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2016年 11月 30日

Gosho 太田入道殿御返事 On Curing Karmic Disease

太田入道殿御返事

On Curing Karmic Disease

Reply to Ōta Nyūdō


建治元年十一月三日 五十四歳御作

November 3, 1275 (Age:54)


「病の起る因縁(いんねん)を明すに六有り、

“There are six causes of illness:

To clarify the causes for illnesses, there are six categories.

一には四大順ならざる故に病む、

(1) disharmony of the four elements;

First are illnesses caused by an imbalance of the four elements.

二には飲食(おんじき)節ならざる故に病む、

(2) improper eating or drinking;

Second are illnesses caused by one’s inability to control one’s appetiite.

三には坐禅(ざぜん)調(ととの)わざる故に病む、

(3) inappropriate practice of seated meditation;

Third are illnesses caused by an imperfect practice of meditation.

四には鬼便りを得る、

(4) attack by demons;

Fourth are illnesses caused by demons entering into one’s body.

五には魔の所為(しょい)

(5) the work of devils;

Fifth are illnesses caused by the work ofd evils.

六には(ごう)の起るが故に病む」云云。

 and(6) the effects of karma.”

Sixth are illnesses caused by the manifestation of one’s karma.


本文 Original Text 目次 Table of Contents


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by johsei1129 | 2016-11-30 22:22 | PASSAGE OF NICHIREN | Comments(0)
2016年 11月 30日

報恩抄 要点解説その三

日蓮大聖人は引き続いて諸経の日本伝来の経緯を示すと共に、特に真言宗を強く責めていきます。

それは・いかにもあれ慈覚・智証の二人は言は伝教大師の御弟子とは・なのらせ給ども心は御弟子にあらず。其の故は此の書に云く「謹で依憑集一巻を著わして同我の後哲に贈る」等云云。同我の二字は真言宗は天台宗に劣るとならひてこそ同我にてはあるべけれ。
我と申し下さるる宣旨に云く「専ら先師の義に違い偏執の心を成す」等云云。又云く「凡そ厥師資の道一を闕いても不可なり」等云云。

此の宣旨のごとくならば慈覚・智証こそ専ら先師にそむく人にては候へ。かうせめ候もをそれにては候へども此れをせめずば大日経・法華経の勝劣やぶれなんと存じていのちをまとに・かけてせめ候なり。此の二人の人人の弘法大師の邪義をせめ候はざりけるは最も道理にて候いけるなり。されば粮米をつくし人をわづらはして漢土へわたらせ給はんよりは本師・伝教大師の御義を・よくよく・つくさせ給うべかりけるにや。

されば叡山の仏法は但だ伝教大師・義真和尚・円澄大師の三代計りにてやありけん。天台座主すでに真言の座主にうつりぬ名と所領とは天台山其の主は真言師なり、されば慈覚大師・智証大師は已今当の経文をやぶらせ給う人なり。已今当の経文をやぶらせ給うは・あに釈迦・多宝・十方の諸仏の怨敵にあらずや、弘法大師こそ第一の謗法の人とおもうに、これは・それには・にるべくもなき僻事なり。

其の故は水火・天地なる事は僻事なれども人用ゆる事なければ其の僻事成ずる事なし。弘法大師の御義はあまり僻事なれば弟子等も用ゆる事なし、事相計りは其の門家なれども其の教相の法門は弘法の義いゐにくきゆへに善無畏・金剛智・不空・慈覚・智証の義にてあるなり。慈覚・智証の義こそ真言と天台とは理同なりなんど申せば皆人さもやと・をもう。かう・をもうゆへに事勝の印と真言とにつひて天台宗の人人・画像・木像の開眼の仏事を・ねらはんがために日本・一同に真言宗におちて天台宗は一人もなきなり。例せば法師と尼と黒と青とは・まがひぬべければ眼くらき人はあやまつぞかし。僧と男と白と赤とは目くらき人も迷わず、いわうや眼あきらかなる者をや、慈覚・智証の義は法師と尼と黒と青とが・ごとくなる・ゆへに、智人も迷い愚人もあやまり候て、此の四百余年が間は叡山・園城・東寺・奈良・五畿・七道・日本一州・皆謗法の者となりぬ。

 抑も法華経の第五に「文殊師利此の法華経は諸仏如来の秘密の蔵なり諸経の中に於て最も其の上に在り」云云。
此の経文のごとくならば法華経は大日経等の衆経の頂上に住し給う正法なり。さるにては善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証等は此の経文をばいかんが会通せさせ給うべき。

法華経の第七に云く「能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是くの如し一切衆生の中に於て亦為第一なり」等云云。
此の経文のごとくならば法華経の行者は川流・江河の中の大海・衆山の中の須弥山・衆星の中の月天・衆明の中の大日天、転輪王・帝釈・諸王の中の大梵王なり。
伝教大師の秀句と申す書に云く「此の経も亦復是くの如し乃至諸の経法の中に最も為第一なり能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是くの如し一切衆生の中に於て亦為第一なり」已上経文なりと引き入れさせ給いて次下に云く「天台法華玄に云く」等云云、已上玄文と・かかせ給いて上の心を釈して云く「当に知るべし他宗所依の経は未だ最も為れ第一ならず其の能く経を持つ者も亦未だ第一ならず、天台法華宗所持の法華経は最も為れ第一なる故に能く法華を持つ者も亦衆生の中の第一なり。已に仏説に拠る豈自歎ならん哉」等云云。

次下に譲る釈に云く「委曲の依憑具さに別巻に有るなり」等云云、依憑集に云く「今吾が天台大師法華経を説き法華経を釈すること群に特秀し唐に独歩す明に知んぬ如来の使なり讃る者は福を安明に積み謗る者は罪を無間に開く」等云云。

法華経・天台・妙楽・伝教の経釈の心の如くならば今日本国には法華経の行者は一人も・なきぞかし、月氏には教主釈尊・宝塔品にして一切の仏を・あつめさせ給て大地の上に居せしめ大日如来計り宝塔の中の南の下座にすへ奉りて教主釈尊は北の上座につかせ給う。此の大日如来は大日経の胎蔵界の大日・金剛頂経の金剛界の大日の主君なり。両部の大日如来を郎従等と定めたる多宝仏の上座に教主釈尊居せさせ給う、此れ即ち法華経の行者なり天竺かくのごとし。漢土には陳帝の時・天台大師・南北にせめかちて現身に大師となる「群に特秀し唐に独歩す」という・これなり。
日本国には伝教大師・六宗にせめかちて日本の始第一の根本大師となり給う。月氏・漢土・日本に但三人計りこそ於一切衆生中亦為第一にては候へ。されば秀句に云く「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり。天台大師は釈迦に信順して法華宗を助けて震旦に敷揚し叡山の一家は天台に相承して法華宗を助けて日本に弘通す」等云云。
仏滅後・一千八百余年が間に法華経の行者・漢土に一人・日本に一人・已上二人釈尊を加へ奉りて已上三人なり。

日蓮大聖人は釈尊滅後一千八百余年の法華経の行者は「漢土の天台大師、日本の伝教大師」の二人だけであると断じた後、いよいよ末法の法華経の行者は日蓮自身であることを解き明かしていきます。

されば此の真言・禅宗・念仏等やうやく・かさなり来る程に、人王八十二代・尊成・隠岐の法皇・権の太夫殿を失わんと年ごろ・はげませ給いけるゆへに、大王たる国主なれば・なにとなくとも師子王の兎を伏するがごとく、鷹の雉を取るやうにこそ・あるべかりし上、叡山・東寺・園城・奈良七大寺・天照太神・正八幡・山王・加茂・春日等に数年が間・或は調伏・或は神に申させ給いしに二日・三日・だにも・ささへかねて佐渡国・阿波国・隠岐国等にながし失て終にかくれさせ給いぬ。調伏の上首・御室は但東寺をかへらるるのみならず眼のごとくあひせさせ給いし第一の天童・勢多伽が頚切られたりしかば、調伏のしるし還著於本人のゆへとこそ見へて候へ。
これはわづかの事なり。此の後定んで日本国の諸臣万民一人もなく乾草を積みて火を放つがごとく、大山のくづれて谷をうむるがごとく我が国・他国にせめらるる事出来すべし。

此の事・日本国の中に但日蓮一人計りしれり。いゐいだすならば殷の紂王の比干が胸を・さきしがごとく、夏の桀王の竜蓬が頚を切りしがごとく、檀弥羅王の師子尊者が頚を刎ねしがごとく、竺の道生が流されしがごとく、法道三蔵のかなやきをやかれしがごとく、ならんずらんとは・かねて知りしかども、法華経には「我身命を愛せず、但無上道を惜しむ」ととかれ、涅槃経には「寧身命を喪うとも教を匿さざれ」といさめ給えり。

今度命をおしむならば・いつの世にか仏になるべき、又何なる世にか父母・師匠をも・すくひ奉るべきと・ひとへに・をもひ切りて申し始めしかば、案にたがはず或は所をおひ、或はのり、或はうたれ、或は疵を・かうふるほどに去ぬる弘長元年辛酉五月十二日に御勘気を・かうふりて伊豆の国伊東にながされぬ。又同じき弘長三年癸亥二月二十二日にゆりぬ。

 其の後弥菩提心強盛にして申せば・いよいよ大難かさなる事・大風に大波の起るがごとし。昔の不軽菩薩の杖木のせめも我身に・つみしられたり、覚徳比丘が歓喜仏の末の大難も此れには及ばじとをぼゆ。日本六十六箇国・嶋二の中に一日・片時も何れの所に・すむべきやうもなし。古は二百五十戒を持ちて忍辱なる事・羅云のごとくなる持戒の聖人も、富楼那のごとくなる智者も日蓮に値いぬれば悪口をはく。正直にして魏徴・忠仁公のごとくなる賢者等も日蓮を見ては理をまげて非とをこなう。いわうや世間の常の人人は犬のさるをみたるがごとく猟師が鹿を・こめたるににたり。日本国の中に一人として故こそ・あるらめと・いう人なし道理なり。人ごとに念仏を申す人に向うごとに念仏は無間に堕つるというゆへに、人ごとに真言を尊む真言は国をほろぼす悪法という。

国主は禅宗を尊む日蓮は天魔の所為というゆへに我と招ける・わざわひなれば人の・のるをも・とがめず・とがむとても一人ならず、打つをも・いたまず本より存ぜしがゆへに・かう・いよいよ身も・をしまず力にまかせて・せめしかば、禅僧数百人・念仏者数千人・真言師百千人・或は奉行につき或はきり人につき或はきり女房につき或は後家尼御前等について無尽のざんげんをなせし程に最後には天下第一の大事・日本国を失わんと咒そする法師なり。故最明寺殿・極楽寺殿を無間地獄に堕ちたりと申す法師なり、御尋ねあるまでもなし。但須臾に頚をめせ、弟子等をば又頚を切り、或は遠国につかはし、或は篭に入れよと尼ごぜんたち・いからせ給いしかば・そのまま行われけり。

去ぬる文永八年辛未九月十二日の夜は相模の国たつの口にて切らるべかりしが、いかにしてやありけん其の夜は・のびて依智というところへつきぬ。又十三日の夜はゆりたりと・どどめきしが又いかにやありけん・さどの国までゆく。今日切るあす切るといひしほどに四箇年というに結句は去ぬる文永十一年太歳甲戌二月十四日に・ゆりて同じき三月二十六日に鎌倉へ入り同じき四月八日平の左衛門の尉に見参してやうやうの事申したりし中に、今年は蒙古は一定よすべしと申しぬ。同じき五月の十二日にかまくらをいでて此の山に入れり、これは・ひとへに父母の恩・師匠の恩・三宝の恩・国恩をほうぜんがために身をやぶり命をすつれども破れざれば・さでこそ候へ。又賢人の習い三度国をいさむるに用いずば山林にまじわれと・いうことは定まるれいなり。
此の功徳は定めて上三宝・下梵天・帝釈・日月までも・しろしめしぬらん、父母も故道善房の聖霊も扶かり給うらん。
<中略>
さればいかにおもひたてまつれども・まいるべきにあらず、但し各各・二人(浄顕房・義浄房)は日蓮が幼少の師匠にて・おはします。勤操僧正・行表僧正の伝教大師の御師たりしが・かへりて御弟子とならせ給いしがごとし。日蓮が景信にあだまれて清澄山を出でしに、かくしおきてしのび出でられたりしは天下第一の法華経の奉公なり、後生は疑いおぼすべからず。


報恩抄 要点解説その四に続く






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by johsei1129 | 2016-11-30 19:12 | 報恩抄(御書五大部) | Comments(0)
2016年 11月 29日

報恩抄 要点解説その二

つぎに日蓮大聖人は「世間をみるに各各、我も我もといへども国主は但一人なり。二人となれば国土おだやかならず。家に二の主あれば其の家必ずやぶる。
一切経も又かくのごとくや有るらん。何の経にても・をはせ、一経こそ一切経の大王にてはをはすらめ」と示され、その上で「一教」定めるためには次のように「法に依つて人に依らざれ」と、断じ、法華経こそ釈尊一切経の王であることを解き明かします。

一切経を開きみるに涅槃経と申す経に云く「法に依つて人に依らざれ」等云云。
依法と申すは一切経、不依人と申すは仏を除き奉りて外の普賢菩薩・文殊師利菩薩乃至上にあぐるところの諸の人師なり。
此の経に又云く「了義経に依つて不了義経に依らざれ」等云云。此の経に指すところ了義経と申すは法華経、不了義経と申すは華厳経・大日経・涅槃経等の已今当(※注)の一切経なり。されば仏の遺言を信ずるならば専ら法華経を明鏡として一切経の心をばしるべきか』と。

此の法華経は華厳経・大日経・涅槃経等の一切経の頂上の如意宝珠なり。されば専ら論師人師をすてて経文に依るならば大日経・華厳経等に法華経の勝れ給えることは、日輪の青天に出現せる時眼あきらかなる者の天地を見るがごとく高下宛然なり。又大日経・華厳経等の一切経をみるに此の経文に相似の経文・一字・一点もなし。
或は小乗経に対して勝劣をとかれ或は俗諦に対して真諦をとき或は諸の空仮に対して中道をほめたり、譬へば小国の王が我が国の臣下に対して大王というがごとし。
法華経は諸王に対して大王等と云云。
<中略>
或る人疑つて云く漢土・日本にわたりたる経経にこそ法華経に勝たる経はをはせずとも、月氏・竜宮・四王・日月・とう利天・都率天なんどには恒河沙の経経ましますなれば、其中に法華経に勝れさせ給う御経やましますらん。
答て云く、一をもつて万を察せよ。庭戸を出でずして天下をしるとはこれなり。癡人が疑つて云く我等は南天を見て東西北の三空を見ず、彼の三方の空に此の日輪より別の日やましますらん。
山を隔て煙の立つを見て火を見ざれば、煙は一定なれども火にてやなかるらん。かくのごとくいはん者は一闡提の人としるべし生盲にことならず。

法華経の法師品に釈迦如来金口の誠言をもつて五十余年の一切経の勝劣を定めて云く「我所説の経典は無量千万億にして已に説き今説き当に説ん而も其の中に於て此法華経は最も為難信難解なり」等云云。

此の経文は但釈迦如来・一仏の説なりとも等覚已下は仰いで信ずべき、上多宝仏・東方より来りて真実なりと証明し十方の諸仏集りて釈迦仏と同く、広長舌を梵天に付け給て後・各各・国国へ還らせ給いぬ。已今当の三字は五十年並びに十方三世の諸仏えの御経、一字一点ものこさず引き載せて法華経に対して説せ給いて候を十方の諸仏・此座にして御判形を加えさせ給い、各各・又自国に還らせ給いて我弟子等に向わせ給いて法華経に勝れたる御経ありと説せ給はば、其の所化の弟子等信用すべしや。又我は見ざれば月氏・竜宮・四天・日月等の宮殿の中に法華経に勝れさせ給いたる経や・おはしますらんと疑いをなすはされば、梵釈・日月・四天・竜王は法華経の御座にはなかりけるか。若し日月等の諸天・法華経に勝れたる御経まします、汝はしらずと仰せあるならば大誑惑の日月なるべし。

日蓮せめて云く、日月は虚空に住し給へども我等が大地に処するがごとくして堕落し給はざる事は上品の不妄語戒の力ぞかし。法華経に勝れたる御経ありと仰せある大妄語あるならば恐らくはいまだ壊劫にいたらざるに大地の上にどうとおち候はんか無間大城の最下の堅鉄にあらずばとどまりがたからんか。
大妄語の人は須臾も空に処して四天下を廻り給うべからずとせめたてまつるべし。而るを華厳宗の澄観等・真言宗の善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証等の大智の三蔵大師等の華厳経・大日経等は法華経に勝れたりと立て給わば、我等が分斉には及ばぬ事なれども大道理のをすところは豈諸仏の大怨敵にあらずや。提婆・瞿伽梨もものならず大天・大慢・外にもとむべからず・かの人人を信ずる輩はをそろし・をそろし』と。

※注 已今当:天台は已経は法華経以前の爾前経で、今教は法華経開教の「無量義経」、当経は「涅槃経」と定め、法華経は已今当の三教に超越した経であるとの釈を立てている。


報恩抄 要点解説その三に続く




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by johsei1129 | 2016-11-29 23:07 | 報恩抄(御書五大部) | Comments(0)
2016年 11月 29日

Gosho 妙心尼御前御返事(病之良薬御書)The Good Medicine for All Ills

妙心尼御前御返事(病之良薬御書)

The Good Medicine for All Ills

Replyto Myōshin ama


建治元年八月十六日 五十四歳御作

June 26, 1278 (Age: 57)


このやまひは仏の御はからひか、そのゆへは浄名(じょうみょう)経・涅槃(ねはん)経には(やまい)ある人、仏になるべきよしとかれて候。

Could not this illness of your husband’s be the Buddha’s design, because the Vimalakīrti and Nirvana sutras both teach that sick people will surely attain Buddhahood?

Your illness must be the work of the Buddha, just as described in the Vimalakirti and the Nirvana Sutra. These sutras describe the reason why those who are ill should be able to attain Buddhahood.

病によりて道心はをこり候なり。

Illness gives rise to the resolve to attain the way.

Illness can motivate one to pursue the path to supreme enlightenment.


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by johsei1129 | 2016-11-29 21:48 | PASSAGE OF NICHIREN | Comments(0)
2016年 11月 29日

Gosho 可延定業御書 On Immutable and Mutable Karma

可延定業御書(かえんじょうごうごしょ)

On Prolonging One’s Life Span

On Immutable and Mutable Karma


文永十二年二月七日 五十四歳御作

February7, 1275 Age: 54


(ごう)に二あり、一には定業(じょうごう)二には()定業(じょうごう)

Karma also may be divided into two categories: fixed and unfixed.

There are two types of karma, immutable and mutable.

定業すら()く能く懺悔(さんげ)すれば必ず消滅す、(いか)(いわん)や不定業をや。

Sincere repentance will eradicate even fixed karma, to say nothing of karma that is unfixed.

Sincere repentance will make even immutable karma vanish. How much more is this so with mutable karma.


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by johsei1129 | 2016-11-29 21:11 | PASSAGE OF NICHIREN | Comments(0)
2016年 11月 28日

Gosho 聖愚問答抄 Question and Answers between a Sage and a Foolish Man

聖愚問答抄(しょうぐもんどうしょう)

Conversation between a Sage and an Unenlightened Man

Question and Answers between a Sage and a Foolish Man


     文永五年 四十七歳御作

               1268 (Age:47)


()れ生を受けしより死を免れざる(ことわ)りは賢き御門(みかど)より(いやし)き民に至るまで人ごとに是を知るといへども、実に是を大事とし是を(なげ)く者千万人に一人も有がたし、

Having received life, one cannot escape death. Yet though everyone, from the noblest, the emperor, on down to the lowliest commoner, recognizes this as a fact, not even one person in a thousand or ten thousand truly takes the matter seriously or grieves over it.

Everyone, from the noble emperor down to lowly commoners, knows that one cannot escape death once being born. Yet not a single person in ten million has seriously considered this as an important matter or has grieved over it.

無常の(げん)()するを見ては(うと)きをば恐れ(したし)きをば歎くといへども、

Suddenly confronted with evidence of the impermanence of life, we may be frightened at the thought that we have remained so distant from Buddhism and lament that we have been too engrossed in secular affairs.

先立つははか(果敢)なく(とどま)るはかしこきやうに思いて、

Yet we assume that those who have preceded us in death are wretched, and that we who remain alive are superior.

昨日は()のわざ、今日は此の事とて(いたず)らに世間の五(よく)にほだされて、

Busy with that task yesterday and this affair today, we are helplessly bound by the five desires of our worldly nature.

白駒のかげ過ぎやすく羊の歩み近づく事をしらずして、

Unaware that time passes as quickly as a white colt glimpsed through a crack in the wall, ignorant as sheep being led to the slaughter,

(むな)しく衣食の獄につながれ徒らに名利の穴にをち、三()の旧里に帰り、六道のちまたに輪回(りんね)せん事、

held hopeless prisoners by our concern for food and clothing, we fall heedlessly into the snares of fame and profit and in the end make our way back to that familiar village in the three evil paths, where we are reborn time after time in the realm of the six paths.

Also, we are helplessly confined within a prison of worry about food and clothing, fruitlessly falling into a trap of chasing fame and fortune, only to return to the familiar neighborhood of the three evil paths and endlessly transmigrating the six paths.

心有らん人誰か歎かざらん誰か悲しまざらん。

What person of feeling could fail to grieve at such a state of affairs, or could fail to be moved to sorrow!

Among those understanding this state of affairs, who will not grieve, who not feel sorrow?


つづくContinued


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by johsei1129 | 2016-11-28 22:30 | PASSAGE OF NICHIREN | Comments(0)
2016年 11月 28日

報恩抄 要点解説その一

報恩抄は日蓮大聖人が十二歳に安房の清澄寺に登り十六歳で得度し是生房連長の法名を賜った、師・道善坊の死を弔うとともに、真の「報恩」について解き明かされた法門です。
大聖人は直弟子日向を使として本抄を清澄寺の兄弟子「浄顕房と義浄房」宛に持参させ、故道善房の墓前で本抄を拝読させておられます。
八万四千宝蔵といわれる釈尊の一切経のなかで、最第一の『法』である『妙法蓮華経』を流布し、一切衆生を救済することこそが、師への報恩であることを示されておられます。
尚、御真筆は身延久遠寺にありましたが、明治八年の大火により焼失されましたが、池上本門寺他五箇所に断簡が所蔵に残されておられます。

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[報恩抄御真筆 断簡(池上本門寺蔵)]

いかにいわうや仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか。

譬へば衆盲をみちびかんには生盲の身にては橋河をわたしがたし。方風を弁えざらん大舟は諸商を導きて宝山にいたるべしや。仏法を習い極めんとをもはばいとまあらずば叶うべからずいとまあらんとをもはば父母・師匠・国主等に随いては叶うべからず是非につけて出離の道をわきまへざらんほどは父母・師匠等の心に随うべからず。
この義は諸人をもはく顕にもはづれ冥にも叶うまじとをもう、しかれども外典の孝経にも父母主君に随はずして忠臣・孝人なるやうもみえたり、内典の仏経に云く「恩を棄て無為に入るは真実報恩の者なり」等云云。比干が王に随わずして賢人のなをとり悉達太子の浄飯大王に背きて三界第一の孝となりしこれなり。

 かくのごとく存して父母・師匠等に随わずして仏法をうかがひし程に一代聖教をさとるべき明鏡十あり。所謂る倶舎・成実・律宗・法相・三論・真言・華厳・浄土・禅宗・天台法華宗なり。
此の十宗を明師として一切経の心をしるべし世間の学者等おもえり。
此の十の鏡はみな正直に仏道の道を照せりと小乗の三宗はしばらく・これををく、民の消息の是非につけて他国へわたるに用なきがごとし。
大乗の七鏡こそ生死の大海をわたりて浄土の岸につく大船なれば、此を習いほどひて我がみも助け人をも・みちびかんとおもひて習ひみるほどに、大乗の七宗いづれも・いづれも自讃あり我が宗こそ一代の心はえたれ・えたれ等云云』と。

報恩抄 要点解説その二に続く


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by johsei1129 | 2016-11-28 20:47 | 報恩抄(御書五大部) | Comments(0)
2016年 11月 27日

Gosho 持妙法華問答抄 Questions and Answers on Embracing the Lotus Sutra

(なんじ)仏にならんと思はば(まん)はた()ほこをたを()忿(いか)りの(つえ)をすてて(ひとえ)に一乗に()すべし、

Now, if you wish to attain Buddhahood, you have only to lower the banner of your arrogance, cast aside the staff of your anger, and devote yourself exclusively to the one vehicle of the Lotus Sutra.

If you seek to become a Buddha, you should lay down the banner of arrogance, cast away the stave of anger, and devote yourself solely to the one vehicle of the Lotus Sutra.

名聞名利は今生(こんじょう)のかざり、我慢(がまん)偏執(へんしゅう)は後生の()だしなり、

Worldly fame and profit are mere baubles of your present existence, and arrogance and prejudice are ties that will fetter you in the next one.

Fame and honor are nothing more than decoration in this life. Arrogance and attachment to biased views are hindrances in attaining Buddhahood in your future existences.

嗚呼(ああ)恥づべし恥づべし、恐るべし恐るべし。

 Ah, you should be ashamed of them! And you should fear them, too!

You should be ashamed of them! You should fear them!


つづくContinued


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by johsei1129 | 2016-11-27 22:11 | PASSAGE OF NICHIREN | Comments(0)
2016年 11月 27日

選時抄 要点解説その五

日蓮大聖人は『日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一たい・一微塵のごとし、法華経を二人・三人・十人・百千万億人・唱え伝うるほどならば妙覚の須弥山ともなり大涅槃の大海ともなるべし仏になる道は此れよりほかに又もとむる事なかれ』と、断じられるとともに、本抄の終段で信徒に向け『されば我が弟子等心みに法華経のごとく身命もおしまず修行して此の度仏法を心みよ』と、説き、法華経の修行に一層励むよう諭されます。

『譬えば「一切の川流江河の諸水の中に海これ第一なるが如く、法華経を持つ者も亦復是くの如し。又衆星の中に月天子最もこれ第一なるが如く、法華経を持つ者も亦復是くの如し」等と御心えあるべし。当世日本国の智人等は衆星のごとし、日蓮は満月のごとし。
<中略>
「経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賤憎嫉して結恨を懐かん乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」等云云。教主釈尊の金言まことならば多宝仏の証明たがずば十方の諸仏の舌相一定ならば今日本国の一切の衆生・無間地獄に堕ちん事疑うべしや。
法華経の八の巻に云く「若し後の世に於て是の経典を受持し読誦せん者は乃至諸願虚しからず、亦現世に於て其の福報を得ん」、又云く「若し之を供養し讃歎すること有らん者は当に今世に於て現の果報を得べし」等云云。

此の二つの文の中に亦於現世・得其福報の八字・当於今世・得現果報の八字・已上十六字の文むなしくして日蓮今生に大果報なくば如来の金言は提婆が虚言に同じく、多宝の証明は倶伽利が妄語に異ならじ。謗法の一切衆生も阿鼻地獄に堕つべからず、三世の諸仏もましまさざるか。
されば我が弟子等心みに法華経のごとく身命もおしまず修行して此の度仏法を心みよ、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経』と。
<中略>
されば此の経文のごときんば法華経を一切経の頂にありと申すが法華経の行者にてはあるべきか。而るを又国王に尊重せらるる人人あまたありて、法華経にまさりてをはする経経ましますと申す人にせめあひ候はん時、かの人は王臣に御帰依あり法華経の行者は貧道なるゆへに、国こぞつてこれをいやしみ候はん時、不軽菩薩のごとく賢愛論師がごとく申しつをらば身命に及ぶべし、此れが第一の大事なるべしとみへて候。此の事は今の日蓮が身にあたれり。予が分斉として弘法大師・慈覚大師・善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵なんどを法華経の強敵なり経文まことならば無間地獄は疑なしなんど申すは裸形にて大火に入るはやすし、須弥を手にとてなげんはやすし大石を負うて大海をわたらんはやすし、日本国にして此の法門を立てんは大事なるべし云云。
  霊山浄土の教主釈尊・宝浄世界の多宝仏・十方分身の諸仏・地涌千界の菩薩等・梵釈・日月・四天等、(法華経の行者を)冥に加し顕に助け給はずば一時一日も安穏なるべしや。





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by johsei1129 | 2016-11-27 18:36 | 撰時抄(御書五大部) | Comments(0)
2016年 11月 27日

Gosho 治病大小権実違目 The Treat of Illness

治病大小権実違目(じびょうだいしょうごんじついもく)

The Treatment of Illness

Curing Illness through Different Teachings, such as Hinayana, Mahayana, the Pre-Lotus Sutra, and the Lotus Sutra


弘安元年六月二十六日 五十七歳御作

                June 26, 1278 (Age: 57


法華宗の心は一念三千・性悪性(しょうあくしょう)(ぜん)・妙覚の位に(なお)備われり

The heart of the Lotus school is the doctrine of three thousand realms in a single moment of life, which reveals that both good and evil are inherent even in those at the highest stage of perfect enlightenment.

元品(がんぽん)法性(ほっしょう)梵天(ぼんてん)帝釈(たいしゃく)等と顕われ、元品の()(みょう)は第六天の魔王と顕われたり。

The fundamental nature of enlightenment manifests itself as Brahmā and Shakra, whereas the fundamental darkness manifests itself as the devil king of the sixth heaven.

The true nature of the fundamental Law manifests itself as Heavenly King Diabon, Heavenly King Taishaku and others, while fundamental darkness manifests itself as the Devil King of the Sixth Heaven.


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by johsei1129 | 2016-11-27 16:52 | PASSAGE OF NICHIREN | Comments(0)