日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 09月 30日

小説「日蓮の生涯」下23 兄弟、父をみちびく

どうしたことか。

康光に憤怒の色がある。

良観は立ったまま身動きができない。

まわりが悲鳴をあげてさわぐ。

その康光がにらみつけた。

「良観殿。日ごろのふるまいとは思えぬそのお言葉、心外でござるな。大工風情も巧みの心をもって幕府につかえる者。今のお言葉、かえって鎌倉殿に無礼ではござらぬか」

異常だった。

作事奉行が鎌倉の生き仏に刃をむけている。康光は次男の裏切りよりも、作事の職を侮蔑されたのが耐えられなかった。

良観は光る刃を目の前にして顔色をかえた。汗をふきだし、腰をぬかした。

「いかにも、いかにも失言であった。康光殿、許されよ」

良観の弟子は逃げるように去った。

「まて、おいていくでない」

満座の中で滑稽な姿をみせることになってしまった。

良観と弟子はようやく外にでたが、災難はつづく。

大工たちが立ちふさがったのである。彼らは一部始終を見ていた。いずれも怒気をためて良観をにらみつけている。

大工衆は良観と弟子にあらんかぎりの罵声をあびせた。

良観は耳をつんざく罵詈雑言の中、やっとのことでぬけ出し、去っていった。

正装の宗長が庭におり、兄の前にすすむ。彼は地面に手をつけた。

ひげ面の兄がうなずいた。

「よくぞ申した。それでこそわが弟じゃ」

大勢の大工が二人のまわりをかこんだ。涙ぐむ者がいる。

父がその様子を見ていた。

池上家の騒動はひとまずおわった。

おさまらないのは良観だった。池上親子に面子をつぶされ、刀で脅されてはだまっていられない。

良観はすぐさま侍所にかけこみ、平頼綱に訴えた。

「左衛門尉様、あの池上兄弟は日蓮の一党でございます。法華経をひろめて念仏を絶やそうとはかっております。親にもしたがわず、世間もおそれない鎌倉の大悪人でございますぞ。それにもまして父親の康光はなにを狂ったか、罪のないこの良観に刃を突きつけたのでございます。仏の使いである僧侶にむかって、なんたる所行でありましょう。あの親子は狂ったのでございます。どうかお裁きを」

冷徹な頼綱がめずらしく笑った。

「それでこのわしに、どうすればよいと」

「池上康光の奉行職を剥奪し、領地を取りあげ、あの兄弟を鎌倉追放にねがいます」
 頼綱はつめたい。

「それは執権の時宗様しだいじゃな。わしにはどうすることもできぬ」

良観がつめよった。

「左衛門尉様、この見返りは大きいものと思しめしくだされ。ことによっては日蓮の弟子どもを鎌倉から駆逐することができますぞ。池上兄弟は目の上のこぶなのです。おたがいに利益がおおきいとお思いになりませぬか」

頼綱がまた笑った。

「利益か。良観殿にふさわしいお言葉であるな」

良観がわずかに恥じいった。

頼綱の不気味な笑いがひびく。

執権の館は完成した。

騒動はあったが、大工たちは辛苦を乗りこえ披露にこぎつけた。

この祝賀の最中に大工たちはささやきあった。

「鎌倉様がお目見えだ。こんどの相続の件で、お(とが)めがあるそうな」

「極楽寺良観が池上のとりつぶしを願いでたとか」

「あのご兄弟は鎌倉から追放らしい」

「康光様は良観に刃傷したかどで切腹とか」

奉行の康光が完成した堂内で時宗の供をした。康光は建物の所々を指さしながら説明していく。時宗が感嘆とねぎらいの表情をみせた。

二人は検分を終えて奥座敷にはいった。

そこに平頼綱と安達泰盛がまちうけていた。部屋のすみには極楽寺良観が平伏している。

時宗が中央にすわった。

康光が時宗の前で被告人のように伏した。

頼綱がつげる。

「池上太夫の(さかん)宗仲。同じく兵衛の志宗長、でませい」

兄弟があらわれ、父のうしろで平伏した。

裁判の場ができあがった。

池上親子は被告、良観は原告である。頼綱と泰盛は検事と弁護人、裁くのは時宗だった。

平頼綱が冷酷にいう。

「池上宗仲、宗長兄弟の親不孝。これはゆゆしき大事にございます。それにまして兄弟は幕府と同調しない日蓮の教えをたもっている。さらに奉行の康光においては極楽寺良観殿に刃をむけた。鎌倉の尊敬の的である上人に不埒(ふらち)なふるまいであると、悪しき評判がたっております。事ここにおよんではやむなし。池上親子の領地を没収、所払いとし、奉行職をとりあげたてまつることが肝要かと」

安達泰盛が反論した。

「いやわしは反対じゃ。この建物の見事さをもってしても、作事奉行は池上殿をおいてほかにない。この件は池上家をおとしいれる何者かの策謀と思われまする。どうか御詮議あって、慎重なさばきをお願いいたしまする」

側用人の頼綱と御家人の泰盛がどう猛な目でにらみあった。

一同が時宗に注目した。

時宗は口をひらいた。

「まず康光殿。作事奉行として、また父親として、そなたの今の胸のうちをたずねたいが、いかがであろう」

康光が顔をあげた。ここ数日の混乱で憔悴していたが肝はすわっている。

「殿、よくおたずねくだされました。まずこのたびの不祥事は、まったくこの康光ひとりの身からでたことであります。二人の子に罪はございませぬ」

兄弟が顔をあげた。一同が驚く。

「自分は日蓮殿にあくまで反対でございました」

康光がそういって良観を一瞥(いちべつ)した。

「さりながら先日の一件で目がさめ申した。今より自分は法華経の信心をいたすことに決心いたした」

兄弟がますますおどろいた。

「思えば二人の子が法華経の大切さを話しておりましたが、おろかにもわしは聞く耳をもたず、長男は勘当、次男には念仏を強要いたした。この罪は消えるものではござらぬ。さりながらせめて子の罪は許していただき、わたくし一人を処罰たまわるならば、これ以上の幸いはございませぬ」

なんということか。

兄弟が康光の腕にとりついた。すでに涙がにじんでいる。

「父上・・」

兄宗仲が時宗に叫ぶ。

「殿、恐れながら申しあげまする。このたびの騒ぎはわたくし一人がおこしたこと。父に罪などございませぬ。どうか親不孝のわたしを罰していただきとうございます」

こんどは弟宗長が兄をかばった。

「殿、兄の申したことはいつわりでございます。わたくしこそ公然と父にさからい、罵った者であります。このような不孝者こそ咎めをうけなければなりませぬ。わたくし一人をお裁きくださいませ。なにとぞ、なにとぞ」

時宗が親子を見た。彼の眼はやさしくもあり、さびしくも見えた。

極楽寺良観がこの様子にあわてた。そして思わず時宗の前にでた。

「殿、まどわされてはなりませぬ。この親子は日蓮にそそのかされたのです。幕府に日蓮の輩をいれてはなりませぬ。どうか・・」

言い終わらぬうちに時宗の怒声が響いた。

「横紙を破るとはそなたのことだ。おぬしなどに、なにがわかる。さがらんか」

時宗が大将軍の威勢でにらむ。良観はうずくまりながらさがった。

父の康光は満足だった。

「皮肉なものでござる。はじめて親子が一つになり申した。かくなるうえは、すべて殿におまかせいたしまする」

親子三人が床にのめりこむように額をつけた。

執権時宗は腕を組み、瞑目したままだった。

外では数えきれないほどの大工たちが様子を見守っていた。

兄弟の妻がいる。一族もいた。法華宗の人々も四条金吾を筆頭にかけつけた。野次馬もいる。ざわざわとした空気がつづいた。

やがて殿上から康光がでてきた。表情がきびしい。

人々が見上げ、静まりかえった。

つづいて宗仲、宗長兄弟があらわれた。

大工たちは最悪の結果を覚悟した。

しかしやがて三人が笑顔にかわり、康光を中心に手をとりあった。

これを見た瞬間、群衆は了解した。
 飛びあがる者がいる。踊る者がいる。手拍子する者がいる。

歓声がなんどもあがった。

時宗が殿上のすみで親子を見ていた。

「うれしそうであるな」

泰盛が時宗をたたえる。

「殿のお裁きのおかげでございます」

頼綱はふてくされてだまっている。

見事な裁きをくだしたはずだったが、今日の時宗はどこかさびしげだった。

「親子兄弟とは、あのようにむつまじいものか。このわしにも兄上がいた。腹違いではあったが兄として慕っていた。だが今はいない」

時宗にも兄の時輔がいた。六年前、彼はその兄を殺害した。
 彼はもらさなかったが、兄を死にいたらしめたことに自責の念があったようである。
 時宗は池上兄弟になれなかった。
彼は歓声を背にうけて去った。

池上の騒動は執権時宗が最後に決断して解決した。これだけもめた騒動を収拾できるのは、時宗をおいてほかにない。時宗の一声で事態はおさまった。

日蓮はふりかえる。

()もん(衛門)()いう()をや()に立ちあひて(かみ)の御一言にてかへりて()りたる  『四条金吾御書』

えもんのたいうとは宗仲のことである。

上とはだれであろう。御一言の表現から時宗とわかるのである。

広場では踊りがつづいていた。歓喜の舞が広場をうめた。

大工たちがよろこびを爆発させて踊りまくった。そのおかしさに康光夫妻が、兄弟が、妻たちが涙ながらに笑いあった。

日蓮はこのあと、弟に感激の手紙をおくっている。日蓮は病身だったが、書かずにはいられなかった。

とのばら二人は上下こそありとも、(殿)のだにも()()かく、心()がり、道理をだにもしらせ給わずば、(右衛)もん()大夫(たいふの)(さかん)殿はいかなる事ありとも、()やのかんだ(勘当)ゆる()べからず。()もん(衛門)()いう()は法華経を信じて仏になるとも、()やは法華経の行者なる子をかん()()うして地獄に()つべし。(殿)のは()にと()やとを()んずる人になりて、堤婆達多が()うにをはすべかりしが、末代なれども、()しこき上、欲なき身と生まれて三人ともに仏になり給ひ、()()た、()ゝかたの()いをも( 救)くひ給ふ人となり候ひぬ。(殿)のゝ御子息等も()への代は()かうべしとをぼしめせ。

此の事は一代聖教をも引きて百千まい()()くとも、()くべしとはをもわねども、やせ()()まいと申し、身もくる()しく候へば、事々申さず。あわれあわれ、いつかげざん(見参)に入りて申し候はん。又むかいまいらせ候ひぬれば、あまりのうれ()しさに、かた()られ候はず候へばあらあら申す。よろづは心にすい()しはからせ給へ。女房の御事同じくよろこぶと申させ給へ。恐々謹言  『兵衛志殿御返事』

面会したならば、あまりのうれしさに言葉がでないであろうという。感激がよく伝わっている。

宗長を突き放したかにみえた日蓮だが、むろん内心はちがう。千にひとつ、万にひとつの望みをかけて宗長に訴えた。劇的な改心を求めるためにわざと突き放した。それほど薄氷をふむ諫言だった。

では兄宗仲への思いはどうだったろう。
 日蓮は最後まで強信だった兄に、なかば尊敬をこめて書をおくる。

当今は末法の始めの五百年に当たりて候。かゝる時刻に上行菩薩御出現あって、南無妙法蓮華経の五字を日本国の一切衆生にさづ()け給ふべきよし経文分明なり。又流罪死罪に行はるべきよし明らかなり。日蓮は上行菩薩の御使ひにも似たり、此の法門を弘むる故に。神力品(じんりきぼん)に云わく「日月の光明の()く諸の(ゆう)(みょう)を除くが如く、()の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す」等云云、此の経文に斯人(しにん)(ぎょう)世間(せけん)(いつつ)の文字の中の人の字をば誰とか(おぼ)()す、上行菩薩の再誕の人なるべしと覚えたり、経に云く「我が滅度の後に(おい)(まさ)()の経を受持すべし、是の人仏道に於て(けつ)(じょう)して(うたがい)有ること無けん」云云。貴辺も上行菩薩の化儀をたすくる人なるべし。    『右衛門太夫殿御返事』

兄宗仲を「上行菩薩の化儀をたすくる人」と呼んでいる。これほどの賛辞はほかにみられない。

日蓮は疑いぶかい人である。

たとえ信徒であっても自分の胸中を明かすことはまれだった。火のように信心する者は多くいたが、善につけ悪につけ日蓮からはなれていった。日蓮はこの経験からめったに人を信用しなくなった。自然、よほどの強信者でなければ、心のうちなど明かさない。

だが大難をのりこえた信徒は心の底から信用した。それは自身の経験からであろう。難を乗りきった時に、はじめて信心は深まり、大難四度の日蓮を理解することができる。日蓮はこのような(ごう)(じょう)な信徒には、自分の胸中をあますところなく吐露している。

弟宗長にあてた手紙に、日蓮自身が愚痴をこぼす珍しい消息がある。

内容は身延山に隠棲したはずなのに、来客がひっきりなしにあり、とてもおちつけないという。弟子も多いときには六十人いて騒がしいばかりだという。そんな内心のいらいらをユーモアたっぷりにつたえている。

其の上兄弟と申し、右近の尉の事と申し、食もあいついで候。人はなき時は四十人、ある時は六十人、いかに()き候へども、これにある人々のあに()とて出来し、舎弟(しゃてい)とてさしいで、しきひ(敷居)候ひぬれば、かゝはやさにいか(如何)にとも申しへず。心にはしづ()かにあじち(庵室)むすびて、小法師と我が身計り御経よみまいらせんとこそ存じて候に、かゝるわづ()らわしき事候はず。又と()あけ候わばいづくへも()げんと存じ候ぞ。かゝるわづらわしき事候はず。又々申すべく候。

なによりも()()んの大夫(たゆう)(さかん)(殿)のとの御事、( 父)ゝの御中と申し、上のをぼへと申し、面にあらずば申しつくしがたし。恐々謹言。

このようなうちとけた内容の手紙はめったにない。兄弟にあてた手紙だからこそ安心してしるしたのであろう。すこしおどけけた感もある。兄弟の(ごう)(しん)をいかによろこんでいるかがわかる。

日蓮はこの四年後、長男宗仲の館で世を去る。武蔵の国、今の東京都大田区である。強信の兄弟だからこそ、池上を終焉の地としたのであろうか。

さて日蓮は「(殿)のゝ御子息等も()への()()かうべしとおぼしめせ」と兄弟に約束したがどうだったか。

池上家はこののち代々続き、子孫は現代まで生きのびた。作事の家として江戸時代の史料にもその名が見える。

信心についてはどうだったか。

長い歴史のあいだに、念仏に改宗したこともあったという。そうして今は細々と法華経の信心をつづけているのであろうか。

子孫はいま、横浜市鶴見区に在住と聞く。

 
    下24 熱原の三烈士 につづく



by johsei1129 | 2014-09-30 13:09 | Comments(0)
2014年 09月 29日

小説「日蓮の生涯」下22  日蓮、弟を諌暁

兄宗仲は手斧を水につけて磨いていた。そのあと、のこぎりをヤスリでみがく。宗仲はここ数ケ月の心労でやせ細った。意地だけで生きていた。

うしろで子供が寝ている。

宗仲が手斧や鋸をならべた。そして仏壇にむかう。

妻は背をむいたままだった。

「どうした」

妻が疑いの目で夫をみた。

「弟君のことでございます。あなた、宗長様はほんとうに信用できるのですか」

「なにをいう。弟はわしと一心同体だ」

「先日、極楽寺良観様から宗長様の宅へ貢ぎ物があったこと。あなたご存じでしたの。そのお礼に宗長様が極楽寺へお尋ねになったのですよ」

宗仲は動揺をかくす。

「まさか。そんなことがあろうはずがない。たとえそうだとしても、宗長なりの考えがあるのだろう」

「いいえ。宗長様は弟の身で池上を継ぐおつもりです」

「なにを申す。弟を侮辱するのか」

妻は唇をかみしめた。

「侮辱などしておりませぬ。わたくし、くやしくて・・あなたの勘当を良いことに、弟が跡目をねらっているのです。どうして弟なんぞに負けなければいけないのです」

「おちつくのだ。なにを思いつめている。奉行の職になんの値打ちがあるというのだ。いままで信心してきたのはなんのためだった。今が肝心なのだ。今こそ強盛の信心で魔を退治する時なのだ」

「どうやって」

宗仲が妻に数珠をわたした。

そして夫婦そろって仏壇にむかい、手をあわせた。

妻がくやしげになんども涙をふいた。


翌日、弟宗長は父親と対面した。

父康光の横では母がしおれたようにすわった。

康光がうなるように告げる。

「じつはな。兄を勘当した以上、跡目を決めねばならぬ。宗長、お前しか池上を継ぐ者はおらぬ。兄のことなど考えるな。お前自身の問題だ」

宗長が哀願した。

「父上、時がたてばきっと兄上の気持ちがおわかりになります。なにとぞお考えください。わたしなど、池上の統領になる素質などありませぬ」

康光がせまった。

「宗長、時間がないのだ。まごまごしておれば、作事奉行の職は取りあげられるぞ」

宗長は驚愕した。

「幕府をあまく見るな。後継ぎでもめておれば、鎌倉殿からきつい仕置きがある。奉行の職をねらっている御家人は多いのだ。良観様もだまってはいない」

母が加勢した。

「宗長、わかっておくれ。家を守るために池上を継いでおくれ。兄は日蓮につきました。お前だけは念仏を信じて池上を継ぐのです」

宗長が苦悶の表情をみせる。

父がとどめをさすようにいった。

「お前が念仏を信じれば、一生、良観様が守ってくださる。安心しろ。棟梁になれば安心だ。もう日蓮の手合いとも会わずにすむぞ」

信仰の是非と家の興廃が一気におしよせてきた。怒涛のような衝撃だった。

宗長は窮し、しばらくして言った。

「父上、考える(いとま)をくださいませぬか」

父が弟の目を見すえた。

「三日後に跡目相続の儀をおこなう。宗長、猶予はならんのだ。お前のことだ、良い返事をまっているぞ」

建築現場では兄の宗仲が職人にまじって働いていた。

執権の館は完成間近だった。

大工が宗仲に声をかける。

「ちかごろ、弟君の姿を見かけませぬな」

宗仲は関心のないふりをした。心配してもどうなるものでもない。

そこに康光が登場した。

みな地に片手をつけて平伏した。

「よい知らせがある。完成披露は、時宗様がじきじきにおみえになる」

一同が静かなよろこびにわいた。

「油断のないよう。とくに火は厳禁である。ぬかるな。あわせて達しがある。このたび作事奉行の跡目を、次男宗長にゆずることとした」

一同が驚き、だれもが兄の顔を見やった。

康光はつづける。

「宗長はかならずわが家を継いでくれるであろう。でなければ池上は断絶となる。跡目相続の義は三日後、わが館で行う。幕府の面々が参集する。ぬかるでないぞ」

康光が去った。

入れかわりに、苦渋にみちた宗長がでてきた。

宗長はまだ決心がついていない。

彼は兄の前に立った。

「困りました。父にそむけば作事の家は断絶。父につけば兄上が・・」

兄の目はやさしかった。

「宗長、こうなってはお前の考えで決めるがよい。わしはなにがあっても法華経の行者として生きる。お前がわしを捨てても、わしは恨まぬ。お前自身できめよ」

兄がさびしく去った。

大工たちも宗長に背をむけた。

弟がひとり立ちつくした。

極楽寺は僧侶と所化がいそがしく働いていた。

仏事ではない。

運びこまれた銅銭を数えて中央の穴に糸をとおし、積みあげていた。その横では、絹の反物が積まれていった。

良観と弟子の入沢入道がこの様子をながめる。

入沢が報告した。

「上人様、和賀江の運上金が順調でございます」

良観がうなずいた。

「いま木材の値が上がっておる。あの火事のおかげだ。忘れるな、買い占めておけ。鎌倉の普請や作事が活発じゃ。木材の値はつりあがるぞ」

実業家の良観は抜け目ない。極楽寺は商売ぬきでは維持できなかった。ここに仏の法があるのだろうか。

入沢には気になることがあった。

「お師匠さま。池上の件についてですが、三日後に跡目相続がございます。父親は兄を勘当して弟に無理やり奉行をつがせようとしております。はたして弟は決心するでしょうか」

良観が弟子の目の奥をみた。

「すでに既成の事実はつくられた。あの弟はわれらが敷いた道を歩けばよいのだ。楽なものではないか。弟はわれわれのもとにくる。

あたりまえだ。来世ではなく今世の功徳こそ人の生きがいではないか。どこの世界にあるかわからぬ浄土よりも、人は目の前の極楽が大事なのだ。弟は一生楽しくくらせるのだぞ。それをみすみす捨てる者がどこにおる。断れば奉行の職は取りあげとなるのだ。ほかに道があるか」

入沢がうなずいた。

良観は宗長が法華経を捨てなければ、作事奉行を池上からはずす運動をおこすつもりである。幕府に絶大な力をもつ彼にとって、なんでもないことだった。

ひげ面の兄宗仲が家財道具をかたづけ、引っこしの準備にいそがしい。

親の跡目を継げない以上、零落の道がまっていた。

すっかり人のかわった妻が、なおも宗仲に催促した。

「あなた、こうされてはいかがでしょう。お父様にわびを入れるのです。そうすれば弟に財産を横取りされることはありませんわ。あなた」

「それはできぬ。もうあともどりはできぬ」

「あなた、武士のはしくれでございましょう。弟が憎くはないのですか。兄をさしおいて弟が奉行につくのを、だまって見ているのですか」

宗仲が黙々と片づける。

「わかりました。わたし、そのようなことでは離縁して家を出とうございます」

宗仲が背中でいった。

「かまわぬ。いたしかたない」

妻は宗仲の背中にだきついて泣いた。

いっぽう弟宗長の家は銅銭がならべられ、美服で埋まっていた。

宗長が武士の正装である(かり)(ぎぬ)で帰ってきた。

彼は親が定めた道に従うしかないと決めた。

宗長は思った。

退転は不本意だが、運命の力には逆らえない。信心と家の未来を(はかり)にかけ、自分なりに考えたが、ここは父親につくしかないと観念した。

脳裏に四条金吾や土木常忍など、親しい同志の顔が浮かんだ。彼らの落胆した姿が思いうかぶ。宗長はそんな妄念をふりきるようにかき消した。そして安置していた日蓮の本尊をとりだし巻いてしまった。

ふと見ると、妻があいかわらず粗末な帷子(かたびら)を着て正座している。

宗長がいぶかしんだ。

「どうした。着替えなかったのか」

いつも明るい妻がだまったままでいる。

「どうした、なぜ着ない。暮らしが楽になるのだ。うれしくないのか。思うぞんぶんに贅沢もできる。不満があるのか。わしが父親のいうことを聞かなければ、一族が途絶えるのだ。これしか今はとる道がないではないか」

妻はうやうやしく両手をついて語りだした。はじめて見る姿である。

「一言申しあげます。お悩みの様子、痛み入りました。わたくしはあなた様が兄上様を捨ててまで、良い思いをしようとは思っておりませんでした。でもあなたがたとえ法華経の信心をお捨てになっても、わたしはあなた様についてまいります。贅沢をしたいからではありませぬ。

聖人はおおせでした。夫楽しければ妻は栄える。夫盗人ならば妻も盗人になる。男王なれば女人(きさき)となる。男善人ならば女人仏になる。今生ばかりのことでなく世々(せせ)生々(しょうじょう)に影と身と、(はな)(このみ)と、根と葉とのようにおわすると。木にすむ虫は木を食べる。水にある魚は水を食べる。芝枯( か)るれば蘭泣き、松栄うれば(かしわ)悦ぶ。草木すらかくのごとしと。

わたしはあなた様が盗人になっても、あなた様についてまいります。どうぞご安心ください」

宗長が救われたようによろこんだ。今の自分を理解してくれるのは妻だけだ。たった一人いる味方だった。

「よく申してくれた」

だが妻はここで、突き放すように言った。

「ただひとつお願いがございます。聖人にお会いして、けじめをつけてくださいませ。お父様にしたがって、お兄様と法華経の信心を捨てる前に、聖人にお会いしてきっぱりとお話しするのが筋でございましょう。いかがでございますか」

身延の山に雨がしのつく。昼なのに道は暗かった。

馬上の宗長が笠をかぶり、蓑をまとって山中をのぼる。

彼は行きつ戻りつした。女房にいわれてはるばるきたが、さすがに足どりが重かった。

やがて日蓮の館が見えてきた。極楽寺とは見ちがえる粗末さだった。

館の明かりがみえた。

雨にぬれた宗長が明かりを見つめながら立ちすくんだ。

宗長は妻から日蓮に話をつけるよういわれた時から、どのようにして話そうか、そればかり考えた。

日蓮は反対するにきまっている。

自分はどう答えればよいだろう。苦渋の顔で首をふる日蓮を思いうかべた。どうやって切りぬければよいであろう。頭の中でそのことばかりを思案していた。

当の日蓮は館の中で使い古しの紙にしたためていた。

紙は貴重である。良観のように贅沢はできない。日蓮はなんども使い古した紙を使った。

そのわきでは弟子の筑後房日朗が経巻を読んでいる。さらにその横では少年日目が頭をかたむけ眠りこけていた。

しずしずと雨音だけが聞こえる。

筑後房がうれしそうに語る。

「熱原での伯耆房の活躍は目を見はるものがございますな。駿河にあのまま法華経がひろまってくれればよいのですが。広宣流布も夢ではないかもしれませぬな」

東日本を中心として弟子たちの活躍が始まっていた。なかでも伯耆房日興は、富士地方を中心に弘教の先頭に立っていた。

しかし日蓮は耳もかさず、筆を動かしながら物憂げだった。

「筑後房、外に客人のようだ。あけてあげなさい」

気づかなかった。日蓮はどうしてわかるのだろう。

筑後房が半信半疑で戸を開けると、雨にぬれた池上宗長が立っていた。

筑後房は驚いたが、すぐ笑顔で宗長を引きいれた。

日蓮は逆に、にこりともしない。

宗長は身をこわばらせながら蓑をはずした。

筑後房がむやみによろこぶ。

「宗長様。よくぞおこしくだされた。お父上のことはうかがっております。今が肝心な時ですぞ。兄上と力をあわせてこの大難を乗りこえましょう。宗仲様は・・」

ここで日蓮はなぜか制止した。

「まて、筑後房、さがりなさい」

どうしたことだろう、師匠の様子がおかしい。

日蓮が宗長と対面した。日蓮に憂鬱の相が見える。

対する宗長はおかまいなく、ここぞとばかり意気ごんだ。

「上人、実は・・」

日蓮はさえぎった。

「このたびあなたは、かならずおちるであろうと思います」

まわりがおどろいた。

愛弟子になにをいうのか。

当の宗長は不意を突かれた。

日蓮は話をつづける。その声はしみとおるように静かだった。

「正法像法の時は世もいまだ衰えず、聖人賢人もつづいて生まれました。天も人を守った。さりながら末法になれば人の貪欲ようやく重なり、主と臣と、親と子と、兄と弟のいさかいが絶えなくなった。まして他人は申すにおよばず。

これによって天もその国を捨てることになり、三災七難や一二三四五六の日いでて、草木枯れうせ、小大河も尽き、大地は炭のごとくおこり大海は油のごとくになり、あげくは無間地獄より炎いでて(かみ)梵天まで充満することになる。このような事がおこり、ようやく世間は衰えていくのです。

みな人の思うには、父は子にしたがい、臣は君にかない、弟子は師に(たが)いてはならぬという。賢き人も卑しき人も知ることである。しかれども貪欲・瞋恚(しんに)愚痴(ぐち)と申す酒に酔い、主に敵し、親をかろしめ、師をあなずることは常に見えている。ただ師と主と親とに従って悪事をいさめば孝養となることは、先の対面のとき申したことです。常に思いだしてくだされ。

ただしこのたび兄にかさねて親の勘当あり。殿の前にて申しました。弟君にも必ず勘当があるであろうと。

宗長殿おぼつかなし。御前(ごぜん)かまえて心得あるべしと申したのはこれです。このたび殿は必ずおちるであろうと思います。おちてしまうことをどうしてとは、ゆめゆめ思っておりませぬ。ただ地獄で日蓮を恨んではなりませぬぞ。日蓮の知るところではない。千年の刈萱(かるかや)も一時に灰となる。百年の功も一言にやぶれることは法のことわりである。

父上はこのたび法華経の(かたき)になり定まったとみえます。兄は法華経の行者になるのでしょう。あなたは目の前のはからいであるから親につくのでしょう。物狂わしい人はこれをほめるであろう。法華経の(かたき)になる親に従って法華経の行者なる兄を捨てるのは孝行となりますか。せんずるところ、ひとすじに思いきって兄と同じく仏道を成しとげてくだされ。

かえすがえす、このたびあなたはおちるであろうと思います。それほどの心ざしがありながら、ひきかえて悪道におちてしまうことが不憫であれば申すのです。百に一つ、千に一つも日蓮の義につこうと思うのであれば、親にむかって言いきりたまえ。

少しも恐るる心なかれ。過去遠々(おんのんごう)より法華経を信ぜしかども、仏にならぬことこれなり。潮の()ると満つると、月の()ずると入ると、夏と秋と、冬と春のさかいにはかならず相違することあり。凡夫の仏になる、またかくのごとし。必ず三障四魔と申す(さわ)り出できたれば、賢者はよろこび、愚者はしりぞく。

この事はわざととも申し、また機会があればと思っていましたが、よくこられました。おちたとしたら、まずおこしにはならないであろうと思えば、もしやと申すのです。

法華経は会いがたい。このたび会いやすい父母の言葉にそむいて、会いがたい法華経のもとをはなれなければ、我が身仏になるのみならず、そむきし親もみちびくことができる。親という親の世を捨てて、仏になれと申す親は一人もいない。

これはとによせ、かくによせて念仏者がわざと落とさんために、親をすすめておとすのです。良観は百万遍の念仏をすすめて人々の中に分けいり、法華経の種を絶たんとはかると聞く。北条重時殿はすぐれた人であった。だが念仏者にたぼらかされて日蓮を仇としたばかりに我が身といい、かの一門は滅びました。

良観房を御信用ある人々は、うらやましいと思いますか。名越の一門が大仏を建ててうけた報いを見ましたか。また時宗殿は日本国の主にておわしますが、一閻浮堤のごとくなる敵をおもちになった」
 日蓮はここで語調を強める。
殿が兄を捨てて兄があとをゆずられたりとも、千万年の栄えかたかるべし。知らず、またわずかのほどにや。いかんがこの世ならんずらん。よくよく思いきって一向に後世を頼まるべし」

そして大きくため息をついた。

「こう申しても、無益な言葉であると思えば、かくも億劫(おっくう)だが、のちの思い出として申しあげる」

宗長は気おくれし、頭をさげて出ていった。

日蓮の反応は意外だった。

宗長の意識の底には、日蓮が退転を止めてくれるのではないかという期待があったのかもしれない。だが日蓮は宗長を冷たく突きはなした。

山中、馬上の宗長が小雨にぬれながらおりていった。

跡目相続の日がきた。

空は青く晴れわたった。

池上康光邸にあつまった人々は、主賓の宗長の登場をまっていた。

康光夫妻とならんで極楽寺良観がすわる。

父康光は家の存続に安心し、良観は日蓮一派の排除に満足だった。良観は宗長の退転を鎌倉中に触れまわすつもりでいる。

宗長の妻子もいた。祝いの品がかぞえきれなかったが、妻は目もくれず物思いにふけっていた。

正面には幕府御家人衆がすわる。

大工たちは庭の地面にすわり、どうなることかと見守っている。

この中に勘当された兄宗仲の姿があった。憔悴の宗仲が、にこやかな良観と対をなしていた。

司会が告げる。

「これより、作事奉行の跡目相続の儀を行う。池上兵衛(ひょうえ)(のさかん)宗長、出ませい」

広間につながる長い廊下だった。

正装した宗長が長い袴を引きずりながらゆっくりとすすむ。
 宗長は新たな頭領らしく威厳に満ちていた。

それぞれが期待と落胆と怨恨の表情でむかえた。

司会が言上する。

「まず鎌倉の生き仏であられる極楽寺良観上人のお言葉をいただきまする」

良観がさわやかに立った。

「このたびは極楽寺の大檀那であらせられる池上康光ご夫妻の所望により、この宗長殿を作事奉行として推挙することにいたした。この若者は清廉潔白、欲得なぞみじんもござらぬ。まことに池上の後継ぎにふさわしい人物でございます。宗長殿は父上のように阿弥陀仏を大切にいたし、いらぬ心はおこさぬであろう。ま、これは余計な心配というものじゃ。なにはともあれ、宗長殿の決意のほどを聞こうではないか」

衆目が宗長にあつまった。

宗長は大きく深呼吸していう。

「このたびは、かくも大勢のお歴々におこしいただき、恐悦至極にございます。それがし池上兵衛志宗長はこのたび、跡目を継ぐようまわりの者からすすめられました。むかしより親のすすめに従うのは子の義務であり、世間の定めでもあります。格式ある作事奉行の総代として、鎌倉大工の棟梁として力を発揮できますことは身にあまる光栄であり、むかしより願っていたことであります。

ただひとつ気がかりなのは、兄宗仲のことであります。法華経を信ずるばかりに勘当をうけました。弟の身として兄をさしおいて跡目を継いでよいものか迷いました。親につくべきか、兄につくべきか、親について念仏を信ずれば地獄におちるという。兄について法華経を信ずれば一族が絶える。二つに一つでございます」

一同が耳をたてる。

「このような苦しみをもったわが身を一時は恨みましたが、決断をせねばなりませぬ。すなわち子は親に従わねばなりませぬ」

両親に安堵の表情がうかぶ。

「ただし、親に従って()しきことを(いさ)むれば親の孝行となる。(むね)(もり)は親清盛の悪事に従って篠原(しのはら)で首を斬られた。重盛が従わずして先に亡くなった。どちらが親の孝行となるのか。教主釈尊は(じょう)(ぼん)(のう)の王子でありました。親は国をゆずり位にもつけようとしてすでに位につけましたが、親の心をやぶって夜、城を逃げ去りました。親は不孝の者とうらみましたが、仏になってはまず浄飯王、摩耶夫人をみちびいたのです」

良観が狼狽しだした。

康光夫妻、兄の宗仲までもがおどろいた。すべての聴衆がいぶかしげに宗長を見た。

宗長は両親の前で両手をつき、別人のように力強く叫んだ。

「親なれば、いかにも従うべきでありますが、法華経の(かたき)であります。ついてまいりますならば親不孝の身となるために、捨てさせていただき、兄についてまいります。もし兄に捨てられても、心は兄と同じとおぼしめしくだされ」

父康光がくやしそうに顔をこわばらせ両手をふるわした。

母が両手で顔をおおい泣き伏す。

さらにここまでおとなしかった良観が立ちあがった。

「なにを申す、気でも狂ったか。この金銀が目に入らぬか。わしの面をよごす気か」

良観は衆目の前で感情をむきだしにした。

宗長は動じない。

「極楽寺殿。残念でござった。余は法華経の行者でござる。(あぶ)(はえ)のような戒律なぞ、たもつ者ではない。このたびの儀、貴殿のおよぶところではござらぬ」

良観の顔つきがかわった。体がわなわなとふるえている。やがて良観は笑いながら呪いの言葉を吐いた。

「お前たち兄弟はおしまいじゃ。どこへでもいけ。露頭に迷うがいい。これで作事奉行の池上は途絶えたわい。よいよい、わしはなにもこまらぬ。いくらでも後釜はおるからの」  

さらに良観が鼻で笑った。

「わしとしたことが。たかが卑しい大工風情に肩入れしてしまったわ。なんという茶番だ。ああ、つまらぬ時を費やしたな。こんなところなどもう用はない。帰るぞ」

良観が弟子の入沢入道をうながして去ろうとした時、皆があっとなった。

父の康光が剣をぬき、良観の鼻先に刃をむけたのである。


       下23 兄弟、親をみちびく につづく



by johsei1129 | 2014-09-29 14:02 | Comments(0)
2014年 09月 29日

70 兄宗仲の勘当

建築現場で大工たちがいそがしく働く。

作事は足代がくみあげられ、躯体が完成間近である。

兄宗仲が指図する。弟の宗長はその指示をわかりやすく大工に説明した。指図するだけではない。兄弟は大工たちと同じく鋸や金槌で作業にあたった。

当時の大工職人は身分が低い。大工たちは同じ汗を流す兄弟を慕った。

みなの息が合っている。工事ははかどっていた。

これから壁のとりつけがはじまる時だった。

父康光が登場した。

兄弟がいつものようにひかえる。工人たちもあつまって平伏した。

康光が声高に言った。

「この建物は鎌倉殿からじきじきの命をうけ、奉行であるこの康光がうけたまわりしもの。おのおの抜かるでないぞ。とくに火のもとには十分気をつけよ。また本日は、おぬしらに伝えることがある。今日よりこの池上宗仲を勘当することとあいなった。今日の件はこれにて」

康光が去る。

あっという間だった。

当の宗仲は毅然と正面をむいている。

だが弟の宗長をはじめ一同は驚愕した。まさか勘当とは。

落胆する者がいる。みながあっけにとられて、ふらふらと作業場にもどった。

弟の宗長が康光の(たもと)をつかんだ。

「父上、なにとぞお考えのほどを。兄上はつぎの棟梁ではあったはず。ここで兄上を勘当いたしては作事もとどこおります。池上の家名にもかかわること。なにとぞ勘当はお解きになってくださいませ」

康光の返答はこれまでにまして冷酷だった。

「宗仲は人夫におとす」

宗長は最悪の事態になったと困惑する。

こんどは康光が弟の宗長に詰問した。

「宗長、法華経の信心をやめるつもりはないのか。わしとて、このようなことはしたくはなかった。お前の兄が強情なばかりに、こんなことになったのだ。お前だけでもよい。法華経を捨てて、念仏を信ずる気はないのか」

宗長のやさしい性格は好感をもたれている。反面、彼は自分の意思を明確にするのが苦手だった。決意がぐらつくのだ。法華経の信心も兄がはじめたからである。だが今は父の怒りがあっても、兄を慕う気持ちのほうが強かった。
 宗長はいっとき思案のうえ、康光に告げる。

「父上、わたしは日蓮上人を信じております。お願いでございます。どうかこの信心だけはつづけさせてください」

康光は憮然として現場を後にした。

甲州身延の日蓮の館では弟子たちが狭い室内に密集し講義を聞いていた。日蓮の真正面に池上兄弟がいる。

口調はいつになくけわしかった。

「この世界は第六天の魔( )の所領である。一切衆生は無始以来、彼の魔王の眷属です。六道の中に二十五(にじゅうご)()(注)と申す牢をかまえて一切衆生を入れるのみならず、妻子と申す足かせ()をうち、父母主君と申す網を空にはり、(とん)(じん)()(注)の酒を飲ませて仏性の本心をたぼらかす。ただ悪の(さかな)のみをすすめて三悪道の大地に(ふく)()せしむ。たまたま善の心あれば障碍(しょうげ)をなす。法華経を信ずる人をば、いかにもして悪へおとさんと思うに(かな)わざれば、ようやくすかさんがために(そう)()せる華厳経へおとす。または般若経へおとす、また深密経へおとす、また大日経へおとす、善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証これなり。また禅宗へおとす、達磨(だるま)これなり。また観経へすかしおとす悪友は善導・法然これなり。これは第六天の魔王が智者の身にはいって善人をたぼらかすことをいう。法華経第五の巻に『悪鬼其の身に入る』と説くのがこれです。

我らは過去に正法を行じる者に仇をなしていましたが、今かえりて信受すれば過去に人をおとしめる罪によりて、未来に大地獄に堕つべきところを、今生に正法を行ずる功徳強盛なれば、未来の大苦をまねきこして小苦にあう。

このさざまな果報をうける中に、あるいは貧しい家に生まれ、あるいは邪見の家に生まれ、あるいは王難にあう。この中に邪見の家と申すは、正法を誹謗する父母の家である。王難と申すは悪王に生まれあうことをいう」    

日蓮は兄弟をみつめた。

「この二つの大難は、おのおのの身に当たりて思うであろう。過去の謗法の罪を消そうとして邪見の父母に責められている。また法華経の行者をあだむ国主にも遭った。経文明々たり、経文かくかくたり。()

わが身は過去に謗法(ほうぼう)の者であったことを疑ってはなりません。これを疑って、現世の軽い苦しみが忍びがたくて、父上の責めに耐えきれず、思いのほかに法華経を捨てることがあるならば、我が身地獄に()ちるのみならず、父も母も(だい)阿鼻(あび)地獄におちて、ともに悲しむこと疑いなかるべし。大道心と申すはこれです。

おのおの随分に法華経を信じるがゆえに、過去の重罪をせめ出だしたのです。たとえば黒鉄(くろがね)をよくよく(きた)えぬれば、きずあらわる。石は焼けば灰となる。(こがね)は焼けば真金(しんきん)となるように。このたびこそ、まことの御信用はあらわれて法華経の(じゅう)()(せつ)も守護いたすであろう。それにしても心浅からんことは後悔することになる。  

おのおのが責められるのは、つまるところ国主が法華経の(かたき)となったがゆえです。国主が敵となることは念仏者、真言師などの謗法よりおこった。

このたびはこれを忍んで法華経の御利生を試みてくだされ。日蓮もまた強盛に天に申しあげよう。いよいよおじ気づいた心根・姿があってはなりませぬ。女人はかならず心弱いために心をひるがえすであろう。強情に歯がみをして、たゆむ心があってはなりませぬ。たとえば日蓮が(へいの)左衛門尉のもとにてうちふるまい言いしがごとく、少しも怖気(おじけ)づく心なかれ。
()()()()()() なにとなくとも、一度の死は一定(いちじょう)です。色をば()しくて人に笑わせたもうな。

一生の間、賢かった人も一言で身をほろぼすこともある。おのおのも御心のうちは知らず、おぼつかない。

世の中にも兄弟おだやかならぬ例もある。いかなる(ちぎ)りであなたがた兄弟はそのようにむつまじいのか。宗仲殿の父上の勘当はうけたが、弟殿はこのたびは、よも兄にはつかないであろう。そうなれば、いよいよ宗仲殿の親の御不審は、おぼろげでならでは許されぬと思っていたが、まことにてや、同心と申されたという。あまりの不思議さ、未来までの物語、なにごとかこれにすぎよう。

たとえ、どんな煩わしい事があっても夢になして、ただ法華経の事のみ思案してくだされ。中にも日蓮の法門は昔は信じがたかりしが、いまは先々言い置きしこと、すでに合いぬれば(よし)なく謗ぜし人も悔ゆる心あり。たといこれよりのちに信ずる男女ありとも、おのおのには替え思うべからず。始めは信じていながら世間のおそろしさに捨つる人、数を知らず。その中にかえってもとより謗ずる人々よりも、強盛にそしる人々また多くある」

兄弟の馬が山道をおりていく。日蓮の指導をうけ、心は晴れ渡った青空のような気分で身延の険しい山をおりていった。

宗仲が弟、宗長をはげます。

「ここがふんばる時だな」

宗長がうなずいた。

「今日はきてよかったです。兄上、おたがい堕ちないようにいたしましょう」

「そうだな。二人いれば心強い。一人おちてもまだ一人いる」

宗仲と宗長の兄弟は来た時とはうってかわって馬上で高笑いしながら帰途についた。

日蓮と弟子の日朗は、そろって館の外に出て武蔵国へ帰る兄弟を見送った。日朗は兄弟の母方のいとこだった。それだけに池上兄弟の行くすえが不安だった。

「上人、あの兄弟は親の反対をおしきって法華経の信心をとおしていけるのでしょうか」

日蓮は大丈夫だとばかり二度三度黙って頷き、遠くなる二人をいつまでもみつめていた。

兄弟同士が争うことはいつの代でもある。むしろ武家政治の勃興期である鎌倉時代の武士であれば、兄弟で争わないほうがおかしいくらいだ。この点、池上兄弟の仲の良さは、この時代にはきわめて稀有だったといえよう。

日蓮は兄弟で覇権を争った古今の例をひく。

我が朝には一院・さぬきの院は兄弟なりしかども位をあらそいて、ついにかたきとなり給ひて、今に地獄にやをはすらむ。当世()()たりて、此の世のあや()をきも兄弟のあ()そいよりをこる。大将殿と申せし賢人も、九郎(くろう)判官(ほうがん)等の舎弟等をほろぼし給ひて、かへりて我が子ども皆所従等に失はれ給ふは眼前の事ぞかし。『兵衛志殿御返事

一院とは後白河上皇、さぬきの院とは崇徳天皇のことである。兄弟でありながら皇位をあらそって保元の乱をひきおこした。敗れた崇徳天皇は配流先で怨霊になったという。日蓮は「今に地獄にやをはすらむ」といっている。主上であれなんであれ、血で血を洗えば冷徹な結果がまつ。

大将殿とは源頼朝、九郎判官とは義経のことである。頼朝は異常な猜疑心で義経らの兄弟をつぎつぎに滅ぼした。そのゆえか彼の死後、子孫はことごとく滅ぼされ、征夷大将軍として頼朝が開いた鎌倉幕府の実権は、正室政子の本家北条氏に握られてしまう。
 池上兄弟はいかなることになるのか。

日蓮は遠い甲斐の山から兄弟を案じた。

宗仲が勘当になってから、はや二ケ月がたった。

建築現場では棟上げが進んでいく。

池上兄弟が半裸で工人たちにまじった。

兄宗仲は人夫に落ちていた。もう作事奉行の長男ではない。勘当を解くため、あらゆる人々が嘆願したが父の怒りは消えなかった。作事奉行の家の内紛である。鎌倉で噂にしない者はなかった。

夕暮れ時の仕事を終え、疲れきった兄弟が大きな道具箱を肩に背負って帰る。()

西日が二人をまぶしく照らし、後ろに長い影がさした。

宗仲がほほ笑んで弟をはげました。

「しかし人夫にとってはきつい毎日だな。だがわしは負けない。おぬしが棟梁としてしっかり束ねているから心強いぞ」

宗長は申し訳なさそうにうなずくだけだった。

兄弟がわかれた。

弟宗長が一人歩く。いつもとちがう道だった。

途中に酒場がある。

その中に一目で御家人とわかる若者たちが、遊女をまじえて酒を酌みかわしていた。

宗長がぼんやりとその様子をみつめた。

彼らがやけにまぶしくみえる。

それにひきかえ自分は土や汗にまみれている。なぜか恥ずかしい思いがした。

ここで瞬間、宗長は我を忘れた。

どうしたことであろう。

宗長が彼らと愉快に飲んでいる妄想にとらわれた。

兄の宗仲が館に着いた。

妻は出迎えず奥で縫物をしていた。

宗仲はにがみばしった顔で部屋へはいった。

沈黙がつづく。

宗仲が切りだした。

「いつまでだまっているのだ。しかたないではないか。わしとて、どうしてもゆずれぬことがあるのだ」

妻が背中でいった。

「世間で評判でございます。池上の跡取りが人夫におちたと」

下女が膳をはこんできたが豆と汁しかない。

「なんだこれは」

「これから苦しくなります。年貢など当てにできませぬ。それもこれも、あなたの強情からはじまったことでございます」

宗仲が妻に頭をさげた。

「たのむ。こらえてくれ。わしも考えた。自分の気持ちを曲げて、後継ぎになってよいかどうか。やはりひきさがるわけにはいかんのだ」

妻が正面をむいた。

「あなた、そんなに信心が大事なのですか。この家がどうなるのか、わかっておいでですか。よくお考えください。お父様のいうとおり念仏を唱えてもよいではありませぬか」

「なにをいう」

妻が目を細くした。

「形だけ阿弥陀を信じて、内心は法華経を信じるのはいかがでございます。そうなればあなたは池上の棟梁、わたしは・・」

宗仲が箸をおいた。

「それはならぬ。そんな誤魔化しの信心では先が見えている」

妻が反論することもなく奥に引きこもった。

弟宗長が疲れた顔で帰宅した。妻が笑顔でむかえる。

下女が食膳を運んできて、和やかな食事がはじまった。

妻の笑顔が絶えない。

宗長が聞いた。

「どうした。なにかいいことでもあったか」

「いえ、あなたを見直しましたわ」

宗長が首をかしげる。

「あなたはお兄さまが勘当されても、お兄さまに味方されております。今日、市場でうわさを聞きました。お兄さまが勘当されたのだから、弟が跡目をつぐだろうと」

「そうか。そんな話がでているか」

「でもあなたはお兄さまを立てて、信心をたもっていらっしゃる」

宗長が箸をとった。

世間の目が自分にそそいでいる。これからどうしたらよいのか。

この時、玄関に人の気配がした。

身なりのよい若い僧が立っていた。見かけない顔だ。

若い僧はさわやかな声でつげた。

「極楽寺良観様の弟子、入沢入道と申します。ご挨拶にまいりました。お近づきのしるしにこれを」

入沢は籠の中に入った品物をさしだした。その中には輝くばかりに美しい小袖や(かたびら)が何枚もしきつめられていた。

宗長夫妻があっけにとられた。無理もない。こんな家に付け届けなど、未だかつてなかったのだ。

若僧はそそくさと帰った。

夫妻が籠を居間にはこんだ。いやに重い。それもそのはず、籠の底には真新しい銅銭がぎっしりとつめてあった。

「まあ、なんてことでしょう」

妻は目を輝かせたが、宗長はいいようのない不安にかられた。
 極楽寺良観は法華信徒が目の敵にしている相手である。
 それがなぜ。

鎌倉に明るい日ざしが照りつけていた。

貧相な帷子(かたびら)の宗長が、籠をかかえて鎌倉の町をゆく。

彼は表情をこわばらせて極楽寺の境内にはいった。宗長は届け物を返すつもりでやってきた。自分を念仏に改宗させる魂胆だろうがそうはさせない。

極楽寺はまばゆいばかりの金箔で飾られていた。火災で灰燼に帰したことが嘘のようである。

玄関で可憐な少女がむかえた。宗長は驚いた。こんなきれいな娘が世の中にいたのか。

つづいて入沢入道がでてきた。

「これは池上宗長様。よくおこしくださいました。さ、これへ」

少女が突っ立っている宗長の手をとり奥へ誘った。

宗長がどぎまぎしながらあがる。少女が宗長のよごれた草履を見てほほえんだ。

宗長が長い廊下をわたる。彼は細かく装飾された壁面に目をやった。別世界に来たようである。

座敷では良観と身なりのよい武士が談笑していた。

宗長は気おくれしたが、思いきって手をつけ挨拶した。

「池上兵衛(ひょうえ)(さかん)宗長にございます」

見知らぬ武士がかしこまった。

「おお、あなた様が池上殿の新しい跡取りでござるか」

宗長が不意をつかれた。

「いえ、そうではありませぬ」

良観は上機嫌である。

「まあ、それはよいとして食事といたそう」

宗長は届け物をかえすためにきたが意外なことになった。高僧の良観が食事をふるまうという。断ればまた父から叱責をうける。そうこう考えているうちに女たちが食膳をはこんできた。

膳には見たこともない魚や珍味がのっている。やがて娘たちが踊りを披露した。

両脇で可憐な娘が酌をした。宗長は竜宮城にいるような思いにとらわれた。

彼は生まれついた時から兄の影にいた。長男と弟の差は歴然としている。兄とはちがい、毎日が食うだけでやっとだった。遊ぶことなど頭にもない。それだけに驚きの連続だった。

月明かりの夜、宗長が帰路についた。

彼は歩きながら酒宴での会話を思いだしていた。

宗長は自分なりにいった。

「良観上人、せっかくですが、某は法華経を捨てるつもりはございませぬ」

良観は聞こえないふりだった。

「今日きてもらったのは、そのことではない。宗長殿、父親の跡目を継いではくれぬか。そなたの兄は日蓮にとりつかれている。もうこの良観が救う手だてはなくなった。もしそなたが父親にしたがわなければ、跡取りはいなくなる。さすれば作事奉行は他人の職となり、池上家も断絶。それではみなが困ること。

考えてみなされ。この世の中は力が支配しておる。兄弟の上下ではない。力ある者が主となれる。頼朝様がそうではなかったか。このわしも財力と人の縁でこのように人から崇められる身となった。しょせん幸せは人からいただくもの。兄を捨てることではない。これからのことを思えば父親に従うことじゃ。兄は兄で自分の運命を選べばよいではないか」

途中に兄の家があった。あかりが見える。

宗長はその光を見ていた。
 

        71 弟の宗長を諌暁 につづく
下巻目次


 二十五有

 三界六道の存在を二十五種に分類したもの。有は生存・存在の意。欲界では四悪趣、四州、六欲天の十四有。色界では大梵天と四禅天および夢想天、五淨(ごじょう)居天(ごてん)の七有。無色界では四空処天の四有。

(とん)(じん)()

煩悩の三毒のこと。一切の煩悩の根本。貪はむさぼり。欲望のこと。瞋は怒り。感情にとらわれ正しい価値判断ができないこと。癡はおろか。目先のことに左右され先が見通せないこと。
日蓮大聖人は妙法によって三毒をのぞくことができるという。

「されば妙法の大良薬を服するは貪瞋癡の三毒の煩悩の病患を除くなり、法華の行者南無妙法蓮華経と唱え奉る者は謗法の供養を受けざるは貪欲(とんよく)の病を除くなり、法華の行者は罵詈(めり)せらるれども忍辱(にんにく)を行ずるは(しん)()の病を除くなり、法華経の行者は是人於仏道決定無有疑と成仏を知るは愚癡(ぐち)の煩悩を治するなり。されば大良薬は末法の成仏の甘露(かんろ)なり。今日蓮等の(たぐい)南無妙法蓮華経と唱え奉るは大良薬の本主なり。」『御義口伝 寿量品二十七箇の大事




by johsei1129 | 2014-09-29 13:08 | 小説 日蓮の生涯 下 | Comments(0)
2014年 09月 29日

小説「日蓮の生涯」下17 金吾の奉行所対決

金吾は主人にさからい、所領を捨ててまで法華経をたもつことを誓った。日蓮は最大級の賛辞をおしまない。くわえて金吾の身にせまる危険に人一倍心配した。主人に抵抗する以上、身内人が命をねらうのは必至である。

仏法と申すは道理なり。道理と申すは主に()(もの)なり。いかにい()をし、はな()れじと思う()なれども、死しぬればかひなし。いかに所領を()しゝとをぼすとも死しては他人の物、すでにさか()へて年久し、すこしも()しむ事なかれ。またさきざき申すがごとく、さきざきよりも百千万億倍御用心あるべし。

金吾は奉行所に出頭した。

奉行所は聴衆であふれかえっていた。

鎌倉で噂をしない者はない。

一介の武士が信仰のために主君にそむいて所領も捨てるという。当時の人としては考えられないことだった。くわえて金吾の信じる法華経と主人光時の念仏について、賛否両論がわきおこったのである。

金吾側は三位房、土木常忍をはじめとする法華宗の信徒が傍聴した。対するは念仏者の面々である。この中に幕府御家人も多数いた。

鬼面の奉行人が金吾に詰問した。

中務(なかつかさ)三郎左衛門尉、そのほうが高名な四条金吾か。主の北条光時殿に無礼なふるまいをしておるようだな。かの竜象上人の説法に参ったところ、悪行をくわだて悪口をもって騒動をおこしたとのこと。まちがいはあるまいな」

金吾が弁明した。

「その条、跡形もなき虚言であります。しょせん誰人の申しいれでありましょうや。御哀憐をこうむりて召しあわせられ、実否を糾明せられば歴然であります。

(それがし)法門の事と承りて、宮仕えに暇ない身でまかり出でましたが、頼基は在家の身でござる。一言も言わざる上は(あつ)()におよばざる事、厳察に足るべきであります。

そもそも法華経を信じまいらせて仏道を願う者がどうして説法のおり、悪行をくわだて悪口を(むね)とすることがありましょう。ご賢察いただきたい。

その上、日蓮聖人の弟子と名のりぬる上、わが殿の御前にまいりて問答の様子を申しあげました。またその辺にこの頼基を知らぬ者はあらざるはず。ただこの金吾をねたむ人々の作りごとであろう。早々に召しあわせられん時、そのかくれあるべからず」

奉行人が聞かぬふりでいった。

「鎌倉の者は、みな極楽寺の長老良観上人は釈迦の生まれかわりであると仰いでおる」

「その状、難勘(なんかん)の次第におぼえまする。そのゆえは、日蓮聖人は経に説かれてましますが如くば如来の使い、上行菩薩の垂迹(すいじゃく)、法華本門の行者、(ごの)五百歳の大導師であらせらるる聖人を、首をはねらるべき由の申し状を書きて殺罪に行われんとしたことはいかが。死罪をやめて佐渡の島まで遠流せられたのは、良観上人の所行ではなかったか。その訴状には別紙にこれあり。ご覧いただきたい」

金吾の弁明は迫力に満ちていた。

聴衆がざわめいている。

これは主人と家来の評定である。だれもが金吾の敗北を予想していた。

「そもそも生き草をさえ切るべからずと説法されながら、法華の正法を弘める聖人を断罪に行なわるべき旨申し立てらるるは自語相違にあらずや。この僧こそ天魔の入れる僧ではないか」

念仏者がたまらず激高した。

奉行人が手をあげて静める。

金吾がさらに説く。

「良観上人は今の日本国、別しては武家鎌倉の世で権勢を張るお人であります。その良観殿を、日蓮聖人といえどもたやすくおおせあることいかがと、某も弟子たちも一同に恐れ申しておりました。

しかるに(いぬ)る文永八年六月の大干魃(かんばつ)の時、良観殿は雨をふらさず涙を流した。極楽寺の弟子檀那も同じく声をおします口惜(くちお)しがったのはまぎれもない事実であります。

しからば良観上人、身の上の恥を思えば跡をくらまして山にこもり、約束のままに聖人の御弟子ともなりたらば道心の少しにてもあるべきに、さはなくして無尽の讒言(ざんげん)をかまえて殺人を申し行わんとするのは尊き僧かと、聖人はおおせでありました。またこの頼基も見聞きいたしました。

ほかのことはさておき、主君のおおせはおそれ多きことながら、この事はなぜなのかと、どうして思わないではいられましょう」

奉行人が動揺しだした。

「いや、なんといっても竜象上人、良観上人は釈迦・阿弥陀の再来である」

ここで金吾は驚くべきことを証言した。

「かの竜象房は京都にて人の骨肉を朝夕の食物とすること、露顕(ろけん)いたしておりまする」

場内が騒然とした。

念仏者が絶叫する。

にわかには信じられない話である。名高い僧が人食いとは。

しかし金吾は冷静だった。

「このため比叡山の僧俗は蜂起して、世末代におよびて悪鬼国中に出現せり、山王の力をもって退治を加えんとして草庵を打ちこわし、その身を罰せんといたしましたが、未然に逃亡し行方知らざるところに、たまたま鎌倉の中にまた人の肉を食ろうているとのこと。情けある人を恐怖に陥れる者を仏菩薩と仰せあるは、まことにいわれなき次第。所従の身として、どうして主君の御あやまちをいさめ申さずしておかれましょう。あまつさえ起請におよぶべき由おおせをこうむること、思いのほか嘆きいっておりまする」

さわぐ聴衆に狼狽の色があらわれた。

奉行人もうろたえたが、なお強気である。

「では人の進退というものは、主や親の所存に従うことが神仏の加護もあり、世間の手本ともなるのではないか。おぬし、主にそむくことが道理にかなっているというのか」

奉行人が勝ちほこったようにつめよった。

金吾は静かにこたえる。

「このこと、最第一の大事であります。朋輩などはこの頼基を無礼であると思っておりますが、世間のことでは必ず父母主君のおおせにしたがうでありましょう。

さりながらそのために大恩の主が悪法の者にたぼらかされ、悪道に堕ちるのをなげくばかりであります。それについてもろもろの僧の説法を聴聞いたして、いずれが成仏の法とうかがうところ、日蓮聖人のお方は三千大千世界の主、一切衆生の父母、釈迦如来のお使い、上行菩薩の再誕であられまする。このように法華経に説かれているのを信じているのみでござる」

奉行人がにたりとした。

「そのほうの起請文に、二ケ所の所領を捨てて法華経を信じとおすとある。土地こそ武士の命であろう。その言い分では露頭に迷ってもよいというのだな」

「某は殿の御内を出て、いまさら土地を所望することはありませぬ。殿から所領を取りあげられたのは法華経の御布施であり、幸いと思っております。今の所領は殿からいただいたものではありませぬ。重い病気を法華経の薬をもってお助けしたために拝領した所領なれば、取りあげるのであれば病気もまた殿に帰るでありましょう。その時はこの頼基に怠状あっても用いることはござらぬ」

怠状とはわび状・謝罪状のことである。島田と山城がこれを聞いて露骨にくやしがった。

金吾が手をついた。

「起請におよぶべき由おおせをこうむること、思いのほか嘆いておりまする。頼基が万一起請を書きましたならば、殿はたちまち法華経の罰をこうむるでありましょう。

良観の讒訴(ざんそ)によって、釈迦如来のお使い日蓮聖人を流罪したために、聖人の申したとおり百日のうちに合戦おこり、あまたの武士が滅亡いたしましたが、その中に名越の(きん)(だち)が横死の憂き目にあわれました。これひとえに良観が失い奉りたることではなかったか」

念仏者が非難したが金吾はひるまない。

「今また良観・竜象の奸智により、この金吾に起請文を書かしめたならば、殿はまたその罪にあたらぬことはござらぬ。かくの如き道理を知らざるゆえか、はたまた殿をだまし奉らんと思うゆえか、金吾に事をよせて、大事をおこさんとたばかる人々を究明ありて召しあわせられたい」

怒号の中、評定は終わった。

島田と山城が主人光時につめよった。
 二人の怒りは頂点に達した。

「殿、もはや猶予はなりませぬ。四条金吾は謀反人も同然でござる」

「今すぐ四条と絶縁いたし、下克上の者として侍所に訴えましょう。あやつの息の根を止めるのです」

しかし光時は聞かないふうだった。
 疲労の色が濃い。

彼はうつろに立ちあがり、部屋を出ようとしたところでたおれてしまった。

二人は突然のことでおどろき、介抱するのも忘れて口をあけたままでいた。

光時の女房がなにごとかと出てきて、二人をはね飛ばして夫を抱きおこした。

「殿」

女房が夫の額に手をあて、悲鳴をあげた。
 火のような熱である。

反射的にさけんだ。

「金吾殿を。頼基殿を呼びなされ」

金吾が光時邸にかけこんだ。

入口で島田、山城に立ち会ったがおしのけて入っていく。二人が金吾の背中をにらみつけた。

親類眷属が病床の光時を見守っていた。

そこに金吾が飛びこんできた。

床に寝ている主の顔面は蒼白、呼吸があらく咳もひどくなっていた。

女房は疲れきっていた。

「熱はさがったのですが、このようにお苦しみになられて」

一同がなげく。

金吾が光時の額に手をあて、首筋や胸元を看た。

「これは麻疹(ましん)でござる。いま鎌倉に蔓延しておる病です」

「どのようにすれば」

「肺をわずらっておられる。このままでいけば心の臓があやうい」

女房子供がむやみにさわいだ。

「しずかに。奥方、体を冷やさぬよう。暖めてくだされ」

金吾がまわりを見まわした。

「明るすぎる。少し暗くしなされ。食事は水をたっぷりと。果物も用意しておくように」

金吾は初対面の時のように手をついた。

「奥方、ご安心くだされ。金吾はなにがあっても殿のそばをはなれませぬぞ」

 

人食いが覆面をかぶったまま山上へ逃げた。

追いかける武士団が山の頂上へむかい、(かね)を鳴らし声をかけながら追いつめていく。猪や鹿をとらえる猟法だった。

「いたか」

「いないぞ。ここでまちがいないか」

人食いが木かげにかくれていたが、苦しまぎれに飛びだした。それを武士団がかこんだ。

逃げ場はない。人食いは幾十の棒でおさえられて観念した。

武士が覆面をとりはらった。

「観念しろ、竜象房」

翌日、真昼の沿道は群衆でごったがえした。

人食いが頭におおいをかぶせられ縄で幾重に縛られ引かれていく。

町民が罵詈雑言をあびせた。鎌倉を恐怖のどん底におとしいれた犯人がつかまったのだ。

群衆の中に極楽寺良観もいた。

彼は人食いが竜象房だったことをつゆ知らない。彼は通りにでて得意気に扇子で人食いの頭をたたいた。

兵士が人食いの覆面をはらい、はじめて顔をあらわにした。

群衆が悲鳴をあげ、やがて沈黙した。

金吾が証言したとおり、人食いは竜象房だった。

良観は腰をぬかしてしまった。

この竜象房の一件については、さいわいというか奇跡というか日蓮の信徒、土木常忍の手になる消息が今にのこっている。

常忍は日ごろから甲斐の日蓮に鎌倉の情勢を報告していた。

この時代の人は筆まめである。常忍は忌まわしい人肉事件のことも報告していた。

中世史研究の大家、石井進氏が解説する。


  建治三年(一二七七)ごろ、日蓮の古い門弟で有力な檀越だった冨木常忍が、身延山の日蓮あてに書き送った一通の手紙には、当時の鎌倉での奇怪な風聞が記されている。

その大意は、『近ごろ、稲荷(いなり)社や八幡宮に人肉が供えられる事件が起こった。またある下法師(最下級の僧侶)が小袋坂で葬送された死人の肉を切り取っている現場を発見され、由比ヶ浜で幕府政所が糾問(きゅうもん)したところ、竜象房からの注文で切り取ったと白状した。そこで竜象房を取り調べたが、まったくその事実はないという。再度、下法師を調べたら化粧坂の(とう)()堂の法師からの注文だと答えたので、目下捜査中といううわさがもっぱらである。まことに驚くべき、とんでもない事件だ」という内容だ。  『日本の中世』中央公論社 
 

竜象房を人肉事件の犯人と断定したのは日蓮である。日蓮は事件の当初から比叡山出身の竜象に注目していた。日蓮も比叡山で修行していた。それだけに知己もおおい。以前、比叡の山で人肉事件をおこし、所を追われた竜象の名は知っていた。日蓮はかずかずの情報をもとにして鎌倉の竜象房が同一の人物と断定し、評定の場で告発させたのだった。

金吾は懸命の治療をしていた。彼いがい、光時をなおせる者はいない。

寝ている光時をおこし、薬をのませる。ぬれた布切れをしぼり光時の額にあてた。光時が目をさまして起きようとするのをおさえ、首をふって横にさせた。

中間の者が居眠りする夜中、金吾は一人、枕元で手をあわせた。

「殿のご病気、治させたまえ」

朝がきた。

金吾が部屋からでると、女房と公達がまちうけていた。

島田と山城が女房のうしろからにらみつけた。二人にとって金吾は殺したいほど憎い相手だが、主人がなおるまで手がだせない。

女房は憔悴していた。

「ご病気はいかが。なおるのでしょうか・・」

金吾は正座して手をあわせた。

「わかりかねまする。さりながらできるだけのことはいたしました。(それがし)の力の及ぶべきご病気にあらずと思いましたが、いかに辞退申せども、ぜひにとおおせになられましたので今までおりました。身内の者でありますから看病しているまでのことでございます」

この時、下女が駆けこんできた。

「金吾様、殿の(はだえ)が」

全員が病室に集まった。

見ると光時の顔や胸元の皮がむけている。まるで(ぬか)がおちたようだった。

金吾がにこやかにうなずいた。回復のあかしだった。

一族が声を殺しながら手を取りあった。そうして部屋をでていった。

光時が目をさました。彼は首をまわした。

部屋には金吾しかいない。

それとわかると光時は横をむいてしまった。

沈黙がつづいた。

金吾も言葉がでない。

やがて光時がぼそりといった。

「幸せ者だのう」

金吾が目を輝かせた。

「いかにも。殿は北条一門の重鎮でございます。幕府のなかで右に出るものは、時宗様お一人でございますぞ」

「わしではない。そなたのことだ」

金吾がだまった。

「あくまで法華経を信じ、日蓮殿を信じておるのだな。題目の声が聞こえておったわ。それほどまでに日蓮殿の信心は尊いのか」
 金吾が身をのりだす。

「殿、日蓮聖人のおかたは三界の主、一切衆生の父母、釈迦如来のお使いでございます。殿もお題目を唱え、幕府の要として日本国の苦しみをお救いくださいませ」

しかし光時はさみしげだった。

「いや、わしはこのたびの件で日蓮殿にそむいた。法華経のとおり、無間の地獄におちるのであろう。信心強盛のおぬしは成仏し、わしには獄卒がむかえにくるのであろう」

光時が金吾をまじまじと見た。

金吾はすすり泣きはじめた。

「・・頼基が今さらなにについて疎遠に思うことがありましょう。後生までも殿にしたがい、金吾が成仏したならば殿を救いまいらせ、殿が成仏しなければ、金吾も助かろうとは思いませぬ。そのようなことでは金吾が仏になろうとも、甲斐はございませぬ」

金吾は絶望した。

自分は主人から信用されていない。懸命の治療でも思いは通じなかった。これほどまでに主人とは深い溝ができていたのか。さらに訴訟にまでおよんでしまった。ならばこれ以上主君についてもむだであろう。

金吾は退席し奥方に別れを告げた。

「殿は完治したわけではありませぬ。これからが大切でござる。長い間お世話になりましたな。某はこれにて失礼いたす」

「金吾殿」

奥方が金吾の袖をつかんだがふりほどくようにでていった。

消沈した金吾が馬にのり西へゆく。

甲斐身延への道だった。

ここに山城、島田入道の二人が金吾のあとをつけた。獲物を狙う目だった。二人は金吾を斬るつもりでいる。

せっかく金吾を主人から遠ざけたものの、病によって金吾が引きたてられてしまった。出世の邪魔がまた頭をもたげた。我慢ならない。だが幸いなことに金吾は主人とはなれた。ならば斬っても主人は責めないだろう。二人はそれほどまで金吾を憎んでいた。

山中で日蓮と金吾が対面した。

金吾は横をむいたままである。

日蓮が金吾の起請文を読んだ。

「起請かくまじき由の御誓状、めずらしく香ばしい。たとえ日蓮一人は杖でうたれ、石を投げられ、誹謗されて王難を忍ぶとも、妻子をもつ無知の在家はどうして耐えることができようかと思っておりました。かえって信じないほうがよいのではないか、終わりまでもたない少しばかりの信心であれば、人にも笑われるであろうと不憫(ふびん)に思っておりましたが、たびたびの難、二度の王難に志をあらわしたのも不思議であるのに、かくおどされて所領を捨てても法華経を信じとおすべしと誓いを立てたこと、いかにとも申すばかりなし。ただ事の心を案ずるに、上行菩薩がそなたの身に入りかわらせたまえるか、また教主釈尊の御はからいかと思いますぞ」

金吾は聞いてないようだった。

日蓮はつづける。

「さてはなによりもご主君の御病気、嘆いております。されば御内の人々には天魔がついて、前よりこのことを知りて金吾殿が法華経に供養するのを止めるために、このたびのたばかりをばつくりだしたのを、ご信心が深いゆえ天が助けようしてこの病はおこったのであろう。ご主君は金吾殿をわが敵とは思わねども、いったん彼らが申すことを用いたために病が重くなった。これにつけても金吾殿の身も危なく思っておりますぞ。必ず敵にねらわれるであろう」

日蓮は金吾の怒りにみちた顔を見てとった。

「金吾殿は短気な顔があらわれている。いかに大切な人といえども、荒い気性の者を天は守らないと知ることです。敵のかれらが金吾殿をいかにせんとはげむ中で、(いにしえ)よりも主人が金吾殿を大切と思し召しているために、外の姿は静まっていても、胸の内は燃えたつばかりであろう。主人に万が一のことがあれば、かの人々はいよいよ迷い者になるのをかえりみず、物におぼえぬ心に金吾殿のいよいよ来たるを見ては、かならず炎を胸にたき、息をさかさまにつくであろう。

主人から部屋をいただくならば、そこでは何事もなくとも、日ぐれ(あかつき)の時の出入りに必ずねらうであろう。また我が家の妻戸の脇、持仏堂、家の内の板敷の下か天井なんども、あながちに心得てくだされ」

金吾の不満な顔はかわらなかった。

日蓮が強くさとす。

「短気を腹()しきという。殿は腹悪しき人にて、わたしの言葉を用いることはないであろう」

金吾がようやく口をひらいた。

「上人、わたしは主人の家を出て一人で身を立てるつもりでございます。主人とはもうすでに別れをつげました。毎日の看病に心をつくしましたが、殿の心は晴れぬままです。今まで我慢に我慢をかさねましたが、これが限度でござる。ここが宮仕えの潮時かと」

日蓮の言葉は叱るようだった。

「なぜ天の心に背かんとするのか。たとえ千万の(たから)に満ちても、主人に捨てられてなんの甲斐があるというのです。すでに主人には親のようにおぼしめされて、水の器にしたがうがごとく、羊の母を思い老人の杖をたのむがごとく、御主君が金吾殿を(おぼ)しめしておられるのは法華経のお助けではないですか。ああうらやましいと、御内の人々は思うでしょう」

金吾は首をふり涙ぐんだ。

「わたしは悟りました。人はしょせん一人です。だれにも知られず死んでゆくものです。上人、わたしのわがままを許してくだされ。もうどうにもなりませぬ。金吾は地獄におちて責めをうけまする」

この時、日蓮が金吾の手をにぎった。

金吾は驚いて日蓮の目を見た。

日連の目にも涙があふれている。

「かえすがえす今に忘れぬ事は、首斬られんとせし時、殿は供して馬の口に付きて泣き悲しみたまいしをば、いかなる世にか忘れなん。たとい殿の罪深くして地獄に堕ちることがあれば、日蓮をいかに仏になれと釈迦仏がこしらえようとも日蓮は用いませぬぞ。同じく地獄である。日蓮と殿と共に地獄に入るならば釈迦仏、法華経も地獄におわすであろう。もし今の事を少しも(たが)えたならば、日蓮を恨んではなりませぬぞ。今しばらく世におわして行く末を見ていなされ。

人身は受けがたし爪の上の土、人身は(たも)ちがたし草の上の露。百二十まで生きて名を腐らせて死せんよりは、生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ。中務(なかつかさ)三郎左衛門尉は主の御ためにも、仏法の御ためにも、世間の心根(こころね)も良かりけり良かりけりと、鎌倉の人々の口に歌われるのです。

孔子と申せし聖人は九思一言とて、九つ思い一たび申した。(しゅう)(こう)(たん14)と申せし賢人は湯あみする時、客人あれば三たびでも髪をにぎり、食する時は三たび吐いたのです。たしかに聞こしめせ。我ばし恨みさせたもうな。仏法と申すは是にて候ぞ。不軽(ふきょう)菩薩の人を敬いしは何故(なにゆえ)でしたか。教主釈尊の出世の本懐は人の振舞ですぞ」

金吾が帰路についた。

日蓮は馬の口をつかんで心配した。悪い予感がする。

「これよりのちは大事でなければ、お渡りはなりませぬ。急用があればお使いでうけたまわりましょう。かえすがえすこのたびの道は、あまりにおぼつかなく思いますぞ。敵と申すのは忘れさせてねらうものです。これよりのちは、もしやの旅には馬を惜しんではなりませぬぞ。よい馬に乗ることですぞ」

日蓮は金吾を遠くまで、いつまでも見送った。


  
    下18  金吾への愛 につづく


14 周公旦

生没年不明。周代の政治家。姓は姫氏。文王(西伯(せいはく))の子。兄の武王を助けて(いん)(ちゅう)王を滅ぼした。武王の死後は、武王の子・成王が幼かったために代わって政治をとり、また殷の残党が東方で反乱を起こした時には(みずか)ら遠征軍の指揮をとった。周公の政治は社会の道徳を慣習化した「礼」を基礎にしたことが特色とされ、後世、孔子などの儒者から深く尊敬された。


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by johsei1129 | 2014-09-29 12:57 | Comments(0)
2014年 09月 28日

小説「日蓮の生涯」下46  通塞の案内者    

日蓮はつね日頃、信力強盛な者に成仏の日が絶対にくると明言していた。そして信心ある者の臨終には、自分がかならず現われるといった。日蓮は死にさいし、立ち会うという。まるで冥界の主であるかのように。

このことを弟子檀那の手紙にくりかえし説いている。

但し日蓮をつえ()()らともたのみ給ふべし。けは()しき山、あしき道、つえをつきぬればたをれず。殊に手をひかれぬればまろ()ぶ事なし。南無妙法蓮華経は死出(しで)の山にてはつえはしらとなり給へ。釈迦仏・多宝仏・上行等の四菩薩は手を取り給ふべし。日蓮さきに立ち候はゞ、御(むか)へにまいり候事もやあらんずらん。また先に行かせ給はゞ、日蓮必ず閻魔法王にも(くわ)しく申すべく候。此の事少しもそら()事あるべからず。日蓮法華経の文の如くならば(つう)(そく)の案内者なり。只一心に信心おはして霊山を()し給へ。『弥源太殿御返事』

日蓮こいしくをはせば、常に出づる日、ゆうべにいづる月ををがませ給へ。いつとなく日月にかげをうかぶる身なり。又後生には霊山浄土にまいりあひまいらせん。 『国府尼御前御書』

()し命ともなるならば法華経ばし(うら)みさせ給ふなよ。又閻魔(えんま)王宮にしては何とか仰せあるべき。をこがましき事とはおぼすとも、其の時は日蓮が檀那なりとこそ仰せあらんずらめ。『(いちの)(さわ)入道女房御書』

中有(ちゅうう)の道にいかなる事もいできたり候はゞ、日蓮が()()なりとなのらせ給へ、わずかの日本国なれども、さがみ(相模)殿のうちのものと申すをば、さう(左右)なくおそるゝ事候。

日蓮は日本第一の()たう()の法師、たゞし法華経を信じ候事は、一閻浮提第一の聖人なり。其の名は十方の浄土にきこえぬ。定めて天地もしりぬらん。日蓮が弟子となのらせ給はゞ、いかなる悪鬼等なりとも、よも()らぬよしは申さじとおぼすべし。『妙心尼御前御返事』

我等は穢土(えど)に候へども心は霊山(りょうぜん)に住むべし。御面(おかお)を見てはなにかせん。心こそ大切に候へ。いつかいつか釈迦仏のをはします霊山会上(えじょう)にま()りあひ候はん。 『千日尼御前御返事』

相かまへて相かまへて、自他の生死はしらねども、御臨終のきざみ、生死の中間に、日蓮かならずむか()いにまいり候べし。『上野殿御返事』

故に法性(ほっしょう)の空に自在にとびゆく車をこそ(だい)(びゃく)牛車(ごしゃ)とは申すなれ。我より後に来たり給はん人々は、この車にめされて霊山へ御出で有るべく候。日蓮も同じ車に乗りて御迎ひにまかり向かふべく候。  『大白牛車御消息』

()(
)

御義口伝に云はく、皆とは十界なり、共とは(にょ)我等(がとう)()()なり、至とは極果の住処なり、宝処とは霊山なり。日蓮等の(たぐい)南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は一同に皆共至宝処なり。共の一字は日蓮に共する時は宝処に至るべし、不共ならば阿鼻(あび)大城(だいじょう)()つべし云云。    『御義口伝上 化城喩品 第七皆共(かいぐ)至宝処(しほうしょ の事』

日蓮は愛する弟子の臨終に、必ず立ち会うという。

弟子たちはこの手紙を読んで奮いたつ。生きては日蓮に随い、死しては日蓮にまみえる。この死への確信があればこそ、今の生が充実するのだ。

法華経普賢品に同じことが説かれている。

是人命終為( ぜにんみょうじゅうい)千仏授手(せんぶつじゅしゅ)    是の人命終せば、千仏の(みて)を授けて、
()()()()()()()()()()  令(りょう)不恐怖(ふくふ)不堕(ふだ)(あく)(しゅ)。        恐怖せず、悪趣に堕ちざらしめたもう

()

法華経を信じる者には臨終の時、千の仏がむかえにきて手をさしのべるという。恐れることなく、悪道にも堕ちさせない。一仏二仏の手ではない、千仏の手がすくいあげるという。日蓮はこの千仏を率いてやってくるのであろうか。

逆に謗法不信の者は獄卒がむかえにくる。


(けん)()読誦(どくじゅ) 書持(しょじ)経者(きょうしゃ)。  経を読誦し書持すること有らん者を見て、
  軽賎憎嫉(きょうせんぞうしつ) 而懐結恨(にえけっこん)。   軽賎憎嫉して結恨を(いだ)かん。

 此人( しにん)罪報(ざいほう) 汝今復聴(にょこんぶちょう)。    此の人の罪報を汝今(また)聴け。
  其人(  ごにん)命終(みょうじゅう) 入阿鼻獄。   其の人命終して阿鼻獄に入らん。




()
( )

()()

法華不信の者は捕縛されて牢獄へゆく。

なんというへだたりだろう。


     下47 不滅の滅 につづく



by johsei1129 | 2014-09-28 15:31 | Comments(0)
2014年 09月 27日

小説「日蓮の生涯」下25  法華講衆の苦闘

甲斐身延の日蓮は三位房に命じた。

「そなたは熱原にむかえ。伯耆房の後ろ盾となれ」

日蓮は当初伯耆房を応援するため、若い()(こう)を派遣していた。さらに高弟である三位房をむかわせて万全のそなえとしたのである。

だが三位房は不満である。

「わたしがですか。わたしには別な仕事があるはずですが。京都の公家にも説法の約束がありますし、あのような田舎では」

日蓮が三位房の目を見た。

「このたびの駿河弘教は、大事になる予感がする。大きな勝負になるやもしれぬ。三位房、田舎であれ都であれ、仏国土にかわりはないぞ」

三位房がなお不満顔をみせた。

日蓮は念をおした。

「かれらにかえすがえす伝えよ。駿河の人々はみなおなじ心であると」

熱原は富士山の美しい曲線のふもとにある。

ここのいたるところに唱題の声があがっていた。法華経を(たも)つ座談のあつまりも活発になっていた。

農具が積まれた百姓家では、伯耆房を中心として日秀、日弁、そして大勢の百姓が話を聞いていた。笑い楽しむ農民がいる。神四郎、弥五郎、弥六郎も輪の中にいた。

熱原は収穫が近づいていた。稲が人の膝まで育ち、村は豊作の喜びにあふれていた。刈り取りは間近である。

また稲刈りを前に灌漑工事も行われた。来年の収穫に備えるためである。現場では百姓の一団が庄屋の指導のもと、馬鍬をつかって土をほりおこしていった。岩石も取りはらった。やがて広い地面に水がひかれていく。疲労が笑顔に変わる瞬間である。

この一帯は富士山の南斜面にあり、日当たりをまともにうけるため作物はよく育った。また地味は奈良時代に大噴火した富士の火山灰が三メートルにわたって堆積し、十分に肥えていた。さらにこの堆積土の下には伏流水が流れている。このため種をまいただけで収穫がのぞめた。日本の中でも恵まれた土地柄である。

筆者は先年ここをおとずれた。

日蓮が立正安国論を述作するために一切経を閲覧した岩本実相寺が近くに現存していた。まばゆいばかりの太陽の下、五月というのに畑ではトウモロコシが実っていた。土地の人はこれを収穫したあと、稲作にはいるという。収穫が終わればトマトなどをまた植える。よその農家がうらやましがる土地柄である。

鎌倉時代はもっと肥えていたろう。労せずに収穫がのぞめる。幕府高官の尼御前の私有地が多かったというのもうなずけた。

神四郎の家では土間いっぱいに稲の穂が積みあげられていた。

神四郎が帰宅した。

「帰ったぞ」

若い妻と幼子がいつものようにでむかえた。

神四郎が足を投げだした。そこへ幼子がだきつく。

妻がねぎらった。

「お疲れだね。土おこしはうまくいったのかえ」

「来年はまた収穫がふえるぞ。楽しみだな。今年もなんとかこせそうだな」

「ほんとに。こんないい年はひさしぶり。豊作でみなも元気。疫病もおさまったし。これも信心のおかげかえ」

神四郎がひとりごとのようにいった。

「このまま、なにもなければよいがな」

百姓にとって一番の関心事は豊作になるかならぬかである。豊作になれば家族が年をこせる。不作ならば家族もろとも生命の危険があった。

だいたい自前で収穫ができる百姓はいない。みな地頭や庄屋から銅銭や(もみ)を借りて米を収穫したのである。豊作なら負債を返せるが、不作となれば飢えにくわえて借金まで背負うことになった。翌年も不作となれば夜逃げも考えなければならない。

百姓は財産などないのが普通である。借金を返すために最悪の場合、子供や下人まで売らなければならなかった。

当時の百姓の切実な訴えが今にのこっている。

訴えたのは進士入道という千葉下総の百姓だった。この訴えは日蓮が研鑽していた用紙の裏面に記されていたもので、現代になって偶然発見された。いわゆる紙背文書である。断片だが当時の農民の生活を知る貴重な資料となっている。

なかた(長田)ちう()さみ(沙弥)しんし(進士)()うたう()、かしこまりて申上候、かん()とり()おほ()()かう()()きのふん()()くれ()う米の()しん()(しろ)((に))とられて候しち()八郎太、上の()けち(下知)ニたまはりて候へとん、いまた()()しとり候はてなん、()()二そのみしんをあきらめ候はぬニよんて、かさねて六十才になり候()ハ一人、()二人、()人一人、いさう(以上)四人、なへ()しん()さいさ()()()()あさ()いろいろ二さん()さん()とめしとられて候うち、けん()人一人()られて十三く()んの( 銭)に御もくたい(目代)(殿)の二わきまへられて候、さき一くわん、あはせて十四くわんの()にハ、十石三斗八升の籾ニハ、くわん()さう()つかまつりて候と(欠落)られて。とのゐとすへてせめられて候て、い()ちいき候へきともうけたまはり候はす、すつ()なき事ニ候、せん()()のきみのこり()()( 離)なれかたく候、かつハ御()とく()ニ、かたかた()されて候もの()へし給はり、あん()()こはん(御判)をあつかり候て、ひめ()これ(御寮)うの御つかまつり人人となり候はんと、あを()きまいらせ候、しかるへく候はゝ、このよしを上の()さん()にいれさせおはしまして、あつかり候はんとおそ()れおそれあを()きまいらせ候、

百姓の進士入道はおおよそ以下のように懇願する。

下総国一宮の香取社を新たに造営する費用の一部を「作料米」として、香取、大戸、神崎(いずれも香取社の周辺)三ケ所からの分を上納すべきところ、あいにくと手元不如意で支払ができなかったため、その代償として八郎太(あるいは長男か、有力な従者か)の身をお上に取られてしまった。なんとかお願いをして八郎太は返していただけるとの(千葉殿の)ご命令は出たものの、いまだに八郎太は自分のところに帰ってこない(たぶん、八郎太の身柄返還は作料米の全額納入が条件だったろうが、それを満たすことができなかったためだろう)

ところが昨年にもまた、進士入道は作料米の未納分を完納することができなかったので、重ねて六十歳になった老母一人、子供二人、下人一人の以上四人を召し取られ、鍋など家内の家財道具やら、苧・麻まであらゆる物資を全部取り押さえられてしまった。そして下人一人は即座に売り払われ、その代金十三貫文は以前納入した一貫文とあわせて合計十四貫文とされ、未納分の籾の一○石三斗八升分に勘定された。それでもまだ不足だとして、昼夜家に上がりこんで責め立てられるので、とても生きた心地もなく、どうしようもない状況である。

なんといってもここ長田郷は千葉殿の御先祖からの御領であり、住人としてこの地を離れて諸方に流浪するなど()え難いので、どうかご功徳(くどく)(おぼ)()して、これまで召し上げられた家族の人質はじめ家財道具類は何とぞお返しいただきたい。そして私がこの地でずっと暮らしてゆけるよう、安堵してほしい。もしそうしていただけるなら、私は喜んで千葉殿の姫御寮(お姫さま)の従者として御奉仕したい。どうかこの旨をご主人の千葉殿に申し上げて御許可を賜りたい。くれぐれもお願いいたします。   石井進『中世を読み解く』『中世のかたち』

進士入道は下総千葉氏に仕える百姓だった。千葉氏は土木常忍の上司である。

作料米すなわち年貢がとどこおれば、家族もろとも悲惨な運命がまちうけた。私財を隠していないか、さんざんに責められる。この願いが聞きいれられなければ追放か逃散であり、最後は下人に落とされてしまう。

下人とは奴隷である。家畜と同様なのだがこの時代、下人は大切な生産力だった。この訴えのとおり、下人一人が十三貫文という大金で売られている。

しかし下人に人格はない。いいように扱われるだけだった。下人の男女が子を産んだとき、男女の主人が別人だった場合は悲惨だった。生まれてきた子が男ならば父親の主人に与えられ、女ならば母親の主人に与えられた。これが鎌倉時代の法律である。当時としてはあたりまえとしても、今から見れば信じられない時代だったのだ。

進士入道のその後はわかっていない。一人前の百姓にもどったのか、だれかの下人に身を落としたのか。それとも。

この例は領主に訴えるだけあってひどい内容だが、日本全国にも似たようなことがおこっていた。

日蓮は大難にあう理由を自身の過去世の謗法のためという。正法を強くたもつゆえに、過去世の罪業をまねきよせる。()このことを百姓と地頭の関係になぞらえている。

(たと)へば民の郷郡(ごうぐん)なんどにあるには、いかなる利銭を地頭等におほ()せたれども、いた()くせめず年々にのべゆく。其の所を出づる時に(きそ)ひ起こるが如し。  『佐渡御書』

百姓は土地にいるあいだは責められることはないにしても、地頭に負債を返すまでは土地にしばられた。どうしようもなくなって逃散(ちょうさん)する時、進士入道のように過酷な災難がまっていたのである。

四月となった。真夏の太陽がそそいでいた。

神四郎が田園にかこまれた道を歩いていた。

ふと見ると、遠くで百姓と武士が言い争っている。百姓の中に弥五郎、弥六郎がいた。

神四郎はあわてて走りよった。

熱原の神社で神事がおこなわれている最中だった。だれもが静粛にすべき時だけに、喧噪の声はいっそう耳にひびいた。

武人がいきり立っている。滝泉寺の者だった。

「なにをぬかす。百姓の分際で」

弥五郎は負けない。

「そっちこそなんだ。それでも仏につかえる身か」

「なにを。法華狂いの百姓が」

「そうだわれらは法華経を信じておる。お前たちはなんだ。魚を殺し、獣を殺して喜んでおる。恥を知らぬか」

お互いがつかみかかった。

その中を神四郎が割ってはいった。

「まて。いったいどうした」

弥五郎は興奮していた。

「どうしたもこうしたもない。おれたちが道を歩いていたら、いきなり難くせをつけおった」

武士も怒った。

「貴様らこそ。わしをおかしな目で見たではないか」

「なにを」

また両者がもめた。

神四郎が叫んだ。

「よさぬか。喧嘩は法度であるぞ。騒げば地頭も政所代もうるさい。ひとまずおさめろ」

両者にらみあいながら去ろうとした時だった。武士が百姓の一人を斬って逃げた。

百姓の背から血が流れる。みなが大騒ぎでかつぎ運んでいった。

弥四郎の家に法華信徒の衆が集まった。老若男女や家族連れの者もいる。その中に神四郎の家族もいた。いつもは明るい話にあふれた場が、今夜は異様な雰囲気がただよった。

熱原信徒の代表格である弥四郎が立った。新顔の弥四郎は信徒の中で急に頭角をあらわしていた。代表であるだけに言動は過激である。温厚な神四郎、弥五郎、弥六郎の三人とはちがい好戦的だった。

「あくまで戦うぞ。どうだ、異論はあるまいな。こんどのことはみなも見たとおり、寺に非があるのだ。訴えでるぞ。悪には対決するのだ」

一同が威勢よくこたえたが、一人神四郎が異議を唱えた。

「わしは反対だな。そんなことをしても、なんの解決にもならぬ」

弥四郎がにらむ。

「なにを、神四郎、臆病風がふいたか。斬られた百姓を見たろう。だまっておれば、またけが人がでるのだぞ」

神四郎は冷静だった。

「わしもくやしい。だがよく考えろ。われら百姓は安全であることが一番だ。現世安穏というではないか。あやつらは法華経の信者がふえるのがこわいのだ。わしらは豊作ならば食べていけるが、あやつらは信者がいなければ生きていけない」

「ではどうすればよいのだ」

「まず様子を見ることだ」

弥四郎があきれた。

「おとなしくしろというのか。ふざけるな。神四郎、みんなで約束したことを忘れたのか。この熱原を法華経の題目で埋めつくそうと誓ったではないか」

「よくおぼえている。だがいまは過激なことはまずい。このままいくと、なにかよからぬことがおきる気がする」

弥四郎が見下した。

「おじ気づいたな。もういい、でていけ」

神四郎の家族がさびしく去る。
 彼は帰りぎわにいった。

「弥四郎、無理はするな。今はこの熱原信徒を守ることが大切なのだ」

弥四郎は答えなかった。

熱原の情勢は甲斐の日蓮に逐一報告された。日蓮は山中から激励をこめて書状をおくっている。

()()き房・さど(佐渡)房等の(こと)あつ()わら()の者どもの御心ざし、異体同心なれば万事を(じょう)じ、同体異心なれば諸事叶ふ事なしと申す事は外典三千余巻に定まりて候。(いん)(ちゅう)( )は七十万騎なれども同体異心なればいく()さにまけぬ。周の(ぶお)(う19)は八百人なれども異体同心なればかちぬ。一人の心なれども二つの心あれば、その心たが()いて成ずる事なし、百人千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず。日本国の人々は多人なれども、同体異心なれば諸事成ぜんことかたし。日蓮が一類は異体同心なれば、人々すくなく候へども大事を成じて、一定(いちじょう)法華経ひろまりなんと覚へ候。悪は多けれども一善にかつ事なし。(たと)へば多くの火あつまれども一水には消ゑぬ。此の一門も又かくのごとし。  『異体同心事』

僧侶と百姓が結束するよう促している。
さど房とは
日向(にこう)のことである。若干二十二歳の青年だった。伯耆房は三十三歳。二人は滝泉寺の僧侶たちをつぎつぎに破折し、日蓮の門下としていった。行智がひきいる一味も黙ってはいない。両者の確執はますます強まった。


 
     下26 熱原の法難 につづく


19 周の武王

生没年不明。中国・周王朝初代の王。在位は十余年。文王の子。父の遺志を継ぎ、殷の紂王を滅ぼして天下を統一した。この時、武王は文王の木像を奉持して出陣したといわれ、弟の(しゅう)(こう)(たん)太公望(たいこうぼう)呂尚などが武王を補佐した。後世、英雄の一人とされた。



by johsei1129 | 2014-09-27 16:03 | Comments(0)
2014年 09月 26日

64 四条金吾の格闘

侍たちが昼間から名越光時邸で酒を前に談笑していた。当時の御家人は酒を飲むのも仕事のうちである。

島田入道が顔を赤らめた。

「あまり飲むな、勤務中じゃ」

一同がばつ悪そうに苦笑いをする。

山城入道が舌打ちした。

「心ぼそいのう。むくりの件で毎日だれかが筑紫へ送られておる。明日は我が身かとびくびくじゃ」

「殿は博多防衛の大将の一人だ。いつかはわれわれもお鉢がまわるぞ。博多は遠い。家の者になにかあってもすぐには戻れぬ。難儀だのう」

「それにな、金子の工面も大変だぞ。われわれは殿について行かねばならぬ。だが給わった土地が、ああもせまくては年貢もままならぬわ」

「わしは殿に不平は言いたくない。だがな、殿はあまりにも不公平じゃ」

「なにが」

「考えてもみろ。家中で一番働いているわしらが、なぜ狭い土地しかもてんのだ。それにくらべて、なんの働きもない者が、どうして殿から広い土地をもらうのだ」

「だれのことをいっている」

そこへ四条金吾が通りすぎていく。

島田が小声になった。

「うわさをすれば影じゃ」

「四条か」

「あやつ、殿の病気を治しただけで広い田畑を給わったのだ。刀で武勲をあげたわけではないのに」

「そういえばあやつ、殿の贔屓(ひいき)が厚いばかりに高あがりになっておるな。ほかの連中も文句をいっておったぞ」

「ほかにもあるぞ。ほれ、四条は鎌倉で知らぬ者はない法華の信者だ。あの日蓮が首を斬られんとした時、自分も腹を斬ろうとしたのだ。殿は今でもあのことを苦々しく思っておられるというぞ。それにもかかわらず、臆面にも殿に法華経を勧めているそうな」

「それはまことか。許せんな」

「以前、わしが念仏の話をしておったら四条め、どなりおったわ。あやうく刀をぬくところであった」

「あやつ、殿を主人と思っていないのではないか。殿と話すときも、まるで朋輩(ほうばい)と話しているようだ」

その金吾が主人光時と対面した。

「殿、ご機嫌うるわしゅうございます」

「頼基、役目ご苦労である。今日はもうさがってよいぞ」

金吾がいずまいをただした。

「殿、先日の件、お考えいただきましたか」

「なんであったかな」

「法華経のことでございます」

「おおそうであった。頼基、わしは念仏の教えを捨てるつもりはない。先日も良観様のお話を聞いた。まことにありがたかった。武士として生まれ、明日も知れない毎日で念仏を唱えることがいかに大切か、身をもって知ったわ」

金吾が食いさがった。

「殿、念仏は(かり)の教えでござる。教主釈尊はいまだ阿弥陀経には真実をあらわしていないとおおせですぞ」

「それはなんども聞いた。だがな、わしは念仏を捨てはせぬ。それにな、京から竜象房という僧侶がこられた。ありがたい話が聞けるという。今から楽しみなのじゃ」

金吾がはっきりといった。

「だれの教えであろうと、念仏は無間地獄の振る舞いであります」

ここで物静かな光時がおこりだしてしまった。

「頼基、なにをいう。主人をなじる気か。だまって聞いておればいい気になりおって。さがれ」

金吾は答えることができずに退出した。

すれちがいに島田入道と山城入道が拝謁した。

山城が言上する。

「殿、お話が。四条金吾のことでございます。あやつ、殿に可愛がられているのを幸いに、いささか度を越しているのではないかと」

島田入道も同調した。

「われわれ同僚も、みな四条をきらっております。その点、殿からきつい仕置きがあればよいかとぞんじますが」

光時は大人である。彼は機嫌をなおし、はやる二人をなだめた。

「まあおちつけ。金吾はわしの大切な部下だ。親子二代にわたり、この名越につくしておる。あやつの強情なところは、おまえたちも不満があろう。だがな、どんなことであれ、耳に痛いことをいう者がおればこそ、わが一族も安泰というもの」


光時邸の門に日が傾いた。

金吾が退出しようとした。まわりの武士が金吾の背に後ろ指をさした。島田と山城がその中にいる。

金吾も背後の視線がわかった。たまりかねてふりむく。

「なにかご用でござるかな」

島田がとりつくろった。

「いや、なにもござらぬ。金吾殿、どうかいたしたか」

金吾も挑発した。

「失礼いたした。じつはいま背中に邪気を感じてな」

山城が息まいた。

「ほう、それはかったいな」

金吾が正面をむいた。

「まことに気味わるいものでござる。かげで人をあげつろい、げらげらと低く笑う妙な生き物がいる」

島田の表情がかわった。

「四条、なにをいう。だれのことをいっておるのだ」

「自分の胸に聞いてみよ」