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日蓮大聖人『御書』解説

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2017年 03月 16日

十四、国家諌暁と松葉ケ谷の法難

英語版
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                        (日蓮大聖人御一代記より)

 文応元年八月、鎌倉八幡宮では大祭が行われていた。

能楽「太平楽」が催されている。

鎌倉幕府の征夷大将軍以下貴族・殿上人・武士の面々が着飾っている。この将軍は京都からきていたが飾りものだった。将軍の格は執権より上だが政治力はまったくない。

北条幕府は京都から源頼朝の血をひく幼児を将軍として鎌倉にまねき、物心がつくと、ていよく京都に帰すのをくりかえした。征夷大将軍とは名ばかりで、まさに幕府の傀儡であった。

いっぽう同じ鎌倉の時頼の館はいつものとおり大勢の武士で警護されていた。

時頼が一室で畳にすわっている。彼は三十三になっていた。

目の前には机と書がならべてあり、係の者がつぎつぎと書類を運んでくる。

時頼が額にしわを寄せて紙面を見ている。

横に兄弟の時輔、時宗がいる。まだ幼さがのこっていた。時輔は十一歳、時宗は九歳になった。さらに安達泰盛、宿屋入道、北条重時がいる。幕府の中枢がここにあった。

時頼がしばらく書類を見ていたが突然ほうりなげた。

「ええい、面倒だわ。こんな紙切れになんで目をとおさねばならぬ。この仕事は長時がすべきもの。いまは長時が執権なのだ。わしは隠居の身ではなかったか」

三十歳の泰盛がなだめた。泰盛は安達義景の三男。三浦氏討伐に大功があり、外様御家人の筆頭である。

「殿は北条の宗家代表でござる。細かい事務は長時殿の仕事ですが、重大なことは殿でなければ」

時頼が吐きすてる。

「地震で倒れた御所の普請をどうするか。京都や鎌倉の大番役を誰にするか。ほかに興味を引くようなものはないのか、まったく。外は祭だ。放生会(ほうじょうえ)(注)の真っ最中というのに」

側近の宿屋入道が進みでた。

「殿、ここにかわったものがございますが」

時頼がものうげに答える。

「なんだ、申せ」

宿屋入道が巻物をさしだした。表面に「立正安国論」とある。

「鎌倉の僧侶、日蓮という者が幕府に(かん)(ぎょう)いたしております」

時頼が横をむいた。

「わかっておるわ。わが北条の安泰を祈るため寺を建てていただきたい。それについては金子がいる。時と場所を選んでいただきたい。いい加減、聞きあきたわ」

「いえ、そうではありませぬ。ここ数年の日本国の天変、飢饉などの災害を防ぐ方法があると申しております」

一同が宿屋をにらんだ。
 災害にたいしては手をつくしている。これ以上なにをしろというのか。

時頼が代弁した。

「ほう、それはなんじゃ。普請や作事をふやせとか、年貢をもっと高めよというのじゃな。それはもうやりつくした。人知は尽くしておるわ」

「いえそれが・・解決の道はほかにあると」

「ほう、にわかには信じられぬな。その道とはいったいなんなのだ」

「日蓮は仏法に問題があると申しております」

北条重時が口をはさんだ。彼はこの時六十三歳。分別ざかりであるはずの重時がいきどおった。

「ばかな。この日本国に神社仏閣は軒をならべておる。仏法に災害の原因があるだと。どこにあるというのだ」

 宿屋があらたまった。

「諸悪の根元が、念仏宗にあるといっております」

一同がおどろいた。極楽寺を支援する重時が息まく。

「なんと。なにかのまちがいではないか。念仏はわしも国中のものも信仰しておる。それが悪の根元だと。宿屋、その坊主を引っ捕らえてくわしく吟味せい」

時頼が重時を制止した。

「叔父上、しばらく。宿屋、それでなにをせよというのだ。念仏の僧侶を罰せよとでもいうのか」

 宿屋が慎重にこたえる。

「いいえ。罰するのではなく布施を止めよと申しております」

重時が激高した。

「馬鹿な。念仏の寺に布施をするのは誰でもしていることだ。まったくの暴論だ」

時頼が興味を失った。

「すておけ。この世には変わった者もおる。わが幕府を倒そうという輩さえこの鎌倉にはびこっておるのだ。いちいち気にしては、まつりごとに支障がおきる。まして世に知られぬ卑しい僧であろう」

平伏した宿屋が顔をあげた。

「ただ気になることが・・日蓮という僧侶、もしこの警告を受け入れなければ、さらに大きな災難がおこると申しておりまする」

「さらなる災難。なんだそれは」
「自界叛逆の難、他国侵逼の難と申しております」

()()( )

時頼はいらいらした。

「宿屋、わかりやすく申せ」

宿屋が緊張してこたえる。

「自界叛逆難とは内乱のこと、他国侵逼難とは他国からの侵略を意味します」

「なに」

一同がざわめいた。

日蓮が入信したばかりの伯耆房とともに駿河の岩本実相寺から帰ってきた。松葉ヶ谷の草庵では弟子たちが集まっていた。日朗、鏡忍房、三位房らの弟子、四条金吾、富木常忍ら檀越もきていた。少年の熊王もいる。

みな久しぶりに見る日蓮の姿がまぶしく声を掛けることができない。

それを察した日蓮がまず声をかけた。

「長い間留守にしていました。心配をかけて申しわけなかった。あの地震がきっかけで、鎌倉殿にどうしても知らせなければならないことがあり、立正安国論の述作に時間を要してしまいましたが、ようやく書き上げることができました。これからはみなさんのそばを片時もはなれることはありませんぞ」

日朗が不安げにきいた。

「上人、町では上人の書のことでうわさが飛びかっております」

年長の日昭もおちつきがない。

「念仏者どもの間でよからぬうわさが」

鏡忍房が前にでた。

「上人が幕府によばれて土牢に閉じこめ、島流しになると」

日蓮はみなの心配をよそに笑顔である。

「仏が生きておられる時でさえ迫害があった。法華経の経文のとおりである。いわんや末法の今、われらに災難がふりかからぬわけがない。今こそ強盛の信心を奮いおこす時です」

若い弟子たちが目を輝かす。だがこの中で唯ひとり、三位房が疑いの眼差しをむけた。

日蓮はここで伯耆房を呼んでほほえんだ。

「みなさん、よろこんでください。このたび弟子が一人できた。伯耆房、前へ」

伯耆房がすすみでて床に手をおいた。

「岩本実相寺の伯耆房と申します。このたび縁あって上人の弟子となりました。よろしくお願いいたします」

日蓮は伯耆房を見つめた。

「伯耆房、今日よりそなたの法名を日興と名づける。我が一門の弟子は所化の小僧以外、みな法名に日文字をつける。将来日蓮亡き後、もし日文字の法名を名のならければ自然の法罰を受けると心得よ。よいな」

「はい」

伯耆房の顔は日蓮門下に連なった喜びに満ちていた

日蓮がまわりを見わたす。

「みなさん、いまやわれらは鎌倉のみにとどまるときではない。これからは天皇・公家がいる京にも布教の手をのばそうと思う。ついては三位房」

三位房が目を輝かせた。

「そなたは京にいき、公家にこの法門を説いて聞かせよ。耳慣れぬ話であるから苦労は多いだろうが、妙法の種をまいていくのだ。これを持参せよ」

日蓮が三位房に銅銭をあたえた。銅銭はいまの五円と同じで中央に穴があり、ひもを通して千枚を束ねたのを一貫文といった。当時の貨幣はすべて中国からの輸入である。日本製もあったが品質が悪く、だれも見むきしなかった。

「いままでの供養をあつめ、たくわえておいた銭です、大事に使ってくだされ。今年は日照り続きで作物が実らぬ。道中くれぐれも気をつけてゆきなされ」

三位房は日蓮から京の布教を指名され、優越感に満ちていた

「かならず法華経の教えを伝えてまいります」


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 月光が日蓮の小庵を照らしていた。
 弟子たちが寝静まっている。

日蓮はひとまず為政者への諫暁をなしとげた達成感で心地よい眠りについていた。

立正安国論の反響はまだなかった。北条時頼は自分の書を読んだろうか。知らせはない。

日蓮は寝床で思う。

時頼が名君であったなら、かならず一言はあるだろう。おろかであれば迫害をもって答えるにちがいない。

賢王の世には道理かつべし。愚主の世に非道先をすべし。聖人の世には法華経の実義顕はるべし等と心うべし。 開目抄

はたして日蓮は北条時頼に会えたのであろうか。日蓮が文永六年に残した『故最明寺入道見参御書』には「(禅宗は)寺々を挙げて、日本国中の旧寺(延暦寺などの法華経寺院)御帰依を捨てしめんが為に、天魔の所為たるの由、故最明寺入道殿に見参の時、之を申す」と記され、さらに文永七年十二月に認めた『法門申さるべき様の事』にも「故最明寺入道に向つて、禅宗は天魔のそいなるべしのちに勘文もつてこれをつげしらしむ」と記している。

立正安国論では「律、念仏、禅、真言」の四宗の中でも、庶民に蔓延していた念仏に対し特に批判を強めて書いていたが、武士の間で禅宗がもっぱら信じられていた。そのため武士の棟梁たる時頼に直参した際、あえて禅宗に対する批判を直言したものと思われる。

なお日蓮を時頼に引き合わせるために尽力したのは寺社奉行として立正安国論を日蓮から時頼に取り次いだ宿屋光則と、立宗早々に日蓮に帰依し、幕府儒官だった大学三郎と思われる。日蓮は故最明寺入道に立正安国論を献上する際事前大学三郎に見せていたとも伝えられている。また宿屋光則は立正安国論献上が奇縁となり日蓮に帰依することとなった。

いずれにしろ日蓮は法華経の行者として責任をはたし、国家諌暁を成し遂げた満足感は深かった。

謗法(ほうぼう)を知りながら時の権力者に知らせない者は、悪人とともに無間の獄に堕ちるという。

 しかし国家諌暁の結果は「愚主の世に非道先をすべし」となった

 また鎌倉の民衆も後に日蓮が「中興入道御消息」で次のように記されたようになっていく。


はじめは日蓮只一人唱へ候しほどに、見る人、()う人、聞く人耳をふさぎ、眼をいからかし、口をひそめ、手をにぎり、()をかみ、父母・兄弟・師匠・善友もかたきとなる。後には所の地頭・領家かたきとなる。後には一国さはぎ、後には万民をどろくほどに


静かな夜だった。立正安国論を献上して一カ月ほど過ぎた文応元(一二六〇)年八月二十七日のことである。
 外では黒衣の念仏僧を先頭にして百人ほどの群衆が音もなく集まり、松葉ケ谷の草庵をとりかこんでいた。

暗闇の中、たいまつに顔を照らされ眼だけがぎらぎらと光っている。やがて彼らは手に持ったたいまつをかかげ、日蓮の草庵に火を放った。

たちまちパチパチと音がして火の手が上がる。立正安国論の反動は最悪の結果であらわれた

日蓮が外の騒ぐ音で目を覚ますと、寝室が灰色の煙に包まれていた。

「みなの者、おきよ、火事だ」

弟子たちがあわてて立ちあがり、外に出ようとしたが、群衆が立ちふさがっているのに驚愕した。

群衆が一様にわめいている。

「念仏の敵だ。殺せ、殺してしまえ」

弟子たちは群衆に分け入り、必死に日蓮の退路を確保しようとしていた

日蓮がまわりを煙に囲まれ迷った。

この時、伯耆房が日蓮の手を引いた。

「上人、こちらです」

伯耆房が裏口へむかう。弟子たちがつづいた。


 念仏者の群衆が燃え盛る炎に歓声をあげた。家屋が炎につつまれ焼けくずれる。

覆面をした二人の武士が念仏者の背後に立っていた。

ここに町役人がかけつけた。

「何事だ。鎌倉で火付けは重罪中の重罪だ。引っ捕らえるぞ。みなの者、神妙にせよ」

草庵を取り囲んでいた群衆は、文字通り火の粉を散らすようにあわてふためいて逃げだした。

火の勢いがおちつくと火消し衆が日蓮の草庵の打ちこわしにとりかかった。

その様子を覆面の武士二人が遠巻きにじっと見ている。北条重時、長時の親子だった。

長時はいま執権の職にいる。父の重時は極楽寺良観の大檀那で極楽寺殿といわれていた。重時にとって日蓮は念仏の敵であり、良観の敵であった。

日蓮は後日、池上兄弟の弟、兵衛(ひょうえの)(さかん)(宗長)に宛てた消息で次のように北条重時を評している。


極楽寺殿は、いみじかりし人ぞかし。念仏者等にたぼらかされて日蓮をあだませ給いしかば、我が身といい、其の一門皆ほろびさせ給う。    『兵衛志殿御返事


群衆の声がひびいた。

「日蓮が逃げたぞ」

念仏者が日蓮を追う。
 黒衣の僧が先導し、
薙刀(なぎなた)をもって追いかける。暗闇にたいまつの火が走った。

走る日蓮らの目の前に一人の武士が立っていた。暗がりの中から現れたのは四条金吾だった。

日蓮は安堵した。

「おお、金吾殿」

「上人、こちらへ」

金吾が谷へおりる狭い道へ案内した。

「かたじけない」

そこへ群衆が殺到した。

金吾がさえぎって両手を広げる。

「とまれ」

群衆は興奮しきっている。

「だれだおまえは。日蓮の仲間か」

 金吾が大声で叫ぶ。

「なにがあったかは知らぬが、わずか数人の者を大勢で取りこめようとはなにごとだ。そこにおるのはどこの坊主だ。殺生を禁ずる坊主がなにをしておる」

黒衣の僧がたじろいだが、壇越がかわりになじった。

「やかましい。われらは念仏の敵を退治しておる。ええい邪魔だ。どけ」

群衆がたいまつを金吾にむけるが、彼はすばやく刀を抜いた。たいまつは切断されて宙に浮き、火の粉が群衆らの頭にふりかかった。

群衆が悲鳴をあげる。金吾がそのすきを見て逃げ去った。

日蓮らの一行は山裾の小さな洞窟にひそんでいた。

けがをしている弟子がいる。

日蓮が声をひそめて励ました。

「けがはないか、体は大丈夫か。皆、よくぞ逃げおおせた」

日朗は顔が青ざめ、震えが止まらなかった。伯耆房が駆けより、日朗の肩をだいた。

群衆の遠吠えが聞こえる。

ここでだれかの近づく足音がしてきた。

何者か。弟子たちが耳を澄ます。

日蓮は覚悟をきめた。三位房がうなだれる。

だが足音の主は敵ではなかった。富木常忍が月あかりの中で日蓮をさがし回っていたのである。

常忍が小声でささやく。

「上人、上人・・」

日蓮の目が輝いた。

「あの声は富木殿」

洞窟の入口で日蓮は富木常忍と再会した。

常忍は日蓮の無事を確認し、ようやく安堵した。

「よくぞご無事で。さ、参りましょう」

「いずこへ」

「鎌倉にいては上人の身が危険です。ひとまず下総のわたしの屋敷へ避難しましょう」

日蓮がおもわず手をあわせた。

「かたじけない」

そこへ四条金吾も息を切らせてかけつけた。

日蓮は金吾に声をかける。

「よくぞ切りぬけられましたな。金吾殿、まことにあっぱれ」

常忍が四条金吾に告げる。

「金吾殿、上人はわれわれと共に鎌倉をはなれて、いっとき下総へ避難する」

「名案じゃ。鎌倉はわしにまかせよ。富木殿、上人をたのんだぞ。さ、早く」

一行が金吾をのこし、闇にまぎれて出発した。

日蓮がふりかえり、ふりかえり金吾を見た。金吾は両足で大地を踏みしめ、悠然と見送った。

その時、金吾は法華信徒の多難な行く末に思いをはせた。と同時に、心の師日蓮を一生涯、命をかけて守ることを胸中に刻んだ。

峠に朝日がさしてきた。

山中には蝉の声がかまびすしい。

常忍を先頭に日蓮の一行が汗だくになってすすむ。

鎌倉では日蓮は焼け死んだという噂が広まっていた。今のうちである。念仏者が無事を知れば今度こそあぶない。

一行は峠から鎌倉を見下ろした。

弟子たちが額にしたたり落ちる汗をぬぐう。

日蓮が鎌倉を背に下総へと去っていった。

下総につづく田舎道では強い日差しが一行を襲った。

田畑が枯れきっている。

百姓が鍬をいれるが、土はまるで砂のように手ごたえがない。

彼らは枯れた苗を見て頭をかかえた。

農園に旱魃が始まっていた。

日蓮の一行は周囲の人々を気にしながら道をゆく。追手がくるかもしれなかった。みな汗まみれの姿である。

弟子のひとり、大進房がうめいた。

「みず、水をくださらんか」

兄弟子の鏡忍房がさえぎった。

「水は貴重だ。がまんしろ」

彼らは黙々と歩いた。


鎌倉も炎天下だった。真夏の太陽が容赦なく照りつける。

街では汗まみれの女たちが井戸で水をくもうとするが、深くまで桶をおろしても水はわずかしか残っていない。

「この井戸も枯れたわ」

女たちが落胆した。

「ああここもおしまいかえ。雨がふってくれたらのう」

「なにもいいことはないのう。死人ばかりが増えよる」

「聞いたかえ。極楽寺の良観さまが雨乞いの祈りをなされるそうな」

「鎌倉さまのご命令とか。でもねえ、期待しないほうがええやろ。あの坊さまはいろんなことをやりよる。道をつくったり病人をなおしたり。でも雨を降らすのは・・」

「金もうけのほうも得意だそうな。あの肉づき。うまいものをたんと食うているらし」

一同が笑ったが、すぐにため息にかわった。

極楽寺の境内は町人や武士がひしめいていた。

ここでも太陽がぎらついている。群衆はすでに汗だくだった。

良観が登場し、境内中央に正座した。

祈祷の壇がしつらえ、台の上には阿弥陀像がおかれている。

そこに水を入れた黄金の椀がおかれた。

良観のうしろに黒衣の僧侶がいならぶ。彼らは庭に敷かれた板敷に正座した。

良観が手をあわせ仏像に祈る。

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・」

僧侶もいっせいに唱和した。そして群衆も祈っていく。

良観が祈りの最中に椀の水を仏像にかけた。

このとき紺碧の空に入道雲がわきおこり、空が暗くなっていった。

そして突然の雷鳴がひびいた。群衆がどっと歓声をあげる。

良観の裾に雨水が一滴おちた。

やがて鎌倉に静かな雨がふりそそいだ。

群衆が歓喜し、讃歎の声がこだましていった。

鎌倉極楽寺の邸内に高らかな笑い声が聞こえる。

美僧が酒をはこんだ。

そこには北条重時をはじめ、黒衣の僧が主の良観をかこんでいた。

重時は盃を手に、すこぶる機嫌がよい。

「さすが良観和尚。今日の祈りは天に通じたのであろう。将軍家も鎌倉殿もいたくお喜びでござるぞ」

良観はこともなげである。

「先ほど、八幡宮の別当が雨をふらす術を伝授ねがいたいとの申し出がございました」

「それにしてもみごとな。この重時にもお教えねがいたいものですな」

良観は謙遜する。

「いえ、私が仏法をわずかにものしておりますゆえ、天があわれみをかけたのでございましょう。このような立派な寺を建てていただいた重時様のお力でもあります」

「さすがは良観殿。あれほどの技をなしとげて、あくまで謙虚でござるな。鎌倉のほかの坊主どもに聞かせてやりたいものじゃ。とくにあの日蓮に見せてやりたかったのう」

「松葉が谷におりました僧ですな。わたしの信者がたいそう日蓮のもとに改宗しております」

「なんの因果か、あの火事で行方知れず。焼け死んだとのうわさじゃ。まあ自業自得というところか」

重時が笑いながらつづける。

「しかし傑作な僧でござった。念仏は地獄におちるとか、日本はこのままでいくと内乱と他国の責めをうけるとか。ありもしないことをいいおって。内乱はいざ知らず、わが日本は周囲を海という自然の擁壁に囲まれておる十人百人ならともかく、海を隔てた大陸から、何千何万もの兵と兵糧をどう運ぶのだ。だから建国以来、日本は他国の攻めをうけたことはない。こんなこともわからんとは、なんとおかしな坊主だ」

 しかし良観は重時とちがい疑い深かった。

「ですが日蓮の信者はまだ鎌倉に多くおりまする。なにとぞ引きつづき警戒を」

「なにを心配めされるな。良観和尚ほどのお人が、たった一人の坊主を恐れることはない。日蓮がいなくなったのでござる。信者も自然消滅するにきまっておる」

良観が真顔になった。

「重時様。じつは今、日蓮は下総におるとのうわさがございます」

重時の盃がとまった。

「なに、下総とな。守護は千葉(より)(たね)じゃな」

良観がうなずいた。

「さかんに布教をしているとの噂です。この良観とて、得体の知れぬ者は気味わるいものでございます。大事にならぬように手を打ったほうが賢明かと」

良観はこの時四十五歳。日蓮より六歳年上だった。円熟味を増した年齢だったが心配の種は早めに摘んでおきたい。

「良観殿、わかり申した。任せてくだされ」

こう言うと重時は盃の酒を一気に飲み干した。


                 十五、日蓮、伊豆配流の難を蒙る につづく


上巻目次


 注



放生会(ほうじょうえ

 捕えた魚や鳥獣を放し、殺生を戒める仏教の儀式。天武天皇が六七七年八月十七日に諸国へ詔を下し放生を行わしめたのが起源とされる。神道にも取り入れられ、春または秋に全国の寺院、八幡宮で催される。




by johsei1129 | 2017-03-16 22:43 | 小説 日蓮の生涯 上 | Trackback | Comments(0)


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