カテゴリ:曾谷入道( 12 )


2015年 11月 01日

南無妙法蓮華経は一代の肝心たるのみならず法華経の心なり体なり所詮なり、と説いた【曾谷入道殿御返事】

【曾谷入道殿御返事】
■出筆時期:建治三年(1277年)十一月二十八日 五十六歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は曾谷教信入道が自ら書写した細文字の法華経一部一巻を御供養されるとともに合わせて鵞目十貫等のお布施をしたことへの返書となっております。
大聖人は曾谷教信の法華経書写行にちなみ、「一切経の如是は何なる如是ぞやと尋ぬれば上の題目を指して如是とは申すなり。仏何の経にてもとかせ給いし其の所詮の理をさして題目とはせさせ給いしを、阿難・文殊・金剛手等・滅後に結集し給いし時題目をうちをいて如是我聞と申せしなり」と記され、釈尊が説いた諸教の最初は全て「如是我聞(是の如きに我(多聞第一の阿難)が釈尊より聞きました)」で始まることの意味について詳細に記されておられます。

さらに文末では法華経の題号である南妙法蓮華経について、「南無妙法蓮華経と申すは一代の肝心たるのみならず法華経の心なり体なり所詮なり、かかるいみじき法門なれども仏滅後・二千二百二十余年の間、月氏に付法蔵の二十四人弘通し給はず、漢土の天台妙楽も流布し給はず<中略>仏法は時により機によりて弘まる事なれば云うにかひなき日蓮が時にこそあたりて候らめ。所詮妙法蓮華経の五字をば当時の人人は名と計りと思へり、さにては候はず体なり体とは心にて候」と断じられておられます。

尚法華経修行の一つ書写行ですが、大聖人は『法蓮抄』で「是は書写の功徳なり、五種法師(受持、読、誦、解説、書写)の中には書写は最下の功徳なり、何に況や読誦なんど申すは無量無辺の功徳なり」と記され、声仏事を為すの如く「身口意の三業」で法華経及び題目を読誦することこそが無限の功徳があると諭されておられます。また日興上人も『富士一跡門徒存知事』で「一、五人一同に云く、如法経を勤行し之を書写し供養す仍つて在在所所に法華三昧又は一日経を行ず。
 日興が云く、此くの如き行儀は是れ末法の修行に非ず、又謗法の代には行ずべからず、之に依つて日興と五人と堅く以て不和なり」と、書写行を末法の修行に非ずと門下の弟子信徒に指導されておられます。
■ご真筆:現存しておりません。

[曾谷入道殿御返事 本文]

妙法蓮華経一部一巻小字経御供養のために御布施に小袖二重・鵞目十貫・並びに扇百本。
文句の一に云く「如是とは所聞の法体を挙ぐ」と記の一に云く「若し超八の如是に非ずんば安ぞ此の経の所聞と為さん」と云云、華厳経の題に云く「大方広仏・華厳経・如是我聞」云云、「摩訶般若波羅蜜経・如是我聞」云云、大日経の題に云く「大毘盧遮那・神変加持経・如是我聞」云云。
一切経の如是は何なる如是ぞやと尋ぬれば上の題目を指して如是とは申すなり。仏何の経にても・とかせ給いし其の所詮の理をさして題目とはせさせ給いしを、阿難・文殊・金剛手等・滅後に結集し給いし時題目をうちをいて如是我聞と申せしなり。

一経の内の肝心は題目におさまれり、例せば天竺と申す国あり九万里・七十箇国なり然れども其中の人畜・草木・山河・大地・皆月氏と申す二字の内にれきれきたり。
譬えば一四天下の内に四洲あり其の中の一切の万物は月に移りてすこしもかくるる事なし、経も又是くの如く其の経の中の法門は其の経の題目の中にあり、阿含経の題目は一経の所詮・無常の理をおさめたり、外道の経の題目のあうの二字にすぐれたる事百千万倍なり、九十五種の外道・阿含経の題目を聞いてみな邪執を倒し無常の正路におもむきぬ、般若経の題目を聞いては体空・但中・不但中の法門をさとり華厳経の題目を聞く人は但中・不但中のさとりあり。大日経・方等・般若経の題目を聞く人は或は折空・或は体空・或は但空或は不但空・或は但中・不但中の理をばさとれどもいまだ十界互具・百界千如・三千世間の妙覚の功徳をばきかず、その詮を説かざれば法華経より外は理即の凡夫なり、彼の経経の仏・菩薩はいまだ法華経の名字即に及ばず何に況や題目をも唱へざれば観行即にいたるべしや、故に妙楽大師の記に云く「若し超八の如是に非ずんば安んぞ此の経の所聞と為さん」云云。

彼彼の諸経の題目は八教の内なり網目の如し、此の経の題目は八教の網目に超えて大綱と申す物なり、今妙法蓮華経と申す人人はその心をしらざれども法華経の心をうるのみならず一代の大綱を覚り給へり、例せば一二三歳の太子・位につき給いぬれば国は我が所領なり摂政・関白已下は我が所従なりとはしらせ給はねども、なにも此の太子の物なり、譬えば小児は分別の心なけれども悲母の乳を口にのみぬれば自然に生長するを趙高が様に心おごれる臣下ありて太子をあなづれば身をほろぼす、諸経・諸宗の学者等・法華経の題目ばかりを唱うる太子をあなづりて趙高が如くして無間地獄に堕つるなり、又法華経の行者の心もしらず題目計りを唱うるが諸宗の智者におどされて退心をおこすはこがいと申せし太子が趙高におどされ・ころされしが如し。

南無妙法蓮華経と申すは一代の肝心たるのみならず法華経の心なり体なり所詮なり、かかるいみじき法門なれども仏滅後・二千二百二十余年の間・月氏に付法蔵の二十四人弘通し給はず、漢土の天台妙楽も流布し給はず、日本国には聖徳太子・伝教大師も宣説し給はず、されば和法師が申すは僻事にてこそ有るらめと諸人疑いて信ぜず是れ又第一の道理なり、譬えば昭君なんどをあやしの兵なんどが・おかしたてまつるを・みな人よも・さはあらじと思へり、大臣公卿なんどの様なる天台・伝教の弘通なからん法華経の肝心・南無妙法蓮華経を和法師程のものがいかで唱うべしと云云、汝等是を知るや烏と申す鳥は無下のげす鳥なれども鷲くまたかの知らざる年中の吉凶を知れり、蛇と申す虫は竜象に及ばずとも七日の間の洪水を知るぞかし、設い竜樹天台の知り給はざる法門なりとも経文顕然ならばなにをか疑はせ給うべき、日蓮をいやしみて南無妙法蓮華経と唱えさせ給はぬは小児が乳をうたがふて・なめず病人が医師を疑いて薬を服せざるが如し、竜樹・天親等は是を知り給へども時なく機なければ弘通し給わざるか、余人は又しらずして宣伝せざるか。

仏法は時により機によりて弘まる事なれば云うにかひなき日蓮が時にこそあたりて候らめ。
所詮妙法蓮華経の五字をば当時の人人は名と計りと思へり、さにては候はず体なり体とは心にて候
、章安云く「蓋し序王は経の玄意を叙し玄意は文の心を述す」と云云、此の釈の心は妙法蓮華経と申すは文にあらず義にあらず一経の心なりと釈せられて候。されば題目をはなれて法華経の心を尋ぬる者は猿をはなれて肝をたづねし・はかなき亀なり、山林をすてて菓を大海の辺にもとめし猿猴なり、はかなしはかなし。

建治三年丁丑霜月二十八日                      日 蓮 花 押
曾谷次郎入道殿

by johsei1129 | 2015-11-01 18:19 | 曾谷入道 | Comments(0)
2015年 09月 25日

蒙古が対馬に襲来した一ヶ月後、鎌倉武士の曾谷殿を厳しく諭された書【曾谷入道殿御書】

【曾谷入道殿御書】
■出筆時期:文永十一年(1274年)十一月二十日 五十三歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本書は下総国の鎌倉武士・曾谷入道にあてられた書です。
本書を記した約一か月前の10月5日には蒙古軍が対馬に襲来日本側の守備軍が全滅、10月14日壱岐島に侵攻するという文永の役が勃発します。
恐らく鎌倉武士の曾谷入道も、戦況次第によっては鎌倉から馳せ参じる可能性もあったものと思われ、大聖人に何らかの指南、また慈覚大師の真言について問われたものと思われます。

大聖人はこの事について「日本国は慈覚大師が大日経・金剛頂経・蘇悉地経を鎮護国家の三部と取つて、伝教大師の鎮護国家を破せしより叡山に悪義・出来して終に王法尽きにき。此の悪義・鎌倉に下つて又日本国を亡すべし」と記し、慈覚大師の真言が日本亡国の根本の原因要因であると断じておられます。

さらに末尾では「慈覚大師の法華経・大日経の理同事勝の釈は智人既に許しぬ愚者争でか信ぜざるべき<中略>我が弟子は(慈覚大師の真言を)用ゆべきや如何、最後なれば申すなり恨み給べからず」と記し、慈覚大師の「大日経は理同事勝で法華経より優れている」という説は、智人は既に許しているのだから愚者が信じない訳がない。もし日蓮に背いて真言を信じ、後々恨む事がないようにと、厳しく諭されておられます。
■ご真筆:京都市 本圀寺(断簡)所蔵。
f0301354_0263758.jpg

[真筆本文箇所:難すでにあひ候了。これをもつてをもうに、多有他方怨賊侵掠国]

[曾谷入道殿御書 本文]

自界叛逆難・他方侵逼の難既に合い了んぬ、これをもっておもうに「多く他方の怨賊有つて国内を侵掠し人民諸の苦悩を受け土地に所楽の処有ること無けん」と申す経文合い候いぬと覚え候。

当時壱岐・対馬の土民の如くになり候はんずるなり、是れ偏に仏法の邪見なるによる。
仏法の邪見と申すは真言宗と法華宗との違目なり、禅宗と念仏宗とを責め候しは此の事を申し顕さん料なり。

漢土には善無畏・金剛智・不空三蔵の誑惑の心・天台法華宗を真言の大日経に盗み入れて還つて法華経の肝心と天台大師の徳とを隠せし故に漢土滅するなり。

日本国は慈覚大師が大日経・金剛頂経・蘇悉地経を鎮護国家の三部と取つて、伝教大師の鎮護国家を破せしより叡山に悪義・出来して、終に王法尽きにき。

此の悪義・鎌倉に下つて又日本国を亡すべし、弘法大師の邪義は中中顕然なれば人もたぼらかされぬ者もあり。
慈覚大師の法華経・大日経の理同事勝の釈は智人既に許しぬ、愚者争でか信ぜざるべき。

慈覚大師は法華経と大日経との勝劣を祈請せしに箭を以て日を射ると見しは此の事なるべし。是れは慈覚大師の心中に修羅の入つて法華経の大日輪を射るにあらずや、此の法門は当世・叡山其の外日本国の人用ゆべきや、若し此の事・実事ならば日蓮豈須弥山を投る者にあらずや、我が弟子は用ゆべきや如何、最後なれば申すなり、恨み給べからず、恐恐謹言。

十一月二十日          日 蓮 花押
曾谷入道殿

by johsei1129 | 2015-09-25 00:26 | 曾谷入道 | Comments(0)
2015年 09月 18日

貴辺と日蓮とは師檀の一分なり<略>後生は必ず仏国に居せん、と説いた【曾谷二郎入道殿御報】

【曾谷二郎入道殿御報】
■出筆時期:弘安四年(1281年)閏七月一日 六十歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は冒頭に「去る七月十九日の消息同卅日到来す」と記されておられるように、曾谷入道から大聖人へ手紙が届き、それへの返書となっております。
大聖人が本抄を記されたのが閏七月一日になっておりますが、この当時は太陰暦で1年が約354日となるため、3年に一度閏月をいれて1年を365日に調整しておりました。そのため七月の後の閏七月となるため、曾谷入道の手紙が到着した翌日に返書をしたためておられ、緊急性があったことが伺えます。

曾谷入道の手紙の内容は、この時期弘安の役で九州では蒙古との戦乱が三ヶ月目に入り鎌倉からも兵を派遣せざる得なくなり、曾谷氏も幕府の意向で出征することになった事の報告と思われます。

大聖人は日本が蒙古襲来という事態に陥ったことについて「疑つて云く日本国の一切衆生の中に或は善人或は悪人あり<中略>何ぞ一業と云うや、答えて云く夫れ小善・小悪は異なりと雖も法華経の誹謗に於ては善人・悪人・智者・愚者倶に妨げ之れ無し、是の故に同じく入阿鼻獄と云うなり」と記し、たとえ善人であろうとも法華経を誹謗するぱ皆一同に入阿鼻となると断じられておられます。

その上で文末では「爰に貴辺と日蓮とは師檀の一分なり、然りと雖も有漏の依身は国主に随うが故に此の難に値わんと欲するか感涙押え難し。何れの代にか対面を遂げんや唯一心に霊山浄土を期せらる可きか、設い身は此の難に値うとも心は仏心に同じ今生は修羅道に交わるとも後生は必ず仏国に居せん」と記し、貴方と日蓮は師と檀那の間柄であり、たとえ国主に随うが故に此の難に遭われ修羅道に交わったとしても、後生は必ず仏国に居せん」と諭されておられます。

尚、弘安の役は、本抄を記された前夜(七月三十日)の台風で蒙古の船団は大破し、残された蒙古軍は本国へ撤退、幸運にも鎌倉幕府の勝利となり、曾谷氏も九州に派遣されることはなかったようです。

蒙古襲来は、大聖人の三度の国家諌暁もあり、また当時の執権北条時宗が自身は法華経に帰依することはなかったが、佐渡流罪を赦免し、大聖人に大寺院の建立を持ちかけるなど事実上法華経の流布を公認し、また厳然と聖人(末法の本仏)が所を辞することなく日本に存在していたことで最悪の事態を免ることができた。

しかし本抄で示された大聖人の金言は、664年後の太平洋戦争の敗北で現実ものとなります。
当時の東条英機軍事政権は、法華経はおろか仏教全体を国家神道の配下に置き、国内を統治し戦争に打って出た。しかしこの当時の日本に決然と国家諌暁をする大聖人門下の檀信徒はおらず、また聖人も所を辞したのか見当たらなかった。まさに本抄の大聖人の金言「小善・小悪は異なりと雖も法華経の誹謗に於ては善人・悪人・智者・愚者倶に妨げ之れ無し是の故に同じく入阿鼻獄と云うなり」そのものとなった。
私も大聖人から「貴辺と日蓮とは師檀の一分なり」と称えられるように、本抄で示された大聖人のご金言を日々実践したいと思います。
■ご真筆:現存しておりません。古写本:日興上人筆(北山本門寺蔵)。

[曾谷二郎入道殿御報 本文]

去る七月十九日の消息同卅日到来す、世間の事は且らく之を置く専ら仏法に逆うこと、法華経の第二に云く「其人命終入阿鼻獄」等云云、問うて云く其の人とは何等の人を指すや、答えて云く次上に云く「唯我一人・能為救護・雖復教詔・而不信受」と、又云く「若人不信」と、又云く「或復顰蹙」又云く「見有読誦書持経者・軽賤憎嫉・而懐結恨」と、又第五に云く「生疑不信者・即当堕悪道」と、第八に云く「若有人軽毀之言・汝狂人耳・空作是行終無所獲」等云云、其人とは此れ等の人人を指すなり、彼の震旦国の天台大師は南北十師等を指すなり、此の日本国の伝教大師は六宗の人人と定めたるなり、今日蓮は弘法・慈覚・智証等の三大師・並びに三
階・道綽・善導等を指して其の人と云うなり、入阿鼻獄とは涅槃経第十九に云く「仮使い一人独り是の獄に堕ち其の身長大にして八万由延なり、其の中間に遍満して空しき処無し、其の身周匝して種種の苦を受く設い多人有つて身亦遍満すとも相い妨碍せず」同三十六に云く「沈没して阿鼻地獄に在つて受くる所の身形・縦広八万四千由旬ならん」等云云、普賢経に云く「方等経を謗ずる是の大悪報悪道に堕つべきこと暴雨にも過ぎ必定して当に阿鼻地獄に堕つべし」等とは阿鼻獄に入る文なり。

日蓮云く夫れ日本国は道は七・国は六十八箇国・郡は六百四・郷は一万余・長さは三千五百八十七里・人数は四十五億八万九千六百五十九人・或は云く四十九億九万四千八百二十八人なり、寺は一万一千三十七所・社は三千一百三十二社なり、今法華経の入阿鼻獄とは此れ等の人人を指すなり、問うて云く衆生に於て悪人・善人の二類有り、生処も又善悪の二道有る可し、何ぞ日本国の一切衆生一同に入阿鼻獄の者と定むるや、答えて云く人数多しと雖も業を造ること是れ一なり、故に同じく阿鼻獄と定むるなり。

疑つて云く日本国の一切衆生の中に或は善人或は悪人あり善人とは五戒・十戒・乃至二百五十戒等なり、悪人とは殺生・偸盗・乃至五逆・十悪等是なり、何ぞ一業と云うや、答えて云く夫れ小善・小悪は異なりと雖も法華経の誹謗に於ては善人・悪人・智者・愚者倶に妨げ之れ無し是の故に同じく入阿鼻獄と云うなり。

問うて云く何を以てか日本国の一切衆生を一同に法華誹謗の者と言うや、答えて云く日本国の一切衆生衆多なりと雖も四十五億八万九千六百五十九人に過ぎず、此等の人人・貴賤上下の勝劣有りと雖も是くの如きの人人の憑む所は唯三大師に在り師とする所・三大師を離る事無し、余残の者有りと雖も信行・善導等の家を出ず可らざるなり。

問うて云く三大師とは誰人ぞや、答えて曰く弘法・慈覚・智証の三大師なり、疑つて云く此の三大師は何なる重科有るに依つて日本国の一切衆生を経文の其の人の内に入るや、答えて云く此の三大師は大小乗持戒の人・面には八万の威儀を備え或は三千等之を具す顕密兼学の智者なり、然れば則ち日本国四百余年の間・上一人より下万民に至るまで之を仰ぐこと日月の如く之を尊むこと世尊の如し、猶徳の高きこと須弥にも超え智慧の深きことは蒼海にも過ぎたるが如し、但恨むらくは法華経を大日真言経に相対して勝劣を判ずる時は或は戯論の法と云い或は第二・第三と云い或は教主を無明の辺域と名け或は行者をば盗人と名く、彼の大荘厳仏の末の六百四万億那由佗の四衆の如き各各の業因異りと雖も師の苦岸等の四人と倶に同じく無間地獄に入りぬ、又師子音王仏の末法の無量無辺の弟子等の中にも貴賤の異有りと雖も同じく勝意が弟子と為るが故に一同に阿鼻大城に堕ちぬ、今日本国亦復是くの如し。

去る延暦弘仁年中・伝教大師・六宗の弟子檀那等を呵責する語に云く「其の師の堕つる所・弟子亦堕つ弟子の堕つる所・檀越亦堕つ金口の明説慎まざる可けんや慎まざる可けんや」等云云、疑つて云く汝が分斉・何を以て三大師を破するや、答えて云く予は敢て彼の三大師を破せざるなり、問うて云く汝が上の義は如何、答えて云く月氏より漢土・本朝に渡る所の経論は五千七十余巻なり、予粗之を見るに弘法・慈覚・智証に於ては世間の科は且く之を置く仏法に入つては謗法第一の人人と申すなり、大乗を誹謗する者は箭を射るより早く地獄に堕すとは如来の金言なり将又謗法罪の深重は弘法・慈覚等・一同定め給い畢んぬ、人の語は且く之を置く釈迦・多宝の二仏の金言・虚妄ならずんば弘法・慈覚・智証に於ては定めて無間大城に入り、十方分身の諸仏の舌堕落せずんば日本国中の四十五億八万九千六百五十九人の一切衆生は彼の苦岸等の弟子檀那等の如く阿鼻地獄に堕ちて熱鉄の上に於て仰ぎ臥して九百万億歳・伏臥して九百万億歳・左脇に臥して九百万億歳・右脇に臥して九百万億歳是くの如く熱鉄の上に在つて三千六百万億歳なり、然して後・此の阿鼻より転じて他方に生れて大地獄に在りて無数百千万億那由佗歳・大苦悩を受けん、彼は小乗経を以て権大乗を破せしも罪を受くること是くの如し、況や今三大師は未顕真実の経を以て三世の仏陀の本懐の説を破するのみに非ず剰さえ一切衆生成仏の道を失う深重の罪は過・現・未来の諸仏も争か之を窮むべけんや争か之を救う可けんや。

法華経の第四に云く「已説今説当説・而於其中・此法華経・最為難信難解」又云く「最在其上」並に「薬王十喩」等云云、他経に於ては華厳・方等・般若・深密・大雲・密厳・金光明経等の諸教の中に経経の勝劣之を説くと雖も或は小乗経に対して此の経を第一と曰い或は真俗二諦に対して中道を第一と曰い或は印・真言等を説くを以て第一と為す、此等の説有りと雖も全く已今当の第一に非ざるなり、然而るに末の論師・人師等謬執の年積り門徒又繁多なり。

爰に日蓮彼の依経に無きの由を責むる間・弥よ瞋恚を懐いて是非を糺明せず唯大妄語を構えて国主・国人等を誑惑し日蓮を損ぜんと欲す衆千の難を蒙らしむるのみに非ず両度の流罪剰え頚の座に及ぶ是なり、此等の大難忍び難き事・不軽の杖木にも過ぎ将又勧持の刀杖にも越えたり、又法師品の如きは「末代に法華経を弘通せん者は如来の使なり・此の人を軽賤するの輩の罪は教主釈尊を一中劫蔑如するに過ぎたり」等云云、今日本国には提婆達多・大慢婆羅門等が如く無間地獄に堕つ可き罪人・国中・三千五百八十七里の間に満つる所の四十五億八万九千六百五十九人の衆生之れ有り、彼の提婆・大慢等の無極の重罪を此の日本国四十五億八万九千六百五十九人に対せば軽罪中の軽罪なり、問う其の理如何、答う彼等は悪人為りと雖も全く法華を誹謗する者には非ざるなり又提婆達多は恒河第二の人第二に一闡提なり、今日本国四十五億八万九千六百五十九人は皆恒河第一の罪人なり然れば則ち提婆が三逆罪は軽毛の如し日本国の上に挙ぐる所の人人の重罪は猶大石の如し定めて梵釈も日本国を捨て同生同名も国中の人を離れ天照太神・八幡大菩薩も争か此の国を守護せん。

去る治承等の八十一・二・三・四・五代の五人の大王と頼朝・義時と此の国を御諍い有つて天子と民との合戦なり、猶鷹駿と金鳥との勝負の如くなれば天子・頼朝等に勝たんこと必定なり決定なり、然りと雖も五人の大王は負け畢んぬ兎・師子王に勝ちしなり、負くるのみに非ず剰え或は蒼海に沈み或は島島に放たれ、誹謗法華未だ年歳を積まざる時・猶以て是くの如し、今度は彼に似る可らず彼は但国中の災い許りなり、其の故は粗之を見るに蒙古の牒状已前に去る正嘉・文永等の大地震・大彗星の告げに依つて再三之を奏すと雖も国主敢て信用無し、然るに日蓮が勘文粗仏意に叶うかの故に此の合戦既に興盛なり、此の国の人人・今生には一同に修羅道に堕し後生には皆阿鼻大城に入らん事疑い無き者なり。

爰に貴辺と日蓮とは師檀の一分なり然りと雖も有漏の依身は国主に随うが故に此の難に値わんと欲するか感涙押え難し、何れの代にか対面を遂げんや唯一心に霊山浄土を期せらる可きか、設い身は此の難に値うとも心は仏心に同じ今生は修羅道に交わるとも後生は必ず仏国に居せん、恐恐謹言。

弘安四年閏七月一日       日 蓮 花押
曾谷二郎入道殿御返事

by johsei1129 | 2015-09-18 20:38 | 曾谷入道 | Comments(0)
2015年 07月 04日

法華経は、草木が大地を母とし華さき菓なるが如く<略>一切衆生を養ひ給ふと断じた【曾谷殿御返事】

【曾谷殿御返事(輪陀王御書)】
■出筆時期:弘安二年(西暦1279年) 八月十一日 五十八歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は、曾谷入道が焼米二俵をご供養されたことへの返書となっております。大聖人は本抄で、法華経と法華経の行者と俗信徒である檀那の関係を「法華経は燈の如く行者は油の如し、檀那は油の如く行者は燈の如し」と記し、「三千大千世界(宇宙)にても買うことができない程大切な命」を継ぐ米を供養した曾谷入道の志を、たたえておられます。
さらに「法華経は何故ぞ諸経に勝れて一切衆生の為に用いる事なるぞ」と問いかけ「譬えば草木は大地を母とし虚空を父とし甘雨を食とし風を魂とし日月をめのととして生長し華さき菓なるが如く、一切衆生は実相を大
地とし無相を虚空とし一乗を甘雨とし已今当第一の言を大風とし、定慧力荘厳を日月として妙覚の功徳を生長
し、大慈大悲の華さかせ安楽仏果の菓なつて一切衆生を養ひ給ふ」と断じ、法華経へのさらなる信仰に励むよう諭されております。
 また文末では、この年の三月の仏事に曾谷殿が多大な鵞目(銭)の供養されたおかげで、百余人の弟子達が「法華経をよましめ談義して候ぞ」と記し、この事は「末代悪世には一えんぶだい(全世界)第一の仏事にてこそ候へ<中略>釈尊は孝養の人を世尊となづけ給へり貴辺あに世尊にあらずや」とまで賛嘆されておられます。
■ご真筆:現存していない。

[曾谷殿御返事(輪陀王御書) 本文]
焼米二俵給畢ぬ、米は少と思食し候へども人の寿命を継ぐ者にて候、命をば三千大千世界にても買はぬ物にて候と仏は説かせ給へり。米は命を継ぐ物なり譬えば米は油の如く命は燈の如し、法華経は燈の如く行者は油の如し檀那は油の如く行者は燈の如し、一切の百味の中には乳味と申して牛の乳第一なり、涅槃経の七に云く「猶諸味の中に乳最も為れ第一なるが如し」云云。乳味をせんずれば酪味となる酪味をせんずれば乃至醍醐味となる醍醐味は五味の中の第一なり、法門を以て五味にたとへば儒家の三千・外道の十八大経は衆味の如し。

阿含経は醍醐味なり、阿含経は乳味の如く観経等の一切の方等部の経は酪味の如し、一切の般若経は生蘇味・華厳経は熟蘇味・無量義経と法華経と涅槃経とは醍醐のごとし又涅槃経は醍醐のごとし、法華経は五味の主の如し。

 妙楽大師云く「若し教旨を論ずれば法華は唯開権顕遠を以つて教の正主と為す独り妙の名を得る意此に在り」云云、又云く「故に知んぬ法華は為れ醍醐の正主」等云云、此の釈は正く法華経は五味の中にはあらず此の釈の心は五味は寿命をやしなふ寿命は五味の主なり、天台宗には二の意あり一には華厳・方等・般若・涅槃・法華は同じく醍醐味なり、此の釈の心は爾前と法華とを相似せるににたり世間の学者等此の筋のみを知りて法華経は五味の主と申す法門に迷惑せるゆへに諸宗にたぼらかさるるなり、開未開・異なれども同じく円なりと云云是は迹門の心なり、諸経は五味・法華経は五味の主と申す法門は本門の法門なり、此の法門は天台・妙楽粗書かせ給い候へども分明ならざる間・学者の存知すくなし、此の釈に若論教旨とかかれて候は法華経の題目を教旨とはかかれて候、開権と申すは五字の中の華の一字なり顕遠とかかれて候は五字の中の蓮の一字なり独得妙名とかかれて候は妙の一字なり。意在於此とかかれて候は法華経を一代の意と申すは題目なりとかかれて候ぞ、此れを以て知んぬべし。

法華経の題目は一切経の神・一切経の眼目なり、大日経等の一切経をば法華経にてこそ開眼供養すべき処に大日経等を以て一切の木画の仏を開眼し候へば日本国の一切の寺塔の仏像等・形は仏に似れども心は仏にあらず九界の衆生の心なり、愚癡の者を智者とすること是より始まれり、国のついへのみ入て祈とならず還て仏変じて魔となり鬼となり国主乃至万民をわづらはす是なり。今法華経の行者と檀那との出来する故に百獣の師子王をいとひ草木の寒風をおそるるが如し。

是は且くをく、法華経は何故ぞ諸経に勝れて一切衆生の為に用いる事なるぞと申すに、譬えば草木は大地を母とし虚空を父とし甘雨を食とし風を魂とし日月をめのととして生長し華さき菓なるが如く、一切衆生は実相を
大地とし無相を虚空とし一乗を甘雨とし已今当第一の言を大風とし、定慧力荘厳を日月として妙覚の功徳を生
長し、大慈大悲の華さかせ安楽仏果の菓なつて一切衆生を養ひ給ふ。

一切衆生又食するによりて寿命を持つ、食に多数あり土を食し水を食し火を食し風を食する衆生もあり、求羅
と申す虫は風を食す・うぐろもちと申す虫は土を食す、人の皮肉・骨髄等を食する鬼神もあり、尿糞等を食す
る鬼神もあり、寿命を食する鬼神もあり、声を食する鬼神もあり、石を食するいをくろがねを食するばくもあ
り、地神・天神・竜神・日月・帝釈・大梵王・二乗・菩薩・仏は仏法をなめて身とし魂とし給ふ、例せば乃往
過去に輪陀王と申す大王ましましき一閻浮提の主なり賢王なり、此の王はなに物をか供御とし給うと申せば白馬の鳴声をきこしめして身も生長し身心も安穏にしてよをたもち給う、れいせば蝦蟆と申す虫の母のなく声を聞いて生長するがごとし、秋のはぎのしかの鳴くに華のさくがごとし、象牙草のいかづちの声にはらみ柘榴の石にあふて・さかうるがごとし、されば此の王・白馬を・をほくあつめて・かはせ給ふ、又此の白馬は白鳥を
みてなく馬なれば、をほくの白鳥をあつめ給いしかば我が身の安穏なるのみならず百官・万乗もさかへ天下も
風雨・時にしたがひ他国もかうべをかたぶけて・すねんすごし給うにまつり事のさをいにやはむべりけん・又
宿業によつて果報や尽きけん・千万の白鳥一時にうせしかば又無量の白馬もなく事やみぬ、大王は白馬の声をきかざりしゆへに華のしぼめるがごとく月のしよくするがごとく、御身の色かはり力よはく六根もうもうとし
てぼれたるがごとくありしかば、きさきももうもうしくならせ給い百官万乗も・いかんがせんとなげき、天も
くもり地もふるひ大風かんぱちし・けかちやくびように人の死する事肉はつか骨はかはらとみへしかば他国よ
りも・をそひ来れり、此の時大王いかんがせんと・なげき給いしほどに・せんする所は仏神にいのるには・し
くべからず、此の国に・もとより外道をほく国国をふさげり、又仏法という物を・をほくあがめをきて国の大事とす、いづれにてもあれ白鳥をいだして白馬をなかせん法をあがむべし、まづ外道の法に・をほせつけて数
日をこなはせけれども白鳥一疋もいでこず白馬もなく事なし、此の時外道のいのりを・とどめて仏教に・をほせつけられけり、其の時馬鳴菩薩と申す小僧一人あり・めしいだされければ此の僧の給はく国中に外道の邪法
をとどめて仏法を弘通し給うべくば馬をなかせん事やすしといふ、勅宣に云くをほせのごとくなるべしと、其の時に馬鳴菩薩・三世十方の仏にきしやうし申せしかば・たちまちに白鳥出来せり、白馬は白鳥を見て一こへ
けり、大王・馬の声を一こへ・きこしめして眼を開き給い白鳥二ひき乃至百千いできたりければ百千の白馬一時に悦びなきけり、大王の御いろ・なをること日しよくの・ほんにふくするがごとし、身の力・心のはかり事・先先には百千万ばいこへたり、きさきも・よろこび大臣公卿いさみて万民もたな心をあはせ他国も・かうべをかたぶけたりとみへて候。

今のよも又是にたがうべからず、天神七代・地神五代・已上十二代は成劫のごとし・先世のかいりきと福力と
によつて今生のはげみなけれども国もおさまり人の寿命も長し、人王のよとなりて二十九代があひだは先世のかいりきも・すこしよはく今生のまつり事もはかなかりしかば国にやうやく三災・七難をこりはじめたり、なを・かんどより三皇五帝の世を・をさむべきふみわたりしかば其をもつて神をあがめて国の災難をしづむ、人王第三十代欽明天王の世となりて国には先世のかいふくうすく悪心がうじやうの物をほく出来て善心をろかに悪心はかしこし、外典のをしへはあさしつみもをもきゆへに外典すてられ内典になりしなり、れいせばもりやは日本の天神七代・地神五代が間の百八十神をあがめたてまつりて仏教をひろめずして・もとの外典となさんといのりき。

聖徳太子は教主釈尊を御本尊として法華経・一切経をもんしよとして両方のせうぶありしに・ついには神はま
け仏はかたせ給いて神国はじめて仏国となりぬ、天竺・漢土の例のごとし、今此三界・皆是我有の経文あらは
れさせ給うべき序なり、欽明より桓武にいたるまで二十よ代・二百六十余年が間・仏を大王とし神を臣として世ををさめ給いしに仏教はすぐれ神はをとりたりしかども未だよをさまる事なし。

いかなる事にやと・うたがはりし程に桓武の御宇に伝教大師と申す聖人出来して勘えて云く神はまけ仏はかたせ給いぬ、仏は大王・神は臣かなれば上下あひついで・れいぎただしければ国中をさまるべしと・をもふに国のしづかならざる事ふしんなるゆへに一切経をかんがへて候へば道理にて候けるぞ、仏教に・をほきなるとがありけり、一切経の中に法華経と申す大王をはします、ついで華厳経・大品経・深密経・阿含経等はあるいは臣の位あるいはさふらいのくらい・あるいはたみの位なりけるを或は般若経は法華経にはすぐれたり三論宗・或は深密経は法華経にすぐれたり法相宗・或は華厳経は法華経にすぐれたり華厳宗・或は律宗は諸宗の母なりなんど申して一人として法華経の行者なし、世間に法華経を読誦するは還つてをこつき・うしなうなり、「之に依つて天もいかり守護の善神も力よはし」云云、所謂「法華経を・ほむといえども返つて法華の心をころす」等云云、南都七大寺・十五大寺・日本国中の諸寺諸山の諸僧等・此のことばを・ききて・をほきにいかり天竺の大天・漢土の道士・我が国に出来せり所謂最澄と申す小法師是なり、せんする所は行きあはむずる処にてかしらをわれ・かたをきれ・をとせ・うてのれと申せしかども桓武天皇と申す賢王たづね・あきらめて六宗はひが事なりけりとて初めてひへい山をこんりうして天台法華宗とさだめをかせ円頓の戒を建立し給うのみならず、七大寺・十五大寺の六宗の上に法華宗をそへをかる、せんする所・六宗を法華経の方便となされしなり、れいせば神の仏にまけて門まほりとなりしがごとし、日本国も又又かくのごとし法華最第一の経文初めて此の国に顕れ給い能竊為一人・説法華経の如来の使初めて此の国に入り給いぬ、桓武・平城・嵯峨の三代・二十余年が間は日本一州・皆法華経の行者なり、しかれば栴檀には伊蘭・釈尊には提婆のごとく伝教大師と同時に弘法大師と申す聖人・出現せり、漢土にわたりて大日経・真言宗をならい日本国にわたりて・ありしかども伝教大師の御存生の御時はいたう法華経に大日経すぐれたりといふ事はいはざりけるが、伝教大師去ぬる弘仁十三年六月四日にかくれさせ給いてのち・ひまをえたりとや・をもひけん、弘法大師去ぬる弘仁十四年正月十九日に真言第一・華厳第二・法華第三・法華経は戯論の法・無明の辺域・天台宗等は盗人なりなんど申す書どもをつくりて、嵯峨の皇帝を申しかすめたてまつりて七宗に真言宗を申しくはえて七宗を方便とし真言宗は真実なりと申し立て畢んぬ。

其の後・日本一州の人ごとに真言宗になりし上・其の後又伝教大師の御弟子・慈覚と申す人・漢土にわたりて
天台真言の二宗の奥義をきはめて帰朝す、此の人・金剛頂経・蘇悉地経の二部の疏をつくりて前唐院と申す寺を叡山に申し立て畢んぬ、此れには大日経第一・法華経第二・其の中に弘法のごとくなる過言かずうべからず、せむぜむに・せうせう申し畢んぬ、智証大師又此の大師のあとをついで・をんじやう寺に弘通せり、たうじ寺とて国のわざはいとみゆる寺是なり、叡山の三千人は慈覚・智証をはせずば真言すぐれたりと申すをば・もちいぬ人もありなん、円仁大師に一切の諸人くちをふさがれ心をたぼらかされて・ことばをいだす人なし、王
臣の御きえも又伝教・弘法にも超過してみへ候へば・えい山・七寺・日本一州・一同に法華経は大日経にをと
りと云云、法華経の弘通の寺寺ごとに真言ひろまりて法華経のかしらとなれり、かくのごとくしてすでに四百
余年になり候いぬ、やうやく此の邪見ぞうじやうして八十一乃至五の五王すでにうせぬ仏法うせしかば王法す
でにつき畢んぬ。
あまつさへ禅宗と申す大邪法・念仏宗と申す小邪法・真言と申す大悪法・此の悪宗はなをならべて一国にさかんなり、天照太神はたましいをうしなつて・うぢごをまほらず八幡大菩薩は威力よはくして国を守護せず・け
つくは他国の物とならむとす。

日蓮此のよしを見るゆへに仏法中怨・倶堕地獄等のせめをおそれて粗国主にしめせども、かれらが邪義にたぼらかされて信じ給う事なし還つて大怨敵となり給いぬ。法華経をうしなふ人・国中に充満せりと申せども人しる事なければただぐちのとがばかりにてある事今は又法華経の行者出来せり日本国の人人癡の上にいかりををこす邪法をあいし正法をにくむ、三毒がうじやうなる一国いかでか安穏なるべき。

壊劫の時は大の三災をこる、いはゆる火災・水災・風災なり、又減劫の時は小の三災をこる、ゆはゆる飢渇・
疫病・合戦なり。飢渇は大貪よりをこり・やくびやうは・ぐちよりをこり・合戦は瞋恚よりをこる。
今日本国の人人四十九億九万四千八百二十八人の男女人人ことなれども同じく一の三毒なり、所謂南無妙法蓮華経を境としてをこれる三毒なれば人ごとに釈迦・多宝・十方の諸仏を一時にのりせめ流しうしなうなり、是れ即ち小の三災の序なり。しかるに日蓮が一るいいかなる過去の宿しうにや法華経の題目のだんなとなり給うらん。是をもつてをぼしめせ今梵天・帝釈・日月・四天・天照太神・八幡大菩薩・日本国の三千一百三十二社の大小のじんぎは過去の輪陀王のごとし。白馬は日蓮なり・白鳥は我らが一門なり・白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり。此の声をきかせ給う梵天・帝釈・日月・四天等いかでか色をましひかりをさかんになし給はざるべき、いかでか我等を守護し給はざるべきと・つよづよと・をぼしめすべし。

 抑貴辺の去ぬる三月の御仏事に鵞目其の数有りしかば今年一百よ人の人を山中にやしなひて十二時の法華経をよましめ談義して候ぞ、此れらは末代悪世には一えんぶだい第一の仏事にてこそ候へ、いくそばくか過去の聖霊も・うれしくをぼすらん、釈尊は孝養の人を世尊となづけ給へり貴辺あに世尊にあらずや、故大進阿闍梨の事なげかしく候へども此れ又法華経の流布の出来すべきいんえんにてや候らんとをぼしめすべし、事事命ながらへば其の時申すべし。

弘安二年己卯八月十七日 日 蓮 花 押
曾谷入道殿御返事

by johsei1129 | 2015-07-04 08:31 | 曾谷入道 | Comments(0)
2015年 03月 12日

法華経の文字は皆悉く生身妙覚の御仏なり、と説いた【曾谷入道殿御返事】

【曾谷入道殿御返事】
■出筆時期:文永12年(1275)3月 五十四歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:下総国の武士で強信徒の曾谷教信が、父亡き後、供養のために13回忌まで毎日法華経如来寿量品の自我偈を読誦したことを大聖人が聞き「自我偈とともに読みたまうべし」と、方便品の長行を自ら写経して曾谷教信殿に送られた。本書はその方便品にそえられた手紙で「此の経の文字は皆悉く生身妙覚の御仏なり」と、説くとともに「心の師とはなるとも心を師とせざれ」と結んでおられる。
尚、大聖人は月水御書 で「法華経二十八品の中に勝れてめでたきは方便品と寿量品にて侍り、余品は皆枝葉にて候なり<中略>されば常には此の方便品・寿量品の二品をあそばし候て、余の品をば時時、御いとまのひまに、あそばすべく候」と断じておられる。

■ご真筆: 現存していない。

[曾谷入道殿御返事 本文]

 方便品の長行書進せ候、先に進せ候し自我偈に相副て読みたまうべし。此の経の文字は皆悉く生身妙覚の御仏なり。然れども我等は肉眼なれば文字と見るなり、例せば餓鬼は恒河を火と見る、人は水と見る、天人は甘露と見る。水は一なれども果報に随つて別別なり。

 此の経の文字は盲眼の者は之を見ず、肉眼の者は文字と見る。二乗は虚空と見る、菩薩は無量の法門と見る。仏は一一の文字を金色の釈尊と御覧あるべきなり。即持仏身とは是なり。されども僻見の行者は加様に目出度く渡らせ給うを破し奉るなり。

 唯相構えて相構えて異念無く一心に霊山浄土を期せらるべし。
心の師とはなるとも心を師とせざれとは六波羅蜜経の文ぞかし、委細は見参の時を期し候、恐恐謹言。

文永十二年三月 日    日 蓮   花押
曾谷入道殿

by johsei1129 | 2015-03-12 00:56 | 曾谷入道 | Comments(0)
2014年 11月 21日

法華経は種の如く仏はうへての如く衆生は田の如くなり、と説いた【曾谷殿御返事】

【曾谷殿御返事(成仏用心抄)】
■出筆時期:建治2年(西暦1276年)8月3日 五十五歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は鎌倉武士・曾谷教信入道に送られた御消息文となっている。曾谷教信は下総国八幡荘曾谷郷の領主で、父親は大聖人の母方の伯父とも言われている。大聖人に帰依した後には出家し、大聖人より日礼の法名を授けられ「法蓮日礼」と名乗った程の強信徒であった。
本書では「法華経の敵を見ながら置いてせめずんば師檀ともに無間地獄は疑いなかるべし」と戒めるとともに、「若し法師に親近せば速かに菩薩の道を得ん是の師に随順して学せば恒沙の仏を見たてまつることを得ん」と説いて、日蓮に随順し仏道を全うするよう諭している。
■ご真筆: 現存していない。

[曾谷殿御返事 本文]

夫れ法華経第一方便品に云く「諸仏の智慧は甚深無量なり」云云。
釈に云く「境淵無辺なる故に甚深と云い智水測り難き故に無量と云う」と。抑此の経釈の心は仏になる道は豈境智の二法にあらずや、されば境と云うは万法の体を云い智と云うは自体顕照の姿を云うなり。而るに境の淵ほとりなく、ふかき時は智慧の水ながるる事つつがなし。此の境智合しぬれば即身成仏するなり。法華以前の経は境智・各別にして而も権教方便なるが故に成仏せず。今法華経にして境智一如なる間、開示悟入の四仏知見をさとりて成仏するなり。此の内証に声聞・辟支仏更に及ばざるところを次下に一切声聞辟支仏所不能知と説かるるなり。此の境智の二法は何物ぞ、但南無妙法蓮華経の五字なり。此の五字を地涌の大士を召し出して結要付属せしめ給う是を本化付属の法門とは云うなり。

 然るに上行菩薩等、末法の始の五百年に出生して此の境智の二法たる五字を弘めさせ給うべしと見えたり。経文赫赫たり明明たり誰か是を論ぜん。日蓮は其の人にも非ず又御使にもあらざれども、先序分にあらあら弘め候なり。既に上行菩薩、釈迦如来より妙法の智水を受けて末代悪世の枯槁の衆生に流れかよはし給う、是れ智慧の義なり。釈尊より上行菩薩へ譲り与へ給う、然るに日蓮又日本国にして此の法門を弘む。又是には総別の二義あり、総別の二義少しも相そむけば成仏思もよらず輪廻生死のもといたらん。例せば大通仏の第十六の釈迦如来に下種せし今日の声聞は、全く弥陀・薬師に遇て成仏せず。譬えば大海の水を家内へくみ来らんには家内の者皆縁をふるべきなり。然れども汲み来るところの大海の一滴を閣きて又他方の大海の水を求めん事は大僻案なり、大愚癡なり。法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師を忘れて余へ心をうつさば、必ず輪廻生死のわざはいなるべし。但し師なりとも誤ある者をば捨つべし。又捨てざる義も有るべし、世間・仏法の道理によるべきなり。末世の僧等は、仏法の道理をばしらずして我慢に著して師をいやしみ、檀那をへつらふなり。但正直にして少欲知足たらん僧こそ真実の僧なるべけれ。

 文句の一に云く「既に未だ真を発さざれば第一義天に慙じ諸の聖人に愧ず、即是れ有羞の僧なり。観慧若し発するは即真実の僧なり」云云。涅槃経に云く「若し善比丘あつて法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば、当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駈遣し呵責し挙処せんは是れ我が弟子真の声聞なり」云云。此の文の中に見壊法者の見と置不呵責の置とを能く能く心腑に染む可きなり。法華経の敵を見ながら置いてせめずんば師檀ともに無間地獄は疑いなかるべし。南岳大師の云く「諸の悪人と倶に地獄に堕ちん」云云。謗法を責めずして成仏を願はば火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなし・はかなし。何に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし。うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し。毒気深入、失本心故は是なり。経に云く「在在諸の仏土に常に師と倶に生ぜん」。又云く「若し法師に親近せば速かに菩薩の道を得ん是の師に随順して学せば恒沙の仏を見たてまつることを得ん」
 
 釈に云く「本此の仏に従つて初めて道心を発し亦此の仏に従つて不退地に住す」、又云く「初め此の仏菩薩に従つて結縁し還此の仏菩薩に於て成就す」云云。返す返すも本従たがへずして成仏せしめ給うべし。釈尊は一切衆生の本従の師にて而も主親の徳を備へ給う。此法門を日蓮申す故に忠言耳に逆う道理なるが故に流罪せられ命にも及びしなり。然どもいまだこりず候。法華経は種の如く仏はうへての如く衆生は田の如くなり。若し此等の義をたがへさせ給はば日蓮も後生は助け申すまじく候、恐恐謹言。

建治二年丙子八月三日                           日  蓮     花 押
曾谷殿

by johsei1129 | 2014-11-21 21:17 | 曾谷入道 | Comments(0)
2014年 10月 20日

末法に日本国に於て地涌の菩薩、法華経の肝心を流布せしむ可きと断じた書【曾谷入道殿許御書】六

【曾谷入道殿許御書 本文】 その六

 夫れ斉の始めより梁の末に至るまで二百余年の間、南北の碩徳光宅・智誕等の二百余人、涅槃経の「我等悉名邪見之人」の文を引いて法華経を以て邪見之経と定め、一国の僧尼並びに王臣等を迷惑せしむ。陳隋の比智者大師之を糾明せし時、始めて南北の僻見を破り了んぬ。唐の始めに太宗の御宇に基法師、勝鬘経の「若如来随彼所欲而方便説・即是大乗無有二乗」の文を引いて、一乗方便・三乗真実の義を立つ。此の邪義・震旦に流布するのみに非ず、日本の得一が称徳天皇の御時盛んに非義を談ず。爰に伝教大師悉く、彼の邪見を破し了んぬ。後鳥羽院の御代に、源空法然、観無量寿経の読誦大乗の一句を以て法華経を摂入し「還つて称名念仏に対すれば雑行方便なれば、捨閉閣抛せよ」等云云。

  然りと雖も五十余年の間、南都・北京・五畿・七道の諸寺・諸山の衆僧等、此の悪義を破ること能はざりき。予が難破分明為るの間、一国の諸人忽ち彼の選択集を捨て了んぬ。根露るれば枝枯れ、源乾けば流竭くとは蓋し此の謂なるか。加之ならず唐の半玄宗皇帝の御代に、善無畏・不空等、大日経の住心品の如実一道心の一句に於て法華経を摂入し、返つて権経と下す。日本の弘法大師は、六波羅蜜経の五蔵の中に第四の熟蘇味の般若波羅蜜蔵に於て法華経涅槃経等を摂入し、第五の陀羅尼蔵に相対して争つて醍醐を盗む等云云。此等の禍咎は日本一州の内四百余年、今に未だ之を糾明せし人あらず。予が所存の難勢遍く一国に満つ。必ず彼の邪義を破られんか。此等は且らく之を止む。

迦葉・阿難等・竜樹・天親等・天台・伝教等の諸大聖人、知つて而も未だ弘宣せざる所の肝要の秘法は、法華経の文赫赫たり。論釈等に載せざること明明なり。生知は自ら知るべし。賢人は明師に値遇して之を信ぜよ。罪根深重の輩は、邪推を以て人を軽しめ之を信ぜず、且く耳に停め本意に付かば之を喩さん。大集経の五十一に大覚世尊、月蔵菩薩に語つて云く「我が滅後に於て五百年の中は解脱堅固、次の五百年は禅定堅固、已上一千年。次の五百年は読誦多聞堅固、次の五百年は多造塔寺堅固已上二千年。次の五百年は我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん」等云云。

 今末法に入つて二百二十余年、我法中闘諍言訟・白法隠没の時に相当れり。法華経の第七薬王品に教主釈尊・多宝仏と共に宿王華菩薩に語つて云く「我が滅度の後、後の五百歳の中に広宣流布して閻浮提に於て断絶して悪魔・魔民・諸の天竜・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得せしむこと無けん」と。大集経の文を以て之を案ずるに、前四箇度の五百年は、仏の記文の如く既に符合せしめ了んぬ。第五の五百歳の一事豈唐捐ならん。随つて当世の体為る大日本国と大蒙古国と闘諍合戦す。第五の五百に相当れるか。彼の大集経の文を以て此の法華経の文を惟うに、後五百歳中広宣流布・於閻浮提の鳳詔・豈扶桑国に非ずや。弥勒菩薩の瑜伽論に云く「東方に小国有り、其の中に唯大乗の種姓のみ有り」云云。慈氏、菩薩仏の滅後九百年に相当つて無著菩薩の請に赴いて、中印度に来下して瑜伽論を演説す。是れ或は権機に随い、或は付属に順い、或は時に依つて権経を弘通す。然りと雖も法華経の涌出品の時、地涌の菩薩を見て近成を疑うの間、仏請に赴いて寿量品を演説し、分別功徳品に至つて地涌の菩薩を勧奨して云く「悪世末法の時能く是の経を持たん者」と。弥勒菩薩自身の付属に非ざれば之を弘めずと雖も、親り霊山会上に於て悪世末法時の金言を聴聞せし故に、瑜伽論を説くの時、末法に日本国に於て地涌の菩薩、法華経の肝心を流布せしむ可きの由兼ねて之を示すなり。肇公の翻経の記に云く「大師須梨耶蘇摩左の手に法華経を持し、右の手に鳩摩羅什の頂を摩で授与して云く、仏日西に入つて遺耀将に東に及ばんとす。此の経典東北に縁有り、汝慎んで伝弘せよ」云云。予、此の記の文を拝見して両眼滝の如く、一身悦びを遍くす。「此の経典東北に縁有り」云云。西天の月支国は未申の方、東方の日本国は丑寅の方なり。天竺に於て東北に縁有りとは豈日本国に非ずや。遵式の筆に云く「始め西より伝う猶月の生ずるが如し。今復東より返る猶日の昇るが如し」云云。正像二千年には西より東に流る、暮月の西空より始まるが如し。末法五百年には東より西に入る。朝日の東天より出ずるに似たり。根本大師の記に云く「代を語れば則ち像の終り末の初、地を尋ぬれば唐の東・羯の西、人を原ぬれば則ち五濁の生・闘諍の時なり。経に云く猶多怨嫉況滅度後と。此の言良に以有るが故に」云云。又云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り、法華一乗の機、今正しく是れ其の時なり。何を以て知る事を得ん。安楽行品に云く、末世法滅の時なり」云云。此の釈は語美しく心隠れたり、読まん人之を解し難きか。伝教大師の語は我が時に似て心は末法を楽いたもうなり。大師出現の時は仏の滅後一千八百余年なり。大集経の文を以て之を勘うるに大師存生の時は第四の多造塔寺堅固の時に相当る。全く第五闘諍堅固の時に非ず。而るに余処の釈に末法太有近の言は有り、定めて知んぬ闘諍堅固の筆は我が時を指すに非ざるなり。

 予、倩事の情を案ずるに、大師、薬王菩薩として霊山会上に侍して、仏、上行菩薩出現の時を兼ねて之を記したもう故に粗之を喩すか。而るに予地涌の一分に非ざれども兼ねて此の事を知る故に、地涌の大士に前立ちて粗五字を示す。例せば西王母の先相には青鳥・客人の来るにはかん鵲の如し。
 此の大法を弘通せしむるの法には必ず一代の聖教を安置し、八宗の章疏を習学すべし。然れば則ち予所持の聖教・多多之有り。然りと雖も両度の御勘気・衆度の大難の時は、或は一巻二巻散失し、或は一字二字脱落し、或は魚魯の謬誤、或は一部二部損朽す。若し黙止して一期を過ぐるの後には、弟子等定んで謬乱出来の基なり。爰を以つて愚身老耄已前に之を糾調せんと欲す。而るに風聞の如くんば、貴辺並びに大田金吾殿、越中の御所領の内並びに近辺の寺寺に数多の聖教あり等云云。両人共に大檀那為り所願を成ぜしめたまえ。涅槃経に云く「内には智慧の弟子有つて甚深の義を解り、外には清浄の檀越有つて仏法久住せん」云云。天台大師は毛喜等を相語らい伝教大師は国道弘世等を恃怙む云云。

  仁王経に云く「千里の内をして七難起らざらしむ」云云。法華経に云く「百由旬の内に諸の衰患無からしむ」云云。国主正法を弘通すれば、必ず此の徳を備う臣民等此の法を守護せんに、豈家内の大難を払わざらんや。又法華経の第八に云く「所願虚しからず亦現世に於て其の福報を得ん」と。又云く「当に今世に於て現の果報を得べし」云云。又云く「此の人は現世に白癩の病いを得ん」と。又云く「頭破れて七分と作らん」と。又第二巻に云く「経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賤憎嫉して結恨を懐かん、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」云云。第五の巻に云く「若し人悪み罵らば口則ち閉塞せん」云云。伝教大師の云く「讃する者は福を安明に積み謗ずる者は罪を無間に開く」等云云。安明とは須弥山の名なり。無間とは阿鼻の別名なり。国主持者を誹謗せば位を失い臣民行者を毀呰すれば身を喪す。一国を挙りて用いざれば定めて自反他逼出来せしむべきなり。又上品の行者は大の七難、中品の行者は二十九難の内、下品の行者は無量の難の随一なり。又大の七難に於て七人有り。第一は日月の難なり。第一の内に又五の大難有り。所謂日月度を失し時節反逆し、或は赤日出で、或は黒日出で、二三四五の日出ず、或は日蝕して光無く、或は日輪一重二三四五重輪現ぜん。又経に云く「二の月並び出でん」と。今此の国土に有らざるは二の日、二の月等の大難なり。余の難は大体之有り。今此の亀鏡を以て日本国を浮べ見るに、必ず法華経の大行者有るか。既に之を謗る者に大罰有り、之を信ずる者何ぞ大福無からん。

  今両人微力を励まし予が願に力を副え、仏の金言を試みよ。経文の如く之を行ぜんに徴無くんば釈尊正直の経文、多宝証明の誠言、十方分身の諸仏の舌相、有言無実と為らんか。提婆の大妄語に過ぎ、瞿伽利の大誑言に超えたらん。日月地に落ち大地反覆し天を仰いで声を発し、地に臥して胸を押う。殷の湯王の玉体を薪に積み、戒日大王の竜顔を火に入れしも、今此の時に当るか。若し此の書を見聞して宿習有らば、其の心を発得すべし。使者に此の書を持たしめ、早早北国に差し遣し、金吾殿の返報を取りて速速是非を聞かしめよ。此の願若し成ぜば、崑崙山の玉鮮かに求めずして蔵に収まり、大海の宝珠招かざるに掌に在らん。恐惶謹言。

 下春十日      日 蓮  花 押

曾谷入道殿
大田金吾殿

by johsei1129 | 2014-10-20 22:48 | 曾谷入道 | Comments(0)
2014年 10月 19日

末法に日本国に於て地涌の菩薩、法華経の肝心を流布せしむ可きと断じた書【曾谷入道殿許御書】五

【曾谷入道殿許御書 本文】 その五

 爰を以て、滅後の弘経に於ても仏の所属に随つて弘法の限り有り。然れば則ち迦葉・阿難等は一向に小乗経を弘通して大乗経を申べず。竜樹・無著等は権大乗経を申べて一乗経を弘通せず。設い之を申べしかども纔かに以て之を指示し、或は迹門の一分のみ之を宣べて全く化道の始終を談ぜず。南岳・天台等は観音・薬王等の化身と為て、小大・権実・迹本二門・化道の始終・師弟の遠近等悉く之を宣べ、其の上に已今当の三説を立てて一代超過の由を判ぜること、天竺の諸論にも勝れ真丹の衆釈にも過ぎたり。旧訳・新訳の三蔵も宛かも此の師には及ばず、顕密二道の元祖も敵対に非ず、然りと雖も広略を以て本と為して未だ肝要に能わず。自身之を存すと雖も敢て他伝に及ばず。此れ偏に付属を重んぜしが故なり。

 伝教大師は仏の滅後一千八百年像法の末に相当つて日本国に生れて小乗大乗一乗の諸戒一一に之を分別し、梵網・瓔珞の別受戒を以て小乗の二百五十戒を破失し、又法華普賢の円頓の大王の戒を以て諸大乗経の臣民の戒を責め下す。此の大戒は霊山八年を除いて一閻浮提の内に未だ有らざる所の大戒場を叡山に建立す。然る間八宗共に偏執を倒し、一国を挙げて弟子と為る。観勒の流の三論・成実、道昭の渡せる法相・倶舎、良弁の伝うる所の華厳宗、鑒真和尚の渡す所の律宗、弘法大師の門弟等、誰か円頓の大戒を持たざらん。此の義に違背するは逆路の人なり、此の戒を信仰するは伝教大師の門徒なり。日本一州・円機純一・朝野遠近・同帰一乗とは是の謂か。此の外は漢土の三論宗の吉蔵大師、並びに一百余人・法相宗の慈恩大師・華厳宗の法蔵・澄観・真言宗の善無畏・金剛智・不空・慧果・日本の弘法・慈覚等の三蔵の諸師は四依の大士に非ざる暗師なり愚人なり。経に於ては大小・権実の旨を弁えず、顕・密両道の趣を知らず、論に於ては通申と別申とを糾さず申と不申とを暁めず。然りと雖も彼の宗宗の末学等此の諸師を崇敬して之を聖人と号し、之を国師と尊ぶ今先ず一を挙げんに万を察せよ。

  弘法大師の十住心論・秘蔵宝鑰・二教論等に云く「此くの如き乗乗自乗に名を得れども後に望めば戯論と作る」と。又云く「無明の辺域」又云く「震旦の人師等諍つて醍醐を盗み各自宗に名く」等云云。釈の心は法華の大法を華厳と大日経とに対して・戯論の法と蔑り、無明の辺域と下し、剰え震旦一国の諸師を盗人と罵る。此れ等の謗法・謗人は慈恩・得一の三乗真実・一乗方便の誑言にも超過し、善導・法然が千中無一・捨閉閣抛の過言にも雲泥せるなり。六波羅蜜経をば唐の末に不空三蔵月氏より之を渡す。後漢より唐の始めに至るまで未だ此の経有らず。南三北七の碩徳未だ此の経を見ず。三論・天台・法相・華厳の人師誰人か彼の経の醍醐を盗まんや。又彼の経の中に法華経は醍醐に非ずというの文之有りや不や。而るに日本国の東寺の門人等堅く之を信じて種種に僻見を起し、非より非を増し・暗より暗に入る不便の次第なり。

 彼の門家の伝法院の本願たる正覚の舎利講式に云く「尊高なる者は不二摩訶衍の仏・驢牛の三身は車を扶くること能ず。秘奥なる者は両部曼陀羅の教・顕乗の四法の人は履をも取るに能えず」云云。三論・天台・法相・華厳等の元祖等を真言の師に相対するに牛飼にも及ばず、力者にも足らずと書ける筆なり。乞い願わくは彼の門徒等心在らん人は之を案ぜよ。大悪口に非ずや、大謗法に非ずや、所詮此等の誑言は弘法大師の望後作戯論の悪口より起るか。教主釈尊・多宝・十方の諸仏は、法華経を以て已今当の諸説に相対して皆是真実と定め、然る後世尊は霊山に隠居し、多宝諸仏は各本土に還りたまいぬ。三仏を除くの外誰か之を破失せん。

 就中、弘法所覧の真言経の中に三説を悔い還すの文之有りや不や。弘法既に之を出さず、末学の智・如何せん。而るに弘法大師一人のみ法華経を華厳・大日の二経に相対して戯論・盗人と為す。所詮釈尊・多宝・十方の諸仏を以て盗人と称するか。末学等、眼を閉じて之を案ぜよ。

 問うて曰く、昔より已来未だ曾て此くの如きの謗言を聞かず。何ぞ上古清代の貴僧に違背して、寧ろ当今濁世の愚侶を帰仰せんや。答えて曰く、汝が言う所の如くば愚人は定んで理運なりと思わんか。然れども此等は皆人の偽言に因つて如来の金言を知らざるなり。大覚世尊・涅槃経に滅後を警めて言く「善男子・我が所説に於て若し疑を生ずる者は尚受くべからず」云云。然るに仏尚我が所説なりと雖も、不審有らば之を叙用せざれとなり。今予を諸師に比べて謗難を加う。然りと雖も敢て私曲を構えず、専ら釈尊の遺誡に順つて諸人の謬釈を糾すものなり。

【曾谷入道殿許御書 本文】 その六に続く

by johsei1129 | 2014-10-19 22:38 | 曾谷入道 | Comments(0)
2014年 10月 18日

末法に日本国に於て地涌の菩薩、法華経の肝心を流布せしむ可きと断じた書【曾谷入道殿許御書】四

【曾谷入道殿許御書 本文】 その四

 今末法に入つて此等の諸大士も皆本処に隠居しぬ。其の外、閻浮守護の天神・地祇も或は他方に去り、或は此の土に住すれども悪国を守護せず。或は法味を嘗めざれば守護の力無し。例せば法身の大士に非ざれば三悪道に入られざるが如し。大苦忍び難きが故なり。而るに地涌千界の大菩薩、一には娑婆世界に住すること多塵劫なり、二には釈尊に随つて久遠より已来初発心の弟子なり、三には娑婆世界の衆生の最初下種の菩薩なり、是くの如き等の宿縁の方便・諸大菩薩に超過せり。

 問うて曰く其の証拠如何。法華第五涌出品に云く「爾の時に他方の国土より諸の来れる菩薩摩訶薩の八恒河沙の数に過ぎたる。乃至爾の時に仏諸の菩薩摩訶薩衆に告げたまわく、止みね善男子、汝等が此の経を護持せんことを須いじ」等云云。天台云く「他方は此の土結縁の事浅し、宣授せんと欲すと雖も必ず巨益無し」云云。妙楽云く「尚偏に他方の菩薩に付せず豈独り身子のみならんや」云云。又云く「告八万大士とは乃至今の下の文に下方を召すが如く。尚本眷属を待つ験し、余は未だ堪えざることを」云云。経釈の心は迦葉・舎利弗等の一切の声聞・文殊・薬王・観音・弥勒等の迹化・他方の諸大士は、末世の弘経に堪えずと云うなり。経に云く「我が娑婆世界に自ら六万恒河沙等の菩薩摩訶薩有り、一一の菩薩に各六万恒河沙の眷属有り。是の諸人等能く我が滅後に於て護持し読誦し広く此の経を説かん。仏是を説きたもう時、娑婆世界の三千大千の国土・地皆震裂して其の中より無量千万億の菩薩摩訶薩有り同時に涌出せり、乃至是の菩薩衆の中に四たりの導師有り、一をば上行と名け、二をば無辺行と名け、三をば浄行と名け、四をば安立行と名く。其の衆の中に於て最も為上首唱導の師なり」等云云。天台云く「是れ我が弟子応に我が法を弘むべし」云云。妙楽云く「子父の法を弘む」云云。道暹云く「付属とは此の経は唯下方涌出の菩薩に付す、何が故に爾る。法是れ久成の法なるに由るが故に久成の人に付す」等云云。此等の大菩薩末法の衆生を利益したもうこと猶魚の水に練れ、鳥の天に自在なるが如し。濁悪の衆生此の大士に遇つて仏種を殖うること、例せば水精の月に向つて水を生じ、孔雀の雷の声を聞いて懐妊するが如し。天台云く「猶百川の海に潮すべきが如し、縁に牽れて応生するも亦復是くの如し」云云。

 慧日大聖尊仏眼を以て兼ねて之を鑒みたもう故に、諸の大聖を捨棄し此の四聖を召し出して要法を伝え末法の弘通を定むるなり。問うて曰く要法の経文如何。答えて曰く口伝を以て之を伝えん。釈尊然後正像二千年の衆生の為に宝塔より出でて虚空に住立し、右の手を以て文殊・観音・梵帝・日月・四天等の頂を摩でて是くの如く三反して、法華経の要よりの外の広・略二門並びに前後の一代の一切経を、此等の大士に付属す。正像二千年の機の為なり。其の後涅槃経の会に至つて重ねて法華経並びに前四味の諸経を説いて文殊等の諸大菩薩に授与したもう。此等はくん拾の遺属なり。

【曾谷入道殿許御書 本文】 その五に続く

by johsei1129 | 2014-10-18 20:57 | 曾谷入道 | Comments(0)
2014年 10月 17日

末法に日本国に於て地涌の菩薩、法華経の肝心を流布せしむ可きと断じた書【曾谷入道殿許御書】三

【曾谷入道殿許御書 本文】 その三

 大覚世尊(釈尊)、仏眼を以つて末法を鑒知し、此の逆・謗の二罪を対治せしめんが為に一大秘法を留め置きたもう。所謂法華経本門久成の釈尊・宝浄世界の多宝仏・高さ五百由旬、広さ二百五十由旬の大宝塔の中に於て、二仏座を並べしこと、宛も日月の如く十方分身の諸仏は高さ五百由旬の宝樹の下に五由旬の師子の座を並べ敷き、衆星の如く列坐したもう。四百万億那由佗の大地に三仏二会に充満したもうの儀式は、華厳寂場の華蔵世界にも勝れ、真言両界の千二百余尊にも超えたり一切世間の眼なり。此の大会に於て六難九易を挙げて法華経を流通せんと諸の大菩薩に諌暁せしむ。金色世界の文殊師利、兜史多宮の弥勒菩薩、宝浄世界の智積菩薩、補陀落山の観世音菩薩等、頭陀第一の大迦葉、智慧第一の舎利弗等、三千世界を統領する無量の梵天、須弥の頂に居住する無辺の帝釈、一四天下を照耀せる阿僧祇の日月、十方の仏法を護持する恒沙の四天王、大地微塵の諸の竜王等我にも、我にも此の経を付属せられよと競い望みしかども、世尊都て之を許したまわず。爾の時に下方の大地より未見・今見の四大菩薩を召し出したもう。所謂上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩なり。此の大菩薩各各六万恒河沙の眷属を具足す。形貌威儀言を以て宣べ難く心を以て量るべからず。初成道の法慧・功徳林・金剛幢・金剛蔵等の四菩薩各各十恒河沙の眷属を具足し、仏会を荘厳せしも、大集経の欲・色二界の中間大宝坊に於て来臨せし十方の諸大菩薩、乃至大日経の八葉の中の四大菩薩も、金剛頂経の三十七尊の中の十六大菩薩等も、此の四大菩薩に比みょうすれば猶帝釈と猿猴と華山と妙高との如し。弥勒菩薩、衆の疑を挙げて云く「乃一人をも識らず」等云云。天台大師云く「寂場より已降今座より已往十方の大士来会絶えず限る可からずと雖も、我れ補処の智力を以て悉く見・悉く知る。而も此の衆に於ては一人をも識らず」等云云。妙楽云く「今見るに皆識らざる所以は乃至智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云。

 天台又云く「雨の猛きを見て竜の大なるを知り、華の盛なるを見て池の深きを知る」云云。例せば漢王の四将の張良・樊かい・陳平・周勃の四人を商山の四皓・綺里枳・角里先生・東園公・夏黄公等の四賢に比するが如し。天地雲泥なり。四皓が為体頭には白雪を頂き、額には四海の波を畳み、眉には半月を移し、腰には多羅枝を張り、恵帝の左右に侍して世を治められたる事、尭舜の古を移し、一天安穏なりし事、神農の昔にも異ならず。此の四大菩薩も亦復是くの如し法華の会に出現し三仏を荘厳し、謗人の慢幢を倒すこと大風の小樹の枝を吹くが如く、衆会の敬心を致すこと、諸天の帝釈に従うが如く、提婆が仏を打ちしも舌を出して掌を合せ、瞿伽梨が無実を構えしも地に臥して失を悔ゆ。文殊等の大聖は身を慙ぢて言を出さず。舎利弗等の小聖は智を失して頭を低る。爾の時に大覚世(釈尊)尊寿量品を演説し、然して後に十神力を示現して四大菩薩に付属したもう。其の所属の法は何物ぞや。法華経の中にも広を捨て略を取り、略を捨てて要を取る、所謂妙法蓮華経の五字・名・体・宗・用・教の五重玄なり。例せば九苞淵が相馬の法には玄黄を略して駿逸を取り、史陶林が講経の法には細科を捨て元意を取るが如し等。此の四大菩薩は釈尊成道の始、寂滅道場の砌にも来らず如来入滅の終りに抜提河の辺にも至らず、しかのみならず霊山八年の間に進んでは迹門序正の儀式に文殊・弥勒等の発起影向の諸聖衆にも列ならず、退いては本門流通の座席に観音・妙音等の発誓弘経の諸大士にも交わらず、但此の一大秘法を持して本処に隠居するの、・仏の滅後正像二千年の間に於て未だ一度も出現せず、所詮・仏専ら末法の時に限つて此等の大士に付属せし故なり。法華経の分別功徳品に云く「悪世末法の時能く是の経を持つ者」云云。

 涅槃経に云く「譬えば七子の父母平等ならざるに非ず、然も病者に於て心則ち偏に重きが如し」云云。法華経の薬王品に云く「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり」云云。七子の中に上の六子は且らく之を置く、第七の病子は一闡提の人・五逆謗法の者・末代悪世の日本国の一切衆生なり。正法一千年の前五百年には一切の声聞涅槃し了んぬ。後の五百年には他方来の菩薩・大体本土に還り向い了んぬ。像法に入つての一千年には文殊・観音・薬王・弥勒等・南岳・天台と誕生し、傅大士・行基・伝教等と示現して衆生を利益す。

【曾谷入道殿許御書 本文】 その四に続く

by johsei1129 | 2014-10-17 21:53 | 曾谷入道 | Comments(0)