。十郎入道は本間重連の家人という説があるが確かでない。桟敷の尼は自分の下人を佐渡までつかわしたほどの強信者である。彼らはいずれも日蓮の帰還をまちこがれる信徒だった。

また日蓮はいくさのことを案じるとともに、数々の書物を送るよう依頼している。貞観政要は名君といわれた唐の太宗の言行録であり、ほかに「外典の物語、八宗の相伝等、此等がなくしては消息もかゝれぬ」と切望している。

仏教書も手元にないものがある。文句とは法華文句、玄とは法華玄義である。いずれも法華経の肝要を天台(智顗)大師が解説した書である。

当時の佐渡は文化的には不毛に近い僻地であった。そもそも法門を記すための紙がない。

「かまへてかまへて」といっている。五十一歳の日蓮はそれほど佐渡の地で末法の本仏としての自身の法門を書き上げ、後世に残すことを渇望していた。

鎌倉の北条光時邸は傾きかけた門や破れた木戸が散らばり、大騒動があったことを物語っていた。

四条金吾を先頭に郎党八人が帰ってきた。

一族が歓喜したのはいうまでもない。女子供や所従たちが涙にむせんだ。

四条金吾は月満御前をだきかかえた。その夫の姿を見つめる日眼女の目に、もはや涙はなかった。

彼女はこの数日間、寝ずに祈っていた。夫の無事を目の当たりに見て、法華経の功力(くりき)を思わないではいられなかった。

主君光時が登場し床几にすわった。
 彼の前に八人が正座した。

「このたびのそのほうらの働き、感じいったぞ。退散する者もいた、お前たちのようにわしと命をともにする者もいた。ここぞという時、家来かどうかわかるのだな。礼をいうぞ。ここで一人一人、望みをのべよ。遠慮なく申せ。かなえてしんぜよう」

家来の一人がすかさずいった。

「某はいただいている所領がいささかせまくなっておりまする。所従を養うにもひもじくなっている始末。加増していただければ幸いとぞんじまする」

「あいわかった」

つぎの家来がいう。

「某は領地はいりませぬ。ただ銅銭を拝領し、今後の蓄えといたしたく思いまする」

光時がうなずいた。

彼らは図々しいのではない。忠を尽くした者は恩賞にあずかって当然の時代だった。また主人は忠臣に積極的にこたえる義務があった。この考えは現代の政治力学がうごめく複雑な労使関係より、はるかに単純で平明である。

「わたくしは爵位をたまわりとうござます。武士は位があって面目が立つもの。左衛門尉をいただければ、一族の誉れともなります。どうか周旋ねがいとうございまする」

「もっともなことだ。すぐにも手配しよう」

四条金吾の番になった。

金吾はだまっている。

光時がにこやかに催促した。

「どうした頼基、願いごとはないのか。今回のそなたの働きぶりからすれば、ありすぎるほどであろう」

金吾が重い口をひらいた。

「殿、わたくしはお(いとま)をいただきとうございます」

 一同がざわめく。同僚が猜疑の目で金吾を見た。

「暇をとる。どうした。わしからはなれてどうする」

「旅にでとうございます」

「旅、どこへ」

「佐渡ヶ島にございます」

光時が考えあぐねた。

「あの島にはわしの領地はない。米も良くはとれぬ。やせた土地だ。ほかをあたえよう」

「いえ所領ではありませぬ。佐渡にお会いしたい方がおられまする」

光時はしばらく考えこんでいたが、はっとした。

金吾が手を床につけた。

「某の師匠、日蓮上人が無実の罪であの島に流されております。ひと月ほどお暇をいただければ、佐渡へまかりいでたいと考えまする」

 光時がむきになった。

「日蓮は罪人だぞ」

 金吾が胸をはった。

「その罪人が日本国の騒動を予言したのはまぎれもない事実にございます。われら主従はその当事者として、からくも生きのびました。殿、未萌(みぼう)を知る者を聖人と申します。しかれば日蓮上人は罪人ではなく、聖人ではないでしょうか」

 光時が食いさがった。

「わしをおいて日蓮につくのか」

「殿、頼基は箱根の山をこえ、馳せ参じたときも、殿と腹を切る覚悟をきめたときも、法華経のお題目を唱えておりました。某が晴れてここに殿と相まみえるのは日蓮聖人のおかげだと感じておりまする。それ故一刻も早くおたずねし、報恩の誠をつくすのが人の道と料簡しておりまする」

光時が不満そうにだまった。
 金吾がせまる。

「殿は願いごとをかなえるとお約束なさいました。今日ほど殿に仕えて、うれしゅうことはございませぬ」

光時が投げだすようにいった。

「よい、勝手にいたせ」
「おお、ありがたき幸せ」
 金吾が小躍りして喜んだ。

二ヶ月後の四月、金吾は佐渡へ出発した。そして無事日蓮と対面し鎌倉へ帰っている。 

日蓮は竜の口で生死をともにし、あまつさえ鎌倉武士として宮仕えの身でありながら佐渡をおとずれた愛弟子を讃えた。だが賞賛するだけではない。金吾にさらなる強い信心をうながしている。妻の日眼女とともに、強盛な信心をたもてという。

法華経の信心をとをし給へ。火をきるにやす()みぬれば火をえず。強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人、乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ。()しき名さえ流す、(いわ)んやよき名をや。いかに況んや法華経ゆへの名をや。女房にも此の(よし)を云ひふくめて日月・両眼さう()のつばさ調ひ給へ。日月あらば(めい)()あるべきや、両眼あらば三仏の顔貌(げんみょう)拝見疑ひなし。さう()のつ()さあらば寂光(じゃっこう)宝刹(ほうさつ)へ飛ばん事須臾(しゅゆ)刹那(せつな)なるべし。(くわ)しくは又々申すべく候。恐惶謹言

五月二日  日蓮花押  『四条金吾殿御返事(煩悩即菩提御書)』


日蓮は妻日眼女への感謝も忘れない。金吾のかげで夫をささえる日眼女の姿を見ていた。金吾が信心を(たも)てるのも日眼女のおかげであるという。

日蓮は信心強盛な妻たちの激励を忘れなかった。難信難解の仏法であり、大難の最中である。妻の理解なしに信心をつづけるのは至難なのだ。

日蓮の婦人への気配りはこまやかである。日眼女しかり、土木常忍の女房しかり。阿仏房の妻千日尼、池上兄弟の女房など、数えきれない。

おのおのわずかの御身と生まれて、鎌倉にゐながら人目をもはゞからず、命をもおしまず、法華経を御信用ある事、たゞ事ともおぼえず。但おしはかるに、(にご)れる水に玉を入れぬれば水のすむがごとし。しらざる事をよき人におしえられて、其のまゝに信用せば道理に()こゆるがごとし。釈迦仏・普賢(ふげん)薩(注)()薬王菩( )宿(しゅく)(おう)()( )等の各々の御心中に入り給へるか。法華経の文に閻浮提(えんぶだい)に此の経を信ぜん人は普賢菩薩の御力なりと申す是なるべし。

女人はたとへば藤のごとし、をとこは松のごとし。須臾(しゅゆ)はな()れぬれば立ちあがる事なし。然るにはかばかしき下人もなきに、かゝる乱れたる世に此のとの(殿)をつかはされたる心ざし、大地よりもあつし、地神(さだ)んでしりぬらん。虚空よりもたかし。梵天帝釈もしらせ給ひぬらん。

人の身には同生同名と申す(ふたり)のつかひを、天生まるゝ時よりつけさせ給ひて影の身にしたがふがごとく須臾(しゅゆ)もはなれず、大罪・小罪・大功徳・小功徳すこしもおとさず、遥々(はるばる)天にの()て申し候と仏説き給ふ。

此の事ははや天もしろしめしぬらん。たのもし、たのもし。  日蓮花押

此の御文は藤四郎殿の女房と、常によりあひて御覧あるべく候。 『同生同名御書

最愛の夫を多難の地に送った日限女を絶賛している。

藤四郎の女房とはだれであろう。一説には弟子日向の父、男金藤四郎というがさだかではない。いずれにしてもこの迫害の時期に退転せず、法華経信仰を貫いた信徒たちは、互いによりそって信心の灯をともし続けていた。


                  四十七、強信の日妙、山海を渡る につづく


中巻目次


 普賢菩薩

 文殊師利菩薩と共に迹化の菩薩の上首で釈迦の脇士。法華経普賢菩薩勧発品第二十八や普賢経では、法華経と法華経の行者を守護することを誓っている。

「御義口伝に云はく、此の法華経を閻浮提に行ぜんは普賢菩薩の()(しん)の力に依るなり。此の経の広宣流布することは普賢菩薩の守護成るべきなり云云。」『普賢品六箇の大事




by johsei1129 | 2017-04-24 07:17 | 小説 日蓮の生涯 中 | Trackback | Comments(0)
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