カテゴリ:阿仏房・千日尼( 8 )


2015年 12月 08日

佐渡の阿仏房が亡くなったことを知った大聖人が法華経自我偈の文を引いて「 故阿仏房は一心欲見仏の者なり」と、故阿仏房の法華経信仰を称えられた書【故阿 仏房讃歎御書】

【故阿仏房讃歎御書】
■出筆時期:弘安二年(1279年)三月以降 五九歳歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:佐渡流罪の時の献身的な外護、また遥々佐渡から三度も身延の草庵に見参された強信徒の阿仏房が、弘安三年三月二十一日、九十一歳で大聖人に随順された尊い生涯を終えられた。このことを知った大聖人は法華経二十八品中最重要の偈如来寿量品第十六「自我偈」の文を引かれ、「故阿仏房は一心欲見仏の者なり」讃えられておられます。

大聖人が阿仏房の死を知ったのは、本書で「あに臨終の時釈迦仏を見まいらせ候はざらむ」と記されておられることから、恐らく千日尼から夫の死去の直後に、一報を大聖人の元に送られたものと推察され、本書は千日尼に宛てられた返書の消息であると推察されます。

本書の御真筆は僅かに第四紙のみが新潟県三条市の本成寺に残されておりますが、大聖人はその文中で、如来寿量品第十六の『自我偈』の文「方便現涅槃而実不滅度及び一心欲見仏」を引いて故阿仏房の法華経への志を称えられるとともに、佐渡で大聖人に帰依して以来、生涯随順された阿仏房を「あに臨終の時釈迦仏を見まいらせ候はざらむ」と弔われておられます。

佐渡で行われた「塚原問答」での大聖人の他宗派の僧侶との法論に感銘し、直ちに念仏を捨て大聖人に帰依した阿仏房は法華経の研鑽に励み、大聖人に度々法華経のご文について問われておられます。そのなかで、法華経 見宝塔品第十一で説かれている大地より出現する「宝塔」について問われたことへの大聖人の返書が『阿仏房御書』)として残されております。この中で大聖人は「末法入つて法華経を持つ男女のすがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経と、となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり<中略>然れば阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房・此れより外の才覚無益なり」説かれるとともに「あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ、子にあらずんばゆづる事なかれ信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ」と記され、御本尊を阿仏房・千日尼夫妻に下付されておられます。
※尚、阿仏房・千日尼については『小説 日蓮の生涯(下) 91千日尼と阿仏房』を参照して下さい。
■ご真筆:新潟県三条市 本成寺(第四紙)所蔵。
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[故阿仏房讃歎御書 本文]

方便現涅槃而実不滅度ととかれて、八月十五夜の満月の雲にかくれてをはするがごとく、にいまだ滅し給はず候なれば、人こそ雲にへだてられてみまいらせず候とも、月は仏眼・仏耳をもってきこしめし御ら□□(むあ)らむ。

其の上故阿仏房は一心欲見仏の者なり。あに臨終の時釈迦仏を見まいらせ□□□□(候はざら)む。其の上

※本抄の前後の文は残されておりません。尚、□□( )の表記は判読不明箇所を推定した文です。

【妙法蓮華経 如来寿量品第十六・自我偈】

 自我得仏来 所経諸劫数 無量百千万 億載阿僧祇
 常説法教化 無数億衆生 令入於仏道 爾来無量劫
 為度衆生故 方便現涅槃 而実不滅度 常住此説法
 我常住於此 以諸神通力 令顛倒衆生 雖近而不見
 衆見我滅度 広供養舎利 咸皆懐恋慕 而生渇仰心
 衆生既信伏 質直意柔軟 一心欲見仏 不自惜身命
 時我及衆僧 倶出霊鷲山
 [和訳]
 自から我(釈尊)仏を得て以来、へたる諸の劫(長遠な時間)の数は、無量百千万億載阿僧祇なり。
 常に法を説きて無数億の衆生を教化し、仏道に入ら令めて以来、無量劫なり。
 衆生を度すが為の故に、方便にて涅槃を現わすも実には滅度せずして常に此(娑婆)に住して法を説くなり。
 我、常に此に住して諸の神通力を以て、(心が)顛倒している衆生をして、(仏)が近くにいると謂えど、(衆生は我を)見ることあたわず。
 衆(生)は我が滅度を見て、広く舎利(遺骨)に供養し、ことごとく皆、(仏に)恋慕を懐いて、渇仰の心を生ずる。
 衆生は既に(仏に)信伏して、質直にして意(こころ)柔軟になり、一心に仏を見んと欲して、自から身命を惜しまざれば、その時、我及び衆僧は、倶に、此の霊鷲山に出ずるなり。





by johsei1129 | 2015-12-08 19:53 | 阿仏房・千日尼 | Comments(0)
2015年 11月 07日

謗法の罪の浅深軽重の義を問わせ給う事、誠に有難き女人にておはすなり、と説いた【阿仏房尼御前御返事】

【阿仏房尼御前御返事】
■出筆時期:建治元年(1275年)九月三日 五十四歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:千日尼が謗法の浅深軽重とその罪報について手紙で尋ねられた事に対し、詳しく丁寧に法門を説かれておられます。文末では結論として「浅き罪ならば我よりゆるして功徳を得さすべし、重きあやまちならば信心をはげまして消滅さすべし」と諭されるとともに「尼御前の御身として謗法の罪の浅深軽重の義をとはせ給う事まことに有難き女人にておはすなり<略>法華経の義理を問う人は難しと説かれて候、相構えて相構えて力あらん程は謗法をばせめさせ給うべし、日蓮が義を助け給う事、不思議に覚え候ぞ不思議に覚え候ぞ」と、法華経の法門について問われた阿仏房尼御前を稀有な女人であると称えられておられます。
■ご真筆:佐渡・妙宣寺に存在したと伝えられておりますが、現在は所在不明です。

[阿仏房尼御前御返事 本文]

御文に云く謗法の浅深軽重に於ては罪報如何なりや云云。
夫れ法華経の意は一切衆生皆成仏道の御経なり、然りといへども信ずる者は成仏をとぐ謗ずる者は無間大城に堕つ、「若し人信ぜずして斯の経を毀謗せば即ち一切世間の仏種を断ぜん、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」とは是なり、謗法の者にも浅深・軽重の異あり、法華経を持ち信ずれども誠に色心相応の信者・能持此経の行者はまれなり、此等の人は介爾ばかりの謗法はあれども深重の罪を受くる事はなし、信心はつよく謗法はよはき故なり、大水を以て小火をけすが如し、涅槃経に云く「若し善比丘法を壊る者を見て置いて呵責し駆遣し挙処せずんば当に知るべし、是の人は仏法中の怨なり、若し能く駆遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞なり」云云、此の経文にせめられ奉りて日蓮は種種の大難に値うといへども・仏法中怨のいましめを免れんために申すなり。

但し謗法に至つて浅深あるべし、偽り愚かにしてせめざる時もあるべし、真言・天台宗等は法華誹謗の者いたう呵責すべし、然れども大智慧の者ならでは日蓮が弘通の法門分別しがたし、然る間まづまづ・さしをく事あるなり立正安国論の如し、いふと・いはざるとの重罪免れ難し、云つて罪のまぬがるべきを見ながら聞きながら置いていましめざる事・眼耳の二徳忽に破れて大無慈悲なり、章安の云く「慈無くして詐り親むは即ち是れ彼が怨なり」等云云、重罪消滅しがたし弥利益の心尤も然る可きなり、軽罪の者をば・せむる時もあるべし・又せめずしてをくも候べし、自然になをる辺あるべし・せめて自他の罪を脱れて・さてゆるすべし、其の故は一向謗法になれば・まされる大重罪を受くるなり、彼が為に悪を除けば即ち是れ彼が親なりとは是なり。

日蓮が弟子檀那の中にも多く此くの如き事共候、さだめて尼御前も・きこしめして候らん、一谷の入道の事・日蓮が檀那と内には候へども外は念仏者にて候ぞ・後生は・いかんとすべき、然れども法華経十巻渡して候いしなり。

弥信心をはげみ給うべし、仏法の道理を人に語らむ者をば男女僧尼必ずにくむべし、よしにくまばにくめ法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安等の金言に身をまかすべし、如説修行の人とは是れなり、法華経に云く「恐畏の世に於て能く須臾も説く」云云、悪世末法の時・三毒強盛の悪人等・集りて候時・正法を暫時も信じ持ちたらん者をば天人供養あるべしと云う経文なり。

此の度大願を立て後生を願はせ給へ・少しも謗法不信のとが候はば無間大城疑いなかるべし、譬ば海上を船にのるに船おろそかにあらざれども・あか入りぬれば必ず船中の人人一時に死するなり、なはて堅固なれども蟻の穴あれば必ず終に湛へたる水のたまらざるが如し、謗法不信のあかをとり・信心のなはてを・かたむべきなり、浅き罪ならば我よりゆるして功徳を得さすべし、重きあやまちならば信心をはげまして消滅さすべし。

尼御前の御身として謗法の罪の浅深軽重の義をとはせ給う事・まことに・ありがたき女人にておはすなり、竜女にあにをとるべきや、「我大乗の教を闡いて苦の衆生を度脱せん」とは是なり、「其の義趣を問うは是れ則ち難しと為す」と云つて法華経の義理を問う人は・かたしと説かれて候、相構えて相構えて力あらん程は謗法をばせめさせ給うべし、日蓮が義を助け給う事・不思議に覚え候ぞ不思議に覚え候ぞ、穴賢穴賢。

九月三日  日蓮花押
阿仏房尼御前御返事

by johsei1129 | 2015-11-07 19:49 | 阿仏房・千日尼 | Comments(0)
2015年 08月 22日

自らの死期がそう遠くないことを阿仏房に率直に吐露されたご消息【阿仏房御返事】

【阿仏房御返事】
■出筆時期:弘安元年(1278年)六月三日 五十七歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は阿仏房から大聖人の病状について何がしかのお尋ねあったと思われ、それへの返書となっております。
大聖人は大覚世尊(釈尊)が入滅間際に説かれた涅槃経の文を引くとともに「今月六月一日に至り連連此の病息むこと無し、死ぬる事疑い無き者か」と、自身の死期がそう遠くないことを率直に吐露されておられます。さらに「今は毒身を棄てて後に金身を受ければ、豈歎くべけんや」と記し、来世に金身を受けるのであるから嘆くことではないと、病状を心配する阿仏房を諭されておられます。

尚、この消息を受け取った阿仏房は、直ぐに佐渡から身延山中の草庵を訪れ大聖人を見舞います。この事について翌月の七月二十八日の妻千日尼御前に宛てた消息[千日尼御前御返事]で「弘安元年太歳戊寅七月六日、佐渡の国より千日尼と申す人、同じく日本国甲州・波木井郷の身延山と申す深山へ同じき夫の阿仏房を使として送り給う」と記されていることからもよくこの時の状況が伺えます。

それでは何故大聖人は、自身の死期が近づいている事を語られたのかという点ですが、釈尊も自身がまもなく涅槃すると弟子たちに度々伝えております。釈尊も大聖人の振る舞いも、その意味の一つは、仏に対する渇仰心を呼び起こす事とともに、実際に滅度した時の信徒の喪失感を、少しでも和らげたいと思う仏の慈悲であるうと推知いたします。
■ご真筆:現存されておりません。

[阿仏房御返事 本文]

御状の旨、委細承り候い了んぬ。大覚世尊説いて曰く「生老病死・生住異滅」等云云。

既に生を受けて齢六旬に及ぶ老又疑い無し、只残る所は病死の二句なるのみ。
然るに正月より今月六月一日に至り連連此の病息むこと無し、死ぬる事疑い無き者か。
経に云く「生滅滅已・寂滅為楽」云云。

今は毒身を棄てて後に金身を受ければ、豈歎くべけんや。

六月三日    日  蓮 花 押

阿仏房

by johsei1129 | 2015-08-22 23:18 | 阿仏房・千日尼 | Comments(0)
2015年 07月 28日

法華経を供養する人は十方の仏菩薩を供養する功徳と同じきなり、と説いた【千日尼御前御返事】

【千日尼御前御返事】
■出筆時期:弘安元年(1281)十月十九日 五十七歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は阿仏坊の妻千日尼が「青鳧一貫文・干飯一斗」などの数々のご供養を送られたことへの返書となっております。大聖人は「法華経を供養する人は十方の仏菩薩を供養する功徳と同じきなり」と説いて、「(千日尼が)夫を御使として御訪いあり定めて法華経釈迦多宝十方の諸仏・其の御心をしろしめすらん」とその志を讃えられておられます。
■ご真筆:現存していない。

[千日尼御前御返事 本文]

青鳧一貫文・干飯一斗・種種の物給い候い了んぬ。仏に土の餅を供養せし徳勝童子は阿育大王と生れたり、仏に漿を・まひらせし老女は辟支仏と生れたり。法華経は十方三世の諸仏の御師なり、十方の仏と申すは東方善徳仏・東南方無憂徳仏・南方栴檀徳仏・西南方宝施仏・西方無量明仏・西北方華徳仏・北方相徳仏・東北方三乗行仏・上方広衆徳仏・下方明徳仏なり。

三世の仏と申すは、過去・荘厳劫の千仏・現在・賢劫の千仏・未来・星宿劫の千仏・乃至華厳経・法華経・涅槃経等の大小・権実・顕密の諸経に列り給へる一切の諸仏・尽十方世界の微塵数の菩薩等も、皆悉く法華経の妙の一字より出生し給へり。故に法華経の結経たる普賢経に云く「仏三種の身は方等より生ず」等云云。方等とは月氏の語・漢土には大乗と翻ず、大乗と申すは法華経の名なり。阿含経は外道の経に対すれば大乗経、華厳・般若・大日経等は阿含経に対すれば大乗経、法華経に対すれば小乗経なり。法華経に勝れたる経なき故に一大乗経なり。

例せば南閻浮提・八万四千の国国の王王は其の国国にては大王と云う、転輪聖王に対すれば小王と申す。乃至六欲・四禅の王王は大小に渡る、色界の頂の大梵天王独り大王にして小の文字をつくる事なきが如し、仏は子なり法華経は父母なり。譬えば一人の父母に千子有りて一人の父母を讃歎すれば千子悦びをなす、一人の父母を供養すれば千子を供養するになりぬ。又法華経を供養する人は十方の仏菩薩を供養する功徳と同じきなり、十方の諸仏は妙の一字より生じ給へる故なり。

譬えば一の師子に百子あり・彼の百子・諸の禽獣に犯さるるに・一の師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分にわる、法華経は師子王の如し一切の獣の頂きとす、法華経の師子王を持つ女人は一切の地獄・餓鬼・畜生等の百獣に恐るる事なし、譬えば女人の一生の間の御罪は諸の乾草の如し法華経の妙の一字は小火の如し、小火を衆草につきぬれば衆草焼け亡ぶるのみならず大木大石皆焼け失せぬ、妙の一字の智火以て此くの如し諸罪消ゆるのみならず衆罪かへりて功徳となる毒薬変じて甘露となる是なり。

譬えば黒漆に白物を入れぬれば白色となる、女人の御罪は漆の如し南無妙法蓮華経の文字は白物の如し人は臨終の時地獄に堕つる者は黒色となる上其の身重き事千引の石の如し善人は設ひ七尺八尺の女人なれども色黒き者なれども臨終に色変じて白色となる又軽き事鵞毛の如し軟らかなる事兜羅緜の如し。佐渡の国より此の国までは山海を隔てて千里に及び候に女人の御身として法華経を志しましますによりて年年に夫を御使として御訪いあり定めて法華経釈迦多宝十方の諸仏・其の御心をしろしめすらん。

譬えば天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮び雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾に聞ゆ、御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来れり、仏に成る道も此くの如し、我等は穢土に候へども心は霊山に住べし、御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ、いつかいつか釈迦仏のをはします霊山会上にまひりあひ候はん、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経、恐恐謹言。

弘安元年後十月十九日                 日 蓮 花 押
千日尼御前御返事




by johsei1129 | 2015-07-28 00:26 | 阿仏房・千日尼 | Comments(0)
2015年 03月 03日

此の曼陀羅は<略>三世の諸仏の御師一切の女人の成仏の印文なり、と説いた【妙法曼陀羅供養事】

【妙法曼陀羅供養事】
■出筆時期:文永十年(西暦1273年) 五十二歳 御作。
■出筆場所:佐渡・一谷、一谷入道の屋敷にて。
■出筆の経緯:本書は佐渡で日蓮大聖人と念仏僧らとの法論「塚原問答」に立ち会い、念仏信仰をその場で捨て、大聖人に帰依した阿仏房の女房、千日尼に送られと書と思われる。阿仏房と千日尼は人目を忍んで、夜間食料などを塚原三昧堂に運んで大聖人を外護された。その志を称え大聖人はご本尊を夫妻に下付したものと思われ、本書で御本尊の意義について「日本国一同に一闡提大謗法の者となる<中略>末代の一切衆生にとって大医、良薬」であると断じておられる。
■ご真筆: 現存していない。


[妙法曼陀羅供養事 本文]

 妙法蓮華経の御本尊供養候いぬ。此の曼陀羅は文字は五字七字にて候へども三世の諸仏の御師一切の女人の成仏の印文なり。冥途にはともしびとなり、死出の山にては良馬となり・天には日月の如し、地には須弥山の如し、生死海の船なり、成仏得道の導師なり。、
 此の大曼陀羅は仏滅後・二千二百二十余年の間・一閻浮提の内には未だひろまらせ給はず、病によりて薬あり軽病には凡薬をほどこし、重病には仙薬をあたうべし。

 仏滅後より今までは二千二百二十余年の間は人の煩悩と罪業の病軽かりしかば・智者と申す医師たち・つづき出でさせ給いて病に随つて薬をあたえ給いき。所謂倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗・真言宗・華厳宗・天台宗・浄土宗・禅宗等なり。彼の宗宗に一一に薬あり。所謂・華厳の六相十玄・三論の八不中道・法相の唯識観・律宗の二百五十戒・浄土宗の弥陀の名号・禅宗の見性成仏・真言宗の五輪観・天台宗の一念三千等なり。

 今の世は既に末法にのぞみて諸宗の機にあらざる上、日本国一同に一闡提大謗法の者となる。又物に譬うれば父母を殺す罪・謀叛ををこせる科・出仏身血等の重罪等にも過ぎたり。三千大千世界の一切衆生の人の眼をぬける罪よりも深く、十方世界の堂塔を焼きはらへるよりも超えたる大罪を・一人して作れる程の衆生・日本国に充満せり。されば天は日日に眼をいからして日本国をにらめ、地神は忿りを作して時時に身をふるうなり。然るに我が朝の一切衆生は皆我が身に科なしと思ひ・必ず往生すべし・成仏をとげんと思へり。赫赫たる日輪をも目無き者は見ず知らず、譬えばたいこの如くなる地震をも・ねぶれる者の心には・おぼえず、日本国の一切衆生も是くの如し、女人よりも男子の科はををく・男子よりも尼のとがは重し・尼よりも僧の科はををく・破戒の僧よりも持戒の法師のとがは重し。持戒の僧よりも智者の科はをもかるべし、此等は癩病の中の白癩病・白癩病の中の大白癩病なり。

 末代の一切衆生はいかなる大医いかなる良薬を以てか治す可きとかんがへ候へば、大日如来の智拳の印並びに大日の真言・阿弥陀如来の四十八願・薬師如来の十二大願・衆病悉除の誓も此の薬には及ぶべからず、つやつや病・消滅せざる上・いよいよ倍増すべし。

 此等の末法の時のために教主釈尊・多宝如来・十方分身の諸仏を集めさせ給うて一の仙薬をとどめ給へり、所謂妙法蓮華経の五の文字なり。の文字をば法慧・功徳林・金剛薩た・普賢・文殊・薬王・観音等にもあつらへさせ給はず、何に況や迦葉・舎利弗等をや、上行菩薩等と申して四人の大菩薩まします、此の菩薩は釈迦如来・五百塵点劫よりこのかた御弟子とならせ給いて一念も仏を・わすれず・まします大菩薩を召し出して授けさせ給へり。されば此の良薬を持たん女人等をば此の四人の大菩薩・前後左右に立そひて・此の女人たたせ給へば此の大菩薩も立たせ給ふ乃至此の女人・道を行く時は此の菩薩も道を行き給ふ。

 譬へば・かげと身と水と魚と声とひびきと月と光との如し。此の四大菩薩南無妙法蓮華経と唱えたてまつる女人をはなるるならば・釈迦・多宝・十方分身の諸仏の御勘気を此の菩薩の身に蒙らせ給うべし。提婆よりも罪深く瞿迦利よりも大妄語のものたるべしと・をぼしめすべし。
 あら悦ばしや・あら悦ばしや、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。

                                               日 蓮 花押

by johsei1129 | 2015-03-03 20:15 | 阿仏房・千日尼 | Comments(0)
2015年 01月 02日

法華経は女人成仏を手本としてとかれたりと申す。と説いた【千日尼御前御返事】

【千日尼御前御返事】
■出筆時期:弘安元年(西暦1278年)七月二十八日 五十七歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:大聖人佐渡流罪中の念仏諸僧との法論(塚原問答)に立ち会い、その場で念仏信仰を捨て、夫妻で大聖人を外護された阿仏房が、弘安元年七月に佐渡から大聖人の草庵に三度目の見参をされた。本書は、その時阿仏房より受け取った妻千日尼の手紙に対する返書となっております。
 内容はかなりの長文で、法華経の日本国への伝来の歴史を詳細に記すとともに、「此の経(法華経)は女人成仏を手本としてとかれたりと申す」と断じ、女人が成仏できるのは法華経だけであることを説いておられます。
また千日尼の父十三回忌のご供養に対し、「あまりの御心ざしの切に候へば、ありえて御はしますに随いて法華経十巻をくりまいらせ候」と称え、大聖人がいかに佐渡流罪中の阿仏房夫妻の志を有難い事だと思われていたかがよくわかるご消息文となっております。
■ご真筆: 佐渡市 妙宣寺所蔵(重要文化財)
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[真筆箇所:本文緑字]

[千日尼御前御返事 本文]

 与阿仏房尼 弘安元年太歳戊寅七月六日・佐渡の国より千日尼と申す人、同じく日本国甲州・波木井郷の身延山と申す深山へ同じき夫の阿仏房を使として送り給う御文に云く、女人の罪障は・いかがと存じ候へども御法門に法華経は女人の成仏を・さきとするぞと候いしを万事は・たのみ・まいらせ候いて等云云。

 夫れ法華経と申し候・御経は誰れ仏の説き給いて候ぞとをもひ候へば・此の日本国より西・漢土より又西・流沙・葱嶺と申すよりは又はるか西、月氏と申す国に浄飯王と申しける大王の太子・十九の年・位をすてさせ給いて檀どく山と申す山に入り御出家・三十にして仏とならせ給い、身は金色と変じ神は三世をかがみさせ給う、すぎにし事・来るべき事・かがみにかけさせ給いておはせし仏の・五十余年が間、一代・一切の経経を説きおかせ給う。此の一切の経経・仏の滅後一千年が間・月氏国に・やうやくひろまり候いしかども、いまだ漢土・日本国等へは来り候はず。仏滅度後・一千十五年と申せしに漢土へ仏法渡りはじめて候いしかども又いまだ法華経はわたり給はず。

 仏法・漢土にわたりて二百余年に及んで月氏と漢土との中間に亀茲国と申す国あり。彼の国の内に鳩摩羅えん三蔵と申せし人の御弟子に鳩摩羅什と申せし人・彼の国より月氏に入り・須利耶蘇磨三蔵と申せし人に此の法華経をさづかり給いき。其の経を授けし時の御語に云く、此の法華経は東北の国に縁ふかしと云云。此の御語を持ちて月氏より東方・漢土へはわたし給いしなり。

 漢土には仏法わたりて二百余年・後秦王の御宇に渡りて候いき。日本国には人王第三十代・欽明天皇の御宇治十三年・壬申十月十三日辛酉の日、此れより西・百済国と申す国より聖明皇・日本国に仏法をわたす。此れは漢土に仏法わたりて四百年・仏滅後一千四百余年なり。其の中にも法華経はましまししかども人王第三十二代・用明天皇の太子・聖徳太子と申せし人、漢土へ使を・つかわして法華経を・とりよせ・まいらせて日本国に弘通し給いき。それより・このかた七百余年なり。仏滅度後すでに二千二百三十余年になり候上・月氏・漢土・日本の山山・河河・海海・里里・遠くへだたり人人・心心・国国・各各・別別にして語かわり・しなことなれば、いかでか仏法の御心をば我等凡夫は弁え候べき。ただ経経の文字を引き合せてこそ知るべきに・一切経はやうやうに候へども法華経と申す御経は八巻まします、流通に普賢経・序文の無量義経・各一巻已上・此の御経を開き見まいらせ候へば明かなる鏡をもつて我が面を見るが・ごとし。

 日出でて草木の色を弁えるににたり。序品の無量義経を見みまいらせ候へば「四十余年未だ真実を顕わさず」と申す経文あり。法華経の第一の巻・方便品の始めに「世尊の法は久しき後に要らず当に真実を説きたもうべし」と申す経文あり。第四の巻の宝塔品には「妙法華経・皆是真実」と申す明文あり、第七の巻には「舌相梵天に至る」と申す経文赫赫たり。其の外は此の経より外のさきのちならべる経経をば星に譬へ・江河に譬へ・小王に譬へ・小山に譬へたり、法華経をば月に譬へ・日に譬へ・大海・大山・大王等に譬へ給へり、此の語は私の言には有らず皆如来の金言なり・十方の諸仏の御評定の御言なり。

 一切の菩薩・二乗・梵天・帝釈・今の天に懸りて明鏡のごとくにまします。日月も見給いき聞き給いき其の日月の御語も此の経にのせられて候。月氏・漢土・日本国のふるき神たちも皆其の座につらなり給いし神神なり。天照太神・八幡大菩薩・熊野・すずか等の日本国の神神もあらそひ給うべからず。

 此の経文は一切経に勝れたり地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし、南無阿弥陀仏経等はきじのごとし兎のごとし・鷲につかまれては涙をながし・師子にせめられては腸わたをたつ、念仏者・律僧・禅僧・真言師等又かくのごとし、法華経の行者に値いぬれば・いろを失い魂をけすなり。かかるいみじき法華経と申す御経は・いかなる法門ぞと申せば、一の巻方便品よりうちはじめて菩薩・二乗・凡夫・皆仏になり給うやうを・とかれて候へどもいまだ其のしるしなし。設えば始めたる客人が相貌うるわしくして心も・いさぎよく・よく口もきいて候へば・いう事疑なけれども・さきも見ぬ人なれば・いまだ・あらわれたる事なければ語のみにては信じがたきぞかし。其の時語にまかせて大なる事・度度あひ候へば・さては後の事も・たのもしなんど申すぞかし。一切信じて信ぜられざりしを第五の巻に即身成仏と申す一経第一の肝心あり。譬へばくろき物を白くなす事・漆を雪となし・不浄を清浄になす事・濁水に如意珠を入れたるがごとし。

 竜女と申せし小蛇を現身に仏になしてましましき、此の時こそ一切の男子の仏になる事をば疑う者は候はざりしか。されば此の経は女人成仏を手本としてとかれたりと申す。されば日本国に法華経の正義を弘通し始めましませし叡山の根本伝教大師の此の事を釈し給うには「能化所化倶に歴劫無し妙法経力即身成仏す」等。漢土の天台智者大師・法華経の正義をよみはじめ給いしには「他経は但男に記して女に記せず乃至今経は皆記す」等云云。此れは一代聖教の中には法華経第一・法華経の中には女人成仏第一なりと・ことわらせ給うにや。されば日本の一切の女人は法華経より外の一切経には女人成仏せずと嫌うとも・法華経にだにも女人成仏ゆるされなば・なにかくるしかるべき。

 しかるに日蓮は・うけがたくして人身をうけ・値いがたくして仏法に値い奉る。一切の仏法の中に法華経に値いまいらせて候、其の恩徳ををもへば父母の恩・国主の恩・一切衆生の恩なり。父母の恩の中に慈父をば天に譬へ悲母をば大地に譬へたり・いづれも・わけがたし。其の中にも悲母の大恩ことに・ほうじがたし。此れを報ぜんと・をもうに外典の三墳・五典・孝経等によて報ぜんと・をもへば現在を・やしないて後世をたすけがたし。身をやしない魂をたすけず・内典の仏法に入りて五千・七千余巻の小乗・大乗は女人成仏かたければ悲母の恩報じがたし、小乗は女人成仏・一向に許されず。大乗経は或は成仏・或は往生を許たるやうなれども仏の仮言にて実事なし。但法華経計りこそ女人成仏・悲母の恩を報ずる実の報恩経にて候へと見候いしかば、悲母の恩を報ぜんために此の経の題目を一切の女人に唱えさせんと願す。其れに日本国の一切の女人は漢土の善導・日本の慧心・永観・法然等にすかされて詮とすべきに、南無妙法蓮華経をば一国の一切の女・一人も唱うることなし。但南無阿弥陀仏と一日に一返・十返・百千万億反・乃至三万・十万反・一生が間・昼夜十二時に又他事なし。道心堅固なる女人も又悪人なる女人も弥陀念仏を本とせり。わづかに法華経をこととするやうなる女人も、月まつまでのてずさび・をもわしき男のひまに心ならず心ざしなき男にあうがごとし。

 されば日本国の一切の女人・法華経の御心に叶うは一人もなし。我が悲母に詮とすべき法華経をば唱えずして弥陀に心をかけば・法華経は本ならねば・たすけ給うべからず。弥陀念仏は女人たすくるの法にあらず必ず地獄に堕ち給うべし。いかんがせんと・なげきし程に我が悲母をたすけんがために・弥陀念仏は無間地獄の業なり・五逆には・あらざれども五逆にすぎたり。父母を殺す人は其の肉身をば・やぶれども父母を後生に無間地獄には入れず。今日本国の女人は必ず法華経にて仏になるべきを・たぼらかして一向に南無阿弥陀仏になしぬ。悪ならざればすかされぬ、仏になる種ならざれば仏にはならず・弥陀念仏の小善をもつて法華経の大善を失う・小善の念仏は大悪の五逆にすぎたり。譬へば承平の将門は関東八箇国をうたへ・天喜の貞任は奥州をうちとどめし・民を王へ通せざりしかば朝敵となりてついにほろぼされぬ。此等は五逆にすぎたる謀反なり。

 今日本国の仏法も又かくのごとし色かわれる謀反なり。法華経は大王・大日経・観無量寿経・真言宗・浄土宗・禅宗・律僧等は彼れ彼れの小経によて法華経の大怨敵となりぬるを・日本の一切の女人等は我が心のをろかなるをば知らずして我をたすくる日蓮を・かたきと・をもひて大怨敵たる念仏者・禅・律・真言師等を善知識とあやまてり。たすけんとする日蓮かへりて大怨敵と・をもわるるゆへに・女人こぞりて国主に讒言して伊豆の国へながせし上・又佐渡の国へながされぬ。

 ここに日蓮願つて云く日蓮は全く咎なし、設い僻事なりとも日本国の一切の女人を扶けんと願せる志は・すてがたかるべし。何に況や法華経のままに申す。而るを一切の女人等・信ぜずば・さでこそ有るべきに・かへりて日蓮をうたする。日蓮が僻事か釈迦・多宝・十方の諸仏・菩薩・二乗・梵・釈・四天等いかに計らい給うぞ。日蓮僻事ならば其の義を示し給へ。ことには日月天は眼前の境界なり。又仏前にしてきかせ給える上・法華経の行者をあだまんものをば「頭破れて七分と作らん」等と誓わせ給いて候へば、いかんが候べきと・日蓮強盛にせめまいらせ候ゆへに天此の国を罰すゆへに此の疫病出現せり。他国より此の国を天をほせつけて責めらるべきに・両方の人あまた死ぬべきに、天の御計らいとして・まづ民を滅ぼして人の手足を切るがごとくして大事の合戦なくして、此の国の王臣等をせめかたぶけて法華経の御敵を滅ぼして正法を弘通せんとなり。
 而るに日蓮・佐渡の国へ流されたりしかば彼の国の守護等は国主の御計らいに随いて日蓮をあだむ、万民fは其の命に随う。念仏者・禅・律・真言師等は鎌倉よりも・いかにもして此れへ・わたらぬやう計ると申しつかわし、極楽寺の良観房等は武蔵の前司殿の私の御教書を申して弟子に持たせて日蓮を・あだみなんと・せしかば、いかにも命たすかるべきやうは・なかりしに・天の御計らいは・さてをきぬ。

地頭・地頭・念仏者・念仏者等・日蓮が庵室に昼夜に立ちそいてかよう人もあるを・まどわさんと・せめしに、阿仏房にひつを・しおわせ夜中に度度・御わたりありし事いつの世にか・わすらむ、只悲母の佐渡の国に生れかわりて有るか。

 漢土に沛公と申せし人・王の相有りとて秦の始皇の勅宣を下して云く沛公打ちて・まいらせん者には不次の賞を行うべし。沛公は里の中には隠れがたくして山に入りて七日・二七日なんど有るなり、其の時命すでに・をわりぬべかりしに、沛公の妻女呂公と申せし人こそ山中を尋ねて時時命をたすけしが彼は妻なればなさけすてがたし。此れは後世ををぼせずば・なにしにか・かくは・おはすべき。又其の故に或は所ををい或はくわれうをひき或は宅を・とられなんどせしに・ついに・とをらせ給いぬ。法華経には過去に十万億の仏を供養せる人こそ今生には退せぬとわ・みへて候へ。されば十万億供養の女人なり。其の上・人は見る眼の前には心ざし有りとも・さしはなれぬれば、心はわすれずとも・さでこそ候に、去ぬる文永十一年より今年弘安元年まではすでに五箇年が間・此の山中に候に佐渡の国より三度まで夫をつかはす。いくらほどの御心ざしぞ大地よりもあつく大海よりもふかき御心ざしぞかし。釈迦如来は我が薩た王子たりし時うへたる虎に身をかいし功徳・尸毘王とありし時・鳩のために身をかへし、功徳をば我が末の代かくのごとく法華経を信ぜん人に・ゆづらむとこそ、多宝・十方の仏の御前にては申させ給いしか。

 其の上御消息に云く尼が父の十三年は来る八月十一日又云くぜに一貫もん等云云。あまりの御心ざしの切に候へば・ありえて御はしますに随いて法華経十巻をくりまいらせ候。日蓮がこいしく・をはせん時は学乗房によませて御ちやうもんあるべし。此の御経を・しるしとして後生には御たづねあるべし。抑去年今年のありさまは・いかにか・ならせ給いぬらむと・をぼつかなさに法華経にねんごろに申し候いつれども・いまだいぶかしく候いつるに、七月二十七日の申の時に阿仏房を見つけて・尼ごぜんは・いかに・こう入道殿はいかにと・まづといて候いつればいまだやまず。こう入道殿は同道にて候いつるが、わせは・すでに・ちかづきぬ・こわなし、いかんがせんとて・かへられ候いつると・かたり候いし時こそ、盲目の者の眼のあきたる・死し給える父母の閻魔宮より御をとづれの・夢の内に有るをゆめにて悦ぶがごとし。あわれあわれふしぎなる事かな。此れもかまくら
も此の方の者は此の病にて死ぬる人は・すくなく候。同じ船にて候へば・いづれもたすかるべしとも・をぼへず候いつるに、ふねやぶれて・たすけぶねに値えるか。又竜神のたすけにて事なく岸へつけるかと・こそ不思議がり候へ。

 さわの入道の事なげくよし尼ごぜんへ申しつたへさせ給え。ただし入道の事は申し切り候いしかば・をもい合せ給うらむ。いかに念仏堂ありとも阿弥陀仏は法華経のかたきをば・たすけ給うべからず。かえりて阿弥陀仏の御かたきなり後生悪道に堕ちてくいられ候らむ事あさまし。
 ただし入道の堂のらうにていのちをたびたびたすけられたりし事こそ・いかに・すべしとも・をぼへ候はね。学乗房をもつてはかにつねづね法華経を・よませ給えと・かたらせ給え。それも叶うべしとはをぼえず、さても尼のいかに・たよりなかるらむと・なげくと申しつたへさせ給い候へ、又又申すべし。

七月二十八日 日 蓮 花 押
佐渡国府阿仏房尼御前

by johsei1129 | 2015-01-02 20:13 | 阿仏房・千日尼 | Comments(0)
2014年 10月 21日

法華経見宝塔品に説かれている宝塔は末法に入つて法華経を持つ男女の姿であると断じた【阿仏房御書】

【阿仏房御書(宝塔御書)】
■出筆時期:文永十二年三月十三日(西暦1272年) 五十四歳御作。
■出筆場所:身延山中・草庵にて
■出筆の経緯:佐渡ヶ島流罪中、妻の千日尼ともども大聖人を厚く外護された阿仏房に宛てられた書。阿仏房から法華経・見宝塔品第十一に説かれている「大地より涌出した七宝の宝塔」について問われたことへの、返書となっている。大聖人は本書で「我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり、妙法蓮華経より外に宝塔なきなり。法華経の題目宝塔なり、宝塔又南無妙法蓮華経なり。」と断じている。また「宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ。子にあらずんば・ゆづる事なかれ」と記して、宝塔つまり大御本尊を阿仏房にご下付されたことを伝えている。尚、この御本尊は現在阿仏房が自宅を寺として開基した妙宣寺に所蔵されている。
■ご真筆: 現存しない。

[阿仏房御書] 本文

御文委く披見いたし候い了んぬ。抑宝塔の御供養の物、銭一貫文・白米・しなじなをくり物たしかに・うけとり候い了んぬ。此の趣御本尊・法華経にも・ねんごろに申し上げ候・御心やすくおぼしめし候へ。

一御文に云く、多宝如来・涌現の宝塔・何事を表し給うやと云云。此の法門ゆゆしき大事なり。宝塔をことわるに、天台大師文句の八に釈し給いし時、証前起後の二重の宝塔あり。証前は迹門、起後は本門なり。或は又閉塔は迹門、開塔は本門、是れ即ち境智の二法なり。しげきゆへにこれををく。所詮三周の声聞、法華経に来て己心の宝塔を見ると云う事なり。

 今日蓮が弟子檀那又又かくのごとし、末法に入つて法華経を持つ男女のすがたより外には宝塔なきなり。若し然れば、貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経ととなうるものは、我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり、妙法蓮華経より外に宝塔なきなり。法華経の題目宝塔なり、宝塔又南無妙法蓮華経なり。

 今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此の五大は題目の五字なり。然れば阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房、此れより外の才覚無益なり。聞・信・戒・定・進・捨・慚の七宝を以てかざりたる宝塔なり。多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもへばさにては候はず、我が身を供養し給う。我が身又三身即一の本覚の如来なり。かく信じ給いて南無妙法蓮華経と唱え給へ。ここさながら宝塔の住処なり。経に云く「法華経を説くこと有らん処は我が此の宝塔其の前に涌現す」とはこれなり。あまりにありがたく候へば、宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ。子にあらずんば・ゆづる事なかれ。信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ。出世の本懐とはこれなり。 阿仏房しかしながら北国の導師とも申しつべし。浄行菩薩うまれかわり給いてや、日蓮を御とふらい給うか。

 不思議なり不思議なり。此の御志をば日蓮はしらず、上行菩薩の御出現の力にまかせたてまつり候ぞ。別の故はあるべからずあるべからず。宝塔をば夫婦ひそかにをがませ給へ。委くは又又申すべく候、恐恐謹言。

 三月十三日              日 蓮 花押

阿仏房上人所へ

by johsei1129 | 2014-10-21 21:34 | 阿仏房・千日尼 | Comments(0)
2014年 10月 13日

法華経を一句よみまいらせ候へば釈迦如来の一代聖教をのこりなく読むにて候なるぞと説いた【千日尼御返事】

【千日尼御返事(せんにちあまごへんじ)】
■出筆時期:弘安三年七月二日(西暦1280年) 五十九歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:故阿仏房の妻千日尼に宛てられた書。阿仏房は承久の乱で佐渡へ流された順徳上皇につかえた武士といわれている。念仏を強く信仰していたが、佐渡流罪となった大聖人と念仏僧との法論「塚原問答」を聞き、念仏の信仰を捨て妻共々大聖人に帰依し大聖人を支えることになった。大聖人が身延山入山以後も高齢にもかかわらず三度も供養のため身延山に登山し、弘安二年三月二十一日、九十一歳でその生涯を全うする。本書は阿仏房亡き後も法華経の信仰を貫く千日尼に対し「法華経を一句よみまいらせ候へば・釈迦如来の一代聖教をのこりなく読むにて候なるぞ」と説くとともに、跡を継いだ子の藤九郎守綱が、昨年は父の舎利を頚に懸け身延山に登り法華経の道場に収め、今年は再度七月一日に身延山に登り慈父の墓を拝見したことを「子にすぎたる財なし」と讃えられている。尚、本御書のご真筆は阿仏房が自宅に開基した妙宣寺に現在所蔵されている。

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■ご真筆: 佐渡・妙宣寺所蔵(重要文化財)。


[千日尼御返事] 本文

 こう入道殿の尼ごぜん の事なげき入つて候、又こいしこいしと申しつたへさせ給へ。
鵞目一貫五百文のりわかめほしいしなじなの物給び候い了んぬ、法華経の御宝前に申し上げて候、法華経に云く「若し法を聞く者有らば一として成仏せざること無し」云云、文字は十字にて候へども法華経を一句よみまいらせ候へば・釈迦如来の一代聖教をのこりなく読むにて候なるぞ、故に妙楽大師の云く「若し法華を弘むるは凡そ一義を消するも皆一代を混じて其の始末を窮めよ」等云云、始と申すは華厳経・末と申すは涅槃経華厳経と申すは仏・最初成道の時・法慧・功徳林等の大菩薩・解脱月菩薩と申す菩薩の請に趣いて仏前にてとかれて候、其の経は天竺・竜宮城・兜率天等は知らず日本国にわたりて候は六十巻・八十巻・四十巻候、末と申すは大涅槃経・此れも月氏・竜宮等は知らず我が朝には四十巻・三十六巻・六巻・二巻等なり、此れより外の阿含経・方等経・般若経等は五千・七千余巻なり、此れ等の経経は見ず・きかず候へども但法華経の一字・一句よみ候へば彼れ彼れの経経を一字も・をとさず・よむにて候なるぞ、譬へば月氏日本と申すは二字・二字に五天竺・十六の大国・五百の中国・十千の小国・無量の粟散国の大地・大山・草木・人畜等をさまれるがごとし、譬へば鏡はわづかに一寸・二寸・三寸・四寸・五寸と候へども・一尺五尺の人をもうかべ・一丈・二丈・十丈・百丈の大山をもうつすされば此の経文をよみて見候へば此の経をきく人は一人もかけず仏になると申す文なり、九界・六道の一切衆生・各各・心心かわれり、譬へば二人・三人・乃至百千人候へども一尺の面の内しちににたる人一人もなし、心のにざるゆへに面もにず、まして二人・十人・六道・九界の衆生の心いかんが・かわりて候らむ、されば花をあいし・月をあいし・すきをこのみ・にがきをこのみ・ちいさきをあいし・大なるをあいし・いろいろなり、善をこのみ悪をこのみ・しなじななり、かくのごとく・いろいろに候へども・法華経に入りぬれば唯一人の身一人の心なり、譬へば衆河の大海に入りて同一鹹味なるがごとく・衆鳥の須弥山に近ずきて一色なるがごとし、提婆が三逆も羅睺羅(※注1)が二百五十戒も同じく仏になりぬ、妙荘厳王の邪見も舎利弗が正見も同じく授記をかをほれり、此れ即ち無一不成仏のゆへぞかし、四十余年の内の阿弥陀経等には舎利弗が七日の百万反・大善根を・とかれしかども未顕真実ときらわれしかば・七日ゆをわかして大海になげたるがごとし、ゐ提希が観経をよみて無生忍を得しかども正直捨方便とすてられしかば・法華経を信ぜずば返つて本の女人なり、大善を用うる事なし・法華経に値わざればなにかせん、大悪をも歎く事無かれ・一乗を修行せば提婆が跡をもつぎなん、此等は皆無一不成仏の経文のむなしからざるゆへぞかし。
されば故阿仏房の聖霊は今いづくにか・をはすらんと人は疑うとも法華経の明鏡をもつて其の影をうかべて候へば霊鷲山の山の中に多宝仏の宝塔の内に東むきにをはすと日蓮は見まいらせて候、若し此の事そらごとにて候わば日蓮が・ひがめにては候はず、釈迦如来の世尊法久後・要当説真実の御舌も・多宝仏の妙法華経・皆是真実の舌相も四百万億那由佗の国土にあさのごとく・いねのごとく・星のごとく・竹のごとく・ぞくぞくと・すきまもなく列なつてをはしましし諸仏如来の一仏も・かけ給はず、広長舌を大梵王宮に指し付けて・をはせし御舌どものくぢらの死にてくされたるがごとく・いわしのよりあつまりて・くされたるがごとく・皆一時にくちくされて十方世界の諸仏・如来・大妄語の罪にをとされて・寂光の浄土の金るり大地はたと・われて提婆がごとく・無間大城にかつぱと入り・法蓮香比丘尼がごとく身より大妄語の猛火ぱと・いでて・実報華王の花のその・一時に灰燼の地となるべし、いかでか・さる事は候べき、故阿仏房一人を寂光の浄土に入れ給はずば諸仏は大苦に堕ち給うべし、ただ・をいて物を見よ・ただをいて物を見よ、仏のまことそら事は此れにて見奉るべし、さてはをとこははしらのごとし女はなかわのごとし、をとこは足のごとし・女人は身のごとし、をとこは羽のごとし・女はみのごとし、羽とみと・べちべちに・なりなば・なにを・もつてか・とぶべき、はしらたうれなばなかは地に堕ちなん、いへにをとこなければ人のたましゐなきがごとし、くうじを・たれにか・いゐあわせん、よき物をば・たれにか・やしなうべき、一日二日たがいしを・だにも・をぼつかなく・をもいしに、こぞの三月の二十一日に・わかれにしが・こぞもまちくらせどまみゆる事なし、今年もすでに七つきになりぬ、たとい・われこそ来らずとも・いかにをとづれはなかるらん、ちりし花も又さきぬ・おちし菓も又なりぬ、春の風も・かわらず・秋のけしきも・こぞのごとし、いかに・この一事のみ・かわりゆきて本のごとく・なかるらむ、月は入りて又いでぬ・雲はきへて又来る、この人人の出でてかへらぬ事こそ天も・うらめしく地もなげかしく候へ、さこそをぼすらめ・いそぎ・いそぎ法華経をらうれうと・たのみまいらせ給いて、りやうぜん浄土へ・まいらせ給いて・みまいらせさせ給うべし。
抑子はかたきと申す経文もあり「世人子の為に衆の罪を造る」の文なり、鵰(くのまたか)・鷲と申すとりは・をやは慈悲をもつて養へば子は・かへりて食とす・梟鳥と申すとりは生れては必ず母をくらう、畜生かくのごとし、人の中にも・はるり王は心もゆかぬ父の位を奪い取る、阿闍世王は父を殺せり、安禄山は養母をころし・安慶緒と申す人は父の安禄山を殺す・安慶緒は又史師明に殺されぬ・史師明は史朝義と申す子に又ころされぬ、此れは敵と申すもことわりなり、善星比丘と申すは教主釈尊の御子なり、苦得外道をかたらいて度度父の仏を殺し奉らんとす、又子は財と申す経文も・はんべり・所以に経文に云く「其の男女追つて福を修すれば大光明有つて地獄を照し其の父母に信心を顕さしむ」等と申す、設い仏説ならずとも眼の前に見えて候。
天竺に安足国王と申せし大王は・あまりに馬をこのみて・かいしほどに・後には・かいなれて鈍馬を竜馬となすのみならず・牛を馬ともなす・結句は人を馬と・なしてのり給いき、其の国の人あまりに・なげきしかば知らぬ国の人を馬となす、他国の商人の・ゆきたりしかば薬をかいて・馬となして御まやうにつなぎ・つけぬ、なにと・なけれども・我が国はこいしき上・妻子ことにこいしく・しのびがたかりしかども・ゆるす事なかりしかば・かへる事なし。

又かへり・たりとも・このすがたにては由なかるべし、ただ朝夕には・なげきのみにして・ありし程に・一人ありし子・父のまちどきすぎしかば・人にや殺されたるらむ又病にや沈むらむ・子の身として・いかでか父をたづねざるべきと・いでたちければ・母なげくらく男も他国より・かへらず・一人の子も・すてて・ゆきなば我いかんがせんと・なげきしかども・子ちちのあまりに・こいしかりしかば安足国へ尋ねゆきぬ、ある小屋に・やどりて候しかば家の主申すやう・あらふびんやわどのは・をさなき物なり而もみめかたち人にすぐれたり、我に一人の子ありしが他国にゆきてしにやしけん・又いかにてやあるらむ、我が子の事ををもへば・わどのをみてめも・あてられず、いかにと申せば此の国は大なるなげき有り、此の国の大王あまり馬をこのませ給いて不思議の草を用い給へり、一葉せばき草をくわすれば人・馬となる、葉の広き草をくわすれば馬・人となる、近くも他国の商人の有りしを・この草をくわせて馬となして第一の御まやに秘蔵して・つながれたりと申す、此の男これをきいて・さては我が父は馬と成りて・けりとをもひて・返つて問う其の馬は毛は・いかにと・といければ・家の主答えて云く栗毛なる馬の肩白く・ぶちたりと申す、此の物此の事を・ききて・とかうはからいて王宮に近づき葉の広き草をぬすみとりて・我が父の馬になりたりしに食せしかば本のごとく人となりぬ、其の国の大王・不思議なる・おもひをなして孝養の者なりとて父を子に・あづけ給へり、其れよりついに人を馬となす事は・とどめられぬ。

子ならずば・いかでか尋ねゆくべき、目連尊者は母の餓鬼の苦をすくひ浄蔵浄眼は父の邪見をひるがいす、此れよき子の親の財となるゆへぞかし、而るに故阿仏聖霊は日本国・北海の島のいびすのみなりしかども後生ををそれて出家して後生を願いしが・此の人日蓮に値いて法華経を持ち去年の春仏になりぬ、尸陀山の野干は仏法に値いて生をいとひ死を願いて帝釈と生れたり、阿仏上人は濁世の身を厭いて仏になり給いぬ。
其の子藤九郎守綱は此の跡をつぎて一向法華経の行者となりて・去年は七月二日・父の舎利を頚に懸け、一千里の山海を経て甲州・波木井身延山に登りて法華経の道場に此れをおさめ、今年は又七月一日身延山に登りて慈父のはかを拝見す、子にすぎたる財なし・子にすぎたる財なし南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。

七月二日        日 蓮 花押
故阿仏房尼御前御返事
追伸、絹の染袈裟一つまいらせ候、豊後房に申し候べし・既に法門・日本国にひろまりて候、北陸道をば豊後房な びくべきに学生ならでは叶うべからず・九月十五日已前に・いそぎいそぎまいるべし。かずの聖教をば日記のごとくたんば房にいそ ぎいそぎつかわすべし、山伏房をばこれより申すにしたがいてこれへは・わたすべし、山伏の現にあだまれ 候事悦び入つて候。


※注1 羅睺羅(らごら又はらふーら) :、釈迦の実子。釈尊覚知後6年後に故郷に戻った時出家したと伝えられている。釈尊の元で修行し、釈迦十大弟子の一人で密行第一と称されてるまでになったと言う。

by johsei1129 | 2014-10-13 00:10 | 阿仏房・千日尼 | Comments(0)