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2016年 02月 29日

在家の御身は余念もなく日夜朝夕・南無妙法蓮華経と唱え候て最後臨 終の時を見させ給へ、妙覚の山に走り登り四方を御覧ぜよ、と記された【松野殿御返事】

【松野殿御返事】
■出筆時期:建治三年(1277年)九月九日 五十六歳御作。
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本消息を宛てられた松野殿は駿河・庵原(いはら)郡松野の郷主で、娘は南条家に嫁ぎ南条時光の母となっており、謂わば時光の外祖父であります。また子息の一人は出家し六老僧の一人日持となります。松野殿は翌年の弘安元年十一月に逝去なされており、本消息を賜った頃はあるいは病身であったのではと思われ、大聖人は本抄で「余念もなく日夜朝夕・南無妙法蓮華経と唱え候て最後臨終の時を見させ給へ、妙覚の山に走り登り四方を御覧ぜよ」と法華経への信心を励まされたのではと推察されます。

松野殿への御消息は十二通伝えられておりますが、その中で建治二年十二月九日に与えられた消息では松野殿が大聖人に「聖人の唱えさせ給う題目の功徳と我れ等が唱へ申す題目の功徳と何程の多少候べきや」と問われ「勝劣あるべからず候、其の故は愚者の持ちたる金も智者の持ちたる金も、愚者の然せる火も智者の然せる火も其の差別なきなり。但し此の経の心に背いて唱へば其の差別有るべきなり。<中略>果を列ぬ悪の因に十四あり」と記され、成仏を妨げる「十四誹謗」を説かれた貴重な御消息【松野殿御返事(十四誹謗抄)】賜っておられます。
尚、追伸の「目連樹十両計り給はり候べく候」とは実を数珠の珠にする目連樹という木を大聖人が上野殿に求めている意味となります。
■ご真筆:現存しておりません。

【松野殿御返事 本文】
鵞目一貫文・油一升・衣一・筆十管給い候、今に始めぬ御志申し尽しがたく候へば法華経・釈迦仏に任せ奉り候。

先立より申し候、但在家の御身は余念もなく日夜朝夕・南無妙法蓮華経と唱え候て最後臨終の時を見させ給へ、妙覚の山に走り登り四方を御覧ぜよ。
法界は寂光土にして瑠璃を以て地とし・金繩を以て八の道をさかひ、天より四種の花ふり虚空に音楽聞え、諸仏・菩薩は皆常楽我浄の風にそよめき給へば・我れ等も必ず其の数に列ならん。
法華経はかかる・いみじき御経にて・をはしまいらせ候。
委細はいそぎ候間申さず候、恐恐謹言。

建治三年丁丑九月九日   日 蓮 花 押
松野殿御返事
追て申し候目連樹十両計り給はり候べく候




by johsei1129 | 2016-02-29 22:17 | 弟子・信徒その他への消息 | Comments(0)
2016年 02月 29日

GOSHO 上野殿御返事(孝不孝御書) On Filial and Unfilial Conduct 2

不孝をもつて思ふに孝養の功徳のおほ()きなる事も・()られたり、

By considering the results of unfilial conduct, we can understand how great the benefit of filial conduct must be.

By learning the consequences of unfilial behavior, we can grasp how wonderful the merit of filial conduct must be.

外典(げてん)三千余巻は他事なし・ただ父母の孝養ばかりなり、

The more than three thousand volumes of non-Buddhist scriptures concern no other matters; they teach nothing but filial conduct toward one’s father and mother.

The more than three thousand volumes of non-Buddhist writings address no other themes; they solely teach the importance of caring for one’s father and mother.

しかれども現世(げんぜ)をやしなひて後生をたすけず。

Yet though with these teachings one may fulfill one’s duties to one’s parents in the present life, one will be unable to help them in their life to come.

But the care they teach is limited to the current existence and can provide no aid after death.

父母の恩のおも()き事は大海のごとし・現世をやし()なひ後生をたすけざれば・一(たい)のごとし、

The debt of gratitude owed to one’s father and mother is as vast as the ocean. If one cares for them while they are alive but does nothing to help them in their next life, it will be like a mere drop of water.

One’s debt of gratitude owed to one’s father and mother is as deep as the sea, but if he cares for them in this life alone, ignoring their lives after death, it is comparable to only a drop of water.

内典五千余巻又他事なし・ただ孝養の功徳を()けるなり。

The more than five thousand volumes of Buddhist scriptures likewise concern nothing else; they simply set forth the merits of filial piety.

The more than five thousand volumes of Buddhist writings also address no other themes; they solely teach the merit of caring for one’s father and mother.

しかれども如来(にょらい)四十余年の説教は孝養に()たれども・その説いまだあら()はれず・孝が中の不孝なるべし。

However, though the Thus Come One’s first forty years and more of teachings may seem to be about filial conduct, he did not reveal in them the true teaching on this matter. Therefore, though they appear to fall within the realm of teachings on filial conduct, they are in fact unfilial.

Although the Buddha’s over forty years of teachings prior to the Lotus Sutra seem to be about filial conduct, in fact, they leave the teaching of true filial piety unrevealed, and because they are incomplete, they are, ultimately, unfilial.


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by johsei1129 | 2016-02-29 22:07 | PASSAGE OF NICHIREN | Comments(0)
2016年 02月 29日

法華取要抄文段 四 「生死の長夜を照す大燈・元品の無明を切る利剣は此の法門に過ぎざるか」

  
  問う、略して難易(なんい)を知るの相如何(いかん)

  答う、(また)妙判あり。今引いて之を示さん。難信難解抄十七・三十五に云く「外道(げどう)の経は()(しん)()()・小乗経は難信難解・小乗経は易信易解・大日経等は難信難解・大日経等は易信易解・般若(はんにゃ)経は難信難解なり・般若と華厳(けごん)と・華厳と涅槃(ねはん)と・涅槃と法華と・迹門と本門と・重重の難易あり。問うて云く此の義を知つて何の(せん)か有る、答えて云く生死(しょうじ)の長夜を照す大燈(だいとう)元品(がんぽん)無明(むみょう)を切る利剣は此の法門に過ぎざるか」已上。

  此の中に七重の難易あり。伝教云く「易信易解は(ずい)他意(たい)の故なり。難信難解は(ずい)自意(じい)の故なり」云云。随他意は是れ衆生の(こころ)に随う、故に信じ(やす)()し易し。随自意は(ただ)ちに仏意に随う、故に信じ難く解し難きなり。大日経は是れ方等部の(しょう)なり。故に知んぬ、通じて方等部を指すなり。「生死の長夜」とは、唯識論に云く「(いま)だ真覚を得ず、(つね)に夢中に()る、故に仏説いて生死の長夜と為す」文。(しゃ)(せき)一巻二十四ヲ。「真覚」とは即ち真仏なり。(すで)に覚者と名づくるが故なり。  

  当に知るべし、()(ぜん)・迹門の仏は(いま)だ本門寿量の真仏を得ざれば、(なお)是れ夢中の虚仏(こぶつ)なり。故に「未だ真覚を得ず、恒に夢中に()る」と云うなり。(また)爾前・迹門の仏は未だ元品の無明を断ぜず。故に惑者(わくしゃ)と名づけ、亦賢位と名づくるなり。当体義抄二十三に云く「爾前迹門の当分(とうぶん)(みょう)(かく)の位有りと雖も本門寿量の真仏(しんぶつ)に望むる時は惑者(わくしゃ)()(けん)()()ると云わるる者なり、(ごん)(きょう)の三(じん)未だ無常を免れざる故は夢中(むちゅう)虚仏(こぶつ)なるが故なり」云云。

(まさ)に知るべし、爾前・迹門の間は仏(なお)生死の長夜に迷い、未だ元品の無明を断ぜず。(いか)(いわん)や所化の衆生をや。故に権実の浅深を弁じ、本迹の勝劣を知って、(ただ)本門寿量の教主の金言を信じて南妙法蓮華経と唱うべし。()(しか)らば生死の長夜を照らし、元品の無明を切って、倶体(くたい)()(ゆう)無作(むさ)三身・本門寿量の真仏と顕れん事、(あに)(うたがい)有らんや。故に「此の法門に過ぎざるか」と云うなり。

  問う、略して先後を知るの相如何(いかん)

  答う、(また)祖判の中に文理(もんり)分明(ふんみょう)なり。録外第七・二十二に云く「法華経の第七の巻を見候へば『如来の滅後において仏の所説の経の因縁(いんねん)及び次第を知り義に随って実の如く説かん、日月の光明の()(もろもろ)幽冥(ゆうみょう)を除くが如く()の人世間に行じて能く衆生の(やみ)を滅す』等云云。文の意は此の法華経を一字も一句も説く人は必ず一代聖教の浅深と・次第とを()(わきま)えたらむ人の説くべき事に候。(たと)へば暦の三百六十日をかんがうるに一日も相違せば万日(とも)に返逆すべし三十(みそ)一字(ひともじ)連ねたる一字・一句も相違せば三十一字共に歌にて有るべからず(いわゆ)る一経を読誦すとも始め寂滅道場より終り双林(そうりん)最後にいたるまで次第と浅深とに迷惑せば・其の人は我が身に五逆を作らずして無間(むけん)地獄に入り・此れを帰依せん檀那も阿鼻(あび)地獄()つべし」(神国王御書)等云云。

所引の文中に「一代聖教の浅深と次第」とは(しばら)く浅深を()げて勝劣・難易を知らしむるなり。次第は即ち是れ今文の「先後」の両字なり。(しか)れば則ち爾前・迹門・本門・文底の勝劣・浅深・難易・先後・()之を弁ずべし云云。

  問う、浅深を知って何の(せん)有りや。

  答う、伝教大師云く「浅きは(やす)く深きは(かた)しとは釈迦の所判(しょはん)なり。浅きを去って深きに()くは丈夫(じょうぶ)の心なり」云云。

  問う、前後を知って何の(せん)有りや。

  答う、華厳玄談五・二十七に云く「譬えば世の(こう)(ちょく)の前勅を破るが如し。涅槃法華は最後に()る故に能く有余(ゆうよ)の義を決了するのみ」文。宗祖三十一・二に云く「仏説すでに(おおい)に分れて二途なり、譬へば世間の父母の(ゆずり)の前判後判のごとし、(はた)(また)世間の前判後判は如来の金言をまなびたるか、孝不孝の根本は前判後判の(ゆう)不用(ふゆう)より事をこれり」云云。

一 ()(けん)に任せて之を(わきま)えんとすれば其の分に及ばず

(むね)()って之を知らんとすれば点の如し。

「其の分に及ばず」とは日蓮の智分に及ばずとなり。是れ()(けん)の言なり。


              つづく

目 次 

by johsei1129 | 2016-02-29 21:28 | 日寛上人 御書文段 | Comments(0)
2016年 02月 28日

凡そ法華経は無量千万億の已説・今説・当説に最も第一なり、と説いた【真言見聞】

【真言見聞】
■出筆時期:文永九年(1272年)七月 五十一歳御作。
■出筆場所:佐渡 一の谷入道の屋敷にて。
■出筆の経緯:本書は弟子、三位房日行に与えられた書です。大聖人は立正安国論で法然の「選択集」を、「一代の聖教を破し遍く十方の衆生を迷わす」とし「念仏無限」の思いを記されておられましたが、佐渡流罪以降「真言亡国」の思いを強め、真言破析の法門を次々と著していきます。

本書もそのひとつですが、後段では「真言七重難」と題し、真言への論難を弟子・信徒の教化のため、要点を実にわかやすく論じられておられます。
■ご真筆:現存しておりません。

【真言見聞 本文】
問う真言亡国とは証文何なる経論に出ずるや、答う法華誹謗・正法向背の故なり、問う亡国の証文之無くば云何に信ず可きや、答う謗法の段は勿論なるか若し謗法ならば亡国堕獄疑い無し、凡そ謗法とは謗仏・謗僧なり三宝一体なる故なり是れ涅槃経の文なり、爰を以て法華経には「則ち一切世間の仏種を断ず」と説く是を即ち一闡提と名づく涅槃経の一と十と十一とを委細に見る可きなり、罪に軽重有れば獄に浅深を構えたり、殺生・偸盗等乃至一大三千世界の衆生を殺害すれども等活黒繩等の上七大地獄の因として無間に堕つることは都て無し、阿鼻の業因は経論の掟は五逆・七逆・因果撥無・正法誹謗の者なり、但し五逆の中に一逆を犯す者は無間に堕つと雖も一中劫を経て罪を尽して浮ぶ、一戒をも犯さず道心堅固にして後世を願うと雖も法華に背きぬれば無間に堕ちて展転無数劫と見えたり、

然れば則ち謗法は無量の五逆に過ぎたり、是を以て国家を祈らんに天下将に泰平なるべしや、諸法は現量に如かず承久の兵乱の時・関東には其の用意もなし国主として調伏を企て四十一人の貴僧に仰せて十五壇の秘法を行はる、其の中に守護経の法を紫宸殿にして御室始めて行わる七日に満ぜし日・京方負け畢んぬ亡国の現証に非ずや、是は僅に今生の小事なり権教・邪法に依つて悪道に堕ちん事浅ましかるべし。

問う権教邪宗の証文は如何既に真言教の大日覚王の秘法は即身成仏の奥蔵なり、故に上下一同に是の法に帰し天下悉く大法を仰ぐ海内を静め天下を治むる事偏に真言の力なり、権教・邪法と云う事如何、答う権教と云う事・四教含蔵・帯方便の説なる経文顕然なり、然れば四味の諸教に同じて久遠を隠し二乗を隔つ況んや尽形寿の戒等を述ぶれば小乗権教なる事疑無し、爰を以て遣唐の疑問に禅林寺の広修・国清寺の維けんの決判分明に方等部の摂と云うなり、疑つて云く経文の権教は且く之を置く唐決の事は天台の先徳・円珍大師之を破す、

大日経の指帰に「法華すら尚及ばず況や自余の教をや」云云、既に祖師の所判なり誰か之に背く可きや、決に云く「道理前の如し」依法不依人の意なり但し此の釈を智証の釈と云う事不審なり、其の故は授決集の下に云く「若し法華・華厳・涅槃等の経に望めば是れ摂引門」と云へり、広修・維けんを破する時は法華尚及ばずと書き授決集には是れ摂引門と云つて二義相違せり指帰が円珍の作ならば授決集は智証の釈に非ず、授決集が実ならば指帰は智証の釈に非じ、今此の事を案ずるに授決集が智証の釈と云う事天下の人皆之を知る上、公家の日記にも之を載せたり指帰は人多く之を知らず公家の日記にも之無し、此を以つて彼を思うに後の人作つて智証の釈と号するが能く能く尋ぬ可き事なり、授決集は正しき智証の自筆なり、密家に四句の五蔵を設けて十住心を立て論を引き伝を三国に寄せ家家の日記と号し我が宗を厳るとも皆是れ妄語胸臆の浮言にして荘厳己義の法門なり、

所詮法華経は大日経より三重の劣・戯論の法にして釈尊は無明纒縛の仏と云う事慥なる如来の金言経文を尋ぬ可し、証文無くんば何と云うとも法華誹謗の罪過を免れず此の事当家の肝心なり返す返す忘失する事勿れ、何れの宗にも正法誹謗の失之有り対論の時は但此の一段に在り仏法は自他宗異ると雖も翫ぶ本意は道俗・貴賤・共に離苦得楽・現当二世の為なり、謗法に成り伏して悪道に堕つ可くば文殊の智慧・富楼那の弁説一分も無益なり無間に堕つる程の邪法の行人にて国家を祈祷せんに将た善事を成す可きや、顕密対判の釈は且らく之を置く華厳に法華劣ると云う事能く能く思惟す可きなり、

華厳経の十二に云く四十華厳なり「又彼の所修の一切功徳六分の一常に王に属す○是くの如く修及び造を障る不善所有の罪業六分の一還つて王に属す」文、六波羅蜜経の六に云く「若し王の境内に殺を犯す者有れば其の王便ち第六分の罪を獲ん偸盗・邪行・及び妄語も亦復是くの如し何を以ての故に若しは法も非法も王為れ根本なれば罪に於いても福に於いても第六の一分は皆王に属するなり」云云、最勝王経に云く「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に他方の怨賊来り国人喪乱に遭わん」等云云、

大集経に云く「若し復諸の刹利国王・諸の非法を作し世尊の声聞の弟子を悩乱し若しは以て毀罵し刀杖もて打斫し及び衣鉢種種の資具を奪い若しは他の給施に留難を作す者有らば、我等彼をして自然に卒に他方の怨敵を起さしめ及び自の国土にも亦兵起・疫病・饑饉・非時風雨・闘諍言訟せしめ又其の王久しからずして復当に己が国を亡失すべからしむ」云云、大三界義に云く「爾の時に諸人共に聚りて衆の内に一の有徳の人を立て名けて田主と為して各所収の物六分の一を以て以て田主に貢輸す一人を以て主と為し政法を以て之を治む、これに因つて以後・刹利種を立て大衆欽仰して恩率土に流る復・大三末多王と名ずく」已上倶舎に依り之を出すなり。

顕密の事、無量義経十功徳品に云く第四功徳の下「深く諸仏秘密の法に入り演説す可き所違無く失無し」と、抑大日の三部を密説と云ひ法華経を顕教と云う事金言の所出を知らず、所詮真言を密と云うは是の密は隠密の密なるか微密の密なるか、物を秘するに二種有り一には金銀等を蔵に篭むるは微密なり、二には疵・片輪等を隠すは隠密なり、然れば則ち真言を密と云うは隠密なり其の故は始成と説く故に長寿を隠し二乗を隔つる故に記小無し、此の二は教法の心髄・文義の綱骨なり、微密の密は法華なり、然れば則ち文に云く四の巻法師品に云く「薬王此の経は是れ諸仏秘要の蔵なり」云云、五の巻安楽行品に云く「文殊師利・此の法華経は諸仏如来秘密の蔵なり諸経の中に於て最も其の上に在り」云云、寿量品に云く「如来秘密神通之力」云云、如来神力品に云く「如来一切秘要之蔵」云云、

しかのみならず真言の高祖・竜樹菩薩・法華経を秘密と名づく二乗作仏有るが故にと釈せり、次に二乗作仏無きを秘密とせずば真言は即ち秘密の法に非ず、所以は何ん大日経に云く「仏・不思議真言相道の法を説いて一切の声聞・縁覚を共にせず亦世尊普く一切衆生の為にするに非ず」云云、二乗を隔つる事前四味の諸教に同じ、随つて唐決には方等部の摂と判ず経文には四教含蔵と見えたり、大論第百巻に云く第九十品を釈す「問うて曰く更に何れの法か甚深にして般若に勝れたる者有つて般若を以て阿難に嘱累し而も余の経をば菩薩に嘱累するや、答えて曰く般若波羅蜜は秘密の法に非ず而も法華等の諸経に阿羅漢の受決作仏を説いて大菩薩能く受用す譬えば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し」等云云、

玄義の六に云く「譬えば良医の能く毒を変じて薬と為すが如く二乗の根敗反た復すること能わず之を名づけて毒と為す今経に記を得るは即ち是れ毒を変じて薬と為す、故に論に云く余経は秘密に非ずとは法華を秘密と為せばなり、復本地の所説有り諸経に無き所後に在つて当に広く明すべし」云云、籤の六に云く「第四に引証の中・論に云く等と言うは大論の文証なり秘密と言うは八経の中の秘密には非ず但是れ前に未だ説かざる所を秘と為し開し已れば外無きを密と為す」文、文句の八に云く「方等般若に実相の蔵を説くと雖も亦未だ五乗の作仏を説かず亦未だ発迹顕本せず頓漸の諸経は皆未だ融会せず故に名づけて秘と為す」文、記の八に云く「大論に云く法華は是れ秘密・諸の菩薩に付すと、今の下の文の如きは下方を召すに尚本眷属を待つ験けし余は未だ堪えざることを」云云、秀句の下に竜女の成仏を釈して「身口密なり」と云えり云云、此等の経論釈は分明に法華経を諸仏は最第一と説き秘密教と定め給へるを経論に文証も無き妄語を吐き法華を顕教と名づけて之を下し之を謗ず豈大謗法に非ずや。

抑も唐朝の善無畏金剛智等法華経と大日経の両経に理同事勝の釈を作るは梵華両国共に勝劣か、法華経も天竺には十六里の宝蔵に有れば無量の事有れども流沙・葱嶺等の険難・五万八千里・十万里の路次容易ならざる間・枝葉をば之を略せり、此等は併ながら訳者の意楽に随つて広を好み略を悪む人も有り略を好み広を悪む人も有り、然れば則ち玄弉は広を好んで四十巻の般若経を六百巻と成し、羅什三蔵は略を好んで千巻の大論を百巻に縮めたり、印契・真言の勝るると云う事是を以て弁え難し、羅什所訳の法華経には是を宗とせず不空三蔵の法華の儀軌には印・真言之有り、仁王経も羅什の所訳には印・真言之無し不空所訳の経には之を副えたり知んぬ是れ訳者の意楽なりと、其の上法華経には「為説実相印」と説いて合掌の印之有り、譬喩品には「我が此の法印・世間を利益せんと欲するが為の故に説く」云云、此等の文如何只広略の異あるか、又舌相の言語・皆是れ真言なり、法華経には「治生の産業は皆実相と相違背せず」と宣べ、亦「是れ前仏経中に説く所なり」と説く此等は如何、真言こそ有名無実の真言・未顕真実の権教なれば成仏得道跡形も無く始成を談じて久遠無ければ性徳本有の仏性も無し、三乗が仏の出世を感ずるに三人に二人を捨て三十人に二十人を除く、「皆令入仏道」の仏の本願満足す可からず十界互具は思いもよらず・まして非情の上の色心の因果争か説く可きや。

然らば陳隋二代の天台大師が法華経の文を解りて印契の上に立て給へる十界互具・百界千如・一念三千を善無畏は盗み取つて我が宗の骨目とせり、彼の三蔵は唐の第七玄宗皇帝の開元四年に来る如来入滅より一千六百六十四年か、開皇十七年より百二十余年なり何ぞ百二十余年已前に天台の立て給へる一念三千の法門を盗み取つて我が物とするや、而るに己が依経たる大日経には衆生の中に機を簡ひ前四味の諸経に同じて二乗を簡へり、まして草木成仏は思いもよらずされば理を云う時は盗人なり、又印契・真言何れの経にか之を簡える若し爾れば大日経に之を説くとも規模ならず、一代に簡われ諸経に捨てられたる二乗作仏は法華に限れり、二乗は無量無辺劫の間・千二百余尊の印契真言を行ずとも法華経に値わずんば成仏す可からず、印は手の用・真言は口の用なり其の主が成仏せざれば口と手と別に成仏す可きや、一代に超過し三説に秀でたる二乗の事をば物とせず事に依る時は印真言を尊む者・劣謂勝見の外道なり。

無量義経説法品に云く「四十余年・未顕真実」文、一の巻に云く「世尊は法久くして後要ず当に真実を説きたもうべし」文、又云く「一大事の因縁の故に世に出現したもう」文、

四の巻に云く「薬王今汝に告ぐ我が所説の諸経あり而も此の経の中に於て法華最も第一なり」文、又云く「已に説き今説き当に説かん」文、宝塔品に云く「我仏道を為つて無量の土に於て始より今に至るまで広く諸経を説く而も其の中に於て此の経第一なり」文、安楽行品に云く「此の法華経は是れ諸の如来第一の説なり諸経の中に於て最も為甚深なり」文、又云く「此の法華経は諸仏如来秘密の蔵なり諸経の中に於て最も其の上に在り」文、薬王品に云く「此の法華経も亦復是くの如し諸経の中に於て最も為其の上なり」文、又云く「此の経も亦復是くの如し諸経の中に於て最も為其の尊なり」文、

又云く「此の経も亦復是の如し諸経の中の王なり」文、又云く「此の経も亦復是の如し一切の如来の所説若しは菩薩の所説若しは声聞の所説諸の経法の中に最為第一なり」等云云、玄の十に云く「又・已今当の説に最も為れ難信難解・前経は是れ已説なり」文、秀句の下に云く「謹んで案ずるに法華経法師品の偈に云く薬王今汝に告ぐ我が所説の諸経あり而も此の経の中に於て法華最も第一なり」文、又云く「当に知るべし已説は四時の経なり」

文、文句の八に云く「今法華は法を論ずれば」云云、記の八に云く「鋒に当る」云云、秀句の下に云く「明かに知んぬ他宗所依の経は是れ王中の王ならず」云云、釈迦・多宝・十方の諸仏・天台・妙楽・伝教等は法華経は真実・華厳経は方便なり、「未だ真実を顕さず正直に方便を捨てて余経の一偈をも受けざれ」「若し人信ぜずして乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」と云云。

弘法大師は「法華は戯論・華厳は真実なり」と云云、何れを用う可きや、宝鑰に云く「此くの如き乗乗は自乗に名を得れども後に望めば戯論と作る」文、又云く「謗人謗法は定めて阿鼻獄に堕せん」文、記の五に云く「故に実相の外は皆戯論と名づく」文、梵網経の疏に云く「第十に謗三宝戒亦は謗菩薩戒と云い或は邪見と云う謗は是れ乖背の名なり。けは是解、・理に称わず。言は実に当らずして異解して説く者を皆名づけて謗と為すなり」文、玄の三に云く「文証無き者は悉く是れ邪偽・彼の外道に同じ」文、弘の十に云く「今の人他の所引の経論を信じて謂いて憑み有りと為して宗の源を尋ねず謬誤何ぞ甚しき」文、

守護章上の中に云く「若し所説の経論明文有らば権実・大小・偏円・半満を簡択す可し」文、玄の三に云く「広く経論を引いて己義を荘厳す」文。

抑弘法の法華経は真言より三重の劣・戯論の法にして尚華厳にも劣ると云う事大日経六巻に供養法の巻を加えて七巻三十一品・或は三十六品には何れの品何れの巻に見えたるや、しかのみならず蘇悉地経三十四品・金剛頂経三巻三品或は一巻に全く見えざる所なり、又大日経並びに三部の秘経には何れの巻・何れの品にか十界互具之有りや都て無きなり、法華経には事理共に有るなり、所謂久遠実成は事なり二乗作仏は理なり、善無畏等の理同事勝は臆説なり信用す可からざる者なり。

凡そ真言の誤り多き中
一、十住心に第八法華・第九華厳・第十真言云云何れの経論に出でたるや。
一、善無畏の四句と弘法の十住心と眼前違目なり何ぞ師弟敵対するや。
一、五蔵を立つる時・六波羅蜜経の陀羅尼蔵を何ぞ必ず我が家の真言と云うや。
一、震旦の人師争つて醍醐を盗むと云う年紀何ぞ相違するや、其の故は開皇十七年より唐の徳宗の貞元四年戊辰の歳に至るまで百九十二年なり何ぞ天台入滅百九十二年の後に渡れる六波羅蜜経の醍醐を盗み給う可きや顕然の違目なり、若し爾れば謗人謗法定堕阿鼻獄というは自責なるや。
一、弘法の心経の秘鍵の五分に何ぞ法華を摂するや能く能く尋ぬ可き事なり。

真言七重難。
一、真言は法華経より外に大日如来の所説なり云云、若し爾れば大日の出世成道・説法利生は釈尊より前か後か如何、対機説法の仏は八相作仏す父母は誰れぞ名字は如何に娑婆世界の仏と云はば世に二仏無く国に二主無きは聖教の通判なり、涅槃経の三十五の巻を見る可きなり、若し他土の仏なりと云はば何ぞ我が主師親の釈尊を蔑にして他方・疎縁の仏を崇むるや不忠なり不孝なり逆路伽耶陀なり、若し一体と云はば何ぞ別仏と云うや若し別仏ならば何ぞ我が重恩の仏を捨つるや、唐尭は老い衰へたる母を敬ひ虞舜は頑なる父を崇む
是一、

六波羅蜜経に云く「所謂過去無量恒伽沙の諸仏世尊の所説の正法・我今亦当に是の如き説を作すべし所謂八万四千の諸の妙法蘊なり○而も阿難陀等の諸大弟子をして一たび耳に聞いて皆悉く憶持せしむ」云云、此の中の陀羅尼蔵を弘法我が真言と云える若し爾れば此の陀羅尼蔵は釈迦の説に非ざるか此の説に違す是二、

凡そ法華経は無量千万億の已説・今説・当説に最も第一なり、諸仏の所説・菩薩の所説・声聞の所説に此の経第一なり諸仏の中に大日漏る可きや、法華経は正直無上道の説・大日等の諸仏長舌を梵天に付けて真実と示し給う是三、

威儀形色経に「身相黄金色にして常に満月輪に遊び定慧智拳の印法華経を証誠す」と、又五仏章の仏も法華経第一と見えたり是四、

「要を以て之を云わば如来の一切所有の法乃至皆此の経に於て宣示顕説す」云云、此等の経文は釈迦所説の諸経の中に第一なるのみに非ず三世の諸仏の所説の中に第一なり此の外・一仏二仏の所説の経の中に法華経に勝れたる経有りと云はば用ゆ可からず法華経は三世不壊の経なる故なり是五、

又大日経等の諸経の中に法華経に勝るる経文之無し是六、

釈尊御入滅より已後天竺の論師二十四人の付法蔵・其の外大権の垂迹・震旦の人師・南三北七の十師・三論法相の先師の中に天台宗より外に十界互具・百界千如・一念三千と談ずる人之無し、若し一念三千を立てざれば性悪の義之無し性悪の義無くば仏菩薩の普現色身・真言両界の漫荼羅・五百七百の諸尊は本無今有の外道の法に同ぜんか、若し十界互具・百界千如を立てば本経何れの経にか十界皆成の旨之を説けるや、天台円宗見聞の後・邪智荘厳の為に盗み取れる法門なり、才芸を誦し浮言を吐くには依る可からず正しき経文・金言を尋ぬ可きなり是七。

涅槃経の三十五に云く「我処処の経の中に於て説いて言く一人出世すれば多人利益す一国土の中に二の転輪王あり一世界の中に二仏出世すといわば是の処有ること無し」文、大論の九に云く「十方恒河沙の三千大千世界を名づけて一仏世界と為す是の中に更に余仏無し実には一(ひとり)の釈迦牟尼仏なり」文、記の一に云く「世には二仏無く国には二主無し一仏の境界には二の尊号無し」文、持地論に云く「世に二仏無く国に二主無く一仏の境界に二の尊号無し」文。

七月 日日 蓮 花 押



by johsei1129 | 2016-02-28 20:51 | 重要法門(十大部除く) | Comments(0)
2016年 02月 28日

GOSHO 上野殿御返事(孝不孝御書) On Filial and Unfilial Conduct 1


                弘安三年三月八日 五十九歳御作

     8 March1280(Age:59)

()上野殿・御忌日(きじつ)の僧膳料米一た()ら・たしかに()び候い(おわ)んぬ、

I have received your gift of a sack of rice, sent in donation for a memorial service on the anniversary of Ueno’s passing.

I have received your offering of one bundle of rice given to mark the anniversary of the passing of [your father] Lord Ueno.

御仏(みほとけ)(きょう)しまいらせて自我偈(じがげ)一巻よみまいらせ候べし。

I will offer it in the presence of the Buddha and recite the verse section of the “Life Span” chapter of the Lotus Sutra.

I shall offer it to Buddha and receive the Jigage once.

孝養と申すは・まづ不孝を知りて孝をしるべし、

As for the meaning of filial piety, only by first knowing about unfilial behavior can we know what it means to be filial.

The meaning of filial piety can best be understood by first learning about unfilial behavior.

不孝と申すは酉夢(ゆうぼう)と云う者・父を打ちしかば(てん)(らい)身をさく・

As an example of unfilial conduct, a person called Yu-meng once struck his father, and as a result was felled by a bolt of lightning.

One example of an unfilial person is You-meng, who struck his father, and as a consequence was struck down by lightning.

班婦(はんぷ)と申せし者・母をのり()しかば毒蛇(どくじゃ)(きた)りてのみ()き、

Because he cursed his mother, a person called Pan-fu was attacked and devoured by a poisonous snake.

The person Ban-hu cursed her mother and was then swallowed by a venomous serpent.

阿闍(あじゃ)()王・父をころ()せしかば白癩(びゃくらい)(びょう)の人となりにき、()瑠璃(るり)王は親をころ()せしかば河上(かじょう)に火()でて現身に無間(むけん)にをちにき、

King Ajātashatru killed his father, and as a result contracted white leprosy. And because he killed one of his parents, King Virūdhaka was trapped in a burning boat on a river and fell alive into the hell of incessant suffering.

King Ajatashatru contracted white leprosy after murdering his father, and King Virudhaka, who also killed his parent, was consumed in the flames of a burning boat upon a river and, while still alive, fell into the Hell of Incessant Suffering.

 他人をころ()したるには・いまだかくの如くの(ためし)なし。

 In no case have such things befallen someone or killing an unrelated person.

 There have never been cases of people receiving such dramatic effects from killing strangers.


                     つづく Next
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by johsei1129 | 2016-02-28 13:37 | PASSAGE OF NICHIREN | Comments(0)
2016年 02月 28日

法華取要抄文段 三  「教の浅深をしらざれば理の浅深を弁うものなし」


  十三日 

一 ()(おもんみ)れば等

 此の抄、大いに分ちて三と為す。初めに一代諸経の勝劣(しょうれつ)を明かし、次に「問うて云く法華」の下は今経所被(しょひ)の時機を明かし、三に「問うて云く如来滅後の下は末法流布(るふ)の大法を明かすなり。初めの一代諸経の勝劣を明かす(また)。初めに教法の勝劣を明かし、次に「今・法華経」の下は教主に()せて勝劣を判ず。初めの教法の勝劣を明かす、亦二。初めには標、次に「所謂(いわゆる)」の下は釈。  

一 (がっ)()西天より等

  「月氏」の名義に略して三意あり。一には仏日(すで)に没し、賢聖月に出でて凡を導く故に。二には国の形の半月に似たる故に。(いわ)く、北は広く南は(せま)きなり。三には彼の土は大国にして、星の中の月の如きが故に。名義(みょうぎ)の三・十云云。「西天」とは方処(ほうしょ)を指示するの名なり。  

一 漢土(かんど)日本等

  別して「漢土」と云うは、漢代に仏法始めて渡るが故に、又漢の()久しきが故なり。例せば大唐国と云うが如し。

「日本」の名義に略して三意有り。一には日始めて()ずるが故に。二には日神始めに生ずるが故に。三には日の神を本と為すが故に云云。其の(ほか)之を略す。又愚案の十二・十九。 

一 五千七千余巻(よかん)文。

  旧訳(くやく)は五千巻なり。新訳を加えて七千巻なり。

一 (その)中の諸経論の勝劣等

  「勝劣」は能栓の教に約し「(せん)(じん)」は所栓の理に約し「難易(なんい)」は法体(ほったい)に約し「先後(せんご)」は次第に約するなり。

  問う、略して教の勝劣を知るの相如何(いかん)

  答う、宗祖()える有り、今引いて之を示さん。

持妙法華問答抄二一初に云く「(そもそ)(まれ)に人身をうけ(たまた)ま仏法を()けり、(しか)るに法に浅深あり人に高下(こうげ)ありと云へり(いか)なる法を修行して(すみやか)に仏になり候べき、願くは其の道を聞かんと思ふ、答えて云く家家に尊勝あり国国に高貴あり、皆其の君を(たっと)み其の親を(あが)むといへども(あに)国王にまさるべきや、(ここ)に知んぬ大小・権実は家家の(あらそ)ひなれども一代聖教の中には法華(ひと)(すぐ)れたり」已上。本迹(ほんじゃく)相対(また)然なり云云。

問う、略して理の(せん)(じん)を知るの相如何。

答う、宗祖()える有り、今引いて之を示さん。開目抄下二四に云く「黒白のごとく・あきらかに(しゅ)()芥子(けし)のごとくなる勝劣なを()まど()へり・いはんや虚空(こくう)のごとくなる理に迷わざるべしや、教の浅深をしらざれば理の浅深を(わきま)うものなし」等云云。

弘の七末五十七に云く「一期(いちご)の仏教は所栓を以て体と為す。体(また)教に随いて(ごん)(じつ)一ならず」已上。守護章中四十六に云く「(およ)そ能詮の教(ごん)なれば、所詮の理も亦権なり。能詮の教(じつ)なれば、所詮の理も亦実なり」略抄。


                     つづく
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by johsei1129 | 2016-02-28 09:44 | 日寛上人 御書文段 | Comments(0)
2016年 02月 27日

日蓮大聖人が文応元年七月、北条時頼(最明寺入道)に見参の時、禅宗は天魔の所為たるの由を申したと記された書【故最明寺入道見参御書】

【故最明寺入道見参御書】
■出筆時期:文永六年(1269年) 四十八歳御作
■出筆場所:鎌倉 草庵にて。
■出筆の経緯:本書を記された前年に蒙古の国書が幕府に届き『立正安国論』で説いた他国侵逼が的中したことを受け、大聖人は幕府要人並びに他宗派寺院に『十一通御書』を弟子に届けさせます。本書はその翌年に認められましたが、文応元年七月の国家諌暁の際、確かに北条時頼(最明寺入道)に見参し、直接、当時鎌倉武士に広まっていた禅宗は「天魔の所為である由(理由)について申し述べ、『立正安国論』を献じたと記されておられます。
また大聖人が北条時頼(最明寺入道)に見参したことは翌年の文永七年に著された【法門申さるべき様の事】にも次のように認められておられます。
「但し日本国には日蓮一人計りこそ世間・出世・正直の者にては候へ、其の故は故最明寺入道に向つて禅宗は天魔のそいなるべしのちに勘文もつてこれをつげしらしむ、日本国の皆人・無間地獄に堕つべし、これほど有る事を正直に申すものは先代にもありがたくこそ、これをもつて推察あるべし」
■ご真筆:石川県 妙成寺所蔵。
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【故最明寺入道見御書 本文】※本書の前後はご真筆が残されておらず内容は不明です。
[原文]
挙寺ゝ日本国中為令捨舊為
寺御帰依天魔所為之由
故最明寺入道殿見参之時
申之 又立正安國論挙之
惣日本國中禅宗念仏宗
[読み下し文]
 (※注:禅宗は)寺々を挙げて、日本国中の旧寺(※注:延暦寺などの法華経信仰の各寺院)
御帰依を捨てしめんが為に、天魔の所為たるの由、故最明寺入道(北条時頼)殿に見参の時之を申す。
叉立正安国論之を挙ぐ。総じて日本国中の禅宗・念仏宗・・・・ 








by johsei1129 | 2016-02-27 20:48 | 弟子・信徒その他への消息 | Comments(0)
2016年 02月 27日

GOSHO 上野殿御返事(竜門御書)The Dragon Gate 5


 法華経の第三に云く「願くは()功徳(くどく)を以て(あまね)く一切に及ぼし我等と衆生と(みな)共に仏道を(じょう)ぜん」云云、恐恐謹言。

A passage from the third volume of the Lotus Sutra reads, “We beg that the merit gained through these gifts may be spread far and wide to everyone, so that we and other living beings all together may attain the Buddha way.”

With my deep respect,

As stated in the third volume of the Lotus Sutra,Our wish is to extend this immeasurable merit impartially to all sentient and insentient beings, so that together, we may attain Buddhahood.

With my deepest respect

十一月六日    The sixth day of the eleventh month

           日蓮花押     Nichiren

上野賢人殿御返事

Reply to Ueno the Worthy

Reply to Lord Ueno the Wise

此れはあつ()わら()の事の・ありがたさに申す御返事なり。

I write this letter in deep gratitude for your dedication throughout the events at Atsuhara.

I write this reply in gratitude for the valiant conduct you displayed at the time of the Atsuhara Persecution.


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by johsei1129 | 2016-02-27 12:37 | PASSAGE OF NICHIREN | Comments(0)
2016年 02月 27日

法華取要抄文段 二  蓮祖、皆久遠名字の妙法・塔中付嘱の要法を伝う。豈(あに)先王の古(いにしえ)を伝うるに非ずや。


  問う、言う所の要とは、其の(たい)如何。

 答う、諸抄の中に(しばら)く両文あり。一には一部の題号に約す、報恩抄等の如し。二には寿量の妙法に約す、本尊抄等の如し。中に於て一部の題号に約するは、是れ一往の(ぼう)()なり。寿量の妙法に約するは、再往の正義なり。其の故は、題号の妙法は(なお)是れ迹門の妙法なり。何となれば、今日(こんにち)一代は(みな)是れ迹中の所説なり。(すで)に迹中所説の法華の題号なり。(あに)迹門の妙法に非ずや。実に其の功を論ぜば(ことごと)く本門寿量文底秘沈の大法、久遠(くおん)本地名字の所証の妙法に帰するなり。故に天台云く「此の妙法蓮華経は本地(じん)(じん)奥蔵(おうぞう)なり」文。妙楽云く「迹中に説くと(いえど)も功を(たず)ぬる()ること有り。故に本地と云う」云云。

(いわん)()題号は(ただ)是れ久遠名字の妙法の朽木書(くちぎがき)なり。(たと)えば画師(えし)の焼筆を以て(しばら)其の形を図するが如し。其の()を施し(おわ)んぬれば、(かえ)って是れ(ふつ)(じょ)す。何ぞ是れ実義ならんや。故に当流深秘(じんぴ)血脈抄に云く「迹門の妙法蓮華経の題号は本門に似ると雖も義理・天地を(へだ)、成仏()水火の不同なり、久遠名字の妙法蓮華経の朽木書なる」等云云。秘すべし、秘すべし。

 (まさ)に知るべし、諸抄の中に(あるい)は「寿量の文底」といい、或は「寿量の肝心」といい、或は「三箇(さんか)の秘法」と云う、皆是れ久遠名字の妙法なり。是れ(すなわ)ち正中の正、妙中の妙、要中の要なり。故に当流の(こころ)は、久遠名字の妙法を肝要と名づくるなり。

当に知るべし、三世十方の微塵(みじん)の経々、無量の功徳は、皆(ことごと)此の要法に帰するなり。今蓮祖大聖(ひとえ)に如来の付嘱に(まか)せ、此の要法を取って末法今時に弘通(ぐつう)したもう相を述ぶ、故に「取要抄」と名づくるなり。

「抄」は鈔と同じ。字彙(じい)に云く「抄は俗の鈔の字、鈔は写録の目、亦(これ)を抄と()う」云云。職原(しょくげん)抄の頭書(かしらがき)の始めに云く「又漢には抜書を以て抄と()う。又和漢には注解を以て抄と曰う」文。

一 扶桑(ふそう)沙門。

 「扶桑」は日本の別称なり。総じて十四の名なり。

  一には(とよ)葦原(あしはら)千五百(ちいを)(あきの)瑞穂(みずほの)国、二には(とよ)(あき)()(しま)、三には浦安(うらやすの)国、四には細戈(ほそほこ)千足(ちたる)国、五には()輪上(わがみ)(ほつ)()国、六には玉垣(たまがき)(うち)国、七には()(こく)、八には倭面(わめん)国、九には倭人(わじん)国、十には()()()、十一には()()国、十二には扶桑(ふそう)国、十三には君子国、十四には日本国なり。啓蒙二十九・四十四、又第七・三十三、()いて見よ。

  「沙門」は梵語、(ここ)には(ごん)(そく)(ほん)ず。善を勧め悪を()むる故なり。要覧の上六に之を釈す、往いて見よ。  

一 日蓮之を()

  御名の相承(そうじょう)は今(しばら)之を略す。「之を述ぶ」とは「述」とは伝なり。礼記(らいき)の第十八巻十四・楽記に云く「(れい)(がく)の情を知る者は能く()し、礼楽の文を()る者は能く述ぶ。作者は之を(せい)と謂い、述者は之を(めい)と謂う。明聖(めいせい)とは述作の(いい)なり」と。註に云く「夫子(ふうし)聖にして(すなわ)ち述べて作らざるは、其の徳有って其の位無き故なるのみ」已上。論語第四初に云く「子(いわ)く、述べて作らず、信じて(いにしえ)を好む」。註に云く「述は旧を伝うるのみ。作は則ち創始なり。故に作は聖人に非ずんば(あた)わず。而して述は則ち賢者も及ぶべし。孔子は皆先王の(いにしえ)を伝う、未だ(かつ)て作る所有らざるなり。其の事は述と雖も、(しか)も功は則ち作に倍せり。知らずんばある可からず」已上。

  蓮祖も亦(しか)なり。(みな)久遠名字の妙法、塔中付嘱の要法を伝う。(あに)先王の古を伝うるに非ずや。故に「日蓮之を述ぶ」と云うなり。


                      つづく
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by johsei1129 | 2016-02-27 08:11 | 日寛上人 御書文段 | Comments(0)
2016年 02月 26日

南条時光の弟七郎五郎の死を「さては、まことかまことかと、はじめてうたがいいできた りて候」と弔われた消息【南条殿御返事】

【南条殿御返事】
■出筆時期:弘安三年(1280) 九月七日以降と思われます。五十九歳御作る
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:大聖人は時光の弟・七郎五郎の突然の死去に関しては知らされた直後、叉四十九日の法要の時には【上野殿母御前御返事】を送られるなど、折に触れ何通もの消息を時光及び母御前に送られておられます。本書もその中の一通です。

大聖人は本消息を送られた約三か月前の弘安三年六月十五日に、時光とともに身延に見参された当時十六歳の七郎五郎に会われておられます。そして九月五日に七郎五郎は突然死去されます。
その直後に送られた消息が【上野殿御返事(弔慰御書)】です。
この消息には七郎五郎の印象について「あはれ肝ある者かな男や男やと見候いしに、又見候はざらん事こそかなしくは候へ」と記され、将来を期待されていたことを伺わせております。また七郎五郎の突然の死去について「まことともをぼへ候はねば、かきつくるそらもをぼへ候はず、又又申すべし」と記され「本当の事だと信じられない」と当時の心境を伝えられておられます。

本消息では「此の御ふみにもあそばされて候、さては、まことかまことかとはじめてうたがいいできたりて候」と記され、時光から白米等の御供養と共に送られた消息を読んで、あらためて七郎五郎の死がまぼろしという事に疑いが生じ現実の事だと感じられた心境を率直に綴られておられます。
このことから本消息は【上野殿御返事(弔慰御書)】を送られたあと何日か経過してから、あらためて送られ消息であると推察されます。
■ご真筆:富士大石寺所蔵(一般非公開)。

【南条殿御返事 本文】

はくまい(白米)ひとふくろ、いも一だ給び了んぬ。
抑故なんでう(南条)の七らうごらうどのの事、いままでは・ゆめかゆめか・まぼろしか・まぼろしかとうたがいて・そらごととのみをもひて候へば、此の御ふみにも・あそばされて候。
さては、まことかまことかとはじめて・うたがいいできたりて候。(この後の文は伝えられておられません)





by johsei1129 | 2016-02-26 23:00 | 南条時光(上野殿) | Comments(0)