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日蓮大聖人『御書』解説

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2017年 07月 20日

五十一、良観の陰謀

 
 二月騒動がおさまり、世はかろうじて平穏となった。国内の憂いはなくなったが、人々の心には不安が消えない。
蒙古の来襲が現実化していたのである。

快晴の北九州に南風が吹く。

歩哨が物見やぐらに立ち、()玄界灘の水平線を見つめていた。幕府は蒙古の国書が到着していらい、筑紫の守護に警戒を命じている。

やぐらの兵が叫んだ。

「あれはなんだ」

「どこだ、どこだ」

「右、右のかなただ」

兵士たちが頭をよせて首をのばした。

部隊が即座にあつまった。

駆けつけた武士頭が下から大声で叫ぶ。

「どうじゃ。きたのか、蒙古は」

歩哨がしばらくして言った。

「漁船であります。敵ではありませぬ」

武士頭が怒った。

「馬鹿者もの。漁民どもにきつくいっておけ。目印の旗をつけておけとな。なんどいったらわかるのだ」

頭は憤慨して去り、兵士が見おくった。
 みな疲労の色がこい。

 交代制で見張っているとはいえ、いつ到来するかわからぬ外敵を待ち続ける日本の兵士の闘争心を次第に蝕んでいった。

鎌倉の侍所では執権北条時宗、執事の平頼綱、評定衆の安達泰盛、名越(北条)光時ら御家人が地図を取り囲むようにすわって、蒙古来襲の対策を協議していた。

(いくさ)はすべてそうだが攻めるより守るほうがむずかしい。戦いに打って出るのは自然に闘争心が湧き出てくる。しかし守るだけでは兵士の闘争心を維持するのは時が経つほど困難となる。なおかつ見えない相手ではうっぷんが積もるばかりだ。

彼らは地図をひろげ、高麗南部から九州までの海図に食い入るように見入った。

 泰盛が玄界灘を指さす。

「蒙古軍はまずこの対馬に上陸。次に壱岐を攻める。上陸先は十中八九、ここ博多だ。蒙古にとって博多は最短距離。われらにとって、ここを突破されれば九州北部があぶない。太宰府は目と鼻の先だ。蒙古が襲うのはまずこの博多にまちがいない」

四条金吾の主人、名越光時がきく。

対馬に上陸するのはわかった。それで、むくり(蒙古)はいつくるのだ

平頼綱が首を二度三度とふった。

「船は完成間近という知らせは入っておるが、蒙古の正規兵がまだ高麗に到着していない。皇帝フビライは出陣の命令を下してはおらぬようじゃ」

光時がうなる。

「まちきれんのう。すでにわが軍は筑紫にはりついておる。兵糧も心もとなくなってきた。蒙古の攻撃がこれ以上延びると負担に耐え切れなくなるぞ」

佐渡の(かみ)、北条宣時が口をはさむ。

「いっそのこと、蒙古が準備できぬうちに、討ってでるわけにはいかんか」

時宗が瞑目しながら言う。

「それはならぬ。攻めるのはたやすい。だが攻め入って深追いすれば、かえってあぶない。このたびのいくさは国土を守ることに意味があるのだ。今は守ることに専念するのみ。問題は一にも二にも、蒙古がいつ攻めてくるかだ」

一同に重苦しい雰囲気がながれる。

宣時が耐えきれなくなった。

「ええい、辛気くさいわい。酒だ、酒をもってまいれ」

 こういう酒は決してうまいものではないが、猛虎襲来という不安を紛らすには酒でも飲むしかなかった。

飲むうちに、窓から町民の喧騒が聞こえてきた。

「なんのさわぎじゃ」

「存じませぬか。極楽寺良観殿の説法が毎日おこなわれております。大変な人気でござる」

泰盛があきれた。

「われらの心配をよそに、陽気なものだのう」

極楽寺良観が多数の弟子を引きつれて往来をねりあるく。

彼は上機嫌に見えた。

沿道は歓呼する群衆であふれた。僧も尼も、老若男女も、武士までもが良観に手をあわせた。

良観は年老いた病人を見つけ、これ見よがしに弟子に手当させた。そのうえ、別れ際に慈愛ぶかげなまなざしをむけ、

「身を大事にするのですぞ」

と一声かけた。

老人はうっとりとした表情を浮かべ、ひたすら良観に手をあわせた。

極楽寺は広大な敷地をもっていた。ここに療養所など貧民のための施設が整った。

この時期、極楽寺は繁栄の絶頂にあった。幕府公認の寺院であり鎌倉の下層民を統括している。この寺は完全に幕府行政の一部だった。

にこやかな笑顔の良観がさらにすすむ。

若い所化が(わん)(かゆ)を盛り乞食にあたえた。
 乞食たちは良観を見つけて手をあわせた。横たわる病人もおきあがった。

良観が病人の額に手をあてた。
 病人は良観を目の当たりにして涙をこぼす。慈善の模範的な姿である。まるで演技しているかのようだった。

「ありがたや。良観上人様。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・」

良観が見事なまでの微笑をみせる。

「もうすぐ良くなるであろう。養生が第一じゃ。栄養をとって戒律を守り、念仏を唱えていれば必ず良くなる。よしよし」

 良観は若いころ、(らい)人を背負って看病したことがある。人々は弱者を救う良観の行動をほめたたえた。慈善は戒律同様、むずかしい説法を聞くよりも、目に見えてわかりやすかった。

良観がにこやかに極楽寺本殿の長い廊下をゆく。

幾十人の弟子が廊下の脇で、すき間なく平伏していた。

居間では極楽寺の役僧が主人をまっていた。

良観は入室し、襖を閉めおわったとたん、表情が一変し、眉間にしわをよせて役僧を問い詰めた。

「日蓮が生きているとな。なぜだ」

 弟子があわててその場をつくろう。

「しぶとい男ですが、鎌倉殿の許しがなければ帰ってはきませぬ。ご安心を」

良観が叱りつけた。

「馬鹿者、お主は日蓮という男を知らんのだ。あやつは執念ぶかい。首を切られそうになっても信念を曲げない僧侶じゃ。けっして侮ってはならない。なんとかせねば」

良観は北条宣時の屋敷にむかった。

彼は銅銭がぎっしりつまった箱を宣時にさしだして言った。

「宣時様、日蓮があなた様の領地佐渡で盛んに布教しているとのことでございます。幕府を批判した僧が大手をふるって法華経を唱えているのでございます。これでは日蓮を佐渡に追いやった宣時様にとっても、ゆゆしきことでは」

宣時が良観をなだめた。

「良観殿、そう心配せずともよいのではないかな。所詮、はなれ小島のことだ。いくら日蓮があばれても、たかが知れておる。それにな、日蓮は過日の騒動を予言どおりに当ておった。幕府の中にも、あの僧を赦免しようする動きがある。今はうかつに手はだせんのだ」

良観がせまる。

「わたくしは殿の財政を支えている一人であります。殿もわたくしの人気を頼もしく思っておられるはず。このようなわたしと殿との切っても切れぬ因縁をおびやかす者、日蓮はそのような存在でございますぞ。あの者がいるかぎり、わたしと殿は安穏ではございませぬ」

宣時が真顔になった。

「良観殿、それほど日蓮は恐ろしいか」

 良観が目をすえた。

「女子供ならいざ知らず、男は位と金で動く者。だが日蓮にはそれがありませぬ。ただひたすら法華経を信じ、念仏無間、禅天魔などと、妄言を吐いて世を惑わしております。われらにとって、これほど恐ろしい者がありましょうや」

 だが宣時は動じない。

「わからんのう良観殿は。日蓮はたった一人じゃ。一人でなにができる。富と権力のあるわれらの敵ではあるまい」

良観がうしろの襖をあけさせた。

そこには佐渡の念仏者、唯阿弥陀仏、生喩坊、道観がひかえていた。佐渡の法論で完膚なきまで負かされた者たちである。

「その者らは」

「佐渡にいる念仏の坊主どもにございます。日蓮から迫害をうけました」

「なに」

唯阿弥陀仏が泣きそうな声をあげた。

「あの日蓮が島にいるならば、佐渡の念仏の寺は一つもなくなってしまうでありましょう。僧侶もいなくなりました。阿弥陀仏を、あるいは火に入れ、あるいは川に流しておりまする」

生喩坊も訴えた。

「日蓮は悪魔であります。夜も昼も高い山にのぼり、日月にむかって大音声で鎌倉殿を呪っております」

道観もつづく。

「その声は島一国に聞こえております。このままでは佐渡は滅びまする。なにとぞおはからいを」

宣時が唇をかんだ。

文永十一年正月、佐渡一の谷にある日蓮の館は新年の祝いで参集した佐渡の信徒でぎっしりとうまっていた。入口にも人があふれている。室内には笑い声がひびいた。

日蓮を中心に、なごやかな座談が始まっていた。阿仏房夫妻、国府(こう)入道夫妻ら佐渡の人々が談笑した。

中心者の阿仏房が自慢げである。

「まあわしはこのとおり、齢九十になる身じゃ。背骨も曲がってきたのじゃが、この信心をはじめてからは、ほれこのおとり、ぴんとまっすぐになってきおった。これも信心の功徳であろうよ」

日蓮がおかしそうにいう。

それはなによりですところで阿仏房殿は年も年なので、今年は少しお酒を控えて千日尼を安心させてはいかがかな

信徒たちがどっと笑った。阿仏房は頭に手にやり、照れ笑いをする

千日尼もにこやかになり、そっと日蓮に手を合わせる。

 国府尼は日蓮の軽口に大笑いしながら、阿仏房夫妻の幸せな姿を見つめていた

 一同の笑いが収まると、今度は国府入道が日蓮に話しかけた。

「上人様。わたしら夫婦は島の者も知ってのとおり、病気ばかりしておりましたが、法華経のお題目のおかげですっかり元気になりました。妙とは蘇生(そせい)の義とうかがいました。まことに不思議でございます」

) 聴衆から「わたしも、わたしも」の声がひびく。

日蓮がおだやかにいう。

「身の病は四百四病あるといいます。これは医者や薬で治せる病気です。心の病は八万四千ある。これはどんなすぐれた名医でも治すことはできない。心の病は命の奥底にある元品(がんぽん)無明(むみょう)という底知れない闇からきているのです。これは法華経の題目によらなければ治せない。ともあれ国府殿、元気になったのはよいが、あくまで栄養をつけ、よく眠ることです。そのうえで信心が強ければ病気はよりつかないでしょう。お大事に」

国府入道が手をあわせた。

千一尼が喜びをおさえきれない。

「おまけに目の前がぱっと明るくなった気がいたします。なにかこう、長年の迷いがさめたような気分でございます。この八十年、生きてきてはじめてのことじゃ」

となりの阿仏房が思いだしたように言う。

「そういえば最近、若くなったの」

聴衆がまた笑いだす。

国府入道も興奮気味である。

「仏様は自分とは関係ないのことだと思っておりました。だがちがっておりました。自分の命に仏様があるとは知りませんでした。法華経の題目を唱えることで、仏の命をひらいていく、これがよろこびでなくしてなんでありましょう」

老若男女が和気あいあいだった。

しかしこのなごやかな空気とは反対に、堂の外では一大事がおきていた。

本間重連(しげつら)ひきいる武士団が堂を取りかこんでいたのである。

日蓮がつづける。

「みなさん、この信心は正しい。正しいから楽しいのです。この信仰をつづけていけば、おそくとも、一生のうちに仏となることができるのです。法華経の題目を唱えつづけてまいりましょう。この信心を捨ててはなりませぬ」

聴衆がすばやく反応した。

「けっして捨てませんぞ」

「だんじて退転はいたしませんぞ」

「わたしも、わたしも」

日蓮はここで、いつになくきびしく言った。

日々南無妙無法蓮華経と唱えれば良いだけですので成仏はむずかしいことではない。但し、この妙法をたもち続けることがむずかしいのです仏あれば必ず魔がある。幸せになろう、仏になろうとする者に、必ず魔は競うのです。魔はわれらの信心をためすのです。魔は時に、親の姿となってあらわれ、師の姿となってあらわれ、国主の姿となってあらわれる。この土地を支配する守護代の姿になることもある」

日蓮が入口をにらんだ。

そこには本間重連と配下の武士が立っていた。

重連が聴衆をかきわけて日蓮の前にでた。人々は思わぬ事態に口をあけた。

重連が片ひざをついて礼し、胸元から書状をとりだした。

「さきほど、鎌倉から下し文がまいりました」

弟子たちが期待のまなざしをむけた。御赦免の知らせではないか。師匠が許されたのでは。

重連が重い口をひらいて読みあげた。
 この下し文の内容は、日蓮が文永十一年正月十四日に一切我弟子等中に宛てられた法華行者逢難事に全文を記している。


佐渡国の流人の僧日蓮、弟子等を引率(いんそつ)し、悪行(あくぎょう)(たくら)むの(よし)其の聞こえ有り。所行(くわだ)(はなは)だ奇怪なり。今より以後、彼の僧に相(したが)わんの輩に於ては(へい)(かい)を加へしむべし。(なお)以て違犯(いぼん)せしめば交名(きょうみょう)を注進せらるべきの(よし)候所なり。()って執達(しったつ)(くだん)の如し。

 沙門観恵(たてまつ)

 文永十年十二月七日

 依智六郎左衛門尉殿等云云。         

炳誡とは重い刑罰をいう。観恵とはだれのことであろう。北条宣時とも宣時の秘書ともいわれる。いずれにせよ幕府の命令であった。

日蓮が守護代を見つめた。

「で、本間殿はどうされますかな」

本間は一瞬躊躇(ちゅうちょ)たが意を決した。

「余は鎌倉の御家人でござる。幕府の命令にしたがうのが守護代でござる」

「その御教書の真偽のほどは」

本間が怒った。

「さきほど鎌倉の使者がもってまいったものでござる。いらぬ詮索は無用。残念ながら上人には居を移し、もとの姿にもどっていただく」

弟子たちが見るからに落胆した。奈落に落とされる思いだった。さらに驚いたのは本間の変節である。重連はあの時、日蓮に手をあわせたではないか。その重連がこうもかわるとは。

阿仏房がたまらず立った。

「本間殿、おぬし日蓮聖人の恩を忘れたのか。鎌倉の騒動の時、いち早く馳せ参じたのは聖人のおかげではなかったのか。その恩を仇でかえしなさるのか」

本間は苦しまぎれにいう。

「阿仏房殿、言いたいことはよくわかる。しかし、われら武士は幕府から土地をたまわっておる。日蓮殿からではない。幕府の命令にはだまって従うしかないのだ」

本間が聴衆に宣言した。

「みなの者、今より日蓮殿に親近(しんごん)してはならない。これは幕府の命令である。もしこの命をやぶる者があれば、守護代として田畑を取りあげ、妻子も召しとることになる」

だれもがおびえた。

本間の配下もがなりたてる。

「皆の者、早くこの場を立ち去れい」

信徒らは、あわてふためき立ち去った。

しかし阿仏房、千日尼、国府入道夫妻は日蓮のそばから離れない。

老齢の阿仏房が怒る。

「やめぬか。無謀な振る舞いは許さんぞ。われらの信心だ。日蓮聖人を信じてなにが悪い。幕威をもって弾圧するとはなにごとじゃ」

本間が支配者意識をむきだしにした。

「これは幕府の命令だ。わしは幕府の命令に従うまでだ。日蓮殿とて、この佐渡にいる以上、わしの命令には従ってもらう。この佐渡をかき乱す者には断固した処置をとる」

阿仏房が刀の柄をにぎった。本間たちはあとずさりして応戦の構えをとった。

だが日蓮は制止した。

「阿仏房殿。ならぬ、刀を抜いてはならぬ。手荒なことをしてはなりませぬぞ」

武士が阿仏房を追いたてていく。また伯耆房や国府入道も日蓮からはなされ、堂の外に追いやられた。

部屋は日蓮と武士だけになった。

重連が日蓮の前で蹲踞(そんきょ)した。

「これはいたしかたなき処置でござる。不本意ではあるがやむをえないこと。事情を察していただきたい」

日蓮はおちついていた。

「本間殿自身のお気持ちはいかがでござる。法華経の信心はお捨てになったのですか」

重連はだまったままだった。

「信心を捨てるも捨てぬのも、貴殿のお心ひとつです。だが捨てるのであれば成仏の道はない。無間の(ひとや)がまっておりますぞ。一族の未来を思うのであれば、法華経を捨ててはならぬ」

本間は答えず去っていく。日蓮がその背中にいった。

「その御教書をしるした方に申し伝えよ。法華経の行者をなぜ苦しめる。日本国の安泰を思わばこのたびの措置、一刻もはやく止めよと」

 重連が背をむけたまま聞いた。

「日蓮殿、幕府を非難するおつもりか」

 ここで日蓮はまたも予言した。

「他国の攻めが近づいている。蒙古の攻めをまねきよせるのは、蒙古にあらずして幕府にあり。日本国の滅亡を止めるはこの日蓮なり。このままでは日本国が他国の兵に蹂躙されるであろう」

配下の武士が怒りにまかせて日蓮につめよったが、本間が両手をひろげてとめた。

本間は日蓮を恐れるようだった。

「よさぬか。この御房にこれ以上手をだしてはならぬどうしても斬るというなら、まずそれがしを討ち取ってからにしろ

 重連の強言で騒ぎが収まると、配下の兵士は重連ともども日蓮の館から立ち去っていった。




            五十二、留難ふたたび につづく


中巻目次



by johsei1129 | 2017-07-20 22:22 | 小説 日蓮の生涯 中 | Trackback | Comments(0)
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