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2014年 07月 31日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】十二

[御義口伝 下 本文]その十二

【妙音品三箇の大事】

第一 妙音菩薩の事
御義口伝に云く妙音菩薩とは十界の衆生なり、妙とは不思議なり音とは一切衆生の吐く所の語言音声が妙法の音声なり三世常住の妙音なり、所用に随つて諸事を弁ずるは慈悲なり是を菩薩と云うなり、又云く妙音とは今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る事は末法当今の不思議の音声なり、其の故は煩悩即菩提生死即涅槃の妙音なり云云。

第二 肉髻白毫の事
御義口伝に云く此の二の相好は孝順師長より起れり法華経を持ち奉るを以て一切の孝養の最頂とせり、又云く此の白毫とは父の婬なり肉髻とは母の婬なり赤白二てい・今経に来つて肉髻・白毫の二相と顕れたり、又云く肉髻は随縁真如の智なり白毫は不変真如の理なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは此等の相好を具足するなり、我等が生の始は赤色肉髻なり死後の白骨は白毫相なり、生の始の赤色は随縁真如の智死後の白骨は不変真如の理なり秘す可し秘す可し云云。

第三 八万四千七宝鉢の事
御義口伝に云く此の文は妙音菩薩雲雷音王仏に奉る所の供養の鉢なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は八万四千の鉢を三世の諸仏に供養し奉るなり、八万四千とは我等が八万四千の塵労なり南無妙法蓮華経と唱え奉る処にて八万四千の法門と顕るるなり、法華経の文字は開・結・二経を合しては八万四千なり、又云く八とは八苦なり四とは生老病死なり七宝とは頭上の七穴なり鉢とは智器なり妙法の智水を受持するを以て鉢とは心得可きなり云云。

【普門品五箇の大事】

 第一 無尽意菩薩の事
御義口伝に云く無尽意とは円融の三諦なり、無とは空諦・尽とは仮諦・意とは中道なり、観世音とは観は空諦・世は仮諦・音は中道なり、妙法蓮華経とは妙とは空諦・法蓮華は仮諦・経とは中道なり、三諦法性の妙理を三諦の観世音と三諦の無尽意に対して説き給うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は末法の無尽意なり、所詮無とは我等が死の相なり尽とは我等が生の相なり意とは我等が命根なり、然る間一切の法門・境智冥合等の法門意の一字に之を摂入す此の意とは中道法性なり法性とは南無妙法蓮華経なり、仍つて意の五字なり我等が胎内の五位の中には第五番の形なり、其の故は第五番の姿は五輪なり五輪即ち妙法等の五字なり、此の五字・又意の字なり仏意とは妙法の五字なり此の事・別に之無し、仏の意とは法華経なり是を寿量品にして是好良薬とて三世の諸仏の好もの良薬と説かれたり森羅三千の諸法は意の一字には過ぎざるなり、此の仏の意を信ずるを信心とは申すなりされば心は有分別なり倶に妙法の全体なり云云。

第二 観音妙の事
御義口伝に云く妙法の梵語は薩達摩と云うなり、薩とは妙と翻ず此の薩の字は観音の種子なり仍て観音法華・眼目異名と釈せり、今末法に入つて日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る事は観音の利益より天地雲泥せり、所詮観とは円観なり世とは不思議なり音とは仏機なり観とは法界の異名なり既に円観なるが故なり、諸法実相の観世音なれば地獄・餓鬼・畜生等の界界を不思議世界と知見するなり、音とは諸法実相なれば衆生として実相の仏に非ずと云う事なし、寿量品の時は十界本有と説いて無作の三身なり、観音既に法華経を頂受せり然らば此の経受持の行者は観世音の利益より勝れたり云云。

第三 念念勿生疑の事
御義口伝に云く念念とは一の念は六凡なり一の念は四聖なり六凡四聖の利益を施すなり疑心を生ずること勿れ云云、又云く念念とは前念後念なり、又云く妙法を念ずるに疑を生ず可からず云云、又三世常住の念念なり之に依つて上の文に是故衆生念と、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉りて念念勿生疑の信心に住す可きなり煩悩即菩提生死即涅槃疑有る可からざるなり云云。

第四 二求両願の事
御義口伝に云く二求とは求男求女なり、求女とは世間の果報・求男とは出世の果報・仍つて現世安穏は求女の徳なり後生善処は求男の徳なり、求女は竜女が成仏・生死即涅槃を顕すなり求男は提婆が成仏・煩悩即菩提を顕すなり我等が即身成仏を顕すなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る行者は求男求女を満足して父母の成仏決定するなり云云。

第五 三十三身利益の事
御義口伝に云く三十とは三千の法門なり、三身とは三諦の法門なり云云、又云く卅三身とは十界に三身づつ具すれば十界には三十・本の三身を加うれば卅三身なり、所詮三とは三業なり十とは十界なり三とは三毒なり身とは一切衆生の身なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は卅三身の利益なり云云。

[御義口伝 下 本文]その十三に続く


by johsei1129 | 2014-07-31 22:56 | 御義口伝 | Comments(0)
2014年 07月 30日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】十一

[御義口伝 下 本文]その十一

【嘱累品三箇の大事】

第一 從法座起の事
御義口伝に云く起とは塔中の座を起ちて塔外の儀式なり三摩の付嘱有るなり、三摩の付嘱とは身口意三業三諦三観と付嘱し給う事なり云云。

第二 如来是一切衆生 之大施主の事
御義口伝に云く如来とは本法不思議の如来なれば此の法華経の行者を指す可きなり、大施主の施とは末法当今流布の南無妙法蓮華経主とは上行菩薩の事と心得可きなり、然りと雖も当品は迹門付嘱の品なり上行菩薩を首として付嘱し給う間上行菩薩の御本意と見たるなり云云。

第三 如世尊勅 当具奉行の事
御義口伝に云く諸の菩薩等の誓言の文なり、諸天善神菩薩等を日蓮等の類い諌暁するは此の文に依るなり云云。

 【薬王品六箇の大事】

 第一 不如受持 此法華経 乃至一四句偈の事
御義口伝に云く法華経とは一経廿八品なり一四句偈とは題目の五字と心得可きなり云云。

第二 十喩の事
御義口伝に云く十喩とは十界なり、此の山の下に地獄界を含めり、川流江河餓鬼畜生を摂せり・日月の下に修羅を収めたり帝釈梵天は天界なり・凡夫人とは人間なり、声聞とは四向四果の阿羅漢なり・縁覚とは辟支仏中と説かれたり、菩薩は菩薩為第一と云えり仏界は如仏為諸法王と見えたり、此の十界を十喩と挙げて教相を分別してさて妙法蓮華経の於一仏乗より分別説三する時此くの如く挙げたり、仍つて一念三千の法門なり一念三千は抜苦与楽なり

第三 離一切苦 一切病痛 能解一切 生死之縛の事
御義口伝に云く法華の心は煩悩即菩提生死即涅槃なり、離解の二字は此の説相に背くなり然るに離の字をば明とよむなり、本門寿量の慧眼開けて見れば本来本有の病痛苦悩なりと明らめたり仍つて自受用報身の智慧なり、解とは我等が生死は今始めたる生死に非ず本来本有の生死なり、始覚の思縛解くるなり云云、離解の二字は南無妙法蓮華経なり云云。

第四 火不能焼 水不能漂の事
御義口伝に云く火とは阿鼻の炎なり水とは紅蓮の氷なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は此くの如くなるべし云云。

第五 諸余怨敵 皆悉摧滅の事
御義口伝に云く怨敵とは念仏・禅・真言等の謗法の人なり摧滅とは法華折伏破権門理なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る是なり云云。

第六 若人有病 得聞是経 病即消滅 不老不死の事
文句 の十に云く此に観解を須ゆべしと。
御義口伝に云く若人とは上・仏果より下・地獄の罪人まで之を摂す可きなり、病とは三毒の煩悩・仏菩薩に於ても亦之れ有るなり、不老は釈尊不死は地涌の類たり、是は滅後当今の衆生の為に説かれたり、然らば病とは謗法なり、此の経を受持し奉る者は病即消滅疑無きなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり云云。

[御義口伝 下 本文]その十二に続く


by johsei1129 | 2014-07-30 20:58 | 御義口伝 | Comments(0)
2014年 07月 29日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】十

[御義口伝 下 本文]その十

【神力品八箇の大事】

第一 妙法蓮華経如来神力の事

文句の十に云く神は不測に名け力は幹用に名く不測は即ち天然の体深く幹用は則ち転変の力大なり、此の中・深法を付属せんが為に十種の大力を現ず故に神力品と名くと。
御義口伝に云く此の妙法蓮華経は釈尊の妙法には非ざるなり既に此の品の時上行菩薩に付属し給う故なり、惣じて妙法蓮華経を上行菩薩に付属し給う事は宝塔品の時事起り・寿量品の時事顕れ・神力属累の時事竟るなり、如来とは上の寿量品の如来なり神力とは十種の神力なり所詮妙法蓮華経の五字は神と力となり、神力とは上の寿量品の時の如来秘密神通之力の文と同じきなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る所の題目なり此の十種の神力は在世滅後に亘るなり然りと雖も十種共に滅後に限ると心得可きなり、又云く妙法蓮華経如来と神との力の品と心得可きなり云云、如来とは一切衆生なり寿量品の如し、仍つて釈にも如来とは上に釈し畢ぬと云えり此の神とは山王七社等なり此の旨之を案ず可きなり云云。

第二 出広長舌の事
御義口伝に云く広とは迹門・長とは本門・舌とは中道法性なり十法界妙法の功徳なれば広と云うなり竪に高ければ長と云うなり、広とは三千塵点より已来の妙法・長とは五百塵点已来の妙法・同じく広長舌なり云云。

第三 十方世界 衆宝樹下 師子座上の事
御義口伝に云く十方とは十界なり此の下に於て草木成仏分明なり、師子とは師は師匠子は弟子なり座上とは寂光土なり十界即本有の寂光たる国土なり云云。

第四 満百千歳の事
御義口伝に云く満とは法界なり百は百界なり千は千如なり一念三千を満百千歳と説くなり云云、一時も一念も満百千歳にして十種の神力を現ずるなり十種の神力とは十界の神力なり、十界の各各の神力は一種の南無妙法 蓮華経なり云云。

第五 地皆六種震動 其中衆生~衆宝樹下の事
御義口伝に云く地とは国土世間なり其中衆生とは衆生世間なり衆宝樹下とは五陰世間なり一念三千分明なり云云。

第六 娑婆 是中有仏 名釈迦牟尼仏の事
御義口伝に云く本化弘通の妙法蓮華経の大忍辱の力を以て弘通するを娑婆と云うなり、忍辱は寂光土なり此の忍辱の心を釈迦牟尼仏と云えり娑婆とは堪忍世界と云うなり云云。

第七 斯人行世間 能滅衆生闇の事
御義口伝に云く斯人とは上行菩薩なり世間とは大日本国なり衆生闇とは謗法の大重病なり、能滅の体は南無妙法蓮華経なり今日蓮等の類い是なり云云。

第八 畢竟住一乗~是人於仏道 決定無有疑の事
御義口伝に云く畢竟とは広宣流布なり、住一乗とは南無妙法蓮華経の一法に住す可きなり是人とは名字即の凡夫なり仏道とは究竟即なり疑とは根本疑惑の無明を指すなり、末法当今は此の経を受持する一行計りにして成仏す可しと定むるなり云云。

[御義口伝 下 本文]その十一に続く


by johsei1129 | 2014-07-29 23:28 | 御義口伝 | Comments(0)
2014年 07月 28日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】九

[御義口伝 下 本文]その九

【常不軽品三十箇の大事】

 第二十一 生老病死礼拝住処の事
 御義口伝に云く一切衆生生老病死を厭離せず無常遷滅の当体に迷うに依つて後世菩提を覚知せざるなり、此を示す時煩悩即菩提生死即涅槃と教うる当体を礼拝と云うなり、左右の両の手を開く時は煩悩生死上慢不軽各別なり、礼拝する時両の手を合するは煩悩即菩提生死即涅槃なり、上慢の四衆の所具の仏性も不軽所具の仏性も一種の妙法なりと礼拝するなり云云。

 第二十に 法性礼拝住処の事
 御義口伝に云く不軽菩薩・法性真如の三因仏性・南無妙法蓮華経の廿四字に足立て無明の上慢の四衆を拝するは薀在衆生の仏性を礼拝するなり云云。

 第二十三 無明礼拝住処の事
 御義口伝に云く自他の隔意を立て彼は上慢の四衆・我は不軽と云う、不軽は善人・上慢は悪人と善悪を立つるは無明なり、此に立つて礼拝の行を成す時善悪不二・邪正一如の南無妙法蓮華経と礼拝するなり云云。

 第二十四 蓮華の二字礼拝住処の事
 御義口伝に云く蓮華とは因果の二法なり、悪因あれば悪果を感じ善因あれば善果を感ず内証には汝等三因仏性の善因あり、事に顕す時は善果と成つて皆当作仏す可しと礼拝し給うなり云云。

 第二十五 実報土礼拝住処の事
  御義口伝に云く実報土は竪の時は菩薩の住処なり、仍つて不軽菩薩の住処を実報土と定めて此にて礼拝行を立て給う間・実報土は礼拝の住処なり云云。

 第二十六 慈悲の二字礼拝住処の事
 御義口伝に云く不軽礼拝の行は皆当作仏と教うる故に慈悲なり、既に杖木瓦石を以て打擲すれども而強毒之するは慈悲より起れり、仏心とは大慈悲心是なりと説かれたれば礼拝の住処は慈悲なり云云。

 第二十七 礼拝住処分真即の事
 御義口伝に云く菩薩は分真即の位と定むるなり、此の位に立つて理即の凡夫を礼拝するなり之に依つて理即の凡夫なる間此の授記を受けずして無智の比丘と謗じたり云云。

 第二十八 究竟即礼拝住処の事
 御義口伝に云く凡有所見の見は仏知見なり、仏知見を以て上慢の四衆を礼拝する間究竟即を礼拝の住処と定むるなり云云。

 第二十九 法界礼拝住処の事
御義口伝に云く法界に立て礼拝するなり法界とは広きに非ず狭きに非ず惣じて法とは諸法なり界とは境界なり、地獄界乃至仏界各各界を法る間不軽菩薩は不軽菩薩の界に法り上慢の四衆は四衆の界に法るなり、仍て法界が法界を礼拝するなり自他不二の礼拝なり、其の故は不軽菩薩の四衆を礼拝すれば上慢の四衆所具の仏性又不軽菩薩を礼拝するなり、鏡に向つて礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり云云。

第三十 礼拝住処忍辱地の事
御義口伝に云く既に上慢の四衆罵詈瞋恚を成して虚妄の授記と謗ずと云えども不生瞋恚と説く間忍辱地に住して礼拝の行を立つるなり云云、初の一の住処は世流布の学者知れり後の十三箇所は当世の学者知らざる事なり云云。 已上十四箇条の礼拝の住処なり云云。

[御義口伝 下 本文]その十に続く


by johsei1129 | 2014-07-28 22:43 | 御義口伝 | Comments(0)
2014年 07月 27日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】八

[御義口伝 下 本文]その八

【常不軽品三十箇の大事】

 第十一 於四衆中説法 心無所畏の事
御義口伝に云く四衆とは日本国の中の一切衆生なり説法とは南無妙法蓮華経なり、心無所畏とは今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と呼ばわる所の折伏なり云云。

第十二 常不軽菩薩豈異人乎 則我身是の事
御義口伝に云く過去の不軽菩薩は今日の釈尊なり、釈尊は寿量品の教主なり寿量品の教主とは我等法華経の行者なり、さては我等が事なり今日蓮等の類は不軽なり云云。

第十三 常不値仏 不聞法 不見僧の事
御義口伝に云く此の文は不軽菩薩を軽賤するが故に三宝を拝見せざる事二百億劫地獄に堕ちて大苦悩を受くと云えり、今末法に入つて日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者を軽賤せん事は彼に過ぎたり、彼は千劫此れは至無数劫なり末法の仏とは凡夫なり凡夫僧なり、法とは題目なり僧とは我等行者なり、仏とも云われ又凡夫僧とも云わるるなり、深覚円理名之為仏の故なり円理とは法華経なり云云。

第十四 畢是罪已 復遇常不軽菩薩の事
御義口伝に云く若し法華誹謗の失を改めて信伏随従する共浅く有りては無間に堕つ可きなり、先謗強きが故に依るなり千劫無間地獄に堕ちて後に出づる期有つて又日蓮に値う可きなり復遇日蓮なるべし。

第十五 於如来滅後等の事
御義口伝に云く不軽菩薩の修行は此の如くなり仏の滅後に五種に妙法蓮華経を修行すべしと見えたり、正しく是故より下廿五字は末法日蓮等の類いの事なるべし、既に是の故にとおさえて於如来滅後と説かれたり流通の品なる故なり、惣じては流通とは未来当今の為なり、法華経一部は一往は在世の為なり再往は末法当今の為なり、其の故は妙法蓮華経の五字は三世の諸仏共に許して未来滅後の者の為なり、品品の法門は題目の用なり体の妙法・末法の用たらば何ぞ用の品品別ならむや、此の法門秘す可し秘す可し、天台の「綱維を提ぐるに目として動かざること無きが如し」等と釈する此の意なり、妙楽大師は「略して経題を挙ぐるに玄に一部を収む」と、此等を心得ざる者は末法の弘通に足らざる者なり。

第十六 此品の時の不軽菩薩の体の事
御義口伝に云く不軽菩薩とは十界の衆生なり、三世常住の礼拝の行を立つるなり吐く所の語言は妙法の音声なり、獄卒が杖を取つて罪人を呵責するが体の礼拝なり敢て軽慢せざるなり、罪人我を責め成すと思えば不軽菩薩を呵責するなり折伏の行是なり。

第十七 不軽菩薩の礼拝住処の事 十四箇所の礼拝住処の事之有り

御義口伝に云く礼拝の住処とは多宝塔中の礼拝なり、其の故は塔婆とは五大の所成なり五大とは地水火風空なり此れを多宝の塔とも云うなり、法界広しと雖も此の五大には過ぎざるなり故に塔中の礼拝と相伝するなり秘す可し秘す可し云云。

第十八 開示悟入礼拝住処の事
御義口伝に云く開示悟入の四仏知見を住処とするなり、然る間方便品の此の文を礼拝の住処と云うなり此れは内に不軽の解を懐くと釈せり、解とは正因仏性を具足すと釈するなり開仏知見とは此の仏性を開かしめんとて仏は出現し給うなり

第十九 毎自作是念の文礼拝住処の事
御義口伝に云く毎の字は三世なり念とは一切衆生の仏性を念じ給いしなり、仍つて速成就仏身と皆当作仏とは同じき事なり仍つて此の一文を相伝せり、天台大師は「開三顕一○開近顕遠」と釈せり秘す可し秘す可し云云。

第二十 我本行菩薩道の文礼拝住処の事
御義口伝に云く我とは本因妙の時を指すなり、本行菩薩道の文は不軽菩薩なり此れを礼拝の住処と指すなり。

[御義口伝 下 本文]その九に続く


by johsei1129 | 2014-07-27 20:29 | 御義口伝 | Comments(0)
2014年 07月 26日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】七

[御義口伝 下 本文]その七

【常不軽品三十箇の大事】

第一 常不軽の事
御義口伝に云く常の字は三世の不軽の事なり、不軽とは一切衆生の内証所具の三因仏性を指すなり仏性とは法性なり法性とは妙法蓮華経なり云云。

第二 得大勢菩薩の事
御義口伝に云く得とは応身なり大とは法身なり勢とは報身なり、又得とは仮諦なり大とは中道なり勢とは空諦なり円融の三諦三身なり。

第三 威音王の事
御義口伝に云く威とは色法なり音とは心法なり王とは色心不二を王と云うなり、末法に入て南無妙法蓮華経と唱え奉る是れ併ら威音王なり云云、其の故は音とは一切権教の題目等なり威とは首題の五字なり王とは法華の行者なり云云、法華の題目は獅子の吼ゆるが如く余経は余獣の音の如くなり諸経中王の故に王と云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る威音王仏なり云云。

第四 凡有所見の事
御義口伝に云く今日本国の一切衆生を法華経の題目の機なりと知見するなり云云。

第五 我深敬汝等 不敢軽慢 所以者何 汝等皆行菩薩道 当得作仏の事
御義口伝に云く此の廿四字と妙法の五字は替われども其の意は之れ同じ廿四字は略法華経なり。

第 六但行礼拝の事
御義口伝に云く礼拝とは合掌なり合掌とは法華経なり此れ即ち一念三千なり、故に不専読誦経典但行礼拝と云うなり。

第七 乃至遠見の事
御義口伝に云く上の凡有所見の見は内証所具の仏性を見るなり、此れは理なり遠見の見は四衆と云う間・事なり仍つて上は心法を見る今は色法を見る色法は本門の開悟四一開会なり、心法を見るは迹門の意又四一開会なり、遠の一字は寿量品の久遠なり故に故往礼拝といえり云云。

第八 心不浄者の事
御義口伝に云く謗法の者は色心二法共に不浄なり、先ず心法不浄の文は今此の心不浄者なり、又身不浄の文は譬喩品に「身常臭処垢穢不浄」と云えり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は色心共に清浄なり、身浄は法師功徳品に云く「若持法華経其身甚清浄」の文なり、心浄とは提婆品に云く「浄心信敬」と云云、浄とは法華経の信心なり不浄とは謗法なり云云。

第九 言是無智比丘の事
御義口伝に云く此の文は法華経の明文なり、上慢の四衆不軽菩薩を無智の比丘と罵詈せり、凡有所見の菩薩を無智と云う事は第六天の魔王の所為なり、末法に入つて日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は無智の比丘と謗ぜられん事経文の明鏡なり、無智を以て法華経の機と定めたり。

第十 聞其所説 皆信伏随従の事
御義口伝に云く聞とは名字即なり所詮は而強毒之の題目なり、皆とは上慢の四衆等なり信とは無疑曰信なり伏とは法華に帰伏するなり随とは心を法華経に移すなり従とは身を此の経に移すなり、所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る行者は末法の不軽菩薩なり。

[御義口伝 下 本文]その八に続く


by johsei1129 | 2014-07-26 20:57 | 御義口伝 | Comments(0)
2014年 07月 25日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】六

[御義口伝 下 本文]その六

【法師功徳品四箇の大事】

第一 法師功徳の事
御義口伝に云く法師とは五種法師なり功徳とは六根清浄の果報なり、所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は六根清浄なり、されば妙法蓮華経の法の師と成つて大なる徳有るなり、功は幸と云う事なり又は悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり、功徳とは即身成仏なり又六根清浄なり、法華経の説文の如く修行するを六根清浄と得意可きなり云云。

第二 六根清浄の事
御義口伝に云く眼の功徳とは法華不信の者は無間に堕在し信ずる者は成仏なりと見るを以て眼の功徳とするなり、法華経を持ち奉る処に眼の八百の功徳を得るなり、眼とは法華経なり此の大乗経典は諸仏の眼目と、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は眼の功徳を得るなり云云、耳・鼻・舌・身・意又又此くの如きなり云云。

第三 又如浄明鏡の事
御義口伝に云く法華経に鏡の譬を説く事此の明文なり、六根清浄の人は瑠璃明鏡の如く三千世界を見ると云う経文なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は明鏡に万像を浮ぶるが如く知見するなり、此の明鏡とは法華経なり別しては宝塔品なり、又は我が一心の明鏡なり、所詮瑠璃と明鏡との二の譬を説かれたり身根清浄の下なり、色心不二なれば何れも清浄の徳分なり浄とは不浄に対して浄と云うなり明とは無明に対して明と説くなり、鏡とは一心なり浄は仮諦・明は空諦・鏡は中道なり悉見諸色像の悉は十界なり、所詮浄明鏡とは色心の二法、妙法蓮華経の体なり浄明鏡とは信心なり云云、又三千大千世界を知見するとは三世間の事なり。

第四 是人持此経 安住希有地の事
御義口伝に云く是人とは日本国の一切衆生の中には法華の行者なり希有地とは寿量品の事理の顕本を指すなり、是を又分別品には「仏説希有法」と説かれたり別しては南無妙法蓮華経なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の希有の地とは末法弘通の明鏡たる本尊なり、惣じては此の品の六根清浄の功徳は十信相似即なり対告衆の常精進菩薩は十信の第三信と云えり、然りと雖も末法に於ては法華経の行者を指して常精進菩薩と心得可きなり此の経の持者は是則精進の故なり。


[御義口伝 下 本文]その七に続く


by johsei1129 | 2014-07-25 20:56 | 御義口伝 | Comments(0)
2014年 07月 24日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】五

[御義口伝 下 本文]その五

【分別功徳品三箇の大事】

第一 其有衆生 聞仏寿命 長遠如是 乃至能生 一念信解 所得功徳 無有限量の事
御義口伝に云く一念信解の信の一字は一切智慧を受得する所の因種なり、信の一字は名字即の位なり仍つて信の一字は最後品の無明を切る利剣なり、信の一字は寿量品の理顕本を信ずるなり解とは事顕本を解するなり此の事理の顕本を一念に信解するなり、一念とは無作本有の一念なり、此くの如く信解する人の功徳は限量有る事有る可からざるなり、信の処に解あり解の処に信あり然りと雖も信を以て成仏を決定するなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり云云。

第二 是則能信受 如是諸人等 頂受此経典の事
御義口伝に云く法華経を頭に頂くと云う明文なり、如是諸人等の文は広く一切衆生に亘るなり、然らば三世十方の諸仏は妙法蓮華経を頂き受けて成仏し給う、仍つて上の寿量品の題目を妙法蓮華経と題して次に如来と題したり秘す可し云云、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは此の故なり云云。

第三 仏子住此地 則是仏受用の事
御義口伝に云く此の文を自受用の明文と云えり、此地とは無作の三身の依地なり仏子とは法華の行者なり仏子は菩薩なり法華の行者は菩薩なり住とは信解の義なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は妙法の地に住するなり仏の受用の身なり深く之を案ず可し云云。

【随喜品二箇の大事】

 第一 妙法蓮華経随喜功徳の事
御義口伝に云く随とは事理に随順するを云うなり喜とは自他共に喜ぶ事なり、事とは五百塵点の事顕本に随順するなり理とは理顕本に随うなり所詮寿量品の内証に随順するを随とは云うなり、然るに自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時必ず無作三身の仏に成るを喜とは云うなり、然る間随とは法に約し喜とは人に約するなり、人とは五百塵点の古仏たる釈尊法とは寿量品の南無妙法蓮華経なり、是に随い喜ぶを随喜とは云うなり惣じて随とは信の異名なり云云、唯信心の事を随と云うなりされば二巻には随順此経非己智分と説かれたり云云。

第二 口気無臭穢 優鉢華之香 常從其口出の事
御義口伝に云く口気とは題目なり、無臭穢とは弥陀等の権教方便無得道の教を交えざるなり、優鉢華之香とは法華経なり、末法の今は題目なり、方便品に如優曇鉢華の事を一念三千と云えり之を案ず可し、常とは三世常住なり其口とは法華の行者の口なり出とは南無妙法蓮華経なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは常従其口出なり云云。

[御義口伝 下 本文]その六に続く


by johsei1129 | 2014-07-24 22:41 | 御義口伝 | Comments(0)
2014年 07月 23日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】四

[御義口伝 下 本文]その四

【寿量品二十七箇の大事】

 第二十一 自我偈の事
 御義口伝に云く自とは九界なり我とは仏身なり偈とはことわるなり本有とことわりたる偈頌なり深く之を案ず可し、偈様とは南無妙法蓮華経なり云云。

  第二十二 自我偈始終の事
御義口伝に云く自とは始なり速成就仏身の身は終りなり始終自身なり中の文字は受用なり、仍つて自我偈は自受用身なり法界を自身と開き法界自受用身なれば自我偈に非ずと云う事なし、自受用身とは一念三千なり、伝教云く「一念三千即自受用身・自受用身とは尊形を出でたる仏と・出尊形仏とは無作の三身と云う事なり」云云、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり云云。

第二十三 久遠の事
御義口伝に云く此の品の所詮は久遠実成なり久遠とははたらかさず・つくろわず・もとの儘と云う義なり、無作の三身なれば初めて成ぜず是れ働かざるなり、卅二相八十種好を具足せず是れ繕わざるなり本有常住の仏なれば本の儘なり是を久遠と云うなり、久遠とは南無妙法蓮華経なり実成無作と開けたるなり云云。

第二十四 此の寿量品の所化の国土と修行との事
御義口伝に云く当品流布の国土とは日本国なり惣じては南閻浮提なり、所化とは日本国の一切衆生なり修行とは無疑曰信の信心の事なり、授与の人とは本化地涌の菩薩なり云云。

第二十五 建立御本尊等の事
御義口伝に云く此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり、戒定慧の三学は寿量品の事の三大秘法是れなり、日蓮慥に霊山に於て面授口決せしなり、本尊とは法華経の行者の一身の当体なり云云。

第二十六 寿量品の対告衆の事
御義口伝に云く経文は弥勒菩薩なり、然りと雖も滅後を本とする故に日本国の一切衆生なり、中にも日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり、弥勒とは末法法華の行者の事なり、弥勒をば慈氏と云う法華の行者を指すなり、章安大師云く「為彼除悪即是彼親」と是れ豈弥勒菩薩に非ずや云云。

第二十七 無作三身の事 種子尊形三摩耶
御義口伝に云く尊形とは十界本有の形像なり三摩耶とは十界所持の物なり種子とは信の一字なり、所謂南無妙法蓮華経改めざるを云うなり三摩耶とは合掌なり秘す可し秘す可し云云。

[御義口伝 下 本文]その五に続く


by johsei1129 | 2014-07-23 23:36 | 御義口伝 | Comments(0)
2014年 07月 22日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】三

[御義口伝 下 本文]その三

【寿量品二十七箇の大事】
 
 第十一 自我得仏来の事
御義口伝に云く一句三身の習いの文と云うなり、自とは九界なり我とは仏界なり此の十界は本有無作の三身にして来る仏なりと云えり、自も我も得たる仏来れり十界本有の明文なり、我は法身・仏は報身・来は応身なり此の三身・無始無終の古仏にして自得なり、無上宝聚不求自得之を思う可し、然らば即ち顕本遠寿の説は永く諸教に絶えたり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは自我得仏来の行者なり云云。

第十二 為度衆生故 方便現涅槃の事
御義口伝に云く涅槃経は法華経より出でたりと云う経文なり、既に方便と説かれたり云云。

第十三 常住此説法の事
御義口伝に云く常住とは法華経の行者の住処なり、此とは娑婆世界なり山谷曠野を指して此とは説き給う、説法とは一切衆生の語言の音声が本有の自受用智の説法なり、末法に入つて説法とは南無妙法蓮華経なり今日蓮等の類いの説法是なり

第十四 時我及衆僧 倶出霊鷲山の事
御義口伝に云く霊山一会儼然未散の文なり、時とは感応末法の時なり我とは釈尊・及とは菩薩・聖衆を衆僧と説かれたり倶とは十界なり霊鷲山とは寂光土なり、時に我も及も衆僧も倶に霊鷲山に出ずるなり秘す可し秘す可し、本門事の一念三千の明文なり御本尊は此の文を顕し出だし給うなり、されば倶とは不変真如の理なり出とは随縁真如の智なり倶とは一念なり出とは三千なり云云。
又云く時とは本時娑婆世界の時なり下は十界宛然の曼陀羅を顕す文なり、其の故は時とは末法第五時の時なり、我とは釈尊・及は菩薩・衆僧は二乗・倶とは六道なり・出とは霊山浄土に列出するなり霊山とは御本尊並びに日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり云云。

第十五 衆生見劫尽~ 而衆見焼尽の事
御義口伝に云く本門寿量の一念三千を頌する文なり、大火所焼時とは実義には煩悩の大火なり、我此土安穏とは国土世間なり、衆生所遊楽とは衆生世間なり、宝樹多華菓とは五陰世間なり是れ即ち一念三千を分明に説かれたり、又云く上の件の文は十界なり大火とは地獄界なり天皷とは畜生なり人と天とは人天の二界なり、天と人と常に充満するなり、雨曼陀羅華とは声聞界なり園林とは縁覚界なり菩薩界とは及の一字なり仏界とは散仏なり修羅と餓鬼界とは憂怖諸苦悩如是悉充満の句に摂するなり、此等を是諸罪衆生と説かれたり、然りと雖も此の寿量品の説顕われては、則皆見我身とて一念三千なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり云云。

第十六 我亦為世父の事
御義口伝に云く我とは釈尊一切衆生の父なり主師親に於て仏に約し経に約す、仏に約すとは迹門の仏の三徳は今此三界の文是なり、本門の仏の主・師・親の三徳は主の徳は我此土安穏の文なり師の徳は常説法教化の文なり親の徳は此の我亦為世父の文是なり、妙楽大師は寿量品の文を知らざる者は不知恩の畜生と釈し給えり・経に約すれば、諸経中王は主の徳なり能救一切衆生は師の徳なり又如大梵天王一切衆生之父の文は父の徳なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は一切衆生の父なり無間地獄の苦を救う故なり云云、涅槃経に云く「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ如来一人の苦」と云云、日蓮が云く一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし。

第十七 放逸著五欲 堕於悪道中の事
御義口伝に云く放逸とは謗法の名なり入阿鼻獄疑無き者なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は此の経文を免離せり云云。

第十八 行道不行道の事
御義口伝に云く十界の衆生の事を説くなり行道は四聖・不行道は六道なり、又云く行道は修羅人天・不行道は三悪道なり、所詮末法に入つては法華の行者は行道なり謗法の者は不行道なり、道とは法華経なり、天台云く「仏道とは別して今の経を指す」と、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは行道なり唱えざるは不行道なり云云。

第十九 毎自作是念の事
御義口伝に云く毎とは三世なり自とは別しては釈尊惣じては十界なり、是念とは無作本有の南無妙法蓮華経の一念なり、作とは此の作は有作の作に非ず無作本有の作なり云云、広く十界本有に約して云わば自とは万法己己の当体なり、是念とは地獄の呵責の音・其の外一切衆生の念念・皆是れ自受用報身の智なり是を念とは云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る念は大慈悲の念なり云云。

第二十 得入無上道等の事
御義口伝に云く無上道とは寿量品の無作の三身なり此の外に成就仏身之れ無し、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は成就仏身疑無きなり云云。

[御義口伝 下 本文]その四に続く


by johsei1129 | 2014-07-22 21:11 | 御義口伝 | Comments(0)