日蓮大聖人『御書』解説

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カテゴリ:御義口伝( 42 )


2017年 09月 10日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を直弟子、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(5)

【序品七箇の大事】

第五 下至阿鼻地獄の事

 御義口伝に云く、十界皆成の文なり。提婆が成仏此の文にて分明なり、宝塔品の次に提婆が成仏を説く事は二箇の諌暁の分なり。
提婆は此の文の時成仏せり、此の至の字は白毫の行く事なり、白毫の光明は南無妙法蓮華経なり。
上至阿迦尼だ天は空諦、下至阿鼻地獄は仮諦、白毫の光は中道なり(注)。之に依つて十界同時の成仏なり。

 天王仏とは宝号を送るまでなり、去て依正二報の成仏の時は、此の品の下至阿鼻地獄の文は依報の成仏を説き、提婆達多の天王如来は正報の成仏を説く、依報正報(注)共に妙法の成仏なり。

今、日蓮等の類い聖霊を訪う時、法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時、題目の光、無間に至りて即身成仏せしむ。
廻向の文此れより事起るなり、法華不信の人は堕在無間なれども、題目の光を以て孝子法華の行者として訪わんに、豈此の義に替わる可しや。されば下至阿鼻地獄の文は、仏、光を放ちて提婆を成仏せしめんが為なりと日蓮推知し奉るなり。


空諦仮諦、中道  
空仮中の三諦の事。
法華経方便品第二に次の偈がある。
[原文]
仏所成就 第一希有 
難解之法 唯仏与仏 乃能究尽 諸法実相
[和訳]
仏が成就せし所の、第一の希有なる難解の法は、唯、仏と仏のみが諸法の実相を、能く究め尽くせばなり。

つまり仏法では、森羅万象はすべからく諸々の法で貫かれており、その法を究め悟られたのが仏であるとする。
諸法を悟れば仏になれるので、仏は、三千大千世界(宇宙)に無数に存在し、仏が衆生を導く仏国土も無数に存在するとする。
その諸法を捉えた概念が「一念三千」であり、本抄の「空仮中の三諦」となる。

一例として「水」で空仮中の三諦を説明すると、水は置かれている環境(縁※主に温度)により、液体の水、固体の氷、気体の水蒸気と変化する。この状態は仮に和合した姿、つまり仮諦である。固体でも雪、あられ、ひょうと変化する。これも諦である事を示している。
其の水は見た目の姿が変われど、分子式"H2O"で表される水の本質は共通であり、100度で気体、0度で凍るという性質を持つ。しかしこの性質を人の目では見ることはできないが、我々は現象として認識できる。此の水の本質を空諦としてみる。
そしてH20としての性質を持ち、温度の変化により刻々と姿を変える水の当体そのものを中道としてみる。

依報正報  
依報とは生き物、例えば人間が生きるための拠り所となる自然環境・国土さらには自分(正報)を取り巻く衆生、民族なども含む。
正報は総じては主体となる生き物、別しては人間。
仏法では「依正不二」と捉え、相互に影響し合い且つ、双方が不可分な存在と見る。
つまり日蓮大聖人が「立正安国論」で論じたように、国主が邪法を信奉することにより、其の国に三災七難が生じる。また人間は自身を取り巻く環境から影響を受け、自分の内在する十界の命を引き出されることになる。日蓮大聖人が図現されたご本尊に南無妙法蓮華経と唱える時、御本尊は依報となり、唱える自身は正報となり。そして仏の命が図現されたご本尊に境智冥合することで、己心の仏界を引き出すことになる。また唱える題目は、三千大千世界に偏波して、依報を突き動かすことができる。 


【御義口伝 上】要点解説(6)に続く
 




by johsei1129 | 2017-09-10 00:22 | 御義口伝 | Comments(0)
2017年 08月 21日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を直弟子、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(4)

第四仏所護念の事  文句の三に云く、仏所護念とは、無量義処は、是れ仏の証得し給う所、是の故に如来の護念し給う所なり。
下の文に仏自住大乗と云えり、開示せんと欲すと雖も衆生の根、鈍なれば、久しく斯の要を黙して、務て速かに説き給わず、故に護念と云う。

記の三に云く、昔未だ説かず故に之を名けて護と為す、法に約し機に約して皆護念する故に、乃至機仍お未だ発せず隠して説かず故に護念と言う、乃至未説を以ての故に護し未暢を以ての故に念ず。久黙と言うは昔より今に至るなり。斯要等の意之を思うて知る可し。

 御義口伝に云く、此の護念の体に於ては本迹二門首題の五字(=妙法蓮華経)なり。
 此の護念に於て七種の護念之れ有り、一には時に約し、二にはい機に約し、三には人に約し、四には本迹に約し、五には色心に約し、六には法体に約し、七には信心に約するなり云云。

今、日蓮等の類いは護念の体(=妙法蓮華経)を弘むるなり。
一に時に約するとは、仏・法華経を四十余年の間未だ時至らざるが故に護念し給うなり。
二に機に約するとは、破法不信故墜於三悪道の故に前四十余年の間に未だ之を説かざるなり。
三に人に約するとは舎利弗に対して説かんが為なり。
四に本迹に約するとは、護を以て本と為し念を以て迹と為す。
五に色心に約するとは、護を以て色と為し、念を以て心と為す。
六に法体に約するとは、法体とは本有常住なり、一切衆生の慈悲心是なり(注)。
七に信心に約するとは、信心を以て護念の本と為すなり。

所詮日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは、併ら護念の体を開くなり。護とは仏見なり、念とは仏知なり、此の知見の二字本迹両門なり。
仏知を妙と云うなり、仏見を法と云うなり。此の知見の体を修行するを蓮華と云うなり、因果の体なり、因果の言語は経なり、加之法華経の行者をば三世の諸仏護念し給うなり。
 普賢品に云く、一者為諸仏護念と護念とは妙法蓮華経なり、諸仏の法華経の行者を護念したもうは、妙法蓮華経を護念したもうなり機、法一同護念一体なり。
 記の三の釈に約法約機・皆護念故と云うは此の意なり。又文句の三に云く「仏所護念とは前の地動瑞を決定するなり、地動は六番破惑を表するなり。
 妙法蓮華経を受持する者は六番破惑疑い無きなり。
 
 神力品(注)に云く「於我滅度後・応受持斯経・是人於仏道・決定無有疑」 仏自住大乗とは是なり。
又た一義に仏の衆生を護念したもう事は、護とは唯我一人能為救護、念とは毎自作是念是なり。普賢品に至つて一者為諸仏護念と説くなり。
日蓮は生年卅二より南無妙法蓮華経を護念するなり(注)

注 
日蓮は生年卅二より南無妙法蓮華経を護念するなり
日蓮大聖人三十二歳の時、建長五年(西暦1253年)四月二十八日、故郷・安房国清澄寺の持仏堂にて「南無妙法蓮華経」と唱え「立宗宣言」したことを意味しております。
尚、清澄寺の信徒等大衆に向けた四月二十八日の「立宗宣言」に先立ち、三月二十八日に、清澄寺修行時代の師匠道善房、兄弟子等に「立宗」の内示をしておられることが下記のご文より知ることができます。

御義口伝上 方便品八箇の大事 第六如我等無異如我昔所願の事
(前略)今、日蓮が唱うる所の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり。豈今者已満足に非ずや、已とは建長五年三月廿八日に初めて唱え出す処の題目を指して已と意得可きなり、妙法の大良薬を以て一切衆生の無明の大病を治せん事疑い無きなり。此れを思い遣る時んば満足なり満足とは成仏と云う事なり(後略)

神力品
妙法蓮華経 如来神力品第二十一で釈尊は滅後の法華経の弘通を、上行菩薩を上首とする「地涌の菩薩」に属類(付属)した。

[原文]
爾時仏告 上行等菩薩大衆 諸仏神力 如是無量無辺
不可思議 若我以是神力 於無量無辺 百千万億 阿僧祇劫
為属累故 説此経功徳 猶不能尽 以要言之 如来一切所有之法
如来一切自在神力 如来一切秘要之蔵 如来一切甚深之事 皆於此経 宣示顕説
是故汝等 於如来滅後 応当一心 受持読誦 解説 書写 如説修行
所在国土 若有受持読誦 解説書写 如説修行 若経巻所住之処
若於園中 若於林中 若於樹下 若於僧坊 若白衣舎 若在殿堂 若山谷曠野
是中皆応 起塔供養 所以者何 当知是処 即是道場 諸仏於此
得阿耨多羅三藐三菩提 諸仏於此 転於法輪 諸仏於此 而般涅槃


【御義口伝 上】要点解説(5) に続く



by johsei1129 | 2017-08-21 19:21 | 御義口伝 | Comments(0)
2017年 07月 19日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を直弟子、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(3)

第二 阿若・憍陳如の事  


疏の一に云く、憍陳如(注)は姓なり、此には火器と翻ず。婆羅門種なり。其の先、火に事こう此れに従て族に命く。


火に二義有り、照なり焼なり。照は則ち闇生ぜず、焼は則ち物生ぜず、此には不生を以て姓と為す。
 
 御義口伝に云く火とは法性の智火なり。

火の二義とは、一の照は随縁真如の智なり。一の焼は不変真如の理なり。照焼の二字は本迹二門なり。


 さて火の能作としては照焼の二徳を具うる南無妙法蓮華経なり。

今日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは生死の闇を照し、晴して涅槃の智火明了なり。

 生死即涅槃と開覚するを照則闇不生と云うなり。

煩悩の薪を焼いて、菩提(悟り)の慧火現前するなり。

煩悩即菩提と開覚するを焼則物不生とは云うなり。


爰を以て之を案ずるに、陳如は我等法華経の行者の煩悩即菩提、生死即涅槃を顕したり云云。


注 阿若・憍陳如(あにゃ・きょうちんにょ)

  釈迦が成道して最初に教えを説いた五人の比丘の一人で、その中の代表格。インド・カースト制度の頂点であるバラモン教(現在ヒンドゥー教)の司祭階級出身。


釈迦がバラモンで難行苦行をしていた時、共に修行していた仲間だったが、釈迦がバラモンでは悟りが得られないとして苦行を止め、菩提樹の下で瞑想を始めた。その時、苦行で体力が限界まで落ちていた釈迦を見かねて、村長の娘・スジャータが差し出した乳がゆを食す。これを見た憍陳如たちは、釈迦が修行をやめたと思い込み、釈迦と袂を分かつ。

その後釈迦は五年間瞑想を続け成道し仏陀になると、五人を訪ね最初に法を説いた。これを初転法輪という。

尚、阿若憍・陳如は、妙法蓮華経 五百弟子受記品第八で、釈尊より未来世で普明如来となるとする記別を 受ける。


【御義口伝 上】要点解説(4)に続く




by johsei1129 | 2017-07-19 18:33 | 御義口伝 | Comments(0)
2017年 07月 19日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を直弟子、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(2)

 御義口伝巻上 日蓮所立自序品至涌出品

【序品七箇の大事】

 第一如是我聞の事  文句(注)の一に云く、如是とは所聞の法体を挙ぐ、我聞とは能持の人なり。記の一に云く故に始と末と一経を所聞の体と為す。

 御義口伝に云く、所聞の聞は名字即なり、法体とは南無妙法蓮華経なり、能持とは能の字之を思う可し。
次に記の一の故始末一経の釈は、始とは序品なり末とは普賢品なり。法体とは心と云う事なり、法とは諸法なり、諸法の心と云う事なり。諸法の心とは妙法蓮華経なり。
伝教云く、法華経を讃むると雖も還つて法華の心を死すと。死の字に心を留めて之を案ず可し、不信の人は如是我聞の聞には非ず、法華経の行者は如是の体を聞く人と云う可きなり。 
 爰を以て文句の一に云く「如是とは信順の辞なり、信は則ち所聞の理会し、順は則ち師資の道成ず」と。
所詮、日蓮等の類いを以て、如是我聞の者と云う可きなり云云。

[要点解説]
如是我聞とは「是の如き、我聞けり」で「この様に私は仏(釈迦)の説法を聞きました」の意となる。我とは、釈尊十大弟子の一人で多聞第一と称えられていた阿難(アーナンダ)である。阿難は釈迦の従兄弟で、27歳から釈迦の従者、いまでいう秘書官の役目を担っていて、それ以来、釈迦の説法をそばで全て聞いていたことから、釈迦滅後五百人以上もの高弟(羅漢)による仏典結集では、経の結集で中心者となって口述したという。
尚、釈迦の仏典は全て「如是我聞」で始まり、此の仏典の様式は、仏教史上中興の祖と言われ、仏典の解釈書「大智度論」を述作した「龍樹」が定めたという。

日蓮大聖人はこの仏典結集(ぶってんけつじゅう)について「法華経題目抄」で次のように記されておられる。
「仏世に出でさせ給いて五十余年の間八万聖教を説きをかせ給いき、仏は人寿・百歳の時・壬申の歳・二月十五日の夜半に御入滅あり、其の後四月八日より七月十五日に至るまで一夏九旬の間・一千人の阿羅漢・結集堂にあつまりて一切経をかきをかせ給いき」

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[仏典結集が行われたとされる7つの洞窟※仏典結集を外護した阿闍世王が、此の洞窟の前に伽藍を建立したとも言われている]

【御義口伝 上】要点解説(3)に続く





by johsei1129 | 2017-07-19 18:03 | 御義口伝 | Comments(0)
2017年 05月 10日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を直弟子、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(1)

日蓮所言、法華経一部合して二百二十九箇条

南無妙法蓮華経
御義口伝に云く、南無とは梵語なり此には帰命と云う。人法之れ有り、人とは釈尊に帰命し奉るなり、法とは法華経に帰命し奉るなり。

帰と云うは迹門不変真如の理に帰するなり、命とは本門随縁真如の智に命くなり。

 帰命とは南無妙法蓮華経是なり、釈に云く随縁不変・一念寂照と、又帰とは我等が色法なり、命とは我等が心法なり色心不二なるを一極と云うなり。


 釈に云く、一極に帰せしむ故に仏乗と云うと、又云く南無妙法蓮華経の南無とは梵語、妙法蓮華経は漢語なり。
梵漢共時に南無妙法蓮華経と云うなり。

又云く梵語には薩達磨(サ・ダルマ)・芬陀梨伽(フンダリリカ)・蘇多覧(ソタラン)と云う。


此(日本)には妙法蓮華経と云うなり。薩は妙なり、達磨は法なり、芬陀梨伽は蓮華なり、蘇多覧は経なり。

九字は九尊の仏体なり、九界即仏界の表示なり。

妙とは法性(悟り)なり、法とは無明(迷い)なり。無明法性一体なるを妙法と云うなり。

蓮華とは因果の二法なり、是又因果一体なり。経とは一切衆生の言語音声を経と云うなり。


釈に云く、声仏事を為す。之を名けて経と為すと。或は三世(過去世、現世、未来世)常恒なるを経と云うなり。

法界は妙法なり、法界は蓮華なり、法界は経なり。

蓮華とは八葉九尊の仏体なり。能く能く之を思うべし。

伝に云く、
伝云序品七箇の大事 方便品八箇の大事 譬喩品九箇の大事
信解品六箇の大事 薬草喩品五箇の大事 授記品四箇の大事
化城喩品七箇の大事 五百品三箇の大事 人記品二箇の大事
法師品十六箇の大事 宝塔品二十箇の大事 提婆品八箇の大事
 勧持品十三箇の大事 安楽行品五箇の大事 涌出品一箇の大事
寿量品二十七箇の大事 分別功徳品三箇の大事 随喜品二箇の大事
法師功徳品四箇の大事 不軽品三十箇の大事 神力品八箇の大事
嘱累品三箇の大事 薬王品六箇の大事 妙音品三箇の大事
普門品五箇の大事 陀羅尼品六箇の大事 厳王品三箇の大事
普賢品六箇の大事 無量義経六箇の大事 普賢経五箇の大事
已上二百三十一箇条也 此の外に別伝之有り具さに之を記し訖ぬ。
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要点解説

御義口伝は、日蓮大聖人が晩年、六人の高弟に末法の本仏の立場で妙法蓮華経を講義し、それを唯受一人の後継者・日興上人が筆録し、日蓮大聖人の裁可を受けて記述された口伝書です。

この御義口伝講義の基となったのが、常日頃、日蓮大聖人が「妙法蓮華経」の巻物八巻と法華経開教の「無量義経一巻」、結経の「仏説観普賢菩薩行法経一巻」合わせて十巻の行間・紙背に、天台の三部作(法華文句、法華玄義、摩訶止観)、その他釈尊の一切経、龍樹・天親等の論を書き込みされた【法華経】です。

この
法華経に日蓮大聖人は、累計2107章もの書き込みをしており、その内3章は、唯受一人の第二祖・日興上人が書き込みされておられます。
日蓮大聖人の最も古い書き込みは、清澄寺での立宗宣言の前年、建長四年(1252)に行われており、延暦寺等での修行時代から使用されていた経巻であると推察されます。

尚、
注法華経には日蓮大聖人の解釈は記述されていなく、御義口伝で、大聖人の義が「御義」として口伝されたことに為ります。
また御義口伝の最後には本抄の意義について次のように口伝されておられます。
六老僧の所望に依って老期たりと雖も、日蓮が本意の一端護義せしめ畢んぬ。是併ら私に最要文を集めて読誦せしむる所なり。然る間法華諸要の文書き付け畢んぬ。この意は或は文を陰して義を取り、或は義を隠して文を取り、或は文義共に顕し、或は文義共に隠し講談するなり。
 委は、註法華経(御義口伝)を拝見すべし。然りと謂も文義甚深の間、愚昧に及ぶべからざるなり。広宣流布の要法、豈此の註法華経に過ぎんや」

この大聖人の口伝を拝すると、「註法華経」が広宣流布の要法とするならば、「末法の本仏大聖人の御義」が説かれておられる「御義口伝」こそ、広宣流布の要法中の要法であると強く推知されます。

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[法華経御真筆:静岡県玉沢妙法華寺完存(国重要文化財)]

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[註法華経御真筆(勧持品の行間への書き込み)]


【御義口伝 上】要点解説(2)に続く






by johsei1129 | 2017-05-10 22:34 | 御義口伝 | Comments(0)
2014年 08月 11日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】二十三

【二十八品は悉く南無妙法蓮華経の事】

一 嘱累品

 御義口伝に云く、此の品には三摩の付属を説いて此の妙法を滅後に留め給うなり。是れ又妙法の付属なれば、十界三千皆付属の菩薩なり。又三摩する事は能化所具の三観三身の御手を以て所化の頂上に明珠を灌(そそ)ぐと云う心なり。凡そ頂上の明珠は覚悟知見なり。頂上の明珠とは南無妙法蓮華経なり云云。

一 薬王品

 御義口伝に云く、此の品は薬王菩薩の仏滅後に於ける法華経弘通なり。所詮焼身焼臂とは焼は照の義なり、照は智慧の義なり。智能く煩悩の身生死の臂を焼くなり。凡そ天台大師も本地は薬王菩薩なり。能説については釈迦なり。衆生の重病を消除する方は薬王薬師如来なり。又利物の方にて薬王と云い、自悟の方にては薬師と云う。薬王薬師出世の時は天台大師なり。薬王も滅後に弘通し、薬師如来も像法転時の利益有情なり。時を以て身体を顕し、名を以て義を顕はしたまう事仏の習いなり。薬王菩薩は止観の一念三千の法門を弘め給う。其の一念三千とは所謂 南無妙法蓮華経なり云云。

一 妙音品

 御義口伝に云く、此の菩薩は法華弘通の菩薩なり。故に三十四身を現じて十界互具の徳を顕して利益説法するなり。是れ又妙法の妙音なれば十界の音声は皆妙音なり。又十界悉く三十四身の所現の妙音なり。又蓮華の妙音なれば十界三千の音声皆無染清浄なり。されば慈覚大師をば妙音の出世と習うなり。之に依つて唐決の時、引声の妙音を伝え給えり。何の故有ってか法華を誹謗して大日経等に劣りたりと云うや。所謂法界の音声・南無妙法蓮華経の音声に非ずと云う事なし云云。

一 観音品

 御義口伝に云く、此の品は甚深の秘品なり。息災延命の品なり。当途王経と名くるなり。されば此の品に就て職位法門を継ぐと習うなり。天台も三大部の外に観音玄と云う疏を作り、章安大師は両巻の疏を作り給えり。能く能くの秘品なり。観音・法華・眼目異名と云いて、観音即ち法華の体なり。所謂南無妙法蓮華経の体なり。

一 陀羅尼品
 
 御義口伝に云く、此の品は二聖・二天王・十羅刹女、陀羅尼を説いて持経者を擁護し給うなり。所詮妙法陀羅尼の真言なれば十界の語言・音声皆陀羅尼なり。されば伝教大師「「妙法の真言は他経に説かず、普賢の常護は他経に説かず」と。陀羅尼とは南無妙法蓮華経の用なり。此の五字の中には妙の一字より陀羅尼を説き出だしたり。

 一 厳王品
 
 御義口伝に云く、此の品は二子の教化に依つて父の妙荘厳王邪見をあらためて正見に住したり。沙羅樹王仏と成るなり。沙羅樹王とは梵語なり。此には熾盛光と翻ず。一切衆生は是皆、熾盛光より出生したる一切衆生なり。此の故に十界衆生の父なり。熾盛光とは、或は大黒天神とも、或は土宮神とも云うなり。然れども父母交会の一念なり。法華の意は自受用智なり。忽然火起 焚焼舎宅とは是なり。煩悩の一念の火起りて迷悟不二の舎宅を焼くなり。邪見とは是なり。此の邪見を邪見即正と照したるは南無妙法蓮華経の智慧なり。所謂六凡は父なり。四聖は子なり。四聖は正見、六凡は邪見な。故に六道の衆生は皆是れ我が父母とは是なり云云。

 一 勧発品

 御義口伝に云く、此の品は再演法華なり。本迹二門の極理此の品に至極するなり。慈覚大師云く、十界の衆生は発心修行と釈し給うは此の品の事なり。所詮此の品と序品とは生死の二法なり。序品の品は我等衆生の生なり、此の品は一切衆生の死なり。生死一念なるを妙法蓮華経と云うなり。序品の題号は生なり、終の第号は死なり。此の法華経は生死生死と転りたり。生の故に始に如是我聞と置く。如は生の義なり。死の故に終りに作礼而去と結したり。去は死の義なり。作礼の言は生死の間に成しと成す処の我等衆生の所作なり。此の所作とは妙法蓮華経なり。礼とは不乱の義なり。法界妙法なれば不乱なり。天台大師云く「体の字は礼に訓ず。礼は法なり。各其の親を親とし、各其の子を子とす。出世の法体も亦復是の如し」と。
 体とは妙法蓮華経の事なり。先づ体玄義を釈するなり。体とは十界の異体なり。是を法華経の体とせり。此等を作礼而去とは説かれたり。法界の千草万木地獄餓鬼等、何の界も諸法実相の作礼に非ずという事なし。是れ即ち普賢菩薩なり。普とは法界、賢とは作礼而去なり。此れ即ち妙法蓮華経なり。爰を以て品品の初めにも五字を以て記し、終りにも五字を以て結したり。前後・中間・南無妙法蓮華経の七字なり。末法弘通の要法は唯此の一段に爾ず。若し此等の心を失うて要法に結せずんば末法弘通の法には足らざる者なり。剰え日蓮が本意を失う可し。日蓮が弟子檀那別の広才無益なり。妙楽大師云く「子父の法を弘む世界の益有り」と。子とは地涌の菩薩なり父とは釈尊なり、世界とは日本国なり、益とは成仏なり、法とは南無妙法蓮華経なり。今又以て此くの如し。父とは日蓮なり、子とは日蓮が弟子檀那なり、世界とは日本国なり、益とは受持成仏なり、法とは上行所伝の題目なり。

六老僧の所望に依って老期たりと雖も、日蓮が本意の一端護義せしめ畢んぬ。是併ら私に最要文を集めて読誦せしむる所なり。然る間法華諸要の文書き付け畢んぬ。この意は或は文を陰して義を取り、或は義を隠して文を取り、或は文義共に顕し、或は文義共に隠し講談するなり。
 委は註法華経(御義口伝)を拝見すべし。然りと謂も文義甚深の間、愚昧に及ぶべからざるなり。広宣流布の要法、豈此の註法華経に過ぎんや。

就法華経口伝下((御義口伝 巻下)

弘安元年戊寅正月一日  日蓮 在御判
執筆 日興

by johsei1129 | 2014-08-11 22:08 | 御義口伝 | Comments(0)
2014年 08月 10日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】二十二

【二十八品は悉く南無妙法蓮華経の事】

一 涌出品

 御義口伝に云く、此の品は迹門流通の後・本門開顕の序分なり。故に先ず先ず本地無作の三身を顕さんが為に、釈尊所具の菩薩本化の弟子を召すなり。是れ又妙法の従地なれば十界の大地なり。妙法の涌出なれば十界皆涌出なり。十界妙法の菩薩なれば皆饒益有情界の慈悲深重の大士なり。蓮華の大地なれば十界の大地なり。蓮華の大地なれば十界涌出の菩薩本来清浄なり。所詮悟道に約する時は従地とは十界の衆生の大浮所生なり。涌出とは十界の衆生の出胎の相なり。菩薩とは十界の衆生本有の慈悲なり。此の菩薩に本法の妙法蓮華経を付属せんが為に従地涌出するなり。日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は従地涌出の菩薩なり、外に求むること無かれ云云。

一 寿量品

 御義口伝に云く、寿量品とは十界の衆生の本命なり。此の品を本門と云う事は本入門と云う事なり。凡夫の血肉の色心を本有と談ずるが故に本門とは云うなり。此の重に至らざるを始覚と云い迹門と云うなり。是を悟るを本覚と云い本門と云うなり。所謂南無妙法蓮華経は一切衆生の本有の在所なり。爰元を経に我実成仏已来とは云うなり。

 一 分別功徳品

 御義口伝に云く、此の品は上の品の時本地無作の三身如来の寿を聞く故に、今品にしては上の無作の三身を信解するなり。其の功徳を分別するなり。十界己己当体の三毒煩悩を此の品の時其の儘妙法蓮華経の功徳と分別するなり。其の功徳とは本有の南無妙法蓮華経是なり云云。

一 随喜功徳品

  御義口伝に云く、妙法の功徳を随喜する事を説くなり。五十展転とは五とは妙法の五字なり、十とは十界の衆生なり、展転とは一念三千なり。教相の時は第五十人の随喜の功徳を校量せり。五十人とは一切衆生の事なり。妙法の五十人、妙法の展転なるが故なり。所謂南無妙法蓮華経を展転するなり云云。

一 法師功徳品

 御義口伝に云く、無作の三身も如来の寿も分別功徳も随喜も、我が身の上の事なり。然らば父母所生の六根は清浄にして自在無碍なり。妙法の六根なれば十界三千の六根皆清浄なり。蓮華所具の六根なれば全く不浄に非ざるなり。此の六根にて南無妙法蓮華経と見聞覚知する時本来本有として六根清浄なり云云。

 一 不軽品

 御義口伝に云く、此の菩薩の礼拝の行とは一切衆生の事なり。自他一念の礼拝なり。父母果縛の肉身を妙法蓮華経と礼拝するなり。仏性も仏身も衆生の当体の色心なり。故に直ちに礼拝を行ずるなり。止観の第二云く、一切衆生の順逆十二因縁を以て二十四の尊像と釈し給うは此の故なり。皆当作仏の四字は南無妙法蓮華経の種子に依るなり云々。

 一 神力品

 御義口伝に云く、十種の神力を現じて上行菩薩に妙法蓮華経の五字を付属し給うなり。神力とは十界三千の衆生の神力なり。凡夫は体の神力、三世の諸仏は用の神力なり。神とは心法、力とは色法なり。力は法なり、神は妙なり。妙法の神力なれば十界悉く神力なり。蓮華の神力なれば十界清浄の神力なり。惣じて三世の諸仏の神力は此の品に尽くせり。釈尊出世の神力の本意も此の品の神力なり。所謂妙法蓮華経の神力なり。十界皆成と談ずるより外には諸仏の神力は之れ有る可からず。一切の法門神力に非ずと云う事なし云云。


[御義口伝 下 本文]その二十三に続く


by johsei1129 | 2014-08-10 21:44 | 御義口伝 | Comments(0)
2014年 08月 09日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】二十一

【二十八品は悉く南無妙法蓮華経の事】

一 宝塔品

 御義口伝に云く、此の宝塔は宝浄世界より涌現するなり。其の宝浄世界の仏とは事相の義をば且らく之を置く。証道観心の時は母の胎内是なり。故に父母は宝塔造作の番匠なり。宝塔とは我等が五輪・五大なり。故に詑胎の胎を宝浄世界と云う。故に出胎する処を涌現と云うなり。凡そ衆生の涌現は地輪より出現するなり。故に従地涌出と云うなり。妙法の宝浄世界なれば十界の衆生の胎内は皆是れ宝浄世界なり。蓮華の宝浄なれば十界の胎内悉く無垢清浄の世界なり。妙法の地輪なれば十界に亘るなり。蓮華の地なれば清浄地なり。妙法の宝浄なれば我等が身体は清浄の宝塔なり。妙法蓮華の涌出なれば十界の出胎の産門、本来清浄の宝塔なり。法界の塔婆にして十法界即塔婆なり。妙法の二仏なれば十界三千・皆境智の二仏なり。妙法の一座には三千の心性皆以て二尊の所座なり。妙法蓮華二仏一座なれば不思議なり、清浄なり。妙法蓮華の見なれば十界の衆生・三千の群類・皆自身の塔婆を見るなり。十界の不同なれども己が身を見るは三千具足の塔を見るなり。己の心を見るは三千具足の仏を見るなり。分身とは父母より相続する分身の意なり。迷う時は流転の分身なり、悟る時は果中の分身なり。さてこそ分身の起る処を習うには地獄と習うなり。かかる宝塔も妙法蓮華経の五字より外は之無きなり。妙法蓮華経を見れば宝塔なり。宝塔即一切衆生なり。一切衆生即南無妙法蓮華経の全体なり云云。

一  提婆品

 御義口伝に云く、此の品には釈尊の本師・提婆達多の成仏と文殊師利・教化の竜女成仏とを説くなり。是れ又妙法蓮華経の提婆竜女なれば十界三千皆調達竜女なり。法界の衆生の逆辺は調達なり、法界の貪欲・瞋恚・愚癡の方は悉く竜女なり。調達は修徳の逆罪、一切衆生は性徳の逆罪なり。一切衆生は性徳の天王如来なり。調達は修徳の天王如来なり。竜女は修徳の竜女、一切衆生は性徳の竜女なり。所詮釈尊も文殊も提婆も竜女も、一つ種の妙法蓮華経の功能なれば本来成仏なり。故に南無妙法蓮華経と唱え奉る時は十界同時に成仏するなり。是を妙法蓮華経の提婆達多と云うなり。十界三千竜女なれば無垢世界に非ずと云う事なし。竜女が一身も本来成仏にして南無妙法蓮華経の当体なり云云。

一 勧持品

  御義口伝に云く、此の品の姨母・耶輸の記別は十界同時の授記なり。妙法の姨母・妙法の耶輸なる故なり。十界の衆生の心性は所持の経の体なり。是れ即ち勧持の流通なり。心性所持の経を勧持して自行化他に趣くなり。姨母耶輸は女人の成仏なり、二万の大士は男子の流通なり。此の文・陰陽一体にして南無妙法蓮華経の当体なり云云。

一 安楽行品

 御義口伝に云く、妙法の安楽行なれば十界三千悉く安楽行なり。自受用の当体なり。身口意誓願悉く安楽行なり。蓮華の安楽行なれば三千十界清浄の修行なり。諸法実相なれば安楽行に非ざること莫し。本門の心は十界の色心本来本有として真実大安楽行なり。安楽行の体とは所謂上行所伝の南無妙法蓮華経是なり。霊山浄土に安楽に行詣すべきなり云云。


[御義口伝 下 本文]その二十二に続く


by johsei1129 | 2014-08-09 21:49 | 御義口伝 | Comments(0)
2014年 08月 08日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】二十

【二十八品は悉く南無妙法蓮華経の事】

疏の十に云く「惣じて一経を結するに唯四のみ。其の枢柄を撮つて之を授与す」と。
御義口伝に云く、一経とは本迹二十八品なり。唯四とは名用体宗の四なり。枢柄とは唯題目の五字なり。授与とは上行菩薩に授与するなり。之とは妙法蓮華経なりと云へり。今日蓮等の類(たぐい)弘通の南無妙法蓮華経は体なり心なり、廿八品は用なり廿八品は助行なり。題目は正行なり、正行に助行を摂す可きなり。

一 無量義経の事
 御義口伝に云く、妙法の序分無量義経なれば十界悉く妙法蓮華経の序分なり。

一 序品
 御義口伝に云く、如是我聞の四字を能く能く心得れば一経無量の義は知られ易きなり。十界互具三千具足の妙と聞くなり。此の所聞は妙法蓮華と聞く故に妙法の法界互具にして三千清浄なり。此の四字を以て一経の始終に亘るなり。二十八品の文々句々の義理我が身の上の法門と聞くを如是我聞とは云うなり。其を聞く者は南無妙法蓮華経なり。されば皆成仏道と云うなり。此の皆成の二字は十界三千に亘る可きなり。妙法の皆成なるが故なり。又仏とは我が一心なり。是又十界三千の心なり。道とは能通に名くる故に十界の心心に通ずるなり。此の時皆成仏道と顕るるなり。皆成仏道の法は南無妙法蓮華経なり云々。

一 方便品
 御義口伝に云く、此の品には十如是を説く。此の十如是とは十界なり。此の方便とは十界三千なり。既に妙法蓮華経を頂く故に十方仏土中唯有一乗法なり。妙法の方便、蓮華の方便なれば秘妙なり、清浄なり。妙法の五字は九識、方便は八識なり。八識は迷なり、九識は悟なり。妙法蓮華経方便品と題したれば迷悟不二なり。森羅三千の諸法此の妙法蓮華経方便に非ずと云う事無きなり。品は義類同なり、義とは三千なり、類とは互具なり、同とは一念なり。此の一念三千を指して品と云うなり。此の一念三千を三仏合点し給ふなり。仍つて品品に題せり。所謂南無妙法蓮華経の信の一念より三千具足と聞けたり云云。

一 譬喩品
御義口伝に云く、此の品の大白牛車とは「無明癡惑本是法性」の明闇一体の義なり。即ち三千具足の一乗をかかげたる牛なれば、明闇一体の三千具足の義なり。法界に遍満したる一法なれば一乗と云うなり。此の一乗とは諸乗具足の一乗なり。諸法具足の一法なり。故に白牛は一なりといえども無量の白牛なり。一切衆生の体、大白牛車なるが故なり。然らば妙法の大白牛車に妙法の十界三千の衆生乗じたり。蓮華の大白牛車なれば、十界三千の衆生も蓮華にして清浄なり。南無妙法蓮華経の法体此くの如し。

一 信解品
御義口伝に云く、此の信解は中根の四大声聞の領解に限るに非ず。妙法の信解なるが故に十界三千の信解なり。蓮華の信解なるが故に十界三千の清浄の信解なり。此の信解の体とは南無妙法蓮華経是なり云云。

一 薬草喩品
御義口伝に云く、妙法の薬草なれば十界三千の毒草・蓮華の薬草なれば本来清浄なり。清浄なれば仏なり。此の仏の説法とは南無妙法蓮華経なり云云。されば此の品には種相体性の種の字に種類種・相対種の二の開会之れ有り。相対種とは三毒即三徳なり。種類種とは始の種の字は十界三千なり、類とは互具なり、下の種の字は南無妙法蓮華経なり。種類の種なり。十界三千の草木各各なれども、只南無妙法蓮華経の一種なり。毒草も毒木も悉く清浄の草木にして薬草なり云云。

一 授記品
御義口伝に云く、十界己己の当体の言語一法の授記なれば本来の授記なり。蓮華の清浄の授記なり。清浄なれば十界三千の仏なり。爰を以て仏なれば南無妙法蓮華経の授を記するなり。

一 化城喩品
御義口伝に云く、妙法の化城なれば十界同時に無常なり。蓮華の化城なれば十界三千の開落なり。常住無常倶に妙法蓮華経の全体なり。化城宝処は生死本有なり。生死本有の体とは南無妙法蓮華経なり。釈に云く「起は是れ法性の起滅は是れ法性の滅」と。

一 五百品
御義口伝に云く、此の品には五百弟子授記作仏すと現文に見えたり。然りと雖も妙法の五百なれば十界三千皆五百の弟子なり。蓮華の弟子なれば又清浄なり。所詮十界三千南無妙法蓮華経の弟子に非ずと云う事なし。此の経の授記是なり云云。

一 人記品
御義口伝に云く、此の品には学・無学の聖者来つて成仏するなり。既に妙法頂戴の学・無学なれば十界互具・三千具足の学・無学なり。妙法の学・無学なるが故に不思議十界煩悩未尽なり。蓮華の学・無学なれば十界三千清浄の開落なり。此の学・無学何物ぞや。学とは法なり、無学とは妙なり。所謂題目なり云云。

一 法師品
御義口伝に云く、妙法の法師なれば十界皆妙法受持の一句一偈の法師なり。蓮華の法師なれば十界三千・清浄の法師なり。十界衆生の色法は能持の人なり。十界の心性は所持の法なり。仍つて色心共に法師にして自行化他を顕すなり。所謂南無妙法蓮華経の法師なるが故なり云云。


[御義口伝 下 本文]その二十一に続く


by johsei1129 | 2014-08-08 21:18 | 御義口伝 | Comments(0)
2014年 08月 07日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】十九

【二十八品に一文充の大事 】
    
宝塔品

       受持也
則為疾得  無上仏道
        凡夫即極也

此の文は持者即ち円頓の妙戒なれば、等・妙二覚一念開悟なれば疾得と云うなり。所謂南無妙法蓮華経と唱え奉るは疾得なり。

提婆品
 三惑 三諦
忽然之間  変成男子

此の文の心は三惑の全体三諦と悟るを変と説くなり。所謂南無妙法蓮華経と唱え奉るは三惑即三徳なり。

勧持品

我不愛身命 但惜無上道

 此の文は色心幻化四大五陰本より嘘妄なり。然るに本覚真如は常住なり。所謂南無妙法蓮華経なり。

安楽行品
一切諸法 空無所有 無有常住 亦無起滅

此の文は任運に常住の妙法なる故に、六道の生滅、本来不生と談ず故に起滅無。し所謂南無妙法蓮華経本来無起滅なり云云。

涌出品

 生死二
昼夜常精進  為求仏道故

  此の文は一念に億劫の辛労を尽せば、本来無作の三身念念に起るなり。所謂南無妙法蓮華経は精進行なり。

寿量品

                  厭離生死
 如来如実知見 三界之相 無有生死

  此の文は万法を無作の三身と見るを如実知見と云う。無作の覚体なれば何に依つて生死有りと云わんや。

分別功徳品

 持此一心福  願求無上道

  此の文は一切の万行万善、但一心本覚の三身を顕さんが為なり。善悪一如なれば一心福とは云うなり。所謂南無妙法蓮華経は一心福なり。

随喜功徳品

言此経深妙 千万劫難遇ヒイタテマツルコト
 
 此の文は、一切衆生の妙法なれば、一心の深底より顕はさん事甚深不思議なり。所謂南無妙法蓮華経不思議なり。

法師功徳品

静 散 十界なり
入禅出禅者  聞香悉能知
不変死  随縁生  題目五字なり
 
  此の文は一心静なる時は入禅、一心散乱する時は出禅、静散即本覚と知るを悉能知と云うなり。所謂南無妙法蓮華経は入禅出禅なり云云。

不軽品

応当一心 広説此経 世世値ヒタテマツリ仏 疾成仏道

 此の文は法界皆本来三諦一心に具わる事を顕せば、己心の念念仏に値う事を即ち世世値仏と云うなり。所謂南無妙法蓮華経是なり。


神力品

十界なり  断破元品無明
是人於仏道  決定無有疑

此の文は十界各各本有本覚の十如是なれば、地獄も仏界も一如なれば成仏決定するなり。所謂南無妙法蓮華経の受持なり云云。


囑累品

信如来知慧者 当演説 此法華経

 此の文は釈迦如来の悟の如く一切衆生の悟と不同有ること無し。故に如来の智慧を信ずるは即ち妙法なり。所謂南無妙法蓮華経の智慧なり云云。

薬王品

 是真精進 是名真法 供養シタテマツルト如来

 此の文は色香中道の観念懈ること無し。是を即ち真法供養如来と名くるなり。所謂南無妙法蓮華経唯有一乗の故に真法なり。世間も出世も純一実相なり云云。

妙音品

  久遠  寂光
  身不動揺 而入三昧

此の文は即ち久遠を悟るを身不動揺と云うなり。惑障を尽くさずして寂光に入るを三昧とは云うなり。所謂南無妙法蓮華経の三昧なり云云。

普門品

(あわれみ)ノ眼視 衆生 福聚海無量

此の文は法界の依正妙法なる故に平等一子の慈悲なり。依正福智共に無量なり。所謂南無妙法蓮華経福智の二法なり云云。


陀羅尼品

       未来顕
修行是経者  令得安穏
      現在顕

此の文は五種妙行を修すれば、悟の道に入つて嶮路に入らざるなり。此れは安穏と云う事なり。所謂・南無妙法蓮華経即安穏なり云云。

厳王品

宿福深厚 生値仏法

 此の文は一句妙法に結縁すれば、億劫にも失はずして大乗無価の宝珠を研き顕すを生値仏法と云うなり。所謂南無妙法蓮華経の仏法なり。

勧発品

是人命終 為千仏授手令メタマフコト 不恐怖不堕悪趣

此の文は妙法を悟れば、分段の身即常寂光と顕るるを命終と云うなり。千仏とは千如御手とは千如具足なり。故に不堕悪趣なり。所謂南無妙法蓮華経の御手なり。

已上品々について別伝の事畢んぬ。

[御義口伝 下 本文]その二十に続く


by johsei1129 | 2014-08-07 20:56 | 御義口伝 | Comments(0)