日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 04月 29日

立正安国論愚記 三一

第十 正に帰して(りょう)(のう)すの下

一 客の云く、今生(こんじょう)後生(ごしょう)

(にち)()云く「(ことば)は客なれども義は是れ主人なり。客(すで)(しん)(ぷく)して主人の内証の如く領解(りょうげ)する故なり。故に客の段にて終るなり。『(しか)れば則ち』の文は十九段、義は二十段なり」と云云。

一 (せん)(だつ)(ことば)(したが)いしなり等文。

「先達」とは、遠くは(しゃく)(どう)()(しん)に通じ、近くは(ほう)(ねん)を指すのみ。

一 (ただ)我が信ずるのみに(あら)ず等

これ「仏法中怨(ぶっぽうちゅうおん)」の()めを恐るるが故なり。

一 文応(ぶんのう)元年等文。

開山の門徒存知)に云く「一、立正安国論一巻。()れに両本有り一本は文応元年の御作是れ最明寺(さいみょうじ)殿・宝光寺殿へ奏状の本なり、一本は弘安年中身延山に於て先本に文言を()えたもう、而して別の旨趣無し(ただ)(けん)()(こう)(ほん)と云う」と已上。(にち)()云く「建治の広本は諸経の文二十六(これ)多し」等云云。

一 災難興起(こうき)の事。

今、仏家に()(しばら)く三義を明かさん。

一には万民の業感に()るが故に。謂く、悪業の衆生(とも)に同時に生ず、業感に由るが故に災難を(まね)くなり。これ国王に(かか)わるに(あら)ず、万民(みずか)ら招くのみ。(ぎょう)(だい)九年の水、(とう)の時七年の(かん)の如きはこれなり。註千字上三、要言一・十六。

二には国王の理に(そむ)くに由るが故に。謂く、国王不明にして教令(きょうりょう)理に背く故に天これを罰す、所以(ゆえ)に災あり。これ万民に関わるに非ず、国王(みずか)ら招くのみ。孝婦(こうふ)の雨ふらさざるの(ちゅう)、忠臣の霜を降らすの(しゅう)の如きこれなり。註千字中九、(もう)(ぎゅう)上二十七。

三には誹謗(ひぼう)正法に由るが故に。謂く、当論所引の四経の文の如きはこれなり。これ則ち国王万民、天下一同に招く所の災難なり。

(まさ)に知るべし、初めの義の如きも、遠く其の本を論ずれば、則ち(いずく)んぞ知らん。是れ無始の誹謗正法の業感に非ざることを。亦第二の義も、世法の理に背くは即ち仏法に背くなり。仏法の理に背くは即ちこれ謗法なり。「()し深く世法を()れば即ち(これ)仏法なり」とはこれなり。若しこの三義を(あか)せば、()いて通ぜざる所()からんや。


()れ時、正徳五乙未(きのとひつじ)十月下旬仏生日、安国論講じ(おわ)んぬ。

      富士大石学頭 大貳阿闍(たいにあじゃ)()(にち)(かん) 謹稿


立正安国論愚記 目次



by johsei1129 | 2015-04-29 21:43 | 日寛上人 御書文段 | Comments(0)
2015年 04月 29日

立正安国論愚記 三十

十月二十六日

一 薬師経の七難。

一には(にん)(しゅ)(しつ)(えき)難、二には他国(たこく)侵逼(しんぴつ)難、三には自界(じかい)叛逆(ほんぎゃく)難、四には星宿(ほししゅく)変化(へんげ)難、五には日月薄蝕(はくしょく)難、六には非時(ひじ)風雨(ふうう)難、七には()()不雨(ふう)難なり。

一 大集経の三(さい)
一には(こっ)()、二には(ひょう)(かく)、三には疫病(えきびょう)なり。

一 金光明種種の難

疫病、彗星(すいせい)、両日並び現じ、薄蝕(つね)なく、黒白(こくびゃく)()(こう)、星流れ、地動き、井中に声を発し、暴雨・悪風・飢饉(ききん)、他方の怨賊(おんぞく)国内を侵掠(しんりょう)する難等なり。

一 仁王(にんのう)(きょう)の七難。

一には日月(にちがつ)難、二には星宿(せいしゅく)難、三には衆火難、四には時節(じせつ)難、五には大風難、六には天地(こう)(よう)難、七には四方の賊来る難なり。

一 先難()れ明かなり後災(こうさい)何ぞ疑わん

(ほう)(ねん)(ほう)(ぼう)に由る故に種々の災難、今世上(せじょう)に盛んなり。()し彼の謗法を退治(たいじ)せざれば、自他の叛逆(ほんぎゃく)来らんこと治定(じじょう)なり。故にこの論を(かんが)えて以てこれを奏するなり。故に重ねて四経の文の牒釈(ちょうしゃく)するなり。是れ此の論の肝要(かんよう)なり。

一 其の地を(りゃく)(りょう)せば

小補に云く「(せつ)(もん)に掠は奪取なりと。(こう)(いん)抄掠(しょうりゃく)は人の財物を(うば)うなりと。通じて略に作る、劫略(こうりゃく)は掠と同じ」と云云。

一 国を失い家を(めっ)せば(いず)れの所にか世を(のが)れん

東福寺(とうふくじ)(しょう)(げつ)詠歌(えいか)に云く「遁れても世を安かれと祈るかな 静かならねば隠れがもなし」と云云。これを思い合すべし。

一 一身の安堵(あんど)文。

「堵」は(しょう)なり。集覧四十五に云く「将士は皆安然(あんねん)たること(しょう)()遷動(せんどう)せざるが如し」等云云。

一 大集経に云く、若し国王有って等

註に云く「論主(ひとえ)に謗法の者を責めて而も其の悲歎の至りを示す、故に(はん)(じゅう)に非ず」(取意)等。啓蒙(けいもう)に云く「国主(かん)(ぎょう)の論なるが故に、重ねて之を(いだ)すか。(あるい)は首尾相応の故」等云云。(おそ)らくは、その善を尽し、(いま)だ其の美を尽さざるか。

(いわ)く、大集経に法滅の不護の報を説くに(つぶさ)に両意あり。一には現世(げんせ)の災難、二には後生の(だごく)なり。(さき)にこれを引用すと(いえど)も、(こころ)は現世の災難に()り。今の意は正しく後生の堕獄に在り。(すで)に所引の意同じからず、何ぞこれ(はん)(じゅう)ならんや。

一 六親(ろくしん)()せず天([竜])(たす)けず

「六親」は父母兄弟妻子なり。その外、多説ありと云云。沙石(しゃせき)・二十二にこの文を引いて云く「父母兄弟等不和なる時は天神地祇(ちぎ)も祐けず」と文。註の意もこれに同じきか。

一 人の夜(ものか)くに(乃至)如く

現世の造悪は「夜書く」が如し。その身の死するは「火は滅する」が如し。来生の果は「字は存する」が如し云云。(しか)るに()(よう)先生が小学に「死者は形(すで)(きゅう)(めつ)(たましい)も亦(ひょう)(さん)す。剉焼(ざしょう)春磨(しょうま)有りと(いえど)も、(しばら)(ほどこ)すに所無し」と云うは、これ因果を知らざる故なり。

一 涅槃経に云く

会疏(えしょ)三十二・三十六に云云。「八万四千」の下に「()(えん)」の二字あり。

一 此の(もう)()(まよい)に依りて

正を捨て邪を取るの迷心を以て、これを「朦霧」に(たと)うるなり。(けだ)し明らかならざる所以なり。「(じょう)(えん)」は阿鼻(あび)異名(いみょう)なり。

一 信仰の寸心(すんしん)を改めて

早く邪法信仰の寸心を改めて、(すみや)かに法華実乗の一善に帰せよとなり。(まさ)に知るべし、「寸心を改めて」とは即ちこれ破邪なり。「実乗に帰せよ」とは即ちこれ立正なり。「(しか)れば則ち三界」の下は安国なり。



                  つづく
立正安国論愚記 目次



by johsei1129 | 2015-04-29 21:09 | 日寛上人 御書文段 | Comments(0)
2015年 04月 28日

立正安国論愚記 目次

    
     日寛上人 御書講義

    立正安国論愚記 

 御書結集の事 
 述作年代の事
 
 この論、縁起の事
 
 この論、所破の事

 この論、首(はじめ)に置く事 
 立正の両字の事
 
 安国の両字の事 
 この書を論と名づくる事

 この題に三箇の秘法を含む事 
 この論の選号の事

     第一 災難の来由

     第二 災難の証拠

     第三 正法を誹謗する由

     第四 正しく一凶の所帰を明かす

     第五 和漢の例を出だす

     第六 勘状の奏非

     第七 施を止めて命を絶つ

     第八 斬罪の用否

     第九 疑を断じて信を生ず

     第十 正に帰して領納す


   御書本文   文段 総目次



















by johsei1129 | 2015-04-28 23:03 | 日寛上人 御書文段 | Comments(0)
2015年 04月 28日

立正安国論愚記 二九

(ほっ)(すい)(せん)(じん)斟酌(しんしゃく)

高誘(こうゆう)(りょ)()春秋(しゅんじゅう)の註に云く「斟酌は其の善なる者を取って行う」と云云。故に知んぬ、「斟酌」は思慮(しりょ)分別(ふんべつ)してその善なる者を取って而も行う義なることを。今文の意も(また)(また)(しか)なり。或る師の「思慮の義を破る」は(かえ)って不可なるか。

(まさ)に知るべし、「浅」は即ち余経、「深」は即ち法華なり。故に秀句に云く「(あさ)きは(やす)(ふか)きは(かた)し。六難は法華を指し、()()は余経を指す」(取意)と云云。法華はこれ大海なり云云。本地(ほんち)(じん)(じん)等云云。

一 仏家(ぶっけ)棟梁(とうりょう)

末法の「仏家の棟梁」は即ちこれ蓮祖大聖人なり。故に撰時抄下三十九に云く「()ぬる文永八年九月十二日(さる)の時に平左衛門尉に向って云く日蓮は日本国の棟梁なり()を失なうは日本国の柱橦(はしら)を倒すなり」等云云。

一 (はと)()して(たか)()り等

註の如し。礼記(らいき)月令(がつりょう)に出ず。また(じゅ)(りん)四十三・十二に云く「春分の日、鷹化して鳩と為る。秋分の日、鳩化して鷹と為る。時の()なり」と。また云く「百年の(すずめ)江に入りて(はまぐり)と為り、千歳の(きじ)海に入りて(はまぐり)と為る」と云云。

問う、客(すで)に悪を転じて善と()る、「鳩化して鷹と為る」が如し。何ぞ「雀変じて蛤と為る」というや。

答う、これ勝劣の義を取るに(あら)ず、(ただ)変化(へんげ)の義を取るのみ。

一 ()()(しょう)と成る

「麻畝」の両字は詩経(しきょう)の五に云く「(あさ)()えること(これ)()(かん)せん、その(うね)(こう)(しょう)す。妻を(めと)ること(これ)を如何せん、必ず父母に告ぐ」と云云。史記六十・十二に云く「(よもぎ)麻中(まちゅう)に生ずれば(たす)けざるに(おのずか)(なお)し。白沙の泥中(でいちゅう)に在れば之が(ため)に皆黒し」と文。友を選ぶべきこと要なり。大論の十四・五に云く「人に三(ごう)あり。諸善を()すに、()し身口の業善あれば意業も自然(じねん)に善に入る。(たと)えば曲草の麻中に生ずれば(たす)けざるに自ら(なお)きが如し」と云云。(注・衡従=平らかにすること)

(まさ)に知るべし、今この意に(じゅん)ずるに、(たと)名聞(みょうもん)の為にもせよ、若しは()(よう)の為にもせよ、身に妙法の行を立て、口に妙法の行を説け。(あるい)は身を仏前に(はこ)び、口に妙名を唱えよ。若し(しか)らば意業は自ら妙法の大善に入るべきなり云云。

一 風(やわ)らぎ(なみ)静かに

緑林の風和らぎ、白浪の浪静かに云云。「五風十雨」等云云。
一 不日(ふじつ)豊年(ぶねん)文。

常には漢音に呼ぶも今は呉音に呼べ。これ或る師の伝なり。「不日」とは詩経の注に云く「日を()ざるなり」と。故に知んぬ、(すみやか)なる義を「不日」ということを。「豊年」とは礼記(らいき)五に云く「祭は豊年にも(おご)らず、凶年にも(つづ)めず」等云云。九年六年三年の(たくわ)えの事云云。

一 (ただ)し人の心は時に随って(うつ)

(せん)()(もん)に云く「真を守れば(こころざし)満ち、物を()えば(こころ)移る」と云云。註に云く「中人の性は習いに随って則ち改まる。善に()えば善と()り、悪に逢えば悪と為る。心定まらざるを以てなり。『物を逐えば意移る』とは荘子に云く、凡夫の心は限り有るの身を(もっ)て限り無きの物を求め、(こころ)(つね)に定まらず」と文。

一 物の性は(きょう)()って改まる

「物」は即ちこれ人なり。(まさ)に知るべし、心性は本善悪(もとぜんあく)を具す。所以(ゆえ)に外境に随って善悪の念生ず。(たと)えば(すい)(しょう)の日輪の縁に随って火を生じ、月輪の縁に随って水を生ずるが如し。(すで)に境に依って善悪改変す、故に「境に依って改まる」というなり。

一 譬えば(なお)水中の月の波に動き

北本涅槃(ねはん)経十四・十九に云く「(もろもろ)の衆生等、少微(しょうみ)の縁を見て阿耨(あのく)菩提に於て即便(すなわ)ち動転す。水中の月の水動けば則ち動ずるが如し」と云云。

一 陣前の(いくさ)(つるぎ)(なび)く等

                    つづく
立正安国論愚記 目次


by johsei1129 | 2015-04-28 22:44 | 日寛上人 御書文段 | Comments(0)
2015年 04月 28日

立正安国論愚記 二八

  
  第九 疑を断じて信を生ずの


一 客(すなわ)ち席を()(えり)(つくろ)いて

この段は旅客信伏(しんぷく)して主人を崇敬(すうぎょう)し、(たちま)ち師弟の礼を()す。故に「席を避け襟を刷いて」というなり。孝経に云く「(ちゅう)()間居(かんきょ)たもうとき、曽子(そうし)待坐(たいざ)せり。子の(いわ)(しん)、先王は至徳要道有って(もっ)て天下を(したが)う。民(もっ)て和睦し上下(うらみ)なし、汝之を知るや』と。曽子席を()けて曰く『参は不敏(ふびん)なり、(いずく)んぞ以て之を知るに足らんや』」と。注には「礼に『師の問うことあるときは席を避け()ちて(こた)』といえり」云云。史記の百二十七に云く「(そう)(ちゅう)()()()(ぜん)として悟る、(かむりのお)()(えり)を正して()()す。注には、其の冠の(ひも)()りて、其の衣の襟を正す」等云云。今、註の中に云く「襟を(つくろ)うは(えり)を交うるなり」と云云。

一 仏教()(まちまち)にして
()」の字は、衆なり分なりの訓を用うべきなり。

一 理非(りひ)明ならず

これ信伏(しんぷく)の中に()ず当初の迷妄を()ぐるなり。謙退(けんたい)の辞と()うには(あら)ざるなり。「(ただ)(ほう)(ねん)」の下は(まさ)しく(さく)()を悔ゆるなり。

一 (この)む所なり(ねが)う所なり
  この和訓は可なり。
一 一闡提(いっせんだい)()(とど)め等

 「(しゅう)(そう)()」は「一闡提」に対するなり。(しか)るに世上(せじょう)仏意に(そむ)き、(かえ)って衆僧尼の()止め、(もっぱ)ら一闡提の施を(いた)すは(あわれ)れむべし、悲しむべし。(いわん)やまた「法水の(せん)(じん)」を(わきま)えず、「仏家の棟梁(とうりょう)」を知らざるをや。

一 仏海の白浪(はくろう)(おさ)

白波(はくは)(こく)は盗賊の在所なり。白波(しらなみ)を白浪と号するならん。()漢書(かんじょ)列伝六十二・九の(とう)(たく)伝に云く「初め霊帝の末に黄巾(こうきん)の余党(かく)(たい)等、(また)西河の白波谷に起り、転じて太原(たいげん)(こう)す。(つい)に河東を破り、百姓(ひゃくせい)三輔に流転す。号して白波の賊と()す。衆十余万」等云云。また歌道に盗人を白波というなり。(いえ)(たか)の子息禅師(りゅう)(そん)の歌に「白浪の名をば立つとも吉野川 花(ゆえ)沈む身をば(うら)みじ」と云云。また(じょう)(げん)元年、大裏(だいり)に盗人入りたりし時、(きょう)(わらべ)落書(らくしょ)に「四方(よも)の海風おさまらぬ程見えて 雲の上にも寄する白浪」云云。(しゃ)(せき)本語(ほんご)(えん)に云云。(ただ)在恒(ありつね)(むすめ)の歌に「風吹けば興津(おきつ)白波竜田山(たつたやま) 夜半(よわ)にや君が(ひと)り行くらん」と。この歌の「白浪」は(ただ)是れ枕歌にて盗人の事にはあらず。「立田山」といわんとて「興津白浪」といい、興津白浪といわんとて「風吹けば」と置くなり。例せば「足曳(あしびき)の歌」の如し云云。

緑林(りょくりん)」は盗賊の(こも)る山の名なり。前漢書九十九・九に出でたり。註に「緑林は即ち赤眉賊(せきびぞく)なり。王莽(おうもう)の末、民並び()ちて盗賊と為り、(あつ)まりて緑林の山中に(かく)る」というこれなり。長明(ちょうめい)が海道記に云く、わか杉と云う所にてよめる、はや通るとて過ぎよをよめる歌に云く『はや過ぎよ人の心のよこた山 緑の林かげにかくれて』と云云。呉竹(くれたけ)集に云云。
 問う、(とも)にこれ盗賊の通名なり、何ぞ山賊・海賊に配せんや。

答う、(あるい)(りょう)()政世記の一説に()るか。「暴、山に(かく)れて緑林と()って国を犯す。亀、海に踊って白波と成り舟を(くつがえ)す」云云。或は字の便(たより)に随うか。太平三十九・十八に云く「山路には山賊ありて旅客緑林の陰を過ぎ得ず、海上には海賊多くして舟人白浪が難を去り()ねたり」と云云。

追って、赤眉黄巾の事、太平抄の十七・六。

                     つづく
立正安国論愚記 目次



by johsei1129 | 2015-04-28 22:42 | 日寛上人 御書文段 | Comments(0)
2015年 04月 28日

父親からの勘当にもめげす法華経信仰を貫いた池上兄弟を称えた書【孝子御書】

■出筆時期:弘安二年(西暦1279年)二月二十八日 五十八歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書池上兄弟の弟宗長にあてられたご消息文です。大聖人は池上兄弟の地父親が亡くなったとの噂を聞き本当でしょうかと弟の宗長に尋ねられると共に、長年信心に反対してきた父康光を、兄弟が力を合わせて入信させたことを心から喜ばれ、二人の兄弟を真実の孝子であると称えられた書となっております。父康光は幕府の作事奉行を努め、また極楽寺良観の信奉者だったため、大聖人に帰依する長男宗仲を二度も勘当し、弟宗長に家督を譲ることにしたが、宗長も兄に殉じ法華経信仰を貫いたため、ついに父も大聖人に帰依することになった。
■ご真筆: 福井県本妙寺、他二箇所に断簡所蔵。
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[福井県本名寺蔵 ご真筆]

[孝子御書 本文]
御親父御逝去の由、風聞真にてや候らん。
貴辺と大夫志の御事は、代末法に入つて生を辺土にうけ、法華の大法を御信用候へば、悪鬼定めて国主と父母等の御身に入りかわり怨をなさん事疑なかるべきところに、案にたがふ事なく親父より度度の御かんだうをかうほらせ給ひしかども、兄弟ともに浄蔵・浄眼の後身か、将た又薬王薬上の御計らいかのゆへに、ついに事ゆへなく、親父に御かんきをゆりさせ給いて、前にたてまいらせし御孝養心に任せさせ給いぬるは、あに孝子にあらずや。定めて天よりも悦びをあたへ、法華経十羅刹も御納受あるべし。

其の上貴辺の御事は心の内に感じをもう事候。此の法門、経のごとくひろまり候わば御悦び申すべし。穴賢穴賢、兄弟の御中不和にわたらせ給ふべからず、不和にわたらせ給ふべからず。
大夫志殿の御文にくわしくかきて候きこしめすべし、恐恐謹言。

弘安二年二月二十八日        日 蓮 花 押




by johsei1129 | 2015-04-28 21:54 | 池上兄弟 | Comments(0)
2015年 04月 22日

富士大石寺の開基大檀那・南条時光との出会いを記した書【南条後家尼御前御返事】

【南条後家尼御前御返事】
■出筆時期:文永十一年(1274年)七月二十六日 五十三歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は大聖人が身延山中に草庵を設けたことを知った南条後家尼御前(故南条兵衛七郎の妻)が、家督を継いだ当時十五歳の時光に頼んで、ご供養の品々を届けたことへの返書となっております。大聖人は九年前の文永二年三月八日に南条兵衛七郎が亡くなると、鎌倉から駿河上野郷にわざわざ下向し、兵衛七郎の墓に参っておられます。そして当時幼かった時光が成長した姿をみて「すがたのたがわせ給わぬに、御心さひにられける」と記され、姿も心根も父兵衛殿にそっくりで言うことがないと称えられておられます。

さらに文末では「あわれ人はよき子はもつべかりけるものかな」と記され、後家尼に対し貴女は良いお子に恵まれております、と称えられております。
尚、時光は熱原の法難で日興上人とともに弾圧された信徒の農民を外護、大聖人から「上野賢人」の称号を賜り、日興上人が身延を離山したときは領地を提供し、富士大石寺の開基大檀那となっております。
■ご真筆: 常陸太田市 久唱寺(きゅうしょうじ)所蔵。
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[南条後家尼御前御返事 本文]

 鵞目十連・かわのり二帖・しやうかう二十束、給候い畢んぬ。
かまくら(鎌倉)にてかりそめの御事とこそ、をもひまいらせ候いしに、をもひわすれさせ給わざりける事申すばかりなし。こうへのどの(故上野殿)だにもをはせしかば、つねに申しうけ給わりなんと、なげきをもひ候いつるに、をんかたみ(御形見)に御みをわかくして、とどめをかれけるか。すがたのたがわせ給わぬに、御心さひにられける事いうばかりなし。
 法華経にて仏にならせ給いて候とうけ給わりて、御はかにまいりて候いしなり。又この御心ざし申すばかりなし。
今年のけかちにはじめたる山中に、木のもとに、このは(木の葉)うちしきたるやうなるすみかを、もひやらせ給え。
 このほどよみ候御経の一分をことのへ廻向しまいらし候。
あわれ人はよき子はもつべかりけるものかなと、なみだ(涙)かきあえずこそ候いし。

 妙荘厳王は二子にみちびかる。かの王は悪人なり、こうへのどのは善人なり。かれにはにるべくもなし。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。

七月二十六日       日 蓮 花押
御返事


by johsei1129 | 2015-04-22 22:43 | 南条時光(上野殿) | Comments(0)
2015年 04月 19日

小説 日蓮の生涯 上 

                             英語版        
                         
作 小杉 貢  監修 三浦 常正    平成26年1月3日  公開


        日蓮の生涯 概略

上巻目次
23 強敵の胎動  
34 弟子への遺言     


中巻目次   下巻目次 

                             (大石寺三門と富士山)   
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  1 故郷への旅立ち につづく 



by johsei1129 | 2015-04-19 19:54 | 小説 日蓮の生涯 上 | Comments(4)
2015年 04月 16日

末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし但南無妙法蓮華経なるべし、と説いた【上野殿御返事】

【上野殿御返事(法要書)】
■出筆時期:弘安元年(西暦1278年)4月1日 五十七歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は大石寺開基檀那の上野殿(南条時光)に与えられた御消息文で、時光が姪(姉の娘)の姫御前が死去したことを大聖人に伝えた手紙への返書となっております。
 大聖人は、この姫御前から三月の十四、五日頃「病状が急変しこれが最後の手紙となります」と書かれた書が届いていたが「されば、つゐに、はかなくならせ給いぬるか」と嘆かれておられます。さらに時光から臨終に際しこの姫御前が「南妙法蓮華経」と唱えてなくなったことを知らされ、「此の人は先世の宿業か、いかなる事ぞ、臨終に南無妙法蓮華経と唱えさせ給いける事は一眼のかめの浮木の穴に入り、天より下いとの大地のはりの穴に入るがごとし」とその純粋な信仰心を讃えられておられます。
 さらに文末では「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし<中略>此の南無妙法蓮華経に余事をまじへば・ゆゆしきひが事なり」と諭されておられます。
■ご真筆: 現存していない。古写本:日興上人筆(富士大石寺所蔵)

[上野殿御返事(法要書) 本文]
 
白米一斗・いも一駄・こんにやく五枚・わざと送り給び候い畢んぬ。
 なによりも石河の兵衛入道殿のひめ御前の度度御ふみをつかはしたりしが、三月の十四五やげにて候しやらむ御ふみありき。この世の中をみ候に、病なき人も・こねんなんどをすぐべしともみへ候はぬ上、もとより病ものにて候が、すでにきうになりて候さいごの御ふみなりと、かかれて候いしが、されば・つゐに・はかなくならせ給いぬるか。

 臨終に南無阿弥陀仏と申しあはせて候人は、仏の金言なれば一定の往生とこそ人も我も存じ候へ。しかれども・いかなる事にてや候いけん。仏のくひかへさせ給いて未顕真実・正直捨方便と・とかせ給いて候が、あさましく候ぞ。

 此れを日蓮が申し候へば、そら事うわのそらなりと日本国にはいかられ候。此れのみならず仏の小乗経には十方に仏なし一切衆生に仏性なしと・とかれて候へども、大乗経には十方に仏まします一切衆生に仏性ありと・とかれて候へば、たれか小乗経を用い候べき、皆大乗経をこそ信じ候へ。此れのみならず・ふしぎのちがひめども候ぞかし。

 法華経は釈迦仏・已今当の経経を皆くひかへしうちやぶりて、此の経のみ真実なりととかせ給いて候いしかば、御弟子等用ゆる事なし。爾の時・多宝仏・証明をくわへ十方の諸仏・舌を梵天につけ給いき。さて多宝仏はとびらをたて十方の諸仏は本土に・かへらせ給いて後は、いかなる経経ありて法華経を釈迦仏やぶらせ給うとも、他人わゑになりて・やぶりがたし。しかれば法華経已後の経経・普賢経・涅槃経等には、法華経をば・ほむる事はあれどもそしる事なし。

 而るを真言宗の善無畏等・禅宗の祖師等・此れをやぶれり。日本国・皆此の事を信じぬ。例せば将門・貞任なんどに・かたらはれし人人のごとし。日本国すでに釈迦・多宝・十方の仏の大怨敵となりて数年になり候へば、此の人は先世の宿業か・いかなる事ぞ、臨終に南無妙法蓮華経と唱えさせ給いける事は・一眼のかめの浮木の穴に入り・天より下いとの大地のはりの穴に入るがごとし。あらふしぎふしぎ。

 又念仏は無間地獄に堕つると申す事をば経文に分明なるをば、しらずして皆人日蓮が口より出でたりとおもへり。天はまつげのごとしと申すはこれなり。虚空の遠きと、まつげの近きと人みなみる事なきなり。此の尼御前は日蓮が法門だにひが事に候はば、よも臨終には正念には住し候はじ。

 又日蓮が弟子等の中に、なかなか法門しりたりげに候人人は・あしく候げに候。南無妙法蓮華経と申すは法華経の中の肝心、人の中の神のごとし。此れにものを・ならぶれば・きさきのならべて二王をおとことし、乃至きさきの大臣已下になひなひとつぐがごとし、わざはひのみなもとなり。正法・像法には此の法門をひろめず余経を失わじがためなり。

 今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし。但南無妙法蓮華経なるべし。かう申し出だして候も、わたくしの計にはあらず。釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌千界の御計なり。此の南無妙法蓮華経に余事をまじへば、ゆゆしきひが事なり。日出でぬれば・とほしびせんなし、雨のふるに露なにのせんかあるべき。嬰児に乳より外のものをやしなうべきか。良薬に又薬を加えぬる事なし。

 此の女人は、なにとなけれども自然に此の義にあたりてしををせるなり。たうとし、たうとし、恐恐謹言。

弘安元年四月一日                         日  蓮  花 押
上野殿御返事




by johsei1129 | 2015-04-16 20:52 | 南条時光(上野殿) | Comments(0)
2015年 04月 12日

立正安国論愚記 二七

第八 (ざん)(ざい)(ゆう)()の下   十月二十四日

一 ()の経文の如く
  これ上来の涅槃(ねはん)経等を指すなり。
一 大集(だいしゅう)経に云く
  大集月蔵(がつぞう)経十・二十八法滅尽品の文なり。註の指南は(あやま)りなり。
一 彼の(ちく)(じょう)の等
  啓蒙九十七に増一阿含十八・十三を引く、()いて見よ。註の中には略して引く。

問う、目連(もくれん)(すで)に法華に於て初住(しょじゅう)の記を()。何ぞ外道(げどう)(ころ)す所と()るや。

答う、極果仍(ごっかなお)頭痛・背痛あり、(いわん)やまた初住をや。註に云く「業()随逐(ずいちく)して聖に至るも(まぬか)れず。(ただ)総報の悪業を()つ、別報()まざる故に業(つぐな)うなり」と云云。

問う、増一はこれ鹿(ろく)(おん)の説なり。()竹杖が害を得ば、何ぞ法華の座に()るや。

答う、目連既に法華の座に在り、故に知んぬ、後分の阿含(あごん)なるのみ。部類同じきを以て結集(けつじゅう)初めに()くなり。例せば(ゆい)(きょう)(ぎょう)は最後の説と雖も、阿含の結経と()るが如し。これ(じょう)()の談なり。初学の為に記するのみ。

一 提婆(だいば)(だっ)()文。
  啓蒙六・二十八に摩耶(まや)経下巻を引く。註の中には略引するなり。
一 (こう)(こん)最も(おそれ)あり
  字彙(じい)に云く「昆は(あに)なり、(のち)なり」と云云。
一 客明に経文を見て

これ上来の涅槃(ねはん)経等を指すなり。問の中に「()の経文の如く」と。これを思え云云。

一 心の及ばざるか
両句、別意なきなり云云。

一 (まった)く仏子を(いまし)むるには(あら)

これ大集経を()するなり。(いわ)く、涅槃経の「止施断(しせだん)(みょう)」は全く仏子を禁むるには非ずして唯謗法(ただほうぼう)(にく)むなり。若し大集経の「持戒・()(かい)」は倶に仏子に約す。これ謗法の人に約するに非ず、故に今の違文に非ざるなり。

一 釈迦の以前等

「釈迦・(のう)(にん)」は倶にこれ能説の如来なり。「仏教」「経説」は同じくこれ涅槃経なり。「以前」は即ち過去の事、所謂(いわゆる)有徳(うとく)(せん)()なり。「以後」は即ち滅後の事、所謂「(ただ)一人を除いて、余の一切に(ほどこ)さば」等はこれなり。即ちこれ今日の涅槃経の説相なり。註の中は未だ分明(ふんみょう)ならざるか。(また)健抄は悪人の多少に約すと云云。白髪の(たとえ)の如し、これを思え。

一 ()の悪に(ほどこ)さず

「悪」は即ちこれ謗法なり。「善」は即ちこれ正法なり。(まさ)に知るべし「其の悪に施さず」とはこれ破邪なり。「皆()の善に帰す」とはこれ立正なり。「難なく災なし」とは(あに)安国に非ずや。(また)(また)善悪相対・権迹本等、忘失すべからず云云。

                     つづく
立正安国論愚記 目次



by johsei1129 | 2015-04-12 20:52 | 日寛上人 御書文段 | Comments(0)