日蓮大聖人『御書』解説

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カテゴリ:大田乗明・尼御前( 12 )


2016年 02月 05日

大聖人が『三大秘法禀承事』を送られた程法門に理解の深かった大田乗明の罪障消滅を祈られた事を記 された【除病御書】

【除病御書】
■出筆時期:建治元年(1275) 五十四歳御作。
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は前半部分が伝えられておらず、正確な著作日等不明ですが、建治元年、大田乗明に与えられた消息と思われます。
内容は大田乗明が病に倒れた事を知らされた大聖人は、大田乗明のために法華経(御本尊)に過去世・今世の謗法の積もった罪障消滅を祈った所、今日無事に除病したと聞いて「喜悦何事か之に過ぎん。事事見参を期せん」と喜ばれるととともに、身延に見参するよう指導されておられます。

尚、大聖人は御遷化なされる半年前に、本門の戒壇建立の御遺命を記された『三大秘法禀承事』を大田乗明に送られており、門下の中で最も大聖人の法門に理解のある信徒のであると認められおられたと推察されます。
大田乗明はこのあと八年間寿命を延ばし、大聖人御遷化の翌年弘安六年四月二十六日、大聖人に随順した尊い七十六歳の生涯を終えられます。
■ご真筆:現存しておりません。

【除病御書 本文】

其の上日蓮の身並びに弟子又過去謗法の重罪未だ尽きざるの上、現在多年の間謗法の者と為り、亦謗法の国に生る。
当時信心深からざらんか、豈之を脱れんや。

但し貴辺此の病を受くるの理、或人之を告ぐ。
予(日連大聖人)日夜朝暮に法華経に申し上げ朝暮に青天に訴う、除病の由今日之を聞く、喜悦何事か之に過ぎん。
事事見参を期せん、恐恐。




by johsei1129 | 2016-02-05 20:57 | 大田乗明・尼御前 | Comments(0)
2016年 01月 01日

大聖人の故郷・下総の古参の強信徒大田乗明を上人と尊称された消息【乗明上人御返事】

【乗明上人御返事】
■出筆時期:弘安二年(西暦1279年)二月十七日 五十八歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本消息は富木常忍、曾谷教信と並び下総(千葉)の古参の強信徒、大田乗明が、米一石を大聖人へご供養されたことへの返書となっております。
一紙に大書された短い消息ですが、本消息に特徴的ことは「乗明上人」と在家の信徒に上人という尊称を与えられておられることです。
大田乗明は、代々鎌倉幕府・問註所(現在の裁判所)に務める家系の武士で、信徒の中で最も大聖人の本門への理解が深かったと思われ、大聖人が御遷化なされる半年前の弘安五年四月八日、本門の戒壇建立を御遺命された「三大秘法禀承事」を賜っておられます。また次男は出家し日高の法号を賜り、富木常忍が開基した中山法華経寺の二代目となっております。自身は大聖人御遷化の半年後、後を追うように大聖人に随順した尊い七十六歳の生涯を終えられております。
■ご真筆: 大阪府・長久寺(全文)所蔵。
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【乗明上人御返事】

[原文の漢文]
乗明上人一石送
山中 得福過十
号功徳 恐々謹言
七月廿七日
     日蓮花押
御返事

[和文]
乗明上人一石を山中に送らる。
福十号に過ぐる功徳を得ん。恐々謹言。

七月廿七日    日蓮花押
御返事





by johsei1129 | 2016-01-01 18:07 | 大田乗明・尼御前 | Comments(0)
2015年 12月 21日

冬の身延ですごす大聖人を思いやり、棉入りの小袖を供養された大田入道の妻を称えられた消息【太田殿女房御返事】

【太田殿女房御返事】
■出筆時期:建治三年(1277年)十一月十八日 五六歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は、太田入道の妻が大聖人に当時では貴重な十両(銭六十貫以上に相当)に及ぶ棉入の小袖を供養されたことへの返書となっております。本抄を記されたのは現在の十二月末頃で、太田入道の妻は身延の厳しい冬を過ごされている大聖人を思いやって十両もの綿が入った小袖を供養されたと思われます。

大聖人は「憍曇弥と申せし女人は、仏にきんばら衣をまいらせて、一切衆生喜見仏となり給ふ」と、仏伝の謂れを示すとともに、大田入道の妻の志について「今法華経に衣をまいらせ給ふ女人あり。後生には八寒地獄の苦をまぬがれさせ給ふのみならず、今生には大難をはらひ、其の功徳のあまりを男女のきんだち、きぬにきぬをかさね、いろにいろをかさね給ふべし」と称えられておられます。
■ご真筆:現存しておりません。

【太田殿女房御返事 本文】

 柳のあをうら(青裏)の小袖、わた十両に及んで候か。
此の大地の下に二つの地獄あり。一には熱地獄。すみををこし、野に火をつけ、せうまうの火、鉄のゆのごとし。罪人のやくる事は、大火に紙をなげ、大火にかなくづをなぐるがごとし。この地獄へは、やきとりと、火をかけてかたきをせめ、物をねたみて胸をこがす女人の堕つる地獄なり。二には寒地獄。此の地獄に八あり。

涅槃経に云はく「八種の寒氷地獄あり。所謂阿波々地獄・阿羅々地獄・阿羅々地獄・阿婆々地獄・優鉢羅地獄・波頭摩地獄・拘物頭地獄・芬陀利地獄」云云。此の八大かん地獄は、或はかんにせめられたるこえ、或は身のいろ等にて候。此の国のすはの御いけ、或は越中のたて山のかへし、加賀の白山のれいのとりのはねをとぢられ、やもめをうなのすそのひゆる、ほろゝの雪にせめられたるをもてしろしめすべし。

かんにせめられて、をとがいのわなめく等を阿波々・阿咤々・阿羅々等と申す。
かん(寒)にせめられて、身のくれないににたるを紅蓮・大紅蓮等と申すなり。いかなる人の此の地獄にをつるぞと申せば、此の世にて人の衣服をぬすみとり、父母師匠等のさむげなるをみまいらせて、我はあつくあたゝかにして昼夜をすごす人々の堕つる地獄なり。

六道の中に天道と申すは、其の所に生ずるより衣服とゝのをりて生まるゝところなり。人道の中にも商那和修・鮮白比丘尼等は悲母の胎内より衣服とゝのをりて生まれ給へり。是はたうとき人々に衣服をあたへたるのみならず、父母・主君・三宝にきよくあつき衣をまいらせたる人なり。商那和修と申せし人は、裸形なりし辟支仏に衣をまいらせて、世々生々に衣服身に随ふ。

憍曇弥と申せし女人は、仏にきんばら衣をまいらせて、一切衆生喜見仏となり給ふ。今法華経に衣をまいらせ給ふ女人あり。後生には八寒地獄の苦をまぬがれさせ給ふのみならず、今生には大難をはらひ、其の功徳のあまりを男女のきんだち、きぬにきぬをかさね、いろにいろをかさね給ふべし。
穴賢穴賢。

十一月十八日               日 蓮 花押
太田入道殿女房御返事



 


by johsei1129 | 2015-12-21 22:23 | 大田乗明・尼御前 | Comments(0)
2015年 12月 15日

飢えた世に蔵を開いて全てを民に施した金色大王に匹敵すると称えられた【大田殿女房御返事】

【大田殿女房御返事】
■出筆時期:弘安元年(西暦1278年)九月二十四日 五十七歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は鎌倉幕府問註所(現在の裁判所)に勤めていた強信徒の大田乗明の夫人に宛てられた書です。大田乗明は富城常忍と共に下総国での中心となる強信徒で大聖人の外護に務められ、三大秘法抄を与えられるなど、大聖人の法門への理解も深かったと思われます。また子息は出家し日高の名を賜り中山法華経寺の開基に尽力しております。

大聖人は本抄で金色王経に説かれている金色大王の謂れを説いて、大田入道夫妻のご供養は金色大王に匹敵し、「現世には福人となり後生には霊山浄土へまいらせ給うべし」と称えられておられます。

金色大王の謂れとは「金色大王が治めていた波羅奈国が旱魃による飢饉で民が飢えていた時、大王は蔵を開いて民に施し、最後に残された大王の一日分の米も全て衆僧に供養し、まさに飢え死にせんとするその時「天より飲食雨のごとくふりて大国一時に富貴せり」となったとのことです。これは本抄を記された弘安元年も前年から続く疫病のため日本中がまさに金色王経で説かれている「宅中には死人充満し道路には骸骨充満せり」の状況だったと思われます。
■ご真筆:現存しておりません。

[大田殿女房御返事 本文]

 八木(米)一石、付たり十合。
者(てへれば=というわけで)大旱魃の代に、かはける物に水をほどこしては大竜王と生れて雨をふらして人天をやしなう。うえたる代に食をほどこせる人は国王と生れて其の国ゆたかなり。

過去の世に金色と申す大王ましましき、其の国をば波羅奈国と申す。十二年が間旱魃ゆきて人民うえ死ぬ事おびただし、宅中には死人充満し道路には骸骨充満せり。
其の時大王一切衆生をあはれみて、おおくの蔵をひらきて施をほどこし給いき。蔵の中の財つきて唯一日の御供のみのこりて候いし、衆僧をあつめて供養をなし王と后と衆僧と万民と皆うえ死なんとせし程に、天より飲食雨のごとくふりて大国一時に富貴せりと金色王経にとかれて候。

此れも又かくのごとし、此の供養によりて現世には福人となり後生には霊山浄土へまいらせ給うべし。恐恐謹言。

九月二十四日  日 蓮 花押
大田入道殿女房御返事





by johsei1129 | 2015-12-15 19:09 | 大田乗明・尼御前 | Comments(0)
2015年 10月 27日

勝れたる経を供養する施主、一生に仏位に入らざらんや、と説いた。【乗明聖人御返事】

【乗明聖人御返事】
■出筆時期:建治三年(1277)四月十二日 五十六歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は、大田乗明夫妻が青鳧(銭)二結を供養されたことへの返書となっております。
大聖人は金珠女と金師の夫(迦葉)が、金銭一文を金箔にし仏像に貼ったことで九十一劫も金色の身と為った故事を引いて、「今の乗明法師妙日並びに妻女は銅銭二千枚を法華経に供養す。彼(迦葉)は仏(像)なり、此れ(乗明)は経(ご本尊)なり、経は師なり、仏は弟子なり。涅槃経に云く「諸仏の師とする所は所謂法なり乃至是の故に諸仏恭敬供養す」と記され、諸仏は経を師として仏になった、貴方は経そのものに供養するので「勝れたる経を供養する施主、一生に仏位に入らざらんや」と讃えられておられます。

尚、本抄は比較的短いお手紙ですが、重要な点があります。一つは乗明が幕府問註所(現在の最高裁判所)の役人で漢文の素養があり、大聖人は乗明への消息は全て漢文で認められておられ、本書も同様に漢文で記されておられます。もう一つは宛名が乗明聖人となっていることです。これは信徒に対する尊称としては極めて異例であります。大聖人は弘安五年十月十三日に滅度される半年前に、本門の戒壇建立のご遺命を記された[三大秘法禀承事]を大田乗明に対して書き遺しことでもわかるよに、如何に大聖人の法門への理解が深いかと乗明を高く評価していたかが伺われます。
その三大秘法禀承事の文末では、こう記されておられます。「今日蓮が時に感じて此の法門広宣流布するなり、予年来己心に秘すと雖も此の法門を書き付て留め置ずんば門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加う可し。其の後は何と悔ゆとも叶うまじきと存ずる間貴辺に対し書き遺し候、一見の後、秘して他見有る可からず口外も詮無し、法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は、此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給えばなり、秘す可し秘す可し」と。
■ご真筆:中山法華経寺所蔵(重要文化財)。
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[真筆本文:本文緑字箇所]
未來光明如來是也
今乘明法師
妙日并妻女銅
錢二千枚供養
法花經 彼佛也 此經也
經師也 佛弟子也 涅槃經云
諸佛所師所謂法也
乃至是故諸佛恭敬
供養 法華經第七云
若復有人以七寶滿三

[乗明聖人御返事 本文]

相州の鎌倉より青鳧二結甲州身延の嶺に送り遣わされ候い了んぬ。

昔金珠女は金銭一文を木像の薄と為し九十一劫金色の身と為りき。其の夫の金師は今の迦葉、未来の光明如来是なり。
今の乗明法師妙日並びに妻女は、銅銭二千枚を法華経に供養す。
彼は仏なり此れは経なり経は師なり仏は弟子なり、涅槃経に云く「諸仏の師とする所は所謂法なり乃至是の故に諸仏恭敬供養す」と。
法華経の第七に云く「若し復人有つて七宝を以て三千大千世界に満
てて仏及び大菩薩・辟支仏・阿羅漢を供養せし、是の人の得る所の功徳は此の法華経の乃至一四句偈を受持する其の福の最も多きに如かず」、夫れ劣る仏を供養する尚九十一劫に金色の身と為りぬ。勝れたる経を供養する施主・一生に仏位に入らざらんや。

但真言・禅宗・念仏者等の謗法の供養を除き去るべし。譬えば修羅を崇重しながら帝釈を帰敬するが如きのみ、恐恐謹言。

卯月十二日                    日 蓮 花押
乗明聖人御返事


【妙法蓮華経 薬王菩薩本事品 第二十三】
 若復有人 以七宝満 三千大千世界
 供養於仏 及大菩薩 辟支仏 阿羅漢
 是人所得功徳 不如受持 此法華経
 乃至一四句偈 其福最多

 [和訳]
 若し復た人有りて、七宝を以て三千大千世界(宇宙)に満たし
 仏及び大菩薩、辟支仏(縁覚)、阿羅漢(声聞)を供養する
 是の人が得る所の功徳は、此の法華経の
 乃至、一四句偈をも受持する、其の福の最も多きには及ばないのである。



by johsei1129 | 2015-10-27 19:11 | 大田乗明・尼御前 | Comments(0)
2015年 09月 08日

一歳より六十に及んで多くの物を見る中に悦ばしき事は法華最第一の経文なりと説いた【慈覚大師事】

【慈覚大師事】
■出筆時期:弘安三年(1280年)正月二十七日 五十九歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は大田入道(乗明)から鵞眼三貫・絹の袈裟一帖をご供養されたことへの返書となっております。大田乗明は大聖人が御遷化なされた半年前の弘安五年四月八日に「三大秘法禀承事」を賜り、大聖人の法門に深い理解をもった強信徒でした。
本抄で大聖人は「一歳より六十に及んで多くの物を見る中に悦ばしき事は法華最第一の経文なり」と断じ、比叡山延暦寺・第三祖の慈覚大師は「法華経の頭を切りて真言経の頂とせり」と一刀両断に破折されておられます。
さらに文末では「一向真言の座主にて法華経の所領を奪えるなり、しかれば此等の人人は釈迦・多宝・十方の諸仏の大怨敵<中略>我が弟子等此の旨を存じて法門を案じ給うべ」と記し、真言宗の本質を理解するよう諭されておられます。大聖人は三十九歳で立正安国論を著されておられますが、その時期は念仏の破折が根幹にありましたが、四十七歳の時、蒙古から国書が届き立正安国論で予言した他国侵逼難が的中した以降は、「真言亡国」の思いを強くいだき、各信徒への消息でもこの思いを幾度となく認められておられます。
■ご真筆:中山法華経寺(13紙)所蔵(重要文化財)。
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[真筆(第7紙)本文箇所:なる優曇花~夢のごとく勘へ 迄]

[慈覚大師事 本文]

鵞眼三貫・絹の袈裟一帖給い候い了んぬ、法門の事は秋元太郎兵衛尉殿の御返事に少少注して候御覧有るべく候。

なによりも受け難き人身値い難き仏法に値いて候に五尺の身に一尺の面あり其の面の中三寸の眼二つあり、一歳より六十に及んで多くの物を見る中に悦ばしき事は法華最第一の経文なり。

あさましき事は慈覚大師の金剛頂経の頂の字を釈して云く「言う所の頂とは諸の大乗の法の中に於て最勝にして無過上なる故に頂を以て之れに名づく乃至人の身の頂最も為勝るるが如し、乃至法華に云く是法住法位と今正しく此の秘密の理を顕説す、故に金剛頂と云うなり」云云、又云く「金剛は宝の中の宝なるが如く此の経も亦爾なり諸の経法の中に最為第一にして三世の如来の髻の中の宝なる故に」等云云、此の釈の心は法華最第一の経文を奪い取りて金剛頂経に付くるのみならず、如人之身頂最為勝の釈の心は法華経の頭を切りて真言経の頂とせり。

此れ即ち鶴の頚を切つて蝦の頚に付けけるか真言の蟆も死にぬ法華経の鶴の御頚も切れぬと見え候、此れこそ人身うけたる眼の不思議にては候へ、三千年に一度花開くなる優曇花は転輪聖王此れを見る。

究竟円満の仏にならざらんより外は法華経の御敵は見しらさんなり、一乗のかたき夢のごとく勘へ出して候、慈覚大師の御はかは・いづれのところに有りと申す事きこへず候、世間に云う御頭は出羽の国・立石寺に有り云云、いかにも此の事は頭と身とは別の所に有るか、明雲座主は義仲に頚を切られたり、天台座主を見候へば伝教大師は・さてをきまいらせ候いぬ、第一義真・第二円澄・此の両人は法華経を正とし真言を傍とせり、第三の座主・慈覚大師は真言を正とし法華経を傍とせり、其の已後代代の座主は相論にて思い定むる事無し、第五十五並びに五十七の二代は明雲大僧正座主なり、此の座主は安元三年五月日院勘を蒙りて伊豆の国へ配流、山僧・大津にて奪い取りて後治承三年十一月に座主となりて源の右将軍頼朝を調伏せし程に寿永二年十一月十九日義仲に打たれさせ給う、此の人生けると死ぬと二度大難に値えり、生の難は仏法の定例・聖賢の御繁盛の花なり死の後の恥辱は悪人・愚人・誹謗正法の人招くわざわいなり、所謂大慢ばら門・須利等なり。

粗此れを勘えたるに明雲より一向に真言の座主となりて後・今三十余代一百余年が間・一向真言の座主にて法華経の所領を奪えるなり、しかれば此等の人人は釈迦・多宝・十方の諸仏の大怨敵・梵釈・日月・四天・天照太神・正八幡大菩薩の御讎敵なりと見えて候ぞ、我が弟子等此の旨を存じて法門を案じ給うべし、恐恐。

正月二十七日 日 蓮 花押
太田入道殿御返事

by johsei1129 | 2015-09-08 22:53 | 大田乗明・尼御前 | Comments(0)
2015年 06月 07日

能く法華を持つ者は亦衆生の中の第一なり、と説いた【大田殿許御書】

【大田殿許御書】
■出筆時期:文永十二年(西暦1275)一月二十四日 五十四歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は幕府問注所の役人で、強信徒の大田乗明にあてた書で、特に法華経と真言宗の勝劣について詳細に論じている。大聖人は「所詮、天台伝教の如き聖人、公場に於て是非を決せず明帝桓武の如き国主之を聞かざる故か」と記し、天台伝教でさえその勝劣は明確にしていないと断じている。さらに「能く法華を持つ者は亦衆生の中の第一なり」と記し「予が門家等深く此の由を存ぜよ、今生に人を恐れて後生に悪果を招くこと勿れ」と諭されておられる。
■ご真筆: 中山法華経寺蔵(重要文化財)
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[真筆箇所本文:
新春之御慶賀
自他幸甚々。
抑俗諦・眞諦之中以
勝負爲詮 世間・出世
以甲乙爲先歟。而諸經諸
宗勝劣三國聖人共存
之 兩朝群賢同知之歟。
法華經大日經天台宗眞言宗
勝劣月支日本未辯之
西天東土不明物歟。所詮]

[大田殿許御書 本文]

 新春の御慶賀自他幸甚幸甚。
抑俗諦・真諦の中には勝負を以て詮と為し世間・出世とも甲乙を以て先と為すか、而るに諸経・諸宗の勝劣は三国の聖人共に之を存し両朝の群賢同じく之を知るか、法華経と大日経と天台宗と真言宗との勝劣は月支・日本未だ之を弁ぜず西天・東土にも明らめざる物か、所詮・天台伝教の如き聖人・公場に於て是非を決せず明帝桓武の如き国主之を聞かざる故か、所謂善無畏三蔵等は法華経と大日経とは理同事勝等と慈覚・智証等も此の義を存するか、弘法大師は法華経を華厳経より下す等此等の二義共に経文に非ず同じく自義を存するか将た又慈覚・智証等・表を作つて之を奏す申すに随つて勅宣有り、聞くが如くんば真言・止観両教の宗をば同じく醍醐と号し倶に深秘と称す乃至譬えば猶人の両目・鳥の雙翼の如き者なり等云云、又重誡の勅宣有り・聞くが如くんば山上の僧等専ら先師の義に違して偏執の心を成ず殆んど以つて余風を扇揚し旧業を興隆することを顧みず等云云、余生れて末の初に居し学諸賢の終りを禀く慈覚・智証の正義の上に勅宣方方之れ有り疑い有るべからず一言をも出すべからず然りと雖も円仁・円珍の両大師・先師伝教大師の正義を劫略して勅宣を申し下すの疑い之れ有る上・仏誡遁れ難し、随つて又亡国の因縁・謗法の源初之れに始まるか、故に世の謗を憚からず用・不用を知らず身命を捨てて之を申すなり。

 疑つて云く善無畏・金剛智・不空の三三蔵・弘法・慈覚・智証の三大師二経に相対して勝劣を判ずるの時或は理同事勝或は華厳経より下る等云云、随つて又聖賢の鳳文之れ有り、諸徳之を用いて年久し此の外に汝一義を存して諸人を迷惑し剰さえ天下の耳目を驚かす豈増上慢の者に非ずや如何、答えて曰く汝等が不審尤最もなり如意論師の世親菩薩を炳誡せる言は是なり、彼の状に云く「党援の衆と大義を競うこと無く群迷の中に正論を弁ずること無かれと言い畢つて死す」云云、御不審之れに当るか、然りと雖も仏世尊は法華経を演説するに一経の内に二度の流通之れ有り重ねて一経を説いて法華経を流通す、涅槃経に云く「若し善比丘あつて法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり」等云云、善無畏・金剛智の両三蔵・慈覚・智証の二大師大日の権経を以つて法華の実経を破壊せり。

 而るに日蓮・世を恐て之を言わずんば仏敵と為らんか、随つて章安大師末代の学者を諌暁して云く「仏法を壊乱するは仏法の中の怨なり慈無くして詐わり親しむは是れ彼の人の怨なり能く糾治する者は即ち是れ彼が親なり」等云云、余は此の釈を見て肝に染むるが故に身命を捨てて之を糾明するなり。

 提婆菩薩は付法蔵の第十四・師子尊者は二十五に当る或は命を失い或は頭を刎らる等是なり、疑つて云く経経の自讃は諸経・常の習いなり、所謂金光明経に云く「諸経の王」密厳経の「一切経中の勝」蘇悉地経に云く「三部の中に於て此の経を王と為す」法華経に云く「是れ諸経の王」等云云、随つて四依の菩薩・両国の三蔵も是くの如し如何、答えて曰く大国・小国・大王・小王・大家・小家・尊主・高貴・各各分斉有り然りと雖も国国の万民・皆大王と号し同じく天子と称す詮を以つて之を論ぜば梵王を大王と為し法華経を以て天子と称するなり、求めて云く其の証如何、答えて曰く金光明経の是諸経之王の文は梵釈の諸経に相対し密厳経の一切経中勝の文は次上に十地経・華厳経・勝鬘経等を挙げて彼彼の経経に相対して一切経の中に勝ると云云、蘇悉地経の文は現文之れを見るに三部の中に於て王と為す等云云、蘇悉地経は大日経・金剛頂経に相対して王と云云、而るに善無畏等或は理同事勝或は華厳経より下ると等云云、此れ等の僻文は螢火を日月に同じ大海を江河に入るるか。

 疑つて云く経経の勝劣之れを論じて何か為ん、答えて曰く法華経の第七に云く「能く是の経典を受持する者有れば亦復是くの如し一切衆生の中に於て亦為第一なり」等云云、此の経の薬王品に十喩を挙げて已今当の一切経に超過すと云云、第八の譬・兼ねて上の文に有り所詮仏の意の如くならば経の勝劣を詮ずるのみに非ず法華経の行者は一切の諸人に勝れたるの由之れを説く、大日経等の行者は諸山・衆星・江河・諸民なり、法華経の行者は須弥山・日月・大海等なり、而るに今の世は法華経を軽蔑すること土の如し民の如し真言の僻人等を重崇して国師と為ること金の如し王の如し之に依つて増上慢の者・国中に充満す青天瞋を為し黄地夭けつを致す涓聚りてよう塹を破るが如く民の愁い積りて国を亡す等是なり、問うて曰く内外の諸釈の中に是くの如きの例之れ有りや、答えて曰く史臣呉競が太宗に上つる表に云く「竊かに惟れば太宗文武皇帝の政化・曠古より之れ求むるに未だ是くの如くの盛なる者有らず唐尭・虞舜・夏禹・殷湯・周の文武・漢の文景と雖も皆未だ逮ばざる処なり」云云、今此の表を見れば太宗を慢ぜる王と云う可きか政道の至妙・先聖に超えて讃ずる所なり、章安大師天台を讃めて云く「天竺の大論尚其の類に非ず真丹の人師何ぞ労く語るに及ばん此れ誇耀に非ず法相の然らしむるのみ」等云云、従義法師重ねて讃めて云く「竜樹・天親未だ天台には若かず」伝教大師自讃して云く「天台法華宗の諸宗に勝るることは所依の経に拠るが故に自讃毀他ならず庶くば有智の君子経を尋ねて宗を定めよ」云云、又云く「能く法華を持つ者は亦衆生の中の第一なり已に仏説に拠る豈自讃ならんや」云云、今愚見を以つて之を勘うるに善無畏・弘法・慈覚・智証等は皆仏意に違うのみに非ず或は法の盗人或は伝教大師に逆える僻人なり、故に或は閻魔王の責を蒙り或は墓墳無く或は事を入定に寄せ或は度度・大火・大兵に値えり権者は辱を死骸に与えざる処の本文に違するか、疑つて云く六宗の如く真言の一宗も天台に落たる状之れ有りや、答う記の十の末に之を載せたり、随つて伝教大師・依憑集を造つて之を集む眼有らん者は開いて之を見よ、冀哉末代の学者妙楽・伝教の聖言に随つて善無畏・慈覚の凡言を用ゆること勿れ、予が門家等深く此の由を存ぜよ、今生に人を恐れて後生に悪果を招くこと勿れ、恐恐謹言。

正月廿四日               日 蓮  花押
大田金吾入道殿

by johsei1129 | 2015-06-07 20:56 | 大田乗明・尼御前 | Comments(0)
2015年 02月 17日

竜の口の法難は、法華経勧持品の「刀杖を加え乃至数数擯出せられん」である、と説いた【転重軽受法門】

【転重軽受法門】
■出筆時期:文永八年(西暦1271年)十月五日 五十歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書の述作の前月の九月十二日、日蓮は竜の口で断首という生涯最大の難に遭われている。光り物の出現で処刑できなかった結果、大聖人は一ヶ月ほど相模依智の本間重連(佐渡守護代)の屋敷に預かりのみとなる。本書は本間重連邸から佐渡に出立した翌月十日の五日前に、下総方面の強信徒・大田乗明、蘇谷入道、金原法橋御房の3人に宛てた御消息文である。大聖人は弟子・信徒に及んだ今度の難について「先業の重き今生につきずして未来に地獄の苦を受くべきが、今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦みぱつときへて死に候へば人天・三乗・一乗の益をうる事の候」と三人の信徒を励まされている。
■ご真筆: 中山法華経寺 所蔵。
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[転重軽受法門 本文]

修利槃特と申すは兄弟二人なり、一人もありしかば・すりはんどくと申すなり。各各三人は又かくのごとし一人も来らせ給へば三人と存じ候なり。

 涅槃経に転重軽受と申す法門あり。先業の重き今生につきずして未来に地獄の苦を受くべきが、今生にかかる重苦に値い候へば、地獄の苦みぱつときへて死に候へば、人天・三乗・一乗の益をうる事の候。

  不軽菩薩の悪口罵詈せられ、杖木瓦礫をかほるもゆへなきにはあらず、過去の誹謗正法のゆへかとみへて「其罪畢已」と説れて候は、不軽菩薩の難に値うゆへに過去の罪の滅するかとみへはんべり一是。
 
 又付法蔵の二十五人は、仏をのぞきたてまつりては、皆仏のかねて記しをき給える権者なり、其の中に第十四の提婆菩薩は外道にころされ、第二十五師子尊者は檀弥栗王に頚を刎られ、其の外仏陀密多竜樹菩薩なんども多くの難にあへり。又、難なくして王法に御帰依いみじくて法をひろめたる人も候。これは世に悪国善国有り、法に摂受折伏あるゆへかと、みへはんべる。正像猶かくのごとし、中国又しかなり。これは辺土なり末法の始なり。かかる事あるべしとは先にをもひさだめぬ、期をこそまち候いつれ二是。

 この上の法門は、いにしえ申しをき候いきめづらしからず、円教の六即の位に観行即と申すは、所行如所言、所言如所行と云云。理即名字の人は円人なれども、言のみありて真なる事かたし。例せば外典の三墳五典には読む人かずをしらず。かれがごとくに世ををさめふれまう事、千万が一つもかたしされば世のをさまる事も又かたし。法華経は紙付に音をあげてよめども、彼の経文のごとくふれまう事かたく候か。

譬喩品に云く「経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賤憎嫉して結恨を懐かん」、法師品に云く「如来現在すら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」、勧持品に云く「刀杖を加え乃至数数擯出せられん」安楽行品に云く「一切世間怨多くして信じ難し」と。

 此等は経文には候へども、何世にかかるべしともしられず、過去の不軽菩薩、覚徳比丘なんどこそ身にあたりてよみまいらせて候いけると、みへはんべれ。現在には正像二千年はさてをきぬ、末法に入つては此の日本国には当時は日蓮一人みへ候か。昔の悪王の御時、多くの聖僧の難に値い候いけるには又所従、眷属等、弟子檀那等いくぞばくかなげき候いけんと、今をもちてをしはかり候。今日蓮、法華経一部よみて候、一句一偈に猶受記をかほれり、何に況や一部をやと。いよいよたのもし。但おほけなく国土までとこそ、をもひて候へども、我と用いられぬ世なれば力及ばず。しげきゆへにとどめ候い了んぬ。

文永八年辛未十月五日             日 蓮 花押
大田左衛門尉殿
蘇谷入道殿
金原法橋御房
御返事

by johsei1129 | 2015-02-17 23:09 | 大田乗明・尼御前 | Comments(0)
2015年 02月 09日

発迹顕本を実現した「竜口法難」を予言した書【金吾殿御返事(大師講御書)】

【金吾殿御返事(大師講御書)】
■出筆時期:文永六年(1269年)十一月二十八日 四十八歳御作
■出筆場所:鎌倉 草庵にて
■出筆の経緯:本書は鎌倉武士で問註所勤務の強信徒・大田乗明(金吾)に与えられた書である。金吾というと同じく強信徒の四条金吾を思い起こすが、そもそも「金吾」とは幕府の官職名である衛門府(検察・警察)を中国の官称(唐名)に当てはめたものである。つまり四条金吾も、大田乗明(金吾)も幕府の同じ部門に所属していたことになる。
本書冒頭で大聖人は、毎月定期的に開催していた天台大師・法門の講義「大師講」へのご供養を賜ったことについて述べられている。そのため本書の別名は「大師講御書」と言われている。
本書の核心は、前年蒙古より牒状が幕府に到来、「立正安国論」で予言した他国侵逼難の的中を受け、大聖人は執権北条時宗始め11人の幕臣・極楽寺良観らの僧侶に「公場対決」を迫る書状送ったが、全く音沙汰がなかった。さらにこの年九月、再び蒙古来牒を受け11月に再度各所に書状を送るが、少々返事あるものの「公場対決」は実現しなかった。この事態を受け大聖人は「これほど幕府を諫暁すれば流罪死罪は必定と思われるのに、何も咎めがないのは不思議なことと思われる。これまで法華経のゆへに流罪には及んだが、今死罪に合わないのは不本意である」と言い切っている。さらに法華経の行者として死罪におよぶがために、方々に強く諫言してきたのだとさえ記している。この大聖人の大望は二年後の「竜口法難」で実現し、法華経の行者としての迹を払い、末法の本仏としての本地を顕す(発迹顕本)ことになる。そして流罪先の佐渡にて法本尊開顕の書「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」を著し、「御本尊」をご図現なされている。その意味において本書は、発迹顕本を実現した「竜口法難」を予言した書であると言えよう。
■ご真筆: 中山法華経寺所蔵
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[真筆本文:下記緑字箇所]

[金吾殿御返事(大師講御書) 本文]

大師講に鵞目五
連給び候ひ了んぬ。此の大師講
三、四年に始めて候が、
今年は第一にて候ひつ
るに候。
抑(そもそも)、此の法門の事、勘文
の有無に依りて弘まるべきか、弘まらざるか。
去年方々に申して
候ひしかども、いなせ(否応)の返事
候はず候。
今年十一月の比(ころ)、方々へ申して候へば、少々返事あるかたも候。
をほかた(大方)人の心もやわらぎて、さもやとをぼしたりげに候。又上のげざん(見参)にも入りて候やらむ。
これほどの僻事申して候へば、流・死の二罪の内は一定と存ぜしが、いまゝでなにと申す事も候はぬは不思議とをぼへ候。いたれる道理にて候やらむ。又自界叛逆難の経文も値ふべきにて候やらむ。山門なんどもいにしえにも百千万億倍すぎて動揺とうけ給はり候。それならず子細ども候やらん。震旦・高麗すでに禅門・念仏になりて、守護の善神の去るかの間、彼の蒙古に従ひ候ひぬ。我が朝(日本国)、又此の邪法弘まりて、天台法華宗を忽諸のゆへに山門安穏ならず、師檀違叛の国と成り候ひぬれば、十が八、九はいかんがとみへ候。

 人身すでにうけぬ。邪師又まぬかれぬ。法華経のゆへに流罪に及びぬ。今死罪に行なはれぬこそ本意ならず候へ。あわれさる事の出来し候へかし、とこそはげみ候ひて、方々に強言をかきて挙げをき候なり。すでに年五十に及びぬ。余命いくばくならず。

いたづらに曠野にすてん身を同じくは 一乗法華のかたになげて雪山童子、薬王菩薩の跡をおひ、仙予、有徳の名を後代に留めて法華・涅槃経に説き入れられまいらせんと願うところなり、 南無妙法蓮華経。
       十一月二十八日                     日蓮花押
     御返事
 止観の五、正月一日よりよみ候ひて、現世安穏後生善処と祈請仕り候。便宜に給ふべく候。本末は失せて候ひしかども、これにすりさせて候。多く本入るべきに申し候。
(※上記追記箇所訳:摩訶止観・第五を正月一日より読んで「現世安穏後生善処」と祈請しております。送って頂いた摩訶止観の最初と末尾は欠損していましたけど修理させました。大師講のために本(摩訶止観等)が多く必要なので手配をお願いします)




by johsei1129 | 2015-02-09 20:54 | 大田乗明・尼御前 | Comments(0)
2015年 01月 07日

即身成仏は法華経に限るとをぼしめされて候ぞ、と説いた【太田殿女房御返事】

【太田殿女房御返事(即身成仏抄)】
■出筆時期:弘安三年(西暦1280年)七月二日 五十九歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は下総国葛飾に住んでいた鎌倉武士・大田五郎左衛門尉乗明の夫人に宛てられた書です。大田乗明は富城常忍と共に下総国での中心となる強信徒で大聖人の外護に務められた。
また子息は出家し日高となり現中山法華経寺の開基に尽力した。本書では即身成仏について「釈迦多宝・十方の諸仏・地涌・竜樹菩薩・天台・妙楽・伝教大師即身成仏は法華経に限るとをぼしめされて候ぞ、我が弟子等は此の事ををもひ出にせさせ給へ。」と断じている。

■ご真筆: 中山法華経寺 所蔵(重要文化財)。

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[真筆箇所本文: 八月分の八木一石給候い了んぬ、即身成仏と申す法門は諸大乗経・並びに大日経等の経文に分明に候ぞ]

[大田殿女房御返事(即身成仏抄) 本文]

八月分の八木(注:米)一石給候い了んぬ、即身成仏と申す法門は諸大乗経・並びに大日経等の経文に分明に候ぞ、爾ればとて彼の経経の人人の即身成仏と申すは二の増上慢に堕ちて必ず無間地獄へ入り候なり、記の九に云く「然して二の上慢深浅無きにあらず如と謂うは乃ち大無慙の人と成る」等云云、諸大乗経の煩悩即菩提・生死即涅槃の即身成仏の法門はいみじくをそたかき・やうなれども此れはあえて即身成仏の法門にはあらず、其の心は二乗と申す者は鹿苑にして見思を断じて・いまだ塵沙無明をば断ぜざる者が我は已に煩悩を尽したり無余に入りて灰身滅智の者となれり、灰身なれば即身にあらず滅智なれば成仏の義なし、されば凡夫は煩悩業もあり苦果の依身も失う事なければ煩悩業を種として報身・応身ともなりなん、苦果あれば生死即涅槃とて法身如来ともなりなんと二乗をこそ弾呵せさせ給いしか、さればとて煩悩・業・苦が三身の種とはなり候はず。

 今法華経にして有余・無余の二乗が無き煩悩・業・苦をとり出して即身成仏と説き給う時二乗の即身成仏するのみならず凡夫も即身成仏するなり此の法門をだにも・くはしく案じほどかせ給わば華厳・真言等の人人の即身成仏と申し候は依経に文は候へども其の義はあえてなき事なり僻事の起り此れなり。

 弘法・慈覚・智証等は此の法門に迷惑せる人なりとみ候、何に況や其の已下の古徳・先徳等は言うに足らず、但天台の第四十六の座主・東陽の忠尋と申す人こそ此の法門はすこしあやぶまれて候事は候へ、然れども天台の座主慈覚の末をうくる人なれば・いつわりをろかにて・さてはてぬるか。其の上日本国に生を受くる人はいかでか心には・をもうとも言に出し候べき。
しかれども釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌・竜樹菩薩・天台・妙楽・伝教大師は即身成仏は法華経に限るとをぼしめされて候ぞ。我が弟子等は此の事を、をもひ出にせさせ給へ。

 妙法蓮華経の五字の中に諸論師・諸人師の釈まちまちに候へども皆諸経の見を出でず、但竜樹菩薩の大論と申す論に「譬えば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し」と申す釈こそ此の一字を心へさせ給いたりけるかと見へて候へ、毒と申すは苦集の二諦・生死の因果は毒の中の毒にて候ぞかし。


 此の毒を生死即涅槃・煩悩即菩提となし候を妙の極とは申しけるなり、良薬と申すは毒の変じて薬となりけるを良薬とは申し候いけり、此の竜樹菩薩は大論と申す文の一百の巻に華厳・般若等は妙にあらず法華経こそ妙にて候へと申す釈なり、此の大論は竜樹菩薩の論・羅什三蔵と申す人の漢土へわたして候なり、天台大師は此の法門を御らむあつて南北をば・せめさせ給いて候ぞ、而るを漢土唐の中・日本弘仁已後の人人の誤りの出来し候いける事は唐の第九・代宗皇帝の御宇不空三蔵と申す人の天竺より渡して候論あり菩提心論と申す、此の論は竜樹の論となづけて候、此の論に云く「

唯真言法の中にのみ即身成仏する故に是れ三摩地の法を説く諸教の中に於て闕て書せず」と申す文あり、此の釈にばかされて弘法・慈覚・智証等の法門はさんざんの事にては候なり、但し大論は竜樹の論たる事は自他あらそう事なし、菩提心論は竜樹の論・不空の論と申すあらそい有り。此れはいかにも候へ・さてをき候ぬ、但不審なる事は大論の心ならば即身成仏は法華経に限るべし文と申し道理きわまれり、菩提心論が竜樹の論とは申すとも大論にそむいて真言の即身成仏を立つる上唯の一字は強と見へて候、何の経文に依りて唯の一字をば置いて法華経をば破し候いけるぞ証文尋ぬ

べし、竜樹菩薩の十住毘婆娑論に云く「経に依らざる法門をば黒論」と云云自語相違あるべからず、大論の一百に云く「而も法華等の阿羅漢の授決作仏乃至譬えば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し」等云云。 
 此の釈こそ即身成仏の道理はかかれて候へ。但菩提心論と大論とは同じ竜樹大聖の論にて候が水火の異をば・いかんせんと見候に此れは竜樹の異説にはあらず訳者の所為なり、羅什は舌やけず不空は舌やけぬ、妄語はやけ実語はやけぬ事顕然なり、月支より漢土へ経論わたす人一百七十六人なり其の中に羅什一人計りこそ教主釈尊の経文に私の言入れぬ人にては候へ、一百七十

五人の中・羅什より先後・一百六十四人は羅什の智をもつて知り候べし、羅什来らせ給いて前後一百六十四人が誤りも顕れ新訳の十一人が誤りも顕れ又こざかしくなりて候も羅什の故なり。此れ私の義にはあらず感通伝に云く「絶後光前」と云云、前を光らすと申すは後漢より後秦までの訳者、後を絶すと申すは羅什已後・善無畏・金剛智・不空等も羅什の智をうけて・すこしこざかしく候なり。


 感通伝に云く「已下の諸人並びに皆俟つ事」されば此の菩提心論の唯の文字は設い竜樹の論なりとも不空の私の言なり、何に況や次下に「諸教の中に於て闕いて書せず」と・かかれて候・存外のあやまりなり。

 即身成仏の手本たる法華経をば指をいて・あとかたもなき真言に即身成仏を立て剰え唯の一字を・をかるる条・天下第一の僻見なり此れ偏に修羅根性の法門なり、天台智者大師の文句の九に寿量品の心を釈して云く「仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず」とかかれて候。此れこそ即身成仏の明文にては候へ、不空三蔵此の釈を消さんが為に事を竜樹に依せて「唯真言の法の中にのみ即身成仏するが故に是の三摩地の法を説く諸教の中に於て闕いて書せず」とかかれて候なり。されば此の論の次下に即身成仏をかかれて候が・あへて即身成仏にはあらず生身得忍に似て候、此の人は即身成仏は・めづらしき法門とはきかれて候へども即身成仏の義はあへて・うかがわぬ人人なり、いかにも候へば二乗成仏・久遠実成を説き給う経にあるべき事なり、天台大師の「於諸教中秘之不伝」の釈は千且千且恐恐。

 外典三千余巻は政当の相違せるに依つて代は濁ると明す、内典五千・七千余巻は仏法の僻見に依つて代濁るべしとあかされて候、今の代は外典にも相違し内典にも違背せるかのゆへにこの大科一国に起りて已に亡国とならむとし候か、不便不便。

七月二日            日 蓮  花押
太田殿女房御返事




by johsei1129 | 2015-01-07 20:37 | 大田乗明・尼御前 | Comments(0)