日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 10月 31日

第五に権実相対して一念三千を明かすことを示すとは 一 【三重秘伝抄】


 第五に権実相対して一念三千を明かすことを示すとは、

 次の文に云く、此等の経々に二つの(とが)あり。一には(こう)()を存するが故に()(いま)だ権を()開せずとて迹門の一念三千を隠せり。二には始成と言うが故に(なお)未だ(しゃく)を発せずとて本門の久遠を隠せり。迹門方便品には一念三千、二乗作仏(さぶつ)を説きて()(ぜん)二種の(とが)一を(のが)れたり已上。
 此等の経々は四十余年の経々なり、行布とは即ち是れ差別の異名なり、所謂(いわゆる)の経々には十界の差別を存する故に()お未だ九界の権を開せず、故に十界()()の義なき故に迹門の一念三千の義を(かく)せりと云ふなり。
 問ふ(まさ)に迹門方便品は一念三千を説きて爾前二種の失一を脱れたりと云うべし、何ぞ二乗作仏等と云うや、
 答ふ一念三千は
(しょ)(せん)にして二乗作仏は(のう)(せん)なり、今能所(なら)べ挙ぐる故に一念三千二乗作仏等と云ふなり。()わく若し二乗作仏を明かさゞる(とき)菩薩凡夫も仏に作らず、是れ即ち菩薩に二乗を(そな)ふれば所具の二乗、仏に作らざる則は能具の菩薩(あに)作仏せんや。故に十法界抄に云く(しか)るに菩薩に二乗を具ふる故に二乗の沈空尽滅するは菩薩が即ち是菩薩の沈空尽滅(じんくうじんめっ)するなり云云。菩薩既に(しか)り、凡夫も亦(しか)なり故に九界も同じく作仏せざるなり、故に九界則仏界の義無き故に一念三千(つい)に顕わるることを得ざるなり、若し二乗作仏を明かす(とき)永不成仏の二乗猶成仏す、(いか)(いわん)や菩薩凡夫をや、故に九界即仏界にして十界互具一念三千(へい)(ねん)なり、故に今、一念三千二乗作仏と云ふなり、宗印の北峰に云はく三千是不思議の妙境なり、只法華の開顕に()りて二乗作仏十界互具す、是の故に三千の法一念に(とん)(えん)にして法華独妙なり文。
 問ふ、昔の経々の中に一念三千を明かさずんば天台(なん)華厳心造の文を引いて一念三千を証するや。
 答ふ、彼の経に
()小久(しょうく)(じょう)を明かさず、何ぞ一念三千を明かさんや。若し大師引用の意は浄覚云く、今の引用は会入(えにゅう)の後に従ふ等云云、又古徳云く、華厳は死法門にして法華は活法門なり云云。彼の経の当分は有名無実なる故に死法門と云ふ、楽天の云く竜門原の上の土、骨を()めて名を埋めずと、和泉式部云く、諸共に苔の下には朽ちずして埋もれぬ名を見るぞ悲しき云云。若し会入の後は(なお)蘇生(そせい)の如し、故に活法門と云ふなり。
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日享上人 註解

○次の文とは、標の文なる開目抄の一念三千云云の次の文

布とは、十界の因果を殊に菩薩の四十一位を竪に行列布置し、少しも円融不次第の義無きを云ふ。

○始成とは、釈迦仏は寂滅道場菩提樹下にして正覚を成じ始めて仏に成れりと云ふ爾前の諸経及び法華の迹門の説相である。

○未だ迹を発せずとは、爾前迹門の諸経に於いて道場正覚の仏と云っている間は垂迹示現の迹が臭気が取れぬと云ふ事である。

○迹門方便品とは、十如実相の略開三顕一より五仏章の広開三顕一等に即ち一念三千の理が有り舎利弗の正説が即ち二乗作仏である。

○昔とは、爾前の諸経の事である。

○所詮○能詮とは、詮は事理を能く説き明かす義で、二乗作仏に依りて一念三千の義を説明する事を得るから、二乗作仏の方は説明手、即ち能詮であり、一念三千の方は被説明の法即ち所詮である、能は自動で所は他動である、次の菩薩二乗の能具所具も此れに準じて知る事ができる。

○二乗沈空尽滅とは、阿羅漢等の二乗が(けん)思惑(じわく)を断じて空理に沈み、()(しん)滅智(めつち)して心身(すべ)滅の無余(むよ)涅槃(ねはん)に入るを云ふ。

○菩薩沈空尽滅とは、菩薩其の行程の始めに()いて塵沙惑(じんじゃわく)を起して空理に沈み、出仮利生の念無きものを云ふ。

(よう)不成仏(ふじょうぶつ)とは、声聞縁覚の二乗は無余涅槃に入りて身心(すべ)滅し、仏種を断ずるが故に未来永々成仏の機会無しと爾前の諸経に説かれてある。

○炳然とは、火のやうに明らかなること。

○不思議妙境とは、一心より一切の法を次第に生じたのか、一心が一時に一切の法を有ってをるのか、ドッチとも云へぬ唯是れ心が即一切法、一切法が即ち心で其の道理は(こころ)でも識ことも出来ず、語でも云はれぬ、誠に不思議な境界ぢやと、宗印が三千法を歎賞した文である。

○華厳心造とは、前に引ける如来林菩薩の心が一切法を造ると云ふ偈文である。

○記小久成とは、記小は迹門諸品の二乗(小)作仏の授記で、久成は本門寿量品の久遠実成の顕本である。

○浄覚とは(そう)代の智礼門下ってが、四明反旗著書沢山有る。

○会入の後に従うとは、華厳を開会して法華経に入れての上に華厳経を引用すれば、此れは法華が家の華厳であるから爾前経ぢゃからとて斥ふには及ばぬと浄覚の説である。

○楽天曰く竜門原上士等とは唐の白居易で其の白氏文集廿一にあり、和漢朗詠集や太平記等に引用してある有名な詩である。遺文三十軸、軸々金玉声、竜門原上士、埋骨不埋名とある下の句を今引用してある、其れは元宗簡の文集に楽天が題したのである、其の墓が竜門の原(洛陽の竜門で有名な石窟寺の附近ならん)の上りに在るから骨は其の処に埋めても宗簡の文名は天下に埋もれ朽ちずして永久に金玉の声ありと賞歎したのである。

○和泉式部云わく諸共に等とは、此の歌は和泉式部集の三に在る(金槐和歌集にもある)が詞書に「内侍ナクナリテ次ノ年七月ニ例給ハル衣ニ名ノカヽレタルヲ」とある、式部の女小式部内侍が死して後にも仕へ(はべ)上東門院彰子一条帝皇后年々衣服小式部内侍て、式部である、漢和例は法門法門であろう、枯れ文名小式部である。

   第五に権実相対して一念三千を明かすことを示すとは 二に続く

三重秘伝抄 目次
六巻抄 目次




by johsei1129 | 2014-10-31 22:49 | 日寛上人 六巻抄 | Comments(0)
2014年 10月 30日

日蓮は一閻浮提の内、日本国安房の国東条の郡に始めて此の正法を弘通し始めたりと説いた【新尼御前御返事】

【新尼御前御返事】
■出筆時期:文永十二年(西暦1275年)二月十六日 五十四歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本御書は大聖人の故郷である安房国東条郷に在住している新尼から、大尼(夫の母)の願いで、御供養の甘海苔をご供養するとともに御本尊のご下付を願い出たことに対する返書となっている。
大尼御前は、所領が地頭の東条景信より没収されようとした時、大聖人の働きもあり、その策謀を阻止できた経緯もあり、一旦は大聖人に帰依するようになった。しかしその後竜の口法難、佐渡流罪と大聖人が大難に遭われ弟子・信徒に対しても鎌倉幕府の圧力が強まると、法華経の信仰を捨ててしまう。このことにより、難が起きても変わらず大聖人への帰依を貫かれた新尼御前に御本尊の下付はできるが、大尼御前に下付することは叶わないと、法華経への信仰の咎に対し、厳しい姿勢を示している。
■ご真筆:岡崎市長福寺(断簡所蔵)。 身延山久遠寺 曽存(かつては存在したが焼失)。
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[新尼御前御返事 本文]

あまのり一ふくろ送り給び畢んぬ。又大尼御前よりあまのり畏こまり入つて候、此の所をば身延の嶽と申す駿河の国は南にあたりたり彼の国の浮島がはらの海ぎはより此の甲斐の国・波木井の郷・身延の嶺へは百余里に及ぶ、余の道・千里よりもわづらはし、富士河と申す日本第一のはやき河・北より南へ流れたり、此の河は東西は高山なり谷深く左右は大石にして高き屏風を立て並べたるがごとくなり、河の水は筒の中に強兵が矢を射出したるがごとし、此の河の左右の岸をつたい或は河を渡り或時は河はやく石多ければ舟破れて微塵となる、かかる所をすぎゆきて身延の嶺と申す大山あり、東は天子の嶺・南は鷹取りの嶺・西は七面の嶺・北は身延の嶺なり、高き屏風を四ついたてたるがごとし、峯に上つて・みれば草木森森たり谷に下つてたづぬれば大石連連たり、大狼の音・山に充満し猿猴のなき谷にひびき鹿のつまをこうる音あはれしく蝉のひびきかまびすし、春の花は夏にさき秋の菓は冬になる、たまたま見るものは・やまかつがたき木をひろうすがた時時とぶらう人は昔なれし同朋なり、彼の商山の四皓が世を脱れし心ち竹林の七賢が跡を隠せし山もかくやありけむ、峯に上つて・わかめやをいたると見候へば・さにてはなくして・わらびのみ並び立ちたり、谷に下つてあまのりや・をいたると尋ぬれば、あやまりてや・みるらん・せりのみしげり・ふしたり、古郷の事はるかに思いわすれて候いつるに・今此のあまのりを見候いてよしなき心をもひいでて・うくつらし、かたうみいちかはこみなとの磯の・ほとりにて昔見しあまのりなり、色形あぢわひもかはらず、など我が父母かはらせ給いけんと・かたちがへなる・うらめしさ・なみだをさへがたし。

 此れは・さて・とどめ候いぬ、但大尼御前の御本尊の御事おほせつかはされて・おもひわづらひて候、其の故は此の御本尊は天竺より漢土へ渡り候いし・あまたの三蔵・漢土より月氏へ入り候いし人人の中にもしるしをかせ給はず、西域慈恩伝・伝燈録等の書どもを開き見候へば五天竺の諸国の寺寺の本尊・皆しるし尽して渡す、又漢土より日本に渡る聖人日域より漢土へ入る賢者等のしるされて候、寺寺の御本尊皆かんがへ尽し・日本国最初の寺・元興寺・四天王寺等の無量の寺寺の日記、日本紀と申すふみより始めて多くの日記にのこりなく註して候へば其の寺寺の御本尊又かくれなし、其の中に此の本尊は・あへてましまさず。
人疑つて云く経論になきか・なければこそ・そこばくの賢者等は画像にかき奉り木像にも・つくりたてまつらざるらめと云云、而れども経文は眼前なり御不審の人人は経文の有無をこそ尋ぬべけれ、前代につくりかかぬを難ぜんと・をもうは僻案なり、例せば釈迦仏は悲母・孝養のためにとう利天に隠れさせ給いたりしをば一閻浮提の一切の諸人しる事なし、但目連尊者・一人此れをしれり此れ又仏の御力なりと云云、仏法は眼前なれども機なければ顕れず時いたらざればひろまらざる事・法爾の道理なり、例せば大海の潮の時に随つて増減し上天の月の上下にみちかくるがごとし。

  今此の御本尊は教主釈尊・五百塵点劫より心中にをさめさせ給いて世に出現せさせ給いても四十余年・其の後又法華経の中にも迹門はせすぎて宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し神力品・属累に事極りて候いしが、金色世界の文殊師利・兜史多天宮の弥勒菩薩・補陀落山の観世音・日月浄明徳仏の御弟子の薬王菩薩等の諸大士・我も我もと望み給いしかども叶はず、是等は智慧いみじく才学ある人人とは・ひびけども・いまだ法華経を学する日あさし学も始なり、末代の大難忍びがたかるべし、我五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり・此れにゆづるべしとて、上行菩薩等を涌出品に召し出させ給いて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給いて、あなかしこ・あなかしこ・我が滅度の後・正法一千年・像法一千年に弘通すべからず、末法の始に謗法の法師一閻浮提に充満して諸天いかりをなし彗星は一天にわたらせ大地は大波のごとくをどらむ、大旱魃・大火・大水・大風・大疫病・大飢饉・大兵乱等の無量の大災難並びをこり、一閻浮提の人人・各各・甲冑をきて弓杖を手ににぎらむ時、諸仏・諸菩薩・諸大善神等の御力の及ばせ給わざらん時、諸人皆死して無間地獄に堕ること雨のごとく・しげからん時・此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば諸王は国を扶け万民は難をのがれん、乃至後生の大火炎を脱るべしと仏・記しをかせ給いぬ、而るに日蓮・上行菩薩には・あらねども・ほぼ兼てこれをしれるは彼の菩薩の御計らいかと存じて此の二十余年が間此れを申す、此の法門弘通せんには如来現在猶多怨嫉・況滅度後・一切世間・多怨難信と申して第一のかたきは国主並びに郡郷等の地頭・領家・万民等なり、此れ又第二第三の僧侶が・うつたへに・ついて行者を或は悪口し・或は罵詈し・或は刀杖等云云。

 而るを安房の国・東条の郷は辺国なれども日本国の中心のごとし、其の故は天照太神・跡を垂れ給へり、昔は伊勢の国に跡を垂れさせ給いてこそありしかども、国王は八幡・加茂等を御帰依深くありて天照太神の御帰依浅かりしかば、太神・瞋りおぼせし時・源右将軍と申せし人・御起請文をもつて・あをかの小大夫に仰せつけて頂戴し・伊勢の外宮にしのび・をさめしかば太神の御心に叶はせ給いけるかの故に・日本を手ににぎる将軍となり給いぬ、此の人東条の郡を天照太神の御栖と定めさせ給う、されば此の太神は伊勢の国にはをはしまさず安房の国東条の郡にすませ給うか、例えば八幡大菩薩は昔は西府にをはせしかども、中比は山城の国・男山に移り給い、今は相州・鎌倉・鶴が岡に栖み給うこれも・かくのごとし。

  日蓮は一閻浮提の内・日本国・安房の国・東条の郡に始めて此の正法を弘通し始めたり、随つて地頭敵となる彼の者すでに半分ほろびて今半分あり、領家は・いつわりをろかにて或時は・信じ或時はやぶる不定なりしが日蓮御勘気を蒙りし時すでに法華経をすて給いき、日蓮先よりけさんのついでごとに難信難解と申せしはこれなり、日蓮が重恩の人なれば扶けたてまつらんために此の御本尊をわたし奉るならば十羅刹定めて偏頗の法師と・をぼしめされなん、又経文のごとく不信の人に・わたしまいらせずば日蓮・偏頗は・なけれども尼御前我が身のとがをば・しらせ給はずして・うらみさせ給はんずらん、此の由をば委細に助阿闍梨の文にかきて候ぞ召して尼御前の見参に入れさせ給うべく候。

  御事にをいては御一味なるやうなれども御信心は色あらわれて候、さどの国と申し此の国と申し度度の御志ありてたゆむ・けしきは・みへさせ給はねば御本尊は・わたしまいらせて候なり、それも終には・いかんがと・をそれ思う事薄冰をふみ太刀に向うがごとし、くはしくは又又申すべく候、それのみならず・かまくらにも御勘気の時・千が九百九十九人は堕ちて候人人も・いまは世間やわらぎ候かのゆへに・くゆる人人も候と申すげに候へども・此れはそれには似るべくもなく・いかにも・ふびんには思いまいらせ候へども骨に肉をば・かへぬ事にて候へば法華経に相違せさせ給い候はん事を叶うまじき由いつまでも申し候べく候、恐恐謹言。

二月十六日   日  蓮  花押
新尼御前御返事

by johsei1129 | 2014-10-30 20:22 | 弟子・信徒その他への消息 | Comments(0)
2014年 10月 25日

第四に一念に三千を具する相貌を示すとは 【三重秘伝抄】


 第四に一念に三千を具する
相貎(そうみょう)を示すとは、

 問う、止観第五に云わく、此の三千一念の心に在り等云云、一念の微少何ぞ三千を()せんや、
 答う、凡そ今経の意は具遍を明かす、故に法界の全体一念に具し、一念の全体法界に遍す。
(たと)ば一微塵(みじん)に十方の分を具へ、一滴の水の大海に(あまね)きが如し云云。

華厳経に云く、心は(たく)みなる画師の種々の五陰を造る、一切世間の中に法として造らざること無し等云云。
 問う、画師は(ただ)(これ)一色(えが)く、何ぞ四心を画くことを得んや。
 答ふ、色心(とも)に画く故に種々の五陰を造ると云うなり。故に止観第五二十一に云く、善画は像を写すに真に(せま)り、骨法精霊の生気飛動するが如し云云。誰か鐘馗(しょうき)を見て喜ぶと云うべけんや、誰か布袋(ほてい)を見て(いか)れると云うべけんや。故に知んぬ、善く心法を画くなり、止観に又(さん)()を明かす云云。
 又二寸三寸の鏡の中に十丈・百丈・乃至山河を現ず、況んや石中の火・木中の花、誰か之を疑ふべけんや。
 弘の五上に心論を引て云く、()(どう)女長者、伴を随え海に入り宝を()らんと欲し、母に従りてより去らんことを求む。母の云く、吾唯汝のみあり何んぞ吾を捨てゝ去るや、母()の去らんことを恐れ、便ち其の足を(とら)う、童女便ち手を以て母の髪を捉うるに一(けい)の髪落つ、母すなわち放ち去る。海洲の上に至るに熱鉄輪の空中より()の頂上に下臨するを見る、便ち誓いを発して言わく、願わくば法界の苦皆我が身に集まれと、誓願力を以ての故に火輪遂に落ち(ここ)(おい)身を捨て天に生まる、母に違ひて髪を損ずるは地獄の心を成し、弘誓の願いを発すは即ち仏界に属す等云云。一念の心中(すで)に獄と仏とを(そな)ふ、中間の互具は准説(じゅんせつ)して知るべし云云。
 本尊抄に云く、数々(しばしば)他面を見るに、(ある)時は喜び、或時は(いか)り、或時は(たいら)かに、或時は(むさぼり)現われ、或時は(おろか)現われ、或時は諂曲(てんごく)なり。瞋るは地獄、貪るは餓鬼、痴は畜生、諂曲なるは修羅・喜ぶは天・平かは人なり、乃至(ないし)世間の無常は眼前に在り、人界に(あに)二乗界なからんや。無顧(むこ)の悪人(なお)妻子を慈愛す、菩薩界の一分なり、乃至末代に凡夫出生して法華経を信ず、人界に仏界を具するが故なり略抄。法華経を信ずる等の文、深く之を思うべし云云。
 妙楽云わく、仏界の心強きを(なづ)けて仏界となし、悪業深重なるを名けて地獄となす云云。既に法華経を信ずる心強きを名けて仏界となす。故に知んぬ、法華経を(そし)る心強きを悪業深重と号し、地獄界と名づくるなり。

故に知んぬ一念に三千を()すること明らかなり。

日享上人 註解

○一念心とは、ヒトヲモヒの心、(すなわ)刹那(せつな)止観一念三千る。

○華厳経に云はくとは、経の十八、如来林菩薩の説ける()(もん)である。

○一色とは、一色とは(ゆい)(しき)青等色、()他種々間色ではい。

○四心とは、未念・欲念・念・念已(ねんい)精神作用未念ときはんととき念ひつときである。

○色心(とも)は、骨格容貌(もと)り、ふ。

○善画とは、巧妙なる画工の事である。

○骨法精霊とは、骨法は物体の色法、精霊は其の心法である、其れが絵画で無くて真の生物の如く生々(いきいき)して美人画愛着幽霊図恐怖る、名画()った飛び去り、(つな)った寓話であ

○鐘馗とは、鬼神の名を人名に取ったのであらう、後漢に李鐘馗あり隋に(きょう)鐘馗、揚鐘馗、唐に張鐘馗と云ふ人があった、明皇帝が大鬼小鬼を制するを夢に見て呉道子に画かせた、更に此れを版画にして臣下に賜はった、是が即ち鐘馗の図で怒髪(どはつ)天に逆だち(つるぎ)()げて鬼を叱咤(しった)する状、真に恐るべきもの、此れが(ここ)に云う鐘馗である
○布袋とは、又支那の僧で
豊頬曲(ほうきょうきょく)()大耳(だいじ)笑貌(しょうぼう)便々巨大布袋小児懐従(かいじゅう)である。

()は、摩訶止観解釈せる妙楽弘決(ぐけつ)()(ぎょう)十巻上下った上巻である。

○海州とは、大海の中の島嶼(とうしょ)である

○熱鉄輪とは、焼けて赤くなった鉄丸。

○法界苦とは、十方世界に充ちたらん一切の苦しみである。

○火輪とは、火の玉の事。

○准説等とは、上に引ける慈童女の一念の中に極悪の地獄の心と極善の仏の心とを同時に(そな)ば、中間畜生にも無論の事である、(また)畜生人間十界互具慈童女長者わるである。

○平とは、喜怒哀楽等の情が(ひとえ)に際立ちて顕はれをらぬ事。

〇貪とは、ヤタラに物を欲しがる事。

○癡とは、物の道理が少しも分からぬ事。

諂曲(てんごく)とは、修羅(しゅら)の性格の一面で勝他の目的の為には(おのれ)()げて他に(へつら)ふこある。

無顧(むこ)悪人は、アトサキ見ず無法者眷属(けんぞく)愛撫(あいぶ)地獄修羅心中菩薩(そな)ってい現証である

凡夫(ぼんぷ)出生等は、凡夫(そく)(ごく)即身成仏実現末法大白法(だいびゃくほう)久遠(くおん)名字(みょうじ)妙法(なが)(みなも)仏界である。



   第五に権実相対して一念三千を明かすことを示すとは 一 に続く

三重秘伝抄 目次




by johsei1129 | 2014-10-25 22:34 | 日寛上人 六巻抄 | Comments(0)
2014年 10月 25日

第三に一念三千の数量を示すとは【三重秘伝抄】

第三に一念三千の数量を示すとは、

 (まさ)に三千の数量を知らんとせば(すべから)く十界・三世間・十如の相を了るべし。十界は常の如し、八大地獄に各十六の別処あり、故に一百三十六通じて地獄と号するなり。餓鬼は正法念経に三十六種を明かし、正理論に三種・九種を明かす。畜生は魚に六千四百種、鳥に四千五百種、獣に二千四百種、合して一万三千三百種、通じて畜生界と名づくるなり。修羅は身長八万四千()(じゅん)、四大海の水も(ひざ)に過ぎず、人は即ち四大洲、天は即ち欲界の六天と色界の十八天と無色界の四天となり。二乗は身子・目連等の如し。菩薩は本化・迹化の如し、仏界は釈迦・多宝の如し云云。
 三世間とは()(おん)と衆生と国土となり。五陰とは色・受・想・行・識なり、言う所の陰とは正しく九界に約し、善法を陰蓋(いんがい)するが故に陰と名づくるなり、(これ)は因に()いて名を得。又陰は是れ積聚(せきじゅ)なり、生死重沓(じゅうとう)す、故に陰と名づく、是は果に就いて名を得たり。若し仏界に約せば常楽重沓し、慈悲覆蓋(ふくがい)するが故なり。次ぎに衆生世間とは十界通じて衆生と名づくるなり、五陰(かり)に和合するを名づけて衆生と云うなり、仏界は(これ)尊極の衆生なり。故に大論に曰わく、衆生の無上なるは仏(これ)なりと。(あに)凡下(ぼんげ)に同じからんや云云。三に国土世間とは則ち十界の居る所なり、地獄は赤鉄に(より)て住し、餓鬼は(えん)()の下五百由旬に住し、畜生は水陸空に住し、修羅は海の(ほとり)海の底に住し、人は大地に(より)て住し、天は空殿に依て住し、二乗は方便土に依て住し、菩薩は実報土に依て住し、仏は寂光土(じゃっこうど)に依て住し(たま)り云云。並びに世間とは即ち是差別の義なり、所謂(いわゆる)十種の()(おん)不同なる故に五陰世間と名づけ、十種の衆生不同なる故に衆生世間と名づけ、十種の所居不同なる故に国土世間と名づくるなり。
 十如是とは相・性・体・力・作・因・縁・果・報等なり。如是とは(たと)ば臨終に黒色なるは地獄の相、白色なるは天上の相等の如し。如是とは十界の善悪の性、其の内心に定まり後世まで改まらざるを性と云うなり。如是とは十界の身体色質なり。如是とは十界各々の作すべき所の功能なり。如是とは三業を運動し善悪の所作を行ふなり、善悪に(わた)りて習因習果あり、先念は習因、後念は習果なり。是(すなわ)ち悪念は悪を起こし、善念は善を起こす。後に起す所の善悪の念は前の善悪の念に由る故に前念は習因即ち如是因なり、後念は習即ち如是果なり。善悪の体を(うるお)す助縁は(これ)如是縁なり。習因習果等の業因に(むく)て正しく善悪の(むくい)くるは(これ)如是報なり。初めの相を本とし後の報を末とし、此の本末の其の(きわま)りて中道実相なるを本末究竟(くきょう)(とう)と云うなり云云。
 正しく一念三千の数量を示すとは、(まさ)に知るべし玄・文両部の中には(なら)びに(いま)だ一念三千の名目を明かさず、(ただ)百界千如を明かすなり、止観の第五巻に至りて正しく一念三千を明かすなり。此に二意あり、一には如是に約して数量を明かす、所謂(いわゆる)百界・三百世間・三千如是なり。二には世間に約して数量を明かす、所謂百界・千如是・三千世間なり。開合異なると雖も同じく一念三千なり云云。()


日享上人註解

○色受想行識とは、色は色形で衆生の肉体及び草木国土等である、受は衆生が外界に在る物を我が身に受け納るゝこと、想は一たび受け()れたるものを常に想うて忘れぬこと、行は此の想ひに()りて起す所の所業である、識は以上の事をより起さしむる意識(すなわ)ちこゝろである。

○衆生等とは、地獄餓鬼等の十種の生類が共に生じ共に住し共に滅する辺を云ふのである。

○方便土とは、欲、色、無色の三界の外に在る世界で証果の阿羅漢のみ住する所である。

実報土(じっぽうど)とは、方便土の(ごと)く三界の外で菩薩行道の果報に依りて住する黄金世界である。

○寂光土とは、前の方便実報両土の如く限られた界外の事土でなく、界内界外、浄土、穢土(えど)を問はず事理不二で自受用報身仏の大功徳清浄なる楽土ずるをふのである。

(にょ)()とは、如は空の義、真の義・()()の義・事の義・如是と合字すれば中の義に成り、(くう)仮中(けちゅう)の三(たい)を成ずるので相性体等の十如是は即空仮中道の実相である。

○相とは、外に在りて見るべきもの即ち皮相である。

○性とは、内に在りて見るべからざるもの、即ち性分である。

○体とは、外相と内性とを裏表に(そな)へて一身を支持するもの。

○力○()とは、力は原動力で作は動力の現はれたるもの。

○因〇縁とは、因は主因で縁は助縁で(なお)主判の関係と同じ。

〇果○報とは、果は必然の結果で報は必然の報酬である、即ち果報の関係には前後冥現の別がある。

○本末等とは、九如の末の報が即ち次ぎの始めの相となるから十如の本末の連鎖となりて循環(きわま)り無き点位は此の第十の本末究竟(くきょう)(とう)である。

○玄文両部○百界千如とは、文句には十界の(おのおの)に十界を具へ又()れに十如是を具ふるから千如となる事だけを明かし、玄義には一法界に九法界を具ふれば百法界に千如是となる(よし)を明かしてあるだけで、共に未だ三千の数には説き及ぼして無い。

○開合雖異とは、三千如是は開であり三百世間は合である、又三千世間は開であり千如是は合である。開は広がる意味、合は(ちぢ)意味である

第四に一念に三千を具する相貌を示すとは に続く

三重秘伝抄 目次
六巻抄 目次




by johsei1129 | 2014-10-25 15:27 | 日寛上人 六巻抄 | Comments(0)
2014年 10月 24日

第二に文相の大旨を示すとは【三重秘伝抄】

()()()()()()()()()()()()第二に文相の大旨を示すとは、

 文に三段あり、初めに一念三千の法門とは標なり、次に但法華経の下は釈なり、三に竜樹の下は結なり。釈の文に三意を含む、初めは権実相対、所謂但法華経の四字是なり、次には本迹(ほんじゃく)相対、所謂本門寿量品の五字是れなり、三には種脱相対、所謂(いわゆる)文底秘沈の四字是れなり、是れ則ち浅きより深きにいたり次第に之れを判ず、(たと)ば高きに登るに必ず(ひく)きよりし、遠くに()くには必ず近きよりするが如し云云。三に竜樹の下、結とは是れ正像未弘(みぐ)を結す、意は末法流布を顕わすなり。亦二意あり、初めに正法未弘を()げ通じて三種を結し、次に像法在懐を挙げ別して第三を結するなり。応に知るべし、(ただ)法華経の但の字は是れ一字なりと(いえど)も意には三段を冠するなり。(いわ)く、一念三千の法門は一代諸経の中には但法華経、法華経の中には但本門寿量品、本門寿量品の中には但文底秘沈と云云。故に三種の相対は文に在って分明なり。
 問ふ、権実・本迹は是れ常の所談なり、第三の種脱相対の文理如何(いかん)
 答ふ、此れ(すなわ)ち宗祖出世の本懐此に於て若し明きらむる(とき)諸文に迷わざるなり。故に(しばら)く一文を引いて其の綱要を示さん。禀権(ぼんごん)三十一に云く、法華経と爾前の経とを引き向えて勝劣浅深を判ずるに当分跨節の事に三の様あり。日蓮が法門は第三の法門なり、世間には(ほぼ)夢の如く一二をば申せども第三をば申さず候等云云。
 今(つつし)んで案じて曰わく、一には爾前は当分、迹門は()(せつ)なり、是は権実相対にして第一の法門なり。
 二には迹門は当分、本門は跨節、是は本迹相対にして第二の法門なり。三には(だっ)(ちゃく)は当分、下種は跨節なり是は種脱相対にして第三の法門なり。此れ即ち宗祖出世の本意なり、故に日蓮が法門と云うなり。今・一念三千の法門は但文底秘沈と曰う(こころ)こに在り、学者深く思え云云。
 問ふ、当流の諸師・他門の学者皆第三の教相を以って即ち第三の法門と名づく。然るに今種脱相対を以って名づけて第三の法門となす、此の事前代に(いま)だ聞かず、若し明文無くんば誰か之れを信ずべけんや。
 答ふ、第三の教相の若きは()お天台の法門にして日蓮が法門にはあらず。応に知るべし、彼の天台の第一第二は通じて当流の第一に属す、彼の第三教相は即当流の第二に属するなり。故に彼の三種の教相を以って若し当流に望むる(とき)二種の教相となるなり。妙楽の、前の両意は迹門に約し、後の一意は本門に約すと是なり。更に種脱相対の一種を加へて以って第三と為す、故に日蓮が法門と云うなり。
 今明文を引いて以って此の義を証せん。十法界抄に云わく、四重興廃と云云。血脈抄に云わく、四重(せん)(じん)云云。又云わく下種三種の教相と云云。本尊抄に云わく、彼は脱、此れは種なり等云云。秘すべし、秘すべし々々々々云云。

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日享上人註解
○文相大旨とは、今は義の十門の第二に列すれど正しく本抄の首に標出する一念三千云云の文義の解釈である。

○権実相対とは、爾前四十年の説を権教方便として法華八年の説を実教真実とする宗祖の教判である、権実の名目同じであっても他宗の所判と大異がある、本迹種脱の名目も他門の所見と亦別である、開目抄の五重の権実相対及び本尊抄の五重三段に通達して本宗教判の別意を()(りょう)せざれば、或は名目同辺の上から他宗他門の(びゅう)()に陥らんとも限らぬ。

○結三種とは、一念三千に於ける権実、本迹、種脱の三種を順次に判ずる事、上文の通りである。

○在懐とは、天台大師の心中に沈めをかれた法は即種脱相対の上の一念三千の珠である。

○不迷諸文とは、諸文とは通じては日蓮一宗の教義を述べたる書籍、別して宗祖の諸御書である、種脱相対の奥義に明らかなる時は大綱の盲目を()ぐる整然たる御書義意脈絡貫通して実本迹の法義系統乱れず尽く種脱の主脳に集中して一目の下少しも迷惑することが無い。

○当分跨節とは、一往再往と似ている当分は其の(まま)其の所で跨節れより一(また)げて一重立ち入りたる所であるが四句百非の安息所無きとは(おのずか)ら別異で、下種は跨節の終局根本である。

○当流諸師他門学者とは、富士興門流を当流と云ふが中にも要山日辰流等では第三教相即第三法門である、他宗の致劣門流は悉く其れである。

 ○第三教相()天台法門等とは、天台玄文第二にづるもの在世の三種教相である。


              不融は爾前

一、根性の融不融の相             方便譬喩 ― 迹門 ―

              融は法華


              不始終は爾前

二、化導の始終不始終の相            化城喩 ― 迹門 ―     在世

              始終は法華


              近は爾前迹門

三、師弟の遠近不遠近の相            寿量 ― 本門 ―

               遠は法華


 末法の蓮祖の三種教相即第三法門とは


          爾前当分

一、権実相対           迹門
          迹門跨節    


          迹門当分

二、本迹相対           本門                  末法
          本門跨節


          脱本当分

三、種脱相対           種本   

          種本跨節     


 稟権出界抄に此の意が見ゆる、別して「第三ヲ申サズ候」との御文、心を潜()めて案ずべきである。

○四重興廃とは、十法界抄の御文で爾前・迹門・本門・観心と従浅至深的に前法が廃すれば後法が興り次第に転迷開悟するの相である。

○四重浅深とは、本因妙抄の玄義七面の第三であって五重玄に分れて各四重の浅深を列してある。

○下種三種教相とは、百六箇抄の種の三十二の本迹を指すか、三種に(こだわ)って見ると余り明了では無いやうであるが、本尊抄種の御引文と(あわ)せ考ふれば題目を主として演繹(えんえき)すべき本師の深義が(ひそ)んで居るであろう。

第三に一念三千の数量を示すとは に続く

三重秘伝抄 目次
六巻抄 目次



by johsei1129 | 2014-10-24 23:39 | 日寛上人 六巻抄 | Comments(0)
2014年 10月 23日

末法に入り法華経を信じて仏になる者は爪の上の土よりも少しと説いた【妙法比丘尼御返事】

【妙法比丘尼御返事】
■出筆時期:弘安元年九月六日(西暦1278年) 五十七歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:駿河の岡宮に住まれていた妙法比丘尼に宛てられた御書。妙法比丘尼が兄・尾張次郎兵衛の死去を伝えるとともに、兄嫁より託された太布帷子をご供養することを記した大聖人への手紙の返書となっている。付法蔵経に説かれている「僧に商那和修という衣を捧げた功徳で商那衣にまとわれて生まれ、遂には阿難尊者の御弟子となり出家したという商那和修比丘」にも匹敵する功徳があると讃えられている。尚、大聖人はご消息文としては異例の長文となっている本抄を含め、4通の御書を送られるほど妙法比丘尼を大切にされており、妙法比丘尼が女性ながら大聖人への強い信仰の持ち主であったことを物語っている。
■ご真筆: 現存していない。

[妙法比丘尼御返事 本文]

 御文に云くたふかたびら一つあによめにて候女房のつたうと云云。又おはりの次郎兵衛殿六月二十二日に死なせ給うと云云。
付法蔵経と申す経は仏我が滅後に我が法を弘むべきやうを説かせ給いて候。其の中に我が滅後正法一千年が間次第に使をつかはすべし。第一は迦葉尊者二十年・第二は阿難尊者二十年・第三は商那和修二十年・乃至第二十三は師子尊者なりと云云。其の第三の商那和修と申す人の御事を仏の説かせ給いて候やうは、商那和修と申すは衣の名なり。此の人生れし時衣をきて生れて候いき不思議なりし事なり。六道の中に地獄道より人道に至るまでは何なる人も、始はあかはだかにて候に、天道こそ衣をきて生れ候へ。たとひ何なる賢人聖人も人に生るるならひは皆あかはだかなり。一生補処の菩薩すら尚はだかにて生れ給へり。何かに況や其の外をや。然るに此の人は商那衣と申すいみじき衣にまとはれて生れさせ給いしが、此の衣は血もつかずけがるる事もなし。譬えば池に蓮のをひ(生)、をし(鷲)の羽の水にぬれざるが如し。此の人次第に生長ありしかば、又此の衣次第に広く長くなる。冬はあつく夏はうすく春は青く秋は白くなり候し程に、長者にてをはせしかば何事もともしからず。後には仏の記しをき給いし事たがふ事なし。故に阿難尊者の御弟子とならせ給いて御出家ありしかば、此の衣変じて五条・七条・九条等の御袈裟となり候き。かかる不思議の候し故を仏の説かせ給いしやうは、乃往過去・阿僧祇劫の当初、此の人は商人にて有りしが、五百人の商人と共に大海に船を浮べてあきなひをせし程に海辺に重病の者あり。しかれども辟支仏と申して貴人なり。先業にてや有りけん、病にかかりて身やつれ心をぼれ不浄にまとはれてをはせしを、此の商人あはれみ奉りて、ねんごろに看病して生しまいらせ、不浄をすすぎ、すててそ布の商那衣をきせまいらせてありしかば、此聖人悦びて願して云く、汝我を助けて身の恥を隠せり。この衣を今生後生の衣とせんとて、やがて涅槃に入り給いき。此の功徳によりて過去・無量劫の間、人中天上に生れ生るる度ごとに、此の衣、身に随いて離るる事なし。乃至今生に釈迦如来の滅後第三の付嘱をうけて、商那和修と申す聖人となり、摩突羅国の優留荼山と申す山に大伽藍を立てて無量の衆生を教化して仏法を弘通し給いし事二十年なり。
 所詮商那和修比丘の一切のたのしみ不思議は、皆彼の衣より出生せりとこそ説かれて候へ。
而るに日蓮は南閻浮提日本国と申す国の者なり。此の国は仏の世に出でさせ給いし国よりは東に当りて二十万余里の外遥なる海中の小島なり。而るに仏、御入滅ありては既に二千二百二十七年なり。月氏・漢土の人の此の国の人人を見候へば、此の国の人の伊豆の大島・奥州の東のえぞなんどを見るやうにこそ候らめ。而るに日蓮は日本国安房の国と申す国に生れて候しが、民の家より出でて頭をそり袈裟をきたり。此の度いかにもして仏種をもうへ、生死を離るる身とならんと思いて候し程に、皆人の願わせ給う事なれば阿弥陀仏をたのみ奉り幼少より名号を唱え候し程に、いささかの事ありて、此の事を疑いし故に一の願をおこす。日本国に渡れる処の仏経、並に菩薩の論と人師の釈を習い見候はばや、又倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗・華厳宗・真言宗・法華天台宗と申す宗どもあまた有りときく上に、禅宗・浄土宗と申す宗も候なり。此等の宗宗・枝葉をばこまかに習はずとも所詮肝要を知る身とならばやと思いし故に、随分に・はしりまはり十二・十六の年より三十二に至るまで二十余年が間、鎌倉・京・叡山・園城寺・高野・天王寺等の国国・寺寺あらあら習い回り候し程に、一の不思議あり。我れ等がはかなき心に推するに仏法は唯一味なるべし。いづれもいづれも、心に入れて習ひ願はば生死を離るべしとこそ思いて候に、仏法の中に入りて悪しく習い候ぬれば謗法と申す大なる穴に堕ち入つて、十悪五逆と申して、日日・夜夜に殺生・偸盗・邪婬・妄語等をおかす人よりも、五逆罪と申して父母等を殺す悪人よりも、比丘・比丘尼となりて身には二百五十戒をかたく持ち、心には八万法蔵をうかべて候やうなる、智者聖人の一生が間に一悪をもつくらず、人には仏のやうにをもはれ、我が身も又さながらに悪道にはよも堕ちじと思う程に、十悪・五逆の罪人よりも、つよく地獄に堕ちて阿鼻大城を栖として永く地獄をいでぬ事の候けるぞ。譬えば人ありて世にあらんがために国主につかへ奉る程に、させるあやまちはなけれども我心のたらぬ上身にあやしきふるまひかさなるを、猶我身にも失ありともしらず、又傍輩も不思議ともをもはざるに后等の御事によりてあやまつ事はなけれども、自然にふるまひあしく王なんどに不思議に見へまいらせぬれば、謀反の者よりも其の失重し。此の身とがにかかりぬれば父母・兄弟・所従なんども又かるからざる失にをこなはるる事あり。

 謗法と申す罪をば我れもしらず人も失とも思はず。但仏法をならへば貴しとのみ思いて候程に、此の人も又此の人にしたがふ弟子檀那等も無間地獄に堕つる事あり。所謂勝意比丘・苦岸比丘なんど申せし僧は、二百五十戒をかたく持ち三千の威儀を一もかけずありし人なれども、無間大城に堕ちて出づる期見へず。又彼の比丘に近づきて弟子となり檀那となる人人、存の外に大地微塵の数よりも多く、地獄に堕ちて師とともに苦を受けしぞかし、此の人後世のために衆善を修せしより外は又心なかりしかども・かかる不祥にあひて候しぞかし。

 かかる事を見候しゆへにあらあら経論を勘へ候へば、日本国の当世こそ其に似て候へ。代末になり候へば世間のまつり事のあらきにつけても世の中あやうかるべき上、此の日本国は他国にもにず仏法弘まりて国をさまるべきかと思いて候へば、中中・仏法弘まりて世もいたく衰へ人も多く悪道に堕つべしと見へて候。其の故は日本国は月氏・漢土よりも堂塔等の多き中に大体は阿弥陀堂なり。其の上家ごとに阿弥陀仏を木像に造り画像に書き、人毎に六万八万等の念仏を申す。又他方を抛うちて西方を願う愚者の眼にも貴しと見え候上、一切の智人も皆いみじき事なりとほめさせ給う。

 又人王五十代・桓武天皇の御宇に、弘法大師と申す聖人此の国に生れて、漢土より真言宗と申すめずらしき法を習い伝へ、平城嵯峨淳和等の王の御師となりて東寺・高野と申す寺を建立し、又慈覚大師・智証大師と申す聖人同じく此宗を習い伝えて、叡山・園城寺に弘通せしかば、日本国の山寺、一同に此の法を伝へ今に真言を行ひ鈴をふりて公家武家の御祈をし候。所謂二階堂・大御堂・若宮等の別当等是れなり。是れは古も御たのみある上当世の国主等家には柱、天には日月、河には橋、海には船の如く御たのみあり。

而るに日蓮は南閻浮提日本国と申す国の者なり。此の国は仏の世に出でさせ給いし国よりは東に当りて二十万余里の外遥なる海中の小島なり。而るに仏、御入滅ありては既に二千二百二十七年なり。月氏・漢土の人の此の国の人人を見候へば、此の国の人の伊豆の大島・奥州の東のえぞなんどを見るやうにこそ候らめ。而るに日蓮は日本国安房の国と申す国に生れて候しが、民の家より出でて頭をそり袈裟をきたり。此の度いかにもして仏種をもうへ、生死を離るる身とならんと思いて候し程に、皆人の願わせ給う事なれば阿弥陀仏をたのみ奉り幼少より名号を唱え候し程に、いささかの事ありて、此の事を疑いし故に一の願をおこす。日本国に渡れる処の仏経、並に菩薩の論と人師の釈を習い見候はばや、又倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗・華厳宗・真言宗・法華天台宗と申す宗どもあまた有りときく上に、禅宗・浄土宗と申す宗も候なり。此等の宗宗・枝葉をばこまかに習はずとも所詮肝要を知る身とならばやと思いし故に、随分に・はしりまはり十二・十六の年より三十二に至るまで二十余年が間、鎌倉・京・叡山・園城寺・高野・天王寺等の国国・寺寺あらあら習い回り候し程に、一の不思議あり。我れ等がはかなき心に推するに仏法は唯一味なるべし。いづれもいづれも、心に入れて習ひ願はば生死を離るべしとこそ思いて候に、仏法の中に入りて悪しく習い候ぬれば謗法と申す大なる穴に堕ち入つて、十悪五逆と申して、日日・夜夜に殺生・偸盗・邪婬・妄語等をおかす人よりも、五逆罪と申して父母等を殺す悪人よりも、比丘・比丘尼となりて身には二百五十戒をかたく持ち、心には八万法蔵をうかべて候やうなる、智者聖人の一生が間に一悪をもつくらず、人には仏のやうにをもはれ、我が身も又さながらに悪道にはよも堕ちじと思う程に、十悪・五逆の罪人よりも、つよく地獄に堕ちて阿鼻大城を栖として永く地獄をいでぬ事の候けるぞ。譬えば人ありて世にあらんがために国主につかへ奉る程に、させるあやまちはなけれども我心のたらぬ上身にあやしきふるまひかさなるを、猶我身にも失ありともしらず、又傍輩も不思議ともをもはざるに后等の御事によりてあやまつ事はなけれども、自然にふるまひあしく王なんどに不思議に見へまいらせぬれば、謀反の者よりも其の失重し。此の身とがにかかりぬれば父母・兄弟・所従なんども又かるからざる失にをこなはるる事あり。

 謗法と申す罪をば我れもしらず人も失とも思はず。但仏法をならへば貴しとのみ思いて候程に、此の人も又此の人にしたがふ弟子檀那等も無間地獄に堕つる事あり。所謂勝意比丘・苦岸比丘なんど申せし僧は、二百五十戒をかたく持ち三千の威儀を一もかけずありし人なれども、無間大城に堕ちて出づる期見へず。又彼の比丘に近づきて弟子となり檀那となる人人、存の外に大地微塵の数よりも多く、地獄に堕ちて師とともに苦を受けしぞかし、此の人後世のために衆善を修せしより外は又心なかりしかども・かかる不祥にあひて候しぞかし。

 かかる事を見候しゆへにあらあら経論を勘へ候へば、日本国の当世こそ其に似て候へ。代末になり候へば世間のまつり事のあらきにつけても世の中あやうかるべき上、此の日本国は他国にもにず仏法弘まりて国をさまるべきかと思いて候へば、中中・仏法弘まりて世もいたく衰へ人も多く悪道に堕つべしと見へて候。其の故は日本国は月氏・漢土よりも堂塔等の多き中に大体は阿弥陀堂なり。其の上家ごとに阿弥陀仏を木像に造り画像に書き、人毎に六万八万等の念仏を申す。又他方を抛うちて西方を願う愚者の眼にも貴しと見え候上、一切の智人も皆いみじき事なりとほめさせ給う。

 又人王五十代・桓武天皇の御宇に、弘法大師と申す聖人此の国に生れて、漢土より真言宗と申すめずらしき法を習い伝へ、平城嵯峨淳和等の王の御師となりて東寺・高野と申す寺を建立し、又慈覚大師・智証大師と申す聖人同じく此宗を習い伝えて、叡山・園城寺に弘通せしかば、日本国の山寺、一同に此の法を伝へ今に真言を行ひ鈴をふりて公家武家の御祈をし候。所謂二階堂・大御堂・若宮等の別当等是れなり。是れは古も御たのみある上当世の国主等家には柱、天には日月、河には橋、海には船の如く御たのみあり。

而るに又代東にうつりて年をふるままに彼の国主を失いし、真言宗等の人人鎌倉に下り相州の足下にくぐり入りて、やうやうにたばかる故に、本は上\4
なればとてすかされて鎌倉の諸堂の別当となせり。又念仏者をば善知識とたのみて大仏・長楽寺・極楽寺等とあがめ、禅宗をば寿福寺・建長寺等とあがめをく。隠岐の法皇の果報の尽き給いし失より百千万億倍すぎたる大科・鎌倉に出来せり。かかる大科ある故に天照太神・正八幡等の天神・地祇・釈迦・多宝・十方の諸仏、一同に大にとがめさせ給う故に、隣国に聖人有りて万国の兵をあつめたる大王に仰せ付けて、日本国の王臣万民を一同に罰せんとたくませ給うを、日蓮かねて経論を以て勘へ候いし程に、此れを有りのままに申さば国主もいかり、万民も用ひざる上、念仏者・禅宗・律僧・真言師等定めて忿りをなしてあだを存じ、王臣等に讒奏して我が身に大難おこりて、弟子乃至檀那までも少しも日蓮に心よせなる人あらば科になし、我が身もあやうく命にも及ばんずらん。いかが案もなく申し出すべきとやすらひし程に、外典の賢人の中にも世のほろぶべき事を知りながら申さぬは諛臣とて、へつらへる者、不知恩の人なり。されば賢なりし竜逢、比干なんど申せし賢人は、頚をきられ胸をさかれしかども、国の大事なる事をばはばからず申し候いき。仏法の中には仏いましめて云く、法華経のかたきを見て世をはばかり恐れて申さずば、釈迦仏の御敵いかなる智人・善人なりとも必ず無間地獄に堕つべし。譬へば父母を人の殺さんとせんを、子の身として父母にしらせず、王をあやまち奉らんとする人のあらむを、臣下の身として知りながら代をおそれて申さざらんがごとしなんど禁られて候。

 されば仏の御使たりし提婆菩薩は外道に殺され、師子尊者は檀弥羅王に頭をはねられ、竺の道生は蘇山へ流され、法道は面にかなやきをあてられき。此等は皆仏法を重んじ王法を恐れざりし故ぞかし。されば賢王の時は仏法をつよく立つれば、王両方を聞あきらめて勝れ給う智者を師とせしかば、国も安穏なり。所謂、陳・隋の大王、桓武・嵯峨等は天台智者大師を南北の学者に召し合せ、最澄和尚を南都の十四人に対論せさせて論じかち給いしかば、寺をたてて正法を弘通しき。大族王・優陀延王・武宗・欽宗・欽明・用明或は、鬼神・外道を崇重し、或は道士を帰依し、或は神を崇めし故に、釈迦仏の大怨敵となりて身を亡ぼし、世も安穏ならず。其の時は聖人たりし僧侶大難にあへり。今日本国すでに大謗法の国となりて他国にやぶらるべしと見えたり。
此れを知りながら申さずば、縦ひ現在は安穏なりとも後生には無間大城に堕つべし。後生を恐れて申すならば流罪・死罪は一定なりと思い定めて、去ぬる文応の比、故最明寺入道殿に申し上げぬ。されども用い給う事なかりしかば、念仏者等此の由を聞きて上下の諸人をかたらひ打ち殺さんとせし程に、かなはざりしかば、長時武蔵の守殿は極楽寺殿の御子なりし故に、親の御心を知りて理不尽に伊豆の国へ流し給いぬ。されば極楽寺殿と長時と彼の一門皆ほろぶるを各御覧あるべし。其の後何程もなくして召し返されて後、又経文の如く弥よ申しつよる。又去ぬる文永八年九月十二日に佐渡の国へ流さる。日蓮御勘気の時申せしが如くどしうちはじまりぬ。それを恐るるかの故に又召し返されて候。しかれども用ゆる事なければ万民も弥弥悪心盛んなり。

しらせて後用いずば我が失にはあらずと思いて、去ぬる文永十一年五月十二日、相州鎌倉を出でて六月十七日より此の深山に居住して門一町を出でず既に五箇年をへたり。
本は房州の者にて候いしが、地頭東条左衛門尉景信と申せしもの極楽寺殿・藤次左衛門入道、一切の念仏者にかたらはれて度度の問註ありて、結句は合戦起りて候上、極楽寺殿の御方人理をまげられしかば、東条の郡ふせがれて入る事なし。父母の墓を見ずして数年なり。又国主より御勘気二度なり。第二度は外には遠流と聞こへしかども内には頚を切るべしとて、鎌倉竜の口と申す処に九月十二日の丑の時に、頚の座に引きすへられて候いき。いかがして候いけん、月の如くにをはせし物、江の島より飛び出でて使の頭へかかり候いしかば、使おそれてきらず、とかうせし程に子細どもあまたありて、其の夜の頚はのがれぬ。又佐渡の国にてきらんとせし程に、日蓮が申せしが如く鎌倉にどしうち始まりぬ。使はしり下りて頚をきらず、結句はゆるされぬ。今は此の山に独りすみ候。
佐渡の国にありし時は、里より遥にへだたれる野と山との中間につかはらと申す御三昧所あり。彼処に一間四面の堂あり。そらはいたまあわず四壁はやぶれたり、雨はそとの如し雪は内に積もる。仏はおはせず筵畳は一枚もなし。然れども我が根本より持ちまいらせて候教主釈尊を立てまいらせ、法華経を手ににぎり蓑をき笠をさして居たりしかども、人もみへず食もあたへずして四箇年なり。彼の蘇武が胡国にとめられて十九年が間、蓑をき雪を食としてありしが如し。

 今又此山に五箇年あり。北は身延山と申して天にはしだて、南はたかとりと申して鶏足山の如し。西はなないたがれと申して鉄門に似たり、東は天子がたけと申して富士の御山にたいしたり。四の山は屏風の如し、北に大河あり早河と名づく、早き事箭をいるが如し。南に河あり波木井河と名づく、大石を木の葉の如く流す。東には富士河北より南へ流れたりせんのほこをつくが如し、内に滝あり身延の滝と申す、白布を天より引くが如し。此の内に狭小の地あり、日蓮が庵室なり。深山なれば昼も日を見奉らず夜も月を詠むる事なし。峯にははかうの猿かまびすしく、谷には波の下る音鼓を打つがごとし。地にはしかざれども大石多く、山には瓦礫より外には物もなし。国主はにくみ給ふ、万民はとぶらはず、冬は雪道を塞ぎ、夏は草をひしげり。鹿の遠音うらめしく蝉の鳴く声かまびすし、訪う人なければ命もつぎがたし。はだへをかくす衣も候はざりつるに、かかる衣ををくらせ給えるこそいかにとも申すばかりなく候へ。

 見し人聞きし人だにもあはれとも申さず、年比なれし弟子、つかへし下人だにも皆にげ失とぶらはざるに、聞きもせず見もせぬ人の御志哀なり。偏に是れ別れし我が父母の生れかはらせ給いけるか。十羅刹の人の身に入りかはりて思いよらせ給うか。唐の代宗皇帝の代に、子将軍と申せし人の御子、李如暹将軍と申せし人勅定を蒙りて、北の胡地を責めし程に、我が勢数十万騎は打ち取られ胡国に生け取られて四十年漸くへし程に、妻をかたらひ子をまうけたり。胡地の習い生取をば皮の衣を服せ毛帯をかけさせて候が、只正月一日計り唐の衣冠をゆるす。一年ごとに漢土を恋いて肝をきり涙をながす。而る程に唐の軍おこりて唐の兵、胡地をせめし時、ひまをえて胡地の妻子をふりすててにげしかば、唐の兵は胡地のえびすとて捕へて頚をきらんとせし程に、とかうして徳宗皇帝にまいらせてありしかば、いかに申せども聞もほどかせ給はずして、南の国、呉越と申す方へ流されぬ。李如暹歎いて云く、進ては涼原の本郷を見ることを得ず、退ては胡地の妻子に逢ふことを得ず云云。此の心は胡地の妻子をもすて又唐の古き栖をも見ず。あらぬ国に流されたりと歎くなり。我が身には大忠ありしかどもかかる歎きあり。

 日蓮も又此くの如し、日本国を助けばやと思う心に依りて申し出す程に、我が生れし国をもせかれ又流されし国をも離れぬ。すでに此の深山にこもりて候が彼の李如暹に似て候なり。但し本郷にも流されし処にも妻子なければ歎く事はよもあらじ。唯父母のはかと、なれし人人のいかがなるらんと、をぼつかなしとも申す計りなし。但うれしき事は武士の習ひ君の御為に、宇治勢多を渡し前をかけなんどしてありし人は、たとひ身は死すれども名を後代に挙げ候ぞかし。日蓮は法華経のゆへに度度所をおはれ戦をし、身に手をおひ弟子等を殺され、両度まで遠流せられ既に頚に及べり。是れ偏に法華経の御為なり。法華経の中に仏説かせ給はく、我が滅度の後、後の五百歳、二千二百余年すぎて此の経閻浮提に流布せん時、天魔の人の身に入りかはりて此の経を弘めさせじとて、たまたま信ずる者をば、或はのり打ち所をうつし、或はころしなんどすべし。其の時先さきをしてあらん者は三世十方の仏を供養する功徳を得べし。我れ又因位の難行・苦行の功徳を譲るべしと説かせ給う取意。

 されば過去の不軽菩薩は法華経を弘通し給いしに、比丘・比丘尼等の智慧かしこく二百五十戒を持てる大僧ども集まりて優婆塞・優婆夷をかたらひて不軽菩薩をのり打ちせしかども、退転の心なく弘めさせ給いしかば終には仏となり給う。昔の不軽菩薩は今の釈迦仏なり。それをそねみ打ちなんどせし大僧どもは、千劫阿鼻地獄に堕ちぬ。彼の人人は観経・阿弥陀経等の数千の経、一切の仏名・阿弥陀念仏を申し法華経を昼夜に読みしかども、実の法華経の行者をあだみしかば、法華経・念仏戒等も助け給はず、千劫阿鼻地獄に堕ちぬ。彼の比丘等は始には不軽菩薩をあだみしかども、後には心をひるがへして、身を不軽菩薩に仕うる事やつこの主に随うがごとく有りしかども、無間地獄をまぬかれず。今又日蓮にあだをせさせ給う日本国の人人も此くの如し。此は彼には似るべくもなし、彼は罵り打ちしかども国主の流罪はなし、杖木瓦石はありしかども疵をかほり頚までには及ばず。是は悪口杖木は二十余年が間ひまなし、疵をかほり流罪・頚に及ぶ、弟子等は或は所領を召され、或はろうに入れ、或は遠流し、或は其の内を出だし、或は田畠を奪ひなんどする事、夜打・強盗・海賊・山賊・謀叛等の者よりもはげしく行はる。此れ又偏に真言・念仏者・禅宗等の大僧等の訴なり。されば彼の人人の御失は大地よりも厚ければ此の大地は大風に大海に船を浮べるが如く動転す。天は八万四千の星・瞋をなし、昼夜に天変ひまなし。其の上日月・大に変多し仏滅後既に二千二百二十七年になり候に、大族王が五天の寺をやき十六の大国の僧の頚を切り、武宗皇帝の漢土の寺を失ひ仏像をくだき、日本国の守屋が釈迦仏の金銅の像を炭火を以てやき、僧尼を打ちせめては還俗せさせし時も是れ程の彗星大地震はいまだなし。彼には百千万倍過ぎて候大悪にてこそ候いぬれ。彼は王一人の悪心大臣以下は心より起る事なし。又権仏と権経との敵なり僧も法華経の行者にはあらず。是は一向に法華経の敵、王一人のみならず一国の智人並びに万民等の心より起れる大悪心なり。譬えば女人物をねためば胸の内に大火もゆる故に、身変じて赤く身の毛さかさまにたち、五体ふるひ面に炎あがり、かほは朱をさしたるが如し。眼まろになりてねこの眼のねづみをみるが如し、手わななきてかしわの葉を風の吹くに似たり、かたはらの人是を見れば大鬼神に異ならず。

日本国の国主諸僧比丘比丘尼等も又是くの如し。たのむところの弥陀念仏をば日蓮が無間地獄の業と云うを聞き、真言は亡国の法と云うを聞き、持斎は天魔の所為と云うを聞いて念珠をくりながら歯をくひちがへ、鈴をふるにくびをどりたり、戒を持ちながら悪心をいだく。極楽寺の生仏の良観聖人、折紙をささげて上へ訴へ、建長寺の道隆聖人は輿に乗りて奉行人にひざまづく、諸の五百戒の尼御前等ははくをつかひてでんそうをなす。是れ偏に法華経を読みてよまず聞いてきかず、善導・法然が千中無一と、弘法・慈覚・達磨等の、皆是戯論教外別伝のあまきふる酒にえはせ給いて、さかぐるひにておはするなり。法華最第一の経文を見ながら、大日経は法華経に勝れたり、禅宗は最上の法なり、律宗こそ貴けれ、念仏こそ我等が分にはかなひたれと申すは、酒に酔える人にあらずや。星を見て月にすぐれたり、石を見て金にまされり、東を見て西と云い、天を地と申す。物ぐるひを本として、月と金は星と石とには勝れたり、東は東天は天なんど有りのままに申す者をばあだませ給はば、勢の多きに付くべきか、只物ぐるひの多く集まれるなり。されば此等を本とせし云うにかひなき男女の皆、地獄に堕ちん事こそあはれに候へ。

 涅槃経には仏説き給はく、末法に入つて法華経を謗じて地獄に堕つる者は大地微塵よりも多く、信じて仏になる者は爪の上の土よりも少しと説かれたり。此れを以つて計らせ給うべし、日本国の諸人は爪の上の土、日蓮一人は十方の微塵にて候べきか。然るに何なる宿習にてをはすれば御衣をば送らせ給うぞ、爪の上の土の数に入らんとをぼすか、又涅槃経に云く「大地の上に針を立てて大風の吹かん時大梵天より糸を下さんに、糸のはしすぐに下りて針の穴に入る事はありとも、末代に法華経の行者にはあひがたし」 法華経に云く「大海の底に亀あり、三千年に一度海上にあがる栴檀の浮木の穴にゆきあひてやすむべし、而るに此の亀一目なるが而も僻目にて西の物を東と見、東の物を西と見るなり」と。末代悪世に生れて法華経並びに南無妙法蓮華経の穴に身を入るる男女にたとへ給へり。何なる過去の縁にてをはすれば、此の人をとふらんと思食す御心はつかせ給いけるやらん。法華経を見まいらせ候へば、釈迦仏の其の人の御身に入らせ給いてかかる心はつくべしと説かれて候。譬へばなにとも思はぬ人の酒をのみてえいぬれば、あらぬ心出来り、人に物をとらせばやなんど思う心出来る。此れは一生慳貪にして餓鬼に堕つべきを、其の人の酒の縁に菩薩の入りかはらせ給うなり。濁水に珠を入れぬれば水すみ、月に向いまいらせぬれば人の心あこがる、画にかける鬼には心なけれどもおそろし、とわりを画にかけば、我が夫をばとらねどもそねまし、錦のしとねに蛇をおれるは服せんとも思はず、身のあつきにあたたかなる風いとはし、人の心も此くの如し。法華経の方へ御心をよせさせ給うは女人の御身なれども、竜女が御身に入らせ給うか。

 さては又尾張の次郎兵衛尉殿の御事、見参に入りて候いし人なり。日蓮は此の法門を申し候へば他人にはにず多くの人に見て候へども、いとをしと申す人は千人に一人もありがたし。彼の人はよも心よせには思はれたらじなれども、自体人がらにくげなるふりなく、よろづの人になさけあらんと思いし人なれば、心の中はうけずこそをぼしつらめども、見参の時はいつはりをろかにて有りし人なり。又女房の信じたるよしありしかば、実とは思い候はざりしかども、又いたう法華経に背く事はよもをはせじなれば、たのもしきへんも候。されども法華経を失ふ念仏並びに念仏者を信じ、我が身も多分は念仏者にてをはせしかば、後生はいかがとをぼつかなし。譬えば国主はみやづかへのねんごろなるには、恩のあるもあり又なきもあり。少しもをろかなる事候へばとがになる事疑なし。法華経も又此くの如し、いかに信ずるやうなれども、法華経の御かたきにも知れ知らざれ、まじはりぬれば無間地獄は疑なし。

 是はさてをき候ぬ、彼の女房の御歎いかがとをしはかるに、あはれなり。たとへばふじのはなのさかんなるが松にかかりて思う事もなきに、松のにはかにたふれ、つたのかきにかかれるが、かきの破れたるが如くにをぼすらん。内へ入れば主なし、やぶれたる家の柱なきが如し。客人来れども外に出でてあひしらうべき人もなし。夜のくらきにはねやすさまじく、はかをみればしるしはあれども声もきこへず。又思いやる死出の山、三途の河をば誰とか越え給うらん、只独り歎き給うらん。とどめをきし御前たち、いかに我をばひとりやるらん。さはちぎらざりとや歎かせ給うらん。かたがた秋の夜のふけゆくままに冬の嵐のをとづるる声につけても、弥弥御歎き重り候らん、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。





by johsei1129 | 2014-10-23 23:37 | 妙法比丘尼 | Comments(0)
2014年 10月 21日

法華経見宝塔品に説かれている宝塔は末法に入つて法華経を持つ男女の姿であると断じた【阿仏房御書】

【阿仏房御書(宝塔御書)】
■出筆時期:文永十二年三月十三日(西暦1272年) 五十四歳御作。
■出筆場所:身延山中・草庵にて
■出筆の経緯:佐渡ヶ島流罪中、妻の千日尼ともども大聖人を厚く外護された阿仏房に宛てられた書。阿仏房から法華経・見宝塔品第十一に説かれている「大地より涌出した七宝の宝塔」について問われたことへの、返書となっている。大聖人は本書で「我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり、妙法蓮華経より外に宝塔なきなり。法華経の題目宝塔なり、宝塔又南無妙法蓮華経なり。」と断じている。また「宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ。子にあらずんば・ゆづる事なかれ」と記して、宝塔つまり大御本尊を阿仏房にご下付されたことを伝えている。尚、この御本尊は現在阿仏房が自宅を寺として開基した妙宣寺に所蔵されている。
■ご真筆: 現存しない。

[阿仏房御書] 本文

御文委く披見いたし候い了んぬ。抑宝塔の御供養の物、銭一貫文・白米・しなじなをくり物たしかに・うけとり候い了んぬ。此の趣御本尊・法華経にも・ねんごろに申し上げ候・御心やすくおぼしめし候へ。

一御文に云く、多宝如来・涌現の宝塔・何事を表し給うやと云云。此の法門ゆゆしき大事なり。宝塔をことわるに、天台大師文句の八に釈し給いし時、証前起後の二重の宝塔あり。証前は迹門、起後は本門なり。或は又閉塔は迹門、開塔は本門、是れ即ち境智の二法なり。しげきゆへにこれををく。所詮三周の声聞、法華経に来て己心の宝塔を見ると云う事なり。

 今日蓮が弟子檀那又又かくのごとし、末法に入つて法華経を持つ男女のすがたより外には宝塔なきなり。若し然れば、貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経ととなうるものは、我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり、妙法蓮華経より外に宝塔なきなり。法華経の題目宝塔なり、宝塔又南無妙法蓮華経なり。

 今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此の五大は題目の五字なり。然れば阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房、此れより外の才覚無益なり。聞・信・戒・定・進・捨・慚の七宝を以てかざりたる宝塔なり。多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもへばさにては候はず、我が身を供養し給う。我が身又三身即一の本覚の如来なり。かく信じ給いて南無妙法蓮華経と唱え給へ。ここさながら宝塔の住処なり。経に云く「法華経を説くこと有らん処は我が此の宝塔其の前に涌現す」とはこれなり。あまりにありがたく候へば、宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ。子にあらずんば・ゆづる事なかれ。信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ。出世の本懐とはこれなり。 阿仏房しかしながら北国の導師とも申しつべし。浄行菩薩うまれかわり給いてや、日蓮を御とふらい給うか。

 不思議なり不思議なり。此の御志をば日蓮はしらず、上行菩薩の御出現の力にまかせたてまつり候ぞ。別の故はあるべからずあるべからず。宝塔をば夫婦ひそかにをがませ給へ。委くは又又申すべく候、恐恐謹言。

 三月十三日              日 蓮 花押

阿仏房上人所へ

by johsei1129 | 2014-10-21 21:34 | 阿仏房・千日尼 | Comments(0)
2014年 10月 20日

末法に日本国に於て地涌の菩薩、法華経の肝心を流布せしむ可きと断じた書【曾谷入道殿許御書】六

【曾谷入道殿許御書 本文】 その六

 夫れ斉の始めより梁の末に至るまで二百余年の間、南北の碩徳光宅・智誕等の二百余人、涅槃経の「我等悉名邪見之人」の文を引いて法華経を以て邪見之経と定め、一国の僧尼並びに王臣等を迷惑せしむ。陳隋の比智者大師之を糾明せし時、始めて南北の僻見を破り了んぬ。唐の始めに太宗の御宇に基法師、勝鬘経の「若如来随彼所欲而方便説・即是大乗無有二乗」の文を引いて、一乗方便・三乗真実の義を立つ。此の邪義・震旦に流布するのみに非ず、日本の得一が称徳天皇の御時盛んに非義を談ず。爰に伝教大師悉く、彼の邪見を破し了んぬ。後鳥羽院の御代に、源空法然、観無量寿経の読誦大乗の一句を以て法華経を摂入し「還つて称名念仏に対すれば雑行方便なれば、捨閉閣抛せよ」等云云。

  然りと雖も五十余年の間、南都・北京・五畿・七道の諸寺・諸山の衆僧等、此の悪義を破ること能はざりき。予が難破分明為るの間、一国の諸人忽ち彼の選択集を捨て了んぬ。根露るれば枝枯れ、源乾けば流竭くとは蓋し此の謂なるか。加之ならず唐の半玄宗皇帝の御代に、善無畏・不空等、大日経の住心品の如実一道心の一句に於て法華経を摂入し、返つて権経と下す。日本の弘法大師は、六波羅蜜経の五蔵の中に第四の熟蘇味の般若波羅蜜蔵に於て法華経涅槃経等を摂入し、第五の陀羅尼蔵に相対して争つて醍醐を盗む等云云。此等の禍咎は日本一州の内四百余年、今に未だ之を糾明せし人あらず。予が所存の難勢遍く一国に満つ。必ず彼の邪義を破られんか。此等は且らく之を止む。

迦葉・阿難等・竜樹・天親等・天台・伝教等の諸大聖人、知つて而も未だ弘宣せざる所の肝要の秘法は、法華経の文赫赫たり。論釈等に載せざること明明なり。生知は自ら知るべし。賢人は明師に値遇して之を信ぜよ。罪根深重の輩は、邪推を以て人を軽しめ之を信ぜず、且く耳に停め本意に付かば之を喩さん。大集経の五十一に大覚世尊、月蔵菩薩に語つて云く「我が滅後に於て五百年の中は解脱堅固、次の五百年は禅定堅固、已上一千年。次の五百年は読誦多聞堅固、次の五百年は多造塔寺堅固已上二千年。次の五百年は我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん」等云云。

 今末法に入つて二百二十余年、我法中闘諍言訟・白法隠没の時に相当れり。法華経の第七薬王品に教主釈尊・多宝仏と共に宿王華菩薩に語つて云く「我が滅度の後、後の五百歳の中に広宣流布して閻浮提に於て断絶して悪魔・魔民・諸の天竜・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得せしむこと無けん」と。大集経の文を以て之を案ずるに、前四箇度の五百年は、仏の記文の如く既に符合せしめ了んぬ。第五の五百歳の一事豈唐捐ならん。随つて当世の体為る大日本国と大蒙古国と闘諍合戦す。第五の五百に相当れるか。彼の大集経の文を以て此の法華経の文を惟うに、後五百歳中広宣流布・於閻浮提の鳳詔・豈扶桑国に非ずや。弥勒菩薩の瑜伽論に云く「東方に小国有り、其の中に唯大乗の種姓のみ有り」云云。慈氏、菩薩仏の滅後九百年に相当つて無著菩薩の請に赴いて、中印度に来下して瑜伽論を演説す。是れ或は権機に随い、或は付属に順い、或は時に依つて権経を弘通す。然りと雖も法華経の涌出品の時、地涌の菩薩を見て近成を疑うの間、仏請に赴いて寿量品を演説し、分別功徳品に至つて地涌の菩薩を勧奨して云く「悪世末法の時能く是の経を持たん者」と。弥勒菩薩自身の付属に非ざれば之を弘めずと雖も、親り霊山会上に於て悪世末法時の金言を聴聞せし故に、瑜伽論を説くの時、末法に日本国に於て地涌の菩薩、法華経の肝心を流布せしむ可きの由兼ねて之を示すなり。肇公の翻経の記に云く「大師須梨耶蘇摩左の手に法華経を持し、右の手に鳩摩羅什の頂を摩で授与して云く、仏日西に入つて遺耀将に東に及ばんとす。此の経典東北に縁有り、汝慎んで伝弘せよ」云云。予、此の記の文を拝見して両眼滝の如く、一身悦びを遍くす。「此の経典東北に縁有り」云云。西天の月支国は未申の方、東方の日本国は丑寅の方なり。天竺に於て東北に縁有りとは豈日本国に非ずや。遵式の筆に云く「始め西より伝う猶月の生ずるが如し。今復東より返る猶日の昇るが如し」云云。正像二千年には西より東に流る、暮月の西空より始まるが如し。末法五百年には東より西に入る。朝日の東天より出ずるに似たり。根本大師の記に云く「代を語れば則ち像の終り末の初、地を尋ぬれば唐の東・羯の西、人を原ぬれば則ち五濁の生・闘諍の時なり。経に云く猶多怨嫉況滅度後と。此の言良に以有るが故に」云云。又云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り、法華一乗の機、今正しく是れ其の時なり。何を以て知る事を得ん。安楽行品に云く、末世法滅の時なり」云云。此の釈は語美しく心隠れたり、読まん人之を解し難きか。伝教大師の語は我が時に似て心は末法を楽いたもうなり。大師出現の時は仏の滅後一千八百余年なり。大集経の文を以て之を勘うるに大師存生の時は第四の多造塔寺堅固の時に相当る。全く第五闘諍堅固の時に非ず。而るに余処の釈に末法太有近の言は有り、定めて知んぬ闘諍堅固の筆は我が時を指すに非ざるなり。

 予、倩事の情を案ずるに、大師、薬王菩薩として霊山会上に侍して、仏、上行菩薩出現の時を兼ねて之を記したもう故に粗之を喩すか。而るに予地涌の一分に非ざれども兼ねて此の事を知る故に、地涌の大士に前立ちて粗五字を示す。例せば西王母の先相には青鳥・客人の来るにはかん鵲の如し。
 此の大法を弘通せしむるの法には必ず一代の聖教を安置し、八宗の章疏を習学すべし。然れば則ち予所持の聖教・多多之有り。然りと雖も両度の御勘気・衆度の大難の時は、或は一巻二巻散失し、或は一字二字脱落し、或は魚魯の謬誤、或は一部二部損朽す。若し黙止して一期を過ぐるの後には、弟子等定んで謬乱出来の基なり。爰を以つて愚身老耄已前に之を糾調せんと欲す。而るに風聞の如くんば、貴辺並びに大田金吾殿、越中の御所領の内並びに近辺の寺寺に数多の聖教あり等云云。両人共に大檀那為り所願を成ぜしめたまえ。涅槃経に云く「内には智慧の弟子有つて甚深の義を解り、外には清浄の檀越有つて仏法久住せん」云云。天台大師は毛喜等を相語らい伝教大師は国道弘世等を恃怙む云云。

  仁王経に云く「千里の内をして七難起らざらしむ」云云。法華経に云く「百由旬の内に諸の衰患無からしむ」云云。国主正法を弘通すれば、必ず此の徳を備う臣民等此の法を守護せんに、豈家内の大難を払わざらんや。又法華経の第八に云く「所願虚しからず亦現世に於て其の福報を得ん」と。又云く「当に今世に於て現の果報を得べし」云云。又云く「此の人は現世に白癩の病いを得ん」と。又云く「頭破れて七分と作らん」と。又第二巻に云く「経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賤憎嫉して結恨を懐かん、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」云云。第五の巻に云く「若し人悪み罵らば口則ち閉塞せん」云云。伝教大師の云く「讃する者は福を安明に積み謗ずる者は罪を無間に開く」等云云。安明とは須弥山の名なり。無間とは阿鼻の別名なり。国主持者を誹謗せば位を失い臣民行者を毀呰すれば身を喪す。一国を挙りて用いざれば定めて自反他逼出来せしむべきなり。又上品の行者は大の七難、中品の行者は二十九難の内、下品の行者は無量の難の随一なり。又大の七難に於て七人有り。第一は日月の難なり。第一の内に又五の大難有り。所謂日月度を失し時節反逆し、或は赤日出で、或は黒日出で、二三四五の日出ず、或は日蝕して光無く、或は日輪一重二三四五重輪現ぜん。又経に云く「二の月並び出でん」と。今此の国土に有らざるは二の日、二の月等の大難なり。余の難は大体之有り。今此の亀鏡を以て日本国を浮べ見るに、必ず法華経の大行者有るか。既に之を謗る者に大罰有り、之を信ずる者何ぞ大福無からん。

  今両人微力を励まし予が願に力を副え、仏の金言を試みよ。経文の如く之を行ぜんに徴無くんば釈尊正直の経文、多宝証明の誠言、十方分身の諸仏の舌相、有言無実と為らんか。提婆の大妄語に過ぎ、瞿伽利の大誑言に超えたらん。日月地に落ち大地反覆し天を仰いで声を発し、地に臥して胸を押う。殷の湯王の玉体を薪に積み、戒日大王の竜顔を火に入れしも、今此の時に当るか。若し此の書を見聞して宿習有らば、其の心を発得すべし。使者に此の書を持たしめ、早早北国に差し遣し、金吾殿の返報を取りて速速是非を聞かしめよ。此の願若し成ぜば、崑崙山の玉鮮かに求めずして蔵に収まり、大海の宝珠招かざるに掌に在らん。恐惶謹言。

 下春十日      日 蓮  花 押

曾谷入道殿
大田金吾殿

by johsei1129 | 2014-10-20 22:48 | 曾谷入道 | Comments(0)
2014年 10月 19日

末法に日本国に於て地涌の菩薩、法華経の肝心を流布せしむ可きと断じた書【曾谷入道殿許御書】五

【曾谷入道殿許御書 本文】 その五

 爰を以て、滅後の弘経に於ても仏の所属に随つて弘法の限り有り。然れば則ち迦葉・阿難等は一向に小乗経を弘通して大乗経を申べず。竜樹・無著等は権大乗経を申べて一乗経を弘通せず。設い之を申べしかども纔かに以て之を指示し、或は迹門の一分のみ之を宣べて全く化道の始終を談ぜず。南岳・天台等は観音・薬王等の化身と為て、小大・権実・迹本二門・化道の始終・師弟の遠近等悉く之を宣べ、其の上に已今当の三説を立てて一代超過の由を判ぜること、天竺の諸論にも勝れ真丹の衆釈にも過ぎたり。旧訳・新訳の三蔵も宛かも此の師には及ばず、顕密二道の元祖も敵対に非ず、然りと雖も広略を以て本と為して未だ肝要に能わず。自身之を存すと雖も敢て他伝に及ばず。此れ偏に付属を重んぜしが故なり。

 伝教大師は仏の滅後一千八百年像法の末に相当つて日本国に生れて小乗大乗一乗の諸戒一一に之を分別し、梵網・瓔珞の別受戒を以て小乗の二百五十戒を破失し、又法華普賢の円頓の大王の戒を以て諸大乗経の臣民の戒を責め下す。此の大戒は霊山八年を除いて一閻浮提の内に未だ有らざる所の大戒場を叡山に建立す。然る間八宗共に偏執を倒し、一国を挙げて弟子と為る。観勒の流の三論・成実、道昭の渡せる法相・倶舎、良弁の伝うる所の華厳宗、鑒真和尚の渡す所の律宗、弘法大師の門弟等、誰か円頓の大戒を持たざらん。此の義に違背するは逆路の人なり、此の戒を信仰するは伝教大師の門徒なり。日本一州・円機純一・朝野遠近・同帰一乗とは是の謂か。此の外は漢土の三論宗の吉蔵大師、並びに一百余人・法相宗の慈恩大師・華厳宗の法蔵・澄観・真言宗の善無畏・金剛智・不空・慧果・日本の弘法・慈覚等の三蔵の諸師は四依の大士に非ざる暗師なり愚人なり。経に於ては大小・権実の旨を弁えず、顕・密両道の趣を知らず、論に於ては通申と別申とを糾さず申と不申とを暁めず。然りと雖も彼の宗宗の末学等此の諸師を崇敬して之を聖人と号し、之を国師と尊ぶ今先ず一を挙げんに万を察せよ。

  弘法大師の十住心論・秘蔵宝鑰・二教論等に云く「此くの如き乗乗自乗に名を得れども後に望めば戯論と作る」と。又云く「無明の辺域」又云く「震旦の人師等諍つて醍醐を盗み各自宗に名く」等云云。釈の心は法華の大法を華厳と大日経とに対して・戯論の法と蔑り、無明の辺域と下し、剰え震旦一国の諸師を盗人と罵る。此れ等の謗法・謗人は慈恩・得一の三乗真実・一乗方便の誑言にも超過し、善導・法然が千中無一・捨閉閣抛の過言にも雲泥せるなり。六波羅蜜経をば唐の末に不空三蔵月氏より之を渡す。後漢より唐の始めに至るまで未だ此の経有らず。南三北七の碩徳未だ此の経を見ず。三論・天台・法相・華厳の人師誰人か彼の経の醍醐を盗まんや。又彼の経の中に法華経は醍醐に非ずというの文之有りや不や。而るに日本国の東寺の門人等堅く之を信じて種種に僻見を起し、非より非を増し・暗より暗に入る不便の次第なり。

 彼の門家の伝法院の本願たる正覚の舎利講式に云く「尊高なる者は不二摩訶衍の仏・驢牛の三身は車を扶くること能ず。秘奥なる者は両部曼陀羅の教・顕乗の四法の人は履をも取るに能えず」云云。三論・天台・法相・華厳等の元祖等を真言の師に相対するに牛飼にも及ばず、力者にも足らずと書ける筆なり。乞い願わくは彼の門徒等心在らん人は之を案ぜよ。大悪口に非ずや、大謗法に非ずや、所詮此等の誑言は弘法大師の望後作戯論の悪口より起るか。教主釈尊・多宝・十方の諸仏は、法華経を以て已今当の諸説に相対して皆是真実と定め、然る後世尊は霊山に隠居し、多宝諸仏は各本土に還りたまいぬ。三仏を除くの外誰か之を破失せん。

 就中、弘法所覧の真言経の中に三説を悔い還すの文之有りや不や。弘法既に之を出さず、末学の智・如何せん。而るに弘法大師一人のみ法華経を華厳・大日の二経に相対して戯論・盗人と為す。所詮釈尊・多宝・十方の諸仏を以て盗人と称するか。末学等、眼を閉じて之を案ぜよ。

 問うて曰く、昔より已来未だ曾て此くの如きの謗言を聞かず。何ぞ上古清代の貴僧に違背して、寧ろ当今濁世の愚侶を帰仰せんや。答えて曰く、汝が言う所の如くば愚人は定んで理運なりと思わんか。然れども此等は皆人の偽言に因つて如来の金言を知らざるなり。大覚世尊・涅槃経に滅後を警めて言く「善男子・我が所説に於て若し疑を生ずる者は尚受くべからず」云云。然るに仏尚我が所説なりと雖も、不審有らば之を叙用せざれとなり。今予を諸師に比べて謗難を加う。然りと雖も敢て私曲を構えず、専ら釈尊の遺誡に順つて諸人の謬釈を糾すものなり。

【曾谷入道殿許御書 本文】 その六に続く

by johsei1129 | 2014-10-19 22:38 | 曾谷入道 | Comments(0)
2014年 10月 19日

第一に一念三千の法門は聞き難きを示すとは【三重秘伝抄】

 
第一に一念三千の法門は聞き難きを示すとは、

 経に曰わく、諸仏は世に興出すること(はるか)遠くして値遇すること難し、正使(たとい)世に出づとも是の法を説くこと復難(またかた)し、無量無数劫にも是の法を聞くこと亦難し、能く是の法を聴く者()の人亦復難し。譬えば優曇華(うどんげ)は一切皆愛楽し、天人の希有とする所にして時々一たび出づるが如し、法を聞いて歓喜して讃めて乃ち一言をも発するに至る則は已に一切の三世の仏を供養するなり等云云。

(まさ)に知るべし、此の中の法の字は並びに一念三千なり。

記の四の末の終りに云わく、(けん)(のん)等とは、若し此の劫に准ずれば六四二万なり文。劫章の意に准ずるに住劫第九の減、人寿六万歳の時・留孫仏(くるそんぶつ)出で、人寿四万歳の時・拘那含仏(くなごんぶつ)出で、人寿二万歳の時、迦葉(かしょう)仏出で、人寿百歳の時、釈迦如来出づと云云。是れ即ち人寿八万歳より一百年に人寿一歳を減じ乃至一千年に十歳を減じ而して六四二万等に至る豈懸遠に非ずや。
 (たと)世に出づると雖も(しゅ)(せん)多仏(だぶつ)多宝如来の如きは遂に一念三千を説かず、大通仏の如きも二万劫の間之れを説かず、 今仏世尊の如きも四十余年秘して説かず、(あに)是の法を説く、復難きに非ずや。既に出興懸遠にして法を説くこと亦難し、(あに)容易に之れを聞くことを得んや。縦へ在世に生まると雖も(しゃ)()の三億の如きは(なお)見ず聞かざるなり、況んや(ぞう)(まつ)辺土(へんど)をや。
 故に安楽行品に云わく、無量の国中に於て乃至(ないし)名字をも聞くを得べからず等云云。豈聞法の難きに非ずや。聞法尚爾なり、況んや信受せんをや。応に知るべし、能く聴くとは是れ信受の義なり、若し信受せずんば何ぞ能く聴くと云はんや。故に優曇華に(たと)うるなり、此の華は三千年に一たび現わるゝなり。
 而るに今宗祖の大悲に依て一念三千の法門を聞き、若し能く歓喜して讃めて乃至一言をも発すれば則ち已に一切の三世の仏を供養するに為るなり。

日享上人 註解

○経に曰くとは、方便品比丘偈(びくげ)在り妙法稀有なる(じゅ)である

○無量無数劫とは、劫は劫波の略語で印度国で年期の絶大に長遠なる事に名づけ其れが又小劫中劫大劫等と次第に数字が増上して又其の上に無量又は無数等の多数を示す語が加へられてある、吾が国の人の知り得る億とか兆とかの大数とは飛んでもない桁違ひの想像だも及ばぬ大数である。

○優曇華とは、此れ又印度の理想とも云へる物で世界を統一する転輪聖王出現する時、其の瑞兆(ずいちょう)海中広大である、統一大出現億万年空想であって極々(ごくごく)(まれ)もの妙法容易()てある。

○一切三世仏とは、過去に出で現在に出で未来に出でんとする十方世界の有らん限りの仏の事である。

○記の四の末とは、天台大師が法華経の文々句々を釈せられたが文句(もんぐ)であ法孫(ほうそん)妙楽大師解釈疏記(しょき)である。疏記調二巻つ、其れで「る。

 六四二万とは、六万四万二万の略で次下に(くわ)

○須扇多仏とは、大品般若経にあり住する事半劫で受化の者が無いから法を説かずして入滅せられた。

○多宝如来とは、大論には法を説かずと書いてある、天台大師は此れを解して全く法を説かんでは無い、開三を得れども顕一を得ずと云はれた、顕実即一念三千なる故に今不説と書かれた、又天台は応身にして法を説かざる須扇多、多宝の如きは此の(うん)(じゅん)って二仏慈悲衆生利益(りやく)事無である。

○大通仏とは、化城喩品の中に此の仏出世して諸梵王の請いに応じて十二行法輪を転じ更に十六王子の請いを受け二万劫を過ぎて妙法蓮華経を説くとある、妙法即一念三千であるから今爾か書かれたのである。

○舎衛三億とは、舎衛国は中印度で全印度中に別して釈迦仏に因縁多き仏都であるのに、其の中の三分の一は仏を見て仏の説法を聞いたが、三分の一は仏を見た計りで法を聞かぬ、三分の一は仏を見たことも聞いたこともない、左様に見仏聞法の因縁は難物である。

○像末辺土とは、像法末法は時に約し辺土は処に約す、我が日本国は一般仏教国の上から云へば粟散(ぞくさん)辺土粟粒った小島辺鄙(へんぴ)である、像末悪時辺鄙小国国大印度三億である、大善妙法

○一言を発すとは、今末法の(せん)南無妙法蓮華経であ



                 第二に文相の大旨を示すとは  に続く

三重秘伝抄 目次
六巻抄 目次




by johsei1129 | 2014-10-19 21:54 | 日寛上人 六巻抄 | Comments(0)