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2014年 08月 31日

日興上人が、先師日蓮大聖人門下が厳守すべきと記した二十六ヶ条の遺言【日興遺誡置文】その一

【日興遺誡置文(にっこうゆいかいおきぶみ)】
■出筆時期:元弘三年一月十三日(西暦1333年) 
■出筆場所:富士 重須談所にて
■出筆の経緯:日興上人が元弘三年二月七日、八十八歳で遷化される直前の元弘三年一月十三日、末法の本仏日蓮大聖人の門下が厳守すべき事項として二十六ヵ条の遺言としてしたためた。
■ご真筆: 存在しない。時代写本:日時筆(大石寺蔵)、保田妙本寺 日我筆

[日興遺誡置文 本文]その一

夫れ以みれば末法弘通の恵日は、極悪謗法の闇を照し、久遠寿量の妙風は伽耶始成の権門を吹き払う。於戲仏法に値うこと希にして、喩を曇華の蕚に仮り類を浮木の穴に比せん。尚以て足らざる者か。爰に我等宿縁深厚なるに依つて幸に此の経に遇い奉ることを得、随つて後学の為に条目を筆端に染むる事、偏に広宣流布の金言を仰がんが為なり。

一、富士の立義聊も先師の御弘通に違せざる事。
一、五人の立義一一に先師の御弘通に違する事。
※注 五人:日昭、日朗、日向、日頂、日持の五老僧

一、御書何れも偽書に擬し当門流を毀謗せん者之有る可し、若し加様の悪侶出来せば親近す可からざる事。
※注:五老僧は先師日蓮が新たに建立した法門(御書)はないとし、書き記した手紙は在家の信徒の為に仮名字を以て仏法の因縁を記したにすぎないとし、大聖人の御書を偽書として日興上人が御書を講義するのを毀謗。また御書を紙にすきかえしたり、焼却するという愚挙に及んだという。

「富士一跡門徒存知事」を参照


[日興遺誡置文 本文]その二に続く

by johsei1129 | 2014-08-31 23:34 | 日興上人 | Comments(0)
2014年 08月 30日

先師日蓮は末法の本仏であるとし、天台沙門を唱える五老僧の浅智を厳然と破折した書「五人所破抄」三

[五人所破抄 本文]その三

一、 又五人一同に云く、先師所持の釈尊は忝くも弘長配流の昔之を刻み、弘安帰寂の日も随身せり、何ぞ輙く言うに及ばんや云云。
日興が云く、諸仏の荘厳同じと雖も印契に依つて異を弁ず。如来の本迹は測り難し眷属を以て之を知る。所以に小乗三蔵の教主は迦葉・阿難を脇士と為し、伽耶始成の迹仏は普賢文殊左右に在り、此の外の一躰の形像豈頭陀の応身に非ずや。凡そ円頓の学者は広く大綱を存して網目を事とせず、倩聖人出世の本懐を尋ぬれば、源と権実已過の化導を改め、上行所伝の乗戒を弘めんが為なり。図する所の本尊は亦正像二千の間・一閻浮提の内未曾有の大漫荼羅なり。今に当つては迹化の教主既に益無し、況やたた婆和の拙仏をや。次に随身所持の俗難は只是れ継子一旦の寵愛、月を待つ片時の螢光か。執する者尚強いて帰依を致さんと欲せば、須らく四菩薩を加うべし、敢て一仏を用ゆること勿れ云云。

一、 又五人一同に云く、富士の立義の体為らく啻に法門の異類に擬するのみに匪ず。剰え神無の別途を構う、既に以て道を失う誰人か之を信ぜんや。
 日興が云く、我が朝は是れ神明和光の塵・仏陀利生の境なり。然りと雖も今末法に入つて二百余年・御帰依の法は爾前迹門なり、誹謗の国を棄捨するの条は経論の明文にして先師の勘うる所なり。何ぞ善神・聖人の誓願に背き新に悪鬼乱入の社壇に詣でんや。但し本門流宣の代、垂迹還住の時は尤も上下を撰んで鎮守を定む可し云云。

一、 又五人一同に云く、如法・一日の両経は共に以て法華の真文なり。書写・読誦に於ても相違有るべからず云云。
 日興が云く、如法・一日の両経は法華の真文為りと雖も、正像転時の往古、平等摂受の修行なり。今末法の代を迎えて折伏の相を論ずれば一部読誦を専とせず。但五字の題目を唱え、三類の強敵を受くと雖も諸師の邪義を責む可き者か。此れ則ち勧持不軽の明文、上行弘通の現証なり。何ぞ必ずしも折伏の時摂受の行を修すべけんや。但し四悉の廃立二門の取捨宜く時機を守るべし、敢て偏執すること勿れ云云。

一、 又五人の立義既に二途に分れ戒門に於て持破を論ず云云。
 日興が云く、夫れ波羅提木叉の用否・行住四威儀の所作、平嶮の時機に随い持破に凡聖有り。爾前迹門の尸羅を論ずれば一向に制禁す可し。法華本門の大戒に於ては何ぞ又依用せざらんや。 但し本門の戒躰・委細の経釈・面を以て決すべし云云。

一、 身延の群徒猥に疑難して云く、富士の重科は専ら当所の離散に有り。縦い地頭非例を致すとも先師の遺跡を忍ぶべきに、既に御墓に参詣せず、争か向背の過罪を遁れんや云云。
  日興が云く、此の段顛倒の至極なり、言語に及ばずと雖も未聞の族に仰せて毒鼓の縁を結ばん。夫れ身延興隆の元由は聖人御座の尊貴に依り、地頭発心の根源は日興教化の力用に非ずや。然るを今下種結縁の最初を忘れて劣謂勝見の僻案を起し、師弟有無の新義を構え理非顕然の諍論を致す。誠に是れ葉を取つて其の根を乾かし、流を酌んで未だ源を知らざる故か。何に況や慈覚・智証は即伝教入室の付弟、叡山住持の祖匠なり。若宮八幡は亦百王鎮護の大神、日域朝廷の本主なり。然りと雖も明神は仏前に於て謗国捨離の願を立て、先聖は慈覚を指して本師違背の仁と称す。若し御廟を守るを正と為さば円仁所破の段頗る高祖の誤謬なり。非例を致して過無くんば、其の国棄捨の誓い都べて垂迹の不覚か。料り知んぬ悪鬼外道の災を作し、宗廟社稷の処を辞す、善神聖人の居は即ち正直正法の頂なり。抑身延一沢の余流未だ法水の清濁を分たず、強いて御廟の参否を論ぜば汝等将に砕身の舎利を信ぜんとす。何ぞ法華の持者と号せんや、迷暗尤も甚し。之に准じて知る可し。伝え聞く天台大師に三千余の弟子有り。章安朗然として独り之を達す。伝教大師は三千侶の衆徒を安く、義真以後は其れ無きが如し。今日蓮聖人は万年救護の為に六人の上首を定む、然りと雖も法門既に二途に分れ門徒亦一准ならず。宿習の至り正師に遇うと雖も伝持の人自他弁じ難し。「能く是の法を聴く者此の人亦復難し」と。「此の言若し堕ちなば将来悲む可し」と。経文と解釈と宛かも符契の如し。迹化の悲歎猶此くの如し。本門の墜堕寧ろ愁えざらんや。案立若し先師に違わば一身の短慮尤も恐れ有り、言う所亦仏意に叶わば五人の謬義甚だ憂う可し。取捨正見に任す、思惟して宜しく解すべし云云。

 此の外支流異義を構え諂曲稍数多なり。其の中に天目の云く、已前の六人の談は皆以て嘲哢すべきの義なり。但し富山宜しと雖も亦過失有り。迹門を破し乍ら方便品を読むこと既に自語相違せり、信受すべきに足らず。若し所破の為と云わば弥陀経をも誦すべけんや云云。
 日興が云く、聖人の炳誡の如くんば沙汰の限りに非ずと雖も、慢幢を倒さんが為に粗一端を示さん。先ず本迹の相違は汝慥に自発するや。去ぬる比天目当所に来つて問答を遂ぐるの刻み、日興が立義一々証伏し畢んぬ。若し正見を存せば尤も帰敬を成すべきの処に還つて、方便読誦の難を致す。誠に是れ無慚無愧の甚しきなり。夫れ狂言綺語の歌仙を取つて自作に備うる卿相すら尚短才の耻辱と為す、況や終窮究竟の本門を盗み己が徳と称する逆人争か無間の大苦を免れんや。照覧冥に在り、慎まずんばあるべからず。
次に方便品の疑難に至つては汝未だ法門の立破を弁ぜず、恣に祖師の添加を蔑如す。重科一に非ず罪業上の如し。若し知らんと欲せば以前の如く富山に詣で、尤も習学の為宮仕を致す可きなり。抑彼等が為に教訓するに非ず、正見に任せて二義を立つ。一には所破の為、二には文証を借るなり。初に所破の為とは純一無雑の序分には且く権乗の得果を挙げ、廃迹顕本の寿量には猶伽耶の近情を明す。此れを以て之を思うに方便称読の元意は只是れ牒破の一段なり。若し所破の為と云わば念仏をも申す可きか等の愚難は誠に四重の興廃に迷い、未だ三時の弘経を知らず重畳の狂難嗚呼の至極なり。夫れ諸宗破失の基は天台伝教の助言にして全く先聖の正意に非ず、何ぞ所破の為に読まざるべけんや。経釈の明鏡既に日月の如し、天目の暗者邪雲に覆わるる故なり。次に迹の文証を借りて本の実相を顕すなり。此等の深義は聖人の高意にして浅智の覃ぶ所に非ず、正機には将に之を伝へんとす云云。

嘉暦三戊辰年七月草案す 日 順

[五人所破抄 本文] 完。

by johsei1129 | 2014-08-30 23:16 | 日興上人 | Comments(0)
2014年 08月 30日

先師日蓮は末法の本仏であるとし、天台沙門を唱える五老僧の浅智を厳然と破折した書「五人所破抄」二

[五人所破抄 本文]その二

 又五人一同に云く、凡そ倭漢両朝の章疏を披いて本迹二門の元意を探るに、判教は玄文に尽き、弘通は残る所無し、何ぞ天台一宗の外に胸臆の異義を構えんや。拙いかな尊高の台嶺を褊して辺鄙の富山を崇み、明静の止観を閣いて仮字の消息を執す。誠に是れ愚癡を一身に招き耻辱を先師に及ぼす者なり、僻案の至りなり。甚だ以て然るべからず。若し聖人の製作と号し後代に伝えんと欲せば、宜く卑賤の倭言を改め漢字を用ゆべし云云。

 日興が云く、夫れ竜樹・天親は即ち四依の大士、円頓一実の中道を申ぶと雖も、而も権を以て面と為し実を隠して裏に用ゆ。天台伝教は亦五品の行位にして専ら本迹二門の不同を分ち、而も迹を弘め衆を救い本を残して末に譲りたまふ。内鑒は然りと雖も外は時宜に適うかの故に、或は知らざるの相を示し、或は知つて而も未だ闡揚せず。然るに今本迹両経共に天台の弘通と称するの条、経文に違背し解釈は拠を失う。所以は宝塔三箇の鳳詔に驚き勧持二万の勅答を挙げて、此土の弘経を申ぶと雖も迹化の菩薩に許さず。過八恒沙の競望を止めて不須汝等護持此経と示し、地涌千界の菩薩を召して如来一切所有の法を授く。迹化他方の極位すら尚劫数の塵点に暗し、止善男子の金言に豈幽微の実本を許さんや。本門五字の肝要は上行菩薩の付嘱なり。誰か胸臆なりと称せんや委細文の如し経を開いて見るべし。

 次に天台大師経文を消したまふに、「如来之を止むるに凡そ三義有り、汝等各各自ら己が住有り、若し此の土に住すれば彼の利益を廃せん。又他方は此土に結縁の事浅し、宣授せんと欲すと雖も必ず巨益無からん。又若し之を許さば則ち下を召すことを得ず、下若し来らずんば迹も破することを得ず。遠も顕すことを得ず。是を三義と為す。如来之を止めて下方を召して来らしむるに亦三義有り。是れ我が弟子応に我が法を弘むべし。縁深厚なるを以て能く此土に遍して益し、分身の土に遍して益し、他方の土に遍して益し、又開近顕遠することを得。是の故に彼を止めて下を召すなり」文。又云く「爾時仏告上行の下、是れ第三に結要付嘱」と云云。伝教大師は本門を慕いて「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り、法華一乗の機今正しく是れ其の時なり」文。又云く「代を語れば則ち像の終り末の初め地を原ぬれば則ち唐の東、羯の西、人を尋ぬれば則ち五濁の生、闘諍の時、経に云く猶多怨嫉況滅度後と、此の言良に以有るなり」云云。 加之記の八に大論を引いて云はく「法華は是れ秘密なれば諸の菩薩に付す」と。今の下文に下方を召すが如く尚本眷属を待つ、験けし余は未だ堪へざることを。輔正記に云く「付嘱を明せば、此の経をば唯下方涌出の菩薩に付す、何を以ての故に爾る、法是れ久成の法なるに由るが故に、久成の人に付す」と。論釈一に非ず繁を恐れて之を略す。  観音・薬王は既に迹化に居す、南岳・天台誰人の後身ぞや。正像過ぎて二千年、未だ上行の出現を聞かず。末法も亦二百余廻なれば本門流布の時節なり、何ぞ一部の総釈を以て猥に三時の弘経を難ぜんや。

 次に日本は惣名なり、亦本朝を扶桑国と云う。富士とは郡の号、即ち大日蓮華山と称す。爰に知んぬ、先師自然の名号と妙法蓮華の経題と山州共に相応す。弘通此の地に在りなり。遠く異朝の天台山を訪えば台星の所居なり大師彼の深洞を卜して迹門を建立す。近く我が国の大日山を尋ぬれば日天の能住なり、聖人此の高峰を撰んで本門を弘めんと欲す。閻浮第一の富山なればなり。五人争でか辺鄙と下さんや。
 
 次に上行菩薩は本極法身・微妙深遠にして寂光に居すと雖も、未了の者の為に事を以て理を顕す。地より涌出したまいて以来付を本門に承け、時を末法に待ち生を我朝に降し訓を仮字に示す。祖師の鑒機失無くんば、遺弟の改転定めて恐れ有らんか。此等の所勘に依つて浅智の仰信を致すのみ。抑梵漢の両字と扶桑の一点とは時に依り機に随つて互に優劣無しと雖も、倩上聖被下の善巧を思うに殆んど天竺震旦の方便に超えたり。何ぞ倭国の風俗を蔑如して必ずしも漢家の水露を崇重せん。但し西天の仏法東漸の時、既に梵音を飜じて倭漢に伝うるが如く、本朝の聖語も広宣の日は亦仮字を訳して梵震に通ず可し。遠沾の飜訳は諍論に及ばず。雅意の改変は独り悲哀を懐く者なり。


[五人所破抄 本文]その三に続く

by johsei1129 | 2014-08-30 01:03 | 日興上人 | Comments(0)
2014年 08月 28日

先師日蓮は末法の本仏であるとし、天台沙門を唱える五老僧の浅智を厳然と破折した書「五人所破抄」一

【五人所破抄(ごにんしょはしょう)】
■出筆時期:嘉歴3年7月(西暦1328年)日興上人の命により、重須談所の二代目学頭職・日順が日興上人の命を受け草案を出筆、日興上人が裁可し完成した。
■出筆場所:富士 重須談所にて
■出筆の経緯:大聖人より総貫首として付属を受けた日興上人は、大聖人滅後「先師日蓮は法華の行者と為て専ら仏果の直道を顕し天台の余流」とし、自らを天台沙門と名乗る日昭、日朗、日向、日頂、日持の五老僧五老僧の浅智を破折、日蓮大聖人は末法の本仏であるとする日興門下の立義を明らかにするため重須談所の学頭職に任じた日順に本書の出筆を命じ裁可した。
■ご真筆: 存在しない。時代写本:日代書写(北山本門寺蔵)、日時書写(大石寺蔵)

[五人所破抄 本文]その一

夫(それ)以(おもんみ)れば諸仏懸遠の難きことは譬を曇華に仮り、妙法値遇の縁は比を浮木に類す。塵数三五の施化に猶漏れて、正像二千の弘経も稍過ぎ已んぬ。闘諍堅固の今は乗戒倶に緩く人には弊悪の機のみ多し、何の依憑(たのも)しきこと有らんや。設い内外兼包の智は三祇に積み大小薫習の行は百劫を満つとも、時と機とを弁(わきま)へず本と迹とに迷倒せば其れも亦信じ難からん。 爰(ここ)に先師聖人親(まのあた)り大聖の付を受けて末法の主為りと雖も、早く無常の相を表して円寂に帰入するの刻(きざみ)、五字紹継の為に六人の遺弟を定めたまふ。
日昭・日朗・日興・日向・日頂・日持已上六人なり。

五人武家に捧ぐる状に云く未だ公家に奏せず

天台の沙門日昭謹んで言上す。 先師日蓮は忝くも法華の行者として専ら仏果の直道を顕し天台の余流を酌み地慮の研精を尽す云云。
又云く、日昭不肖の身為りと雖も、兵火永息の為副将安全の為に法華の道場を構え、長日の勤行を致し奉る、已に冥冥の志有り。豈昭昭の感無からんや詮を取る。

天台沙門日朗謹んで言上す。 先師日蓮は如来の本意に任せ、先判の権経を閣いて後判の実経を弘通せしむるに最要未だ上聞に達せず、愁欝を懐いて空しく多年の星霜を送り、玉を含みて寂に入るが如く逝去せしめ畢んぬ、然して日朗忝くも彼の一乗妙典を相伝して鎮に国家を祈り奉る詮を取る。

天台法華宗の沙門日向・日頂謹んで言上す。 桓武聖代の古風を扇ぎ伝教大師の余流を汲み、立正安国論に准じて法華一乗を崇められんことを請うの状。 右謹んで旧規を検えたるに、祖師伝教大師が延暦年中に始めて叡山に登り法華宗を弘通したもう云云。 又云く法華の道場に擬して天長地久を祈り今に断絶すること無し詮を取る。

日興公家に奏し武家に訴えて云く。
夫日蓮聖人は忝くも上行菩薩の再誕にして、本門弘経の大権なり、所謂大覚世尊未来の時機を鑒みたまい、世を三時に分ち法を四依に付して以来、正法千年の内には迦葉・阿難等の聖者先ず小を弘めて大を略し、竜樹・天親等の論師は次に小を破りて大を立つ。像法千年の間異域には則ち陳隋両主の明時に智者は十師の邪義を破る。本朝には亦桓武天皇の聖代に伝教は六宗の僻論を改む。今末法に入つては上行出世の境、本門流布の時なり。正像已に過ぎぬ何ぞ爾前迹門を以て強いて御帰依有る可けんや。就中天台・伝教は像法の時に当つて演説し日蓮聖人は末法の代を迎えて恢弘す、彼は薬王の後身此れは上行の再誕なり、経文に載する所、解釈炳焉たる者なり。
 凡そ一代教籍の濫觴は法華の中道を説かんが為なり。三国伝持の流布は盍ぞ真実の本門を先とせざらんや。若し瓦礫を貴んで珠玉を棄て、燭影を捧げて日光を哢せば、只風俗の迷妄に趁いて世尊の化導を謗ずるに似るか。華の中に優曇有り、木の中に栴檀有り、凡慮覃び難し、併ながら冥鑑に任す云云。本と迹と既に水火を隔て、時と機と亦天地の如し。何ぞ地涌の菩薩を指して苟も天台の末弟と称せんや。
次に祈国の段亦以て不審なり。所以は何ん、文永免許の古先師素意の分既に以て顕れ畢んぬ、何ぞ僣聖道門の怨敵に交り坐して鎮に天長地久の御願を祈らんや。況や三災弥起り一分も徴し無し、啻に祖師の本懐に違するのみにあらず、還つて己身の面目を失うの謂いか。

[五人所破抄 本文]その二に続く

by johsei1129 | 2014-08-28 21:53 | 日興上人 | Comments(3)
2014年 08月 28日

小説「日蓮の生涯」下48  つたなき者たち

日蓮の弟子はすべて従順だったわけではない。彼らはそれぞれ目的をもっていた。その目的とは必ずしも日蓮その人であったわけではない。

立身を夢み、名声を得ようとした者も少なくない。このような弟子たちはなんらかの形で日蓮にあやかり、自分を輝かせるよう努めた。良い意味でも悪い意味でも。

 三位房はその代表だった。

 日蓮は彼の才能を認めていた。京都に派遣して教線を拡大しようとしたほどだった。三位房は竜の口の法難では日蓮とともに殉死しようとしたといわれる。それほど強信だったが、同じくらい功名心が異常に強かった。三位房は大都会の京都で慢心し、公家を折伏して面目をほどこしたと自慢して姓名をかえることまで考えた。

日蓮は手紙でその浮かれた心中をきびしく叱責している。

  総じて日蓮が弟子は京にのぼりぬれば、始めはわすれぬやうにて後には天魔つきて物にくるう、せう(少輔)房がごとし。()御房もそれて()()になりて天のにくまれ()ほるな。『法門申さるべき様の事』

 少輔房と言う弟子がいたが、退転して日蓮に背いている。三位房もその轍を踏むなという。

安房の信徒、光日房にあてた手紙には、ふがいない弟子の姿がありありと伝えられている。


なにとなく我が智慧は()らぬ者が、或はこづき、或は此の文をさい()かく()としてそし()り候なり。或はよも此の御房は弘法大師にはまさらじ、よも慈覚大師には()へじなんど、人()らべをし候ぞ。かく申す人をばものしらぬ者とを()すべし。『光日房御書』

 三位房たちは、かげで日蓮の才能を批評しあっていた。

「日蓮の師匠は弘法大師には劣るだろう。慈覚大師には勝ることはあるまい」などと、なかばからかうように自分の師をもてあそんでいたのである。

慈覚大師は、今ではあまり知られていないが、当時は伝教大師最澄よりも重んじられていた人である。日蓮は弘法・慈覚をものともせず諸宗の破折にいどんだが、智慧のたらぬ弟子が足をひいていた。日蓮はこのような弟子たちを「ものしらぬ者」と断言した。

 日蓮を理解できない者は、仏法を理解できない。日蓮の心中にわずかでも迫ることができれば、仏法を体現できるのだが、つたない弟子は仏法が日蓮と別な存在であると思っていた。

 日蓮は竜の口の法難で自身が主師親の三徳をあらわしたと宣言したが、これを疑う弟子もいた。

 艱難をともにして佐渡までつき従った弟子の中にも、疑う者がいたのである。まして安穏としている弟子にとっては、日蓮は一介の僧にすぎない。比叡山で徳を積んだ者としか見れなかった。

 このような者たちは折伏ができない。

疑って云はく、念仏者と禅宗等を無間と申すは(あらそ)ふ心あり。修羅(しゅら)(どう)にや堕つべかるらむ。

(中略) 汝が不審をば、世間の学者、多分道理とをもう。いかに諫暁(かんぎょう)すれども、日蓮が弟子等も此のをもひすてず。『開目抄 下』

 

 世間の人々は、日蓮が念仏や禅宗を無間地獄であると破折するのは、もめごとばかりおこす修羅心のあらわれであるという。日蓮の弟子にもこの思いを捨てきれない者がいたのである。

弟子のふがいなさをなげく文は多い。


我が弟子等が愚案にをも()わく、我が師は法華経を弘通し給ふとてひろまらざる上、大難の来たれるは、真言は国をほろぼす、念仏は無間地獄、禅は天魔の所為(しょい)、律僧は国賊との給ふゆへなり。例せば道理有る問注に悪口のまじわれるがごとしと云々。『諫暁八幡抄』


弟子たちは過激に諸宗を攻撃することについていけない。弟子になかには日蓮のせいで法華経がひろまらないと思う者もいた。たとえば整然とした討論で中傷がまじるようなものだと。

日蓮はいきどおる。


日蓮我が弟子に反詰(はんきつ)して云はく、汝若し(しか)らば我が問を答へよ。一切の真言師・一切の念仏者・一切の禅宗等に向って南無妙法蓮華経と唱へ給へと勧進(かんじん)せば、彼等が云はく、我が弘法大師は法華経と釈迦仏とをば()(ろん)()(みょう)の辺域・力者・はき物とりに及ばずとかゝせ給ひて候。物の用にあわぬ法華経を読誦せんよりも、其の口に我が小呪(しょうじゅ)一反(いっぺん)も見つべし。一切の在家の者の云はく、善導和尚は法華経をば千中無一、(ほう)(ねん)上人(しょうにん)捨閉(しゃへい)閣抛(かくほう)(どう)(しゃく)禅師は未有一人得者と定めさせ給ヘり。汝がすゝむる南無妙法蓮華経は我が念仏の(さわ)りなり。我等(たと)ひ悪をつくるともよも唱へじ。一切の禅宗の云はく、我が宗は教外別伝と申して一切経の(ほか)に伝へたる最上の法門なり。一切経は指のごとし、禅は月のごとし、天台等の愚人は指をまぼ()て月を(うしな)ひたり。法華経は指なり禅は月なり。月を見て後は指は何のせん()かあるべきなんど申す。かくのごとく申さん時は、いかにとしてか南無妙法蓮華経の良薬(ろうやく)をば彼等が口には入るべき。   
          

 念仏・禅・真言・律の迷妄は深い。

彼らの邪心をひるがえすことは、一筋縄ではいかない。千引きの石をかえすよりも困難である。かれらは自分の師を信じ、師の教義をかたくなに守っているからである。これを打ちくずすには(こうべ)を割る折伏以外に方法はない。

 折伏すれば、彼らは必ず誹謗する。その誹謗をもって妙法に縁させることができる。これを下種という。「信謗(しんぼう)彼此(ひし)決定(けつじょう)菩提(ぼだい42)」はこの意味である。

 この日蓮の苦心を弟子たちはわからない。弟子たちは、身は日蓮についていたが、心中はちがっていた。

日蓮は竜の口の法難で退転した弟子檀那の言いわけをしるしている。

日蓮御房は師匠にてはおわせども余りに()はし、我等はやわ()らかに法華経を弘むべし 佐渡御書』

 彼らは師匠のきびしさについていけない。

彼らは成仏の道が、日蓮の教えとはちがう世界にあるのではないかと考え、意見を異にした。彼らは日蓮が難にあうとまっさきに退転し、のこりの人々は時がたつにつれ、日蓮とはなれていった。

 此の法門につきし人あまた候ひしかども、を()やけわ()くしの大難度々(たびたび)(かさ)なり候ひしかば、一年二年こそつき候ひしが、後々には皆(あるい)はをち、或はかへり矢をいる。或は身は()ちねども心をち、或は心はをちねども身はをちぬ。  『四条金吾殿御返事』

身延の地頭、波木井(はきり)(さね)(なが)が信心に目ざめたのは日興の折伏による。日蓮が身延に居を移したのは日興の力があった。これはすでに述べた。このことはだれも口をはさむことはできない。

伯耆房日興が日蓮に出会ったのは、十二歳の時だった。いらい日蓮を親とも主とも師とも慕って今日まできた。

日興は師亡きあと、教団の統率者として師の教えを忠実に守り、後世に伝えようとした。弟子の育成にも必死だった。

だが時の経過とともに日興からはなれていく者がでてきた。師の日蓮は「身はをちねども心をち(あるい)は心は・おちねども身はおちぬ」の言葉をのこし、信念を続けることがいかに困難かを説いていた。このことは日蓮の死後にも現実化した。

六老僧は日蓮から前もって月単位で墓番を命じられていた。しかし日興以外の五人は三年とたたずに身延を去った。

日昭は相模浜土へ、日朗は鎌倉へ、日頂は下総へ下っていった。五人は墓守で一生を終わりたくはなかったのだろうか。彼らは若僧をつれて去ってしまった。

予想していたとおりだった。わずか三年で日蓮の墓は荒れはてる。

何事よりも身延沢の御墓の荒れはて候て鹿かせきの(ひづめ)(まのあ)たり(かか)らせ給ひ候事目も当てられぬ事に候 『美作公御房御返事』

日蓮の墓はすでに鹿のひづめで荒廃していたのである。信じられない話だが、だれも手をつける者がいない。



       下49 地頭の謗法 につづく

   




42 信謗彼此、決定菩提

「信謗彼此、決定して菩提を成ぜん」と読む。日蓮が伝教の依慿集にある「信謗彼此・決定成仏」という文を引用し、述べた文。信ずる者は順縁によて、誹謗する者は毒鼓の縁によって、両者ともに必ず菩提を成ずる、すなわち成仏することができるとの意。



by johsei1129 | 2014-08-28 10:31 | Comments(0)
2014年 08月 22日

末法の本仏の立場で法門の勝劣を本迹に立て分けて講説した相伝書【百六箇抄】十一

[百六箇抄 本文]その十一

【種の本迹勝劣 五十五箇条】

五十一、下種の六即実勝の本迹
日蓮は脱の六即を迹と為し、種の三世一即の六即、案位の理即は開会の妙覚にして、開会の理即は本覚の極果を本と為るなり。

五十二、下種の十二因縁の本迹
日蓮は応仏所説の十二因縁を迹と為し、久遠報仏所説の十二因縁を本と定むるなり。

五十三、下種の十不二門の本迹
日蓮が十不二門は事上極極の事理一、体用の不二門なり。

五十四、下種の十界互具の本迹
唱え奉る妙法・仏界は本、唱うる我等九界は迹なり。妙覚より理即の凡夫までなり。実の十界互具の勝劣とは是なり。

五十五、下種の境智倶実の本迹
脱の境智は迹、種の境智は本なり。名字即の境智は境智倶に本、観行即の境智は境智倶に迹なり云云。
意は十界の仏性只一口に呼び顕すなり。本因口唱の勝るる南無妙法蓮華経なり、初心成仏抄の如きなり。
 弘の一に云く「理造作に非ざる故に天真と曰い、証智円明の故に独朗と云う」云云。久遠の理と今日の理と理に造作無し。然れども久遠は事上の理なり、今日は理上の理なり。故に知んぬ、本因妙の理は勝れ今日本果妙の理は劣るなり。是理の本迹なり。是の故に独朗と云うなり。釈の文に云はく「独一法界の故に絶待と名づく云云。
 
 天台は「唯大綱を存して網目を事とせず」と。 此の釈の意は大綱は本、網目は迹なり。天台・伝教の修行は網目、日蓮日興等の修行は大綱なり云云。
「如来秘密神通之力」と意得可し。 是事理の如来の本迹なり。秘密の如来は理性の如来なり、我等なり。神通の如来は世尊なり。秘密は本地、神通は垂迹なり。世世以来常に我が化を受く。「我本行菩薩道、所成寿命、今猶未尽、復倍上数」云云。 本迹勝劣其理甚遠なり。仏若し説かずんば弥勒尚暗し。何に況や下地をや、何に況や凡夫をや。本仏本化乃し能く究尽したまへり云云。
 妙楽の云く「具騰本種」と。本勝迹劣。「故に但名に於て以て本迹を分つ」と。 下種の名字の妙法事行の勝劣なる所を判ずるなり。「本迹は身に約し位に約す)と。 久遠名字即の身と位とを判ずるなり。「本従り迹を垂れ迹は本に依る、迹は究竟に非ず」と。玄の一に「開示悟入は是れ迹の要なりと雖も、若し顕本し已れば即ち本の要と成るなり」と。籤の一に「若し迹中の事理乃至権実無くんば、何ぞ能く長寿の本を顕さ」ん云云。

已上種の本迹勝劣畢んぬ。
 弘安三年 正月十一日    日 蓮 花押
          

南妙法蓮華経、南無霊山浄土久遠実成多宝塔中大釈迦牟尼尊、上行菩薩、日蓮日興に之を授与す。

右此の血脈は本迹勝劣其の数一百六箇之を注す。数量に就て表事有り。之を覚知すべし。
釈迦諸仏出世の本懐、真実真実唯為一大事の秘密なり。然る間万年救護の為に之を記し留む。
 就中六人の遺弟を定むる表事は、先先に沙汰するが如し云云。但し直授結要付属は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て惣貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之れを残さず、悉く付属せしめ畢んぬ。上首已下並に末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興嫡嫡付法の上人を以て惣貫首と仰ぐ可き者なり。
 又五人並に已下の諸僧等、日本乃至一閻浮提の外・万国に之を流布せしむと雖も、日興が嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為す可きなり。所以は何ん、在世・滅後殊なりと雖も付属の儀式之同じ。譬えば四大六万の直弟の本眷属有りと雖も、上行薩たを以て結要付属の大導師と定むるが如し。今以つて是くの如し。
六人以下数輩の弟子有りと雖も、日興を以て結要付属の大将と定むる者なり。
又弘長配流の日も、文永流罪の時も、其の外諸処の大難の折節も、先陣をかけ、日蓮に影の形に随うが如くせしなり。誰か之を疑わんや。
 又延山地頭発心の根元は日興教化の力用なり。遁世の事、甲斐の国三牧は日興懇志の故なり。
又御本尊書写の事、予が顕し奉るが如くなるべし。若し日蓮御判と書かずんば天神地祇もよも用い給わじ。上行無辺行と持国と浄行安立行と毘沙門との間には若悩乱者・頭破七分・有供養者・福過十号と之を書す可きなり。経中の明文等意に任す可きか。
又立つ浪・吹く風・万物に就いて本迹を分け勝劣を弁ず可きなり。

[百六箇抄 本文] 完。

by johsei1129 | 2014-08-22 22:45 | 血脈・相伝・講義 | Comments(0)
2014年 08月 21日

末法の本仏の立場で法門の勝劣を本迹に立て分けて講説した相伝書【百六箇抄】十

[百六箇抄 本文]その十

【種の本迹勝劣 五十五箇条】

四十一、下種の最後の直授摩頂の本迹
久遠一念元初の妙法を受け頂く事は、最極無上の潅頂なり。法は本、人は迹なり。

四十二、下種の弘通戒壇実勝の本迹
三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり。

四十三、下種の寂照の実事、体用無上の本迹
生仏一如の事の上の本覚の寂照なり。人は迹、仏は本なり云云。

四十四、下種の三世三仏実益の本迹
日蓮は下種の利益、三世三仏種熟脱本有一念の利益なり。天台云く「若しは破、若しは立、皆是法華の意」の修行の利益なり。

四十五、下種の証明多宝仏塔の本迹
久遠実成・無始無終・本法の妙法蓮華経「皆是真実」は本なり。久遠の本師は妙法なり、本有実成の釈迦・多宝は迹なり。

四十六、下種の序・正・流通文底の本迹
応仏と天台とは正宗一品二半を本門と定む。現文の勝劣なり。報仏と日蓮とは流通を本と定む。文底の勝劣なり。

四十七、下種の摂折二門の本迹
日蓮は折伏を本とし、摂受を迹と定む。法華折伏・破権門理とは是なり。

四十八、下種の二妙実行の本迹
日蓮は脱の二妙を迹と為し、種の二妙を本と定む。然して相待は迹、絶待は本なり云云。

四十九、下種の十妙実体の本迹
日蓮は本因妙を本と為し、余を迹と為るなり。是れ真実の本因本果の法門なり。

五十、下種六重具騰の本迹
日蓮は脱の六重を迹と為し、種の六重を本と為るなり云云。

[百六箇抄 本文]その十一に続く

by johsei1129 | 2014-08-21 22:42 | 血脈・相伝・講義 | Comments(0)
2014年 08月 20日

末法の本仏の立場で法門の勝劣を本迹に立て分けて講説した相伝書【百六箇抄】九

[百六箇抄 本文]その九

【種の本迹勝劣 五十五箇条】

三十一、下種の三種教相の本迹
二種は迹門、一種は本門なり、本門の教相は教相の主君なり。二種は二十八品、一種は題目なり。題目は観心の上の教相なり。

三十二、五味主の中の主の本迹
日蓮が五味は横竪共に五味の修行なり。五味は即本門、修行は即迹門なり。

三十三、本種の師弟不変の本迹
久遠実成の自受用身は本、上行菩薩は迹なり。三世常恒不変の約束なり。

三十四、本種の父子常住の本迹
義理上に同じ。久遠の名字即の俗諦常住の父子は、今日蓮が修行に殊ならず。世間相常住是なり。

三十五、四土具足の本迹
三土は迹、常寂光土は本なり。四土即常寂光・寂光即四土の浄土は、唯本門弘経の道場なり。

三十六、下種の感応日月の本迹
下種の仏は天月、脱仏は池月なり。天台云く「天月を識らず、但池月を観ず」云云。

三十七、 下種の随縁不変の本迹
体用同時の真実の真如一口の首題なり。本有の迹、本有の一念三千是なり。随縁不変一念寂照の本迹なり。

三十八、下種の九法妙の本迹
久遠下種の妙法は本、已来の九法は迹なり。

三十九、下種の人天の本迹
久遠下種の妙法は本、已来の人天は迹なり。

四十、下種の八相八苦習合実勝の本迹
脱の八相は迹、種の八相は本なり。脱の八苦は迹、種の八苦は本なり。煩悩即菩提・生死即涅槃・常在此不滅と云へり。


[百六箇抄 本文]その十に続く

by johsei1129 | 2014-08-20 22:30 | 血脈・相伝・講義 | Comments(0)
2014年 08月 19日

末法の本仏の立場で法門の勝劣を本迹に立て分けて講説した相伝書【百六箇抄】八

[百六箇抄 本文]その八

【種の本迹勝劣 五十五箇条】

二十一、下種の戒体の本迹
爾前迹門の戒躰は権実雑乱、本門の戒躰は純一無雑の大戒なり。
勝劣は天地・水火尚及ばず、具に戒躰抄の如し云云。

二十二、 本化の七面の本迹
末法には事行を本とし、在世と像法とには理観を本とするなり。天台の本書は理の上の事なれば一向迹門の七決、我家の本書は事の上の本なり。

二十三、下種の三種法華の本迹
二種は迹、一種は本なり。迹門は隠密法華・本門は根本法華、迹本文底の南無妙法蓮華経は顕説法華なり。

二十四、 本化の本尊の本迹
七字は本なり、余の十界は迹なり。諸経諸宗中王の本尊は万物下種の種子無上の大曼荼羅なり。

二十五、 下種の守護神の本迹
守護し奉る所の題目は本、護る所の神明は迹なり。諸仏求世者・現無量神力云云。

二十六、下種の山王神の本迹
久遠に受くる所の妙法は本、中間・今日・未来までも守り来る所の山王明神は即ち迹なり。

二十七、下種の十羅刹女の本迹
此の義理上に同じ。唯神明と十女を本迹に対する時、十羅刹女は本、神明は迹なり。

二十八、本門付属の本迹
久遠名字の時、受る所の妙法は本、上行等は迹なり。久遠元初の結要付属と日蓮が今日寿量付属とは同意なり云云。

二十九、本門開会の本迹
久遠の本会を本と為し、今日寿量の脱を迹とするなり。
妙楽云く「始顕を開と云い、終合を会と云う」文。

三十、下種の成仏の本迹 
                                  下種本因     
本因妙は本、自受用身は迹なり。成仏は難きに非ず、此の経を持つこと難ければなり云云。



[百六箇抄 本文]その九に続く

by johsei1129 | 2014-08-19 21:51 | 血脈・相伝・講義 | Comments(0)
2014年 08月 18日

末法の本仏の立場で法門の勝劣を本迹に立て分けて講説した相伝書【百六箇抄】七

[百六箇抄 本文]その七

【種の本迹勝劣 五十五箇条】

十一、下種の法華経の教主の本迹
自受用身は本、上行日蓮は迹なり。我等が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり、其の教主は某なり。

十二、下種の今此三界の主の本迹
久遠元始の天上天下・唯我独尊は日蓮是なり。久遠は本・今日は迹なり。三世常住の日蓮は名字の利生なり。

十三、 下種の得法観心の本迹
久遠下種の得法は本なり、今日中間等の得法観心は迹なり。分別功徳品の名字初随喜の文の如し云云。

十四、下種自解仏乗の本迹
名字の妙法を上行所伝と聞き得る方は自解仏乗の本なり。聞き得て後受持する我等は迹なり。故に伝教より日蓮は勝るなり云云。

十五、 末法の時刻の弘通の本迹
本因妙を本とし今日寿量の脱益を迹とするなり。久遠の釈尊の修行と今日蓮の修行とは芥子計も違わざる勝劣なり云云。

十六、 本門の修行の本迹
正像二千年の修行は迹門なり、末法の修行は本門なり。又中間・今日の仏の修行より日蓮の修行は勝るる者なり。

十七、本門の五大尊の本迹
久遠本果の自受用報身如来は本なり。上行等の四菩薩は迹なり云々。

十八、日蓮の本門弘通の本迹
本因妙は本なり、我本行菩薩道は迹なり云云。

十九、本化の事行一致の本迹
「本迹殊なりと雖も不思議一」云云、本因妙の外に並に迹とて別して之無し、故に一と釈する者なり。真実の勝劣の手本の義なり云云。

二十、後の十四品皆流通の本迹
本果妙の釈尊が本因妙の上行菩薩を召し出す事は、一向に滅後末法利益の為なり。然る間日蓮修行の時は、後の十四品皆滅後の流通分なり。

[百六箇抄 本文]その八に続く

by johsei1129 | 2014-08-18 22:14 | 血脈・相伝・講義 | Comments(0)