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日蓮大聖人『御書』解説

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2025年 06月 14日

宗門からの返答(最終)

  通知書

 今般、本宗の宗規に基づき、本日付を以て、貴殿を除名処分にしたので通知する。 

 貴殿は、本宗管長たる御法主上人へ宛てて、平成三十年十二月二十六日付「第三回 建白書」を送付したがその内容は、御法主上人を謗法と見下す邪見に凝り固まる言いがかりを並べて、御法主上人及び本宗を誹毀讒謗したものであり、本宗檀信徒にあるまじき信仰の筋道を違える言辞が述べられたものであった。
 当職は、本年三月一日付「通知書」を貴殿に送付し、本宗の信仰を紊乱する貴殿の言辞の数々を列挙したうえ、その逐一を破折し弾劾した。そして、貴殿の反省懺悔を強く促すとともに、もし反省懺悔が無い場合には、やむなく、本宗の宗規に則り、除名処分手続に着手せざるを得ないことも明記し、当職へ、弁疏の書面を提出するよう通知した。
 貴殿は、四月七日付「弁疏の書」を当職へ提出したが、そこに、貴殿の反省懺悔は、些かも述べられていなかった。
 当職は、同月二十五日付「再通知書」を貴殿に送付し、再度、貴殿の猛省を促し、弁疏の書面を提出すよう通知した。
 貴殿は、同月三十一日付書面を当職へ送付したが、そこに、自らの非違の言辞への反省懺悔は、何も綴られてはいなかった。
 当職は、右経過を受けて、本年四月二十日付「教誡書」を貴殿に送付し、本宗檀信徒ならば、本宗教義に異を唱える自らの主張を撤回し、御法主上人の御教導に信伏随従し奉る旨を認めた「誓約書」を直ちに当職宛に提出するよう、貴殿に教誡した。
 しかしながら、貴殿は、自らの非違について何ら反省懺悔することもないまま、さらなる御法主上人への誹毀讒謗を重ねた同月二十六日付書面を当職宛に提出した。
 かくして、貴殿には、もはや御法主上人に対する誹毀讒謗を悔い改める意思は皆無であり、本宗教義を遵奉する信仰心は失われたものと判断せざるを得ない。
 貴殿の右所業は、本宗宗規第二百四十六条第一項第二号「管長その他の本宗の僧侶又は持続を誹毀または讒謗したとき。」に該当する。よって、所定の手続を経て、貴殿を除名処分に付した。
 これにより、貴殿は、本宗檀信徒資格を喪失したので、念のため告知する。

 令和元年六月十七日
  札幌市北区北三十六条西四丁目一番一号
   日正寺 住職
    藤原 広行

札幌市北区新琴似六条十七丁目七・二十二・一〇五
    三浦 常正 殿





(編者注)こうして一連の問答は終了した。なお三浦常正氏は登山禁止・信徒除名処分のまま、令和七年(2025)一月七日、逝去された。享年七十五の尊い御生涯であった。
 ここに謹んで哀悼の意を表する。 以上


# by johsei1129 | 2025-06-14 06:50 | 日蓮正宗 宗門史 | Trackback | Comments(0)
2025年 06月 13日

宗門からの返答(その三)

  教誡書

 貴殿からの本年三月三十一日付書面を受領しました。

 貴殿は「日蓮正宗第六十八世日如猊下が『南無法水瀉瓶、唯我與我、本門弘通の大導師、第二祖日興上人』に連なる現在の惣貫主であることに聊かの疑義を持ったことはございません」と記しています。もし、それが本心ならば、

 「手續ノ師匠ノ所ロハ三世ノ諸佛、高祖已來代々上人ノモヌケラレタル故ニ師匠ノ所ヲ能々取リ定テ信ヲ取ル可シ」

との第九世日有上人の御制戒に明らかなごとく、御当代日如上人の御指南に信伏随従し奉ることが、本宗僧俗にとって正しい信心修行の姿です。
 御法主日如上人の血脈正統のお立場への疑義は無いと言いつつ、他方で、その御指南に異議を唱えているのですから、貴殿は、本宗信仰の筋目を紊乱しています。
 また、貴殿が挙げる阿仏房尼御前御返事の御妙判は、宗門に背逆する者も甘受することを仰せられた趣旨ではありません。このことは、日蓮大聖人が、

 「日蓮を信ずるやうなりし者どもが、日蓮がかくなれば疑ひををこして法華経をすつるのみならず、かへりて日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人等が、念仏者よりも久しく阿鼻地獄にあらん事、不便とも申す計りなし。」

 と、師敵対の者を厳しく弾劾されていることからも明らかです。
 かつて、第五十九世日亨上人は、次のごとく仰せられました。

 「宗門で謗法と云ふのは、折角御大法に入りてもまたは信心の家に生まれても又は僧侶と成っても、兎角信心が弱い處から遂に信仰の決定も出來ず、知らず知らず非宗教と成ったり非仏教に成ったり、他宗門に信を寄せようと思ふたり寄せたり、後には其為に明に反對の態度をとりて宗門の人法を批難攻撃する事になる、此れを度々訓戒さられても、頑として改心せぬのが、即ち大謗法である、此様な人は残念ながら宗門から離れて貰はにや成らぬ。」

 貴殿の「建白」なるものの内容は、御法主上人の御教導に逆らい、本宗が志す広宣流布の進展を否定するものです。御法主上人及び宗門僧侶への誹謗中傷も含まれ、当職は、通知書並びに再通知書にて、これら信仰上の過ちを指摘し訓戒しました。しかし、これを聞き入れずに「頑として改心せぬ」貴殿の一連の所業は、日亨上人が示された「大謗法」に当たることは言うまでもありません。
 御本仏・日蓮大聖人が御遺命された広宣流布とは、本門戒壇の大御本尊への信仰を正しく世界中へ弘宣することであり、具体的には、日蓮正宗が弘まることです。日蓮正宗の教義でないものが世界中へと拡散されても、それは広宣流布ではありません。
 よって貴殿がいかに「広宣流布」を語ろうとも、それは、大聖人の御聖意ではありません。本宗は、どこまでも御法主上人の御指南に信順して、正しく広宣流布してゆくことを目指す宗団ですから、これに従えないのであれば、先の日亨上人の御指南のとおりに、「残念ながら宗門から離れて貰はにゃ成らぬ」ことは当然です。
 以上により、信仰の異なることが明らかな貴殿を、本宗檀信徒資格を有したまま放置しておくことはできず、誠に残念ながら、檀信徒除名処分手続きに着手します。
 但し、手続きの履践を一週間猶予しますので、もし、当職の教誡を受けて、自らの過ちを省みるならば、本宗の広宣流布への前進に異を唱える貴殿の主張を撤回し、御法主上人の御教導に信伏随従し奉る旨を認めた「誓約書」を直ちに当職宛に提出ください。
 本書面到着後一週間以内に、貴殿の反省と誓約を記した「誓約書」が当職へ届かぬ場合は、檀信徒除名処分手続きを進めます。

 平成三十一年四月二十日
  札幌市北区北三十六条西四丁目一番一号
   日正寺住職 
     藤原 広行

札幌市北区新琴似六条十七丁目七・二十二・一〇五
     三浦 常正 殿



(編者注)三浦氏は上記「誓約書」を四月二十六日、藤原住職あてに送付した。この誓約書の写しは、編者の手元になく、残念ながら掲載できない。ただこの「誓約書」は、もちろん三浦氏自身の反省を述べたものではなく、いつもの諌暁精神にあふれた書であったことは言うまでもない。こうして氏は六月、信徒除名処分を受けることになる




# by johsei1129 | 2025-06-13 09:19 | 日蓮正宗 宗門史 | Trackback | Comments(0)
2025年 06月 12日

宗門からの返答(その二)

  再通知書

 貴殿からの「弁疏の書」を受領しました。
 その中で、貴殿は「『第一回及び第二回建白書』に関して私が弁疏することは叶いません」と述べますが、当職は、「第三回 建白書」に対する貴殿の弁疏を求め、「第一回及び第二回建白書」についての弁疏は求めておりません。その理由は、「第一回及び第二回建白書」を並べるまでもなく、「第三回 建白書」の内容だけで、貴殿の暴言の数々が十分に明白であり、屋上屋を架すがごとき必要は無いからです。よって「第一回及び第二回建白書」への弁疏は必要ありません。
 宗祖日蓮大聖人は、日蓮一期弘法付嘱書に、
 
「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり(乃至)就中我が門弟等此の状を守るべきなり。」

 と御遺訓せられたごとく、文底下種仏法の一切を日興上人へと御相承されました。この血脈相伝に基づき、宗門を統率されるお立場は、続いて日興上人から日目上人へ流れ、以後、歴代法主上人が伝持されています。ゆえに、第九世日有上人は、化儀抄に、
 「手續ノ師匠ノ所ロハ三世ノ諸佛、高祖已來代々上人ノモヌケラレタル故ニ師匠ノ所ヲ能々取リ定テ信ヲ取ル可シ」
 と教示されました。すなわち、歴代法主上人が御所持される血脈とは、日蓮大聖人の御法魂と些かも違わないと拝信することが、本宗の協議信条であり伝統であります。
 この信仰的確信に則り、本宗宗規第二条は、
 「本宗の伝統は、外用は法華経予証の上行菩薩、内相は久遠元初自受用報身である日蓮大聖人が、建長五年に立宗を宣したのを起源とし、弘安二年本門戒壇の本尊を建立して宗体を確立し、二祖日興上人が弘安五年九月及び十月に総別の付嘱状により宗祖の血脈を相承して三祖日目上人、日道上人、日行上人と順次に伝えて現法主に至る。」
と規定しているのであります。更に、このゆえ、法主が管長に就き、一宗を総理する職責を担います(宗規第十五条、同第十七条)
 すなわち、本宗宗規に定めた法主の権能及び管長の職責は、宗祖日蓮大聖人以来の信仰に裏付けられたものであり、単に法規の条文として存在するのでありません。
 貴殿は、この血脈拝信の信心が欠落していることを猛省懺悔すべきです。
 
 さて、「弁疏の書」は、事実無根を前提に、虚偽捏造の上での誹謗中傷に対しては、
 「不確かな情報をもとに記し、宗門各位に大変ご迷惑をおかけしましたことは衷心より謝罪させていただきます。誠に申し訳ありませんでした。」
 と述べているものの、全体として、御法主日如上人並びに本宗僧侶に対する誹毀讒謗の数々について、反省悔悟の姿勢は何らうかがわれません。中でも、
 「もし目標数値を定めて入信を働きかける弘教法を認められた大聖人の御文が存在するならば、是非お示しいただきたくお願い致します。」
 との言いぶりは、貴殿が、法華講員八十万人体勢構築を阻止せんと目論む御遺命違背の逆徒であるとの私の確信を、より深くさせるものです。
 御本仏・日蓮大聖人の御遺命たる広宣流布実現へ向けて、御当代法主上人が、具体的に目標を掲げられて、本宗僧俗を督励されることは、誠に恐れ多きことながら、宗門を統率されるお立場として、極めて当然の御教導であると恐察申し上げます。なぜなら、その具体的目標が無ければ、広宣流布へと続く直近の目標が立てられぬからです。
 先の「通知書」にも挙げましたが、日如上人がお示し下さった法華講員八十万人体勢の構築は、平成二十一年当時の状況や情勢に鑑み、広宣流布を見据えられた具体的な目標です。まさに、平成二十一年から未来へ向かって、広布への大道を示された御教導なのですから、本宗僧俗は、その御指南を深く心に刻んで、勇猛精進することがひいては、御本仏日蓮大聖人の御意に叶う信行と心得ることが大切なのです。
 にもかかわらず、法華講員八十万人体勢の構築の根拠として「大聖人の御文が存在するならば、是非お示しいただきたい」とは、実に下らぬ、呆れた物言いです。
 貴殿の「弁疏の書」に、本宗檀信徒としての信仰心は毫も存在しません。改めて、貴殿は、血脈相伝の御法主上人を謗法と見下す邪見に凝り固まっており、その御指南よりも自らの考えが正当と考える己義偏見の大増上慢に陥っていることを指弾するものです。
 
 貴殿の「第三回建白書」並びに「弁疏の書」に記された内容は、本宗宗規第二百四十六条第二号「管長その他本宗の僧侶または寺族を誹毀または讒謗したとき。」に抵触します。よって直ちに、信徒除名処分手続に着手すべきところではありますが、本宗檀信徒資格に関わる重大なことがらでありますので、今一度、貴殿に弁疏の機会を与えます。
 弁疏する場合は、本書到達後七日以内に、書面にて、当職まで提出してください。
 仮に、弁疏に反省懺悔が認められないとき、あるいは、弁疏が無いときは、本宗管長たる御法主上人に対する誹毀讒謗についての改悛の意思は無きものと判断し、所定の手続を経て、貴殿を本宗檀信徒除名処分とすることを通知します。
 
 平成三十一年三月二十五日
  札幌市北区北三十六条西四丁目一番一号
   日正寺住職 藤原 広行

札幌市北区新琴似六条十七丁目 七・二十二・一〇五
   三浦 常正 殿




(編者注)三浦常正氏はこの通知書に回答するための「弁疏の書」を三月三十一日、藤原住職あてに送付したが、現在、この写しの所在が不明となっているため、残念ながら掲載できない。




# by johsei1129 | 2025-06-12 10:05 | 日蓮正宗 宗門史 | Trackback | Comments(0)
2025年 06月 11日

弁疏の書(その二)

 四、「近年世襲がはびこる宗門組織」について

 ①について
 一般論として会社組織の場合、大企業の上場企業であれば不特定多数の株主が存在し、かつ常にメデイアの批判に晒されて、代表者が次の代表者に能力を鑑みることなく自身の身内に譲ることは非常に困難であり、あくまでなるべき人の能力を鑑みて次の代表者を決定することになります。しかし、小企業、小組織の狭い閉鎖的な組織の場合、身内で代表者や幹部役員を譲り合い、世襲の弊害が発生しやすいものです。

 日蓮正宗の宗門の組織は、宗教の宗派という特殊性、一般的には特殊な世界であり、決して不特定多数に開かれているとはいえません。しかしこれは「唯受一人の血脈相承」が日蓮正宗の根本であり、一般的な企業組織・スポーツ芸能関連組織と比較することは間違いであることは当然ですが、狭い組織であることもまた事実で、それ故世襲に対し常に鑑みる必要があります。「世襲がはびこる」という私の言葉は確かに行き過ぎた言葉でありますが、その兆しを私は感じており敢えて建白させていただきました。

②について
 日開上人が身延山久遠寺住職岡田日歸と共に、時の文部大臣、田中隆三氏に宗祖日蓮大聖人を「立正大師勅額御下賜」として請願したことはまぎれもない事実です。現在の宗門がどのような説明をしようとしてもこの事実を隠すことはできません。あらためて左記をご確認願います。しかしこの事があったとしても、実態として、日蓮正宗の僧俗が日蓮大聖人を立正大師と呼ぶことは過去も現在も全くなかったと理解しております。

 念書
 宗祖立正大師六百五十遠忌ニ際シ御廟所在地山梨縣身延山久遠寺住職岡田日歸ヨリ及請願候立正大師勅額御下賜ノ件ハ本宗(派)ニ於テモ異議無之候條速ニ御下賜有之
  昭和六年 月 日
      宗(派)管長     印
文部大臣  田中 隆三 殿 

五、「権力者にすり寄る宗門」について

 日蓮大聖人は供養について「新池御書」で次のように門下の信徒を諭されておられます。

 「此の経の行者を一度供養する功徳は、釈迦仏を直ちに八十億劫が間、無量の宝を尽して供養せる功徳に百千万億倍優れたりと仏は説かせ給いて候」

 宗門の檀信徒である法華講員は「此の経の行者」つまり現在においては日蓮大聖人の法門を厳護、広宣流布の先頭に立つ御僧侶の活動を支えるために御供養させていただいております。

 「北海道胆振東部地震」への見舞金一千万は当然被害にあわれた道民に使われます。
 現在日本国民の日蓮正宗の信徒が占める割合は、二パーセント程度と思われますが、そうすると見舞金一千万の大半、約九十八パーセントは邪宗若しくは一部無宗教の道民に使われることになります。当然大謗法の学会員にも使われることになります。
 結果的に「此の経の行者」に供養したはずなのに日蓮正宗御信徒の浄財が、邪宗教の信者を助けるためになるのです。これが広宣流布に役立つとはとても思えません。「すり寄る」云々以前に、法華講員の御供養の使い方として明らかに間違っております。
 
 またわたしが記した「安楽行品第十四に『権力者に親近してはならない』及び仏法の根本理念として『平等大慧』がありますが」、以下について、疑義がございましたならば是非破折願います。

六、「天台教学を多用するに日如猊下」について

  最初に「貴殿は、「日興上人の思いは『天台の学問はしなくてもよい』との趣旨である」と独自の見解を並べますが、日興遺誡置文の正意は『大聖人の仏法を学ばずして天台を学んではならない』との正誡であり、貴殿の言い分は、明らかなる曲解です」とありますが、
 確かに「天台の学問はしなくてもよい」とは自身で読み返してみて、日興上人が「五人所破抄」で五老僧が天台沙門と表明していることを指弾し、大聖人の仏法を正しく後世に伝えるよう図られた厳しさとは程遠い、ぬるい考えであると反省しております。
 なお、通知書にある「大聖人の仏法を学ばずして天台を学んではならない」との言も、日興上人の正意ではありません。「義道の落居」とは単に「大聖人の仏法を学ばずして」ではなく「大聖人の仏法を会得せずして天台を学んではならない」意であると拝読いたしております。

②について
 私は日如猊下の「御指南集」そのものについては何も言っておりません。あくまで「御指南集」の出典元となっておられる各種講習、法要等でたびたび引用される「本未有善」の引用について本未有善そのものを御教示為されなければ、初心の法華講員に「本未有善」の天台教学の用語を理解できないのではないかと言っているにすぎません。私も最初は全く理解できず御書の「文句の十に云く、本已に善有るには釈迦小を以て之を将護し、本善有らざるには不軽大を以て之を強毒す」を読み、少し理解が進んだ経緯があります。

 敢えて言うならば難解な「本未有善」等の天台教学を引用なされず、これから日々入信為される初心の御信徒の為にも例えば「皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」との日蓮大聖人の御金言にて、初心の御信徒の発心を促されてはいかがと思い記させていただきました。

 日蓮大聖人は立正観抄の冒頭で「当世天台の教法を習学するの輩多く、観心修行を尊んで法華本迹二門を捨つと見えたり」と厳しく指弾なされております。

 日蓮大聖人は御義口伝において天台の法華玄義・法華文句を度々引用されておりますが、その上で「御義口伝に行く」と末法の御本仏としての法門を解き明かされておられます。

 日蓮大聖人は報恩抄で
 「涅槃経と申す経に云く『法に依って人に依らざれ』等云云。依法と申すは一切経、不依人と申すは仏を除き奉りて外の普賢菩薩・文殊師利菩薩乃至上にあぐるところの諸の人師なり」

 さらに「真言見聞」では
 「無量義経十徳行品に云く、第四功徳の下『深く諸仏、秘密の法に入り演説すベき所、違無く失無し』」

 とありますように、日蓮大聖人が説く法門は「違無く失無し」つまり絶対です。
 日蓮大聖人に帰依する信徒は大聖人に一字一句違えずひたすら随順するばかりです。
 私も生涯、日蓮大聖人に随順し続ける決意です。
 
 藤原ご住職が記されたように私が「何故日蓮大聖人を愚弄罵倒することになるのか」全く理解が出来かねます。私が三度の建白書の中で一言一句でも日蓮大聖人を愚弄罵倒している箇所があったら是非お示し願います。 

七「日蓮大聖人に随順しない日に猊下」について

①について

 「四菩薩造立抄」に曰わく
 「私ならざる法門を辟案せん人は偏に天魔波旬の其の身に入り替わりて人をして自身ともに無間大城に墮つべきにて候・つたなしつたなし、此の法門は年来貴辺に申し含めたる様に人人にも披露あるべき者なり。
 総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人々は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹もお守り候べし、其れさえ尚、人人の御心中は量りがたし」

 繰り返しになりますが、「総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」の御金言に違背することが最も戒めなければならない事です。
 是非「法華講員八十万人体勢構築」の根拠となる御書の御文をお示し願います。

②について
 
 また宗門の実情として私が記した「日如猊下が六十八世として登壇されてから早十三年。この間未来を託す鼓笛隊員は半減、本山任務者、御僧侶方は激減しております。この結果が全てを物語っております。すでに宗門は求心力を失っております」につきましてどのようにお考えなのか、御住職の破折はございませんでした。
 このほか御講参加者、登山参加者、講費納入者が減ってきていることは度々、日正寺法華講の幹部より報告されております。
 結論すると「法華講員八十万人体勢構築」の活動が、宗門並びに法華講の躍進に必ずしも結びついていないことは明らかです。
 一信徒の身として不遜であるとご批判なされるかと思われますが、今こそ一旦立ち止まり、広宣流布の方途について再検討すべき時期に来ているのではと憂慮いたします。

 折伏は最も重要であることは私も承知しており、日正寺の法華講員となって以来、私も微力ながら訪問・街頭・縁故知人・未入信家族への働きかけ等々の実践活動を継続し、少ないながらもご授戒、御本尊下付に導いてきており、共にお寺・時には相手先にて勤行の練習をさせて頂いております。

 最後になりますが、
「御義口伝に云く大願とは法華弘通なり。愍衆生故とは日本国の一切衆生なり、生於悪世の人とは日蓮等の類いなり、広とは南閻浮提なり、此経とは題目なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者なり」

 との日蓮大聖人の御義・御金言に随順し、世界広宣流布実現まで死身弘法し邁進することを誓いさせて頂き、私の「弁疏」とさせて頂きます。

   日正寺法華講支部第一総区北新地区三班  三浦 常正

 日正寺住職
    藤原 広行   敬白






# by johsei1129 | 2025-06-11 15:26 | 日蓮正宗 宗門史 | Trackback | Comments(0)
2025年 06月 10日

弁疏の書(その一)

  弁疏の書

 平成三十一年三月二日、藤原ご住職よりご送付いただいた「通知書(以下本通知書)」を受領し謹んで拝読させていただきました。
 尚この度は、弁疏の機会を与えて頂き、誠にありがたく存じます。
 つきましては本書にて誠に拙き文にて大変恐縮致しますが、以下にて弁疏させて頂きます。
 なお、弁疏に先立ちまして一つお願いがございますので何卒お計らいのほど、よろしくお願い致します。
 受領した「通知書」においては、平成二十八年十月十日付「御建白書」から平成三十年十二月二十八日付「第三回建白書」までの計三回、御法主日如上人猊下へ宛てた私の書面が、「御法主上人及び本宗僧侶への誹謗(中略)悪口雑言を並べたものであり(中略)謗法厳誡の上から、貴殿の迷妄の数々を挙げて逐次破折いたします。なお余りに煩瑣にわたるため本書は前記『第三回建白書』を破折するのみに止めますが、これは毛頭ほども、貴殿から送付された従前の書面の内容を是認する趣旨ではありませんので、念のため申し添えます」と記されておられます。

 しかしながら従前の書面(第一回及び第二回御建白書)は、建白の内容がそれぞれ「第三回建白書」とは異なり、しかも第一回御建白書は約七万八千三百余文字、第二回御建白書は約一万七千二百余文字御座います。それに比し、第三回建白書は四千七百余文字であり、計三回の書面の約十二パーセント弱にとどまります。つまり私が御法主日如上人猊下へ宛てた書面の大半(約八十八パーセント強)について、私の迷妄の数々について逐次破折を受けてはおらず「第一回および第二回建白書」に関して私が弁疏することは叶いません。従前の書面の内容を是認する趣旨でないならば、是非にも藤原ご住職の破折を賜りたくお願い申し上げます。

 それでは本通知書について謹んで弁疏させて頂きます。

一、現在の宗門は四衆ではなく三衆になっておられます。について

 「現況の宗門は比丘尼について本宗宗規では得度者の性別による制限は全くない。但し宗門では年分並びに一般得度者制度を設けているが、運用上、様々な配慮が必要であるため現在女性得度者を募っていません」とあります。

 得度者運用の主体が宗門に在り、女性得度を募っていない以上、事実上、現在女性が日蓮正宗の比丘尼となる道は閉ざされております。様々な配慮が必要であるならば配慮をすればよいだけです。宗規があっても実際の運用実態が伴わなかったら、年々歳々宗規そのものの精神を自ら棄損していることになりかねません。是非宗規通り、女性得度者の道を閉ざすことなく、日蓮大聖人が御在世当時の通り、比丘尼を宗門に列して頂けるようお願い致します。私の趣旨はこの通りです。

二、「像法時代・多造塔寺の修行を末法に行う愚かさ」について

①について
「曽谷殿御返事」並びに「地引御書」につきましてはご承知いたしております。とりわけ『地引御書』は日蓮大聖人が御遷化される前年の弘安四年十一月二十五日にお認め為され、前日の二十四日に竣工の祝いを行い、大聖人が大変喜ばれておられることが七百四十年たった今もありありと伝わってきます。

 十間四面の本建物は大聖人ご自身の為と言うよりは、恐らくは身延山久遠寺の別当と定めておられた日興上人への慈父の念から建立為されたと拝されます。一千貫文とありますので、現在の貨幣価値で一貫文は四、五万くらいと言われておりますので、当時極楽寺良観の絢爛豪華な伽藍とは異なり、日蓮大聖人は弟子育成の目的のため必要な実質としての堂宇をお建てになられたと推察いたします。

 なお、当時の御信徒は決して経済的に裕福でなかったわけではなく、その証左として日蓮大聖人は御遷化の後、強信徒は次々と伽藍、堂宇、宿坊を建立為されております。池上宗仲は姻戚関係にあった日朗を初代住職として法華経の文字分の坪数(約七万坪)の土地及び大伽藍を寄進しております。また富木常忍及び太田乗明の両氏は、日蓮大聖人の御真筆を多数所蔵する現中山法華経寺を建立、さらに現在も残る身延山久遠寺の最古の宿坊は四条金吾の寄進でもあります。以上のことから推察される事は、当時の御信徒は当然日蓮大聖人に大規模の伽藍の造立寄進を願っていたことは想像に難くなく、日蓮大聖人は弟子育成のために必要な実質的な堂宇を望まれたと拝されます。
 又建治三年冬五十六歳の時に認められた「庵室修復書」では、次のように弟子に傷んできた草案を修理させたことを記された御文が残されておられます。

 「去文永十一年六月十七日に、この山のなかに・きをうちきりて、かりそめにあじちをつくりて候いしが、やうやく四年がほど。
 はしら・くちかき、かべ・おち候へども、なをす事なくて、よるひを・とぼさねども・月のひかりにて聖教をよみまいらせ、われと御経をまきまいらせ候はねども、風をのづから・ふきかへしまいらせ候いしが、
 今年は十二のはしら四方にかふべをなげ、四方のかべは、一そにたうれぬ。
 うだい・たもちがたければ、月はすめ雨はとどまれと・はげみ候いつるほどに、人ぶなくして・がくしょうどもをせめ、食なくして・ゆき(雪)をもちて命をたすけて候ところに、さきに・うえのどのより・いも二駄これ一駄は・たま(球)にもすぎ」

 さらに弘安二年十月二十日、五十八歳にお認めなされた「両人御中御書」において、法罰を受け亡くなった大進阿闍梨が生前自身の宿坊を弁阿闍梨(日昭)に譲ると遺言していることに対し、未だその措置がなされていない事を、譲り受ける大国阿闍梨と修理の役割をする池上宗仲に早急に対処することを促されておられます。

 「大国阿闍梨、えもんのたいう志等に申す。故大進阿闍梨の坊は各各の御計らいに有るべきかと存じ候に、今に人も住せずなんど候なるはいかなることぞ。
 ゆずり状のなくばこそ、人人も計らい候はめ。くはしく、うけ給わり候へば、べんの阿闍梨にゆづられて候よし、うけ給わり候き。又いぎあるべしとも、をぼへず候。
 それに御用いなきは別の子細の候か、其の子細なくば大国阿闍梨、大夫殿の御計らいとして、
弁の阿闍梨の坊へこぼちわたさせ給い候へ。
 心けんなる人に候へば、いかんがとこそ、をもい候らめ。弁の阿闍梨の坊をすりして・ひろくもらずば、諸人の御ために、御たからにてこそ候はんずらむめ。
 ふゆはせうもうしげし、もしやけなばそむと申し人も笑いなん。
 このふみについて両三日が内に事切って、各各御返事給び候はん。恐恐謹言。
 
 十月廿日    日蓮花押
 
 両人御中
    ゆづり状をたがうべからず

②について
 以上のことは日蓮大聖人がいかに広宣流布の拠点としての宿坊の役割を重要視されていたかを如実に物語っており「二、」の項目の私の趣旨は仏教伽藍としての華美で壮大な門構え等ではなく、広宣流布の先頭に立つ御僧侶がお住まいし、信徒が集い、御宝殿の歴代の貫主がご書写なされた御本尊に唱題する宿坊こそ、現在テロ及び天変地異にまみれている娑婆世界の隅々まで行き渡すことが最優先しなければならない事業ではないかとの願いを込めて建白させていただいたことをご理解頂きたく願います。

三、「貫主は住職を謗り、住職は法華講員を謗る今の宗門組織。」について

 この点につきましては日蓮大聖人が折伏活動について、どのように解き明かされておられるのかを鑑みて弁疏させて頂きます。
 日蓮大聖人は「諸法実相抄」において衆生に「法華経を説く事」について次の様に弟子信徒に諭されておられます。
 
 経に云く「能く竊かに一人の為に法華経の乃至一句を説かば当に知るべし是の人は即ち如来の使、如来の所遣として如来の事を行ずるなり」
  (中略)
 此の文には日蓮が大事の法門ども・かきて候ぞ、よくよく見ほどかせ給へ・意得させ給うべし、一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ、あひかまへて・あひかまへて・信心つよく候て三仏の守護をかうむらせ給うべし、行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候。力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経、恐恐謹言。

 この御文を拝しますと、「一人の為に法華経の乃至一句を説かば」、「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」とあるように、日蓮大聖人は「法華経を一人でも一句でも説きなさい」と諭されておりますが、「入信させなさい」とは決して説かれておりません。しかも「一句を説かば当に知るべし是の人は則ち如来の使、如来の所遣として如来の事を行ずるなり」とまで認められておられます。
 「法華初心成仏抄」では、一人の為に法華経の乃至一句を説かれた衆生はどのように成仏に至るかを次の様に解き明かされておられます。

 何にとしても仏の種は法華経より外になきなり、権教をもつて仏になる由だにあらば、なにしにか仏は強いて法華経を説いて謗ずるも信ずるも利益あるべし、と説き我不愛身命とは仰せらるべきや、よくよく此等を道心ましまさん人は御心得あるべきなり。

 「諸法実相抄」ばかりでなく、平成新編日蓮大聖人御書に御収録されておられる全御書にも「入信させなさい」との御文は一つもございません。

①について

 「平成三十三年・日蓮大聖人御聖誕八百年 法華講員八十万人体制構築」は、平成三十三年まで法華講員八十万人にすべく衆生を折伏し入信させなさいという御法主日如上人猊下のご命題です。この御授戒数の目標数値がある限り、目標に達成しなければ当然、なぜ目標数値に達しないのかという法華講組織、宗門内末寺に対し指導、叱咤激励が日常的に行われるのは自然の流れです。しかしながら繰り返しますが、日蓮大聖人が残された御書には一文もない弘教法であると私は理解しております。
 もし目標数値を定めて入信を働きかける弘教法を認められた日蓮大聖人の御文が存在するならば、是非お示しいただきたくお願い致します。

②について

 私の拙い信仰経験で藤原ご就職の病について記すことは誠に出過ぎた振舞であることは重々承知いたしておりますが、私も何度か法罰を受けており、その一つとして法華講入講の直接的原因になった法罰について少々書かせていただきます。

 法華講入講半年ほど前、私がまだ一人信心をしていた時、御書を読んでいて法華経を読まなければ日蓮大聖人の真意はわからないと感じ、岩波文庫法華経上中下三巻を日々読み続け数十回に達した頃、それまで学会員だった級友の折伏により仏見寺で御授戒を受けて以来、私の命には日蓮大聖人が厳然と存在していたにもかかわらず、そこに釈尊の存在が両立するような事態が生じました。これまでそのような思いは全くなかったこともあり、非常にいやな気持ちがしましたが、法華経を読むことを継続していると、ある時夜になり眠りにつくと幻覚が生じ、天井に圧迫されそれ以上寝続けることが出来なくなりました。四日ほどその状態が続き、私は一生眠ることが出来ないのではと恐れ「なぜこうなったのか」考えを巡らし「日蓮大聖人と釈尊が自分の己心に両立している状態であることに気づきました。
 直ちに御本尊に「私が間違えていました、許してください」とひたすら祈り謝り続けました。その結果その日から普段通り眠ることができるようになり、一人信心を続けていけば、いつまた間違った所行に陥ることになると自覚し、翌日、日正寺様に出向き執事様より勧誡を受けさせていただきました。
 日蓮正宗の修行をしていく上では様々な障害が生じます。それらは「魔」「罪障」「法罰(総罰・別罰・顕罰・冥罰)等々ございますが、私は信心修行を損なうような「魔」「罪障」「法罰」を受けることはないと信じております。私も過去にはトレーラーと正面衝突する自動車事故を受けましたが、顔にステアリングと打撲による軽い傷を受けた程度で入院することもなく、事故車の状況を見た警察官は私の被害の少なさに驚かれておりました。今では過去世の罪障を軽く受けることができたと御本尊、日蓮大聖人に感謝するばかりで、拙い自分にもまだ広宣流布の使命が残されているのではと感じている次第です。
 ご住職は「罪障」であると記されておられますが、大変不遜であると厳しい批判を受けるとは思いますが、私は違うと感じております。

 ③④⑤について 

 川田恭顕氏、故安孫子信洋氏の件につきましては、なぜこのような事態が生じるのか、憂いているが故に記させていただきましたが、前述で述べさせていただいたように「法華講員八十万人体制構築」そのものが日蓮大聖人の意に叶っていない故ではないかと、私はつよく憂いております。

 なお、応顕寺(代表役員早瀬道寧)の宗門離脱並びに日蓮正宗宗務院 宗内一般お知らせにつきましては、不確かな情報をもとに記し、宗門関係各位に大変ご迷惑をおかけしましたことは衷心より謝罪させていただきます。誠に申し訳ありませんでした。





# by johsei1129 | 2025-06-10 15:47 | 日蓮正宗 宗門史 | Trackback | Comments(0)