カテゴリ:日寛上人 六巻抄( 150 )


2016年 12月 17日

日享上人 六巻抄註解についての総序


六巻抄註解についての総序


日寛上人の六巻抄現本の再治修訂の年月は各巻末御自記のとおりである、ただ未治(みじ)本についてはこれを知るの便少なし、上人の「未治の本を留むる事(なか)れ」との御誡を門下が守ったために残影をも見ないのであろう。あるいは衆人について所蔵を閲しても未治本の正写共に発見することはけだし容易でなかろう。幸いに予が雪山文庫に(きょう)()三年純澄日定の転写に属する末法相抄上下一巻がある。その下巻末に「大石学頭(だい)()日寛在判」とあるのみで年月を記していない。今本師の他の末抄に六巻抄中の書目ある分を列挙してみよう。

正徳六年記、撰時抄上に依義判文抄の目あり四、要集疏釈部 三四六頁

享保二年記、取要抄上に三重秘伝抄の目あり四、要集疏釈部 三八一頁

享保六年記、当体義抄に三重秘伝抄の目あり四、要集疏釈部 四〇五頁

同年記、法華題目抄に末法相応抄の目あり四、要集疏釈部 三八八頁

享保七年記、報恩抄下末に末法相応抄の目あり四、要集疏釈部三七〇頁、また文底秘沈抄の目あり四、要集疏釈部 三七〇頁已上粗見である。

また他抄にもあるかも知れぬ。ただし当流行事抄当家三衣抄とが見えぬのと、立正安国論に六巻抄を例証せられぬのは引用せらるべき御法門がなかったためであろう。開目抄四巻の長編中にないのは開目抄の開講後に六巻抄の始めの三重秘伝抄が筆せられたためであろう。

すでに未治本の末法相応抄に「学頭日寛」の記名があり三重秘伝抄の自序に開目抄の講次に三段十門の草案が成ってそのままであったのを享保(きょうほう)十年に添削するとあれば、秘伝抄も相応抄も共に学頭時代で正徳三年後の御述記であることは確定する。その余の四巻もまたしかりと推定することを得るのである。

また愚僧が旧著なる日寛上人全伝の中の年表にはその後多少の(あやま)りを発見した開目抄の講日を享保元年の下に疑問視したるその一である。本師は正徳元年に学頭として蓮蔵坊(れんぞうぼう)に入りたるも正徳三年に開目抄を始めらるる二年の間には未だ年月の記入ある書記を見ない。あるいは如説修行抄妙法曼荼羅供養抄の記など十余部の内がそれであるかも知れぬ。因師は「学頭となりて大弐阿闍(あじゃ)()と称し初めて題目抄を講ず」と記せられたるが、御自筆の題目抄文段には正徳六年六月四日より始められ同八月十五日に終わる事を記せられてある。今、年月の明かなる末抄は開目抄安国論撰時抄題目抄取要抄が学頭時代の物である。それも一抄(おわ)りて次抄に移るという順序でなく数抄交互に混説せられた事もある。また定講日とてないから進捗の程度は明らかでなく開目抄のごとき始講の日は他書に()りて知ることを得れども終講の日は知る事を得ぬ。あるいは長編の事であるから二年余にまたがったかも知れぬ。また取要抄や当体義抄には他抄のごとくに日割りが記してないから日付は終講の日か直後の追記ではなかろうか。観心本尊抄のごとく夏に講し(おわ)り冬に文段が成稿したという風ではなかったろうか。とにかく学頭時代に六巻抄の講録も成りその都度門下にはあるいは内見を許されたものもあろう。

本抄の草案本と訂正本との相違はいかほどであるかについては五巻の未治本が発見せられねば分明せぬ。ただし一巻の相応抄では引文や論旨に繁簡があり文飾に多くの相違があるが大体の結構においては大差を見ぬ、(いま)血脈(けちみゃく)相承(そうじょう)を受けずとも撰ばれて初代の学頭(六代というはただ名義のみ)となられた位の徳学兼備の大器であったから言動とも自然にその法に即した異材であって、二十六代の(かん)()となって相承のために(にわ)かに法門に変動を生ずるような凡器とは思えぬ。ただ相承のために自然に磨きが加わった程度であろうと拝察するのである。

本師八十余巻の述作中無益の冗書はないがこれを総括する要本はこの六巻抄であり、自身三十年の言説を要約したばかりでなく釈迦仏のまた蓮祖大聖の総てをこの中に納めたりとの会心の御作であったのは、候補たる学頭(にっ)(しょう)師への御譲りの御談にも顕れておる。末徒たるもの(いたずら)にこれを高閣に束ねて木像扱いにせず日夜不断の研鑽の料として本師の妙義を光顕する事に努められたいのである。

編者が当初の理想はこの六巻抄の全面に少しずつでも簡明な註解を加えたいのであったが紙面が許さぬばかりでなく浅智膚学の及ばぬところであるに(きょう)()を生じた。幸いに秘伝抄と三衣抄とには三四十年前の愚註を終訂して加えようとしたが、頁数の都合で秘伝抄だけにした。余の五巻は延べ書きばかりでせんかたなきを許されよ。いずれ老衰の身ながら仏天幸いに(みょう)()ありて幾分の余力を有するあらば近き将来にこの責めを果たそうと思う。


昭和十二年九月 日         編者日享 識す


重版にあたりて寸辞を加う。本巻には二巻以下にも秘伝抄のごとく略解を付すべき予定であったが、頃日の病態ではその元気が()かぬでこれは幸いに回復の時を記して別刊するからこのたびは旧版の序文に云える相応抄の未治本をこの校本の上欄に加えて本師著作の謹厳の聖慮を学徒に知らしめんためである。また更に()(しゃ)()が五十余年前に編集した三衣抄の釈文等を延べ書きにして付録する事にした。


昭和三十二年十月          編者日享 謹んで識す。



六巻抄 目次  御書文段 目次



by johsei1129 | 2016-12-17 15:49 | 日寛上人 六巻抄 | Comments(0)
2016年 05月 27日

法華取要抄私記 二 「所抄の題目」および「能抄の人」の深義を説く


一 所抄の題目とは。

 「法華取要抄」是れなり。此の題目に点を()くれば「法華経の要を取る事を抄す」と云うべし。「法華の要を取る抄」と云う点も有るべし、是れは非なり。総じて法華の(りゅう)(ぎょう)に三あり。一には広、二には略、三には要なり。広略の修行は(じゅく)(だつ)の立行なり。今末法の始め、()の熟脱の立行を捨てて末法下種の要法の立行を取るの意を題目とする時に「法華経取要抄」と題号したもう者なり。

文に云く「日蓮は広略を捨てて肝要(かんよう)を好む」等云云。太田抄に云く「広を捨て略を取り略を捨てて要を取る」云云。法華題目抄に云く「広略要の中には題目は要の(うち)なり」等云云。

問う、(なんじ)、何が故に要を取るや。

答う、経に云く「要を以て之を言わば」等云云。釈には「結要(けっちょう)()(ぞく)」等云云。祖師云く地涌(じゆ)を召し(いだ)し肝要を取つて末代の為に五字を(じゅ)()す」等云云。

問う、広略の修行を熟脱と云う事は如何(いかん) 

答えて云く、広略の立行は天台等の助行なり。観行五品の中の読誦(どくじゅ)是れなり。略とは四要品なり。妙楽の記の一に云く云云。

(ただ)し所唱の題目に二あり。天台等の所唱の題目は理なり。今末法の我等が所唱の題目は()なり。三大秘法抄の如し云云。され()の広略の立行は全く我等が為に非ず。今末法は本門事行の立行なり。此の要行の上に於て(おのずか)ら広略要の三ありと、之を習うべき者なり。  

一 能抄(のうしょう)の人とは

()(そう)沙門(しゃもん)日蓮(これ)()ぶ」と遊ばす、是れなり。

此の日本に十四の()(みょう)あり。其の中の一名なり。「沙門」と申すは出家の事なり。是れ則ち日本の出家ぞと云う事なり。(あるい)は天台(しゃ)(もん)、或は釈の沙門、或は本朝沙門なりと云って諸書の釈の初めに題するは、人の(ため)、国の為、処の為となり。今の御書には国を以て之を題す。()(そう)(こく)是れ神国なり。神国始めて仏国となる。(よっ)て「扶桑沙門」と云うなり三十七・二十三ヲ。  

一 次に入文に三。

第一に、非を捨てて要を取るの意を明かす中に三。初めに総じて諸宗諸依の経論を(いだ)す。二に「(その)中」の下は取捨の意を加う。三に「()れ諸宗」の下は諸宗迷情の本を出し、取捨(しゅしゃ)を勧むるなり云云。


                   つづく
 本書目次                          日寛上人 文段目次



by johsei1129 | 2016-05-27 20:42 | 日寛上人 六巻抄 | Comments(0)
2015年 02月 07日

【六巻抄】目次

【六巻抄】日蓮正宗二十六世、日寛上人著。江戸時代の享保十年(1725年)日蓮宗各派の邪義が横行していたのを破折した書。六巻からなる。

          三重秘伝抄 第一
          文底秘沈抄 第二
          
依義判文抄 第三
          末法相応抄 第四
          
当流行事抄 第五
          当家三衣抄 第六

日寛上人は無数ともいえる疑問に答えることによって正邪を決し、日蓮大聖人の仏法の正当性を証明した。

(日享上人「六巻抄註解についての総序」参照)


【日寛】

寛文五年(一六六五)~享保十一年(一七二六)。字は覚真。上州(群馬県)前橋の城主・酒井雅樂守の家臣伊藤浄円の子として生まれる。

十八歳の時、下谷の常在寺で日精の説法を聞いて出家を決意。出家後は日永のもとで修業に励み、元禄二年(一六八九)に名を日寛とあらためた。正徳元年(一七一一)第六代の学頭となる。この間、日蓮大聖人の正義を宣揚し、宗門の興隆に尽力した。主な著作に御書五大部の文段、六巻抄がある。享保三年(一七一八)、第二十五世日宥から血脈の付属をうけ、大石寺法主となる。第九世の日有とともに中興の祖といわれる。

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三重秘伝抄 につづく



by johsei1129 | 2015-02-07 15:58 | 日寛上人 六巻抄 | Comments(0)
2015年 02月 07日

一切衆生に仏法僧の三宝を明かして六巻抄を結す 【当家三衣抄】十七


問う、数珠の由来如何(いかん)

答う、()れ数珠とは此れ(すなわ)ち下根を引接(いんせつ)し修業を牽課(けんか)するの具なり、木槵子(もくげんじ)(きょう)に云わく「昔国王有り、波流(はる)()と名づく、仏に(もう)して(もう)さく、我が国辺小にして(ひん)(ねん)寇疫(こうやく)(こく)(たか)く民(くる)しむ、我常に安んぜず、法蔵は(じん)(こう)なり、(あまね)く行ずることを得ず、唯願わくば法要を垂示したまえ、仏(のたまわ)く、大王若し煩悩を滅せんと欲せば当に木槵子(もくげんじ)一百八箇を貫き、常に自ら身に随え、()(しん)に南無仏・南無法・南無僧と称え、(すなわ)ち一子を過ごすべし」云云。
 応に知るべし、木槵子の円形は是れ法性の妙理を表すなり。玄文第一に云わく「理は
(へん)(えん)を絶すれども(えん)(じゅ)に寄せて理を談ず」云云。弘五上に云わく「理体欠くること無し、之に(たと)うるに珠を以てす」云云。土宗(どしゅう)(ひら)(がた)大いに所表に(たが)うなり、一百八箇は即ち百八煩悩を表するなり、数珠は須臾(しゅゆ)も身を離る可からず、故に「(じょう)()随身(ずいしん)と云うなり。

南無仏・南無法・南無僧とは(けだ)し当流の(こころ)は、

南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思(なんし)境智冥合(みょうごう)久遠(くおん)元初(がんじょ)自受用(じじゅゆう)(ほう)(しん)無作(むさ)三身、本因(ほんにん)(みょう)の教主、末法下種の主師親、大慈大悲南無日蓮大聖人師。

南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初の自受用報身の当体、()の一念三千、無作本有(ほんぬ)、南無本門戒壇の大本尊。

南無本門弘通(ぐつう)の大導師、末法万年の総貫首(そうかんず)、開山付法南無日興上人師、南無一閻(いちえん)浮提(ぶだい)座主(ざす)、伝法日目(にちもく)上人師、嫡々(ちゃくちゃく)付法歴代の諸師。

此くの如き三宝を一心に之を念じて唯(まさ)に南無妙法蓮華経と(とな)え、(すなわ)ち一子を過ごすべし云云。

行者(つつし)んで次第を超越する(なか)れ、勢至経の如くんば「妄語の罪に()って(まさ)に地獄に()つべし」、亦復母珠(もじゅ)を超ゆること勿れ、数珠経の如き「(とが)諸罪に越ゆ、数珠は仏の如くせよ」云云。

 母珠を超ゆるの罪何ぞ諸罪に越ゆるや、今謂わく、(けだ)し是れ名を()むか。孔子勝母(しょうぼ)に至り暮れる、而も宿(やど)らずして過ぐ。(さと)を勝母と名のれば曾子(そうこ)入らず等云云、外典尚(しか)り、況や仏氏をや。


                        当家三衣抄 畢んぬ


享保第十乙巳年六月中旬大坊に於て之を書す。

             六十一歳

                日寛   在判



by johsei1129 | 2015-02-07 15:01 | 日寛上人 六巻抄 | Comments(0)
2015年 02月 07日

袈裟は世界の闘諍を滅す 【当家三衣抄】十六


問う、袈裟(けさ)功徳(くどく)実に是れ無量なり、所謂(いわゆる)悲華経の五種の功徳、心地観経の雷電(らいでん)無畏(むい)、賢愚経の(けん)(せい)師子(しし)、海竜王経の竜得一()、大智度論の蓮華(しき)()(すい)()羅門(らもん)枚挙(まいきょ)するに(いとま)あらず、今疑う、諸宗門の袈裟、皆此くの如き微妙(みみょう)の功徳を具するや。

答う、妙楽大師の記の三中に云わく「経に被法服とは瓔珞(ようらく)経に云うが如し、若し天竜・八部闘諍(とうじょう)せんに、此の袈裟を念ずれば慈悲心を生ず、乃至然れば必ず(すべから)く行体を弁じ教を顕わし、以て味の(こと)なるを分かつべし」等云云。是れ肝心の文なり、学者()く思え。又当家三重の秘伝云云。



          一切衆生に仏法僧の三宝を明かして六巻抄を結すにつづく



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by johsei1129 | 2015-02-07 14:21 | 日寛上人 六巻抄 | Comments(0)
2015年 02月 06日

ああ後世日々三たび身を省みよ 【当家三衣抄】十五


問う、当流の法衣(ほうえ)(よろ)しく麻苧(あさ)を用うべし。既に如来は()()僧伽(そうぎゃ)()(ちゃく)す。天台は四十余年(ただ)一衲(いちのう)()る、南山は繒絋(そこう)を兼ねず、妙楽は()()にして()。然るに当家に(おい)ては(なお)緞子(どんす)()(あや)縮緬(ちりめん)等の法衣を許す、如何(いかん)ぞ仏制に(たが)わざるを得可けんや。

答う、実に問う所の如く、是れ吾が欲する所なり。(しか)るに之を制せざるは()いて世に准ずるのみ。

智度論に云わく「仏言わく、今日より()比丘(びく)有って一心に涅槃(ねはん)を求め、世間を背捨(はいしゃ)せん者には我()(じき)千万両金の衣を()、百味の(じき)を食らうことを(ゆる)す等」云云。

然るに当世に及び門葉の中に於て一心に仏道を求め、世間に背捨する者は爪上(そうじょう)の土の如く(いたずら)に万金の衣を()、百味の食を食らう者は(なお)大地の如し、嗚呼(ああ)(こう)(せい)日々三たび身を(かえり)みよ云云。



                袈裟は世界の闘諍を滅すにつづく



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by johsei1129 | 2015-02-06 22:39 | 日寛上人 六巻抄 | Comments(0)
2015年 02月 06日

法滅かえって大白法広宣流布の瑞相なり 【当家三衣抄】十四

(


答う、今両意を以て(すべから)く此の文を()すべし。

一には是れ月氏・日本、国風異なるが故に、(けん)戒論(かいろん)の中に梵網経(ぼんもうきょう)を引いて云わく「比丘(みな)(まさ)に其の国土の衣服の色と異にし、俗服と異り有るべし」等云云。(つつし)んで此の文に准ずるに、月氏と日本、国風(すで)に異にして衣服の色(すなわ)ち是れ同じからず、()わく、月氏の俗(みな)白色を()る故に経論の常談、俗を呼んで白衣(びゃくえ)と名づく。故に袈裟白に変ずる(とき)俗服に同じ、故に法滅の相と成る。是れ則ち其の国土、衣服の色と異ならず、俗服と異なり有らざる故なり。若し日本の俗は喪服(もふく)(ほか)は白色を()ず、故に袈裟白に変るも俗服に同じからず。若し(しか)らば其の国土・衣服の色と異に俗服と異り有る。如何(いかん)ぞ法滅の相と云う()けんや。(しか)れば則ち仏は月氏の法に准ずる故に法滅の相と言い、今は日本の(ふう)に准ずる故に白袈裟を()け、(さら)妨礙(ぼうげ)無きなり。

二には是れ当分(とうぶん)()(せつ)法相(ほっそう)異なるが故に。今謹んで案じて曰わく、袈裟(へん)(びゃく)(すで)に両時に在り、一には像法(ぞうほう)の初めなり、謂わく、摩耶(まや)経付嘱儀の文是れなり。二に末法の初めなり、大集(だいしつ)経・法滅尽経の文是れなり。当に知るべし、此の両文(とも)に当分跨節の二意有り。

何を以て之を知るを得んや。

一には謂わく、総じて一代四味三教に(おい)て皆二意を具す、(あに)此の一文に二意を具せざらんや。天台大師玄文第二云云。妙楽云わく「当分は一代に通ず、跨節は(ただ)(こん)(きょう)に在り、仏意は今(かな)に非ざるなり」等云云。

二には謂わく、袈裟変白の後、法華の迹本二門広宣(こうせん)流布(るふ)す、謂わく、天台大師は仏滅後一千五百年、漢土に出現して法華の迹門を弘宣(ぐせん)し、蓮祖大聖人は如来滅後、後五百歳に日本に出現して法華の本門を流布す、此等の現事(あに)分明に非ずや。

三には謂わく、白は是れ無作(むさ)の本色・清浄無染なり、是の故に(よろ)しく白法(びゃくほう)流布を表すべし、故に一代諸経の中に多く白色を以て善事を表す。所謂眉間(みけん)白毫(びゃくごう)・顔色(せん)(びゃく)白業(びゃくごう)・白善・白法・白論・法華の(びゃく)()()(げん)白象等是れなり。天台云わく「白色は天に(たと)う」云云。又云わく「白は即ち浄を表す」云云。(しばら)く眉間白毫放光の如き即ち二意を具す、謂わく、一には闇を破し、二には(あまね)照らすなり。()(あん)は法滅を表するが如く、普照は流布を表するが如し。自余の諸文准説(じゅんせつ)して知る可し、是の故に袈裟変白の文は並びに当分()(せつ)の二意を具するなり。故に摩耶経に「千三百歳(おわ)って袈裟変白、乃至千五百歳に仏法滅尽す」とは、若し当分に約すれば「千三百歳袈裟変白」は是れ法滅の前相、「千五百歳」は即ち是れ仏法の正滅尽なり、若し()(せつ)に約すれば「千三百歳袈裟変白」は即ち是れ白法流布の瑞相(ずいそう)、「千五百歳」は天台の弘通、即ち是れ法華の白法正流布なり。大集・法滅の二経も亦(しか)なり。若し当分に約せば「沙門(しゃもん)の袈裟自然(じねん)変白」は是れ前代流布の一切の仏法滅尽を表するなり。若し跨節に約せば(かえ)って是れ本門三大秘法の大白法広宣流布の瑞相なり、末法の初め蓮師の弘通(あに)其の事に非ずや。然れば則ち当分の辺は是れ法滅の相と雖も跨節の辺(かえ)って是れ白法流布の瑞相なり、故に今白袈裟を()くる、但風俗に妨げ無きのみに非ず、(また)白法流布を表するなり。



            ああ後世日々三たび身を省みよ につづく



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by johsei1129 | 2015-02-06 22:09 | 日寛上人 六巻抄 | Comments(0)
2015年 02月 05日

釈迦仏法の滅尽の相を説きつくす 【当家三衣抄】十三


問う、是れ白袈裟は法滅の相なり、

摩耶(まや)経の下に曰わく「時に摩訶(まか)摩耶(まや)此の語を聞き(おわ)って即ち阿難に問う、汝往昔(むかし)仏に侍してより以来(このかた)世尊の説を聞けり、如来の正法は(いくばく)時にか当に滅すべき、阿難涙を()れて便(すなわ)ち答う、我(かつ)て世尊の当来(とうらい)法滅の後の事を説きたもうを聞く。仏涅槃の後、摩訶(まか)迦葉(かしょう)阿難と共に法蔵を結集し(ことごと)く事畢已(おわり)摩訶迦葉、(ろう)跡山(しゃくざん)の中に於て滅尽(めつじん)(じょう)に入らん、乃至六百歳(おわ)って馬鳴(めみょう)善く法要を説き、七百歳已って竜樹善く法要を説く、八百歳の後、諸比丘等好き衣服を楽い縦逸(じゅういつ)()()せん、九百歳已って()は比丘と()り、()は比丘尼と為る、千歳已って諸比丘不浄観を聞いて瞋恚(しんに)して欲せず、千一百歳已って諸比丘等世の俗人の如く嫁聚(かしゅ)行媒(こうばい)し、大衆の中に於て()()毀謗(きぼう)せん、千二百歳已って是の諸比丘、若し子息有らば(なん)は比丘と為し、女は比丘尼と為さん、千三百歳已って袈裟白に変じて染色を受けじ、千四百歳已って四衆殺生し三宝の物を売らん、千五百歳に比丘相互に(せっ)(しょう)す、(ここ)に於て仏法而も滅尽せん」已上略抄。

応法記に云わく「摩耶経に云わく、仏滅一千三百年の後、袈裟白に変じて染色を受けず、若し付嘱の義に准ぜば仏阿難をして僧伽(そうぎゃ)()()って(しゅ)()の頂に往き、塔を起て供養せしむ、又帝釈に勅して新華(しんげ)粉雨(ふんう)し、(なお)風神に告げて其の(しぼ)める者を去らしむ。諸の比丘、仏に問う。仏(もう)く、後に袈裟白に変わるを(おもんぱか)るなり。今時目に()、実に痛心を為す、(あに)魔外の吾が教を壊滅するに非ずや、悲しい(かな)云云。「今時」の下は元照の(ことば)なり。

大集経第十法滅尽品に云わく「王(すで)に正法隠没(おんもつ)(おわ)るを知り、余の残在の比丘を召し()一処に集め、(きょう)(ぜん)(もろもろ)美味(みみ)種々(しゅじゅ)に供養し(また)千万の宝を捨す、一宝の(あたい)百千、此の(もろもろ)の宝物を以て五百の寺を造るに()す。一々諸の比丘に(おのおの)百千の物を施し、師等(ここ)に在って住せよ、我等(まさ)に養育すべし、我が為に正法を説け、我当に至心に聴くべし、一切皆黙然(もくねん)として住し、一切説く者無し。王(もろもろ)の比丘に(もう)す、法を知らざる可けんや。語り已って袈裟白し、染色(また)現ぜず」等云云。

法滅尽経に云わく「仏阿難に()ぐ、(われ)涅槃の後、法滅せんと欲する時、五逆濁世に魔道興盛(こうじょう)し、魔(しゃ)(もん)()り吾が道を壊乱(えらん)せん、俗の衣裳を()好き袈裟五色の服を(ねが)い、酒を飲み肉を(くら)い、生を殺し味を(むさぼ)り、慈心有ること無し。更に(あい)憎嫉(ぞうしつ)し自ら共に後に於て道徳を修せず。()(びょう)(くう)(こう)にして(また)修理すること無く、(ただ)財物を貪り積聚(しゃくじゅ)して散ぜず、法滅せんと欲する時、女人は精進にして(つね)に福徳を作り、男子は懈怠(けたい)にして法語を用いず、眼に沙門を見ること糞土(ふんど)()るが如し。悪人(うたた)多くして海中の(いさご)の如く、善者(はなは)だ少なくして若しは一、若しは二ならん、劫尽きんとする処、日月(うた)(つま)り、人命(うた)た短く四十にして頭白し乃至、聖王去って後、沙門の袈裟自然(じねん)に白に変ず、吾が法滅する時、(たと)えば油灯の滅せんと欲する時に臨み、光(さら)に明盛なるが如し等云云。

名義(みょうぎ)七に云わく「(そう)(げん)に大集を引いて云わく、王比丘に問うに説く(あた)わず、遂に()じて地に堕ち、袈裟白に変ず。法滅尽経に云わく沙門の袈裟自然に白に変ず」。

書註(しょちゅう)下に云わく「法滅尽経に云わく、沙門の袈裟自然に白に変ず。大集経に(いわ)法滅せんとする時、袈裟白に変ず」等云云。

此等の文(あに)是れ白袈裟は法滅の相に非ずや。



             法滅かえって大白法広宣流布の瑞相なり につづく



当家三衣抄 目次  六巻抄 目次



by johsei1129 | 2015-02-05 22:10 | 日寛上人 六巻抄 | Comments(0)
2015年 02月 05日

白袈裟を着る三つの所以 【当家三衣抄】十二


問う、当流(ある)(とき)白袈裟を()す、謂われ無くんばある可からず、応に之を聞くことを得べけんや。

答う、此れに多くの謂われ有り、今略して之を示さん。

一には(さい)(ごく)初心の()(そく)の位を表する故に、謂わく、泥色の中に於て亦六即を分かつ、白色は是れ理即なり、(たん)(ぱく)は是れ名字即なり、乃至黒色は是れ究竟(くきょう)(そく)なり、況や(また)天台宗初心の比丘(びく)及び京都宗門の諸寺の新発意(しんぽっち)の如き、始めて袈裟を()くる時は必ず先ず白袈裟を係く、豈最極初心を表するに非ずや。血脈抄に云わく「日蓮は名字即の位、弟子檀那(だんな)は理即の位なり」云云。

二には蓮祖或時白袈裟を()けたもう故に、謂わく、正中山(しょうちゅうざん)に蓮祖の御袈裟之有り、地は新田(にた)(やま)(ぎぬ)にして白袈裟なり、蓮師御身を謙下(けんげ)して理即の位を表し白袈裟を()けたまうか、本尊抄に云わく「末代理即の我等」云云。之を思い合わす可し。蓮祖(なお)(しか)り、況や末弟をや。

三には(びゃく)蓮華を表する故に、此れ亦二意有り。

一には当体の蓮華を表す、謂わく、薄墨の衣の上に白袈裟を係く、豈泥水(でいすい)白蓮華を生ずるに非ずや、此れ即ち吾が当体蓮華を表するなり。故に本門寿量当体の蓮華仏とは(ただ)当流の行者に限るなり。

二に世法に染まざることを表す、謂わく、薄墨の衣の上に白袈裟を係く、豈泥濁(でいじょく)に在りと雖も泥濁に染まらざるに非ずや、(にょ)(げん)三昧(さんまい)(きょう)に袈裟亦蓮華衣と名づけ、亦()染服(ぜんふく)と名づくるなり。涌出品に云わく「不染世間法、如蓮華在水」云云。是の故に但本化(ほんげ)の末弟に限るなり。



            釈迦仏法の滅尽の相を説きつくす につづく



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by johsei1129 | 2015-02-05 20:59 | 日寛上人 六巻抄 | Comments(0)
2015年 02月 04日

当家は衣・袈裟・数珠を三衣と名づく 【当家三衣抄】十一


問う、当流に七条・九条を許さず、(すで)に三衣を欠く、(いずくん)ぞ其の可なることを知らんや。

答う、当家の(こころ)三衣を欠くに非ず、但上古の三衣に異なるのみ。謂わく、衣・袈裟・数珠(じゅず)、是れを三衣と名づく。

数珠(なん)ぞ衣と名づくるや。謂わく、初めの二に相従うが故なり、或は法性(ほっしょう)(たま)百八煩悩を隠蓋(おんがい)する故に衣と名づくるなり。(びゃっ)虎通(こつう)に云わく「衣は(おん)なり、文子(ぶんし)の云わく、衣は以て形を(おお)うに足れり」云云。

問う、当流の薄墨(うすずみ)は三種の中には是れ(いず)れの色に属するや。

答う、此れは是れ(けん)()分明に(でい)(しき)なり、諸文に(しょう)(こく)(もく)(らん)と云うと雖も是れ北方の黒色に非ず、只黒泥を以て之を(くり)()めにするなり、故に註に緇泥涅(しでいねつ)と云うなり。是の故に十誦(じゅうじゅ)には青泥棧(しょうでいさん)と名づけ、補註(ふちゅう)十四には青泥・木蘭と云うなり、黒の名同じきを以て当世他家の黒衣に(らん)ずること勿れ云云。

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           白袈裟を着る三つの所以 につづく



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by johsei1129 | 2015-02-04 22:18 | 日寛上人 六巻抄 | Comments(0)