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2015年 07月 31日

法華経は日月と蓮華となり故に妙法蓮華経と名く日蓮又日月と蓮華との如くなりと説く【四条金吾女房御書】

 【四条金吾女房御書】
■出筆時期:文永八年(1271)五月七日 五十歳御作。
■出筆場所:鎌倉 松葉ケ谷の館にて。
■出筆の経緯:本書は四条金吾の妻日眼女が初産の時期が迫りながら、恐らく伸び伸びとなり不安が募ったのだろうと思われるが、大聖人に符(法華経の文を書き記した紙を燃やして灰にしたもの)を願いでた事への返書となっております。
大聖人は「薬なりとも毒を入れぬれば薬の用すくなし、つるぎなれども、わるびれたる人のためには何かせん。就中夫婦共に法華の持者なり、法華経流布あるべきたねをつぐ所の玉の子出で生れん、目出度覚え候ぞ」と、あくまで法華経への強い信仰が大事であることを諭されております。そして符のことについて「口伝相承の事は此の弁公にくはしく申しふくめて候、則如来の使なるべし返す返すも信心候べし」と記し、弁公(日昭上人)に符を持たせるので符の意味についてよく聞くように指導されておられます。
大聖人はその日のうちに同じ鎌倉に住む四条金吾夫妻のもとへ符を届けさせたと思われ、日眼女は翌日八日に無事女の子を出産、大聖人は月満(つきまろ)御前と命名されておられます。

尚、大聖人が符を信徒に与えた事例は極めて少なく、御書を見る限り日眼女の初産の時と南条時光が瀕死に陥ったときの二つが確認できます。この符の効用は、現代医学におけるプラシーボ効果に近いものがあり、日眼女、南条時光の事例でも、符を飲むことで本人の精神力が高まり「自然治癒力」を増大した結果良い効果が得られたと考えられます。
■ご真筆:現存していない。

[四条金吾女房御書 本文]

懐胎のよし承り候い畢んぬ、それについては符の事仰せ候、日蓮相承の中より撰み出して候・能く能く信心あるべく候。

たとへば秘薬なりとも毒を入れぬれば薬の用すくなし、つるぎなれども・わるびれたる人のためには何かせん。

就中夫婦共に法華の持者なり、法華経流布あるべきたねをつぐ所の玉の子出で生れん、目出度覚え候ぞ。色心二法をつぐ人なり争か・をそなはり候べき、とくとくこそ・うまれ候はむずれ。

此の薬をのませ給はば疑いなかるべきなり、闇なれども灯入りぬれば明かなり濁水にも月入りぬればすめり、明かなる事・日月にすぎんや浄き事・蓮華にまさるべきや。法華経は日月と蓮華となり故に妙法蓮華経と名く。日蓮又日月と蓮華との如くなり。信心の水すまば利生の月・必ず応を垂れ守護し給うべし。とくとくうまれ候べし法華経に云く「如是妙法」又云く「安楽産福子」云云。

口伝相承の事は此の弁公にくはしく申しふくめて候、則如来の使なるべし返す返すも信心候べし。

天照太神は玉を・そさのをのみことにさづけて玉の如くの子をまふけたり、然る間日の神・我が子となづけたり、さてこそ正哉吾勝とは名けたれ。

日蓮うまるべき種をさづけて候へば争か我が子にをとるべき、「有一宝珠価直三千」等、「無上宝聚不求自得・釈迦如来皆是吾子」等云云。
日蓮あに此の義にかはるべきや、幸なり幸なりめでたしめでたし・又又申すべく候、あなかしこあなかしこ。

文永八年五月七日           日 蓮花押
四条金吾殿女房御返事


【妙法蓮華経 法師功徳品 第十九】

 若有懐妊者 未弁其男女 
 無根及非人 聞香悉能知
 以聞香力故 知其初懐妊
 成就不成就 安楽産福子

  [和訳]
  
 若し懐妊する者有りて、未だその子が男か女か
 生きているか否か弁えずとも、香を聞いて悉く能知る。
 香を聞く力を以て、其の初めて懐妊することをを知り、
 それが成就するか否か、安楽に福子を生むことを知る。

by johsei1129 | 2015-07-31 20:10 | 四条金吾 | Comments(0)
2015年 07月 31日

仏滅後二千二百二十余年(略)日蓮なくば仏語既に絶えなん、と説いた【単衣(ひとえぎぬ)抄】

【単衣抄】
■出筆時期:建治元年(1278)八月十月十九日 五十四歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は単衣(ひとえぎぬ)一領を供養された婦人におくられたご消息文です。この婦人は「未だ見参にも入らぬ人の膚を隠す衣を送り給候こそ何とも存じがたく候へ」と記されておられるので、まだ大聖人とはお会いになられていない信徒と思われます。また「此の衣を給て候わば夫妻二人ともに此の仏御尋ね坐して我が檀那なりと守らせ給うらん」とも記されておられますので、夫妻で大聖人に帰依されておられます。

追伸で「此の文は藤四郎殿女房と常により合いて御覧あるべく候」と記されおられますが、この藤四郎殿女房も詳細は不明ですが、本書を書かれた六年前の文永九年に四条金吾の妻日眼女に送られた「同生同名御書」にも、同様に「藤四郎殿女房と常により合いて御覧あるべく候」と追伸されておられるので、四条金吾夫妻と同じく鎌倉に在住していたと思われます。

本書で大聖人は法華経に予言されている「如来の現在にすら猶怨嫉多し」「一切世間怨多くして信じ難し」の門を引いて「日蓮なくば仏語既に絶えなん」と断じられておられます。
また文末では「此の帷をきて仏前に詣でて法華経を読み奉り候いなば、御経の文字は六万九千三百八十四字、一一の文字は皆金色の仏なり、衣は一つなれども六万九千三百八十四仏に一一にきせまいらせ給へるなり」と、まだ見ぬ婦人の大聖人に帰依する志を強く讃嘆されておられます。
■ご真筆:現存していない。

[単衣抄 本文]

単衣一領送り給い候い畢んぬ。
棄老国には老者をすて・日本国には今法華経の行者をすつ、抑此の国開闢より天神七代・地神五代・人王百代あり、神武より已後九十代欽明より仏法始まりて六十代・七百余年に及べり、其の中に父母を殺す者・朝敵となる者・山賊・海賊・数を知らざれども・いまだきかず法華経の故に日蓮程・人に悪まれたる者はなし、或は王に悪まれたれども民には悪まれず、或は僧は悪めば俗はもれ、男は悪めば女はもれ、或は愚人は悪めば智人はもれたり。

此れは王よりは民・男女よりは僧尼・愚人よりは智人悪む・悪人よりは善人悪む、前代未聞の身なり後代にも有るべしともおぼえす。

故に生年三十二より今年五十四に至るまで二十余年の間・或は寺を追い出され、或は処をおわれ・或は親類を煩はされ・或は夜打ちにあひ・或は合戦にあひ・或は悪口数をしらず・或は打たれ或は手を負う・或は弟子を殺され或は頚を切られんとし・或は流罪両度に及べり、二十余年が間・一時片時も心安き事なし。頼朝の七年の合戦もひまやありけん、頼義が十二年の闘諍も争か是にはすぐべき。

法華経の第四に云く「如来の現在にすら猶怨嫉多し」等云云。第五に云く「一切世間怨多くして信じ難し」等云云。天台大師も恐らくはいまだ此の経文をばよみ給はず、一切世間皆信受せし故なり、伝教大師も及び給うべからず、況滅度後の経文に符合せざるが故に。
日蓮・日本国に出現せずば如来の金言も虚くなり、多宝の証明も・なにかせん、十方の諸仏の御語も妄語となりなん。仏滅後二千二百二十余年・月氏・漢土・日本に一切世間多怨難信の人なし、日蓮なくば仏語既に絶えなん。

かかる身なれば蘇武が如く雪を食として命を継ぎ・李陵が如く簑をきて世をすごす、山林に交つて果なき時は空くして両三日を過ぐ・鹿の皮破ぬれば裸にして三四月に及べり。

かかる者をば何としてか哀とおぼしけん、未だ見参にも入らぬ人の膚を隠す衣を送り給候こそ何とも存じがたく候へ。
此の帷をきて仏前に詣でて法華経を読み奉り候いなば・御経の文字は六万九千三百八十四字・一一の文字は皆金色の仏なり、衣は一つなれども六万九千三百八十四仏に一一にきせまいらせ給へるなり。

されば此の衣を給て候わば夫妻二人ともに此の仏御尋ね坐して我が檀那なりと守らせ給うらん。今生には祈りとなり財となり・御臨終の時は月となり・日となり・道となり・橋となり・父となり・母となり・牛馬となり・輿となり・車となり・蓮華となり・山となり・二人を霊山浄土へ迎え取りまいらせ給うべし。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。

建治元年乙亥八月                  日 蓮 花 押
此の文は藤四郎殿女房と常により合いて御覧あるべく候。




by johsei1129 | 2015-07-31 01:53 | 弟子・信徒その他への消息 | Comments(0)
2015年 07月 30日

観心本尊抄文段 上二一


  第五段 心具の十界を釈す

一 問うて(いわ)く経文並びに天台(てんだい)

此の下は三に(まさ)しく(しゃく)す、二と()す。初めに(しばら)く現見を以て(しん)()の十界を明かし、次に「問うて日く、教主」の下は正しく受持に約して(かん)(じん)を明かすなり。初めの且く現見を以て心具の十界を示す文、三と為す。初めに六道を示し、次に「問うて曰く、六道に於て」の下は三聖を示し、三に「問うて曰く、十界互具)」の下は仏界を明かす。初めの六道を示すに、二と為す。初めに問、次に答、二あり。初めに正しく明かし、次に四聖冥伏(みょうぶく)を示す。

一 問うて曰く六道に於て等

此の下は次に三聖を示す、亦二あり。初めに問、次に答、亦二あり。初めに(まさ)しく明かし、次に「但仏界」の下は仏界に例す。三あり。初めに(かん)(かい)、次に引文、三に「末代」の下は道理なり云云。

一 問うて日く十界()()

此の下は三に仏界を明かす、亦二あり。初めに問、次に答。初めの問に亦二あり。初めに文を信じ義を疑い、次に「今の時」の下は伏して救助(くじょ)を求む。次の答に二あり。初めに誡許(かいきょ)、次に「十界互具之を立つ」の下は正しく答う。初めの誡許に二あり。初めに誡、次に「然りと雖も」の下は許、四あり。初めに略して余縁得道(とくどう)の例を示し、二に「其れ機」の下は機を判じ、三に「其の上」の下は宿因開発(かいはつ)の助縁を明かし、四に(ちな)みに執権(しゅうごん)(ぼう)(じつ)(とが)を破す。

文にいう「過去の下種結縁(けちえん)無き者の(ごん)(しょう)(しゅう)(じゃく)する者」とは、(まさ)()くの如く点ずべきなり。(いわ)く、過去の下種結縁無しと雖も、()し権小に執着せざれば、今日始めて下種結縁して正法の行者(ぎょうじゃ)()る故なり。

文にいう「十界互具(これ)を立つるは石中の火・木中の花」等とは、此の下は、正しく答う、亦三あり。初めに信じ(がた)きを信ずるの現証を引き、次に「尭・舜等の聖人の如き」の下は現事を引いて証し、三に「此等の現証を以て」の下は(けっ)(かん)

初めの文、亦二と為す。初めに通じて十界互具を()げ、次に「人界」の下は別して人界(しょ)()の仏界を示す。次の文に三あり。初めに尭・舜(ぎょうしゅん)、次に不軽(ふきょう)、三に(しっ)()



                     つづく
上巻 目次



by johsei1129 | 2015-07-30 21:53 | 日寛上人 文段集 | Comments(0)
2015年 07月 29日

法報応三身如来は法華経寿量品より外の一切経には釈尊秘めて説き給はずと断じた【四条金吾釈迦仏供養事】

【四条金吾釈迦仏供養事】
■出筆時期:建治二年(西暦1276年)七月十五日 五十五歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄はこの頃四条金吾が父母の追善供養で釈迦仏の木像を造立、大聖人にその開眼を願い出た事への返書となっております。 
大聖人は釈迦仏の木像の力用について「草木世間と申すは五色のゑのぐは草木なり画像これより起る、木と申すは木像是より出来す、此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり」と示し、釈迦の仏像といえど法華経でなければ魂魄を入れることはできないと諭されております。

大聖人が信徒による釈迦仏の造立を容認されたのは、当時の鎌倉仏教が、阿弥陀如来、大日如来等の末法では功力を失った本尊雑乱の状況を踏まえ、仏教の始祖である釈尊に立ち返る事を重視したためと思われます。その上で、釈迦仏像開眼には、法報応の三身如来が必要でこの事は「法華経の寿量品より外の一切経には教主釈尊秘めて説き給はずとなり」と断じておられます。
■ご真筆: 神奈川県・妙本寺に第十八紙所蔵。その他全て身延久遠寺に存在したが明治の大火で焼失。
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真筆箇所本文:どうれひならびに他人と我宅ならで夜中の御さかもりあるべからず。主のめさん時はひるならばいそぎまいらせ給べし。夜ならば三度までは頓病の由申せ給て、三度にすぎば下人又他人をかたらひて、つじをみせなんどして御出仕あるべし。かうつゝませ給はんほどに、むこ(蒙古)人もよせなんどし候わば、人の心又さきにひきかへ候べし。かたきを打心とどまるべし。申せ給事は御あやまちありとも、左右なく御内を出させ給べからず。ましてなからんにはなにとも人申せ、くるしからず。をもひのまゝに入道にもなりてをはせば、さきさきならば]

[四条金吾釈迦仏供養事 本文]

御日記の中に釈迦仏の木像一体等云云、開眼の事・普賢経に云く「此の大乗経典は諸仏の宝蔵なり十方三世の諸仏の眼目なり」等云云、又云く「此の方等経は是れ諸仏の眼なり諸仏・是に因つて五眼を具することを得たもう」云云、此の経の中に得具五眼とは一には肉眼・二には天眼・三には慧眼・四には法眼・五には仏眼なり、此の五眼をば法華経を持つ者は自然に相具し候、譬へば王位につく人は自然に国のしたがうがごとし、大海の主となる者の自然に魚を得るに似たり、華厳・阿含・方等・般若・大日経等には五眼の名はありといへども其の義なし、今の法華経には名もあり義も備わりて候・設ひ名はなけれども必ず其の義あり。

三身の事、普賢経に云く「仏・三種の身は方等より生ず是の大法印は涅槃海を印す此くの如き海中より能く三種の仏の清浄の身を生ず此の三種の身は人天の福田にして応供の中の最なり」云云、三身とは一には法身如来・二には報身如来・三には応身如来なり、此の三身如来をば一切の諸仏必ずあひぐす譬へば月の体は法身・月の光は報身・月の影は応身にたとう、一の月に三のことわりあり・一仏に三身の徳まします、この五眼三身の法門は法華経より外には全く候はず、故に天台大師の云く「仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず」云云、此の釈の中に於諸教中とかかれて候は華厳・方等・般若のみならず法華経より外の一切経なり、秘之不伝とかかれて候は法華経の寿量品より外の一切経には教主釈尊秘めて説き給はずとなり。

されば画像・木像の仏の開眼供養は法華経・天台宗にかぎるべし、其の上一念三千の法門と申すは三種の世間よりをこれり、三種の世間と申すは一には衆生世間・二には五陰世間・三には国土世間なり、前の二は且らく之を置く、第三の国土世間と申すは草木世間なり、草木世間と申すは五色のゑのぐは草木なり画像これより起る、木と申すは木像是より出来す、此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり天台大師のさとりなり、此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ画木にて申せば草木成仏と申すなり、止観の明静なる前代いまだきかずと・かかれて候と無情仏性・惑耳驚心等とのべられて候は是なり、此の法門は前代になき上・後代にも又あるべからず、設ひ出来せば此の法門を偸盗せるなるべし、然るに天台以後二百余年の後・善無畏・金剛智・不空等・大日経に真言宗と申す宗をかまへて仏説の大日経等には・なかりしを法華経・天台の釈を盗み入れて真言宗の肝心とし、しかも事を天竺によせて漢土・日本の末学を誑惑せしかば皆人此の事を知らず一同に信伏して今に五百余年なり、然る間・真言宗已前の木画の像は霊験・殊勝なり真言已後の寺塔は利生うすし、事多き故に委く注さず。

此の仏こそ生身の仏にておはしまし候へ、優填大王の木像と影顕王の木像と一分もたがうべからず、梵・帝・日月・四天等必定して影の身に随うが如く貴辺をば・まほらせ給うべし是一。
御日記に云く毎年四月八日より七月十五日まで九旬が間・大日天子に仕えさせ給ふ事、大日天子と申すは宮殿七宝なり其の大さは八百十六里・五十一由旬なり、其の中に大日天子居し給ふ、勝無勝と申して二人の后あり左右には七曜・九曜つらなり前には摩利支天女まします・七宝の車を八匹の駿馬にかけて四天下を一日一夜にめぐり四州の衆生の眼目と成り給う、他の仏・菩薩・天子等は利生のいみじくまします事・耳にこれを・きくとも愚眼に未だ見えず、是は疑うべきにあらず眼前の利生なり教主釈尊にましまさずば争か是くの如くあらたなる事候べき、一乗の妙経の力にあらずんば争か眼前の奇異をば現す可き不思議に思ひ候、争か此の天の御恩をば報ずべきと・もとめ候に仏法以前の人人も心ある人は皆或は礼拝をまいらせ或は供養を申し皆しるしあり。

又逆をなす人は皆ばつあり、今内典を以てかんがへて候に金光明経に云く「日天子及以月天子是の経を聞くが故に精気充実す」等云云、最勝王経に云く「此の経王の力に由つて流暉四天下を遶る」等云云、当に知るべし日月天の四天下をめぐり給うは仏法の力なり・彼の金光明経・最勝王経は法華経の方便なり勝劣を論ずれば乳と醍醐と金と宝珠との如し、劣なる経を食しましまして尚四天下をめぐり給う、何に況や法華経の醍醐の甘味を甞させ給はんをや、故に法華経の序品には普香天子とつらなりまします、法師品には阿耨多羅三藐三菩提と記せられさせ給う火持如来是なり、其の上慈父よりあひつたはりて二代我が身となりて・としひさし争かすてさせたまひ候べき、其の上日蓮も又此の天を恃みたてまつり日本国にたてあひて数年なり、既に日蓮かちぬべき心地す利生のあらたなる事・外にもとむべきにあらず、是より外に御日記たうとさ申す計りなけれども紙上に尽し難し。
なによりも日蓮が心にたつとき事候、父母御孝養の事度度の御文に候上に今日の御文なんだ更にとどまらず、我が父母・地獄にや・おはすらんとなげかせ給う事のあわれさよ、仏の弟子の御中に目〓尊者と申しけるは父をばきつせん師子と申し母をば青提女と申しけるが餓鬼道におちさせ給いけるを凡夫にてをはしける時は、しらせ給わざりければ・なげきもなかりける程に、仏の御弟子とならせ給いて後・阿羅漢となりて天眼をもつて御らんありければ餓鬼道におはしけり、是を御らんありて飲食をまいらせしかば炎となりて・いよいよ苦をましさせまいらせ給いしかば、いそぎ・はしりかへり仏に此の由を申させ給いしぞかし、爾の時の御心をおもひやらせ給へ、今貴辺は凡夫なり肉眼なれば御らんなけれども・もしも・さもあらばと・なげかせ給う・こは孝養の一分なり・梵天・帝釈・日月・四天も定めてあはれとおぼさんか、華厳経に云く「恩を知らざる者は多く横死に遭う」等云云、観仏相海経に云く「是れ阿鼻の因なり」等云云、今既に孝養の志あつし定めて天も納受あらんか是二。

御消息の中に申しあはさせ給う事くはしく事の心を案ずるに・あるべからぬ事なり、日蓮をば日本国の人あだむ是はひとへにさがみどの・のあだませ給うにて候ゆへなき御政りごとなれども・いまだ此の事にあはざりし時より・かかる事あるべしと知りしかば・今更いかなる事ありとも人をあだむ心あるべからずと・をもひ候へば、此の心のいのりとなりて候やらん・そこばくのなんをのがれて候、いまは事なきやうになりて候、日蓮がさどの国にてもかつえしなず又これまで山中にして法華経をよみまいらせ候は・たれか・たすけん・ひとへにとのの御たすけなり・又殿の御たすけは・なにゆへぞと・たづぬれば入道殿の御故ぞかし、あらわには・しろしめさねども定めて御いのりともなるらん・かうあるならば・かへりて又とのの御いのりとなるべし父母の孝養も又彼の人の御恩ぞかし、かかる人の御内を如何なる事有ればとて・すてさせ給うべきや・かれより度度すてられんずらんは・いかがすべき・又いかなる命になる事なりとも・すてまいらせ給うべからず、上にひきぬる経文に不知恩の者は横死有と見えぬ・孝養の者は又横死有る可からず、鵜と申す鳥の食する鉄はとくれども腹の中の子はとけず、石を食する魚あり又腹の中の子はしなず、栴檀の木は火に焼けず浄居の火は水に消へず・仏の御身をば三十二人の力士・火をつけしかども・やけず、仏の御身よりいでし火は三界の竜神・雨をふらして消しかどもきえず、殿は日蓮が功徳をたすけたる人なり・悪人にやぶらるる事かたし、もしやの事あらば先生に法華経の行者を・あだみたりけるが今生にむくふなるべし、此の事は如何なる山の中・海の上にても・のがれがたし、不軽菩薩の杖木の責も目連尊者の竹杖に殺されしも是なり、なにしにか歎かせ給うべき。

但し横難をば忍には・しかじと見へて候・此の文御覧ありて後は・けつして百日が間をぼろげならでは・どうれい並に他人と我が宅ならで夜中の御さかもりあるべからず・主の召さん時は昼ならば・いそぎ参らせ給うべし、夜ならば三度までは頓病の由を申させ給いて三度にすぎば下人又他人をかたらひてつじを見せなんどして御出仕あるべし、かうつつしませ給はんほどにむこの人もよせなんどし候はば人の心又さきにひきかへ候べし、かたきをうつ心とどまるべしと申させ給う事は御あやまち・ありとも左右なく御内を出でさせ給うべからず、まして・なからんには・なにとも人申せ・くるしかるべからず、おもひのままに入道にもなりておはせば・さきさきならばくるしからず、又身にも心にもあはぬ事あまた出来せば・なかなか悪縁・度度・来るべし、このごろは女は尼になりて人をはかり男は入道になりて大悪をつくるなり、ゆめゆめ・あるべからぬ事なり、身に病なくとも・やいとを一二箇所やいて病の由あるべし、さわぐ事ありとも・しばらく人をもつて見せをほせさせ給へ。
事事くはしくは・かきつくしがたし、此の故に法門もかき候はず、御経の事はすずしくなり候いてかいてまいらせ候はん、恐恐謹言。

建治二年丙子七月十五日  日 蓮 花 押
四条金吾殿御返事

by johsei1129 | 2015-07-29 21:41 | 四条金吾 | Comments(0)
2015年 07月 29日

総勘文抄五 The Unanimous Declaration5

我が身を生死(しょうじ)凡夫(ぼんぷ)なりと思う時は、夢に(ちょう)と成るが如く僻目(ひがめ)僻思(ひがおもい)なり、

While one believes that one is an ordinary person in the realm of birth and death, this is comparable to dreaming that one is a butterfly, a state of distorted views and distorted thoughts.

我が身は本覚(ほんがく)如来(にょらい)なりと思う時は、(もと)(そう)(しゅう)なるが如し、即身成仏なり 【本文

And when one realizes that one is the Thus Come One of original enlightenment, this state is comparable to the original Chuang Chou,or the attainment of Buddhahood in one’s present form.

故に玄義に云く「末代の学者多く経論の方便(ほうべん)断伏(だんぷく)(しゅう)して諍闘(じょうとう)す、

Hence Profound Meaningstates: “Many scholars in this latter age seize on the various methods for cutting off delusion set forth in the sutras and treatises as an expedient means and argue over them.

水の(しょう)(ひやや)かなるが如きも、飲まずんば(いずく)んぞ知らん」本文

But as in the case with water, how can you tell whether it is cold or not unless you drink some?”

総じて一代の聖教は一人の法なれば、我が身の本体を()く能く知る可し、

Broadly speaking, the sacred teachings of the Buddha’s lifetime represent a Law or doctrine pertaining to the individual. One should thus strive to achieve a very clear understanding of one’s own original entity as an individual.

之を悟るを仏と云い、之に迷うは衆生なり 【本文

To awake to that is to be a Buddha, to be confused about that is to be an ordinary living being.

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全巻目次 Index All



by johsei1129 | 2015-07-29 07:15 | PASSAGE OF NICHIREN | Comments(0)
2015年 07月 28日

大聖人の鎌倉出立から身延入山までの苦難の道中を記した書【富木殿御書】

【富木殿御書光】
■出筆時期:文永十一年(1281)五月十七日 五十三歳御作。
■出筆場所:身延山中 仮住まいにて。
■出筆の経緯:大聖人は佐渡流罪ご赦免後鎌倉に入り、文永十一年四月八日に平頼綱に三度目の国家諫暁をされています。
その後「本よりごせし事なれば、三度国をいさめんにもちゐずば国をさるべしと。(種種御振舞御書)」の決意を胸に弟子の育成に専念するため身延山中に入る。本書では信頼する富木常忍に対し、鎌倉から身延までの苦難の道中を、日付を追って記されて伝えられておられます。またこの間の事情については同行していた弟子たちを元いたところに帰すので「御房達に語らせて、お聞きいただきたい」と伝えております。また道中の苦難については「飢えは言いようもないほどである。米は一合も売ってくれない。餓死してしまうことであろう」と厳しい状況を率直に吐露されておられ、覚悟の鎌倉出立であることが、現在の信徒にもひしひしと伝わってきます。
■ご真筆:鴨川市・鏡忍寺所蔵(千葉県指定有形文化財)
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[富木殿御書 本文]

けかち申すばかりなし。米一合もうらずがししぬべし、此の御房たちも、みなかへして但一人候べし。
このよしを御房たちにもかたりさせ給へ。

十二日さかわ、十三日たけのした、十四日くるまがへし、十五日ををみや、十六日なんぶ、十七日このところ、いまださだまらずといえども、たいしはこの山中、心中に叶いて候へば、しばらくは候はんずらむ。
結句は一人になりて日本国に流浪すべきみにて候。
又たちとどまるみならば、けさんに入り候べし、恐恐謹言。

十七日                 日 蓮 在御判
ときどの

[現代訳]

飢えの状況は申すまでもありません。道中、米一合も売ってはくれません。このままでは餓死してしまうであろうと思われる。
同行してきた弟子たちも皆元のところに返して、日蓮一人この場所にいようと思います。
この事情は弟子たちに話してもらって聞いてください。
 十二日に酒匂、十三日に竹之下、十四日に車返、十五日に大宮、十六日に南部、十七日に、ここに着きました。まだ住むところも決まっていませんが、この身延の山中は私の心にかなっているので、しばらくは居ることになると思います。結局は一人になって日本国を流浪する身であろうかと思われる。また、この地に留まる身となったなら、是非見参してください。恐恐謹言。

by johsei1129 | 2015-07-28 23:19 | 富木常忍 | Comments(0)
2015年 07月 28日

開目抄愚記 下六


一 日本の聖徳太子

此の下は二に例を引く、(おのずか)ら二有り。初には師は(わか)くして弟子は()いたり、次に父は少くして子は老いたるとなり。今(ここ)に例を引くは、恐らく深意あらん。(いわ)く、本経文に父の少くして子の老いたるの(たとえ)を以て、師は(わか)くして弟子の老いたるを疑う。今初めの文は、(しょ)()の師は少く弟子老いたるを例顕(れいけん)し、次の文は(のう)()の父は少くして子老いたるを例顕するなり。

  問う、父少くして子老いたるの(たとえ)は発問の下に在り。何ぞ今、疑念の中に是れを明かすや。

  答う、(まさ)に之を言に発せんとするに、(あに)()ず心中に是れを念ぜざらんや。

一 六歳の太子等

  問う、註に釈書十五初を引いて「太子は()(たつ)二年(みずの)(とみ)正月(ついたち)()まる。同六年冬十月百済(くだら)国、仏の経論等を(みつ)ぐ」云云。「私に五歳の時なり」云云。

  答う、太子伝の上二に「()(たつ)元年(みずのえ)(たつ)正月朔に()まる」と云云。故に六歳の時なり。(いま)此の説に()るなり。啓蒙(けいもう)等も(しか)なり。亦百済の(にち)()を指して「()が弟子」ということは、太子十一歳の時なり。

一 外典()(申す)

  註に云く「(いま)だ出処を知らず」と云云。

一 されば()(ろく)菩薩()疑つて云く等

  此の下は次に発問、亦二あり。初に(まさ)しく明かし、次に「一切の菩薩」の下は、是れ一代第一の(うたがい)なることを示す、亦三と()す。初に(ひょう)、次に「無量義」の下は釈、三に「されば仏・此の疑」の下は結前生後云云。

一 此の(うたがい)・第一の疑なるべし等

  風大なれば波大なり。声大なれば(ひびき)大なり。疑第一なれば則ち(さとり)も亦第一なり。大疑の下には大悟(たいご)有りとは此の(いい)か。

一 歴劫(りゃっこう)(しつ)(じょう)

四十余年の「歴劫」と今の無量義の「疾成」となり。

一 耆婆(ぎば)月光(がっこう)に・をどされて等

  註(およ)び啓蒙の如し。又観経疏(かんぎょうしょ)二十三に云く「剣を(おさ)()を現じ、以て王の忿(いかり)(やす)む」等云云。此の文に(なお)明らかなり。

一 されば(かん)(ぎょう)(どく)(じゅ)せん人等文。

  (げん)()六・三十四に云云、()いて見よ。()二末三十四に云く「法華を除いて(ほか)()一切(いっさい)経には、(ただ)生々に悪を()して相(なや)()えり」等云云。玄の五七十一に云く「()(じょう)即ち(ごう)(どう)とは、悪は是れ善の(たすけ)なり。悪無ければ(また)善も無し乃至提婆(だいば)(だっ)()は是れ善知識なり、(あに)悪は即ち資成なるに非ずや」と云云。是れ今経には善悪(ぜんなく)不二(ふに)(ぎゃく)(そく)()(じゅん)(みょう)()を明かす故なり。


              つづく
開目抄愚記下 目次



by johsei1129 | 2015-07-28 22:38 | 日寛上人 文段集 | Comments(0)
2015年 07月 28日

観心本尊抄文段 上二十  南無妙法蓮華経は常楽我浄なり。


 第四段 広く観心を釈す

一 問うて曰く法華経は(いず)れの文等

此の下は次に広釈(こうしゃく)三あり。初めに引文、二に「問うて日く自他面」の下は難信難解(なんげ)、三に「問うて日く経文」の下は正釈。初めの引文の中に総別有り云云。

文に云く「寿量品に云く、是くの如く(われ)成仏乃至仏界(しょ)()の九界なり」等文。既に「今猶(こんゆう)未尽(みじん)」という。故に知んぬ、因位の万行、果海に流入することを。故に仏界所具の九界と云うなり。証真の文の第六の記に云く「若し酬因(しゅういん)感果(かんか)とは菓成(かじょう)華落(けらく)の如し。若し(しゃっ)()(るい)(とく)と云うは衆流(しゅうる)の海に入るが如し。経に云く『()(ほん)(ぎょう)菩薩(ぼさつ)(どう)(しょ)(じょう)寿命(じゅみょう)今猶未尽』とは即ち是れ流入の義なり」と云云。

問う、経文には(ただ)「菩薩道」という、何ぞ九界等というや。

答う、菩薩はこれ九界の所収なり。故に一を()げて(もろもろ)に例するなり。

一 経に云く、提婆(だいば)(だっ)()乃至地獄界(しょ)()の仏界なり

問う、下の十文並びに「所具の十界」と云う。当文のみ何ぞ「所具の仏界」というや。

 答う、文義()(けん)なり。(いわ)く、()し文に約せば皆(まさ)に当文の如く「所具の仏界」と云うべし。若し義に約せば、皆応に下の文の如く「所具の十界」と云うべし。(なお)仏界を具す、余も皆(また)(しか)るが故なり。故に知んぬ、互いに現わることを。

一 一を(らん)()と名け乃畜是れ餓鬼(がき)界所具の十界なり

(じゅう)羅刹(らせつ)の父は即ち般闍(はんじゃ)()()なり。日我の抄に雑宝蔵経を引くが如し。十羅刹の母は即ちこれ鬼子(きし)母神(もじん)なり。録外(ろくげ)二十五巻の如し。

一 地涌(じゆ)千界(せんがい)乃至(ないし)(しん)(じょう)大法(だいほう)

玄の七三十三に云く「口に真浄大法を(とな)う。真は是れ常なり。略して二徳を挙ぐ。我・楽知るべし、(しか)るに鈍者は文を読みて(なお)(おのずか)ら覚らず」文。故に知んぬ「()(しょう)(しん)(じょう)大法(だいほう)」とは即ち是れ口唱南無妙法蓮華経なり。此れ即ち(じょう)(らく)()(じょう)、即ち是れ南無妙法蓮華経なる故なり。

御義の上四十四に云く「南無とは楽()()(みつ)・妙法とは()波羅蜜・蓮華とは浄波羅蜜・経とは常波羅蜜なり」已上。

問う、南無の二字を以て楽波羅蜜に配する(こころ)如何(いかん)

答う、南無とは帰命(きみょう)の義なり。帰命とは註釈に云く「帰とは帰し(たてまつ)るなり、命とは出入(すいにゅう)の息なり。()()(しん)の衆生は命を以て宝と()す。一切の宝の中に命宝第一なり。(いま)八万第一の命宝を以て、実相の仏に帰したてまつる故に帰命と云う」文。(およ)そ一切有心の衆生は命宝を惜しむを以ての故に諸の苦を生ず。(すで)に命宝を以て妙法蓮華経の仏に帰し(たてまつ)(おわ)んぬ、更に楽の(これ)()ぐる無し。故に南無を以て楽波羅蜜に配するなり。又妙法は法界の全体なり。故に法界に自在なれば()波羅蜜に配す。蓮華は清浄の養なり。経は常の義なり。(じょう)()の如く知るべし。

(しか)れば(すなわ)ち、地涌(じゆ)千界(せんがい)(くち)に南無妙法蓮華経と唱う。地涌は即ち是れ菩薩界、()(しょう)妙法は即ち仏界なり。(なお)仏界を具す、余界も(しか)り。故に「菩薩界所具の十界」と云うなり。

一 或説()(しん)或説他身乃至仏界所具の十界なり

問う、己身・他身は法応の二身、即ち是れ所具の仏界なり。余界(また)然るが故に、所具の十界其の義分明(ふんみょう)なり。

未だ能具の仏界を見ず、如何(いかん)

答う、二箇の「説」の字、即ち是れ能説・能具の仏界なり云云。

一 問うて(いわ)自他面(じためん)の六根等

 此の下は二に難信難解、亦二と()す。初めに問、次に答。初めの問の意は、世間の鏡に(むか)えば則ち自他面の六根共に之を見る。経文の鏡に向うと(いえど)も、彼此(ひし)十界に於ては(まのあた)之を見ず。如何ぞ之を信ぜんと。此の(うたがい)を挙ぐる所以は法体(ほったい)(じん)(じん)称歎(しょうたん)せんが為なり。答の文に亦三あり。初めに引文、次に在世を挙げて滅後を(きょう)し、三に「汝之を信ぜば」の下は結歎(けったん)なり。


              つづく
上巻 目次




by johsei1129 | 2015-07-28 07:04 | 日寛上人 御書文段 | Comments(0)
2015年 07月 28日

法華経を供養する人は十方の仏菩薩を供養する功徳と同じきなり、と説いた【千日尼御前御返事】

【千日尼御前御返事】
■出筆時期:弘安元年(1281)十月十九日 五十七歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は阿仏坊の妻千日尼が「青鳧一貫文・干飯一斗」などの数々のご供養を送られたことへの返書となっております。大聖人は「法華経を供養する人は十方の仏菩薩を供養する功徳と同じきなり」と説いて、「(千日尼が)夫を御使として御訪いあり定めて法華経釈迦多宝十方の諸仏・其の御心をしろしめすらん」とその志を讃えられておられます。
■ご真筆:現存していない。

[千日尼御前御返事 本文]

青鳧一貫文・干飯一斗・種種の物給い候い了んぬ。仏に土の餅を供養せし徳勝童子は阿育大王と生れたり、仏に漿を・まひらせし老女は辟支仏と生れたり。法華経は十方三世の諸仏の御師なり、十方の仏と申すは東方善徳仏・東南方無憂徳仏・南方栴檀徳仏・西南方宝施仏・西方無量明仏・西北方華徳仏・北方相徳仏・東北方三乗行仏・上方広衆徳仏・下方明徳仏なり。

三世の仏と申すは、過去・荘厳劫の千仏・現在・賢劫の千仏・未来・星宿劫の千仏・乃至華厳経・法華経・涅槃経等の大小・権実・顕密の諸経に列り給へる一切の諸仏・尽十方世界の微塵数の菩薩等も、皆悉く法華経の妙の一字より出生し給へり。故に法華経の結経たる普賢経に云く「仏三種の身は方等より生ず」等云云。方等とは月氏の語・漢土には大乗と翻ず、大乗と申すは法華経の名なり。阿含経は外道の経に対すれば大乗経、華厳・般若・大日経等は阿含経に対すれば大乗経、法華経に対すれば小乗経なり。法華経に勝れたる経なき故に一大乗経なり。

例せば南閻浮提・八万四千の国国の王王は其の国国にては大王と云う、転輪聖王に対すれば小王と申す。乃至六欲・四禅の王王は大小に渡る、色界の頂の大梵天王独り大王にして小の文字をつくる事なきが如し、仏は子なり法華経は父母なり。譬えば一人の父母に千子有りて一人の父母を讃歎すれば千子悦びをなす、一人の父母を供養すれば千子を供養するになりぬ。又法華経を供養する人は十方の仏菩薩を供養する功徳と同じきなり、十方の諸仏は妙の一字より生じ給へる故なり。

譬えば一の師子に百子あり・彼の百子・諸の禽獣に犯さるるに・一の師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分にわる、法華経は師子王の如し一切の獣の頂きとす、法華経の師子王を持つ女人は一切の地獄・餓鬼・畜生等の百獣に恐るる事なし、譬えば女人の一生の間の御罪は諸の乾草の如し法華経の妙の一字は小火の如し、小火を衆草につきぬれば衆草焼け亡ぶるのみならず大木大石皆焼け失せぬ、妙の一字の智火以て此くの如し諸罪消ゆるのみならず衆罪かへりて功徳となる毒薬変じて甘露となる是なり。

譬えば黒漆に白物を入れぬれば白色となる、女人の御罪は漆の如し南無妙法蓮華経の文字は白物の如し人は臨終の時地獄に堕つる者は黒色となる上其の身重き事千引の石の如し善人は設ひ七尺八尺の女人なれども色黒き者なれども臨終に色変じて白色となる又軽き事鵞毛の如し軟らかなる事兜羅緜の如し。佐渡の国より此の国までは山海を隔てて千里に及び候に女人の御身として法華経を志しましますによりて年年に夫を御使として御訪いあり定めて法華経釈迦多宝十方の諸仏・其の御心をしろしめすらん。

譬えば天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮び雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾に聞ゆ、御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来れり、仏に成る道も此くの如し、我等は穢土に候へども心は霊山に住べし、御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ、いつかいつか釈迦仏のをはします霊山会上にまひりあひ候はん、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経、恐恐謹言。

弘安元年後十月十九日                 日 蓮 花 押
千日尼御前御返事




by johsei1129 | 2015-07-28 00:26 | 阿仏房・千日尼 | Comments(0)
2015年 07月 26日

日蓮初めて此の大白牛車の一乗法華の相伝を申し顕はせりと説いた【大白牛車書】

【大白牛車書】
■出筆時期:建治三年(1277)十二月十七日 五十六歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は南条時光に与えられた書と思われます。
本書で大聖人は法華経譬喩品第三に説かれる大白牛車の譬を引いて「一念三千・久遠実成・即身成仏は法華に限れり」と示すとともに、「弘法大師は是をも真言の経にありと直せり」と弘法大師の邪義を破折しております。さらに文末では「生死の二法は一心の妙用、有無の二道は本覚の真徳なり」「十如は只是れ乃至今境は是れ体」と天台、伝教の文を引いて「此の文釈能能案じ給うべし」と諭されておられます。

尚、譬喩品に説かれる大白牛車の譬とは、法華経で説かれる7つの喩えの一つ「三車火宅」の事です。
内容は、ある時長者の古い広大な屋敷で火事が起きる。その屋敷の一角で多数の長者の子供達が遊びに夢中なっていた。長者は子供を脱出させようと説得するが、全く言うことを聞かない。そこで長者は一計を案じ、子供たちが前から欲しがっていた「羊車・鹿車・牛車の三つの車を門の外に置いたので、好きな車を早い者勝ちで選びなさい」と誘って、子供たちを無事脱出させる。その後子供たちは長者に約束した車をくれるようお願いすると、長者は全員に立派な大白牛車を与えた。

この喩えは長者は仏(釈尊)、火宅は苦界の娑婆世界、子供たちは六道を輪廻している衆生、三車は声聞・縁覚・菩薩の三乗を象徴している。つまり三車は、爾前教の三乗の教えを示し、大白牛車は一乗(仏乗)を示している。釈尊は舎利弗を対告衆として方便品を説いたあと、譬喩品で舎利弗を未来世で華光如来になると記別を与え、爾前教で説いた二乗不作仏を、自ら打ち破る。この理由を三車火宅の喩えを用いて、わかりやすく法華経の座に連なった弟子たちに説いている。つまり三車火宅の喩えは、最初に三乗を説いて衆生を苦界から引き上げ、最後に法華経で一乗(仏道)を説くという釈尊の巧みな化導を示している。
■ご真筆:現存していない。
[大白牛車書 本文]

夫れ法華経第二の巻に云く「此の宝乗に乗り直ちに道場に至る」と云云。

日蓮は建長五年四月二十八日、初めて此の大白牛車の一乗法華の相伝を申し顕はせり。
而るに諸宗の人師等・雲霞の如くよせ来り候。中にも真言・浄土・禅宗等、蜂の如く起りせめたたかふ。

日蓮、大白牛車の牛の角最第一なりと申してたたかふ。両の角は本迹二門の如く二乗作仏・久遠実成是なり。
すでに弘法大師は法華最第一の角を最第三となを(直)し、一念三千・久遠実成・即身成仏は法華に限れり、是をも真言の経にありとなをせり。かかる謗法の族を責めんとするに返つて弥怨をなし候。

譬えば角を・なをさんとて牛をころしたるが如くなりぬべく候ひしかども、いかでさは候べき。
抑、此の車と申すは本迹二門の輪を妙法蓮華経の牛にかけ、三界の火宅を生死生死とぐるり・ぐるりとまはり候ところの車なり。
ただ信心のくさびに志のあぶらをささせ給いて、霊山浄土へまいり給うべし。又心王は牛の如し・生死は両の輪の如し。

伝教大師云く「生死の二法は一心の妙用、有無の二道は本覚の真徳なり」云云。
天台云く「十如は只是れ乃至今境は是れ体」と云云。此の文釈能能案じ給うべし、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。

十二月十七日       日蓮 花押

【妙法蓮華経 譬喩品第三】

 汝舎利弗 我為衆生 以此譬諭 説一仏乗
 汝等若能 信受是語  一切皆当 得成仏道
 <中略>

無量億千 諸力解脱 禅定智慧 及仏余法
 得如是乗 令諸子等 日夜劫数 常得遊戲
 与諸菩薩 及声聞衆 乗此宝乗 直至道場
以是因縁 十方諦求 更無余乗 除仏方便

[和訳]  
 汝、舎利弗よ、 我(釈尊)衆生の為に 此の譬諭を以て 一仏乗を説かん。
 汝等、若し能く是語を信受せば、一切皆、当に仏道を成ずることを得るべし。
 <中略>
 無量億千の、諸の力・解脱・ 禅定・智慧及び仏の余の法あり。
 かくの如き乗(仏の乗り物)を諸子らに得さしめて、日夜、劫数(数え切れないほどの長い間)、常に楽しむことを得て、
 諸菩薩及び声聞衆は、この宝乗(大白牛車)に乗って、直ちに悟りの道場に至る。
 この因縁を以て、十方にあきらかに求めたとしても、(仏乗以外の)更に他の乗はないのだ。仏の方便の教えは除いて。







 

by johsei1129 | 2015-07-26 22:51 | 南条時光(上野殿) | Comments(0)