日蓮大聖人『御書』解説

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カテゴリ:御義口伝( 46 )


2017年 11月 29日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(9)

【方便品八箇の大事】第二 諸仏智慧甚深無量 其智慧門の事 (注)

文句の三に云く先ず、実を歎じ次に権を歎ず。
実とは諸仏の智慧なり、三種の化他の権実に非ず。故に諸仏と云う自行の実を顕す故に智慧と言う。
此の智慧の体、即ち一心の三智(注)なり。
 甚深無量とは即ち称歎の辞なり、仏の実智の、竪に如理の底に徹することを明す故に、甚深と言う。横に法界の辺を窮む故に無量と言う。
 無量甚深にして竪に高く横に広し。譬えば、根深ければ則ち条茂く、源遠ければ則ち流長きが如し。実智既に然り、権智例して爾り云云。
 
 其智慧門は即ち是れ権智を歎ずるなり、蓋し是れ自行の道前の方便進趣の力有り、故に名けて門と為す、門より入つて道中に到る道中を実と称し、道前を権と謂うなり。
 難解難入とは権を歎ずるの辞なり、不謀にして了し無方の大用あり、七種の方便測度すること能わず、十住に始めて解す。十地を入と為す、初と後とを挙ぐ、中間の難示難悟は知る可し。
 而るに別して声聞縁覚の所不能知を挙ぐることは、執重きが故に別して之を破するのみ。
 記の三に云く、竪高横広とは中に於て法譬合あり、此れを以て後を例す。今実を釈するに既に周く横竪を窮めたり、下に権を釈するに理深極なるべし。下に当に権を釈すべし、予め其の相を述す故に云云と註す。

 其智慧門とは其とは乃ち前の実果の因智を指す、若し智慧即門ならば門は是れ権なり、若し智慧の門ならば智即ち果なり。蓋し是等とは此の中に須く十地を以て道前と為し、妙覚を道中と為し、証後を道後と為すべし。故に知んぬ文の意は因の位に在りと。

 
 御義口伝に云く、此の本末の意、分明なり、中に竪に高く横に広しとは、竪は本門なり、横は迹門なり。
根とは草木なり、草木は上へ登る此れは迹門の意なり、源とは本門なり、源は水なり。水は下へくだる、此れは本門の意なり。
 条茂とは迹門十四品なり、流長とは本門十四品なり、智慧とは一心の三智なり、門とは此の智慧に入る処の能入の門なり。三智の(実)体とは南無妙法蓮華経なり。
 門とは信心の事なり、爰を以て第二の巻に以信得入(注)と云う、入と門とは之れ同じきなり。

 今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るを智慧とは云うなり。
 譬喩品に云く「唯有一門」と、門に於て有門・空門・亦有亦空門・非有非空門あるなり。有門は生なり空門は死なり、亦有亦空門は生死一念なり、非有非空門は生に非ず死に非ず、有門は題目(妙法蓮華経)の文字なり。
 空門は此の五字に万法を具足して、一方にとどこうらざる義なり。亦有亦空門は五字に具足する本迹なり、非有非空門は一部の意なり。此の内証は、法華已前の二乗(声聞・縁覚[注])の智慧の及ばざる所なり。文句の三に云く「七種の方便、測度すること能わず」と

今、日蓮等の類いは此の智慧に得入するなり、仍て偈頌に、除諸菩薩衆信力堅固者(注)と云うは、我等行者の事を説くなり云云。



諸仏智慧甚深無量其智慧門
方便品の冒頭にある下記の文文
[原文]
爾時世尊。従三昧安詳而起。告舎利弗。
諸仏智慧。甚深無量。其智慧門。難解難入。
一切声聞。辟支仏。所不能知。
[和訳]
爾の時世尊(釈尊)は、三昧(瞑想の境地)より安詳として起きて、舎利弗(智慧第一の弟子)に告げた。
諸仏の智慧は甚深にして無量なり。其の智慧の門は、解し難く、入り難い。
一切の声聞、辟支仏(縁覚)の知ること能わざる所なり。

除諸菩薩衆信力堅固者
下記の偈にある文文
[原文]
諸余衆生類 無有能得解 除諸菩薩衆 信力堅固者
[和訳]
諸の余の衆生の類いにして、能く解を得るもの有ること無し。諸の菩薩衆、信力の堅固者を除く


一心の三智
一心三観の修行によって得られ二乗(声聞・縁覚)・菩薩・仏の三智を言う。一切智・道種智・一切種智で不思議三智ともいう。

慧文は、鳩摩羅什(妙法蓮華経を漢訳)が漢訳した、龍樹の『中論』等を依書として「一心三観」を悟ったという。

天台大師(智顗)は慧文の孫弟子にあたり、法華経の釈(法華玄義、法華文句、摩訶止観)の三部作で、法華経を根本とする天台宗を確立した。


以信得入
信をもって仏智を得ること。

二乗(声聞・縁覚)
十界の生命(境涯)の内、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天を六道と言い、通常、人は縁に触れて六道を巡り巡って生活している。これを六道輪廻と称する。そこから脱したのが声聞・縁覚・菩薩・仏の四聖という境涯となる。この中で声聞・縁覚を二乗と称する。声聞は仏の声を聞く、また衆生に聞かせる境涯を意味し、縁覚は独覚とも良い、自分で一定の悟りを得る境涯を意味する。
現代では所謂、知識人が声聞に該当し、何か未知の法則を発見するような境涯が縁覚に該当する。


【御義口伝 上】要点解説(10)に続く



by johsei1129 | 2017-11-29 18:07 | 御義口伝 | Comments(0)
2017年 10月 04日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(8)

【方便品八箇の大事】

  第一方便品の事 (注) 文句(注)の三に云く、方とは秘なり便とは妙なり、妙に方に達するに即ち是真の秘なり。  
 内衣裏の無価の珠(注)を点ずるに王の頂上の唯一珠(注)有ると、二無く別無し。客作の人(注)を指すに、是長者の子にして亦二無く別無し。
 此の如きの言は是秘是妙なり、経の唯我知是相・十方仏亦然・止止不須説・我法妙難思の如し、故に秘を以て方を釈し、妙を以て便を釈す。
 正しく是れ今の品の意なり、故に方便品と言うなり。
記の三に云く、第三に秘妙に約して釈するとは、妙を以ての故に即なり、円を以て即と為し、三を不即と為す故に更に不即に対して以て即を釈す。

 御義口伝に云く、此の釈の中に一珠とは衣裏珠・即頂上珠なり。客作の人と長者の子と全く不同之無し。所詮謗法不信の人は、体外の権にして法用能通の二種の方便なり、爰を以て無二無別に非るなり。

 今、日蓮等の類、南無妙法蓮華経と唱え奉るは、是秘妙方便にして体内なり、故に妙法蓮華経と題して次に方便品と云えり。
 妙楽の記の三の釈に、本疏の即是真秘の即を、以円為即と消釈せり。即は円なれば法華経の別名なり、即とは凡夫即極、諸法実相の仏なり。
 
円とは一念三千なり、即と円と言は替れども妙の別名なり。一切衆生実相の仏なれば、妙なり不思議なり。謗法の人、今、之を知らざる故に之を秘と云う。
又云く法界三千を秘妙とは云うなり、秘とはきびしきなり三千羅列なり。是より外に不思議之無し。大謗法の人たりと云うとも、妙法蓮華経を受持し奉る所を妙法蓮経方便品とは云うなり。 

 今、末法に入つて正しく日蓮等の類の事なり。妙法蓮華経の体内に爾前の人法を入るを妙法蓮華経方便品とは云うなり、是を即身成仏とも如是本末究竟等とも説く。
方便とは十界の事なり、又は無明なり。
妙法蓮華経は十界の頂上なり、又は法性なり、煩悩即菩提生死即涅槃是なり。
以円為即とは一念三千なり、妙と即とは同じ物なり、一字の一念三千と云う事は円と妙とを云うなり、円とは諸法実相なり。円とは釈に云く、円を円融円満に名くと、円融は迹門、円満は本門なり、又は止観の二法なり、又は我等が色心の二法なり。
 一字の一念三千とは慧心流の秘蔵なり、口は一念なり員は三千なり、一念三千とは不思議と云う事なり。此の妙は前三教に未だ之を説かず故に秘と云うなり。
故に知ぬ南無妙法蓮華経は一心の方便なり、妙法蓮華経は九識(注)なり、十界は八識已下なり、心を留めて之を案ず可し。
 方とは即十方十方は即十界なり便とは不思議と云う事なり云云。


方便品
方便品第二 ここから釈尊が智慧第一の舎利弗を対告衆として妙法蓮華経の説法を始める。
日蓮大聖人は「月水御書」で次のように「勝れてめでたきは方便品と如来寿量品の二品」であると断じておられる。
「殊に二十八品の中に勝れてめでたきは、方便品と寿量品にて侍り、余品は皆枝葉にて候なり、されば常の御所作には方便品の長行と寿量品の長行とを習い読ませ給い候へ」と。
方便品では仏が世に出現した目的「一大事因縁」を説き、すべての衆生に仏性(仏の命)があり、仏はその仏性を開き、示し、悟らせ、仏の道に入らせる「開・示・悟・入」の為に出現したと、霊鷲山の法華経の座に連なった、舎利弗以下の千二百人の直弟子に示した。そして次の譬喩品第三で、法華経を説く以前には声聞・縁覚の二乗は作仏しないと厳しく責めていた声聞第一の舎利弗に対し、法華経で修行することで未来世で「華光如来」となるとする記別をあたえる。

内衣裏の無価の珠、王の頂上の唯一珠、客作の人 法華経に説かれる7つのたとえ話(法華七喩)の中の三つの例え話を示しております。
詳細はウィキペディアを参照して下さい。
ウィキペディアでは「内衣裏の無価の珠」は5.衣裏繋珠、「王の頂上の唯一珠」は 6.髻中明珠 、「客作の人」は2.長者窮子として説明されております。

九識
人間の心の認識のあり方を浅い段階から究極の深層の九識まで分類した論。
眼・耳・鼻・舌・身・意までの五識、六識の末那(まな)識、七識の阿頼耶(あらや)識、八識の阿摩羅(あまら)識、九識(九識心王真如の都=仏性)。

日蓮大聖人は「御講聞書」で九識について次のように解き明かしておられます。
「蓮華 とは本因本果なり、此の本因本果と云うは一念三千なり、本有の因・本有の果なり、今始めたる因果に非ざるなり、五百塵点の法門とは此の事を説かれたり、本因の因と云うは下種の題目なり、本果の果とは成仏なり、因と云うは信心領納の事なり、此の経を持ち奉る時を本因とす其の本因のまま成仏なりと云うを本果とは云うなり、日蓮が弟子檀那の肝要は本果より本因を宗とするなり、本因なくしては本果有る可からず、仍て本因とは慧の因にして名字即の位なり、本果は果にして究竟即の位なり、究竟即とは九識本覚の異名なり、九識本法の都とは法華の行者の住所なり、神力品に云く若しは山谷曠野等と説けり即ち是れ道場と見えたり豈法華の行者の住所は生処・得道・転法輪・入涅槃の諸仏の四処の道場に非ずや」



【御義口伝 上】要点解説(9)に続く



by johsei1129 | 2017-10-04 23:01 | 御義口伝 | Comments(0)
2017年 10月 01日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(7)

【序品七箇の大事】

第七 天鼓自然鳴の事  疏に云く、鼓自然鳴は無問自説を表するなり。

 御義口伝に云く、此の文は此土・他土の瑞、同じきことを頌して長出せり。無問自説とは釈迦如来、妙法蓮華経を無問自説し給うなり。

今、日蓮等の類いは無問自説なり。念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊と喚ぶ事は無問自説なり。三類の強敵(注)来る事は、此の故なり。 
 天鼓(注)とは南無妙法蓮華経なり、自然(じねん)とは無障碍なり、鳴とは唱うる所の音声なり。
一義に、一切衆生の語言音声を自在に出すは無問自説なり。
 自説とは獄卒の罪人を呵責する音、餓鬼飢饉の音声等、一切衆生の貪瞋癡の三毒の念念等を、自説とは云うなり。
 此の音声の体とは南無妙法蓮華経なり。本迹両門(注)妙法蓮華経の五字は天鼓なり、天とは第一義天なり、自説とは自受用(注)の説法なり。

 記(注)の三に云く、無問自説を表するとは、方便の初に三昧より起つて、舎利弗に告げ広く歎じ略して歎ず。此土・他土(注)に寄せ、言を絶す。若(もしく)は境、若は智、此乃(すなわ)ち一経の根本、五時(注)の要津(注)なり。
此の事軽からずと、此釈に一経の根源五字の要津とは、南無妙法蓮華経是なり云云。



天鼓自然鳴
仏(釈尊)が法華経を説こうとすると、天鼓が自然に鳴りだすという「瑞相」が起きた事を示す次の偈に有る文
[原文]
時仏説大乗 経名無量義 於諸大衆中 而為広分別
仏説此経已 即於法座上 跏趺坐三昧 名無量義処
天雨曼陀華 天鼓自然鳴 諸天龍鬼神 供養人中尊
一切諸仏土 即時大震動 仏放眉間光 現諸希有事
此光照東方 万八千仏土 示一切衆生 生死業報処
[和訳]
時に仏、大乗の無量義と名づく経を説き、諸の大衆の中に於いて、広く分別を為せり。
仏、此の経(無量義)を已(すで)に説きて、即(ただち)に法座の上に跏趺して、無量義処と名づく三昧に坐せり。
(その時)天は曼陀華を雨らし、天鼓は自然に鳴り、諸の天龍・鬼神は、人中の尊(釈尊)を供養せり。
一切の諸の仏(国)土は、即時に大いに震動し、仏は眉間より光を放ち、諸の希なる事(象)を現せり。
此の(眉間の)光は、東方の一万八千の仏(国)土を照らし、一切の衆生に、生死の業報処(※)を示せり。
※業報処 過去世の善行悪行による業因により、次の世にその報いをうける処(衆生の境遇)

本迹両門 
天台は、妙法蓮華経二十八品の内、序品から従地涌出品までの十五品を迹門、如来寿量品以降を本門と分別したが、日蓮大聖人は其の上で、従地涌出品第15の後半半品と如来寿量品第16の一品、分別功徳品第17の前半半品の「一品二半」以外は、法華経と言えど小乗経であると断じた。

三類の強敵
妙法蓮華経 勧持第十三で説かれる、末法の法華経の行者に迫害を加える次の「三種類の増上慢」を指す。
1.俗衆増上慢(一般の無知な在家の男女)
2.道門増上慢(出家した僧侶)
日蓮大聖人は「悪世の中の僧侶は、智慧は邪悪で、心も曲っている。解りもしないのに解ったと思い込んでいる」と断じておられる。
3.僭聖増上慢(権力者と結託した悪の僧侶) 鎌倉幕府の要人に働きかけ、日蓮大聖人を竜の口の法難に導いた極楽寺良観が代表的な僭聖増上慢と言える。
日蓮大聖人は「如説修行抄」その他の御書で再三、門下の弟子信徒に対し、末法の法華経の行者に三類の強敵が降りかかるのは必定であると厳しく諭された。

自受用
自受用報身如来、つまり久遠元初に成道した日蓮大聖人の事を示す。

此土・他土
此土は娑婆世界つまり地球、他土は他の仏国土。
釈尊はおおよそ紀元前5~7百年前、妙法蓮華経で、三千大千世界(宇宙)には仏国土が無数に存在していて、遥か久遠に仏になり、それらの仏国土で衆生を化道して来たと、過去世の記憶を呼び覚まして、霊鷲山での法華経説法の座に集った千二百人の直弟子に解き明かした。


五時
五時八教とも言う。
釈尊の一切経の次第と優劣を五つの時と八つの経で分別した。
日蓮大聖人はこの次第を、下記のように自ら図で示して弟子信徒の教化に努めた。

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[一代五時図真筆(千葉県弘法寺所蔵)]

要津 水陸交通の要路にある港、転じて要職,重要な地位.
記 天台宗の第6祖妙楽大師(711 - 782年)の著作、法華文句記のこと。妙楽は天台の法華経の解釈三部作である法華文句、法華玄義、摩訶止観のそれぞれの解釈本である『法華文句記』『法華玄義釈籤』『止観輔行伝弘決』各10巻を述作し、天台宗の中興の祖と呼ばれた。


【御義口伝 上】要点解説(8)に続く



by johsei1129 | 2017-10-01 21:21 | 御義口伝 | Comments(0)
2017年 09月 29日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を直弟子、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(6)

【序品七箇の大事】

第六 導師何故の事  疏(注)に云く、良に以みれば説法入定して能く人を導く、既に導師と称す。

 御義口伝に云く、此の導師は釈尊の御事なり。説法とは無量義経、入定とは無量義処三昧に入りたもう事なり。
所詮導師に於て二あり、悪の導師、善の導師之れ有るなり。
悪の導師とは法然・弘法・慈覚・智証(注)等なり、善の導師とは天台・伝教等是なり。

末法に入つては今、日蓮等の類いは善の導師なり。説法とは南無妙法蓮華経、入定とは法華受持の決定心に入る事なり。
導於人(注)の、の字に心を留めて之を案ず可し、涌出品(従地涌出品第十五)の唱導之師(注)と同じ事なり。
所詮、日本国の一切衆生を導かんが為に説法する人是なり云云。



疏(しょ)
経典を解説した書のこと。法華経の疏では聖徳太子の法華義疏(東大寺に真筆所蔵)が有名。
ここでは天台の法華文句を指している。大聖人は御義口伝では天台の法華義疏三大部の法華文句、法華玄義、摩訶止観を多く引用していて、その場合「文句に云く」のように引用先の疏を特定しているが、「疏に云く」と説かれているのは極めて珍しい。


法然・弘法・慈覚・智証
法華経を誹謗した代表的僧侶
法然 浄土宗の開祖 法華経を「千中無一(難信難解で千人に一人も成仏しない)」と誹謗した。法然も当時の英才が集った比叡山で授戒得道していて、当然法華経は読誦している。しかし法然自身が法華経の真意を理解できなかったが故に、安直にこの世に実在しない謂わばバーチャルな仏「阿弥陀如来」にすがるという他力本願の教えを広め、多数の自殺者を生み出した。このため鎌倉幕府は度々念仏を禁教とした。さらに法然の唯一の著作「選択本願念仏集」の印版を全国から集め比叡山で焼却処分し、法然墓所を掘り出し鴨河に流したほどだった。この事について日蓮大聖人は「念仏無間地獄抄」で詳細に記されておられます。
戦争も、内戦も、テロも、極端な貧困もない現代の日本に自殺者が多いのは、法然の弟子親鸞の教えを継いだ浄土真宗の影響と思われる。
弘法(空海)(774年-835年)日本の真言宗開祖 最澄(伝教大師)と同時代の僧。中国より真言密教をもたらした。
    真言密教の経典『大日経(大毘盧遮那経)』は、インドから中国に来た訳僧・善無畏により724年に漢訳されたが、法華経と異なり サンスクリットの原典は全く存在していない。
法華経の原典は紀元前一世紀にはインド成立し、漢訳は、部分訳・異本を含めて16種が現在まで伝わっていて完全訳は下記の三訳が存在する。

『正法華経』10巻26品(竺法護訳、286年)
『妙法蓮華経』8巻28品(鳩摩羅什訳、400年)最も普及しており法華経と言えば事実上「妙法蓮華経」を示す。
『添品妙法蓮華経)』7巻27品(闍那崛多・達磨笈多共訳、601年)※妙法蓮華経の補足版
大日経は成立年代の点、サンスクリットの断片も含め原典が全く存在したい点から、善無畏が法華経その他の大乗経典の法門の優れた箇所を寄せ集めて作った偽経典と強く推察される。
慈覚 (794-864年)第三代天台座主 延暦寺に法華経の他に真言宗を持ち込んだ。
智証  (814-891年))弘法の甥、初代天台座主義真(最澄の後継者)に師事し第五代天台座主となる。その後比叡山を山門派が占拠したため、園城寺(三井寺)を寺門派の拠点とし天台寺門宗の宗祖となる。


日蓮大聖人は「四箇格言」で当時広まっていた真言・禅宗・念仏・律を「真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊」と厳しく破折した。
立宗宣言後、幕府北条時頼に献上した「立正安国論」では特に念仏を強く破折し、佐渡流罪以降は真言を亡国の教えとして厳しく破折した。
参照 立正安国論慈覚大師事真言見聞

涌出品の唱導之師

従地涌出品の次の偈に有る文
[原文] 
是菩薩衆中 有四導師 一名上行 二名無辺行 三名浄行 四名安立行。
是四菩薩 於其衆中 最為上首 唱導之師

[和訳]
是の菩薩の中に、四人の導師あり。一は上行と名付け、二は無辺行と名付け、三は浄行と名付け、四は安立行と名付けり。
是の四菩薩は、其の(地涌の菩薩)衆の中にありて、最も上首の唱導の師為り。



【御義口伝 上】要点解説(7)に続く












by johsei1129 | 2017-09-29 16:15 | 御義口伝 | Comments(0)
2017年 09月 10日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を直弟子、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(5)

【序品七箇の大事】

第五 下至阿鼻地獄の事

 御義口伝に云く、十界皆成の文なり。提婆が成仏此の文にて分明なり、宝塔品の次に提婆が成仏を説く事は二箇の諌暁の分なり。
提婆は此の文の時成仏せり、此の至の字は白毫の行く事なり、白毫の光明は南無妙法蓮華経なり。
上至阿迦尼だ天は空諦、下至阿鼻地獄は仮諦、白毫の光は中道なり(注)。之に依つて十界同時の成仏なり。

 天王仏とは宝号を送るまでなり、去て依正二報の成仏の時は、此の品の下至阿鼻地獄の文は依報の成仏を説き、提婆達多の天王如来は正報の成仏を説く、依報正報(注)共に妙法の成仏なり。

今、日蓮等の類い聖霊を訪う時、法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時、題目の光、無間に至りて即身成仏せしむ。
廻向の文此れより事起るなり、法華不信の人は堕在無間なれども、題目の光を以て孝子法華の行者として訪わんに、豈此の義に替わる可しや。されば下至阿鼻地獄の文は、仏、光を放ちて提婆を成仏せしめんが為なりと日蓮推知し奉るなり。


空諦仮諦、中道  
空仮中の三諦の事。
法華経方便品第二に次の偈がある。
[原文]
仏所成就 第一希有 
難解之法 唯仏与仏 乃能究尽 諸法実相
[和訳]
仏が成就せし所の、第一の希有なる難解の法は、唯、仏と仏のみが諸法の実相を、能く究め尽くせばなり。

つまり仏法では、森羅万象はすべからく諸々の法で貫かれており、その法を究め悟られたのが仏であるとする。
諸法を悟れば仏になれるので、仏は、三千大千世界(宇宙)に無数に存在し、仏が衆生を導く仏国土も無数に存在するとする。
その諸法を捉えた概念が「一念三千」であり、本抄の「空仮中の三諦」となる。

一例として「水」で空仮中の三諦を説明すると、水は置かれている環境(縁※主に温度)により、液体の水、固体の氷、気体の水蒸気と変化する。この状態は仮に和合した姿、つまり仮諦である。固体でも雪、あられ、ひょうと変化する。これも諦である事を示している。
其の水は見た目の姿が変われど、分子式"H2O"で表される水の本質は共通であり、100度で気体、0度で凍るという性質を持つ。しかしこの性質を人の目では見ることはできないが、我々は現象として認識できる。此の水の本質を空諦としてみる。
そしてH20としての性質を持ち、温度の変化により刻々と姿を変える水の当体そのものを中道としてみる。

依報正報  
依報とは生き物、例えば人間が生きるための拠り所となる自然環境・国土さらには自分(正報)を取り巻く衆生、民族なども含む。
正報は総じては主体となる生き物、別しては人間。
仏法では「依正不二」と捉え、相互に影響し合い且つ、双方が不可分な存在と見る。
つまり日蓮大聖人が「立正安国論」で論じたように、国主が邪法を信奉することにより、其の国に三災七難が生じる。また人間は自身を取り巻く環境から影響を受け、自分の内在する十界の命を引き出されることになる。日蓮大聖人が図現されたご本尊に南無妙法蓮華経と唱える時、御本尊は依報となり、唱える自身は正報となり。そして仏の命が図現されたご本尊に境智冥合することで、己心の仏界を引き出すことになる。また唱える題目は、三千大千世界に偏波して、依報を突き動かすことができる。 


【御義口伝 上】要点解説(6)に続く 




by johsei1129 | 2017-09-10 00:22 | 御義口伝 | Comments(0)
2017年 08月 21日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を直弟子、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(4)

第四仏所護念の事  文句の三に云く、仏所護念とは、無量義処は、是れ仏の証得し給う所、是の故に如来の護念し給う所なり。
下の文に仏自住大乗と云えり、開示せんと欲すと雖も衆生の根、鈍なれば、久しく斯の要を黙して、務て速かに説き給わず、故に護念と云う。

記の三に云く、昔未だ説かず故に之を名けて護と為す、法に約し機に約して皆護念する故に、乃至機仍お未だ発せず隠して説かず故に護念と言う、乃至未説を以ての故に護し未暢を以ての故に念ず。久黙と言うは昔より今に至るなり。斯要等の意之を思うて知る可し。

 御義口伝に云く、此の護念の体に於ては本迹二門首題の五字(=妙法蓮華経)なり。
 此の護念に於て七種の護念之れ有り、一には時に約し、二にはい機に約し、三には人に約し、四には本迹に約し、五には色心に約し、六には法体に約し、七には信心に約するなり云云。

今、日蓮等の類いは護念の体(=妙法蓮華経)を弘むるなり。
一に時に約するとは、仏・法華経を四十余年の間未だ時至らざるが故に護念し給うなり。
二に機に約するとは、破法不信故墜於三悪道の故に前四十余年の間に未だ之を説かざるなり。
三に人に約するとは舎利弗に対して説かんが為なり。
四に本迹に約するとは、護を以て本と為し念を以て迹と為す。
五に色心に約するとは、護を以て色と為し、念を以て心と為す。
六に法体に約するとは、法体とは本有常住なり、一切衆生の慈悲心是なり(注)。
七に信心に約するとは、信心を以て護念の本と為すなり。

所詮日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは、併ら護念の体を開くなり。護とは仏見なり、念とは仏知なり、此の知見の二字本迹両門なり。
仏知を妙と云うなり、仏見を法と云うなり。此の知見の体を修行するを蓮華と云うなり、因果の体なり、因果の言語は経なり、加之法華経の行者をば三世の諸仏護念し給うなり。
 普賢品に云く、一者為諸仏護念と護念とは妙法蓮華経なり、諸仏の法華経の行者を護念したもうは、妙法蓮華経を護念したもうなり機、法一同護念一体なり。
 記の三の釈に約法約機・皆護念故と云うは此の意なり。又文句の三に云く「仏所護念とは前の地動瑞を決定するなり、地動は六番破惑を表するなり。
 妙法蓮華経を受持する者は六番破惑疑い無きなり。
 
 神力品(注)に云く「於我滅度後・応受持斯経・是人於仏道・決定無有疑」 仏自住大乗とは是なり。
又た一義に仏の衆生を護念したもう事は、護とは唯我一人能為救護、念とは毎自作是念是なり。普賢品に至つて一者為諸仏護念と説くなり。
日蓮は生年卅二より南無妙法蓮華経を護念するなり(注)

注 
日蓮は生年卅二より南無妙法蓮華経を護念するなり
日蓮大聖人三十二歳の時、建長五年(西暦1253年)四月二十八日、故郷・安房国清澄寺の持仏堂にて「南無妙法蓮華経」と唱え「立宗宣言」したことを意味しております。
尚、清澄寺の信徒等大衆に向けた四月二十八日の「立宗宣言」に先立ち、三月二十八日に、清澄寺修行時代の師匠道善房、兄弟子等に「立宗」の内示をしておられることが下記のご文より知ることができます。

御義口伝上 方便品八箇の大事 第六如我等無異如我昔所願の事
(前略)今、日蓮が唱うる所の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり。豈今者已満足に非ずや、已とは建長五年三月廿八日に初めて唱え出す処の題目を指して已と意得可きなり、妙法の大良薬を以て一切衆生の無明の大病を治せん事疑い無きなり。此れを思い遣る時んば満足なり満足とは成仏と云う事なり(後略)

神力品
妙法蓮華経 如来神力品第二十一で釈尊は滅後の法華経の弘通を、上行菩薩を上首とする「地涌の菩薩」に属類(付属)した。

[原文]
爾時仏告 上行等菩薩大衆 諸仏神力 如是無量無辺
不可思議 若我以是神力 於無量無辺 百千万億 阿僧祇劫
為属累故 説此経功徳 猶不能尽 以要言之 如来一切所有之法
如来一切自在神力 如来一切秘要之蔵 如来一切甚深之事 皆於此経 宣示顕説
是故汝等 於如来滅後 応当一心 受持読誦 解説 書写 如説修行
所在国土 若有受持読誦 解説書写 如説修行 若経巻所住之処
若於園中 若於林中 若於樹下 若於僧坊 若白衣舎 若在殿堂 若山谷曠野
是中皆応 起塔供養 所以者何 当知是処 即是道場 諸仏於此
得阿耨多羅三藐三菩提 諸仏於此 転於法輪 諸仏於此 而般涅槃


【御義口伝 上】要点解説(5) に続く



by johsei1129 | 2017-08-21 19:21 | 御義口伝 | Comments(0)
2017年 07月 19日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を直弟子、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(3)

第二 阿若・憍陳如の事  


疏の一に云く、憍陳如(注)は姓なり、此には火器と翻ず。婆羅門種なり。其の先、火に事こう此れに従て族に命く。


火に二義有り、照なり焼なり。照は則ち闇生ぜず、焼は則ち物生ぜず、此には不生を以て姓と為す。
 
 御義口伝に云く火とは法性の智火なり。

火の二義とは、一の照は随縁真如の智なり。一の焼は不変真如の理なり。照焼の二字は本迹二門なり。


 さて火の能作としては照焼の二徳を具うる南無妙法蓮華経なり。

今日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは生死の闇を照し、晴して涅槃の智火明了なり。

 生死即涅槃と開覚するを照則闇不生と云うなり。

煩悩の薪を焼いて、菩提(悟り)の慧火現前するなり。

煩悩即菩提と開覚するを焼則物不生とは云うなり。


爰を以て之を案ずるに、陳如は我等法華経の行者の煩悩即菩提、生死即涅槃を顕したり云云。


注 阿若・憍陳如(あにゃ・きょうちんにょ)

  釈迦が成道して最初に教えを説いた五人の比丘の一人で、その中の代表格。インド・カースト制度の頂点であるバラモン教(現在ヒンドゥー教)の司祭階級出身。


釈迦がバラモンで難行苦行をしていた時、共に修行していた仲間だったが、釈迦がバラモンでは悟りが得られないとして苦行を止め、菩提樹の下で瞑想を始めた。その時、苦行で体力が限界まで落ちていた釈迦を見かねて、村長の娘・スジャータが差し出した乳がゆを食す。これを見た憍陳如たちは、釈迦が修行をやめたと思い込み、釈迦と袂を分かつ。

その後釈迦は五年間瞑想を続け成道し仏陀になると、五人を訪ね最初に法を説いた。これを初転法輪という。

尚、阿若憍・陳如は、妙法蓮華経 五百弟子受記品第八で、釈尊より未来世で普明如来となるとする記別を 受ける。


【御義口伝 上】要点解説(4)に続く




by johsei1129 | 2017-07-19 18:33 | 御義口伝 | Comments(0)
2017年 07月 19日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を直弟子、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(2)

 御義口伝巻上 日蓮所立自序品至涌出品

【序品七箇の大事】

 第一如是我聞の事  文句(注)の一に云く、如是とは所聞の法体を挙ぐ、我聞とは能持の人なり。記の一に云く故に始と末と一経を所聞の体と為す。

 御義口伝に云く、所聞の聞は名字即なり、法体とは南無妙法蓮華経なり、能持とは能の字之を思う可し。
次に記の一の故始末一経の釈は、始とは序品なり末とは普賢品なり。法体とは心と云う事なり、法とは諸法なり、諸法の心と云う事なり。諸法の心とは妙法蓮華経なり。
伝教云く、法華経を讃むると雖も還つて法華の心を死すと。死の字に心を留めて之を案ず可し、不信の人は如是我聞の聞には非ず、法華経の行者は如是の体を聞く人と云う可きなり。 
 爰を以て文句の一に云く「如是とは信順の辞なり、信は則ち所聞の理会し、順は則ち師資の道成ず」と。
所詮、日蓮等の類いを以て、如是我聞の者と云う可きなり云云。

[要点解説]
如是我聞とは「是の如き、我聞けり」で「この様に私は仏(釈迦)の説法を聞きました」の意となる。我とは、釈尊十大弟子の一人で多聞第一と称えられていた阿難(アーナンダ)である。阿難は釈迦の従兄弟で、27歳から釈迦の従者、いまでいう秘書官の役目を担っていて、それ以来、釈迦の説法をそばで全て聞いていたことから、釈迦滅後五百人以上もの高弟(羅漢)による仏典結集では、経の結集で中心者となって口述したという。
尚、釈迦の仏典は全て「如是我聞」で始まり、此の仏典の様式は、仏教史上中興の祖と言われ、仏典の解釈書「大智度論」を述作した「龍樹」が定めたという。

日蓮大聖人はこの仏典結集(ぶってんけつじゅう)について「法華経題目抄」で次のように記されておられる。
「仏世に出でさせ給いて五十余年の間八万聖教を説きをかせ給いき、仏は人寿・百歳の時・壬申の歳・二月十五日の夜半に御入滅あり、其の後四月八日より七月十五日に至るまで一夏九旬の間・一千人の阿羅漢・結集堂にあつまりて一切経をかきをかせ給いき」

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[仏典結集が行われたとされる7つの洞窟※仏典結集を外護した阿闍世王が、此の洞窟の前に伽藍を建立したとも言われている]

【御義口伝 上】要点解説(3)に続く





by johsei1129 | 2017-07-19 18:03 | 御義口伝 | Comments(0)
2017年 05月 10日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を直弟子、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(1)

日蓮所言、法華経一部合して二百二十九箇条

南無妙法蓮華経
御義口伝に云く、南無とは梵語なり此には帰命と云う。人法之れ有り、人とは釈尊に帰命し奉るなり、法とは法華経に帰命し奉るなり。

帰と云うは迹門不変真如の理に帰するなり、命とは本門随縁真如の智に命くなり。

 帰命とは南無妙法蓮華経是なり、釈に云く随縁不変・一念寂照と、又帰とは我等が色法なり、命とは我等が心法なり色心不二なるを一極と云うなり。


 釈に云く、一極に帰せしむ故に仏乗と云うと、又云く南無妙法蓮華経の南無とは梵語、妙法蓮華経は漢語なり。
梵漢共時に南無妙法蓮華経と云うなり。

又云く梵語には薩達磨(サ・ダルマ)・芬陀梨伽(フンダリリカ)・蘇多覧(ソタラン)と云う。


此(日本)には妙法蓮華経と云うなり。薩は妙なり、達磨は法なり、芬陀梨伽は蓮華なり、蘇多覧は経なり。

九字は九尊の仏体なり、九界即仏界の表示なり。

妙とは法性(悟り)なり、法とは無明(迷い)なり。無明法性一体なるを妙法と云うなり。

蓮華とは因果の二法なり、是又因果一体なり。経とは一切衆生の言語音声を経と云うなり。


釈に云く、声仏事を為す。之を名けて経と為すと。或は三世(過去世、現世、未来世)常恒なるを経と云うなり。

法界は妙法なり、法界は蓮華なり、法界は経なり。

蓮華とは八葉九尊の仏体なり。能く能く之を思うべし。

伝に云く、
伝云序品七箇の大事 方便品八箇の大事 譬喩品九箇の大事
信解品六箇の大事 薬草喩品五箇の大事 授記品四箇の大事
化城喩品七箇の大事 五百品三箇の大事 人記品二箇の大事
法師品十六箇の大事 宝塔品二十箇の大事 提婆品八箇の大事
 勧持品十三箇の大事 安楽行品五箇の大事 涌出品一箇の大事
寿量品二十七箇の大事 分別功徳品三箇の大事 随喜品二箇の大事
法師功徳品四箇の大事 不軽品三十箇の大事 神力品八箇の大事
嘱累品三箇の大事 薬王品六箇の大事 妙音品三箇の大事
普門品五箇の大事 陀羅尼品六箇の大事 厳王品三箇の大事
普賢品六箇の大事 無量義経六箇の大事 普賢経五箇の大事
已上二百三十一箇条也 此の外に別伝之有り具さに之を記し訖ぬ。
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要点解説

御義口伝は、日蓮大聖人が晩年、六人の高弟に末法の本仏の立場で妙法蓮華経を講義し、それを唯受一人の後継者・日興上人が筆録し、日蓮大聖人の裁可を受けて記述された口伝書です。

この御義口伝講義の基となったのが、常日頃、日蓮大聖人が「妙法蓮華経」の巻物八巻と法華経開教の「無量義経一巻」、結経の「仏説観普賢菩薩行法経一巻」合わせて十巻の行間・紙背に、天台の三部作(法華文句、法華玄義、摩訶止観)、その他釈尊の一切経、龍樹・天親等の論を書き込みされた【法華経】です。

この
法華経に日蓮大聖人は、累計2107章もの書き込みをしており、その内3章は、唯受一人の第二祖・日興上人が書き込みされておられます。
日蓮大聖人の最も古い書き込みは、清澄寺での立宗宣言の前年、建長四年(1252)に行われており、延暦寺等での修行時代から使用されていた経巻であると推察されます。

尚、
注法華経には日蓮大聖人の解釈は記述されていなく、御義口伝で、大聖人の義が「御義」として口伝されたことに為ります。
また御義口伝の最後には本抄の意義について次のように口伝されておられます。
六老僧の所望に依って老期たりと雖も、日蓮が本意の一端護義せしめ畢んぬ。是併ら私に最要文を集めて読誦せしむる所なり。然る間法華諸要の文書き付け畢んぬ。この意は或は文を陰して義を取り、或は義を隠して文を取り、或は文義共に顕し、或は文義共に隠し講談するなり。
 委は、註法華経(御義口伝)を拝見すべし。然りと謂も文義甚深の間、愚昧に及ぶべからざるなり。広宣流布の要法、豈此の註法華経に過ぎんや」

この大聖人の口伝を拝すると、「註法華経」が広宣流布の要法とするならば、「末法の本仏大聖人の御義」が説かれておられる「御義口伝」こそ、広宣流布の要法中の要法であると強く推知されます。

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[法華経御真筆:静岡県玉沢妙法華寺完存(国重要文化財)]

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[註法華経御真筆(勧持品の行間への書き込み)]


【御義口伝 上】要点解説(2)に続く






by johsei1129 | 2017-05-10 22:34 | 御義口伝 | Comments(0)
2014年 08月 11日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】二十三

【二十八品は悉く南無妙法蓮華経の事】

一 嘱累品

 御義口伝に云く、此の品には三摩の付属を説いて此の妙法を滅後に留め給うなり。是れ又妙法の付属なれば、十界三千皆付属の菩薩なり。又三摩する事は能化所具の三観三身の御手を以て所化の頂上に明珠を灌(そそ)ぐと云う心なり。凡そ頂上の明珠は覚悟知見なり。頂上の明珠とは南無妙法蓮華経なり云云。

一 薬王品

 御義口伝に云く、此の品は薬王菩薩の仏滅後に於ける法華経弘通なり。所詮焼身焼臂とは焼は照の義なり、照は智慧の義なり。智能く煩悩の身生死の臂を焼くなり。凡そ天台大師も本地は薬王菩薩なり。能説については釈迦なり。衆生の重病を消除する方は薬王薬師如来なり。又利物の方にて薬王と云い、自悟の方にては薬師と云う。薬王薬師出世の時は天台大師なり。薬王も滅後に弘通し、薬師如来も像法転時の利益有情なり。時を以て身体を顕し、名を以て義を顕はしたまう事仏の習いなり。薬王菩薩は止観の一念三千の法門を弘め給う。其の一念三千とは所謂 南無妙法蓮華経なり云云。

一 妙音品

 御義口伝に云く、此の菩薩は法華弘通の菩薩なり。故に三十四身を現じて十界互具の徳を顕して利益説法するなり。是れ又妙法の妙音なれば十界の音声は皆妙音なり。又十界悉く三十四身の所現の妙音なり。又蓮華の妙音なれば十界三千の音声皆無染清浄なり。されば慈覚大師をば妙音の出世と習うなり。之に依つて唐決の時、引声の妙音を伝え給えり。何の故有ってか法華を誹謗して大日経等に劣りたりと云うや。所謂法界の音声・南無妙法蓮華経の音声に非ずと云う事なし云云。

一 観音品

 御義口伝に云く、此の品は甚深の秘品なり。息災延命の品なり。当途王経と名くるなり。されば此の品に就て職位法門を継ぐと習うなり。天台も三大部の外に観音玄と云う疏を作り、章安大師は両巻の疏を作り給えり。能く能くの秘品なり。観音・法華・眼目異名と云いて、観音即ち法華の体なり。所謂南無妙法蓮華経の体なり。

一 陀羅尼品
 
 御義口伝に云く、此の品は二聖・二天王・十羅刹女、陀羅尼を説いて持経者を擁護し給うなり。所詮妙法陀羅尼の真言なれば十界の語言・音声皆陀羅尼なり。されば伝教大師「「妙法の真言は他経に説かず、普賢の常護は他経に説かず」と。陀羅尼とは南無妙法蓮華経の用なり。此の五字の中には妙の一字より陀羅尼を説き出だしたり。

 一 厳王品
 
 御義口伝に云く、此の品は二子の教化に依つて父の妙荘厳王邪見をあらためて正見に住したり。沙羅樹王仏と成るなり。沙羅樹王とは梵語なり。此には熾盛光と翻ず。一切衆生は是皆、熾盛光より出生したる一切衆生なり。此の故に十界衆生の父なり。熾盛光とは、或は大黒天神とも、或は土宮神とも云うなり。然れども父母交会の一念なり。法華の意は自受用智なり。忽然火起 焚焼舎宅とは是なり。煩悩の一念の火起りて迷悟不二の舎宅を焼くなり。邪見とは是なり。此の邪見を邪見即正と照したるは南無妙法蓮華経の智慧なり。所謂六凡は父なり。四聖は子なり。四聖は正見、六凡は邪見な。故に六道の衆生は皆是れ我が父母とは是なり云云。

 一 勧発品

 御義口伝に云く、此の品は再演法華なり。本迹二門の極理此の品に至極するなり。慈覚大師云く、十界の衆生は発心修行と釈し給うは此の品の事なり。所詮此の品と序品とは生死の二法なり。序品の品は我等衆生の生なり、此の品は一切衆生の死なり。生死一念なるを妙法蓮華経と云うなり。序品の題号は生なり、終の第号は死なり。此の法華経は生死生死と転りたり。生の故に始に如是我聞と置く。如は生の義なり。死の故に終りに作礼而去と結したり。去は死の義なり。作礼の言は生死の間に成しと成す処の我等衆生の所作なり。此の所作とは妙法蓮華経なり。礼とは不乱の義なり。法界妙法なれば不乱なり。天台大師云く「体の字は礼に訓ず。礼は法なり。各其の親を親とし、各其の子を子とす。出世の法体も亦復是の如し」と。
 体とは妙法蓮華経の事なり。先づ体玄義を釈するなり。体とは十界の異体なり。是を法華経の体とせり。此等を作礼而去とは説かれたり。法界の千草万木地獄餓鬼等、何の界も諸法実相の作礼に非ずという事なし。是れ即ち普賢菩薩なり。普とは法界、賢とは作礼而去なり。此れ即ち妙法蓮華経なり。爰を以て品品の初めにも五字を以て記し、終りにも五字を以て結したり。前後・中間・南無妙法蓮華経の七字なり。末法弘通の要法は唯此の一段に爾ず。若し此等の心を失うて要法に結せずんば末法弘通の法には足らざる者なり。剰え日蓮が本意を失う可し。日蓮が弟子檀那別の広才無益なり。妙楽大師云く「子父の法を弘む世界の益有り」と。子とは地涌の菩薩なり父とは釈尊なり、世界とは日本国なり、益とは成仏なり、法とは南無妙法蓮華経なり。今又以て此くの如し。父とは日蓮なり、子とは日蓮が弟子檀那なり、世界とは日本国なり、益とは受持成仏なり、法とは上行所伝の題目なり。

六老僧の所望に依って老期たりと雖も、日蓮が本意の一端護義せしめ畢んぬ。是併ら私に最要文を集めて読誦せしむる所なり。然る間法華諸要の文書き付け畢んぬ。この意は或は文を陰して義を取り、或は義を隠して文を取り、或は文義共に顕し、或は文義共に隠し講談するなり。
 委は註法華経(御義口伝)を拝見すべし。然りと謂も文義甚深の間、愚昧に及ぶべからざるなり。広宣流布の要法、豈此の註法華経に過ぎんや。

就法華経口伝下((御義口伝 巻下)

弘安元年戊寅正月一日  日蓮 在御判
執筆 日興

by johsei1129 | 2014-08-11 22:08 | 御義口伝 | Comments(0)