2017年 07月 21日
武士は九州で蒙古の攻撃に備えるため派遣された御家人である。異国警固番役といった。武士は九州からはるばる使者として鎌倉に帰ってきていた。 平頼綱がいらだっている。 いっぽうの武士は頬がこけ、すり切れた鎧が過酷な任務を物語っていた。背後にはこれまた疲れきった姿の武士がひかえる。 頼綱が億劫そうにこたえた。 「だからなんどもいっているではないか。もう少しの我慢であると」 武士が眼光するどく食いさがる。 「侍大将。九州の武士団はしびれをきらしておりまする。蒙古はいつやってくるのか。国書がきて、はや六年がたちまする。しかしいつまで待ってもいっこうに姿を見せませぬ。いったいどうなっているのでござるか」 「はかばかしい話はない。わかったら、すぐそなたらに知らせる。われらを信用しないのか」 使者はいきどおる。 「兵糧も底をついておりまする。われらのあいだでは、蒙古は攻めてこないのではあるまいか、われら武士団は無駄骨を折っているだけではないのか、などといった話が飛びかっております。これ以上、こない相手をまっても埒はあきませぬ」 激情家の頼綱が叱った。 「だからまてといっているのだ。それでも御家人か。命令を聞かぬ者は領地没収、官位剥奪じゃ。蒙古は大軍をもって攻めてくる。そのためにおぬしらを派遣しておるのだ。それがわからぬか」 「では幕府は今、なにをされているのでござるか」 痛いところをつかれた。頼綱はしばらくして洩らした。 「陰陽師が占っておる。それだけだ。今はそれしかできぬ」 その建物の一角で、陰陽師が符をとっていた。 時宗、安達泰盛、北条宣時、光時らの幹部が見守った。そして大勢の御家人が息を殺して陰陽師の指を見つめた。 戦争を占いでさぐる。ばかげていると思うのは現代人の感覚である。 占術は日本だけでなく、世界のどこでも用いられた当たり前のことだった。 古代ローマでは鳥占いが有名である。ローマの軍団は占いで吉凶を予想して作戦をたて、ガリア人と戦っている。 ギリシャではデルフォイの神託が知られる。ギリシャの名だたるポリスは、デルフォイの神殿に使者を送り、巫女の託宣をまった。 中国は亀占である。亀の甲羅の焼き具合によって吉凶を判断した。吉とでれば攻撃、凶とでれば自重である。 占いの対極にあるのが科学ということになるが、科学は現代のわれわれが思っているほど万能ではない。天気予報は精度は上がったが、はずれることも間々ある。地震の予知にいたっては、科学は全くの無力と言っても過言でない。 時宗はいつものように瞑目していた。まだ二十三歳の若者だったが、二月騒動、蒙古対策の難題を経験し、武家の棟梁にふさわしい風貌がそなわってきた。 時宗よりもふた回りほど年上の泰盛が陰陽師を見つめた。 主役の陰陽師は汗をにじませ、神経質に符を見つめていたが、思わず取りこぼしてしまった。 一同が膝をたてた。 陰陽師がふるえながら平伏した。 「申しわけございませぬ。失敗でございまする」 泰盛が立ちあがってなじった。 「なんということだ。幕府お抱えの陰陽師が占術にしくじるとは。一年の吉凶を占う者が、なぜ他国の攻めを予知できぬ」 泰盛が刀に手をかけたが、時宗が目をとじたまま止めた。 「責めてはならぬ。陰陽師はこの国の未来を占うもの。他国のことまで予想するのは無理であろう」 泰盛が陰陽師を見ずにいった。 「さがれ」 陰陽師がうなだれて退場した。 のこった首脳は物思いに沈んだ。泰盛がはきすてる。 「まったく。期待しておったが当てがはずれたわい」 頼綱がいう。 「高麗の港では船の建造がさかんという。だが肝心の蒙古兵が南下する気配がない。いつになったらやってくるのか。要は今の時点では、だれにもわからぬということだな」 みな腕組みをして考えこんだ。防衛費はすでに膨大になっている。幕府にとって頭の痛い問題だった。 しばらくして時宗がひとりごとのようにいった。 「おぬしら、なにを考え込んでいる。高麗には間者を張りめぐらせている。船の完成は間近。ならば蒙古は必ず攻めてくるのが自明の理だ」 めずらしく時宗の檄が飛んだが、あいかわらず一同は腕を組んだままである。 つぎの時、意を決したかのように時宗は密かに胸に温めてきた思いを口に出す。 「蒙古がいつ攻めてくるか、知っている者がひとりいる」 一同が顔をあげた。 「ひとり・・」 みな顔を見あわせた。だれがいるというのか。 泰盛が首をふる。 「おりませんな。攻撃の時を予測することなど、陰陽師にもできないことを、この日本にだれが・・」 時宗の目は閉じたままだった。 「思いだしてみよ。蒙古の攻めを予言したのはだれだった。干ばつの日本に雨を降らせたのはだれだった。二年前のあの騒動でわれらは苦しみぬいた。これを予言したのはだれだった」 泰盛と頼綱がしぼるように言った。 「日蓮でござるか・・」 時宗が目をひらいた。 「この大難をはらうには、あの僧の力を借りねばならぬ。日蓮殿でなくば一国の災難を防ぐことはできぬであろう。流罪を解き、鎌倉に呼びよせて国家の安泰を祈らせるのだ。それでなくば日本国は危うい。むろん北条も同じこと」 泰盛がすぐさま反応した。 「殿、おやめくだされ。あの男は危険でござる。幕府が日蓮を取りこめば、あやつはなにを言いだすかわかりませぬぞ。われらは日蓮の首まで斬ろうとしたあげく、島流しにしたのです。うらみもありましょう」 名越光時も同調した。四条金吾の主君である。 「そのとおり。あの僧は侍に劣らぬ武辺者でござる。余の部下にも信者がおりますが、ほかの宗派を中傷するのはもってのほかでござる。まさか殿は他宗を捨てて法華経を信ずると」 時宗は答えない。 頼綱が考えこんだあと口を開いた。 「まて、殿はそうは言っておらぬ。日蓮を利用するのだ。日蓮の神通力を幕府のために発揮してもらおう。さよう、日蓮と蒙古を対決させるのだ。殿の仰せのように、まずは蒙古襲撃の時を糾そうではないか」 さすが頼綱は機を見るに敏なるところがあった。この才覚が彼を幕府世話人の地位まで押し上げた。 泰盛も理解した。 「日蓮と蒙古。なるほど、毒をもって毒を制するか」 一同が不気味な薄笑いを浮かべたが、時宗はにこりともせず言う。 「とにかく、今は誠意をもって日蓮殿をむかえるのだ。ほかの宗派を批判するのをやめ、幕府に協力するのであれば、蒙古退治祈祷の詔勅を発しよう。その見返りとして日蓮殿には鎌倉の土地をさいて寺院を寄進しよう。幕府はそのために十万貫を用意する」 史料によれば、日蓮に寄進する大寺院とは鎌倉の西御門に大房を造ることだった。日蓮にはこの愛染堂の別当就任を予定していたという。(日精『日蓮聖人年譜』) 時宗のいつにない強い決断に、対案が出せない以上、一同は同意せざるを得なかった。 頼綱が駄目を押した。 「名案ですな。権力につき名声を得る。日蓮はおちるでありましょう。しかしまさかあの坊主が幕府の味方になろうとは。時の流れでござるな」 頼綱のあまりの豹変ぶりに苦笑いするものがでる。だが一人、北条宣時だけは意気消沈していた。 時宗がその宣時に命じた。 「宣時、さっそく日蓮殿を鎌倉へお連れしろ。くわえて信者のなかで罪にある者はすべて赦免せよ。つぎに極楽寺良観殿に金の工面をさせよ」 宣時の返事が、かぼそい。 「じつは・・日蓮に不届きがあったと聞きまして、加担する者を罰する下し文を発したばかりで・・」 時宗がすぐさま立ちあがり、矢のような怒声を放った。 「たわけ者。すぐに佐渡にむけ兵をつかわせ。なんとしても日蓮殿を鎌倉まで無事に帰還させるのだ」 時宗は周囲の反対をおしきって日蓮を赦免した。 もともと佐渡流罪は彼の本意ではなく、混乱を収拾するためだった。竜の口の処刑もあわてて止めたほどである。まして時宗が神と慕う父の時頼が伊豆流罪を赦免した僧である。時宗は日蓮に悪意などなかった。日蓮はあとになってこれを知る。 水は濁れども又すみ、月は雲かくせども又はるることはりなれば、科なき事すであらわれて、いゐし事もむなしからざりけるかのゆへに、御一門大名はゆるすべからざるよし申されけれども、相模守殿の御計らひばかりにて、ついにゆり候てのぼりぬ。『中興入道御消息』 相模守とはむろん時宗のことである。彼は幕府重鎮による評定を無視し、己一存で日蓮の赦免をきめた。 佐渡は強い雨のなかだった。
鎌倉の使者が港についた。使者はずぶぬれだった。乱れた鎧が急用であることをあらわしていた。
使者はすぐさま馬にのり、島の道を駆けだした。
雷と雨のなか、馬は佐渡守護代、本間重連の屋敷に飛びこんだ。
屋敷では本間重連が一人、のんきに酒をのんでいた。
「殿、ただいま鎌倉からの使者がまいりました。大事の用かと」
本間は滅入っていた。
彼はいったん日蓮に帰伏したものの、幕府の命令で敵にまわさなければならなかった。御家人ゆえに信仰も曲げなければならない。わりきってしまえばたやすいことだが、こうまで変節してよいものか。心の葛藤は疲労となってあらわれる。酒をのまずにはいられなかった。
「なんだ、こんなおそくに。また日蓮殿を罰せよというのか。これ以上どうしようというのだ」
使者が土間でかしこまっている。
重連がわずらわしいといった顔で出てきた。
使者がつげる。
「鎌倉より下知でござる」
使者が書状をわたす。
「大儀であった」
本間が型どおりにいったあと、書状をひらいて驚愕した。
「これは・・」
酔いがさめた重連は、配下のすべてを灯心のまわりに集めた。
「鎌倉から書状がまいった。日蓮殿を再度罰せよと思いきや、さにあらず、すぐさま放免し鎌倉にもどせとのこと。捕えた信者も全てご赦免せよとのことだ」
一同がおどろきの声をあげた。 「日蓮御坊を放免とはまちがいではないのか」 一同は、にわかには信じられない。
「急ぎ船で越後柏崎へお連れしろと」
配下が狼狽した。
「信じられませぬ。にせものではございませぬか」
この日は三月八日である。赦免状の日付は二月十四日とある。鎌倉から一ケ月近くかかって本間の手にとどいている。疑わしいのも無理はない。
重連が腕をくんだ。
「なぜ急転して放免になったのか、わしにもわからぬ。しかし時宗殿の花押がある。この書は本物でまちがいはない。前の下し文が偽書だったのであろう。とにかく方針は変わった。捕えた日蓮殿の一党はすべて無罪放免とせよ」
「日蓮御坊はどうなさいます」
「昨日までは責めていたが、今日よりは守っていくのだ。日蓮殿が赦免となれば、島の念仏者どもはだまっていない。かならず襲ってくるぞ。なんとしても無事に島からでていただく。そうしなければ今度はわしの首が危うい。よいか、今のこと口外いたすな。日蓮殿にはわしが今すぐ伝えに行く」
だがこの中に、念仏者へ通報する者があらわれた。
稲妻が一の谷の空に光る
日蓮たちは寝ていた。みなやつれ果てている。供養の食料は阿仏房や国府入道が捕えられて底をついた。
激しい雨音を切り裂いて、一の谷入道の館の外で馬のいななく声がする。
日蓮が目をさました。
「外が騒がしいですね」
「人の気配がする。だれか襲いに来たのか」
伯耆房が急いで灯心に火をつけ、木刀をとった。
部屋が明るくなり、弟子たちも起きてきた。
入口でさけぶ声がする。
「上人、本間重連でござる」
弟子たちは何事かと不安な顔になる。
戸をあけると笠をかぶり、蓑を着た本間と荷物をかかえた従者が数人はいってきた。
本間は松明でいっそう明るくなった部屋で、湯気が立っているにぎり飯や取り立ての果物を差し出した。くわえて衣装箱に収めた真新しい衣も差し出した。
弟子たちが「信じられない」とばかり、互いの顔を見あわせた。
本間が日蓮の前で正座した。
「さきほど鎌倉から時宗殿の使者がまいりました。日蓮上人の流罪を許し、いそぎ鎌倉にお連れするようにとのこと。祝着に存じまする」
弟子たちがあまりのことに声を失った。
だが日蓮は表情をかえない。
「本間殿。どういうことでござるかな。手のひらをかえしたように罪を許すと。信じられませぬな」
重連の返答はくるしい。
「前にも申したとおり、拙者は下知によって動く者。この夜分に鎌倉の書状がきたことからも事態は急でござる。なにとぞお受けとりを」
日蓮はそれには答えず、正座し平伏している重連に言った。
「本間殿。捕えられた信徒はどうなるのですか。余ひとりが赦免されても」
「全員、無罪といたします。取りあげた妻子、田畑はもとどおりに」
「ではつつしんでお受けいたそう。出立はいつに」
「明日にでも」
弟子がさらにおどろく。
本間は必死だった。
「上人の命があぶのうございます。上人が生きて帰るとなれば、だまっていない者どもがおりまする。ご赦免になった今、上人にとって佐渡は最も危険な地です。猶予はございません。なにとぞ一刻も早くご出立を願います」
「承知いたした。さりながら支度もせねばならぬ。なにより捕えられている佐渡の信徒の全員の無事を確認しなければならない。それでは本間殿、余の出立は五日後にいたす」 文永十一年春三月十三日、日蓮は一ノ谷を発った。空は新たな旅立を寿ぐかのように晴れわたっていた。
日蓮が馬に乗り、港への道をすすんだ。守護するのは重連ひきいる武士団である。そのあとを伯耆房ら弟子たちがついていく。
日蓮は馬上から佐渡の野山をながめていた。この地でほぼ二年半余りの歳月をすごした。いまさらながら名ごりおしい。
そのはるか後方から、薙刀や刀を手にした念仏者が追いかけてきた。みな怨恨の形相だった。
生喩房が勇ましく叫ぶ。
「よいか阿弥陀仏の御敵をのがすな。善導和尚、法然上人を誹謗するほどの者が、たまたま罪をうけてこの島に放たれたるを、御赦免あるとて生きてかえすのはくやしいではないか。なんとしてでもくい止めて討つのだ」
印性房がはげました。
「心配はいらぬ。船は風しだい。港で足止めをくえば、われらの手にかかろうぞ」 実際、佐渡では順風に恵まれなければ、越後にわたるのは不可能だった。風を得るのに三月を要したこともあったという。
念仏者がそれに期待して港にたどりついたがおそかった。
彼らは日蓮の一行が船に乗るのをみた。
「間に合わぬか。急げ」
日蓮が船にのりこみ、本間重連が見送った。
船は沖にでた。
港では憤懣やるかたない念仏者と守護代の武士がはげしく争った。
船は陸を遠くはなれた。船頭のきげんがよい。
「波はよし。くわえてこんないい風はめったにありませんぜ。こりゃ柏崎には早くつきますぞ」
日蓮は竜口の大難をへて佐渡にわたるのに風があわず、七日の船止めを強いられた。だが帰りの風はおどろくばかりの順風だった。
弟子たちは船中で鎌倉にもどれる喜びに浸っていたが、日蓮は佐渡の山をながめながら感慨にふけった。
この島での二年と四ヶ月は激動の日々だった。日蓮の一生を凝縮したような歳月だった。
ふと見ると、島の岩間に人だかりができている。そこに佐渡の信徒があつまっているのがみえた。
伯耆房がさけぶ。
「あ、あれは」
阿仏房と千日尼の夫妻が涙で手をあわせていた。国府入道夫妻、そのほか日蓮を慕って入信した数多くの信徒が岩につかまりながら手をふっている。
彼らは約束どおり赦免された。そして日蓮上人がご赦免になり、島を離れることを聞きつけ集まったのである。彼らは数珠で手をあわせた。
日蓮も頭をさげる。
とりわけ忘れられないのは阿仏房、国府入道の夫妻だった。苦境の自分に命がけで糧をとどけ、外護してくれた。その恩ははかりしれない。日蓮はのちに父母と別れるような思いを綴っている。
しかるに尼ごぜん並びに入道殿は彼の国に有る時は人めををそれて夜中に食ををくり、或時は国のせめをもはゞからず、身にもかわらんとせし人々なり。さればつらかりし国なれども、そりたるかみをうしろへひかれ、すゝむあしもかへりしぞかし。 『国府尼御前御返事』
佐渡ヶ島が日蓮の視線から遥かに遠くなっていった。 日蓮は向きを変え、今度ははるか南の鎌倉を見据えた。
日蓮は後に、赦免状が届いてから鎌倉に帰還するまでの日程を、同郷の安房国の信徒・光日尼に宛てた消息で簡明に記している。
文永十一年二月十四日の御赦免状、同三月八日に佐渡の国につきぬ。同十三日に国を立ちてまうらというつにをりて、十四日は、かのつにとどまり、同じき十五日に越後の寺どまりのつにつくべきが、大風にはなたれ、さいわひにふつかぢをすぎて、かしはざきにつきて、次の日はこうにつき、十二日をへて三月二十六日に鎌倉へ入りぬ。『光日房御書』
by johsei1129
| 2017-07-21 23:19
| 小説 日蓮の生涯 中
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