日蓮大聖人『御書』解説

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カテゴリ:観心本尊抄(御書五大部)( 13 )


2016年 11月 23日

観心本尊抄 要点解説 その十

日蓮大聖人は『此の時地涌の菩薩始めて世に出現し、但妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ』と断じ、次に御本尊が出現する時、建立する人、有縁の国、及びその瑞相について経、天台・妙楽等の釈を引いて詳細に示します。

問うて曰く仏の記文は云何答えて曰く「後の五百歳閻浮提に於て広宣流布せん」と、天台大師記して云く「後の五百歳遠く妙道に沾おわん」
妙楽記して云く「末法の初冥利無きにあらず」伝教大師云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り」等云云。末法太有近の釈は我が時は正時に非ずと云う意なり。
伝教大師日本にして末法の始を記して云く「代を語れば像の終り末の初、地を尋れば唐の東・羯の西、人を原れば則ち五濁の生・闘諍の時なり。経に云く猶多怨嫉・況滅度後と、此の言良とに以有るなり

 此の釈に闘諍の時と云云、今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すなり。
此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し。

月支震旦に未だ此の本尊有さず、日本国の上宮・四天王寺を建立して未だ時来らざれば阿弥陀・他方を以て本尊と為す。聖武天皇・東大寺を建立す、華厳経の教主なり。未だ法華経の実義を顕さず。伝教大師粗法華経の実義を顕示す、然りと雖も時未だ来らざるの故に東方の鵝王を建立して本門の四菩薩を顕わさず。所詮地涌千界の為に此れを譲り与え給う故なり。
此の(地涌の)菩薩、仏勅を蒙りて近く大地の下に在り、正像に未だ出現せず、末法にも又出で来り給わずば大妄語の大士なり。三仏の未来記も亦泡沫に同じ。

此れを以て之を惟うに正像に無き大地震・大彗星等出来す。此等は金翅鳥・修羅・竜神等の動変に非ず、偏に四大菩薩を出現せしむ可き先兆なるか。
天台云く「雨の猛きを見て竜の大なるを知り花の盛なるを見て池の深きことを知る」等云云。
妙楽云く「智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云、天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか。

一念三千を識らざる者には仏、大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う。
四大菩薩の此の人を守護し給わんこと太公周公の文王を摂扶し、四皓が恵帝に侍奉せしに異ならざる者なり』と。ここで観心本尊抄は完結します。

「一念三千を識らざる者には仏」とは、日蓮大聖人ご自身です。
「五字の内に此の珠を裹み」とは妙法蓮華経の五字に、末法の本仏日蓮大聖人の魂(=仏の慈悲)を
裹んでいる『曼荼羅御本尊』となります。
また「末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」の末代幼稚とは末法の衆生であり、「頚に懸けさしめ給う」とは、当時の人々の習慣として、遺骨などの非常に大事なものは自分の首に懸けて運んだことから、このご本尊は非常に大切なものであることを門下に示しておられます。

遺骨を自分の首に懸けて運んだ事例は、阿仏房の息子が佐渡から阿仏房の遺骨を身延の大聖人の草庵に持ち寄ったことを大聖人が「千日尼御返事」で記されておられます。
「其の子藤九郎守綱は此の跡をつぎて一向法華経の行者となりて、去年は七月二日の舎利を頚に懸け、一千里の山海を経て甲州・波木井身延山に登りて法華経の道場に此れをおさめ」と。




by johsei1129 | 2016-11-23 00:41 | 観心本尊抄(御書五大部) | Comments(0)
2016年 11月 21日

観心本尊抄 要点解説 その九

日蓮大聖人は『我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり』と断じた次に、末法に出現する本尊の相妙をあきらかにしていきます。

『此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶文殊薬王等にも之を付属し給わず、何に況や其の已外をや、但、地涌千界を召して八品を説いて之を付属し給う。

其の本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士上行等の四菩薩、文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し、迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く、十方の諸仏は大地の上に処し給う。迹仏迹土を表する故なり。

是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し。八年の間にも但八品に限る。正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し、権大乗並に涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊普賢等を以て脇士と為す。此等の仏をば正像に造り画けども、未だ寿量の仏有さず。末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか。
<中略>
地涌千界正像に出でざるは、正法一千年の間は小乗権大乗なり。機時共に之れ無く四依の大士小権を以て縁と為して在世の下種之を脱せしむ、謗多くして熟益を破る可き故に之を説かず。

例せば在世の前四味の機根の如し、像法の中末に観音・薬王・南岳・天台等と示現し出現して迹門を以て面と為し本、門を以て裏と為して、百界千如・一念三千其の義を尽せり。但理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊未だ広く之を行ぜず。所詮円機有つて円時無き故なり。
今末法の初小を以て大を打ち、権を以て実を破し、東西共に之を失し天地顛倒せり。迹化の四依は隠れて現前せず、諸天其の国を棄て之を守護せず。

此の時地涌の菩薩始めて世に出現し、但妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ「因謗堕悪必因得益(注)」とは是なり。
我が弟子之を惟(おも)え、地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子なり。寂滅道場に来らず雙林最後にも訪わず不孝の失之れ有り迹門の十四品にも来らず、本門の六品には座を立つ但八品の間に来還せり、是くの如き高貴の大菩薩・三仏に約束して之を受持す、末法の初に出で給わざる可きか。
当に知るべし、此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す』と。

注「因謗堕悪必因得益」:天台第六祖・妙楽大師「法華文句記」からの引用。謗法の因で悪に堕ちても、必ずその因によって利益を得るという意。妙法蓮華経 不軽菩薩品二十にも説かれている。日蓮大聖人は、妙法蓮華経を説かれて、たとえ批判し反逆する末法の衆生でも、この逆縁で未来世に妙法に縁を結び仏道に入り作仏すると説いた。毒鼓の縁(どっくのえん)とも言う。


観心本尊抄 要点解説その十に続く





by johsei1129 | 2016-11-21 18:43 | 観心本尊抄(御書五大部) | Comments(0)
2016年 11月 20日

観心本尊抄 要点解説 その八

日蓮大聖人は、衆生に仏界が備わっていることを解き明かすと、次に「此れより堅固に之を秘す」として、いよいよ仏界とは『妙法連義経』であると言う核心に迫っていきます。

『 問うて曰く教主釈尊は此れより堅固に之を秘す三惑已断の仏なり、又十方世界の国主・一切の菩薩・二乗・人天等の主君なり。行の時は梵天左に在り、帝釈右に侍べり、四衆八部後に聳い、金剛前に導びき、八万法蔵を演説して一切衆生を得脱せしむ。是くの如き仏陀、何を以て我等凡夫の己心に住せしめんや』
  (中略)
『普賢経に云く「此の大乗経典(法華経)は諸仏の宝蔵十方三世の諸仏の眼目なり。乃至三世の諸の如来を出生する種なり。乃至汝大乗を行じて仏種を断ぜざれ」等云云。
又云く「此の方等経(法華経)は是れ諸仏の眼なり諸仏是に因つて五眼を具することを得・仏の三種の身は方等従り生ず是れ大法印にして涅槃海に印す、此くの如き海中能く三種の仏の清浄身を生ず。此の三種の身は人天の福田なり」等云云。
 (中略)
然りと雖も詮ずる所は一念三千の仏種に非ずんば有情の成仏・木画二像の本尊は有名無実なり。
(中略)
私に会通を加えば本文を黷が如し。爾りと雖も文の心は、
釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う。
四大声聞の領解に云く「無上宝聚・不求自得」云云。我等が己心の声聞界なり。
「我が如く等くして異なる事無し。我が昔の所願の如き今は已に満足しぬ、一切衆生を化して皆仏道に入らしむ」。

『妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳は骨髄に非ずや。宝塔品に云く「其れ能く此の経法を護る事有らん者は、則ち為れ我及び多宝を供養するなり。乃至亦復諸の来り給える化仏の諸の世界を荘厳し光飾し給う者を供養するなり」等云云。
釈迦・多宝・十方の諸仏は我が仏界なり其の跡を継紹して其の功徳を受得す。「須臾も之を聞く・即阿耨多羅三藐三菩提を究竟するを得」とは是なり。寿量品に云く「然るに我実に成仏してより已来・無量無辺百千万億那由佗劫なり」等云云。
我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり。経(如来寿量品)に云く「我本菩薩の道を行じて・成ぜし所の寿命・今猶未だ尽きず・復上の数に倍せり」等云云。我等が己心の菩薩等なり、地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属なり』

[妙法蓮華経妙 如来寿量品第十六]

諸善男子。我本行菩薩道。所成寿命。
今猶未尽。復倍上数。然今非実滅度。
而便唱言。当取滅度。如来以是方便。教化衆生。
[和訳]

諸の善男子よ。我、本より菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命は、
今も猶、未だ尽きず、復た上の数に倍せり。然して今、実に滅度するに非ずとも、
而して、便ち「当に滅度を取る」と唱えて言う。如来はこの方便を以て、衆生を教化せり。


観心本尊要点解説 その九に続く




by johsei1129 | 2016-11-20 21:28 | 観心本尊抄(御書五大部) | Comments(0)
2016年 11月 19日

観心本尊抄 要点解説 その七

日蓮大聖人は次に「十界互つ具の仏語分明なり。然りと雖も我等が劣心に仏法界を具すること信を取り難き者なり」と、論難を立て末法の衆生に仏界が備わっていることを比喩を用いて深く論じていきます。

『問うて曰く、十界互具の仏語分明なり、然りと雖も我等が劣心に仏法界を具すること信を取り難き者なり。今時之を信ぜずば必ず一闡提(注1)と成らん願くば大慈悲を起して之を信ぜしめ阿鼻の苦を救護したまえ。

答えて曰く、汝既に唯一大事因縁の経文を見聞して之を信ぜざれば、釈尊より已下四依の菩薩並びに、末代理即(注2)の我等如何が汝が不信を救護せんや。然りと雖も試みに之を云わん。仏に値いたてまつつて覚らざる者、阿難等の辺にして得道する者之れ有ればなり。其れ機に二有り、一には仏を見たてまつり法華にして得道す。二には仏を見たてまつらざれども法華にて得道するなり。其の上仏教已前は漢土の道士・月支の外道・儒教・四韋陀等を以て縁と為して正見に入る者之れ有り。又利根の菩薩凡夫等の華厳・方等・般若等の諸大乗経を聞きし縁を以て、大通久遠の下種を顕示する者多々なり。例せば独覚の飛花落葉の如し、教外の得道是なり。

過去の下種結縁無き者の権小に執着する者は、設い法華経に値い奉れども小権の見を出でず。自見を以て正義と為るが故に還つて法華経を以て或は小乗経に同じ、或は華厳大日経等に同じ或は之を下す。此等の諸師は儒家外道の賢聖より劣れる者なり。此等は且らく之を置く、十界互具之を立つるは、石中の火、木中の花信じ難けれども、縁に値うて出生すれば之を信ず。人界所具の仏界は、水中の火、火中の水、最も甚だ信じ難し。然りと雖も竜火は水より出で竜水は火より生ず。心得られざれども現証有れば之を用ゆ。

既に人界の八界之を信ず、仏界何ぞ之を用いざらん。尭舜等(注3)の聖人の如きは、万民に於て偏頗無し。人界の仏界の一分なり。不軽菩薩は所見の人に於て仏身を見る。悉達太子(注4)は人界より仏身を成ず、此等の現証を以て之を信ず可きなり。


注1 一闡提:大般涅槃経で釈尊が在家信徒・純陀に対して次のように説いている。「仏の教えを誹謗し懺悔せず、四重禁を犯し五逆罪を為しても全く恐れず、嘘をついて周囲の人々を惑わし、悪に染まった心を直さず、仏法を信じないと公然と言うものを一闡提という」と。
   つまり仏法不信の者を指す。法華経以前で釈尊は、一闡提・女人・二乗(声聞・縁覚)は不作仏と説いていたが、法華経ですべての衆生
   は仏界を有し「如我等無異(我如く等しくして異なる無からしむ)として全て法華経を受持することで作仏すると説いた。
注2 末代理即:天台教学で、仏の悟りに至るまでの六段階の境地。理即は法華経を受持していないが理としては仏界を有している衆生のこ     と。名字即(法華経を初めて受持した段階)、さらに観行即(仏性を内観する境地)、相似即・分真即と修行が進み、究竟即(仏の悟りの境地)に到る。       
注3 尭舜:中国の神話に登場する君主、尭と舜。徳をもって天下を治めたとされる。
注4 悉達太子:釈尊が出家前、釈迦族の太子だったときの名前。


観心本尊抄 要点解説その八に続く






by johsei1129 | 2016-11-19 16:48 | 観心本尊抄(御書五大部)
2016年 11月 18日

観心本尊抄 要点解説 その六

日蓮大聖人は「観門の難信難解は百界千如一念三千にして、非情の上の色心の二法十如是是なり」と質した後、本尊を縁として衆生の己心の仏界を開く原理を解き明かすために「十界互具」について論を展開します。

『問うて曰く出処既に之を聞く観心の心如何。答えて曰く観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり。譬えば他人の六根(※眼,耳,鼻,舌, 身,意の感応力)を見ると雖も、未だ自面の六根を見ざれば自具の六根を知らず、明鏡に向うの時始めて自具の六根を見るが如し。
設い諸経の中に処処に六道並びに四聖を載すと雖も、法華経並びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡を見ざれば、自具の十界・百界千如・一念三千を知らざるなり。

問うて云く法華経は何れの文ぞ、天台の釈は如何。答えて曰く法華経第一(巻)方便品(注1)に云く「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」等云云。是は九界所具の仏界なり。
寿量品に云く「是くの如く我成仏してより已来甚大に久遠なり寿命・無量阿僧祇劫、常住にして滅せず。諸の善男子、我本菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命今猶未だ尽きず復上の数に倍せり」等云云。此の経文は仏界所具の九界なり。
経に云く「提婆達多乃至天王如来」等云云、地獄界所具の仏界なり。
経に云く「一を藍婆と名け乃至汝等但能く法華の名を護持する者は福量るべからず」等云云、是れ餓鬼界所具の十界なり。
経に云く「竜女乃至成等正覚」等云云、此れ畜生界所具の十界なり。
耨多羅三藐三菩提を得べし」等云云、修羅界所具の十界なり。
経に云く「若し人仏の為の故に乃至皆已に仏道を成ず」等云云、此れ人界所具の十界なり。
経に云く「大梵天王乃至我等も亦是くの如く、必ず当に作仏することを得べし」等云云。此れ天界所具の十界なり。
経に云く「舎利弗乃至華光如来」等云云、此れ声聞界所具の十界なり。
経に云く「其の縁覚を求むる者、比丘比丘尼乃至合掌し敬心を以て具足の道を聞かんと欲す」等云云、此れ即ち縁覚界所具の十界なり。
経に云く「地涌千界乃至真浄大法」等云云、此れ即ち菩薩所具の十界なり。
経に云く「或説己身或説他身」等云云、即ち仏界所具の十界なり。

ここで大聖人は『 問うて曰く自他(自分・他人)面の六根共に之を見る。彼此の十界に於ては未だ之を見ず、如何が之を信ぜん』と、敢えて論難を立ててから、己心の十界についてさらに深く論を展開していきます。

『答えて曰く法華経法師品に云く「難信難解」宝塔品に云く「六難九易」等云云、天台大師云く「二門悉く昔と反すれば難信難解なり」。
章安大師云く「仏此れを将て大事と為す何ぞ解し易きことを得可けんや」等云云、伝教大師云く「此の法華経は最も為れ難信難解なり随自意の故に」等云云。
(中略)
『答う数ば他面を見るに或時は喜び或時は瞋り或時は平に或時は貪り現じ、或時は癡現じ或時は諂曲なり。瞋るは地獄・貪るは餓鬼・癡は畜生・諂曲なるは修羅・喜ぶは天・平かなるは人なり。
他面の色法に於ては六道共に之れ有り。四聖は冥伏して現われざれども委細に之を尋ねば之れ有る可し。

 問うて曰く六道に於て分明ならずと雖も粗之を聞くに之を備うるに似たり。四聖(注2)は全く見えざるは如何。
答えて曰く前には人界の六道之を疑う、然りと雖も強いて之を言つて相似の言を出だせしなり。四聖も又爾る可きか試みに道理を添加して万か一之を宣べん。
所以に世間の無常は眼前に有り豈人界に二乗界無からんや。無顧の悪人も猶妻子を慈愛す菩薩界の一分なり。但仏界計り現じ難し、九界を具するを以て強いて之を信じ疑惑せしむること勿れ。法華経の文に人界を説いて云く「衆生をして仏知見を、開かしめんと欲す」。涅槃経に云く「大乗を学する者は肉眼有りと雖も名けて仏眼と為す」等云云。
末代の凡夫、出生して法華経を信ずるは、人界に仏界を具足する故なり

注1:法華経巻一、方便品第二 
[原文]
舎利弗。云何名諸仏世尊。唯以一大事因縁故。出現於世。
諸仏世尊。欲令衆生。開仏知見。使得清浄故。出現於世。
欲示衆生。仏知見故。出現於世。
欲令衆生。悟仏知見故。出現於世。
欲令衆生。入仏知見道故。出現於世
[和訳]
舎利弗よ、いかなるにより諸の仏世尊は、唯、一大事因縁の故を以て、この世に出現したと名づくのか。
諸の仏世尊は、衆生をして、仏知見を開き、清浄なることを得さ使めんとしてこの世に出現したのだ。
衆生をして、仏知見を示さんと欲して、この世に出現したのだ。
衆生をして、仏知見を悟らしめんとして、この世に出現したのだ。
衆生をして、仏知見に入らせしめんとして、この世に出現したのだ。

注2:四聖   衆生は通常、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道の境涯を流転している。その六道から脱した次の四つの境涯を指す。声聞(仏の声を理解し、又他へ聞かせる境涯)、縁覚(独覚とも言う。自らの力で縁に触れ一定の悟りを得る境涯。例えばニュートンがリンゴが木から落ちるのを見て万有引力の法則を発見したことの様な境涯)、菩薩(他者を救済しようとする境涯。)、仏界(釈尊は法華経で、全ての衆生は仏界を有しており、それを開き悟ることで仏になると解き明かした)


観心本尊抄 要点解説 その七に続く





by johsei1129 | 2016-11-18 21:15 | 観心本尊抄(御書五大部) | Comments(0)
2016年 11月 17日

観心本尊抄 要点解説 その五

日蓮大聖人は本抄冒頭で天台大師著作の最高峰「摩訶止観」を引用し、天台教学の中核「一念三千」の法門を示し、衆生に仏界の生命が存在することを詳細に解き明かします。

『摩訶止観第五に云く、 「夫れ一心に十法界を具す。一法界に又十法界を具すれば百法界なり。一界に三十種の世間を具すれば百法界に即三千種の世間を具す。世間と如是と一なり、開合の異なり。此の三千、一念の心に在り。若し心無んば已みなん。介爾(けに)も心有れば即ち三千を具す。乃至、所以(ゆえ)に称して不可思議境と為す意此に在り」等云云。或本に云く「一界に 三種の世間を具す」と。』

続いて一念三千は有情・非情に亘る事を、問答方式で順次解き明かします。

『問うて曰く百界千如と一念三千と差別如何、答えて曰く百界千如は有情界に限り一念三千は情非情に亘る。不審して云く、非情に十如是亘るならば草木に心有つて有情の如く成仏を為す可きや如何。
答えて曰く、此の事難信難解なり。天台の難信難解に二有り。一には教門の難信難解、二には観門の難信難解なり。其の教門の難信難解とは、一仏の所説に於て爾前の諸経には二乗、闡提は未来に永く成仏せず、教主釈尊は始めて正覚を成じ、法華経迹本二門に来至し給い彼の二説を壊る。一仏二言水火なり、誰人か之を信ぜん。此れは教門の難信難解なり。

観門の難信難解は百界千如一念三千にして、非情の上の色心の二法十如是是なり。爾りと雖も木画の二像に於ては、外典内典共に之を許して本尊と為す。其の義に於ては天台一家より出でたり。草木の上に色心の因果を置かずんば、木画の像を本尊に恃み奉ること無益なり。

疑つて云く、草木国土の上の十如是の因果の二法は何れの文に出でたるや。答えて曰く、止観第五に云く「国土世間亦十種の法を具す。所以(いわゆる)悪国土・相・性・体・力」等と云云。釈籤(※)第六に云く「相は唯色に在り、性は唯心に在り、体・力・作・縁は義色心を兼ね、因果は唯心・報は唯色に在り」等云云。金ぺい論(※)に云く「乃ち是れ一草・一木・一礫・一塵・各一仏性・各一因果あり縁了を具足す」等云云。

注(※)釈籤:中国天台第六祖・荊渓湛然(妙楽大師)の著述で、天台『法華玄義』の註釈書。
注(※)金ぺい論:妙楽大師の著述、「金錍論十不二門」の略名。

観心の本尊抄 要点解説その六に続く






by johsei1129 | 2016-11-17 19:02 | 観心本尊抄(御書五大部) | Comments(0)
2016年 11月 16日

観心本尊抄 要点解説 その四

日蓮大聖人は本抄のはじめに紙幅に本尊を図現することの根拠として、有情・非情に渡って仏界(仏の命・境涯)が存在することを解き明かしていきます。

一般的にはこの世の存在を生物・無生物として分類するが、仏法では有情・非情と分別する。つまり人間いえば、髪・爪は非情となり、人間は有情・非情の混在した存在と見る。

この事について日蓮大聖人は「三世諸仏総勘文教相廃立」で次のように説かれておられます。
「総じて一代の聖教は一人の法なれば我が身の本体を能く能く知る可し。之を悟るを仏と云い之に迷うは衆生なり。此れは華厳経の文の意なり。

弘決の六に云く「此の身の中に具さに天地に倣うことを知る。頭の円かなるは天に象り、足の方なるは地に象ると知り、身の内の空種なるは即ち是れ虚空なり。腹の温かなるは春夏に法とり、背の剛きは秋冬に法とり、四体は四時に法とり、大節の十二は十二月に法とり、小節の三百六十は三百六十日に法とり、鼻の息の出入は山沢渓谷の中の風に法とり、口の息の出入は虚空の中の風に法とり、眼は日月に法とり、開閉は昼夜に法とり、髪は星辰に法とり、眉は北斗に法とり、脈は江河に法とり、骨は玉石に法とり、皮肉は地土に法とり、毛は叢林に法とり。
五臓は天に在つては五星に法とり、地に在つては五岳に法とり、陰・陽に在つては五行に法とり、世に在つては五常に法とり、内に在つては五神に法とり、行を修するには五徳に法とり、罪を治むるには五刑に法とる」と。

観心本尊抄 要点解説その五に続く。





by johsei1129 | 2016-11-16 21:12 | 観心本尊抄(御書五大部) | Comments(0)
2016年 11月 15日

観心本尊抄 要点解説 その三

日蓮大聖人は開目抄と同様に、本抄も自ら題号を名づけられました。
そしてこの「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」という題号にこそ、本抄の核心が込められております。

如来滅後とは、月氏国応誕の釈尊滅後の意で、五五百歳とは釈尊が大集経で説いた仏法の弘通の過程を五百年単位で記した予言です。
その内容は、釈尊滅後の五百年間は「解脱堅固(げだつけんご)」で次の五百年は「禅定堅固(ぜんじょうけんご)」となり、以上正法千年(=釈尊の教えが正しく伝わる期間)となります。さらに次の五百年は「読誦多門堅固」となり、次の五百年は「多造塔寺堅固」で、以上像法千年((=釈尊の教えそのものではなく似た教えが伝わる期間)となります。
そして正像二千年で釈尊の白法は功力を失い隠没し、末法に入り「闘諍言訟(とうじょうごんしょう)」の五百年を迎えます。

つまり観心本尊抄は、日蓮大聖人が五番目の五百歳である闘諍言訟の時代(日本では武士の台頭による下剋上の時代)に仏法流布の歴史上始めて「観心本尊」を図現なされることを明かされた書であることを宣言為される意であります。

実際に仏法伝搬の過程は大集経の予言通り展開されていきます。釈尊滅後は主に小乗経が東アジアに伝播していきます。その後「読誦多門堅固」の時代に入ると「西遊記」に象徴されるように、中国から訳僧が月氏国(インド)に渡り、釈尊の一切経を持ち帰り漢訳が盛んにおこなわれ、それともない仏道修行として八万法蔵とも言われる仏典が東南アジア、中国、日本で読誦されます。その後東南アジア、中国、日本は、国自体が仏教国となり、国王の意志の元、数多くの仏教伽藍が建立される「多造塔寺堅固」の時代に入ります。

尚、大集経に説かれている正法・像法という仏説は法華経でも釈尊は説かれております。
例えば妙法蓮華経 譬喩品第三で釈尊が舎利弗に将来「華光如来」となるという記別を与える時に、釈尊は、
「舎利弗 是華光仏 滅度之後 正法住世 三十二小劫 像法住世 亦三十二小劫」と説き、華光仏が滅度した後、正法が世に住すること 三十二小劫、像法が世に住すること亦、三十二小劫続くと示しております。


観心本尊抄 要点解説その四に続く



 


by johsei1129 | 2016-11-15 22:20 | 観心本尊抄(御書五大部) | Comments(0)
2016年 11月 14日

観心本尊抄 要点解説その二

日蓮大聖人は富木常忍に宛てた本抄の送り状で「観心本尊抄」の重要性について次のように認められておられます。
「此の事日蓮身に当るの大事なり之を秘す。無二の志を見ば之を開拓せらる可きか、此の書は難多く答少し未聞の事なれば人耳目を驚動す可きか、設い他見に及ぶとも三人四人坐を並べて之を読むこと勿れ。仏滅後二千二百二十余年未だ此の書の心有らず」と。

この中で[三人四人坐を並べて之を読むこと勿れ」とは、本抄に書かれたことについて皆で議論することなく、そのまま受け止めるよう諭された意と推察されます。
また「仏滅後二千二百二十余年未だ此の書の心有らず」とは、本抄に説かれた「本尊」そのものはいまだ出現されていなく、又この本尊を渇仰する衆生の心が未だ生じていないことを意味すると推知されます。そして現存している建治元年十一月に図現なされた御本尊にはこの御文に呼応するべく「佛滅後二千二百二十余年間一閻浮提之内未有大漫荼羅也」と認められておられ、これ以降御図現なされた御本尊は数幅以外全てこの御文が認められておられます。

尚、日蓮大聖人は、建長五年四月二十八日の立宗宣言当初から、末法の衆生救済の為に御本尊を図現する志を持っていたものと思われます。
立宗宣言の七年後に著わされた「立正安国論」と同時期に述作なされた「唱法華題目抄」では次のように末法に出現する御本尊の相妙について認められておられます。。
「問うて云く法華経を信ぜん人は本尊並に行儀並に常の所行は何にてか候べき。
 答えて云く、第一に本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと法師品並に神力品に見えたり。又たへたらん人は釈迦如来・多宝仏を書いても造つても、法華経の左右に之を立て奉るべし。又たへたらんは十方の諸仏・普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし行儀は本尊の御前にして必ず坐立行なるべし。道場を出でては行住坐臥をえらぶべからず。常の所行は題目を南無妙法蓮華経と唱うべし。たへたらん人は一偈・一句をも読み奉る可し。助縁には南無釈迦牟尼仏・多宝仏・十方諸仏・一切の諸菩薩・二乗・天人・竜神・八部等心に随うべし、愚者多き世となれば一念三千の観を先とせず、其の志あらん人は必ず習学して之を観ずべし」と。

観心本尊抄 要点解説その三に続く





by johsei1129 | 2016-11-14 22:05 | 観心本尊抄(御書五大部) | Comments(0)
2016年 11月 13日

観心本尊抄 要点解説 その一

日蓮大聖人は人本尊開顕の書「開目抄」を文永九年二月に書き終えた後、翌年の文永十年四月二十五日に法本尊開顕の書「如来滅後五五百歳に始む観心の本尊抄(観心の本尊抄)」を書き終えられます。
開目抄は鎌倉の強信徒、四条金吾に宛てられておられますが、観心の本尊抄は下総在住の強信徒、大田乗明・曽屋教信・富木常忍等に充てられておられます。
御真筆は大田乗明・富木常忍により開基された現、中山法華経寺に完存されており、国宝に指定されておられます。
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 [観心本尊抄 御真筆冒頭箇所(中山法華経寺・所蔵)]

本抄で日蓮大聖人は、末法の衆生救済のため、全ての衆生に内在する仏界(仏の命・境涯)を開き悟るための信仰の対象となる『本尊』の具体的姿(相妙)、及びその確たる根拠を、経及び釈(法華経並びに天台大師著作の摩訶止観等)に基づいて明らかにされておられます。

そして『観心本尊抄』出筆後の文永十年七月八日、流罪地の佐渡にて大聖人自ら始めて筆で『御本尊』をしたためておられます。

観心本尊抄 要点解説 その二に続く





by johsei1129 | 2016-11-13 18:52 | 観心本尊抄(御書五大部) | Comments(0)