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日蓮大聖人『御書』解説

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2017年 04月 08日

三十一、発迹顕本(ほっしゃくけんぽん)

                             英語版

 

すでに真夜中になっていた。
 北条宣時邸の門前では、幾本もの松明(たいまつ)が赤々と暗闇を照らしていた

平頼綱があらわれ鎧姿で馬にのった。

このあと日蓮が屋敷からでてきた。

兵士が両側にまっすぐ直立し、日蓮がそのあいだをすすむ。

兵士の中には、何故僧が打ち首になるのか戸惑いを隠せない者もいた。しかし頼綱の命は絶対であり従うしかない。

彼らは日蓮を鞍のない裸馬に乗せた。

松明をもつ先頭の一団が夜の鎌倉を出発した。戦闘でもないのに、真夜中に多数の兵士が隊列を組んで鎌倉の街道を進んでいく。異様な光景だった

日蓮のそばに味方はいない。弟子たちは捕縛され追いたてられて散りじりとなり、小僧の熊王だけが、とぼとぼと馬のあとをついていく。熊王は歩きながら泣きじゃくる。少年は日蓮に助けられていらい、身辺の雑事を引きうけていた。その日蓮が死の淵に立たされている。父親が連れ去られて、泣かない子がどこにいよう。

この竜の口の法難に立ち会った熊王は、後に日蓮が出世の本懐として弘安二年に建立した大御本尊の文字を刻印する日法上人になる。何とも不思議な機縁であると言えよう。

やがて日蓮の目に鶴岡八幡宮の社がみえてきた。

八幡宮は月明かりの中、悠然とそびえ建っている。

頼綱が馬をおり、武士の神である八幡宮にむかって頭をさげた。郎従や兵士も一列に静止して頭を下げる。
 頼綱がふたたび馬にのり、全軍がすすもうとしたその時だった。

日蓮が声をあげた。

「またれい」

一行を制する声を聞いて兵士がおもわず歩みを止めた

「この期におよんで、おじけづいたか」

頼綱が軽蔑の目でみた。死を前にしての狼狽は恥とされる。

しかし日蓮はおちついていた。

「おのおの方、騒ぐべからず。べつのことはなし。八幡大菩薩に最後に申すべきことあり」

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日蓮は馬からおりたとたん、あろうことか八幡を大音声で叱責した。人がかわったような叫びだった。

「いかに八幡大菩薩は、まことの神か」

一列にならんだ兵士が驚愕し、体をふるわせた。われらの氏神を罵倒するとはなんという僧侶。

日蓮が腹の底から雄たけびをあげる。

今日蓮は日本第一の法華経の行者なり。そのうえ身に一分のあやまちなし。日本国の一切衆生の法華経を謗じて無間地獄におつべきを、助けんがために申す法門なり。また大蒙古国よりこの国を攻むるむらば、天照大神・正八幡とても安穏におわすべきか。そのうえ釈迦仏が法華経を説きたまいしかば、多宝仏・十方の諸仏・菩薩あつまりて、日と日と、月と月と、星と星と、鏡と鏡とをならべたるがごとくなりし時、無量の諸天ならびに天竺・漢土・日本国等の善神聖人あつまりたりし時、おのおの法華経の行者におろかなるまじき由の誓状まいらせよとせめられしかば、一々に御誓状をたてられしぞかし。さるにては日蓮が申すまでもなし、急ぎ急ぎこそ誓状の宿願をとげさせたもうべきに、いかにこの処にはおちあわせたまわぬぞ()()()()

日蓮の大音声が闇夜に響きわたる。

平頼綱が呆然とした。

最後に日蓮がおどすように叫ぶ。

「日蓮、今夜首切られ霊山浄土へまいりてあらん時は、まず天照大神・正八幡こそ誓いを用いぬ神にて候いけれと、さしきりて教主釈尊に申しあげ候わんずるぞ。痛しとおぼさば、急ぎ急ぎ御計らいあるべし」

この日蓮の大音声は「八幡大菩薩が法華経の行者を守るという誓いを破り、日蓮が今夜首を切られ、霊山浄土へ行くようなことになったら、誓いを守らない神だと教主釈尊に言いつけるぞ」という趣旨である。
 だが八幡大菩薩は闇につつまれ、沈黙したままだった。

日蓮がふたたび馬にまたがる。

全軍が馬をすすめたが鎌倉幕府の守り神、八幡大菩薩を叱りつけるという日蓮のただならぬ大音声に驚愕し、兵士の中には身震いする者も少なくなかった

頼綱の軍馬が若宮大路をくだる。

月明かりの下、人影はなかった。

この大路は昔、征夷大将軍源頼朝の妻、政子の安産のために開かれた。いま兵隊は僧侶の首を刎ねるために通る。

ここに日妙と娘の乙御前が手をあわせていた。信仰のために夫と離縁した日妙は気丈に振る舞っているが、乙御前は涙が止まらない。

「日蓮聖人様」

日妙が日蓮の馬に近づいたが、兵士にはねとばされてしまった。

乙御前が母にだきつく。二人は地べたにすわりこみ、日蓮の無事を祈るばかりだった。


隊列はかまわずすすむ。

前方に黒衣の僧の一団がみえた。

彼らは日蓮にむかって念仏を唱和しだした。

そのなかに扇子を開いて顔を隠す者がいる。僧侶は扇子の骨の間から日蓮を見つめた。

極楽寺良観その人だった。


月光が闇夜に沈む太平洋を照らしていた。

日蓮の隊列はようやく由比の浜についた。

ここに(やしろ)があった。鎌倉の基礎を築いた権五郎景政を祀る()(りょう)だった。

ここを右手におれて江の島竜の口の道を進もうとしたとき、日蓮がまたも声をかけた。

「しばしまて。告げるべき人あり。熊王よ」

熊王少年はすぐにかけよった。

「熊王、四条金吾殿を呼んでまいれ」

少年は日蓮の目を見てうなずき、鎌倉にむけ一目散で飛ぶように走った。

熊王にとって日蓮は育ての親以上であり、人生の師でもあった。日蓮にお供することが自分の人生そのものになっていた。その日蓮に死が迫る。

熊王は四条金吾様ならこの絶体絶命の窮地から救ってくれると直感した。彼はそう思うと、いてもたってもいられず、まるで空中を飛び跳ねるかのように金吾の屋敷にむかって駆け抜けた。

四条金吾の屋敷には明かりがついていた。

熊王がやっとのことでたどりつく。熊王の膝はもはや立たなくなっていた。彼は屋敷の明かりにむかって声をふりしぼった。

「きんごさま・・」

扉が開き、燭台を手にした金吾がでてきた。金吾はこの夜中になにごとかと警戒したが、熊王少年とわかるとすぐに事態を飲み込んだ。

「熊王ではないか、聖人に何かおきたか」

少年は涙声で告げた。

「聖人が、聖人がお呼びです。頼綱様の兵隊にさらわれて」

「しまった、今どこだ」

「由比の浜の御霊(ごりょう)の前です」

金吾が熊王をかかえて家に入れると、すぐさま支度をはじめた。

着物の裾をしばり、刀を差した。そして勇躍外へでようとしたが、目の前に妻の日眼女があらわれた。
 娘をだいている。

日眼女は正座した。

金吾もゆっくりとひざを折った。

「すまぬ・・聖人に一大事だ。いかねばならぬ。帰ってはこぬかもしれぬ・・」

妻は不思議に笑顔である。

「覚悟しておりました。おまえ様、それでこそ日蓮聖人の一の弟子」

「わしこそ、そなたを妻にしたのが誇りであった。すまぬ、(つき)(まろ)をたのむ」

金吾が裸足で外にでて、月天子にむかって叫んだ。

「どうか日蓮聖人をお守りくだされ」

金吾は一目散に由比の浜にむかった。また連絡をうけた金吾の兄弟三人もあとにつづいた。

のこった日眼女が娘をかかえ、おなじく天空に向かって叫ぶ。

「どうか日蓮聖人を、四条金吾頼基(よりもと)お助けくだされ」

現場にたどりついた金吾は月夜の下、馬上の日蓮が由比の浜で兵士に取りかこまれているのを見た。

最初、兵士は金吾におどろいて薙刀(なぎなた)ふせいだ。しかし平頼綱は興奮する兵士をなだめた。

「静まれ、静まれ。その者をとおしてやれ。日蓮一番の弟子、四条中務(なかつかさ)郎左衛門尉頼基殿のおでましだ」

 頼綱に侮蔑の口吻がまじる。法華宗の金吾は御家人のあいだでも有名である。頼綱は師弟の最後の対面を許した。

金吾が馬の手綱をとった。

「ご無事でしたか。不肖の弟子ですが、なんとか間に合いました」

師日蓮は意外にもにこやかだった。

「今宵、首を斬られにまいるのです。この数年のあいだ願っていたことです。この娑婆世界に(きじ)となったときには(たか)につかまれ、(ねずみ)となったときには猫に食われました。あるいは妻のために、子のために、また敵に身を失ったことは大地微塵よりも多かった。いずれにしても死は一定です。されば日蓮、今世では貧道の身と生まれ父母の孝養は心に足らず、国の恩に報いる力もない。このたび首を法華経にたてまつり、その功徳を父母にたむけます。そのあまりはそなた方弟子檀那に分けてさしあげよう。問注があった日の夜、館で申したことはこの日の事だったのです」

しばし待っていた平頼綱が、改めて全軍に力強く命じた。

「これより、竜の口にむかう」

先頭に松明をもつ兵士数人。つづいて日蓮をかこむ軍団がすすむ。

平頼綱はここで軍団を見送り、鎌倉へ引きかえした。

頼綱の仕事はここで終わった。あとは自邸に帰って日蓮の首をまてばよい。闇にまぎれて暗殺するのは幕府執事のやることではない。あとは雑兵どもにまかせればよいと・・。

澄みきった秋の夜長、空には一片の月と無数の星霜が輝く。

右にけわしい山々。左に広大な太平洋を望む。

日蓮を乗せた馬は、金吾のもつ手綱に引かれて、潮騒の音がやまない海岸線を粛々とすすむ。

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                  (竜の口へつづく湘南の海岸 前方は江の島)


いっぽうこの時間、北条時宗邸の寝室では、時宗が妻(のり)子の大きな腹をなでていた。彼はこの夜中に深刻な事態が進行中であることをつゆ程も知らない。

二人はたがいにほほえみあった。

時宗が祝子の腹に耳をあてた。

「早くでてこぬかのう」

祝子が笑う。

「そんなわがままをいってはなりませぬ。もう少したたないと生まれてはきませぬ」

「まちどおしいのう。生まれる日がはやくこぬかのう」

「殿はどうあれ、わたしは今がいちばんでございます」

「どうしてじゃ」

「このように殿にだいじにされるのが、いちばんうれしゅうございます」

祝子が時宗の胸に顔をうずめた。

この時、戸の向こうからささやく声がした。

「殿、殿、お休みでございまするか。殿・・」

安達泰盛の声だった。

時宗は何事かとばかりに立ち上がり、(ふすま)あけた

泰盛が正座してかしこまっている。

祝子がおどろいた。

「お兄さま」

時宗は泰盛の突然の訪問に戸惑いをかくせない。

「泰盛殿、この夜半に、いかがした」

泰盛が頭をあげ、憤怒の目を光らせた。

「たったいま注進がございました。日蓮の御坊が頼綱の兵に拉致され、竜の口にむかったとのことでございます」

「なに、日蓮殿の首を斬るというのか」

竜の口は斬首の代名詞である。祝子が時宗の背にだきついてふるえた。

時宗の声が邸内にひびきわたる。

「止めよ。頼綱に申せ。御台所懐妊の時に、僧侶の首を斬るとは何事ぞ。日蓮殿に罪はない。誤っては後悔あるべし」

月明かりの下、配下の武士が馬にとび乗った。

泰盛が時宗の書状を託して叱咤(しった)した。

「いそげ、竜の口だ」

泰盛は頼綱の横暴に憤っていた。頼綱の専横がつづけば自分も危うくなる。どうすればよいか。

泰盛は考えを張りめぐらした。

日蓮の処刑を妨害すれば、頼綱の力をそぐことになる。日蓮を助けるためではない。己の保身のためにだ。

日蓮を乗せた馬が海岸線の道を竜の口に向け、さらにすすむ。

現在もそうだが、左は海、右はせりたった山がつづいている。逃げ場はない。

平頼綱は闇の中で日蓮を葬るつもりでいる。鎌倉幕府は要人の処刑をつねに隠密裏に行った。都ではけっして斬らない。平家の処刑しかり、承久の変で捕えた公家しかりである。

かたや四条金吾はすでに覚悟を決めていた。

「平頼綱が竜の口と決めた以上、日蓮上人の死は免れない。ならば自分も腹を切るまで」と。

金吾は日蓮から日ごろ度々聞かされていた。

「死は一定」と。

いずれ人は死ぬ。されば何のために死ぬかで来世の命運が決まる。武士としての師は北条一門の名越光時だが、三世にわたる法華経の師は日蓮に他ならない。その師と共に霊山に行くことができるのなら、己の人生に何の不足があろうか。

竜の口の刑場に波がよせては返す。

暗闇に広大な太平洋がひろがる。

砂浜の一角の四方に松明がともされ、兵士が守りをかためていた。

兵士が首のおちる穴を掘る。

太刀取りの依智三郎直重は傲然と床几に腰かけ、名刀蛇胴丸を左脇に立てて日蓮の到着を待っていた。その刀の柄が松明に照らされ不気味に光った。

時宗の使者が海岸線を疾駆していた。だがいま一歩おそかった。

日蓮の一行はすでに竜の口の目と鼻の先まで近づいていた。

月明かりの下、彼方に江ノ島が見えてきた。

ここで金吾は日蓮の馬の手綱を引きながら思いにふける。

彼は日蓮との出会いを回想していた。

はじめて会った時、金吾は日蓮に食ってかかった。それをやさしく受けとめてくれた師匠の笑顔。

入信して日蓮に喜ばれた日。

我が子をだいてよろこぶ日蓮の姿。

そして証人となるようにと言われた時の日蓮の親をも凌ぐ愛情。

いまになって、どれもこれもがいとしい。

金吾がますます感傷にふけった。

(ああそうだ、そうだったのだ。このお方は自分の主であり、師であり、父だったのだ。今それがしかとわかった)

 この時金吾は、日蓮から説法をうけた法華経()(じょう)()()を思い起こした。

「在在諸仏土(じょう)()(しぐ)(しょう)」。ここ、かしこの仏国土に、常に師と俱に生るるなり、と。


やがて前方に刑場の灯がみえた。

刑場の兵士がさわぐ。

「きたぞ」

兵士が日蓮の馬をとりかこんだ。

覚悟を決めていたとはいえ、ここで金吾が感きわまり、手綱をつかみながら声をふりしぼって日蓮に叫んだ。

「上人、ここで今生のお別れでございます・・」

金吾は大声で泣いた。

ふだんは短気で強情な四十一歳の男だった。しかし涙が流れるのを止めることができない。

馬上の日蓮は金吾を見て慈愛の目をみせた。しかしつぎの瞬間、厳父の顔で金吾を叱りつけた。

「なんと情けない武士だ、金吾よ。これほどのよろこびをなぜ笑わぬ。なぜ約束をやぶるのだ」

金吾は手綱をつかみながらひざまずき、泣くのをやめない。

御書にいう。

左衛門尉申すやう、ただ今なりとなく()。日蓮申すやう、かく()のとのばらかな。これほどの悦びをば笑えへかし。いかにやく()そく()をばたがへらるゝぞ 『種々御振舞御書

最後の最後まできびしい師匠であった。この期におよんでも弟子を叱った。だが日蓮にとって一緒に死のうとする金吾の気持ちを思えば、これほどうれしいことはない。しかし今、自分が末法の法華経の行者として最大の岐路を迎える瞬間がせまっている。その時になにがおきるのか、日蓮は予感していた。だがそこに証人がいなければ、後世に正しく伝わらない。歴史の荒波に藻屑として消えるやもしれないのだ。

日蓮は金吾を醒ますため叱責した。

 (四条金吾よ、しっかりするのだ、心して見ておけ)

日蓮が馬からおり、刑場へおもむく。

現在の午前三時前後、丑寅の刻であった。

月と松明の明かりの中、(むしろ)しかれている。そこに首切り役人がまっていた。

日蓮は敷物に正座し手をあわせた。

ここでようやく伯耆房ら弟子たちが追いついた。彼らは数珠をとりだし、涙とともに題目を唱えはじめた。つねひごろ気丈な伯耆房の目頭からも、さすがに一筋の涙がこぼれた。

四条金吾は日蓮のななめうしろに正座した。そして上半身裸となり、短刀の鞘からおもむろに刀をぬく。日蓮と死を共にするためだ。

号令がかけられた。

「はじめ」

日蓮が唱える。

「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・」

首切り役人が日蓮の左うしろにすすみ、ゆっくりと刀をぬき、高くかかげた。

この時である。

どこからか、光が刀剣に反射した。

役人があやしんで動きをとめた。

光は海のむこう、江の島方向の太平洋の暗闇からだった。

満月と見まごうほどの大きさの白い光り物が、ゆっくりとこちらにむかってくる。

「あれはなんだ」

目の前の江ノ島全体が不気味にかがやいた。

兵士が絶叫した。

光が音もなく、兵士一人一人の顔を照らし、竜の口の刑場一面が真昼のようになった。

「でた」

首切り役人は倒れ伏し、兵士は悲鳴をあげて逃げ散った。武士は馬からおり、ふるえながら手をあわせる。馬の上でうずくまる者もいた。

古来、竜の口の法難についてはさまざまなことがいわれてきた。斬る瞬間に雷がおちたとか、刀がこなごなにわれたとか、まことしやかにいわれるが真相は以上である。

光物に関する詳細な史料はただ一つ、日蓮がのこした『種々御振舞御書』にしかない。

()しま()のかたより月のごとくひかり()たる(もの)まり()のやうにて辰巳(たつみ)(東南の方角)のかたより戌亥(いぬい)(西北)のかたへひか()りわたる。十二日の夜のあけ()ぐれ()、人の(かお)()へざりしが、物のひか()り月()のやうにて人々の面もみなみゆ。太刀取り目くらみ()ふれ臥し、兵共(つわものども)おぢ(おそ)れ、けう()さめ()て一町計りはせのき、或は馬よりおりてかしこまり、或はうま()の上にてうずくまれるもあり。

兵隊は散り散りとなった。のこされたのは日蓮と金吾、伯耆房ら日蓮門下の弟子信徒だけとなった。

奇跡であった。

読者はこの劇的な事件が作り話と思われるかもしれない。

じつは光物の登場はこれがはじめてではない。

北条幕府の公式記録「吾妻鏡」におなじ光物の記録がある。この日からさかのぼること五十年前、寿永元年六月二十日のことだった。

  戌剋(イヌノコク)。鶴岳辺有光物。指前浜辺飛行。其光及数丈(シバラク)不消。

(午後八時頃、鶴岡の山のあたりに光る物があらわれた。前浜の辺へと飛んでいき、その光は数丈に及び、しばらく消えなかった)

 鶴岳とは日蓮が叱咤した八幡宮の場所である。光物はここから海にむかって飛来したという。竜の口の光物は寅の刻、午前三時頃の深更にあらわれた。また進入経路も五十年前とは逆で、太平洋から内陸にむかって飛んでいる。


またこの現象を科学的な見地から推測した学者がいる。

東京天文台長で東大教授だった広瀬英雄は、この光物の正体は彗星が落とした破片(流星)だったという。

この日、文永八年九月十三日は太陽暦で今の十月二十五日にあたる。日蓮によると光物が出現する直前は真っ暗で、人の顔も見えなかった。この時を「あけぐれ」と呼んでいる。天体運用表で計算してみると、当日の月没時刻は午前三時四十四分(日本標準時)であるから、死刑執行予定時刻は月没ごろかその少しあと、ほぼ現在の午前四時前と考えてよい。寅の刻の只中である。

さらに広瀬はこの光物が、おひつじ・おうし座の流星群に属するものと考えた。なぜならこの流星群は十月下旬に活動し、しばしば明るい流星を発生させるからである。この流星群を発生させる母体がエンケ彗星である。この彗星は太陽の周りを三・三年の周期で公転する。その軌道に沿って落としていった小さな破片(流星)が地球に落下し、日蓮の命を救ったという。『流星光底の長蛇・日蓮と星』一九七三年

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                  エンケ彗星 Wikipedia より

 いずれにせよ光物は日蓮を闇の中で葬ろうという陰謀を、白日のもとに暴いたのだった。

 四条金吾は絶体絶命の窮地を乗り越えたことに驚愕するとともに、助かったことの喜びで師のもとにかけよった

「聖人、ご無事でなによりでございます」

しかし日蓮はどうしたことか意外な行動にでた。

立ちあがり、逃げ散った兵士を叱ったのである。

いかにとのばら・かかる大禍ある召人(めしうど)にはとを()のくぞ近く打ちよれや打ちよれや。()あけば・いかにいかに(くび)(きる)べくわいそぎ切るべし夜明けなば()ぐる()しかりなん。  「種々御振舞御書

「どうしたおのおのがた。この囚人になぜ離れる。もどらぬか。近くにきてこの日蓮を斬ってしまえ。もう夜が明ける。急いで斬るべきだ。明るくなれば見苦しいではないか」

 すさまじい気迫である。

だが兵士は草や砂に身をかがめて動けず恐怖にふるえた。戦いでは勇猛果敢でも、得体の知れない相手には死ぬほど臆病だった。

日蓮はなおも怒ったように呼ぶ。)

答える者はだれもなかった。

この時、かがやく朝日がかなたの水平線から顔を出し、暗闇がやぶられた。

日蓮は光を真正面に受け、砂浜に正座した。

そして太陽にむかい、手をあわせて「南無妙法蓮華経」と一声題目を唱え、地にひれ伏した。

よせる波がざわめく。

ひれ伏していた日蓮が上体をおこすと、太陽の光線が日蓮の全身をてらした。

四条金吾、伯耆房らの弟子信徒がこの姿に打ち震え、かけよって日蓮その人にひれ伏した。

元初の日天子が天空にみなぎり、日蓮とその門下をてらす。

日蓮はこの時の心情を、九日後に四条金吾に宛てた手紙で次のように書きのこしている。


今度法華経の行者として流罪・死罪に及ぶ。流罪は伊東、死罪はたつのくち。相州のたつのくちこそ日蓮が命を捨てたる処なれ。仏土におと()るべしや。其の故はすでに法華経の故なるがゆへなり。経に云はく「十方仏土の中には(ただ)一乗の法のみ有り」と、此の意なるべきか。此の経文に一乗法と説き給ふは法華経の事なり。十方仏土の中には法華経より(ほか)は全くなきなり。「仏の方便の説をば(のぞ)く」と見えたり。()し然らば日蓮が難に()う所ごとに仏土なるべきか。娑婆世界(注)の中には日本国、日本国の中には相模国、相模国の中には片瀬、片瀬の中には(たつ)(のくち)に、日蓮が命をとゞめをく事は、法華経の御故なれば寂光土(じゃっこうど)(注)ともいうべきか。神力品(じんりきぼん)に云はく「若しは林中に於ても、若しは園中に於ても、若しは山谷(さんごく)曠野(こうや)にても、是の中に乃至(ないし)(はつ)涅槃ねはん)したまふ」とは是か。 『四条金吾殿御消息



           三二、口からの脱出 につづく


上巻目次


発迹(ほっしゃく)顕本(けんぽん

)迹を(ひら)いて本を(あらわ)す、と読み下す。天台は、法華経如来寿量品第十六で、釈尊が始成正覚(釈迦族の王宮をでて出家し、菩提樹の下で悟りを開いた)という迹を(はら)って五百(じん)(てん)(ごう)()()他阿(たあ)僧祇(そうぎ)久遠(くおん)成道(じょうどう)したという「久遠(くおん)(じつ)(じょう)」の本地を顕したと説いた。日蓮大聖人は竜の口の法難で、上行菩薩の再誕という迹を発って、末法の本仏としての本地を顕した。


娑婆世界

苦悩が充満している人間世界のこと。忍土・忍界ともいう。娑婆は梵語サハーの音訳で、勘忍(かんにん)・能忍と訳す。また娑婆とは法華経弘通の世界である。釈尊は法華経如来寿量品第十六で「我常在此 娑婆世界説法敎化 亦於餘處 百千萬億 那由佗 阿僧祇國 導利衆生(我は娑婆世界で常に説法敎化してきた。また余所の幾千万億の国でも衆生を導き利してきた」と説いている。ここから狭義の意味では娑婆は釈尊有縁の仏国土=地球と言える。また余所の幾千万億の国という表現は、この宇宙に仏が出現する仏国土つまり星は無数にあることを示している。

「御義口伝に云はく、本化弘通の妙法蓮華経を大忍辱(にんにく)の力を以て弘通するを娑婆と云ふなり。忍辱は寂光土なり。此の忍辱の心に釈迦牟尼仏あり。娑婆とは堪忍世界と云ふなり云云」『神力品八箇の大事』

寂光土

常寂光土ともいう。観無量寿経疏等で天台が説いた四土の一つ。真実の本仏が住する国土のこと。常は本有(ほんぬ)常住またはその体である(ほっ)(しん)、寂は寂滅・解脱、光は光明・諸相を照らす智慧般若(はんにゃ)の意。この常住・寂滅・光明の仏土が常寂光土である。しかし釈迦は法華経如来寿量品第十六で「是れより(このかた)(われ)(つね)()の娑婆世界()って説法教化す」と説いて娑婆世界が即常寂光土であることを明かした。日蓮大聖人は妙法(たも)つ者の住所が常寂光土であると説く。

「今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は化城即宝処なり。我等が居住の山谷(せんごく)(こう)()皆々常寂光の宝処なり云云」『御義口伝 化城喩品七個の大事




by johsei1129 | 2017-04-08 18:39 | 小説 日蓮の生涯 上 | Trackback | Comments(0)


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