日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 09月 29日

70 兄宗仲の勘当

建築現場で大工たちがいそがしく働く。

作事は足代がくみあげられ、躯体が完成間近である。

兄宗仲が指図する。弟の宗長はその指示をわかりやすく大工に説明した。指図するだけではない。兄弟は大工たちと同じく鋸や金槌で作業にあたった。

当時の大工職人は身分が低い。大工たちは同じ汗を流す兄弟を慕った。

みなの息が合っている。工事ははかどっていた。

これから壁のとりつけがはじまる時だった。

父康光が登場した。

兄弟がいつものようにひかえる。工人たちもあつまって平伏した。

康光が声高に言った。

「この建物は鎌倉殿からじきじきの命をうけ、奉行であるこの康光がうけたまわりしもの。おのおの抜かるでないぞ。とくに火のもとには十分気をつけよ。また本日は、おぬしらに伝えることがある。今日よりこの池上宗仲を勘当することとあいなった。今日の件はこれにて」

康光が去る。

あっという間だった。

当の宗仲は毅然と正面をむいている。

だが弟の宗長をはじめ一同は驚愕した。まさか勘当とは。

落胆する者がいる。みながあっけにとられて、ふらふらと作業場にもどった。

弟の宗長が康光の(たもと)をつかんだ。

「父上、なにとぞお考えのほどを。兄上はつぎの棟梁ではあったはず。ここで兄上を勘当いたしては作事もとどこおります。池上の家名にもかかわること。なにとぞ勘当はお解きになってくださいませ」

康光の返答はこれまでにまして冷酷だった。

「宗仲は人夫におとす」

宗長は最悪の事態になったと困惑する。

こんどは康光が弟の宗長に詰問した。

「宗長、法華経の信心をやめるつもりはないのか。わしとて、このようなことはしたくはなかった。お前の兄が強情なばかりに、こんなことになったのだ。お前だけでもよい。法華経を捨てて、念仏を信ずる気はないのか」

宗長のやさしい性格は好感をもたれている。反面、彼は自分の意思を明確にするのが苦手だった。決意がぐらつくのだ。法華経の信心も兄がはじめたからである。だが今は父の怒りがあっても、兄を慕う気持ちのほうが強かった。
 宗長はいっとき思案のうえ、康光に告げる。

「父上、わたしは日蓮上人を信じております。お願いでございます。どうかこの信心だけはつづけさせてください」

康光は憮然として現場を後にした。

甲州身延の日蓮の館では弟子たちが狭い室内に密集し講義を聞いていた。日蓮の真正面に池上兄弟がいる。

口調はいつになくけわしかった。

「この世界は第六天の魔( )の所領である。一切衆生は無始以来、彼の魔王の眷属です。六道の中に二十五(にじゅうご)()(注)と申す牢をかまえて一切衆生を入れるのみならず、妻子と申す足かせ()をうち、父母主君と申す網を空にはり、(とん)(じん)()(注)の酒を飲ませて仏性の本心をたぼらかす。ただ悪の(さかな)のみをすすめて三悪道の大地に(ふく)()せしむ。たまたま善の心あれば障碍(しょうげ)をなす。法華経を信ずる人をば、いかにもして悪へおとさんと思うに(かな)わざれば、ようやくすかさんがために(そう)()せる華厳経へおとす。または般若経へおとす、また深密経へおとす、また大日経へおとす、善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証これなり。また禅宗へおとす、達磨(だるま)これなり。また観経へすかしおとす悪友は善導・法然これなり。これは第六天の魔王が智者の身にはいって善人をたぼらかすことをいう。法華経第五の巻に『悪鬼其の身に入る』と説くのがこれです。

我らは過去に正法を行じる者に仇をなしていましたが、今かえりて信受すれば過去に人をおとしめる罪によりて、未来に大地獄に堕つべきところを、今生に正法を行ずる功徳強盛なれば、未来の大苦をまねきこして小苦にあう。

このさざまな果報をうける中に、あるいは貧しい家に生まれ、あるいは邪見の家に生まれ、あるいは王難にあう。この中に邪見の家と申すは、正法を誹謗する父母の家である。王難と申すは悪王に生まれあうことをいう」    

日蓮は兄弟をみつめた。

「この二つの大難は、おのおのの身に当たりて思うであろう。過去の謗法の罪を消そうとして邪見の父母に責められている。また法華経の行者をあだむ国主にも遭った。経文明々たり、経文かくかくたり。()

わが身は過去に謗法(ほうぼう)の者であったことを疑ってはなりません。これを疑って、現世の軽い苦しみが忍びがたくて、父上の責めに耐えきれず、思いのほかに法華経を捨てることがあるならば、我が身地獄に()ちるのみならず、父も母も(だい)阿鼻(あび)地獄におちて、ともに悲しむこと疑いなかるべし。大道心と申すはこれです。

おのおの随分に法華経を信じるがゆえに、過去の重罪をせめ出だしたのです。たとえば黒鉄(くろがね)をよくよく(きた)えぬれば、きずあらわる。石は焼けば灰となる。(こがね)は焼けば真金(しんきん)となるように。このたびこそ、まことの御信用はあらわれて法華経の(じゅう)()(せつ)も守護いたすであろう。それにしても心浅からんことは後悔することになる。  

おのおのが責められるのは、つまるところ国主が法華経の(かたき)となったがゆえです。国主が敵となることは念仏者、真言師などの謗法よりおこった。

このたびはこれを忍んで法華経の御利生を試みてくだされ。日蓮もまた強盛に天に申しあげよう。いよいよおじ気づいた心根・姿があってはなりませぬ。女人はかならず心弱いために心をひるがえすであろう。強情に歯がみをして、たゆむ心があってはなりませぬ。たとえば日蓮が(へいの)左衛門尉のもとにてうちふるまい言いしがごとく、少しも怖気(おじけ)づく心なかれ。
()()()()()() なにとなくとも、一度の死は一定(いちじょう)です。色をば()しくて人に笑わせたもうな。

一生の間、賢かった人も一言で身をほろぼすこともある。おのおのも御心のうちは知らず、おぼつかない。

世の中にも兄弟おだやかならぬ例もある。いかなる(ちぎ)りであなたがた兄弟はそのようにむつまじいのか。宗仲殿の父上の勘当はうけたが、弟殿はこのたびは、よも兄にはつかないであろう。そうなれば、いよいよ宗仲殿の親の御不審は、おぼろげでならでは許されぬと思っていたが、まことにてや、同心と申されたという。あまりの不思議さ、未来までの物語、なにごとかこれにすぎよう。

たとえ、どんな煩わしい事があっても夢になして、ただ法華経の事のみ思案してくだされ。中にも日蓮の法門は昔は信じがたかりしが、いまは先々言い置きしこと、すでに合いぬれば(よし)なく謗ぜし人も悔ゆる心あり。たといこれよりのちに信ずる男女ありとも、おのおのには替え思うべからず。始めは信じていながら世間のおそろしさに捨つる人、数を知らず。その中にかえってもとより謗ずる人々よりも、強盛にそしる人々また多くある」

兄弟の馬が山道をおりていく。日蓮の指導をうけ、心は晴れ渡った青空のような気分で身延の険しい山をおりていった。

宗仲が弟、宗長をはげます。

「ここがふんばる時だな」

宗長がうなずいた。

「今日はきてよかったです。兄上、おたがい堕ちないようにいたしましょう」

「そうだな。二人いれば心強い。一人おちてもまだ一人いる」

宗仲と宗長の兄弟は来た時とはうってかわって馬上で高笑いしながら帰途についた。

日蓮と弟子の日朗は、そろって館の外に出て武蔵国へ帰る兄弟を見送った。日朗は兄弟の母方のいとこだった。それだけに池上兄弟の行くすえが不安だった。

「上人、あの兄弟は親の反対をおしきって法華経の信心をとおしていけるのでしょうか」

日蓮は大丈夫だとばかり二度三度黙って頷き、遠くなる二人をいつまでもみつめていた。

兄弟同士が争うことはいつの代でもある。むしろ武家政治の勃興期である鎌倉時代の武士であれば、兄弟で争わないほうがおかしいくらいだ。この点、池上兄弟の仲の良さは、この時代にはきわめて稀有だったといえよう。

日蓮は兄弟で覇権を争った古今の例をひく。

我が朝には一院・さぬきの院は兄弟なりしかども位をあらそいて、ついにかたきとなり給ひて、今に地獄にやをはすらむ。当世()()たりて、此の世のあや()をきも兄弟のあ()そいよりをこる。大将殿と申せし賢人も、九郎(くろう)判官(ほうがん)等の舎弟等をほろぼし給ひて、かへりて我が子ども皆所従等に失はれ給ふは眼前の事ぞかし。『兵衛志殿御返事

一院とは後白河上皇、さぬきの院とは崇徳天皇のことである。兄弟でありながら皇位をあらそって保元の乱をひきおこした。敗れた崇徳天皇は配流先で怨霊になったという。日蓮は「今に地獄にやをはすらむ」といっている。主上であれなんであれ、血で血を洗えば冷徹な結果がまつ。

大将殿とは源頼朝、九郎判官とは義経のことである。頼朝は異常な猜疑心で義経らの兄弟をつぎつぎに滅ぼした。そのゆえか彼の死後、子孫はことごとく滅ぼされ、征夷大将軍として頼朝が開いた鎌倉幕府の実権は、正室政子の本家北条氏に握られてしまう。
 池上兄弟はいかなることになるのか。

日蓮は遠い甲斐の山から兄弟を案じた。

宗仲が勘当になってから、はや二ケ月がたった。

建築現場では棟上げが進んでいく。

池上兄弟が半裸で工人たちにまじった。

兄宗仲は人夫に落ちていた。もう作事奉行の長男ではない。勘当を解くため、あらゆる人々が嘆願したが父の怒りは消えなかった。作事奉行の家の内紛である。鎌倉で噂にしない者はなかった。

夕暮れ時の仕事を終え、疲れきった兄弟が大きな道具箱を肩に背負って帰る。()

西日が二人をまぶしく照らし、後ろに長い影がさした。

宗仲がほほ笑んで弟をはげました。

「しかし人夫にとってはきつい毎日だな。だがわしは負けない。おぬしが棟梁としてしっかり束ねているから心強いぞ」

宗長は申し訳なさそうにうなずくだけだった。

兄弟がわかれた。

弟宗長が一人歩く。いつもとちがう道だった。

途中に酒場がある。

その中に一目で御家人とわかる若者たちが、遊女をまじえて酒を酌みかわしていた。

宗長がぼんやりとその様子をみつめた。

彼らがやけにまぶしくみえる。

それにひきかえ自分は土や汗にまみれている。なぜか恥ずかしい思いがした。

ここで瞬間、宗長は我を忘れた。

どうしたことであろう。

宗長が彼らと愉快に飲んでいる妄想にとらわれた。

兄の宗仲が館に着いた。

妻は出迎えず奥で縫物をしていた。

宗仲はにがみばしった顔で部屋へはいった。

沈黙がつづく。

宗仲が切りだした。

「いつまでだまっているのだ。しかたないではないか。わしとて、どうしてもゆずれぬことがあるのだ」

妻が背中でいった。

「世間で評判でございます。池上の跡取りが人夫におちたと」

下女が膳をはこんできたが豆と汁しかない。

「なんだこれは」

「これから苦しくなります。年貢など当てにできませぬ。それもこれも、あなたの強情からはじまったことでございます」

宗仲が妻に頭をさげた。

「たのむ。こらえてくれ。わしも考えた。自分の気持ちを曲げて、後継ぎになってよいかどうか。やはりひきさがるわけにはいかんのだ」

妻が正面をむいた。

「あなた、そんなに信心が大事なのですか。この家がどうなるのか、わかっておいでですか。よくお考えください。お父様のいうとおり念仏を唱えてもよいではありませぬか」

「なにをいう」

妻が目を細くした。

「形だけ阿弥陀を信じて、内心は法華経を信じるのはいかがでございます。そうなればあなたは池上の棟梁、わたしは・・」

宗仲が箸をおいた。

「それはならぬ。そんな誤魔化しの信心では先が見えている」

妻が反論することもなく奥に引きこもった。

弟宗長が疲れた顔で帰宅した。妻が笑顔でむかえる。

下女が食膳を運んできて、和やかな食事がはじまった。

妻の笑顔が絶えない。

宗長が聞いた。

「どうした。なにかいいことでもあったか」

「いえ、あなたを見直しましたわ」

宗長が首をかしげる。

「あなたはお兄さまが勘当されても、お兄さまに味方されております。今日、市場でうわさを聞きました。お兄さまが勘当されたのだから、弟が跡目をつぐだろうと」

「そうか。そんな話がでているか」

「でもあなたはお兄さまを立てて、信心をたもっていらっしゃる」

宗長が箸をとった。

世間の目が自分にそそいでいる。これからどうしたらよいのか。

この時、玄関に人の気配がした。

身なりのよい若い僧が立っていた。見かけない顔だ。

若い僧はさわやかな声でつげた。

「極楽寺良観様の弟子、入沢入道と申します。ご挨拶にまいりました。お近づきのしるしにこれを」

入沢は籠の中に入った品物をさしだした。その中には輝くばかりに美しい小袖や(かたびら)が何枚もしきつめられていた。

宗長夫妻があっけにとられた。無理もない。こんな家に付け届けなど、未だかつてなかったのだ。

若僧はそそくさと帰った。

夫妻が籠を居間にはこんだ。いやに重い。それもそのはず、籠の底には真新しい銅銭がぎっしりとつめてあった。

「まあ、なんてことでしょう」

妻は目を輝かせたが、宗長はいいようのない不安にかられた。
 極楽寺良観は法華信徒が目の敵にしている相手である。
 それがなぜ。

鎌倉に明るい日ざしが照りつけていた。

貧相な帷子(かたびら)の宗長が、籠をかかえて鎌倉の町をゆく。

彼は表情をこわばらせて極楽寺の境内にはいった。宗長は届け物を返すつもりでやってきた。自分を念仏に改宗させる魂胆だろうがそうはさせない。

極楽寺はまばゆいばかりの金箔で飾られていた。火災で灰燼に帰したことが嘘のようである。

玄関で可憐な少女がむかえた。宗長は驚いた。こんなきれいな娘が世の中にいたのか。

つづいて入沢入道がでてきた。

「これは池上宗長様。よくおこしくださいました。さ、これへ」

少女が突っ立っている宗長の手をとり奥へ誘った。

宗長がどぎまぎしながらあがる。少女が宗長のよごれた草履を見てほほえんだ。

宗長が長い廊下をわたる。彼は細かく装飾された壁面に目をやった。別世界に来たようである。

座敷では良観と身なりのよい武士が談笑していた。

宗長は気おくれしたが、思いきって手をつけ挨拶した。

「池上兵衛(ひょうえ)(さかん)宗長にございます」

見知らぬ武士がかしこまった。

「おお、あなた様が池上殿の新しい跡取りでござるか」

宗長が不意をつかれた。

「いえ、そうではありませぬ」

良観は上機嫌である。

「まあ、それはよいとして食事といたそう」

宗長は届け物をかえすためにきたが意外なことになった。高僧の良観が食事をふるまうという。断ればまた父から叱責をうける。そうこう考えているうちに女たちが食膳をはこんできた。

膳には見たこともない魚や珍味がのっている。やがて娘たちが踊りを披露した。

両脇で可憐な娘が酌をした。宗長は竜宮城にいるような思いにとらわれた。

彼は生まれついた時から兄の影にいた。長男と弟の差は歴然としている。兄とはちがい、毎日が食うだけでやっとだった。遊ぶことなど頭にもない。それだけに驚きの連続だった。

月明かりの夜、宗長が帰路についた。

彼は歩きながら酒宴での会話を思いだしていた。

宗長は自分なりにいった。

「良観上人、せっかくですが、某は法華経を捨てるつもりはございませぬ」

良観は聞こえないふりだった。

「今日きてもらったのは、そのことではない。宗長殿、父親の跡目を継いではくれぬか。そなたの兄は日蓮にとりつかれている。もうこの良観が救う手だてはなくなった。もしそなたが父親にしたがわなければ、跡取りはいなくなる。さすれば作事奉行は他人の職となり、池上家も断絶。それではみなが困ること。

考えてみなされ。この世の中は力が支配しておる。兄弟の上下ではない。力ある者が主となれる。頼朝様がそうではなかったか。このわしも財力と人の縁でこのように人から崇められる身となった。しょせん幸せは人からいただくもの。兄を捨てることではない。これからのことを思えば父親に従うことじゃ。兄は兄で自分の運命を選べばよいではないか」

途中に兄の家があった。あかりが見える。

宗長はその光を見ていた。
 

        71 弟の宗長を諌暁 につづく
下巻目次


 二十五有

 三界六道の存在を二十五種に分類したもの。有は生存・存在の意。欲界では四悪趣、四州、六欲天の十四有。色界では大梵天と四禅天および夢想天、五淨(ごじょう)居天(ごてん)の七有。無色界では四空処天の四有。

(とん)(じん)()

煩悩の三毒のこと。一切の煩悩の根本。貪はむさぼり。欲望のこと。瞋は怒り。感情にとらわれ正しい価値判断ができないこと。癡はおろか。目先のことに左右され先が見通せないこと。
日蓮大聖人は妙法によって三毒をのぞくことができるという。

「されば妙法の大良薬を服するは貪瞋癡の三毒の煩悩の病患を除くなり、法華の行者南無妙法蓮華経と唱え奉る者は謗法の供養を受けざるは貪欲(とんよく)の病を除くなり、法華の行者は罵詈(めり)せらるれども忍辱(にんにく)を行ずるは(しん)()の病を除くなり、法華経の行者は是人於仏道決定無有疑と成仏を知るは愚癡(ぐち)の煩悩を治するなり。されば大良薬は末法の成仏の甘露(かんろ)なり。今日蓮等の(たぐい)南無妙法蓮華経と唱え奉るは大良薬の本主なり。」『御義口伝 寿量品二十七箇の大事




by johsei1129 | 2014-09-29 13:08 | 小説 日蓮の生涯 下 | Comments(0)
2014年 09月 26日

64 四条金吾の格闘

侍たちが昼間から名越光時邸で酒を前に談笑していた。当時の御家人は酒を飲むのも仕事のうちである。

島田入道が顔を赤らめた。

「あまり飲むな、勤務中じゃ」

一同がばつ悪そうに苦笑いをする。

山城入道が舌打ちした。

「心ぼそいのう。むくりの件で毎日だれかが筑紫へ送られておる。明日は我が身かとびくびくじゃ」

「殿は博多防衛の大将の一人だ。いつかはわれわれもお鉢がまわるぞ。博多は遠い。家の者になにかあってもすぐには戻れぬ。難儀だのう」

「それにな、金子の工面も大変だぞ。われわれは殿について行かねばならぬ。だが給わった土地が、ああもせまくては年貢もままならぬわ」

「わしは殿に不平は言いたくない。だがな、殿はあまりにも不公平じゃ」

「なにが」

「考えてもみろ。家中で一番働いているわしらが、なぜ狭い土地しかもてんのだ。それにくらべて、なんの働きもない者が、どうして殿から広い土地をもらうのだ」

「だれのことをいっている」

そこへ四条金吾が通りすぎていく。

島田が小声になった。

「うわさをすれば影じゃ」

「四条か」

「あやつ、殿の病気を治しただけで広い田畑を給わったのだ。刀で武勲をあげたわけではないのに」

「そういえばあやつ、殿の贔屓(ひいき)が厚いばかりに高あがりになっておるな。ほかの連中も文句をいっておったぞ」

「ほかにもあるぞ。ほれ、四条は鎌倉で知らぬ者はない法華の信者だ。あの日蓮が首を斬られんとした時、自分も腹を斬ろうとしたのだ。殿は今でもあのことを苦々しく思っておられるというぞ。それにもかかわらず、臆面にも殿に法華経を勧めているそうな」

「それはまことか。許せんな」

「以前、わしが念仏の話をしておったら四条め、どなりおったわ。あやうく刀をぬくところであった」

「あやつ、殿を主人と思っていないのではないか。殿と話すときも、まるで朋輩(ほうばい)と話しているようだ」

その金吾が主人光時と対面した。

「殿、ご機嫌うるわしゅうございます」

「頼基、役目ご苦労である。今日はもうさがってよいぞ」

金吾がいずまいをただした。

「殿、先日の件、お考えいただきましたか」

「なんであったかな」

「法華経のことでございます」

「おおそうであった。頼基、わしは念仏の教えを捨てるつもりはない。先日も良観様のお話を聞いた。まことにありがたかった。武士として生まれ、明日も知れない毎日で念仏を唱えることがいかに大切か、身をもって知ったわ」

金吾が食いさがった。

「殿、念仏は(かり)の教えでござる。教主釈尊はいまだ阿弥陀経には真実をあらわしていないとおおせですぞ」

「それはなんども聞いた。だがな、わしは念仏を捨てはせぬ。それにな、京から竜象房という僧侶がこられた。ありがたい話が聞けるという。今から楽しみなのじゃ」

金吾がはっきりといった。

「だれの教えであろうと、念仏は無間地獄の振る舞いであります」

ここで物静かな光時がおこりだしてしまった。

「頼基、なにをいう。主人をなじる気か。だまって聞いておればいい気になりおって。さがれ」

金吾は答えることができずに退出した。

すれちがいに島田入道と山城入道が拝謁した。

山城が言上する。

「殿、お話が。四条金吾のことでございます。あやつ、殿に可愛がられているのを幸いに、いささか度を越しているのではないかと」

島田入道も同調した。

「われわれ同僚も、みな四条をきらっております。その点、殿からきつい仕置きがあればよいかとぞんじますが」

光時は大人である。彼は機嫌をなおし、はやる二人をなだめた。

「まあおちつけ。金吾はわしの大切な部下だ。親子二代にわたり、この名越につくしておる。あやつの強情なところは、おまえたちも不満があろう。だがな、どんなことであれ、耳に痛いことをいう者がおればこそ、わが一族も安泰というもの」


光時邸の門に日が傾いた。

金吾が退出しようとした。まわりの武士が金吾の背に後ろ指をさした。島田と山城がその中にいる。

金吾も背後の視線がわかった。たまりかねてふりむく。

「なにかご用でござるかな」

島田がとりつくろった。

「いや、なにもござらぬ。金吾殿、どうかいたしたか」

金吾も挑発した。

「失礼いたした。じつはいま背中に邪気を感じてな」

山城が息まいた。

「ほう、それはかったいな」

金吾が正面をむいた。

「まことに気味わるいものでござる。かげで人をあげつろい、げらげらと低く笑う妙な生き物がいる」

島田の表情がかわった。

「四条、なにをいう。だれのことをいっておるのだ」

「自分の胸に聞いてみよ」 

金吾と島田・山城が対峙した。

 島田と山城が刀をぬこうとするが、同僚が必死に止めた。

金吾は身延の草庵に見参し、日蓮と対面した。金吾にとって自分の不平不満を聞いてくれるのは日蓮しかいない。

「まったく、わが殿は法華経を聞く耳をもちませぬ。同僚もわたしをねたんでいる者ばかりでございます。上人、わたしも年をとりました。宮仕えはここが潮時かと思います。すこし疲れました。長年の奉公で蓄えもできましたので身を引こうと思います。それもこれも、わからず屋の主人がいるばかりに」

「それはなりませぬ」

金吾は意外な返事に驚いた。自分の話に納得してくれるだろうと思っていた。理解してくれていると思っていたのだが。

「日蓮が佐渡の国でも飢え死にせず、この山の中で法華経を読むことができるのは、だれあろう金吾殿の助けがあるからです。その金吾殿の助けはなにゆえぞとたずねたならば、主人光時様のおかげですぞ。金吾殿の父上母上の孝養も、もとをたどれば主人のおかげではないか。そのような人の身内をどんな理由があるにせよ、捨てることができますか。命にかかわることがあっても、捨ててはなりませぬ」

金吾がふてくされた。これではわざわざ来たかいがない。

日蓮はつづける。

「賢人は八風と申して八つの風におかされない人をいう。(うるおい)(おとろえ)毀・誉・称・譏(やぶれ ほまれ たたえ そしり)苦・楽(くるしみ たのしみ)です。おおむねは利あるに喜ばず、衰うるになげかずということです。この八風におかされない人を天は守る。しかるに道理もなく、主をうらみなどすれば、いかに申せども天は守りませんぞ」

金吾は聞く耳をもたない。

「わかりました。上人はわたしと同じ了見だと思っていたのですが残念です」

金吾が立ちあがった。日蓮は金吾が危機の中にはいりつつあることを見てとった。

「まちなさい。これから百日の間は、同僚や他人との酒はひかえなさい。自分の家いがいは外で飲んではならぬ。夜の酒もひかえなさい。主人がお呼びの時は、昼ならば急ぎまいること、夜ならば三度までは病気といってひかえるように。呼び出しが三度をすぎたならば下人や他人を連れて道案内させるようにしなさい。こう慎んでおれば蒙古が攻めてきた時、身内の人の心はもとにもどるであろう」

金吾が聞かないふりをするが、日蓮は忠告をやめない。

「しばらく慎むのです。たとえ主人にあやまちがあったとしても、みだりに身内を出てはなりませんぞ。たとえ身に病がなくとも、(やいと)を一二か所すえて病気といっていなさい」

金吾はなにもいわず山をおりていった。

日蓮は金吾を心配した。このあと鎌倉に人をつかわして動静をさぐったりしたがはっきりしない。

日蓮はさらに高弟の日昭に金吾と接触して報告するよう指示している。また日蓮自身が金吾をいたく案じていることを伝えさせた。


さぶらうざゑ(三郎左衛)もん()どのゝ、このほど人をつかわして候ひしが、()ほせ候ひし事、あまりにかへすがへすをぼつかなく候よし、わざ()と御わたりありて、()こし()して、()つか()わし候べし。又さゑ(左衛)もん()どのにもかくと候へ。『弁殿御消息

数日後、名越光時邸に家来があつまった。

突然の召集である。

四条金吾をはじめ家来が不審がった。参集の理由がわからなかったのである。

光時が登場した。

「このたび、そのほうらの所領替えを行うことになった」

いきなりの達しである。家来集がざわめいた。

「まず四条金吾頼基。伊豆の土地を取りあげ、越後の土地をたまう」

金吾がはっとした。

光時はおかまいなしにいう。

「島田入道。おぬしに伊豆の土地をたまう。以上だ」

一同が驚いた。重臣の金吾が左遷された。越後といえば鎌倉からはるかに遠い。

金吾が思わず光時をとめた。

「殿、おまちくだされ。なにゆえそのような下知を」

光時がけげんな顔をした。

「頼基、不服か」

金吾は食いさがる。

「武士にとっては領地の田畑がもっとも大事でござる。そのような重大なことを、いともたやすく決められるのは心外でございます。前もってお知らせがあってしかりと思いまする」

光時がにらんだ。

「頼基、そのほうこのごろ、いささか高あがりであるぞ。わしの念仏を責め、このたびは領地のことに不満を申すか」

金吾が首をふった。

「殿は病気がちでござる。身に病あっては、金吾は心配でございます。ただでさえ世間は蒙古のことで騒がしくなっております。今の拙者の心はいかなることがおきましても、殿の前で命を捨てんと思っておりまする。もしやの事があれば越後より馳せのぼるのは、はるかなる上おぼつきませぬ。たとえ所領を取りあげられても、今年は殿からはなれませぬ。これよりほかは、いかにおおせをこうむるとも恐れるものではござらぬ。これよりも大事なることは日蓮聖人の事と過去におわす父母の事でござる。殿が金吾を捨てても、命は殿にさしあげまする。後生は日蓮聖人におまかせしておりまする」

光時が怒った。

「だまれ」

山城入道が金吾をなじった。

「金吾、殿のおおせだぞ。なんだその口のききかたは。それでも名越の武士か」

金吾が一喝した。

「だまっていろ。おぬしのでる幕でない」

島田入道が刀をぬき、山城入道も味方した。

金吾も抜刀して二人をにらみつけた。

家来衆が両者をとりかこみ騒然となった。

ここで光時が間にはいってとめた。

「ええい、やめんか」

金吾と日蓮が再度対面した。

金吾は前にもましていきどおった。主人とのいさかいは法華経の信心を超えて、武士の命である所領にまで及んでしまった。金吾も武士である。土地への執着は人一倍強い。

「まったくわが殿にはあきれました。いきなり所領替えを命じておいて、あの島田なんぞに給うとは。越後の土地など収穫は望めませぬ。いやがらせとしかいいようがござらん。上人、わしは宮仕えがいやになりました。上人にもわかっていただけるかと」

日蓮は制した。

「このことは前から推察しておりました。このうえは、たとえ一分の御恩がなくても恨むような主ではない。そのうえ今までたまわった御恩と申し、所領をきらうということは金吾殿の(とが)ではないですか。今の金吾殿は欲と名聞と怒りでうまっている。それでも武士ですかな」

金吾がいきどおった。

「上人。(それがし)は今まで殿につくしてまいりました。その某を、欲と名聞名利に狂っているというのですか。わかりました。これからは私の好きなようにさせていただきますぞ」

日蓮は金吾が出ていくのを静かに見送った。そして所化の日目に指図した。
「三位房を呼んでまいれ」

日蓮は高弟の三位房に指示した。

「金吾殿が心配だ。おぬし鎌倉へおりて見はってまいれ。そして逐一報告いたせ」

三位房が露骨にいやな顔をみせた。

「上人、金吾殿は在家です。わたしが一信徒のために、わざわざ出かけるような必要がございましょうか」

「それはどういう意味かな」

「わたしにとっては金吾殿よりも、もっと格上の御仁を相手にしたほうがよいのではないかと思われるのです。わたくしはこれまで、上人にしたがって仏法の奥底を極めてまいりました。私の実力ならば、それができるはずでございます」

日蓮は口調を強くする。

「三位房。このたびの金吾殿のことは極めて重大なことになる。おそらく幕府の上層にまで累がおよぶであろう。おぬしの実力がためされる時なのだ」

三位房はしぶしぶ納得した。

「そうまでおおせであれば、出かけてまいります」

日蓮は席を立つ三位房の背をにらんだ。三位房は古参の弟子であり、竜口の法難では殉死しようとしたほどの高弟である。今も日蓮の片腕として力を発揮している。問答も見事であり弟子檀那の信頼も厚かった。

ただ一つの欠点が傲慢だったことである。

日蓮はその気性を幾度か指摘したが、三位房はかわらなかった。きつく叱責しようとして思いとどまっている。その理由は「智慧ある者をそ()ませ給ふか」と弟子檀那から思われるからだったという。直言で知られる日蓮にはめずらしいことだが、あくまで弟子の成長を期待していたのである。しかしこのために三位房はいよいよ慢心がつのった。

金吾は鎌倉の自庭で剣術の訓練をはじめた。

金吾が目かくしをする。家来が木刀で組んで金吾ともみあいとなった。そこへもう一人が金吾の背に上段から打ちこんだ。

金吾はとっさにかわそうとしたが一瞬おそく肩をうたれてしまった。目隠しして背後の敵はかわせるものではない。

金吾はあまりの痛さに思わず顔をしかめる。

金吾は名越の家中に不穏な空気がながれているのを察した。光時以下、総がかりで金吾を追い落そうとしている。味方はいない。多勢に無勢だった。こうなれば剣で身を守るだけだ。自分でまいた種だが己の力にたよるほかはない。

妻の日眼女と娘の(つき)(まろ)が心配そうに見つめる。

金吾はみなの視線を感じた。

「なんのこれしき。心配するでない。さあ、もう一本」

「もう無理でございましょう。何回やってもおなじことです。金吾様の腕をもってしても、目かくしで背後から切りかかる太刀を、よけられるものではございませぬ」

「うるさい。かわさなければ死ぬまでじゃ。もう一本」

金吾はもう既に意地になっていたが、やはりかわしきれず打たれた。

金吾がどなる。

「こら、手加減するな」

ここでようやく小休止となった。

小屋で傷の手当をうけた。痛み止めの薬は飛びあがるほどしみて、さすがの金吾も思わずうなる。

三位房がこのさなかにたずねに来た。彼は金吾の機嫌をうかがった。

「これはこれは。剣術の最中でございましたか」

金吾は不機嫌である。

「三位殿でござるか。かまわぬ。こちらへおすわりあれ」

三位房がさしだされた木椅子にすわった。

金吾が背をさすりながら言う。

「よくおこしになられた。聞いておられるであろう。わしはもうだれの教えもうけぬつもりじゃ。三位房殿、上人からなにか言われたであろうが、わしは聞く耳をもたぬ」

三位房が笑った。

「上人もきびしいお方ですからな。このわたしにもきびしい。さぞ金吾殿には耳の痛いお話でしたでしょうな」

「このごろは面白くないことばかりでな。なにをやってもうまくゆかぬ」

金吾が背中をみせた。

「剣の鍛錬をしてもこのとおりじゃ。貴殿がこられたとて、はかばかしいことは・・」

三位房が話をかえた。

「じつはわたくし、これから桑ヶ谷(くわがやつ)へ出かけようと思いましてな」

「桑ヶ谷」

「さよう。いま鎌倉で評判の念仏僧、竜象房殿の説法をうかがいたいと思いましてな」

金吾が顔をあげた。

「おお、あの竜象房でござるか。極楽寺良観が京から呼びよせたという」

「どんな僧侶かはぞんじませぬ。大仏門の西に止住し、日夜説法をしているようです。彼いわく、現当のため仏法に不審ある人は問答すべき旨、説法するという。鎌倉中の上下万民は竜象房を釈尊のように尊んでいるとか。しかれども問答におよぶ人がないと聞いております。この三位が、かしこへ行き、問答をとげて一切衆生の不審をはらそうと思うのです。ここに伺ったのは、ご一緒にいかがと思いましてな」

金吾はこういうことに目がない。いてもたってもいられない性分なのだ。すぐ立ちあがった。

「ぜひ同行いたそう」

傷の痛みは消えてしまった。

四条金吾は強情さゆえに主人と仲たがいしてしまった。すべては金吾のわがままからきたことである。これは自分でもおさえきれない欲と名聞からでた。

現代でも会社や上司に不満をもつ人はいくらでもいる。鎌倉時代の御家人も同じだった。ただひとつちがうのは、金吾が法華経をかたく(たも)っていたことである。金吾のわがままは、やがて思わぬ方向へすすんでいく。

        65 桑ケ谷の法論 につづく
下巻目次




by johsei1129 | 2014-09-26 13:37 | 小説 日蓮の生涯 下 | Comments(0)
2014年 09月 25日

法華経は「仏、仏界に随つて説く随自意の経で最も難信難解である」と説いた【諸経と法華経と難易の事】

【諸経と法華経と難易の事(しょきょうとほけきょうとなんいのこと)】
■出筆時期:弘安三年五月二十六日(西暦1280年)五十九歳御作。下総の富木常忍に対して与えられた書。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:下総国の豪族であった富木常忍は、大聖人より「日常」という法名を与えられたほどの豪信徒。また観心本尊抄など数十に及ぶ御書を送られるなど、当時の関東方面の信徒にとって頭領とも言うべき存在であった。本抄では、法華経は「仏、仏界に随つて説く随自意の経で最も難信難解であり、その他の教は「仏、九界の衆生の意楽に随つて説く随他意の教えで、賢父が愚子に随うが如く」易信易解の教えであると断じている。
■ご真筆: 中山法華経寺 所蔵(重要文化財)


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[諸経と法華経と難易の事] 本文

問うて云く、法華経の第四法師品に云く「難信難解」云云。いかなる事ぞや。答えて云く、此の経は仏説き給いて後、二千余年にまかりなり候。月氏に一千二百余年、漢土に二百余年を経て後、日本国に渡りてすでに七百余年なり。仏滅後に此の法華経の此の句を読みたる人但三人なり。所謂月氏には竜樹菩薩。大論に云く「譬えば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し」等云云、此れは竜樹菩薩の難信難解の四字を読み給いしなり。漢土には天台智者大師と申せし人読んで云く「已今当説最も為れ難信難解」云云。日本国には伝教大師読んで云く「已説の四時の経、今説の無量義経、当説の涅槃経は易信易解なり、随他意の故に。此の法華経は最も為れ難信難解なり、随自意の故に」等云云。
 
 問うて云く、其の意如何。答て云く、易信易解は随他意の故なり。難信難解は随自意の故なり云云。弘法大師並びに日本国東寺の門人をもわく、法華経は顕教の内の難信難解にて、密教に相対すれば易信易解なり云云。慈覚・智証並びに門家思うよう、法華経と大日経は倶に難信難解なり。但し大日経と法華経と相対せば法華経は難信難解、大日経は最も為れ難信難解なり云云。此の二義は日本一同なり。日蓮読んで云く、外道の経は易信易解、小乗経は難信難解。小乗経は易信易解、大日経等は難信難解。大日経等は易信易解、般若経は難信難解なり。般若と華厳と、華厳と涅槃と、涅槃と法華と、迹門と本門と、重重の難易あり。

 問うて云く、此の義を知つて何の詮か有る。答えて云く、生死の長夜を照す大燈、元品の無明を切る利剣は此の法門に過ぎざるか。随他意とは、真言宗・華厳宗等は随他意・易信易解なり。仏九界の衆生の意楽に随つて説く所の経経を随他意という譬えば賢父が愚子に随うが如し、仏、仏界に随つて説く所の経を随自意という。譬へば聖父が愚子を随えたるが如きなり。日蓮此の義に付て大日経・華厳経・涅槃経等を勘え見候に、皆随他意の経経なり。

 問うて云く、其の随他意の証拠如何。答えて云く、勝鬘経に云く「非法を聞くこと無き衆生には人天の善根を以て之を成熟す。声聞を求むる者には声聞乗を授け、縁覚を求むる者には縁覚乗を授け、大乗を求むる者には授くるに大乗を以てす」云云。易信易解の心是なり。華厳・大日・般若・涅槃等又是くの如し。「爾の時に世尊、薬王菩薩に因せて八万の大士に告げたまわく、薬王、汝是の大衆の中の無量の諸天・竜王・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩ご羅伽・人と非人と及び比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の声聞を求むる者、辟支仏を求むる者、仏道を求むる者を見るや。是くの如き等類咸く仏前に於て妙法華経の一偈一句を聞いて、一念も随喜する者には我皆記を与え授く、当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし」文。諸経の如くんば、人は五戒、天は十善、梵は慈悲喜捨、魔王には一無遮、比丘の二百五十、比丘尼の五百戒、声聞には四諦、縁覚には十二因縁、菩薩には六度なり。譬へば水の器の方円に随い象の敵に随つて力を出すがごとし。法華経は爾らず。八部・四衆皆一同に法華経を演説す。譬へば定木の曲りを削り、師子王の剛弱を嫌わずして大力を出すがごとし。
此の明鏡を以て一切経を見聞するに、大日の三部・浄土の三部等隠れ無し。

 而るをいかにやしけん、弘法・慈覚・智証の御義を本としける程に、此の義すでに日本国に隠没して四百余年なり。珠をもつて石にかへ、栴檀を凡木にうれり。仏法やうやく顛倒しければ世間も又濁乱せり。仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲れば影ななめなり。幸なるは我が一門、仏意に随つて自然に薩般若海に流入す。苦しきは世間の学者、随他意を信じて苦海に沈まん。委細の旨又又申す可く候。恐恐謹言。

    五月廿六日       日蓮花押
富木殿御返事

[諸経と法華経と難易の事] 本文 完。

by johsei1129 | 2014-09-25 22:19 | 富木常忍・尼御前 | Comments(0)
2014年 09月 25日

66 桑ヶ谷の法論

時は建治三年(1277)六月九日のことだった。
 竜象房が大仏の門の西、桑ヶ谷で満座の聴衆に説法をはじめた。念仏の尊さについてだった。

鎌倉で竜象房の人気が沸騰している。良観の招きで京都から来たというだけで評判はあがった。鎌倉はいま竜象のありがたい法話と人食い鬼の話でもちきりだった。

この聴衆の中に四条金吾と日蓮門下の三位房日行がいた。

竜象は法話の途中でにこやかに語った。

「この見聞満座の御中でご不審なことがあれば、おおせをうかがいましょう」

ここでさっそく金吾が身をのりだしたが、三位房がおさえて立ちあがった。

三位房はにこやかに語りだした。

「生をうけしより、死はまぬかれることができぬことわりは、はじめて驚くべき事ではございませぬが、ことさら今日本国の災難に死ぬ者があとを絶たず、目の前の無常は人ごとに思い知らされております。しかるところ、京より上人がおくだりあって人々の不審を晴らすとうけたまわりました。ご説法の最中(もなか)にぶしつけな問答などあってはならぬと思いましたが、疑いがあれば(はばか)らず聞いてくださるということ、喜んでおりまする」

竜象房がにこやかにうなずいた。かたや金吾は厳しい目で竜象をみる。

三位房はつづけた。

「まず不審に思えることは、末法に生をうけて片田舎の卑しい身ではありますが、漢土の仏法が幸いにしてこの国にわたり、これらをぜひ信ずべきところ、経典は五千七千と数多いものであります。

しかるに仏ひとりの説でありますから、所詮は一つの経におさまるはずなのに、弘法大師はわが日本国の真言宗の元祖でありますが、法華経は大日経に対すればいつわりの法、迷いの源であると説いております。浄土宗の法然上人いわく、法華経を念仏にたいして捨てよ、閉じよ、さしおき、投げうて、あるいは法華経の行者を群賊の群れなどといっております。また禅宗は仏法の真実は経典とは別に伝わっているのであり、文字を立てるものではないといっている。

教主釈尊は法華経の中で、世尊の法は久しくして後に(かなら)(まさ)に真実を説きたもうべしといい、多宝仏は法華経を(かい)()真実(しんじつ)とされているのに、弘法大師は法華経を戯論(けろん)の法と書いている。しかるに釈尊、多宝仏、十方の諸仏は法華経をほめ、皆これ真実と説いております。いずれを信じてよいのでしょうか。法然上人は法華経を捨てよ、投げうてという。釈迦、多宝、十方分身の諸仏は法華経を(たも)てば一人として成仏しない者はなく、みな仏道を成就するという。仏の言葉と法然上人とは、水と火よりもへだたりがございます。いずれを信ずべきでしょうか。またいずれを捨てればよいのでしょうか。

法華経には『()し人信ぜずして此の経を()(ぼう)せば、一切世間の仏種を断ぜん』とあります。この経文がまことならば、法然上人は無間地獄をまぬかれないのではないでしょうか。かの上人が地獄に()ちるならば末の学者、弟子檀那は自然に悪道に堕ちてしまうことは疑いがありませぬ。これらこそ不審に思います。上人はいかがお思いでしょうか」

竜象がこまった顔をした。

「いにしえの賢人たちをどうして疑うことができましょう。わたしのような凡僧は、仰いで信じ奉るだけでございます」

三位房が突く。

「そのおおせこそ、賢人の言葉とは思われませぬ。だれが今の時、仰がれる人を疑うことがあるでしょうか。ただし涅槃経に仏最後の御遺言として『法に()って人に()らざれ』と見えております。人にあやまりがあれば経典によれ、と仏は説かれました。あなたはよもやあやまりはないであろうと申されました。竜象上人の言葉と仏の金言とをくらべたならば、わたくし三位は如来の金言についていこうと思います」

竜象がたじろいだ。

「人にあやまり多いというのは、いずれの人をいうのですかな」

「さきほど申した弘法大師、法然上人の邪義ではないでしょうか」

竜象が大げさになげいた。

「ああ、それはできぬ。わが朝の人師のことは、かたじけなくも問答してはならないのです。なぜならこの満座の聴衆はみなみなその流れにておわす。鬱憤(うっぷん)出来(しゅったい)すれば、定めてみだりがわしきことになりましょう。おそれあり、おそれあり」

竜象が念仏を唱えだした。唱えることによって問答からのがれるつもりである。

三位房はのがさない。

「人のあやまりとは、だれかというので経文にそむく人を申しあげました。はばかりあってそれはできないとおっしゃることに進退は極まっております。法門と申すは、人をはばかり世を恐れて、仏が説かれたように経文の実義を申さざらんは愚者のきわみである。智者上人とは思われませぬ。悪法が世にひろまり人が悪道に堕ち、国土滅せんとみえるのに、法師の身としてどうして諫めないでおられましょう。まことの聖人ならばどうして身命を惜しんで世を人を恐れることがあるでしょう。正法を弘めてこそ聖人の名を得ることができるのではないのですか」

竜象はまったくの受け身となって首をふった。

「そのような人はこの世にいるわけがない。わたくしは世をはばかり、人を恐れる者でございます。そのようにおおせられる人なども、あなたの言葉のように、おられるわけがありませぬ」

三位房が高らかに言った。

「この方はどうして人の心を知ることができよう。某こそはいま日本国に聞こえたもう日蓮上人の弟子でございます」

驚きの声があがった。

竜象房の顔が恐怖にかわった。音に聞く悪僧ではないか。

四条金吾が胸をはった。
 三位房はよどみない。

「某の師匠、日蓮上人は末代の僧でおわすが、いまどきの高僧のように幕府に媚びることなく人をもへつらわず、いささかなる悪名もたてず、ただこの国に真言・禅・浄土などの悪法ならびに謗法の諸僧が満ち満ちて、上一人をはじめ下万民にいたるまで御帰依あるゆえに、法華経教主釈尊の大怨敵となりて現世には天神地祇(ちぎ)に捨てられ他国のせめにあい、後生には阿鼻大城に堕ちるべき由、経文にまかせて立てたまいしほどに、このこと申さば大いなる(あだ)あるべし、申さずんば仏の責めのがれがたし。世を恐れて申さずんば、我が身悪道に墮つべきとご覧じて、身を捨てて()ぬる建長年中より今年建治三年にいたるまで、二十余年の間あえて怠ることなし。しかれば私の難は数を知らず、国主の勘気は二度におよんだ。

この三位も(いぬ)る文永八年九月十二日の勘気の時は供の一行でありしかば、同罪に行なわれて首をはねられるべきにてありしは、身命を惜しむ者でしょうか」

竜象が口を閉じた。

三位房が竜象を直視した。

「そのようなお智慧では人の不審をはらすというおおせは役にたちませぬ。()(がん)比丘・勝意比丘などは、われ正法を知りて人を助けると言いましたが、我が身も弟子檀那も無間地獄に堕ちました。ご法門の分際で、あまたの人を救おうと説かれるのであれば、師檀ともに無間地獄に堕ちてしまう。今日よりのちは、このような御説法はひかえねばならぬ。

かように申したくはなかったが、悪法をもって人を地獄におとす邪師を見ながら責め顕さずば、かえって仏法の(あだ)となるという仏のいましめ逃れがたいうえ、聴聞の上下みな悪道に堕ちること不憫(ふびん)に思うため申しあげました。

智者と申すのは国の危うきをいさめ、人の邪見をとどめることこそ智者ではないでしょうか。これはいかに(ひが)(ごと)ありとも、世が恐ろしいから諫めないと申されるうえは力およばず。文殊の智慧も()()()(注)の弁舌も及びませぬぞ」

聴衆が歓喜し、三位房日行に手をあわせた。

「日行上人様、今しばらく説法してくださらぬか」

しかし三位房は金吾をうながし、意気揚々と席を立った。

竜象房は満座の中で、なんの返答もできず面目を失った。彼は妬みの目で二人を見送るだけだった。

かたや金吾は爽快だった。久々に気分のはれた思いである。こんなに万事がうまくいくのもめずらしい。こわいくらいだった。

それもそのはず、思わぬ大事件がまちうけていたのである。

鎌倉は月夜に照らされていた。この町のとある廃寺で人影がうごめいていた。

人食いが肉を食べている。そのわきに死体が横たわっていた。鬼は闇の中で口を真っ赤にしながらむしゃぶりついた。

このとき、松明の光がいっせいに男にむけられた。

夜廻りの武士が物とり棒をもって、いっせいに男をかこんだ。

「いたぞ。ここだ」

人食いがおどろいて覆面をかぶり、寺の軒下に逃げこんだ。

夜警の一人が追いつき、棒でおさえこんだが人食いは、しゃにむにふりはらった。この時、覆面がはずれ、顔が月光に照らされた。

鬼は草むらへ転がるように逃げていく。暗いうえに草の丈は腰まである。追っ手はあきらめた。

夜警団がぞくぞくとあつまった。

「おのれ。また逃がしたか」

「手がかりはないのか。なにかのこしていないか、さがせ」

夜警の一人がふるえていた。

「・・顔を見ました」

夜警の(かしら)がよろこんだ。

「なに、でかした。どんな人相だった。見た顔か。特徴は」

「頭を剃っておりました」

「そうか、では乞食坊主にちがいない。人食いは坊主にばけている。そうだ、それにちがいない」

 男が腕を組んだ。

「まってくだされ。あの顔、どこかで見たような気がいたします」

「なに。よし、思いだすのだ」

男はゆっくりと頭を下げ、記憶の糸をたどった。

「桑ケ谷問答」から半月ほどたった六月二十五日、金吾の屋敷に来客があった。金吾の兄妹である。

重苦しい空気がただよった。

金吾には四、五人の兄妹がいたという。親類も大勢いたようである。このなかで金吾の兄は法華経の信心に反対だった。金吾の激しい気性にもあきあきしている。さらに金吾は主人と所領のことでいさかいをおこしているというではないか。彼らはいても立ってもいられない。金吾の田畑からくる年貢は兄妹をうるおしていた。金吾がもめごとをおこしてはこまる。今日という今日は我慢ならず、問いつめにきたのである。

金吾は腕を組んで苦虫をかみつぶしたように目をつぶった。妻の日眼女が気をつかって酒をふるまう。

兄がなげいた。

「まったくお前の強情にもあきれたな。なぜ殿にさからうのだ。所領替えなど、どこの世界にでもある話だ。世間を見ろ。土地も奪われ、露頭に迷う者は数多いというのに、血の気が多すぎるぞ。お前は」

妹が加勢した。

「兄上、四条の一族がつづくのも兄上のお覚悟しだいです。敵ばかりつくらずに、名越の殿様のおっしゃるとおりにしてくださいまし」

「おぬしの信心は今さらどうのこうのといわぬ。法華経を捨てろといえば、また喧嘩になるからな。だがな世間のつきあいも大事なのだ。広く浅く、なにごともなくすごしておれば、つまらぬいさかいもおこらぬ」

「お兄さま。お義姉様がかわいそうです。このままではいただいた土地は全部とりあげられてしまいますよ。わたしたち兄妹はそのおこぼれでやりくりしているというのに、これでは世間に顔むけできませんわ」

金吾がようやく口をひらいた。

「世間とか、幅広くつきあえとか、顔むけできないとか、おぬしら、なにを考えて生きておるのだ」

兄妹があ然とした。

「自分らしくしていなされ。外にばかり顔をむけてはならぬ。わしはわしのままでいく。それがいやななら兄弟の縁を切る」

「なんということを」

この時、屋敷の門で声がした。来客のようである。

所従の爺がむかえにいったが、意外な人物が立っていた。

島田入道、山城入道の二人だった。金吾とは犬猿の仲である。

こんな時にいったいなにごとか。

金吾が怪訝な顔で刀をさし、柄をつかんだままで応対した。

「なに用かな」

島田は懐から書状をとりだした。

「殿からの下し文である」

突然の来訪である。しかも主君光時の書状とはただごとではない。しかたなく金吾は二人をまねきいれた。

島田と山城が居間にははいり、金吾一族は袂をひるがえしてむかえた。

島田が立ったまま主人の下し文を読みあげた。金吾はしかたなく手をついて拝聴する。

驚くべき内容だった。

「一、貴公はさる六月九日、桑ヶ谷竜象上人の御説法のところに参ったとのことだが、おおかた穏便(おんびん)ならざるよし、見聞の人あまねくひとかたならず申しあいしたとのこと驚いている。そなたは徒党を組み、かしこへおしかけ、刀杖をもって出入りしたとのこと。まことに遺憾千万である。

二、余は極楽寺の良観上人こそ釈尊の再来と信じておる。また竜象上人は弥陀如来の再誕と思っている。

三、いかなることも主や親の所存には従うことで仏神の加護もあり、世間の礼にもかなう。だが貴公はすでに主にそむいている。これをなんと考えるのか。

四、以上のゆえをもって四条金吾頼基に命じる。法華経を捨て、阿弥陀仏に仕える誓状を立てよ。それがなくば、今ある所領を取りあげ、役払いとするであろう。誓いのしるしに起請文を用意した。貴公が賢明であることを望む。以上」

島田入道がうやうやしく起請の紙を金吾の前においた。

金吾がすかさず中腰になった。

「またれい。竜象房の一件は殿にお会いしたとき、その様子を申しあげた。また法論の時、その場にこの金吾を知らぬ者はいなかったはず。まったくもって事実と符合(ふごう)しない。ただこのわしを(そね)む者の作りごとであろう。早くその者どもを召しあわせられたい。必ず明らかになるはず」

島田が金吾を見下した。

「これ頭が高い。殿のお言葉であるぞ」

金吾がくやし顔ですわりなおす。

「四条金吾、これは殿の下命である。とくと考えよ」

島田と山城がにこやかに去っていく。

金吾が追いかけた。

「まて。これはおぬしらのたくらみであろう。卑怯だぞ。殿をたばかりおったな」

二人は背をむけたまま去った。

金吾が起請文の前にすわりなおした。

いかつい顔で兄がさとす。

「頼基よ、これは罠でもなんでもない。主人にしたがうのだ。武士は土地あってこそ生きられる。自分の身を守るために起請を書け」

妹もせまった。

「そうです兄上。日蓮など捨てておしまいになってください。起請文を書くまで、わたしはここを動きませんわ」

金吾が思案にくれ、長い沈黙がつづいた。

兄妹のいうとおりである。土地を取りあげられては生きていけない。自分だけではなく、妻子も路頭に迷う。

やがて金吾が口をひらいた。

「わかった。わしも武士のはしくれだ。乞食にはなりとうない。みんな安心してくれ。起請文は書こう」

緊張がほどけた。

兄妹はほっとした顔になった。

逆に妻の日眼女がうつむいたままでいる。幼い娘の(つき)(まろ)が心配になって母に抱きついた。

兄がむやみによろこぶ。

「よかった。これで四条の家も安泰だ。帰って先祖に申しあげよう」

妹もほっとした。

「本当ですわ。どうなるかと思いました。でも安心しましたわ。これで帷子(かたびら)が買えます」

やがて兄妹が静かに去っていった。

彼らが帰ったあと、屋敷全体が沈んだ空気につつまれた。

金吾が白紙の起請状の前で腕を組み、目をつぶった。

起請文はあらゆる神仏に誓いをたてる証文である。御成敗式目にも起請がのせられている。しるされた法を絶対に守るとして北条泰時以下の作成者全員が署名している。それほど起請文のもつ意味は重かった。ひとたび宣言すればもとにはもどせない。

従者の爺が心配そうに見守る。

やがて金吾は持仏堂にむかった。そこには日蓮がしたためた本尊が安置されている。

起請を書けばいっさいが終わる。すべては平穏となるだろう。自分は安楽に土地をもち、一族は生きのびていくことができる。まわりの摩擦もなくなる。すべてが静寂となる。いまその機会はおとずれた。

法華経を捨てるとは日蓮と離れることである。日蓮と離れたならば、いままでとはちがう毎日がまっているだろう。おそらくはまったくちがう人生になるだろう。同僚との争いはなくなり、なれあいの毎日になるだろう。主君には媚びることだけを考えて、毎日の糧にあくせくしてゆくのだろう。

一片の所領とひきかえに、想像もしない人生がまっている。おそらくは味気のない空虚なものであろう。金吾は生気のぬけた自分の姿を想像した。
「日蓮上人なしに己の人生はない」
 金吾はそう決断すると、直ちに「桑ケ谷問答」の顛末と、たとえ所領を召されても決して起請文は書かないと書き記し、主君光時の下し文を添えて日蓮のもとに急使をたてた。急使は翌々日、二十七日の酉の刻(午後六時)には身延の草庵に到着する。
 日蓮はこの金吾からの書状を見て問注所への陳情文『頼基陳状』を「四条中務尉頼基」の名で代筆し金吾に送った。

朝がきた。

従者の爺はねむりこけていた。

金吾が机に正座した。机に置かれた紙にはまだ一文字も記されていない。ここで金吾は日蓮の言葉を思いだした。

浅きは(やす)く深きは(かた)しとは釈迦の所判なり、浅きを去って深きに()くは丈夫(じょうぶ)の心なり。 『顕仏未来記

金吾の心は決まっていた。
 金吾は急使をたてて日蓮に送った文と同様に「たとえ所領を没収されても起請は書かざる」と筆も折らんばかりに力強く書きつけた。
 書き終わってふりむくと日眼女が少し離れて座っていた。彼女の胸には月満御前が眠っている。父親の苦境など知る由もなく、満ち足りた顔で寝ている。

金吾はまるで憑き物がとれたかのように笑顔で語る。

「おきておったか。心配するな。見てのとおりだ。わしの腹はきまっている。それではこれから殿のところへ出かけるとするか」

日眼女は夫の気持ちを察した。名越邸にむかう金吾をいつもどおり見送ったが、目は笑っていない。

名越光時邸には極楽寺良観と竜象房がきていた。くわえて金吾の兄がその場にかしこまっていた。

良観がにこやかである。

「四条金吾が起請文を書いたなら、急いでかたがたにふれまわすのです。これで鎌倉のうちに日蓮の弟子は一人もいなくなる。大いに攻めるのです」

竜象房も満足だった。満座の中で赤恥をかかされた恨みは消えていない。

金吾の兄が光時に言上した。

「殿、弟の数々の無礼をおわびいたします。くわえて所領の安堵をお願いいたします。すでに弟は改心いたしました」

当の光時は咳をしていた。風邪をこじらせていたようである。くわえて金吾の件でも頭を痛めている。

光時は最初、軽い気持ちで金吾をこらしめようと、島田たちの策をとったが、目的は金吾の忠誠をとりもどしたいだけだった。光時は金吾に一目も二目も置いている。これほどの騒ぎになるとは思わなかったのである。金吾は二月騒動のとき、自分のために殉死しようとした忠臣である。それをここまで追いつめてよいものか、一抹の不安があった。

島田が笑顔でやってきた。

「四条金吾の起請文がとどきましたぞ」

緊張の中、島田が書状をひらき、うやうやしく読みだした。

「言上(つかまつ)り候。先だってわざと拙者宅へ使者をお向けくだされ、まことに恐縮しておりまする。また殿には軽いながらもご所労の様子。案じておりまする。さて起請の件、このたびおおせの起請はまったくもって書かざることをお誓い申しあげまする」

読みあげる島田以下、全員が驚愕した。島田はおろおろしながら読んでいく。

「いかにおどされても、所領を捨てても、あくまで法華経を信じとおすことを殿の前で断じてお誓い申しあげまする。念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊にかわるところはございませぬ」

光時がぼう然とし、良観が怒りに大声をあげた。

「殿、即刻四条の土地を取りあげなされ。さらに訴訟じゃ、奉行人に訴えなされ。金吾を地獄におとすのじゃ」

名越光時は明らかに困惑していた。訴訟にまでになろうとは。心ならずも大事になってしまった。

良観と竜象房、島田・山城の一味は、評定で金吾を追いおとすことにきめた。金吾の非を世間に知らせ、金吾と法華経を一気に壊滅しようとした。金吾はしょせん光時の部下にすぎない。勝算は充分にあるとみた。

評定の開始決定は直ちに甲斐の日蓮のもと伝達された。
 日蓮は訴訟においては百戦錬磨である。金吾一人ではこの裁判で論証する力はない。日蓮は良観一味に追い詰められた金吾に、評定での証言方法について一部始終を指示した。金吾はこんどばかりは素直にしたがった。

こうして四条金吾は、はからずも仏法の正邪を決する人となったのである。


           66 金吾の奉行所対決 につづく
 
下巻目次

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釈迦十大弟子の一人。説法第一とされた。満願子・満足・円満等と訳す



by johsei1129 | 2014-09-25 21:40 | 小説 日蓮の生涯 下 | Comments(0)
2014年 09月 24日

法華経を捨てて天台の止観を正とするの輩は大謗法・大邪見・天魔の所為なる、と断じた書【立正観抄】六

【立正観抄 本文] その六

 夫れ天台の観法を尋ぬれば大蘇道場に於て三昧開発せしより已来、目を開いて妙法を思えば随縁真如なり、目を閉じて妙法を思えば不変真如なり。此の両種の真如は只一言の妙法に有り。我妙法を唱うる時、万法ここに達し一代の修多羅一言に含す。所詮迹門を尋ぬれば迹広く、本門を尋ぬれば本高し。如(しか)じ、己心の妙法を観ぜんにはと思食されしなり。当世の学者此の意を得ざるが故に、天台己証の妙法を習い失いて止観は法華経に勝り禅宗は止観に勝れたりと思いて、法華経を捨てて止観に付き、止観を捨てて禅宗に付くなり。禅宗の一門云く「松に藤懸る、松枯れ藤枯れて後如何(ぃかん)。上らずして一打」なんど云える天魔の語を深く信ずる故なり。修多羅の教主は松の如く、其の教法は藤の如し。各各に諍論すと雖も仏も入滅して教法の威徳も無し。爰に知んぬ、修多羅の仏教は月を指す指なり、禅の一法のみ独(ひとり)妙なり。之を観ずれば、見性得達するなりと云う大謗法の天魔の所為を信ずる故なり。然るに、法華経の仏は寿命無量、常住不滅の仏なり。禅宗は滅度の仏と見るが故に外道の無の見なり。是法住法位、世間相常住の金言に背く僻見なり。禅は法華経の方便、無得道の禅なるを真実常住法と云うが故に外道の常見なり。若し与えて之を言わば、仏の方便三蔵の分斉なり。若し奪つて之を言わば、但外道の邪法なり。与は当分の義、奪は法華の義なり。法華の奪の義を以ての故に、禅は天魔外道の法と云うなり。問う、禅を天魔の法と云う証拠如何、答う前前に申すが如し。
  立正観抄

【立正観抄 本文] 完。

【立正観抄送状】

今度の御使い誠に御志の程顕れ候い畢んぬ。又種種の御志慥に給候い畢んぬ。
抑承わり候、当世の天台宗等、止観は法華経に勝れ禅宗は止観に勝る、又観心の大教興る時は本迹の大教を捨つと云う事。先ず天台一宗に於て流流各別なりと雖も、慧心・檀那の両流を出でず候なり。慧心流の義に云く、止観の一部は本迹二門に亘るなり。謂く、止観の六に云く「観は仏知と名く、止は仏見と名く、念念の中に於て止観現前す。乃至三乗の近執を除く」文、弘決の五に云く「十法既に是れ法華の所乗なり。是の故に還つて法華の文を用いて歎ず。若し迹説に約せば、即ち大通智勝仏の時を指して以て積劫と為し、寂滅道場を以て妙悟と為す。若し本門に約せば、我本行菩薩道の時を指して以て積劫と為し、本成仏の時を以て妙悟と為す。本迹二門只是此の十法を求悟す」文。始の一文は本門に限ると見えたり。次の文は正しく本迹に亘ると見えたり。止観は本迹に亘ると云う事、文証此に依るなりと云えり。次に檀那流には止観は迹門に限ると云う証拠は、弘決の三に云く「還つて教味を借つて以て妙円を顕す。故に知んぬ、一部の文共に円成の開権妙観を成ずるを」文。此の文に依らば、止観は法華の迹門に限ると云う事文に在りて分明なり。両流の異義替れども共に本迹を出でず。当世の天台宗、何くより相承して止観は法華経に勝ると云うや。但し予(日蓮)が所存は、止観法華の勝劣は天地雲泥なり。
 
 若し与えて之を論ぜば止観は法華迹門の分斉に似たり。其の故は天台大師の己証とは、十徳の中の第一は自解仏乗、第九は玄悟法華円意なり。霊応伝の第四に云く「法華の行を受けて二七日境界す」文。止観の一に云く「此の止観は、天台智者己心中に行ずる所の法門を説く」文。弘決の五に云く「故に止観に正しく観法を明すに至つて、並びに三千を以て指南と為す。故に序の中に云く「説己心中所行法門」文。己心所行の法とは、一念三千・一心三観なり。三諦三観の名義は瓔珞・仁王の二経に有りと雖も、一心三観・一念三千等の己心所行の法門をば、迹門の十如実相の文を依文として釈成し給い畢んぬ。

  爰に知んぬ、止観一部は迹門の分斉に似たりと云う事を。若し奪つて之を論ぜば、爾前・権大乗は即ち別教の分斉なり。其の故は、天台己証の止観とは道場所得の妙悟なり。所謂天台大師、大蘇の普賢道場に於て三昧開発し、証を以て師に白す。師の曰く、法華の前方便陀羅尼なりと。霊応伝の第四に云く「智顗(天台大師)、師に代つて金字経を講ず。一心具足万行の処に至つて、顗(智顗)、疑有り。師、為に釈して曰く、汝が疑う所は此乃ち大品次第の意なるのみ。未だ是法華円頓の旨にあらざるなり」文。講ずる所の経、既に権大乗経なり。又「次第」と云えり。故に別教なり。開発せし陀羅尼、又法華前方便と云えり。故に知んぬ、爾前帯権の経は別教の分斉なりと云う事を。己証既に前方便の陀羅尼なり。止観とは「己心中所行の法門」と云うが故に、明かに知んぬ、法華の迹門に及ばずと云う事を。何に況や本門をや。若し此の意を得ば、檀那流の義尤も吉なり。
 此等の趣を以て、止観は法華に勝ると申す邪義をば問答有る可く候か。委細の旨は別に一巻書き進らせ候なり。又日蓮相承の法門血脈、慥に之を註し奉る、恐恐謹言

文永十二乙亥二月二十八日      日 蓮  花押
最蓮房御返事

by johsei1129 | 2014-09-24 22:17 | 重要法門(十大部除く) | Comments(0)
2014年 09月 24日

四十七、強信の日妙、山海を渡る

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                      (日蓮大聖人御一代記より)
 日蓮は佐渡の一の(さわ)入道の屋敷に転居を許された。
 塚原の三昧堂とはうってかわった真新しい堂だった。塚原のあばら家とは見ちがえる建物である
 日蓮への幕府の処遇は、明らかに好転していた。二月騒動以降、幕府内で日蓮の処遇をめぐり、何がしかの動きがあったことが容易に推察された。日蓮は島の中を自由に往来できるようになった。また佐渡の島民とも自由に法華経の説法をすることができた。   

塚原問答以後、しだいに人々が日蓮のもとに集まりだした。彼らは自分たちから進んで日蓮をかこみ説法を聞いた。阿仏房夫妻もその中にいた。

「世間に人の恐るるものは、炎の中と(つるぎ)の影とこの身の死することです。牛馬なお命を惜しむ。いわんや人間をや。(らい)人なお命を惜しむ。いかにいわんや壮人をや。命にすぎたるもののなければこそ、これを布施として仏法を習えばかならず仏となる。身命を捨つる人、他の宝を仏法に惜しむべしや。また財宝を仏法におしまん者、まさる身命を捨つべきや。主君のために命をすてる人は少ないようだがその数は多い。男子は恥に命をすて、女人は男のために命をすてる。世間の浅きことには身命を失いながら、大事の仏法などにはすてることがない。ゆえに仏になる人もいない。

畜生の心は弱きをおどし、強きをおそれる。いまの学者らは畜生のようであります。智者の弱きをあなずり、王法の邪をおそれる。()(しん)と申すのがこれです。悪王の正法をやぶるに、邪法(じゃほう)の僧等が方人(かたうど)をなして智者を失わん時、師子王のごとくなる心をもてる者かならず仏になるべし。例せば日蓮がごとし。これはおごれるのではない。正法をおしむ心の強盛なるゆえです」

島民がぞくぞくと集まってくる。三ヶ月前には想像もできない光景である。

「先日合戦あり。日蓮は聖人ではないが法華経を説のごとく受持すれば聖人のごとし。また世間の作法かねて知ることにより、忠告したことも誤りはなかった。現在に言いのこす言葉の(たが)わざらんをもって後生の疑いをなしてはなりませぬ。日蓮はこの関東の一門の棟梁であり、日月であり鏡であり眼目である。日蓮捨てさる時、七難かならずおこるべしと、去年(こぞ)九月十二日御勘気(ごかんき)こうむりし時、大音声(おんじょう)もって呼ばわりしことはこれです。わずかに六十日、百五十日にしてこのことおこる。これはまだ華報(けほう)である。実果(じっか)の成ぜん時、いかに嘆かわしいことであろう」

武士がたずねた。

「では日蓮殿が智者ならば、なぜこのたびの王難にあわれたのですか」

「日蓮かねてより存知のことです。父母を打つ子あり阿闍(あじゃ)()王なり。仏・阿羅漢を殺し血をいだす者あり、提婆(だいば)(だっ)()これなり。大臣はこれをほめ、瞿伽(くぎゃ)()(注)らはよろこんだ。日蓮は当世にはこの御一門の父母である。仏・阿羅漢のごとし。しかるを流罪して主従ともによろこんでいる。あわれに無慚(むざん)な者たちです。邪法の僧らが自らの災いのすでにあらわれるのをなげいてはいたが、かくなるをいったんはよろこぶでしょう。のちにはかれらがなげきは日蓮が一門に劣るべからず。例せば泰衡(やすひら)(注)が弟を討ち、()(ろう)判官(ほうがん)(注)を討ちてよろこんだように。()()()()

日蓮もまた、かく責められるのも先業なきにあらず。宿業ははかりがたい。くろがねは鍛え打てばつるぎとなる。賢聖は罵詈(めり)して試みるなるべし。このたびの御勘気は日蓮に世間の(とが一分(いちぶん)ありません。ひとえに先業の重罪を今生に消して、後生の三悪道をのがれんとするものです」

日蓮の説法を聞いた佐渡の人々は不思議に思った。

なぜこの人が流罪となったのか。この日蓮という人を流罪したのは鎌倉殿のまちがいではなかったのか。結果、幕府は北条一門の内乱による二月騒動という惨劇をひきおこした。その原因はこの御坊を罪におとした報いではなかったのか。しかも日蓮は鎌倉から一千余里も離れたこの佐渡で騒動を予言したではないか。あまりにも見事に的中したので()謀反(むほん)一味だとの噂がたったほどだった。

人々は日蓮上人に畏敬の念を抱かずにはいられなかった。

こんどは千日尼がきく。阿仏房の妻である。

質問は切実だった。

「上人様、わたしたち夫婦は長年、念仏を唱えてまいりました。法華経によれば、謗法の罪は千劫たっても消えないとうかがっております。はたしてこの罪は消えることはないのでしょうか」

日蓮がよくぞ難問を問うた」とばかりに二度三度うなずいた。

「日蓮とて過去世は謗法の身であった。この世に生まれてからも念仏を唱え、悪行を積んできた。いま謗法の酔いさめてみれば、酒に酔える者が父母を打ってよろこんでいたが、酔いさめてのち嘆くようなものです。日蓮の過去世より今日までの謗法は恐ろしく深い。佐渡流罪という大難は日蓮が強く法華経の敵を責めたがゆえに、一時に集まりおきました。法華経を(まも)る功徳の力により、地獄に堕ちずして仏となることができるのです。法華経を念じ法華経の行者を護る阿仏房・千日尼夫妻の罪障は、かならず消し去ることができます

日蓮が断言するのを聞き、阿仏房夫妻は思わず手をあわせた。

こうして佐渡は法華経一色に染まった。

一国が妙法に帰依(きえ)するのを広宣流布という。理想郷の実現がせまっていた。

だがこれをうらむ者がいた。

念仏、禅の僧らが建物のかげでささやいた。

「どうする・・このままではわれらは飢え死にするぞ。すでに佐渡の国の者も大半は日蓮についた。なんとかせねば・・」

鎌倉の下町には道の両側に店がならび、人々が群をなしていた。物売りのかけ声が飛びかう。

人々が出店をのぞきこんだ。小町屋とよばれる商店は品物を店先にならべて道をせまくし、所かまわず売り買いが始まる。大都市鎌倉は二月騒動が終息し、平穏にもどろうとしていた。騒動は北条の一族同士が争う血なまぐさい事件だったが、時の流れとともに忘れさられようとしている。庶民は毎日の衣食住に精いっぱいで、権力者どうしの争いにかまっていられない。

日妙親子がこの通りを歩いていた。

母の日妙は(みの)(がさ)わらじを買った。

娘の(おと)御前が楽しそうに店をながめる。乙は子供たちの仲間にはいって遊んだ。日妙がその様子を満足げにながめ、つかの間の幸せな気分に浸っていた。

夕陽が鎌倉の市井を照らす中、笑顔の親子が家に帰ってきた。

日妙は法難のさい、信心に反対する夫と離縁した。今は娘と二人暮らしだが気丈に毎日をやりくりしていた。

その親子が玄関の戸を開けたとたん、足が止まってしまった。

見なれた草履がならんでいる。

日妙が緊張した。両親がきていたのだ。

床の間には経机があり、法華経の経巻が安置されていた。

日妙が父母にうやうやしく手をついた。

「これはこれは。前もってお知らせていただければ、おまちしておりましたものを」

父親が日妙の手にした蓑や草鞋をながめた。

「なんの支度だ。旅でもするのか」

険悪である。

日妙が虚をつかれたようにどぎまぎした。
「いえ、このたびのいくさで思い知りました。なにかあれば鎌倉をでる用意も必要と思いまして」

母親がなげいた。

「そんなことより、女一人でこれからどうするのです。子供も小さいのに」

母親が袖で頬をぬぐう。

日妙が笑顔をつくろった。

「父上様、母上様、心配はございませぬ。まだ多少のたくわえはございます。女だからとて、なんの不足もございませぬ」

なげくのは父親もおなじだった。

「そんなことだから離縁するのだ。もっと男を立てなさい。なぜ別れた」

日妙がきっぱりといった。

「父上、わたしはもう嫁にはいきませぬ。わたしのまわりは不甲斐ない男ばかりでございます。武士だ、侍だといっても、いざとなれば対面を気にして出世しか頭にない人たちです。そんな男にだれがついていきましょう」

「それがいかんのだ」

父親が机の経巻を指さした。

「こんな法華経など、まだもっているのか。日蓮など信じているから、そのような気性になるのだ。親戚はお前のことをなんといっていると思う。日蓮を先にして夫を捨てた悪妻の見本といっているのだ」

娘の(おと)前が日妙をかばった。

「おじいさま、おばあさま。そんなこわい顔で母上をいじめないでください。上人さまのどこがわるいのです。乙にはやさしいお坊様です。おじいさまやおばあさまのように、こわい人ではありませぬ」

 乙御前が日妙にだきついた。

母親がうろたえた。

父親がおちついていった。

「とにかくお前が法華経をたもっているかぎり、財産を分け与えるわけにはいかぬ。お前がどうしても強情をはるならば、親子の縁を絶つまでじゃ。そうなったら幼い子供と二人で生きていかねばならぬ。心細いであろう。どうじゃ、考えなおすことはできぬのか」

沈黙がながれた。

現代とちがって父親の権威は絶大である。当時、土地などの遺産分与の権利は家父長がにぎっていたのである。いったん子に与えても「悔い返し」といって、取りもどす権利があったほどだ。

やがて日妙があきらめたようにうなずいた。

「承知しました。子が親にしたがうのはあたりまえです。これからは日蓮上人と法華経からはなれてまいります」

父母がほっとした。

乙御前がおどろいて日妙の目を見る。

母親がはじめて笑顔をみせた。

「よくぞ申してくれました。それでこそわが娘。そなたはかならず目ざめるものと信じておりました。これでまた、よい縁談もさがすことができます」

父親も表情をゆるめ、懐から銅銭をさしだした。

「これは一部である。そちにとらそう。だが今の言葉、ゆめゆめ忘れるでないぞ」

日妙が沈んだ顔で床に両手をついた。

父母がさわやかに家をでて、親子がのこった。

乙御前が顔をくもらせた。

「お母様」

日妙はやがて笑顔にもどった。乙御前も表情をゆるめる。

母が娘に片目をつぶった。

「ああでもしなかったら帰らないでしょ」

「では・・」

日妙が蓑や草鞋を目の前においた。

「信心はすてませぬ。さあ行きますよ。覚悟はよいですか」

乙御前が目を輝かせた。

「では、わたしもいっしょに」
 日妙がうなずくと同時に乙御前が抱きついた。

翌朝、陽が鎌倉の山あいからのぞきはじめた。

日妙親子が佐渡へ旅立とうとしていた。

見送るのは四条金吾夫妻、土木常忍、太田乗明ら同心の徒である。

日妙親子の笑顔がすがすがしい。

彼女は佐渡行きを決意した。日蓮にどうしても会いにいかねばならない。日妙は日蓮に再会することで、今の自分の悩みが一気に解決できると信じた。

女の身で不安はある。しかも子連れだ。だが日蓮に会いたいという一心が勝った。先に見参した四条金吾には道中の心得や佐渡の様子などを根ほり葉ほり聞いた。日妙はこんどは自分が佐渡に行く番だと決めていた。

太田たちが心配した。鎌倉の騒動が終わったとはいえ、まだ三ケ月しかたっていない。

「大丈夫なのか、女の身で、しかも子まで連れて佐渡に渡るとは危険だ。やめたほうがよい」

四条金吾が大田をおさえた。

「まて。日妙殿の決心はかたいのだ」

金吾がきびしいまなざしで日妙をみつめる。

「どうかご無事で」

日妙が出発のあいさつをした。

「では行ってまいります」

見送る者たちが日妙親子の背中に手をあわせた。金吾の妻、日眼女が袂で涙をふいた。


日妙親子は出発した。

道中は馬に乗り、馬の便のないときは徒歩だった。

当時、鎌倉から佐渡へは十三日の道のりである。母娘二人ではどうだったか。いずれにしても大旅行である。

この道のりは、日蓮がたどった行程でもある。まず鎌倉から相模の国を出て武蔵に入る。広大な関東平野を北上し久米川、児玉をすぎて上野国高崎につく。高崎から西に向かい標高千メートルの碓氷峠を越えて信濃にはいる。宿場は追分、今の軽井沢である。ここからさらに北上し越後にはいる。そして日本海にたどりつく。さらに海沿いを北上し柏崎をとおり寺泊に到着。ここで船にのり佐渡へわたる。だが順風をまたねばならない。「海は荒海」とあるとおり、現代でも欠航があいつぐ波濤だった

日妙親子がはるかな関東平野を歩いていく。頭に笠、肩に荷袋、足に脚絆。その姿が長旅であることをあらわしていた。

はるか後方から騎馬が駆けてきた。武士の馬は日妙の前でとまった。役人のようである。

「そなたら、どこへいく」

日妙が慎重にこたえた。

「おそれいります。信濃まで足をはこびたいと思いまして」

「ほう、それは遠いの。鎌倉で合戦があったばかりだ。なにかと物騒でな。そなたら見たところあまりに不用心じゃ。引きかえす気はないか」

日妙が首をふった。

「信濃に身内がおります。はやり病でどうしても行かねばなりませぬ」

「それはしかたないのう。それでは気をつけられよ」

騎馬が去っていった。

母娘がふたたび進む。

乙御前が不思議そうにきいた。

「お母様、どうしてうそをつくのでございます。わたしたちは佐渡へ行くのでございましょう。身内ではなくて、上人様にお会いするのでございましょう」

 日妙の目がやさしい。

「上人は無実の罪であの島にいるのです。でもおもてむきは罪人。本当のことをいうわけにはいきません」

「お母様、どうして上人様のところにいくのですか」

 日妙が北の空を見つめた。

「あのかたはわたしがお会いした人の中で、なにより尊いのです。あのかたの教えはいまもこの胸に染みついています。上人のすばらしさは、わたしだけが知っています。思えば今まで、むなしい毎日でした。母はこれからあの喜びをとりかえしにいきます。一刻も早く会いにいきたいのです」

 母子が果てしない荒野を行く。

 

 日妙は百姓家に立ちよった。小銭とひきかえに麦飯を買う。

雨が静かにふりはじめた。

その夜、二人は寺の小堂で泊まった。

日妙は乙御前が眠っているそばで空を見あげた。雨がふっては思うようにすすまない。

日妙が袋の中の小銭をかぞえた。路銭が少なくなってきた。もともと無謀な旅であるとはわかっていたが、早くも困難がまちうけた。

くわえて二月騒動のせいだろうか。人々は道を行くにも、泊まる宿でもよそよそしかった。聞いても答える者は少なく、宿を借りようとしても断られることがつづいた。

(ひょう)(かく)の災いは津々浦々におよんでいるようだった。


        四十八、日蓮、始めて佐渡で本尊を図現する につづく


中巻目次

              

        

 瞿伽(くぎゃ)()

 瞿伽(くぎゃ)()尊者ともいう。悪時者・牛守と訳す。釈迦族の出身。提婆達多を師匠とし舎利弗・目連を誹謗して生きながら地獄に()ちた。また死んで大蓮華地獄へ堕ちたといわれる。
  泰衡

 藤原泰衡の事。久承二年(一一五五)~文治五年(一一八九)。鎌倉初期の陸奥の豪族。秀衡(ひでひら)の子。父の遺言によって源義経をかくまっていたが、頼朝の圧迫に耐えられず、ついに衣川(ころもがわ)の館で義経を攻め滅ぼした。しかしまもなく自らも頼朝に攻められ、逃走中、部下に殺されて奥州藤原氏の最後となった。

 九郎判官

源義経のこと。平治元年(一一五九)~文治五年(一一八九)(よし)(とも)の子。幼名を牛若・九郎といった。平治の乱で母・常盤(ときわ)とともに平氏に捕らえられたが、幼いため許されて鞍馬寺(くらまでら)へ入れられた。後にここを脱出して陸奥(むつ)藤原(ふじわら)秀衡(ひでひら)の客分となる。治承四年(一一八○)兄・源頼朝の挙兵に応じ、近江で源義仲(よしなか)を討ち、次いで平氏を一の谷・屋島・壇の浦に攻め、全滅させた。しかしのちに頼朝と不仲となり、ついに頼朝の追討を受けて諸国に逃れ、再び陸奥の秀衡に保護を求めた。秀衡の死後、頼朝の圧迫に耐えきれなくなった泰衡(やすひら)に背かれ、衣川で自害した。






by johsei1129 | 2014-09-24 14:27 | 小説 日蓮の生涯 中 | Comments(0)
2014年 09月 23日

法華経を捨てて天台の止観を正とするの輩は大謗法・大邪見・天魔の所為なる、と断じた書【立正観抄】五

【立正観抄 本文] その五

 問う、天台大師真実に此の一言の妙法を証得したまわざるや。答う、内証爾らざるなり。外用に於ては之を弘通したまわざるなり。所謂内証の辺をば祕して、外用には三観と号して、一念三千の法門を示現し給うなり。問う、何が故ぞ知り乍ら弘通し給わざるや。答う時至らざるが故に、付属に非ざるが故に、迹化なるが故なり。問う、天台此の一言の妙法を証得し給える証拠之有りや。答う、此の事天台一家の祕事なり。世に流布せる学者之を知らず。潅頂 玄旨の血脈とて天台大師自筆の血脈一紙之有り。天台御入滅の後は石塔の中に之有り。伝教大師御入唐の時八舌の鑰を以て之を開き、道邃和尚より伝受し給う血脈とは是なり。此の書に云く「一言の妙旨・一教の玄義」文。伝教大師の血脈に云く「夫れ一言の妙法とは、両眼を開いて五塵の境を見る時は随縁真如なるべし。両眼を閉じて無念に住する時は不変真如なるべし。故に此の一言を聞くに万法ここに達し、一代の修多羅一言に含す」文。此の両大師の血脈の如くならば、天台大師の血脈相承の最要の法は妙法の一言なり。一心三観とは所詮妙法を成就せん為の修行の方法なり。三観は因の義、妙法は果の義なり。但因の処に果有り、果の処に因有り、因果倶時の妙法を観ずるが故に是くの如き功能を得るなり。爰に知んぬ、天台至極の法門は法華本迹未分の処に無念の止観を立てて、最祕の上法とすと云える邪義大なる僻見なりと云う事を。四依弘経の大薩たは既に仏経に依つて諸論を造る。天台何ぞ仏説に背いて無念の止観を立てたまわんや。若し此の止観・法華経に依らずといわば、天台の止観・教外別伝の達磨の天魔の邪法に同ぜん。都て然る可からず。哀れなり哀れなり。

 伝教大師云く「国主の制に非ざれば以て遵行する無く、法王の教に非ざれば以て信受すること無し」と文。又云く「四依、論を造るに権有り実有り。三乗の旨を述ぶるに三有り一有り。所以に天台智者は三乗の旨に順じて四教の階を定め、一実の道に依つて一仏乗を建つ。六度に別有り、戒度何ぞ同じからん、受法同じからず、威儀豈同じからんや。是の故に天台の伝法は深く四依に依り亦仏経に順う」文。本朝の天台宗の法門は伝教大師より之を始む。若し天台の止観、法華経に依らずと云わば日本に於ては伝教の高祖に背き、漢土に於ては天台に背く。両大師の伝法既に法華経に依る、豈其の末学之に違せんや。違するを以て知んぬ、当世の天台家の人人、其の名を天台山に借ると雖も所学の法門は達磨の僻見と善無畏の妄語とに依ると云う事。天台・伝教の解釈の如くんば、己心中の秘法は但妙法の一言に限るなり。然而、当世の天台宗の学者は天台の石塔の血脈を秘し失う故に、天台の血脈相承の秘法を習い失いて、我と一心三観の血脈とて我意に任せて書を造り、錦の袋に入れて頚に懸け、箱の底に埋めて高直に売る故に、邪義国中に流布して天台の仏法破失するなり。天台の本意を失い、釈尊の妙法を下す。是れ偏えに達磨の教訓、善無畏の勧なり。故に止観をも知らず、一心三観・一心三諦をも知らず、一念三千の観をも知らず、本迹二門をも知らず、相待・絶待の二妙をも知らず、法華の妙観をも知らず、教相をも知らず、権実をも知らず、四教・八教をも知らず、五時五味の施化をも知らず、教・機・時・国・相応の義は申すに及ばず、実教にも似ず、権教にも似ざるなり。道理なり道理なり。天台・伝教の所伝は法華経は禅・真言より劣れりと習う故に、達磨の邪義、真言の妄語と打ち成つて権教にも似ず、実教にも似ず、二途に摂せざるなり。故に大謗法罪顕れて止観は法華経に勝ると云う邪義を申し出して、過無き天台に失を懸けたてまつる。故に、高祖に背く不孝の者、法華経に背く大謗法罪の者と成るなり。

【立正観抄 本文] その六に続く


by johsei1129 | 2014-09-23 19:20 | 重要法門(十大部除く) | Comments(0)
2014年 09月 22日

法華経を捨てて天台の止観を正とするの輩は大謗法・大邪見・天魔の所為なる、と断じた書【立正観抄】四

【立正観抄 本文] その四

 今問う、天台の本意は何法ぞや。碩学等の云く「一心三観是なり」。今云く、一実円満の一心三観とは誠に甚深なるに似たれども、尚以て行者修行の方法なり。三観とは因の義なるが故なり。慈覚大師の釈に云く「三観とは法体を得せしめんが為の修観なり」云云。伝教大師云く「今止観修行とは法華の妙果を成ぜんが為なり」云云。故に知んぬ、一心三観とは果地・果徳の法門を成ぜんが為の能観の心なることを。何に況や、三観とは言説に出でたる法なる故に、如来の果地・果徳の妙法に対すれば可思議の三観なり。

 問う、一心三観に勝れたる法とは何なる法ぞや。答う、此の事誠に一大事の法門なり。唯仏与仏の境界なるが故に、我等が言説に出す可からざるが故に、是を申す可らざるなり。是を以て経文には「我が法は妙にして思い難し言を以て宣ぶ可からず」云云。妙覚果満の仏すら、尚、不可説・不思議の法と説き給う。何に況や等覚の菩薩、已下乃至凡夫をや。問う、名字を聞かずんば何を以て勝法有りと知ることを得んや。答う、天台己証の法とは是なり。当世の学者は血脈相承を習い失う故に之を知らざるなり。故に相構え相構えて秘す可く秘す可き法門なり。然りと雖も汝が志神妙なれば其の名を出すなり。一言の法是なり。伝教大師の「一心三観一言に伝う」と書き給う是なり。問う、未だ其の法体を聞かず如何。答う、所詮一言とは妙法是なり。問う、何を以て知ることを得ん、妙法は一心三観に勝れたりと云う事を。答う、妙法は所詮の功徳なり。三観は行者の観門なる故なり。此の妙法を仏説いて言く「道場所得法、我法妙難思、是法非思量、不可以言宣」云云。天台の云く「妙は不可思議・言語道断・心行所滅なり。法は十界十如・因果不二の法なり」と。三諦と云うも三観と云うも三千と云うも共に不思議法と云うも、天台の己証は天台の御思慮の及ぶ所の法門なり。此の妙法は諸仏の師なり。今の経文の如くならば、久遠実成の妙覚極果の仏の境界にして、爾前迹門の教主・諸仏菩薩の境界に非ず。経に「仏与仏・乃能究尽」とは、迹門の界如三千の法門をば迹門の仏が当分究竟の辺を説けるなり。本地難思の境智の妙法は、迹仏等の思慮に及ばず、何に況や菩薩凡夫をや。止観の二字をば「観名仏知・止名仏見」と釈するも、迹門の仏智・仏見にして妙覚極果の知見には非ざるなり。其の故は止観は天台己証の界如三千・三諦三観を正と為す、迹門の正意是なり。故に知んぬ、迹仏の知見なりと云う事を。但止観に絶待不思議の妙観を明かすと云えども、只一念三千の妙観に且らく与えて絶待不思議と名くるなり。

【立正観抄 本文] その五に続く。


by johsei1129 | 2014-09-22 20:51 | 重要法門(十大部除く) | Comments(0)
2014年 09月 21日

法華経を捨てて天台の止観を正とするの輩は大謗法・大邪見・天魔の所為なる、と断じた書【立正観抄】三

【立正観抄 本文] その三

 次に観心の釈の時本迹を捨つと云う難は、法華経何れの文・人師の釈を本と為して仏教を捨てよと見えたるや。設い天台の釈なりとも釈尊の金言に背き法華経に背かば全く之を用ゆ可からざるなり。依法不依人の故に竜樹・天台・伝教元よりの御約束なるが故なり。其上天台の釈の意は迹の大教起れば爾前の大教亡じ本の大教興れば迹の大教亡じ観心の大教興れば本の大教亡ずと釈するは、本体の本法をば妙法不思議の一法に取り定めての上に修行を立つるの時、今像法の修行は観心修行を詮と為るに迹を尋ぬれば迹広し本を尋ぬれば本高うして極む可からず、故に末学機に叶い難し。但己心の妙法を観ぜよと云う釈なり。然りと雖も妙法を捨てよとは釈せざるなり。若し妙法を捨てば何物を己心と為して観ず可きや。如意宝珠を捨て瓦石を取つて宝と為す可きか。
 悲しいかな当世天台宗の学者は念仏・真言・禅宗・等に同意するが故に、天台の教釈を習い失つて法華経に背き大謗法の罪を得るなり。 
 若し止観を法華経に勝ると云わば種種の過之有り。止観は天台の道場所得の己証なり、法華経は釈尊の道場所得の大法なり是一釈尊は妙覚果満の仏なり、天台は住前未証なれば名字・観行・相似には過ぐ可からず四十二重の劣なり是二法華は釈尊乃至諸仏出世の本懐なり、止観は天台出世の己証なり是三法華経は多宝の証明あり、来集の分身は広長舌を大梵天に付く皆是真実の大白法なり是四。止観は天台の説法なり。是くの如き等の種種の相違之有れども、仍お之を略するなり。

 又一つの問答に云く所被の機・上機なる故に勝ると云わば実を捨てて権を取れ天台云く「教弥弥権なれば位弥弥高し」と釈し給う故なり。所被の機下劣なる故に劣ると云わば権を捨てて実を取れ、天台の釈には教弥弥実なれば位弥弥下しと云う故なり。然而して止観は上機の為に之を説き法華は下機の為に之を説くと云わば、止観は法華に劣れる故に機を高く説くと聞えたり。実にさもや有るらん。天台大師は霊山の聴衆として如来出世の本懐を宣べたもうと雖も、時至らざるが故に妙法の名字を替えて止観と号す。迹化の衆なるが故に本化の付属を弘め給わず。正直の妙法を止観と説きまぎらかす故に、有のままの妙法ならざれば帯権の法に似たり。故に知んぬ天台弘通の所化の機は在世帯権の円機の如し。本化弘通の所化の機は法華本門の直機なり。止観・法華は全く体同と云わん。尚人師の釈を以て仏説に同ずる失、甚重なり。何に況や止観は法華経に勝ると云う邪義を申し出すは。但是れ本化の弘経と迹化の弘通と、像法と末法と迹門の付属と本門の付属とを、末法の行者に云い顕わさせん為の仏天の御計いなり。爰に知んぬ当世天台宗の中に此の義を云う人は、祖師天台の為には不知恩の人なり。豈其の過を免れんや。夫れ天台大師は昔霊山に在ては薬王と名け、今漢土に在ては天台と名け、日本国の中にては伝教と名く。三世の弘通倶に妙法と名く。是くの如く法華経を弘通し給う人は、在世の釈尊より外は三国に其の名を聞かず。有り難く御坐します大師を、其の末学、其の教釈を悪く習うて失無き天台に失を懸けたてまつる。豈大罪に非ずや。


【立正観抄 本文] その四に続く


by johsei1129 | 2014-09-21 21:41 | 重要法門(十大部除く) | Comments(0)
2014年 09月 20日

法華経を捨てて天台の止観を正とするの輩は大謗法・大邪見・天魔の所為なる、と断じた書【立正観抄】二

【立正観抄 本文] その二


 問う、天台大師・止観一部並びに一念三千・一心三観・己心証得の妙観は、併しながら法華経に依ると云う証拠如何。答う、予反詰して云く、法華経に依らずと見えたる証文如何。人之を出して云く「此の止観は天台智者・己心中所行の法門を説くなりと」。或は又「故に止観に至つて正く観法を明かす、並に三千を以て指南と為す。乃ち是れ終窮究竟の極説なり。故に序の中に説己心中所行法門と云えり。良に以有るなり」。難じて云く、此の文は全く法華経に依らずと云う文に非ず。既に説己心中所行の法門と云うが故なり。天台の所行の法門は法華経なるが故に、此の意は法華経に依ると見えたる証文なり云々。但し他宗に対するの時は問答大綱を存す可きなり。所謂云う可し、若し天台の止観、法華経に依らずといわば速かに捨つ可きなりと。

其の故は天台大師兼ねて約束して云く「修多羅と合せば録して之を用いよ。文無く義無きは信受す可からず云云、伝教大師の秀句下に云く「仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ」云々。竜樹の大論に云く「修多羅に依るは白論なり修多羅に依らざるは黒論なり」文。教主釈尊云く「法に依って人に依らざれ」文。天台は法華経に依り竜樹を高祖にしながら経文に違し、我が言を飜じて外道邪見の法に依つて止観一部を釈する事全く有る可からざるなり。問う、正しく止観は法華経に依ると見えたる文之有りや。答う、余りに多きが故に少少之を出さん。止観に云く「漸と不定とは置いて論ぜず。今経に依つて更に円頓を明かさん」云々。弘決に云く「法華経の旨を攅て不思議・十乗・十境・待絶滅絶・寂照の行を成ず」文。止観大意に云く「今家の教門は竜樹を以て始祖と為す。慧文は但内観を列ぬるのみ。南岳天台に及んで復法華三昧に因って陀羅尼を発し、義門を開拓して観法周備す。若し法華を釈するには弥弥須く権実本迹を暁了して方に行を立つ可し。

此の経独り妙と称することを得。方に此に依つて以て観意を立つ可し。五方便及び十乗軌行と言うは即ち円頓止観全く法華に依る。円頓止観は即ち法華三昧の異名なるのみ」云々。文句の記に云く「観と経と合すれば他の宝を数うるに非ず。方に知んぬ、止観一部は是れ法華三昧の筌ていなり。若し斯の意を得れば方に経旨に会う」云云。

唐土の人師行満の釈せる学天台宗法門大意に云く「摩訶止観一部の大意は法華三昧の異名を出でず。経に依つて観を修す」うん。此等の文証分明なり、誰か之を論ぜん。問う、天台四種の釈を作るの時、観心の釈に至つて本迹の釈を捨つと見えたり。又法華経は漸機の為に之を説き、止観は直達の機の為に之を説くと如何。答う、漸機の為にくは劣り頓機の為に説くは勝るとならば、今の天台宗の意は華厳・真言等の経は法華経に勝れたりと云う可きや。今の天台宗の浅ましさは真言は事理倶密の教なる故に法華経に勝れたりと謂えり。故に止観は法華に勝ると云えるも道理なり道理なり。

【立正観抄 本文] その三に続く


by johsei1129 | 2014-09-20 19:50 | 重要法門(十大部除く) | Comments(0)