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日蓮大聖人『御書』解説

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2017年 07月 22日

五十五、最後の諌暁


 日蓮の館は、赦免が決まったことを知った信徒等が当面の仮住まいとして急いで用意した真新しいものだった
 ここに町衆がむらがった。

そこに日蓮があらわれ歓呼の声がわきおこった。

日蓮が建物を見あげて入る。伯耆房が一幅の本尊を両手にかかげてつづいた。室内に弟子信徒が充満している。

二月騒動という北条家の内紛の後、日郎ら五人の弟子が釈放され、日蓮門下の弟子・信徒の間では師の赦免に期待が募っていたがそれでも日蓮が目の前に帰還した現実が信じられなかった。赦免は絶望的だったのだ。しかしいま不可能が可能になった。かれらは法華経の力をまざまざと感じた。

また弟子の中には三位房と大進房もいた。この二人は日蓮の帰還を聞いて出てきた。日蓮が難にあったときはかくれ、陽の目をみた時にあらわれた。まるで風見鶏のような無節操な弟子だったが、日蓮は二人の大成を期待し、見て見ぬふりをした。

日蓮は、伯耆房日興が宝殿に掲げた真新しい御本尊を背にして座った

「みなさん、留守の間ご苦労でありました。つらいことがあったでしょう。よく耐えぬきました。みなさんの心は教主釈尊もよろこばれております。日蓮も礼をいいます」

ここで口調は強くなった。

「さて、このたび赦免されて鎌倉にまかりでた。鎌倉殿になにか含みがあってのことであろう。かならずや呼びだしがあるはず。仏法の正邪が決まるのは、この時である」

みな身をのりだす。

「先々申したとおり、いかなることがあっても信心を捨ててはなりませぬ。みなさん、これからが法華経をまもりとおす時です。今までの御志は申すばかりなし。今よりは一重強盛の御志あるべし」

その夜、日蓮がおもだった弟子や信徒と酒をくみかわした。

膳にはあふれんばかりの馳走がおかれていた。また日眼女、日妙、池上兄弟の妻らが皆に酒をついで回っていた。

弟子信徒らはここ十数年、味わったことのない喜びにあふれていた。

日妙が日蓮に酒をついだ。彼女は再会できたことが夢のようである。佐渡で別れたときが最後だと思っていた。それだけによろこびは尋常でない。妙とは蘇生の義であると聞いてはいたが、日妙はまるで自分の魂が帰ってきたような気持だった。日妙は娘の乙御前とともに、島の出来事を語りあった。


夜がふけた。女性たちは帰り、宴席は弟子と古参の信徒だけになった。

日蓮は目を閉じ、しばし黙考している。なぜか憂いの影が見える

反対に弟子の三位房はあくまで陽気である。

「上人は幕府の肝いりで大僧正になられる。四月八日に平の左衛門尉様とご対面だぞ。大寺院も建ててくれるというではないか。われらもいよいよ精進しなければならぬぞ」

大進房が饒舌に語る。

「まことに、いままでの苦労がむくわれますな。あばら屋から大寺院にはいることができるなんて。もう食い物の心配はない。すべて幕府がまかなってくれる。上下万民も尊敬してくれる。これでもう苦労はないと思うと涙があふれますな。お師匠様は幕府の味方をされる。となればわれわれは安泰だ」

二人が高笑いする。つられてまわりもほほえむが、日蓮の表情は厳しい。

四条金吾も酔っていた。酔いながら三位房と大進房の二人をにらみつけた。気性の荒い金吾の目がすわっている。

「上人が幕府の味方をするとだれがいった。幕府は今まで上人になにをした。島に流し、追い立て、あげくに首までとろうとしたのだ。それを今さら許すなどと、たわけたことを」

温和な富木常忍がたしなめた。

「これ金吾、声が高いぞ」

 だが今夜の金吾はだまっていない。彼も大難の当事者だったのだ。

「いや言わせてもらうぞ。このたびの赦免は、なにかたくらみがあるはず。油断はならぬ。われらを蛇蝎(だかつ)のごとく嫌っていた幕府が、手のひらをかえしたように許すというのだ。気味が悪いではないか。これに喜んでばかりいては足元をひっくりかえされるぞ」

 座がひっそりとした。

三位房は金吾のにらみに萎縮して日蓮に聞く。

「聖人、いったいどうなるのですか」

 日蓮はすでに酒から茶に切り替え、一息ついてから語りだした

「この様子だと、幕府は余の了見をみとめたのであろう。しかし念仏は無間地獄、禅宗は天魔の所為、真言は亡国の悪法、律宗は国賊の妄説と訴えたが、幕府はいまだに彼らをとりたてている。おそらくわれらをほかの宗派とおなじように扱い、蒙古のそなえのために祈らせるのであろう。いずれにせよ彼らに祈らせてはならぬ。とりわけ真言をもって祈れば国は亡ぶ」

四条金吾が音をたてて杯をおいた。

日蓮は佐渡から帰還してさかんに真言宗を糾弾した。日蓮はそれまで念仏と禅宗を批判していたが、これ以後真言を本格的に責めている。念仏と禅宗の二宗は疫病のように日本国に蔓延していたが、日蓮の破折によって勢いはとまった。

真言は念仏や禅と性質がちがう。

念仏宗と禅宗はこの五十年で急速に拡大したが、真言はすでにこの四百年間、平安時代から日本国に浸透していたのである。日蓮はその真言を亡国の悪法であるという。

真言宗は印度の僧、善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵の三人が中国ではじめた。印度で発生した宗派ではない。唐の玄宗の時代、印度から来た三人が真言宗の依経である大日経・金剛頂経・蘇悉(そしつ)()経をもたらして弘めたものである。

当時の中国は天台宗全盛の時である。天台宗は法華経を至高として緻密な理論を展開し、印度にもその教理が知れわたっていた。このため善無畏ら三人は印度からはるばる中国にきたのに自分たちの居場所がないことを知った。

それもそのはずで、大日経などの三部経は教えの程度が低く、法華経の深遠さには比べることができなかったのである。ただ三部経には印と真言が説かれていた。印とはまじない、真言とは呪文のことである。こんな幼稚な動作で仏法の深理はつかめない。逆に法華経は二乗作仏(さぶつ)久遠(くおん)(じつ)(じょう)という生命の奥底を説く。真言の三部経はかなうべくもなかったのである。

そこで善無畏は法華経の理論をむりやり三部経にあてはめ、三部経と法華経はおなじく至高であると主張した。そのうえで真言は法華経にはない印と真言があり、形にみえる行儀があるから法華経よりもすぐれていると主張した。

どうみても強引な話だが、当時の人々は善無畏たちをみとめた。三人は仏教の本場からきた高僧である。しかも高貴だったという。くらべて天台宗の僧の人柄は軽く、天台大師のように公場で対決する賢者もいなかったため、真言宗は中国に蔓延していった。

唐の第六代皇帝の玄宗は善無畏を師としてむかえた。善無畏は満足だったろう。彼は仏法の教義を曲げてでも出世がしたかった。天台宗の隆盛を見て嫉妬心がわきあがった。彼は法華経をほめるようにみせて、法華経をほろぼそうとした。

浄土宗や禅宗でさえも名指しで法華経をくだしたりはしない。しかし真言は法華経に深くわけいり、なおかつ法華経の義をくずしていった。師子は無敵であるが、胎内に巣くう虫にほろびるという。真言宗は法華経にとって師子身中の虫だった。

この真言で祈ればどうなるか。その(とが)は行者にとりいってその身を滅ぼし、国を祈れば社稷(しゃしょく)を失う。鎮護(ちんご)国家の法華経を破滅させるからである。ゆえに日蓮は真言を亡国の悪法といった。

法華誹謗の現証は必ずあらわれる。善無畏三蔵の頓死と臨終の悪相は有名である。唐の玄宗は真言師を頼んだために、名君といわれながら安禄山の乱をまねき、自界叛逆の憂き目をみた。

真言宗は日本には桓武・平城天皇の時代に伝わった。伝えたのは空海(弘法大師)であった。

伝教大師は延暦寺を拠点として大乗戒壇を建立し、弘法は東寺を賜り真言をひろめた。この時点で法華経と真言の優劣は定かでなかった。

これを定めた者がいる。

伝教大師に円仁という弟子がいた。のちに慈覚大師と呼ばれるこの法師は、今でこそ知る人は少ないが、この時代、伝教よりも重くあがめられていた。平安初期、遣唐使で唐にわたること九年、天台宗と真言を習いつくした人である。慈覚の智慧は山よりも高いといわれ帰朝後、比叡山第三代の座主となる。しかし慈覚は仏法の教理には暗く、短才だった。

慈覚は師の伝教に背いて真言を第一とし、朝廷を動かして宣旨を下させた。彼は日輪に矢を放って落とす夢を見て真言第一を確信したという。慈覚のあとをついだ智証も、真言がすぐれ法華経は劣るとした。

この流れが四百年つづく。

なみに日蓮は妙抄で「彼の天台大師には三千人の弟子ありて章安一人(ろう)(ねん)なり、伝教大師は三千人の衆徒を置く、義真(ぎしん)已後は其れ無きが如し、今以て()くの如し数輩の弟子有りと雖も疑心無く正義を伝うる者は(まれ)にして一二の小石の如し」と記されている。

歴代の天皇は延暦寺を崇拝した。このため日本国の田畑は真言の所領となっていく。くわえて弘法大師空海は、法華経は真言より劣り、さらに華厳経にも劣るとした。これを「第三の劣」という。

こうして法華経の威力は地に堕ちた。この悪義は日本国に根をはり、動かなくなる。この過程を解明したのは日蓮である。日蓮は日本の真言宗の根深さが念仏や禅とは比べものにならないという。

一には念仏宗は日本国に充満して四衆の口あそびとす。二に禅宗は(さん)()一鉢の大慢の比丘の四海に充満して一天の明導(みょうどう)をも()へり。三に真言宗は又彼等の二宗にはにるべくもなし。叡山・東寺・七寺・園城、或は座主、或は御室(おむろ)、或は長吏(ちょうり)、或は検校(けんぎょう)なり。 『撰時抄

日本国のあらゆる名刹が真言宗だったのである。二十六世の日寛が解説する。

「座主」は叡山なり。「御室」は仁和(にんな)寺なり。「長吏」は三井(みい)寺なり。「検校」は高野なり。並びにこれ真言なり。 撰時抄愚記

日蓮は法華経を第一として真言を破折した。経文を先として四百年の迷妄をさまそうとした。しかし人々は日蓮を笑った。慈覚大師、弘法大師ほどの人を無間地獄であるという日蓮はどんな僧なのか。末法の辺地に生まれた卑しい法師ではないかと。

しかし泣くのはかれらである。

真言の祈りによって、平家はほろび、後鳥羽上皇は離れ小島で崩御した。いままた蒙古の攻めが近づいている。真言で祈れば日本国の滅亡は必至である。

日蓮は真言が法華経に巣食う様子をしるす。

()日本国の法華経の正義を失ふて、一人もなく人の悪道に()つる事は、真言宗が影の身に(したが)ふが如く、山々寺々ごとに法華宗に真言宗をあひ()ひて、(にょ)(ほう)の法華経に十八道をそへ、懺法(せんぽう)に阿弥陀経を加へ、天台宗の学者の灌頂(かんじょう)をして真言宗を正とし法華経を(ぼう)とせし程に、真言経と申すは爾前権経の内の華厳・般若(はんにゃ)にも劣れるを、()(かく)(こう)(ぼう)これに迷惑して、或は法華経に同じ或は勝れたりなんど申して、仏を開眼(かいげん)するにも(ぶつ)(げん)大日の(いん)真言をもって開眼供養するゆへに、日本国の木画(もくえ)の諸像皆()(こん)無眼(むげん)の者となりぬ。結句は天魔入り替はって檀那をほろぼす仏像となりぬ。王法の尽きんとするこれなり。此の悪真言()くら()に来たりて又日本国をほろぼさんとす。   『清澄寺大衆中


 如法の法華経とは法華経を書写する行をいう。真言の輩はこの行事に密教の修行である十八種の印契を加えた。

 懺法とは過去に犯した罪を懺悔する修行である。当時、在家の人々は自分の犯した罪を僧に告白した。盛んに行われたのは法華懺法で、宮中では御懺法・懺法講と呼ばれ重要な儀式だった。彼らはこの儀式に未顕真実の阿弥陀経をとりいれた。

 灌頂は一定の地位にすすむ儀式をいう。伝教大師は法華経をもとに位を授けたが、慈覚以下の弟子は真言を先とした。

 開眼供養は仏像の眼目を開く義をもった法会である。新たに鋳造し、または書写した仏像・絵像に魂を入れるために行なう儀式だった。彼らはこれを法華経ではなく真言で行った。次元はちがうが紙幣の偽造である。

 こうして日本は四百年のあいだ謗法の国だった。

四月八日、日蓮は幕府の招きに応じ、出立した。

この日は日蓮が指定した。八にはひらく意味がある。釈尊の誕生は四月八日であり、成道は十二月八日という。出家したのも八日、はじめて法華経を説いたのも八日である。

日蓮の供には伯耆房日興、日昭らがついた。四条金吾、富木常忍もいた。

彼らは鎌倉の辻をゆく。

いまや日蓮は鎌倉で一二を争う寵児となっていた。極楽寺良観にとってかわっていたのである。

道行く人々が日蓮にむかって手をあわせた。

一行は侍所の門についた。

日蓮が正面に立つ。おびただしい武士がまっていた。

武士団は片膝をつき、日蓮に礼をとった。気味悪いほどの丁重さである。

日蓮が法華経の経巻を手にゆっくりとすすんだ。そして回想していた。

竜の口の法難の夜、兵士たちは日蓮を追い立て、罵声をあびせ刑場につれだした。わずか三年前のことである。それが今はみな日蓮に心酔しているかのようだ。人間はこうもかわるものなのか。

日蓮は伯耆房らを控室でまたせ、一人廊下をすすんだ。

御家人がその両側で平伏している。彼らはみな下心ありそうに日蓮を見た。

途中の部屋には他宗の僧たちが談笑していた。

中心にいるのは阿弥陀堂法印という僧だった。真言の僧である。初老ながら若々しく生気にあふれていた。極楽寺良観も少しやつれて輪の中にいた。

僧たちはきらびやかな袈裟を着て日蓮にほほえみかけた。意味ありげな微笑だった。日蓮はそのままとおりすぎた。

 つぎの間には黄金に輝く袈裟がかけられていた。日蓮のための美服だった。さらには幾十もの銭箱が積まれていた。

広間では平頼綱を中央に御家人が正装し、威儀をただして待っていた。北条光時、北条宣時、宿屋入道もいる。しかし時宗の姿がない。腹心である安達泰盛の姿もなかった。

日蓮が入室した。

磨かれた板敷の広間をすすみ、上座の畳にすわった。当時、畳は貴重品で高貴の人しかすわれない。礼をつくしているのは明かだった。

真向かいに平の左衛門尉がいる。

二人の目があった。

日蓮がまっすぐに頼綱をみた。

竜の口の首の座に日蓮を導いた張本人がいま目の前にいる。



           五十六、幕府を突きはなす につづく


中巻目次



by johsei1129 | 2017-07-22 16:57 | 小説 日蓮の生涯 中 | Trackback | Comments(0)
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