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2025年 09月 23日
謹んで申し上げます。私は昨今の日本国の内外を見るに当たり、一国民として国の将来を憂慮する者であります。よって閣下に下記の三つを提案いたします。 一、日蓮大聖人の三大秘法を信受し内外の混乱を解決すべき事 二、公明党との連立を解消すること 三、神社参拝を行わないこと 一、日蓮大聖人の三大秘法を信受し内外の混乱を解決すべき事 今の日本国は混乱の只中にあります。世間の問題として物価高があり、外国との戦争の懸念、さらに疫病の脅威があります。とりわけ国民を苦しめているのは地震、水害、火災、台風によっておきる自然災害です。 これらは政府の数々の方策によって対応されてはいるものの、問題が連綿となく続き、いつ果てるともしらない様相を呈しております。 ここで為政者による各種の世策の実施は当然のことながら、為政者自身の資質が問われていることも問題としてあげなければなりません。 たとえば日本のどこかで台風によって甚大な被害がおきたとしても、それ自体は総理大臣の資質のせいではないかもしれない。しかし被害が生まれた因果関係に、なにかしらその国の指導者が関わっているという考えは無視できません。「偶然ということはあり得ない」という言葉が真実であるとしたら、為政者がその因果の連鎖に何らかの形でかかわっているのではないか。 古代インドでは、国の吉凶の六分の一は国王に帰属するといわれていたそうです。良きにつけ悪しきにつけ、王はその六分の一の喜びや責任を担うというのです。このように指導者すなわち為政者の役割は大きいといわなければなりません。 為政者にとって、この問題を解決するための方法の一つに「祈り」があります。将来を見通すことのできない様々な出来事に対処する可能な方途が「祈り」であるといえます。これはけっして消極的な行為ではありません。万策を為したうえで残る方法は祈りに他ならないからであります。 この祈祷を政府をあげて行うというのは現状では日本国憲法に違反します。「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」とあるとおりです。しかしこれは政府への制約であり為政者個人にあてられたものではなく、憲法が信教の自由を保障しています。 したがって為政者が個人的に「祈る」もしくは祈祷をすることは国にとっても重要不可欠な行為であるといえます。アメリカでは宗教を持たない人は軽蔑されるといいます。アメリカ合衆国の大統領が就任式の際、聖書を手にあてて誓う光景はおなじみです。 祈りの象徴が宗教です。宗教は個人の信念や信条をより強くす力があります。現代の星の数ほどある宗教の中で最も、かつ唯一の優れた宗教が日蓮大聖人の仏法です。この仏法の祈りは抽象的でもなく観念的でもなく、日蓮大聖人が残された三大秘法すなわち本門の本尊、本門の戒壇、本門の題目の三つを対象とします。この三大秘法への帰依によって国は栄え富みます。 日蓮大聖人は法華経の体読によってこの三つの秘法を残されました。 「法華経を信仰せば天下安全ならん事疑ひ有るべからず云云」(御義口伝)。 過去から現在そして未来にわたる日本国の将来を思えば、日蓮大聖人に信を置くことが肝要であります。 二、公明党との連立解消
政策運営の必須事項として公明党との連携を解消しなければなりません。なぜなら公明党の支持母体である創価学会が日蓮大聖人の仏法と離反し敵対したからです。創価学会が鎮護国家の仏法を見下し、離反したため、これにともなって国家の安泰が危うくなっているのです。 現状、自民党は創価学会員の票に頼って活動している選挙区があるため、やむをえず公明党と協力していますが、学会員は減少の一途をたどっており、将来にわたり国を代表する政党が一宗教団体に頼るのは賢明ではありません。 また日蓮大聖人は謗法への布施を止めることが国家の安泰になると述べられました。これは立正安国論で訴えた根本的な精神です。しかし現在、公明党は20億円に余る政党助成金を受けております。邪法の団体が支持する政党に税金が充てられているのです。これでは「公明」の名に値しません。世情が混乱するのは無理もありません。 たとえばライオンは百獣の王として動物界に君臨しています。無敵なのですがただ一つ、体の中から湧く寄生虫には勝てません。公明党はこの「獅子身中の虫」にあたります。 「国家の安危は政道の直否(じきひ)に在り、仏法の邪正は経文の明鏡に依る」(北条時宗への御状) 大聖人は、国の浮沈は政治の正直・不正直に由来し、宗教の正邪はその原典の優劣で判断されるとお示しです。 現在の政情の低迷の根本原因は公明党との連立にあります。したがって一刻も早く関係を断ち切って連携を解消しなければなりません。 3、神社参拝の停止について
日蓮大聖人は現在の神社に善神はおらず、悪鬼が住みついていると断言されております。 「其の上此の国は謗法の土なれば、守護の善神・法味にう(飢)えて社(やしろ)をすてて天に上り給へば、悪鬼入りかわりて多くの人を導く。仏陀は化をやめて寂光土の帰り給へば、堂塔寺社は徒(いたずら)に魔縁の栖(すみか)となりぬ。国の費(つい)え・民の嘆きにて、いらか(甍)を並べたる計りなり」(新池御書) 現在日本では多数の国会議員が与野党を問わず、伊勢神宮や靖国神社などに参拝しています。かれらは神社への祈禱に効果がなく、かえって災難を増長するばかりであることを知りません。 大聖人は天照大神や八幡大菩薩は法の味に飢えてしまい、その栖から立ち去っていると教えます。かわりに空き家に盗人が侵入するように、現在の神社には悪鬼羅刹しか住んでいない。 そもそも今の日本は伊弉諾・伊弉冉の命が突き出した島々からなります。当初、これら天神・地神の威光はすぐれ、世は平穏に保たれておりました。それが人王の世になって時代が進むと、その力は弱くなっていきました。 人王第三十代の欽明天皇の御代に、百済の聖明王がはじめて仏教の経典および僧侶をもたらしました。その表文には「天皇陛下又応(まさ)に修行あるべし]と書かれておりました。 しかし天皇はお迷いになり、受け入れるべきかどうか臣に尋ねたところ、蘇我の宿禰(すくね)は「西国の諸国はみな仏法を信じている。我が国も習うべきです」と述べました。これに対して物部の大連(おおむらじ)は「いまになって西蕃の教えを信じては、日本古来の百八十(ももやそ)の神がお怒りになります」と受け入れに反対しました。 結局、受容派と拒否派の戦いとなり、聖徳太子が率いる受容派が勝利をおさめ仏が勝ち、神は負けて日本は仏国となりました。 それいらい千四百年の間、この仏と神の序列はゆるぎないものでしたが、1868年の明治政府の誕生により神道の尊重と仏教の排斥が始まりました。いわゆる廃仏毀釈であります。 政府は天皇を国家の主権者と位置づけ、天皇を権威化するために神道を国家宗教としました。そして国民に神札を強要し、第二次世界大戦を引き起こします。 しかし神に祈って勝つはずだった戦争は惨敗に等しい結果となりました。広島・長崎に原爆を落とされ、国は焦土と化し、日本は連合軍によって占領されました。さらにA級戦犯の七人、BC級の戦犯約千名が処刑されます。また神とされた天皇陛下は単なる「国民の象徴」に格下げとなり、日本国は有史以来、はじめて亡国となったのであります。この原因をたどるならば国家神道の弊害に帰着するのです。 有史以来、日本が外国による侵略の危機に瀕したのが二度ありました。この太平洋戦争と十三世紀におきたモンゴル帝国の侵略、いわゆる元寇です。当時モンゴルは世界帝国にふさわしい圧倒的な戦力をもち、我が国に勝ち目はない状況でしたが、1281年、強風が原因だったとはいえ難敵を撃退することができました。この遠因を尋ねるならばこの時、日蓮大聖人が健在だったことがあげられます。 この対照的な結果を見ても神社に参拝することの弊害を憂うるものです。 自身と国家を安泰に保とうと考えるならば、あらゆる神社参拝を止めることが必要です。
以上三点について述べました。これらをご理解いただければ、この三点を急いで実行しなければなりません。なぜなら国家の危機が迫っているからです。日蓮大聖人は謗法が重なれば大きな自然災害が起こり、さらに二つの大難が惹起すると述べます。自界叛逆難と他国侵逼(しんぴつ)難、すなわち内乱と外国からの侵略です。 内乱については近年の短命に終わる政権がこれを象徴しております。内乱とは常に不安定という意味です。混乱が昂じれば武器を用いた騒乱に陥ることは必至です。 さらに外国からの侵略の危険が迫っています。大聖人は謗法が昂じれば西から攻撃を受ける「西海侵逼」を予言されています。あの元寇は九州沿岸を襲ったものでした。また先の大戦中、連合軍は沖縄から本土上陸を図りました。いずれも西から侵略を受けております。 最後に以下の書を添えます。閣下が懸命な判断をされるよう祈るものであります。 二、日蓮正宗第二祖、日興上人の申し状 三、第三祖、日目上人の申し状 謹上 内閣総理大臣 閣下 #
by johsei1129
| 2025-09-23 15:33
| 日蓮正宗 宗門史
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2025年 07月 22日
浄円寺日増申状、祖滅五百七十九年、写本要法寺に在り。現浄円寺帖には日増の名なしと云へども、廿三代と廿四代との間に十年の空位あり或は時の後住等・憚(はば)かりて除歴したるか。 日蓮聖人の正嫡日興の正統・駿州富士大石寺末、野州都賀郡小薬邑浄円寺日増・誠惶誠恐・謹んで言す。 抑(そもそ)も人王三十代欽明天皇の御時、百済国より仏法始めて渡来す、其の後三十年を経歴して同じく三十四代推古天皇の御宇(ぎょう)・聖徳太子始めて之れを崇敬(すうぎょう)せらる、爾より来(このか)た仏法弥(いよい)よ広流し、公家武家の御帰依・最も浅からず、之に依つて堂塔稲麻(とうま)の如く僧侶竹葦(ちくい)に似たり、 爰に日増・生を御国に受けて幸ひに仏門に帰入し鎮(とこしなえ)に経法を修行し奉る、全く以て国君の御厚恩なり、何を以て之れを報じ奉るべけんや、 而るに近代二十有余年の間・天地の烖妖(さいよう)漫々として未だ輟(や)まず、鳴呼(ああ)劇(はげ)しいかな・恐懼(きょうく)一に非ず、其れ誰か嗟嘆(さたん)せざらんや、 茲(ここ)に因つて日増・聊(いささか)か管見を以て俯して経論を開拓し、仰いで聖慮を勘考するに、方(まさ)に日本国一同に正法を軽賤(きょうせん)して邪法を崇重す、此の大過に依つて起る所の災害なり。 夫れ釈尊一代の説教多しと雖も権実(ごんじつ)の二義を出でず、所謂(いわゆる)衆生の調機の為に前に小乗教を演べて之を廃す、次に権大乗を説いて又之を捨て、後実大乗を顕説す、故に無量義経に云く、種々に説法す・方便の力を以つて四十余年に未だ真実を顕さず云云、法華経に云く、正直に方便を捨て但無上道を説く云云、 然らば則ち仏説に任せ権教を廃して実教を興行せらるべきか、中ん就く仏法は時に適ひて弘通すべし、即ち教に依つて説く、 然るに如来の滅後・正法前の五百年には迦葉・阿難等小乗を弘め、後の五百年には馬鳴・竜樹等権大乗を弘む巳上千年、像法に入り前の五百年には南岳・天台等の弘法は法華迹門、後の五百年には伝教・義真等は迹門の円戒を弘む巳上千年、 末法に入り本化地涌の応作(おうさ)日蓮聖人出世して法華経の本門の肝心・妙法蓮華経の五字を弘通す其れ斯(かく)の如し、 先聖は仏の記文に依つて弘法・時に応ず、謂く盂子云く、孔子は聖の時なる者なり云云、祖書に曰く、老子は母の胎に処して八十年、啇山(てきざん、商山か)の四賢は漢恵の代をまつ、弥勒菩薩は兜率(とそつ)の内院に籠り給ひて五十六億七千万歳をすごし給へり、彼の時鳥(ほととぎす)は春ををくり・鶏鳥(にわとり)は暁(あかつき)を待つ、畜生すら尚是の如し、何(いか)に況や仏法を修行せんに時を糺さゞるべしや巳上、 又曰く、国中の諸学者等仏法をあらあら学すと云へども時刻相応の道をしらず、四節四季取々に替れり、夏は熱く・冬はつめたく・春花さく・秋は菓なる、春種子を下して秋菓を取るべし、秋種子を下して春菓を取らんに豈(あ)に取らるべけんや、極寒の時・厚き衣は用なり・極熱の夏になにかせん、凉風は夏の用なり冬はなにかせん、仏法も亦復是の如し小乗流布して得益あるべき時もあり、権大乗流布する時もあるべきなり、 又云く、仏教は必ず国に依つて之を弘むべし、将に日本国は一向小乗の国か・一向大乗の国か・大小兼学の国か・能く能く之を勘ふべし巳上、 瑜伽(ゆが)論に云く、東方に小国有り・其の中に唯大乗の種姓有り云云、肇公(じょうこう)の翻経(ほんきょう)の記に云く、大師・須利耶蘇摩(しゅりやそま)左の手には法華経を持ち、右の手には鳩摩羅什の頂を摩(な)で授与して云く、仏日・西に入り遺耀(いよう)将に東北に及ばんとす云云、安然和尚云く・我が日本国なり云云、恵心の一乗要決に云く、日本一州円機純一・朝野遠近同く一乗に帰し、緇素貴賤(しそ・きせん)悉く成仏を期す云云、其れ彼れと云ひ此れと云ひ、我が朝・上下万人有智無智を簡(えら)ばず法華の大法を持ち奉るべき御国なり。 然るに前代流布の念仏・真言・禅・律・天台其の外・種脱雑乱の法華宗等の邪法、今に転(うた)た盛(さかん)にして各(おのおの)自讃毀他の邪義を立て・悉く仏誡に背く、恣(ほしいまま)に権教に依憑(えびょう)して実教を毀謗し、叨(みだ)りに国中を誑惑(おうわく)す、然りと雖も上下万民・之を信ずる故に十方の諸仏・天神地祇・嗔(いかり)を作して起す所の禍(わざわい)なり、 左伝に云く、賤貴を妨げ寸が長を凌ぐ、遠親を間(さ)き、新旧を間(さ)き、小・大に加はり、淫に義を破ぶる所謂六逆なり、論語に云く、紫の朱を奪ふを悪(にく)むなり、鄭声(ていせい、極めて淫猥の意)の雅楽を乱すを悪む、利口の邦家(=国家の意)を覆(くつがえ)すを悪むと云云、儒典の格言すら尚是くの如し、況や仏法に於てをや、 一乗流布の時代に権教有りて敵と成り・まぎらはしくは実教より之を責むべし、是れ摂折(しょうしゃく)二門の中には法花折伏と申すなり、天台云く法花折伏・破権門理と、まことに故あるかな巳上、 此れ則ち我が宗にて念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊・天台過時諸宗・無得道・堕地獄の根元、下種の法花経独り成仏の大法なりと之を呼ぶ、是れ全く自讃毀他にあらず宗祖日蓮大聖人の大慈大悲の金言なり、 伝教大師云く、法花宗の諸宗に勝るゝは所依の経に拠る故に自讃毀他ならず、庶幾(こいねがわ)くは有智の君子・経を尋ね宗を定めよ云云、其れとは釈尊・自説の権経は自ら破壊(はえ)し後に実教を顕す、所謂経に云く、十方仏土の中・唯一乗の法のみ有り、二も無く亦三も無し、仏の方便の説を除く云云、 記に云く、世に二仏無く・国に二主無く・一仏境界二の尊号無し云云、孔子の家語に云く、夫れ天に二日無く・国に二君無く・家に二尊無し云云、荘子に云く、夫れ道は雑を欲せず・雑なれば則ち多、多なれば則ち擾(みだ)ると云云。 然るに本尊も亦復斯(またまた・かく)の如し、国に二尊在ること無し、而るに諸宗の邪徒・空(むなし)く時応の本尊を知らず殆ど迷惑す、於戯(ああ)悲しいかな瓦礫(がりゃく)を崇(とうと)んで明珠を知らず、しかのみならず日本国に大災を速(まね)く、 之れに依つて諸宗破却の義・言上し奉る者は其の恐れ太だ多しと雖も、道に入つて之れを黙止する則んば仏意に背き、国君の御厚恩を当に忘却するが猶(ごと)し、故に国の為め・君の為め・法の為め・身命を拠(なげう)つて御聴に達し奉り候, 冀(ねがわ)くば諸宗と当宗と召し合せられ御糺明の上、急に念仏宗・真言宗・禅宗・律・天台宗其の外・種脱雑乱法花宗等の邪法邪師を対治して大日本国の患(わざわい)を除き、然る後、法花経・本門下種の大本尊を尊敬せられ、唯南無妙法蓮華経と御唱へあらせられば、天は則ち瞋(いかり)を和らげ、地は則ち瞋(いかり)を解き、災禍忽に消滅し万国も此の国に帰服し、普く六気時・逆はず、万物其の宜(よろしき)を得て国に災害の変無く、五穀豊熟にして万民快楽(けらく)せん。 恐れ乍(なが)ら上々様・御安泰に遊ばせられ、御寿命長久・御血脈・万々年の御栄え続き候事・実に疑ひ御座有るべからず候、誠惶誠恐謹んで言す。 副へ進ず。 一、立正安国論一巻、日蓮聖人文応元年の勘文。 一、日興上人申状一巻、正応二年の勘文。 万延元(1860)庚申六月廿八日、日蓮法華本門の正嫡・日興門流・駿州富士大石寺末・野州都賀郡小薬村、浄円寺。
謹上 寺社御奉行様。 つづく
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by johsei1129
| 2025-07-22 15:43
| 富士宗学要集
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2025年 07月 17日
![]() 三、拘置所より留守宅への書簡 1) 牧 口 常 三 郎 ○ 九月三十日附(昭和十八年) 去(さる)二十五日から当初へ参りました。先より楽で、身体も健全。殊にひざのひい(冷)る病が、去年二十二日より不思議に値(なお)つたやうです。大へんな御利益と思ふ。 就ては朝夕のお経は成るべくそろうて怠つてはいけま(せ)ん。必ず「毒が変じて薬となる」御法門を信じて安心してくらし(て)居ます。 稲葉様の御内室へよろしく。十円借りたのを返して、先日の御礼を言ふて下さい。左の通りを差し入れて下さい。 洋三(ようぞう)は戦地より無事の手紙ありましたか。 洋子を大切にそだてなさい。御二人が心を合わせて信仰が第一。間もなく帰れませう。十日に一度手紙出せます。 一、金二十円 一、着物ヲ合セ一枚(ワルイノデヨシ) 一、ざぶとん一枚(オヒヲカケテ) 一、御書二冊(日蓮聖人御遺文、書キ入レ・シナイモノ) 牧 口 ク マ 殿 同 貞 子 殿 ○ 十月十一日附 貞子さん、八十五円正にとゞきました。ありがたふ。これで当分安心です。食物は一円弁当を一日一度、あとは当所の分で沢山。たゞ夜が寒くて困りました。 左の品を至急入れて下さい。金は漸(ようや)く六日、ざぶとんと、ちり紙は十日に届きました。早くてもさうですから急いで頼みます。 まあ、三畳間、独り住居のアパート生活です。お中(腹)をいためて困りましたが治りました。あとは風ひかぬ事を注意して居ります。本も中にありますが、受付にきいてよいものを入れて下さい。渡辺力君に相談して。新しい本でないと入れません。 老人には当分こゝで修養します。安心して下さい。一個人から見れば災難でありますが、国家から見れば必ず『毒薬変じて薬となる』といふ経文通りと信じて信仰一心にして居ます。二人心を協(あ)はせて朝夕のお経を怠らず留守をたのみます。 取調べの山口検事様も仲々打ち解けて価値論(私の分)を理解してくれます。そのため、一週間もかゝりました。 仲々当所の中からは面倒ですから、気をきかして、必要の冬衣などを入れて下さい。本間様か誰れかにきいて下さい。そして白金へも、戸田様へも教えて上げて下さい。 (一) 白毛布一枚(白イカバーが入れてよいなら、かぶしたまゝ。受付できく) (一) 綿入一枚(木綿の分、夜着て居たもの) (一) 手ヌグイ一枚 (一) 茶色の毛布一枚 (一) モヽヒキ(アノ警視庁へ持つて行つた毛糸の分です。之は当所からウチへ下ゲラレタ筈です。もし下がらなかつたら、聞いて下さい。洗濯して) (一) 白のハダギ二枚 (一) フンドシ二枚 (一) ハンケチ(大小)二枚 (一) ハラマキ一枚 (一) タンゼンハイカヌさうですが、タモトにヌイ直せば、あの夜着て居たのが、冬着又は夜着として入れられさうです。之れもタモトにとぢればよひと思ひます。 警視庁への差し入れは折々思ひちがひがあつて困りました。素直に云ふ通り実行して下さい。 彼是れ考へずに、洋子ちゃんを大切に、お互いに冬になつたら風ひかぬ様に、風をひいたらゆたんぽで直に治すことが、クマには殊に大切です。 あと又十日も手紙あげられません。差入れ出来るものは受け付けでよく聞いて出来るものをたのみます。 昨日は久しぶりで入浴ができました。理髪もしました。仲々暖か味があります。たゞ独房故、人にきけないので困りましたが、少しなれました。 牧 口 ク マ 殿 牧 口 貞 子 殿
○ 一月七日附(昭和十九年) 貞子ちゃん私も無事にこゝで七十四才の新年をむかへました。こゝでお正月の三日間はおもち下さいましたし、ごちそうもありました。 心配しないで留守をたのみます。戦地をおもうとがまんができます。大聖人様の佐渡の御苦しみをしのぶと何でもありません。過去の業が出て来たのが経文や御書の通りです。御本尊様を一生けんめいに信じて居れば次々に色々の故障がでて来るのが皆直ります。 さて、ハダコとハダギとを宅下げしますから代り着を早くもって来て下さい。本もネ。秋月翁はどうおつしやつたか。渡辺にきいて知らせて下さい。 今が寒さのぜつちようです。ゆたんぽをかして下さるのでたすかります。大急ぎで差入れて下さい。ちりかみもとゞきました。ベンゴ士はどうはこ(運)んで居るか。皆さんに相談して(渡辺をして)しらせて下さい。洋三の手紙もこちらへ届けてもらへると思ふ。 エビオスはお医者さんが許して下されたのですからそれを云ふて入れてくれ、小栗、尾原の家庭は相変らずか知らせて下さい。日付を必ず入れてね。 母と二人で洋子を大切に、留守をたのむ。細かいありのまゝを書いて下さい。その方が戦地でもよろこびます。稲葉の御父さんの病気は直つたか返事に書いて下さい。 牧 口 貞 子 殿
○ 一月十七日附 この間の手紙三日前に来た。やはり日付がなかつた。必ず日付を名前の上に忘れない事。婦徳をけがします。きまり切つた一般の事よりは昨日は洋子がどんな遊びをした。昨日はどんな配給があつたとういふようの事が、却つて興味がある。洋三の方もさうですから、家ではあたり前の事でも戦地ではそれがなぐさみになる。これが却つて上手の手紙です。 小栗、尾原の事を何べん聞いてやつても何の返事もない。とり越し苦労もせずにありのまゝに知らせて下さい。 シヤツと金五十円と「歴史の進展」の本、忠臣蔵二冊が来た。あとはすべて宅下げした。単衣とハダギも下げた。御守り御本尊、母ののでも入れて下さい。これは特に御願ひして下さい。 信仰を一心にするのが、この頃の仕事です。これさへして居れば何の不安もない。心一つのおき所で……(註・此の間二・三字が抹消されていて不明)に居ても安全です。こちらの食物だけでまことにけっこうです。本を読むこと、一度づつ戸外で運動すること、食事で、極めて単純の生活です身体も丈夫です。 又衛君の出征は意外です。白金の御父は病気直つたのでせうね。それが返事がないと却つて心配です。戸田様へは行つたか。手紙を見たらその返事だけは必ず書いて下さい。 留守中は御前が一番大切の役です。丈夫にして下さい。金は当分入らない。エビオスも無ければよいです。三人で朝夕の信仰を怠つてはなりません。渡辺つな子の事なども知らせて下さい。 今が寒の頂上ですが、病気は直つて無事です。心配しないで下さい。本が一ばん楽みです。さつそく入れて下さい。洗濯して代りを入れて下さい。 ○四月六日附 暖くなりつばきの花が満開であらう。一日も早く帰りたいが出来ない。これは過去の因果の法則といふもので仕方がないとあきらめる。たゞ経文を以て信仰して居るので安心している。幸に達者ですから心配せずに留守をたのむ。 三十円也正に届いた。画報、週間毎日、忠臣蔵を宅下げしたから受取て下さい。洋三の手紙も見て喜ばしい。洋子は半年見ないので此の頃の遊び方どんなに変わったか、なつかしい。 弁護士大井氏に一度「係り判事の数馬様に面会して、私に面会することを願つて見て下さい」と、住吉君に頼んで下さい。田利氏の方はどうでしたか。疎開の場所を古河の方へ見付けるをどうしたか、知らせて下さい。是はお上から命ぜられるであらう。早くきめねばならぬ。 牧 口 貞 子 殿
○ 十月十三日附 十月五日付、洋三戦士死ノ御文、十一日ニ(羽織、袷、タビ、「註・三字不明」ヒモノ差入レト共ニ)拝見。 ビツクリシタヨ。ガツカリモシタヨ。ソレヨリモ、御前タチ二人ハ・ドンナニカト案シタガ、共ニ、立派ノ覚悟デ、アンドシテ居ル。 貞子ヨ。御前ガ・シツカリシテクレルノデ、誠ニ・タノモシイヨ。実ノ子ヨリハ可愛イコトガ、シミジミ感ゼラレル。非常ニ賢イ洋子ヲ立派ニ・ソダテ上ゲテ、吾等ニ孝行シテ呉レルコト、二人共、老後の唯一ツノ慰安トスル。 手紙ハ牧口家ノ永久ノ記念ニノコル。頼ムゾヨ。 就テハ此の際故、近親ダケニ通知シテ呉レ。北海道ノ叔母ダケハ忘レルナ。信仰上ノ障(さわ)リガアツタロウ。後デ・ワカラウ。病死ニアラズ、君国ノタメノ戦死ダケ名誉トアキラメルコト。唯ダ冥福ヲ祈ル、信仰ガ一バン大切デスヨ。二人共。 私も元気デス。カントノ哲学ヲ精読シテ居ル、百年前、及ビ其ノ後ノ学者共ガ、望ンデ手ヲ着ケナイ「価値論」ヲ私ガ著ハシ、而カモ上ハ法華経ノ信仰ニ結ビ付ケ、下、数千人ニ実証シタノヲ見テ自分ナガラ驚イテ居ル、コレ故、三障四魔ガ粉起スルノハ当然デ経文通リデス。 十月五日、出シタ住吉、川端氏古島様ノコト返事呉レヨ。週報ハ未ダ来ナイ。 牧 口 ク マ 殿 同 貞 子 殿 (註)次いで翌月(十一月)十八日に御臨終遊ばされた。 #
by johsei1129
| 2025-07-17 15:05
| 富士宗学要集
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2025年 07月 16日
富士宗学要集 第八巻 史料類聚(2)下 法難編より 第十三章 昭 和 度 (創価学会) 明治巳後は徳川幕末・神道復興の影響を受けて、廃仏棄釈の為に各仏教の勢力減退し、加ふるに明治天皇の神格向上と共に、又形式だにも各旧仏教の繁栄を見ざるに至り、殊に国威の発展と共に益々其の勢力を削がるる傾きに陥り、時の政府の愚弄する所と成り了り、殊に昭和度の軍国政府の勃興するや、全く神威の下に慚く生息する程度に陥りたり、 此を以て古来神社の整理を謀り、或は雑乱の社参を禁止せし浄土真宗及び日蓮宗の一部に於いては法難を受けたる事・顰繁(ひんぱん)にして此れが防禦法に苦心惨憺(さんたん)たりしなり、 吾宗の僧俗亦此の難を免れず殊に真新気鋭の創価学会・最も此の難を蒙り、殆んど全滅の形状に陥れり、 但し当時の国家としては神威に憑(たの)み過ぎて大敗戦に及びし・為に世界の劣等国と成り対外的にも政策の大変動に依り俄然(がぜん)此等神道偏尊の悪風が一掃せられたるも却つて個人の自由は勿論にて信仰も亦自由公平となりたれば、学会の復興も忽ちに成り、意気・中天に達し全国到る処に新真なる会員が道場に充満し幸福平和の新天地を拓ければ、一時の劣等が又最勝国と成るべきか、 各宗教界の羨望甚だしく、本末の仏法興隆を究め法益倍増、法滅の末法・忽(たちま)ちに変じて正法広布の浄界と成り、広宣流布の大願成就・近きに在り、悦ぶべし・喜ぶべし、編者(日享)申す。 (左の一編は小平芳平氏の記に依る) 一、事件の概要 昭和十九年七月六日、創価教育学会の会長以下二十一名が治安維持法違反及び不敬罪の容疑により、各地の警察署に留置された、この事件の背景とその概要は次の通り。 昭和十二年七月七日、支那事変勃発、十五年七月成立した第二次近衛内閣は、新体制準備委員会を作り、高度国防国家建設を声明、十六年十月十八日、東条英機が内閣を組織し、戦時動員体制を整えつつ同年十二月八日、対米英宣戦布告を行つた。 緒戦の陸海軍の大戦果にもかかわらず、アメリカ軍は次第に反攻に転じ、進歩した科学と豊富な物量をもつて次第に日本軍を圧倒し始め、開戦後一年も過ぎる頃からあわただしい空気に包まれてきた。 創価教育学会は昭和十二年に発会して、当時(昭和十七年頃)は会員が三千人に発展していたが、牧口会長はこのように未曾有の非常時局を救う道は、日蓮正宗の広宣流布以外にないこと、従つて今こそ国家諌暁をしなければならないと仰せ出さる。 然るに時局は全く逆の方向に流れつつあり、あらゆる分野において戦時体制を強要し、当局は宗教も各派を合同して一本化し、国家の大目的に応じて進まなければならないとの方針をとるようになつた、 軍部の権力を背景とする文部省のこの方針は、日蓮宗の各教団は単称日蓮宗(身延)へ合同しなければならないとし、軍人会館を中心に日蓮主義者と称する軍人と、日蓮宗の策謀家達が屡々(しばしば)会合して、この謀略の推進に当つていた、 大石寺の僧俗の中にもこれに動揺を来(きた)す一類を生じ、小笠原慈聞師は水魚会の一員となり、策謀の一端を担うに至る、而して「神本仏迹論」を唱え、思想的にも軍閥に迎合して総本山大石寺の清純な教義に濁点を投じた。 大石寺においては僧俗護法会議を開き、身延への合同には断固反対して十八年四月一日、漸く単独で宗制の認可を取ることができた。 十八年二月にはガダルカナル島の敗戦が発表され、愈々(いよいよ)戦局は敗色濃厚となり、国民生活には極度の窮乏が襲いつつあつた。 牧口会長は今こそ国家諌暁の時であると叫ばれ、総本山の足並みも次第に此れに向かつて来たが、時日の問題で総本山からは掘米部長がわざわざ学会本部を来訪なされ、会長及び幹部に国家諌暁は時期尚早であると申し渡されたが、牧口会長は「一宗の存亡が問題ではない、憂えるのは国家の滅亡である」と主張なされた。 小笠原師はこの策謀に成功すれば、清澄山の住職とか或いは大石寺の貫主を約束されているとの噂もあつた、十八年四月七日には、東京の常泉寺において、小笠原師の神本仏迹論を議題に、堀米部長が対論することになつたが、小笠原師の破約によつて実現しなかつた、又この頃東京の妙光寺らも紛争があつたが、陰には小笠原の策謀があつたといわれている。 この当時、総本山と創価教育学会を訴えた者があるとの噂もあり、正宗と学会弾圧の気配が次第に濃くなつてきた。 十八年六月には、学会の幹部が総本山へ呼ばれ「伊勢の大麻を焼却する等の国禁に触れぬよう」の注意を時の渡辺部長より忠告を受けた、牧口会長はその場では暫(しばら)く柔らかにお受したが、心中には次の様に考えられていた、当時の軍国主義者は、惟(ただ)神道と称して、日本は神国だ、神風が吹く、一億一心となつて神に祈れ、等々と呼びかけていた。少しでも逆う者があると、国賊だ、非国民だといつて、特高警察や憲兵のつけねらう所となつた、 もとより牧口会長は、神札を拝むべきではない、神は民族の祖先であり、報恩感謝の的であつて、信仰祈願すべきではないと、日蓮大聖人・日興上人の御正義を堂々と主張なされていた。 この頃一般日蓮宗に対して、御書の中に神や天皇をないがしろにする不敬の箇所があるとか、お曼荼羅(まんだら)の中に天照大神が小さく書いてあるのはけしからんというような、くだらない警告が発せられ、一部の日蓮宗では御書の一部を削ったり、お曼荼羅を改めるというような事件さえあつた。 こうして合同問題のもつれと、小笠原一派の叛逆、牧口会長の国家諌暁の強い主張等を背景とし、直接には牧口会長の祈伏が治安を害するといい、又神宮に対する不敬の態度があるとして、弾圧の準備が進められたから会長の応急策も巳に遅し、殊に十八年の四月には豆北の雪山荘を大善生活同志の本部とするの盛挙を為すほどに発展もしていたが、同じ頃から、学会幹部の本間直四郎、北村宇之松が経済違反の容疑で逮捕され、六月には陣野忠夫、有村勝次の両氏が学会活動の行き過ぎ(罰論)で逮捕され、七月六日には伊豆に御旅行中の牧口会長を始め、戸田理事長等が逮捕された。 それ以後幹部二十一名が各地で逮捕され、治安維持法違反、不敬罪との罪で獄中に責められた、牧口会長は逮捕されて一年半、十九年十一月に老衰と栄養失調のため七十四才で獄中に亡くなられた。 一方総本山は漸(ようや)く弾圧を免れたが、戦時体制に捲き込まれ、十九年十二月からは、兵隊の宿舎に客殿を提供せざるをえなくなり、大宮浅間神社の神籬(ひもろぎ)を寸時書院に祀るようの事もあつた、その為か、二十年六月十七日、兵隊の火の不始末から失火し、対面所、大奥、書院、客殿、六壺等の中心を焼き、第六十二世日恭猊下(にっきょう・げいか)は責を一身に負われてか、火中に無念の御遷化を遊ばされる不祥事を惹起(じゃっき)した。 戦事の激化とともに、留置場生活も異常の食糧難や不潔に陥り、残された留守家族も、企業整備、疎開、インフレ、統制配給、応召、勤労動員等々とあわたゞしい動きの中に益々生活難に陥り、或は世の白眼視に耐えかねて退転する者が多かつた。 最後に戸田理事長は二十年七月三日に保釈され、直ちに学会の再建にとりかかられた、裁判の結果、懲役の判決を受けた者もあつたが、敗戦とともに治安維持法が廃止され、神社に対する不敬罪は大赦により、大多数の者は免訴となつた。 #
by johsei1129
| 2025-07-16 10:20
| 富士宗学要集
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2025年 07月 14日
三、日目の国諫及び大石歴祖等の分。 宗祖開山の代官として公家への奏上武家への訴訟合して四十二度に及びと云へり、現存申状は開山上人滅後に皇政復古の佳期を幸に七十四の老躯(ろうく)を厭(いと)はず日尊・日郷の両老僧を伴侶として遠征の歩を運ばれ特に元弘三の王政の年の年号(1333)を用ひられたり、 不幸にして垂井(たるい)の雪と消えられたるも、却つて後世を鞭撻(べんたつ)せられたるの感あり、此の正本・珍らしくも妙本寺に存す、祖滅五十二年なり、目師巳後道師・行師・有師(うし)より降つて近代の分を列記す。小説参照 日蓮聖人の弟子日目・誠惶誠恐謹んで言す。 殊に天恩を蒙り、且は一代説教の前後に任せ、且は三時弘経の次第に准じて、正像所弘の爾前迹門の謗法を退治し、末法当季の妙法蓮華経の正法を崇(あが)められんと請ふの状。 副(そ)へ進ず。 一巻、立正安国論、祖師日蓮聖人、文応元年の勘文。 一通、先師日興上人申状。 一通、三時弘経の次第。 右謹んで案内を撿(かんが)へたるに一代の説教は独り釈尊の遺訓なり、取捨宜しく仏意の任すべし、三時の弘経は則ち如来の告勅なり・進退全く人力に非ず。 抑(そもそ)も一万余宇の寺塔を建立し恒例の講経陵夷を致さず、三千余の社檀を崇め、如在の礼奠怠懈(れいてん・たいげ)せしむることなし、然りと雖も顕教・密教の護持も叶はずして国土の災難・日に随つて増長し、大法秘法の祈祷も験(しるし)なく・自他の叛逆(ほんぎゃく)歳を逐うて強盛(ごうじょう)なり、神慮測られず仏意思ひ難し、 倩(つらつ)ら微管を傾け・聊(いささ)か経文を披(ひら)きたるに、仏滅後二千余年の間・正像末の三時流通(るつう)の程、迦葉・竜樹・天台・伝教の残したまふところの秘法・三あり、所謂法華本門の本尊と戒壇と妙法蓮華経の五字となり、之れを信敬(しんぎょう)せらるれば天下の安全を致し・国中の逆徒を鎮めん、 此の条・如来の金言分明なり・大師の解釈炳焉(へいえん)たり、中ん就く我が朝は是れ神州なり、神は非礼を受けず、三界は皆仏国なり、仏は則ち謗法を誡む、然れば則ち爾前迹門の謗法を退治せば仏も慶び・神も慶ぶ、法華本門の正法を立てらるれば人も栄え国も栄えん、 望み請ふ、殊に天恩を蒙り・諸宗の悪法を棄捐(きえん)せられ・一乗妙典を崇敬せらるれば金言しかも愆(あやま)たず、妙法の唱・閻浮(えんぶ)に絶えず・玉体恙無(つつがの)うして宝祚(ほうそ)の境・天地と彊(さかい)無けん、日目・先師の地望を遂げんがために後日の天奏に達せしむ、誠惶誠恐・謹んで言す。 元弘三年(1333)十一月 日目。 (要集疏釈部の一、五人所破・日眼見聞 二二頁)。 ○総じて天下へ奏したまひける事は御門流より先には諸門流に無き事なり、日目上人・四十二度の天奏に依つて禁裡より御納収の御下し文・右に備ふ、広宣流布は必ず当門徒に在るべきなり○。 (要集宗義部の二、五段荒量一五九頁)。 ○日目上人は四十二度の御天奏、最後の時、近江の篠原(しのはら)にて御遷化(ごせんげ)なり○。 (要集疏釈部の一、日我申状見聞一五一頁)。 ○目上は一代の間・四十二度の御天奏なり、或は高祖開山の御代官或は自分の奏状なり、四十二度目、正慶二年(1333)癸酉(みずのととり)御上洛の時、美濃の国・樽井に於いて地盤行躰勤労の上・長途の窮屈老躰の衰病、殊に雪中寒風の時分たる間・こごゑ(凍)給ひ・既に御円寂・霜月十五日なり○。 四世日道の諫状、祖滅五十五年、道師は諫状を草案しかけたるも奉呈するの機無し、日寛上人補足して現申状を作りて其志を満せりとの説あり、 或は然らん、延元元年(1336)二月は蓮蔵坊事件の当時なり・何ぞ上洛の暇あらん、鎌倉すらも覚束(おぼつか)なき時なり、然りと云へども寛師巳前の古目録に猶道師申状があり、他日の撿定(けんてい)に俟つ。 日蓮聖人の弟子日興の遺弟日道誠惶誠恐謹んで言す。 殊に天恩を蒙むり・爾前迹門の謗法を対治し、法華本門の正法を建てらるれば天下泰平、国土安穏ならんと請ふの状。 副へ進ず。 一巻 立正安国論 先師日蓮聖人文応元年の勘文。 一通 先師日興上人申状の案。 一通 日目上人申状の案。 一 三時弘経の次第。 右、遮那(しゃな)覚王の衆生を済度したまふや権教を捨てゝ実教を説き、日蓮聖人の一乗を弘通したまふや謗法を破して正法を立つ、謹んで故実を撿(かんが)へたるに釈迦善逝(ぜんせい)の本懐を演説したまふや・則ち四十余年の善巧(ぜんぎょう)を設け、日蓮聖人の末世を利益したまふや則ち後五百歳の明文に依るなり、 凡そ一代の施化は機情に赴いて権実を判じ、三時の弘経は仏意に随つて本迹を分つ、誠に是れ浅きより深きに至り・権を捨て実に入るものか。 是を以て陳朝の聖主は累葉崇敬の邪法を捨てゝ法華真実の正法に帰し、延暦(えんりゃく)の天子は六宗七寺の慢幢(まんどう)を改めて一乗四明の寺塔を立つ、天台智者は三説超過の大法を弘めて普く四海の夷賊を退け、伝教大師は諸経中王の妙文を用ゐて鎮(とこしなえ)に一天の安全を祈る、是れ則ち仏法を以つて王法を守るの根源、王法を以て仏法を弘むるの濫觴(らんしょう)なり、経に曰く正法治国・邪法乱国と云云。 抑も未萠を知るは六聖の聖人なり、蓋(けだ)し法華を了(さと)るは諸仏の御使なり、然るに先師日蓮聖人は生智の妙悟深く、法華の淵底を究め、天真独朗玄(かす)かに未萠(みぼう)の災孽(さいげつ)を鑒(かんが)みたまふ、経文の如くんば上行菩薩の後身・遣使還告(けんしげんごう)の薩埵(さった)なり、若し然らば所弘の法門・寧(むし)ろ塔中伝附(たっちゅう・でんぷ)の秘要・末法適時の大法に非ずや。 然れば則ち早く権迹浅近(ごんしゃく・せんごん)の謗法・棄捐(きえん)し本地甚深の妙法を信敬(しんぎょう)せらるれば、自他の恐敵自ら摧滅(さいめつ)し上下の黎民(れいみん)快楽(けらく)に遊ばんのみ、仍って世のため誠惶誠恐・謹んで言す。 延元元年(1336)二月 日道。 五世日行の諫状、祖滅六十一年、写本総本山に在り。 日蓮聖人の弟子日興の遺弟等謹んで言す。 早く如来出世の化儀に任せ、聖代明時の佳例に依つて爾前迹門の謗法を棄捐し、法華本門の正法を信仰せば、四海静謐(せいひつ)を致し・衆国安寧ならしめんと欲する子細の事。 則へ進ず。 一巻、立正安国論、日蓮聖人、文応元年の勘文。 一通、祖師日興上人、申状の案。 一通、日目上人、申状の案。 一通、日道上人、申状の案。 一つ、三時弘経の次第。 右八万四千の聖教は五時の説教を出でず、五千七千の経巻は八軸の妙文に勝れず、此れ則ち釈尊一代五十年説法の間・前後を立てゝ権実を弁ず、 所以に先四十二年の説は先判の権教なり、後八年の法華は後判の実教なり、而るに諸宗の輩(やから)権に付いて実を捨て、前に依つて後を忘れ、小に執して大を破す、未だ仏法の淵底を得ざるものなり、 何に由つてか現当二世の利益を成ぜんや、経に曰く正法治国・邪法乱国と、若し世上静謐ならずんば御帰依の仏法豈邪法に非ずや、是法住法位・世間相常住と云へり、若し又四夷の乱あらんに於いては寧ろ正法崇敬(すうぎょう)の国と謂(いい)つべけんや、悪人を愛敬(あいぎょう)し善人を治罰するに由るが故に星宿及び風雨・皆時を以て行(めぐ)らず、謗法の悪人を愛敬せられ正法の行者を治罰せらるゝの条・何ぞ之れを疑はんや、 凡そ悪を捨て善を持ち、権を破して実を立つるの旨は如来化儀の次第なり・大士弘経の先蹤(せんしょう)なり、又則ち聖代明時の佳例なり、最も之れを糺明せらるべきか。 此に於て正像末の三時の間・四依の大士弘通の次第あり、所謂(いわゆる)正法千年の古(いにしえ)月氏には先づ迦葉・阿難等の大羅漢・小乗を弘むと雖も、後・竜樹・天親等の大論師・小乗を破して権大乗を弘通す、像法千年の間・漢土には則ち始め後漢より以来南三北七の十師の諸宗を崇敬すと難も、陳隋両帝の御宇(ぎょう)南岳・天台出世して七十代・五百年御帰依の仏法を破失し、法華迹門を弘め乱国を治し衆生を度す、 倭国には亦欽明天皇より以来二百年・二十代の間・南都七大寺の諸宗を崇めらるゝと雖も、五十代桓武天皇の御宇・伝教大師諸宗の謗法を破失して叡山に天台法華宗を崇敬せられ、夷敵の難を退け乱国を治す、 是に又末法の今・上行菩薩出世して法華会上の砌(みぎり)虚空会(こくうえ)の時・教主釈尊より親(まのあた)り多宝塔中の付属を承け、法華本門の肝要・妙法蓮華経の五字並びに本門の大漫茶羅と戒壇とを今の時弘むべき時尅なり、所謂日蓮聖人是れなり、 而るに諸宗の族(やから)只信ぜざるのみに非ず、剰(あまつさ)へ誹謗悪口(あっく)を成すの間・和漢の証跡を引いて勘文に録し、明時の聖断を仰ぎ奏状を捧ぐと雖も今に御信用なきの条・堪へ難き次第なり。 所謂諸宗の謗法を停止(ちょうじ)せられ・当機益物を法華本門の正法を崇敬せらるれば、四海の夷敵も頭を傾け掌を合せ、一朝の庶民も法則に順従せん、此れ乃ち身のために之れを言さず・国のため・君のため・法のため恐々言上件(くだん)の如し。 暦応五年(1342)三月 日行。 (要集疏釈部の二、日有御物語抄佳跡、三七一頁)。 ○日行上人の暦応年中の御天奏の時、白砂にひざまづき御申状を読み給ひしかば、紫宸殿(ししんでん)の御簾(みす)の内に帝王・御迂(う)み有つて揣々(しし)と日行を御覧じけるが、少し打ちそばむき給ひける程に、日行上人是れ如何なる御気色なる覧と在りければ、奏者・御袈裟を抜ぎ給へと有りける程に、その時白砂の上に扇を開き其の上に袈裟を置いて御申状を遊ばしければ・又打向ひ給ひて聞せる給ひけるとなり○。 九世 日有(にちう)上人の諫状、祖滅百五十一年、写本総本山に在り。 日蓮聖人の弟子日興の遺弟・日有誠惶誠恐謹んで言す。 殊に天恩を蒙り・且は諸仏同意の鳳詔を仰ぎ・且は三国持法の亀鏡に任せ、正像所弘の爾前迹門の謗法を棄捐せられ、末法適時の法華本門の正法を信敬せらるれば天下泰平・国土安穏ならしめんと請ふの状。 副へ進ず。 一巻、立正安国論、日蓮聖人、文応元年の勘文。 一通、 日興上人 申状の案。 一通、日目上人 申状の案。 一通、日道上人 申状の案。 一通、日行上人 申状の案。 一つ、三時弘経の次第。 右謹んで真俗の要術を検へたるに治国利民の政は源・内典より起り、帝尊の果報は亦供仏の宿因に酬ゆ、而るに諸宗の聖旨を推度するに妙法経王を侵され一国を没し衆生を失ふ、庶教典民に依憑(えびょう)して万渡を保ち・如来勅使の仏子を蔑(あなど)る、緇素(しそ)之れを見て争か悲情を懐かざらんや。 凡そ釈尊一代五十年の説法の化儀・興廃の前後歴然たり、所謂小法を転じて外道を破し・大乗を設けて小乗を捨て実教を立てゝ権教を廃す、又迹を払つて本を顕す、此の条・誰か之を論ずべけんや、況や又三時の弘経は四依の賢聖悉く仏勅を守つて敢(あえ)て縦容(しょうよう)たるに非ず、 爰を以て初め正法千年の間・月氏には先づ迦葉・阿難等の聖衆小乗を弘め、後に竜樹・天親の大士・小乗を破して権大乗を弘む、次に像法千年の中末(なかごろ)震旦には則ち薬王菩薩の応作(おうさ)天台大師・南北の邪義を破して法華迹門を弘宣(ぐせん)す、将又後身を日本に伝教と示して六宗の権門を拉(くだ)き・一実の妙理を帰せしむ。 然るに今・末法に入つては稍三百余歳に及べり、正に必ず本朝に於ては上行菩薩の再誕日蓮聖人・法華本門を弘通して宜しく爾前迹門を廃すべき爾の時に当り巳んぬ、是れ併(しか)しながら時尅と云ひ機法と云ひ・進退の経論明白にして通局の解釈炳焉たり、寧ろ水影に耽つて天月を褊(へん)し・日に向つて星を求むべけんや、 然るに諸宗の輩(やから)所依の経々・時既に過ぎたる上、権を以て実に混じ・勝を下して劣を尊む、雑乱と毀謗と過咎(かぐ)最も甚し、既に彼れを御帰依の間・仏意快からず、聖者化を蔵し善神・国を捨て悪鬼乱入す、此の故に自界の親族忽ちに叛逆を起し、他国の怨敵弥(いよい)よ応に界に競ふべし、唯自他の災難のみに非ず、剰へ阿鼻(あび)の累苦を招ぐをや。 望み請ふ、殊に天恩を蒙り爾前迹門の諸宗の謗法を対治し法華本門の本尊と戒壇と並びに題目の五字とを信仰せらるれば、広宣流布の金言・宛も閻浮に満ち、闘諍堅固の夷賊も聊(いささ)か国を侵さじ、仍って一天安全にして玉体倍す、栄耀を増し・四海静謐にして土民快楽(けらく)に遊ばん、日有(にちう)良(や)や先師の要法を継いで以て世のため・法のため・粗天聴に奏せしむ、誠惶誠恐・謹んで言(もう)す。 永亨四年(1432)三月 日有。 (要集、同上 同上三七三頁) ○武家にも目安を奉るに直奏とて外に御行の時の禁より右の方にひざまづき○(武家直奏の作法を記してあるが長文の故に省略す)、六人の御童子の内に当時御気色よき御童子に兼ねて一喉(いっこう)の分を入るゝなり巳上。 #
by johsei1129
| 2025-07-14 19:43
| 日蓮正宗 宗門史
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