日蓮大聖人『御書』解説

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カテゴリ:御書十大部(五大部除く)( 30 )


2017年 02月 23日

唱法華題目抄 要点解説その五

引き続き大聖人は「一文不通の我等が如くなる者は、いかにしてか法華経に信をとり候べき、又心ねをば何様に思い定め侍らん」と問いかけ、それに対し「此の身の申す事をも一定とおぼしめさるまじきにや、其の故はかやうに申すも天魔波旬・悪鬼等の身に入つて人の善き法門を破りや・すらんとおぼしめされ候はん。一切は賢きが智者にて侍るにや」と答えます。

さらに「若しかやうに疑い候はば、我身は愚者にて侍り、万の智者の御語をば疑いさて信ずる方も無くして、空く一期過し侍るべきにや」と論難を立て、「依法不依人及び依了義経、不依不了義経」の法門について解き明かし、「四十余年の諸経、並に涅槃経を打ち捨てさせ給いて、法華経を師匠と御憑み候へます」と断じます。

仏の遺言に依法不依人と説かせ給いて候へば、経の如くに説かざるをば何にいみじき人なりとも御信用あるべからず候か。
又依了義経、不依不了義経と説かれて候へば、愚癡の身にして一代聖教の前後浅深を弁えざらん程は、了義経に付かせ給い候へ。了義経不了義経も多く候、阿含小乗経は不了義経・華厳・方等・般若・浄土の観経等は了義経、又四十余年の諸経を法華経に対すれば不了義経、法華経は了義経、涅槃経を法華経に対すれば法華経は了義経、涅槃経は不了義経、大日経を法華経に対すれば大日経は不了義経、法華経は了義経なり。

故に四十余年の諸経並に涅槃経を打ち捨てさせ給いて、法華経を師匠と御憑み候へ。
法華経をば国王・父母・日月・大海・須弥山・天地の如くおぼしめせ。諸経をば関白・大臣・公卿・乃至万民・衆星・江河・諸山・草木等の如くおぼしめすべし。

我等が身は末代造悪の愚者・鈍者・非法器の者、国王は臣下よりも人をたすくる人、父母は他人よりも子をあはれむ者、日月は衆星より暗を照らす者、法華経は機に叶わずんば況や余経は助け難しとおぼしめせ。
又釈迦如来と阿弥陀如来・薬師如来・多宝仏・観音・勢至・普賢・文殊等の一切の諸仏・菩薩は我等が慈悲の父母此の仏菩薩の衆生を教化する、
慈悲の極理は唯法華経にのみとどまれりとおぼしめせ。
諸経は悪人・愚者・鈍者・女人・根欠等の者を救ふ秘術をば未だ説き顕わさずとおぼしめせ。

法華経の一切経に勝れ候故は但此の事に侍り。而るを当世の学者・法華経をば一切経に勝れたりと讃めて、而も末代の機に叶わずと申すを皆信ずる事、豈謗法の人に侍らずや。
只一口におぼしめし切らせ給い候へ。所詮法華経の文字を破りさきなんどせんには、法華経の心やぶるべからず。又世間の悪業に対して云いうとむるとも、人人用ゆべからず。只相似たる権経の義理を以て云いうとむるにこそ、人はたぼらかさるれとおぼしめすべし」と。


唱法華題目抄 要点解説その六に続く




by johsei1129 | 2017-02-23 20:39 | 御書十大部(五大部除く) | Comments(0)
2017年 02月 22日

唱法華題目抄 要点解説その四

三類の強敵「俗衆増上慢・道門増上慢・僭聖増上慢」を詳細に示した大聖人は、次にその中でも僭聖増上慢が最も末法の法華経の行者を苦しめる大敵であることを解き明かします。

「上の三人の中に第一の俗衆の毀よりも第二の邪智の比丘の毀は猶しのびがたし、又第二の比丘よりも第三の大衣の阿練若の僧は甚し。
此の三人は当世の権教を手本とする文字の法師、並に諸経論の言語道断の文を信ずる暗禅の法師、並に彼等を信ずる在俗等四十余年の諸経と法華経との権実の文義を弁へざる故に、華厳・方等・般若等の心仏衆生・即心是仏・即往十方西方等の文と、法華経の諸法実相・即往十方西方の文と語の同じきを以て義理のかはれるを知らず。或は諸経の言語道断・心行所滅の文を見て一代聖教には如来の実事をば宣べられざりけりなんどの邪念をおこす。
故に悪鬼・此の三人に入つて末代の諸人を損じ、国土をも破るなり。

故に経文に云く「濁劫悪世の中には多く諸の恐怖有らん悪鬼其の身に入つて我を罵詈し毀辱せん乃至仏の方便随宜所説の法を知らず」文。
文の心は、濁悪世の時、比丘、我が信ずる所の教は仏の方便随宜の法門ともしらずして権実を弁へたる人出来すれば、詈り破しなんどすべし。是偏に悪鬼の身に入りたるをしらずと云うなり。されば末代の愚人の恐るべき事は刀杖・虎狼・十悪・五逆等よりも三衣・一鉢を帯せる暗禅の比丘と、並に権経の比丘を貴しと見て実経の人をにくまん俗侶等なり」と。

 故に涅槃経二十二に云く「悪象等に於ては心に恐怖する事無かれ、悪知識に於ては怖畏の心を生ぜよ。
何を以ての故に是、悪象等は唯能く身を壊りて心を破ること能わず。悪知識は二倶に壊るが故に乃至悪象の為に殺されては三趣に至らず、悪友の為に殺されては必ず三趣に至らん」文 。
此文の心を章安大師宣べて云く「諸の悪象等は但是れ悪縁にして人に悪心を生ぜしむる事能わず、悪知識は甘談詐媚巧言令色もて人を牽いて悪を作さしむ。悪を作すを以ての故に人の善心を破る、之を名づけて殺と為す即ち地獄に堕す」文。
文の心は悪知識と申すは甘くかたらひ詐り媚び、言を巧にして愚癡の人の心を取つて善心を破るといふ事なり。
総じて涅槃経の心は十悪・五逆の者よりも謗法闡提のものをおそるべしと誡めたり。闡提の人と申すは法華経・涅槃経を云いうとむる者と見えたり。
当世の念仏者等・法華経を知り極めたる由をいふに因縁・譬喩をもて釈し、よくよく知る由を人にしられて然して後には、此の経のいみじき故に末代の機のおろかなる者及ばざる由をのべ、強き弓重き鎧かひなき人の用にたたざる由を申せば、無智の道俗さもと思いて実には叶うまじき権教に心を移して、僅かに法華経に結縁しぬるをも飜えし、又人の法華経を行ずるをも随喜せざる故に師弟倶に謗法の者となる」と。

 之れに依つて謗法の衆生国中に充満して適仏事をいとなみ、法華経を供養し追善を修するにも念仏等を行ずる謗法の邪師の僧来て、法華経は末代の機に叶い難き由を示す。
故に施主も其の説を実と信じてある間、訪るる過去の父母夫婦兄弟等は弥地獄の苦を増し、孝子は不孝謗法の者となり、聴聞の諸人は邪法を随喜し悪魔の眷属となる。
日本国中の諸人は仏法を行ずるに似て仏法を行ぜず、適・仏法を知る智者は国の人に捨てられ守護の善神は法味をなめざる故に威光を失ひ利生を止此の国をすて他方に去り給い、悪鬼は便りを得て国中に入り替り、大地を動かし悪風を興し一天を悩し、五穀を損ず故に飢渇出来し、人の五根には鬼神入つて精気を奪ふ。是を疫病と名く、一切の諸人善心無く多分は悪道に堕つることひとへに悪知識の教を信ずる故なり」と。

 仁王経に云く「諸の悪比丘多く名利を求め国王太子王子の前に於て自ら破仏法の因縁破国の因縁を説かん。其の王別えずして此の語を信聴し横に法制を作りて仏戒に依らず、是れを破仏破国の因縁と為す」文。
文の心は末法の諸の悪比丘国王大臣の御前にして国を安穏ならしむる様にして終に国を損じ、仏法を弘むる様にして還つて仏法を失うべし。国王大臣此の由を深く知し食さずして此の言を信受する故に、国を破り仏教を失うと云う文なり。此の時日月度を失ひ時節もたがひて夏はさむく冬はあたたかに秋は悪風吹き、赤き日月出で望朔にあらずして日月蝕し或は二つ三つ等の日出来せん。大火大風彗星等をこり飢饉疫病等あらんと見えたり。国を損じ人を悪道にをとす者は悪知識に過ぎたる事なきか」と。

唱法華題目抄 要点解説その五に続く




by johsei1129 | 2017-02-22 23:15 | 御書十大部(五大部除く) | Comments(0)
2017年 02月 17日

唱法華題目抄 要点解説その三

つぎに大聖人は「問うて云く何なるすがた並に語を以てか法華経を世間にいゐうとむる者には侍るや・よにおそろしくこそおぼえ候へ」と論難を立て、それに次のように答えます。
答えて云く、始めに智者の申され候と御物語候いつるこそ法華経をいゐうとむる悪知識の語にて侍れ。末代に法華経を失うべき者は、心には一代聖教を知りたりと思いて、而も心には権実二経を弁へず。身には三衣一鉢を帯し、或は阿練若に身をかくし、或は世間の人にいみじき智者と思はれて、而も法華経をよくよく知る由を人に知られなんとして、世間の道俗には三明六通の阿羅漢の如く貴ばれて法華経を失うべしと見えて候」と。

さらに「
問うて云く、其の証拠如何」論難を立て答えます。
「答えて云く法華経勧持品に云く「諸の無智の人悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者有らん。我等皆当に忍ぶべし」文。妙楽大師此の文の心を釈して云く「初めの一行は通じて邪人を明す。即ち俗衆なり」文。文の心は此の一行は在家の俗男俗女が権教の比丘等にかたらはれて敵をすべしとなり」と。

経に云く「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるを為得たりと謂い我慢の心充満せん」
文・妙楽大師此の文の心を釈して云く「次の一行は道門増上慢の者を明す」文。
文の心は悪世末法の権教の諸の比丘我れ法を得たりと慢じて、法華経を行ずるものの敵となるべしといふ事なり。

経に云く「或は阿練若に納衣にして空閑に在つて自ら真の道を行ずと謂いて人間を軽賤する者有らん利養に貪著するが故に白衣の与に法を説き世に恭敬せらるる事六通の羅漢の如くならん、是の人悪心を懐き常に世俗の事を念い名を阿練若に仮りて好んで我等が過を出さん而も是くの如き言を作さん。此の諸の比丘等は利養を貪るを為つての故に外道の論義を説き、自ら此の経典を作りて世間の人を誑惑す。名聞を求むるを為つての故に分別して是の経を説くと。
常に大衆の中に在りて我等を毀らんと欲するが故に国王・大臣・婆羅門・居士及び余の比丘衆に向つて誹謗して、我が悪を説いて是れ邪見の人、外道の論議を説くと謂わん」已上。

妙楽大師此の文を釈して云く「三に七行は僣聖増上慢の者を明す」文。経並に釈の心は悪世の中に多くの比丘有つて身には三衣一鉢を帯し、阿練若に居して行儀は大迦葉等の三明六通の羅漢のごとく、在家の諸人にあふがれて一言を吐けば如来の金言のごとくをもはれて、法華経を行ずる人をいゐやぶらんがために、国王大臣等に向ひ奉つて此の人は邪見の者なり、法門は邪法なりなんどいゐうとむるなり」と。


唱法華題目抄 要点解説その四に続く




by johsei1129 | 2017-02-17 19:51 | 御書十大部(五大部除く) | Comments(0)
2017年 02月 12日

唱法華題目抄 要点解説その二

引き続き大聖人は「仰せに付いて疑はしき事侍り、実にてや侍るらん<中略>是れ偏えに(法華経は)理深解微の故に教は至つて深く、(末法の衆生の)機は実に浅きがいたす処なり。只弥陀の名号を唱えて順次生に西方極楽世界に往生し、西方極楽世界に永く不退の無生忍を得て、阿弥陀如来・観音勢至等の法華経を説き給わん時聞いて悟を得んには如かじ」と、論難を立てます。

この論難は、法華経は教は深く、(末法の衆生の)機は浅いため悟ることは叶わない。それより弥陀の名号を唱えて、一旦、西方極楽世界に往生し、それから阿弥陀如来・観音勢至等の法華経を聞いて悟を得ることには及ばないと、専修念仏を唱える法然のを主張を示しています。

「此の結縁の衆をば天台妙楽は名字観行の位にかなひたる人なりと定め給へり。名字観行の位は一念三千の義理を弁へ、十法成乗の観を凝し、能能義理を弁えたる人なり。
一念随喜・五十展転と申すも天台妙楽の釈のごときは皆観行五品の初随喜の位と定め給へり。博地の凡夫の事にはあらず然るに、我等は末代の一字一句等の結縁の衆一分の義理をも知らざらんは、豈無量の世界の塵点劫を経ざらんや。
是れ偏えに理深解微の故に教は至つて深く、機は実に浅きがいたす処なり。只弥陀の名号を唱えて順次生に西方極楽世界に往生し、西方極楽世界に永く不退の無生忍を得て、阿弥陀如来・観音勢至等の法華経を説き給わん時聞いて悟を得んには如かじ。
然るに弥陀の本願は有智・無智・善人・悪人・持戒・破戒等をも択ばず、只一念唱うれば臨終に必ず弥陀如来・本願の故に来迎し給ふ是を以て思うに此の土にして法華経の結縁を捨て、浄土に往生せんとをもふは、億千世界の塵点を経ずして疾法華経を悟るがためなり。
法華経の根機にあたはざる人の此の穢土にて法華経にいとまをいれて一向に念仏を申さざるは、法華経の証は取り難く極楽の業は定まらず、中間になりて中中法華経をおろそかにする人にてやおはしますらんと申し侍るは如何に。

其の上只今承り候へば僅に法華経の結縁計ならば、三悪道に堕ちざる計にてこそ候へ。六道の生死を出るにはあらず。念仏の法門はなにと義理を知らざれども弥陀の名号を唱え奉れば浄土に往生する由を申すは、遥かに法華経よりも弥陀の名号はいみじくこそ聞え侍れ」と。

この論難に対し大聖人は次のように反駁します。
答えて云く、誠に仰せめでたき上、智者の御物語にも侍るなればさこそと存じ候へども、但し若し御物語のごとく侍らばすこし不審なる事侍り。
大通結縁の者をあらあらうちあてがい申すには、名字観行の者とは釈せられて侍れども、正しく名字即の位の者と定められ侍る上、退大取小の者とて法華経をすてて権教にうつり、後には悪道に堕ちたりと見えたる上、正しく法華経を誹謗して之を捨てし者なり。
設え義理を知るようなる者なりとも謗法の人にあらん上は、三千塵点無量塵点も経べく侍るか。
五十展転一念随喜の人人を観行初随喜の位の者と釈せられたるは、末代の我等が随喜等は彼の随喜の中には入る可からずと仰せ候か。是を天台妙楽初随喜の位と釈せられたりと申さるるほどにては、又名字即と釈せられて侍る釈はすてらるべきか。

所詮仰せの御義を委く案ずれば、をそれにては候へども謗法の一分にやあらんずらん。
其の故は、法華経を我等末代の機に叶い難き由を仰せ候は、末代の一切衆生は穢土にして法華経を行じて詮無き事なりと仰せらるるにや、若しさやうに侍らば末代の一切衆生の中に此の御詞を聞きて、既に法華経を信ずる者も打ち捨て、未だ行ぜざる者も行ぜんと思うべからず、随喜の心も留め侍らば謗法の分にやあるべかるらん。
若し謗法の者に一切衆生なるならば、いかに念仏を申させ給うとも御往生は不定にこそ侍らんずらめ。

又弥陀の名号を唱へ極楽世界に往生をとぐべきよしを仰せられ侍るは、何なる経論を証拠として此の心はつき給いけるやらん。正くつよき証文候か若しなくば其の義たのもしからず。
前に申し候いつるがごとく、法華経を信じ侍るはさせる解なけれども三悪道には堕すべからず候ほ、六道を出る事は一分のさとりなからん人は有り難く侍るか。
但し悪知識に値つて法華経随喜の心を云いやぶられて候はんは、力及ばざるか。

又仰せに付いて驚き覚え侍り、其の故は法華経は末代の凡夫の機に叶い難き由を、智者申されしかばさかと思い侍る処に、只今の仰せの如くならば弥陀の名号を唱うとも法華経をいゐうとむるとがによりて、往生をも遂げざる上悪道に堕つべきよし承るはゆゆしき大事にこそ侍れ。
抑大通結縁の者は謗法の故に六道に回るも又名字即の浅位の者なり。又一念随喜五十展転の者も又名字観行即の位と申す釈は何の処に候やらん、委く承り候はばや。
又義理をも知らざる者僅かに法華経を信じ侍るが、悪智識の教によて法華経を捨て権教に移るより外の世間の悪業に引かれては、悪道に堕つべからざる由申さるるは証拠あるか。
又無智の者の念仏申して往生すると、何に見えてあるやらんと申し給うこそ、よに事あたらしく侍れ。雙観経等の浄土の三部経・善導和尚等の経釈に明かに見えて侍らん上はなにとか疑い給うべき」と。






by johsei1129 | 2017-02-12 20:30 | 御書十大部(五大部除く) | Comments(0)
2017年 02月 11日

唱法華題目抄 要点解説その一

【唱法華題目抄】は御書十大部の一つで、「立正安国論」と同時期に述作されております。また日興上人は本抄について『富士一跡門徒存知事』において、「一、唱題目抄一巻。此の書は最初の御書なり。文応年中常途の天台宗の義分を以て、且く爾前と法華の相違を註し給へり、仍って文言義理共に爾しかなり」と記されておられます。
『立正安国論』、【唱法華題目抄】は共に、法華経と爾前経の勝劣、特に法然の念仏破折が主題となっておりますが、立正安国論が国家諌暁を目的としているのに対し、本抄は弟子・信徒の教化を目的として、大聖人と念仏信者との十五番の問答形式で、より詳細に分かりやすく法華経と爾前経の勝劣を記されております。
更に後段では、三十二歳の立宗宣言後七年目に述作された本抄ですでに、「本尊は法華経八巻一巻一品、或は題目を書いて本尊と定む可し」と断じられ、佐渡の地で初めて図現なされた御本尊の相貌を示されておられます。

尚、本抄の概要は次の通りです。
■出筆時期:文応元年(西暦1260年) 三十九歳御作 
■出筆場所:鎌倉・名越の松葉ヶ谷・草庵にて
■ご真筆: 現存しておりません。古写本:日興上人筆(神奈川県、由井氏所蔵)

日蓮大聖人は本抄の冒頭で次のように「法華経の一偈を持受持し、また他の行ずるを見てわづかに歓喜する」ことの功徳を明らかにします。
法華経の文義を弁へずとも一部一巻四要品自我偈一句等を受持し或は自らもよみかき<中略>他の行ずるを見てわづかに随喜の心ををこし、国中に此の経の弘まれる事を悦ばん。<中略>(この人)常に人天の生をうけ、終に法華経を心得るものと成つて十方浄土にも往生し又此の土に於ても即身成仏する事有るべきや委細に之を聞かん」

「答えて云く、させる文義を弁えたる身にはあらざれども法華経・涅槃経・並に天台妙楽の釈の心をもて推し量るにかりそめにも、法華経を信じて聊も謗を生ぜざらん人は余の悪にひかれて悪道に堕つべしとはおぼえず」と。





by johsei1129 | 2017-02-11 21:32 | 御書十大部(五大部除く) | Comments(0)
2016年 12月 10日

本尊問答抄 要点解説その三

引き続き日蓮大聖人は「真言亡国」の現証を示すとともに「立正安国論」について言及していきます。
是くの如く仏法の邪正乱れしかば王法も漸く尽きぬ。結句は此の国・他国にやぶられて亡国となるべきなり。
此の事日蓮独り勘え知れる故に仏法のため王法のため、諸経の要文を集めて一巻の書を造る仍つて故最明寺入道殿に奉る。立正安国論と名けき、其の書にくはしく申したれども愚人は知り難し。

所詮現証を引いて申すべし、人王八十二代・隠岐の法王と申す王有き去ぬる、承久三年太歳辛巳五月十五日伊賀太郎判官光末を打捕まします鎌倉の義時をうち給はむとての門出なり。やがて五畿七道の兵を召して相州鎌倉の権の太夫義時を打ち給はんとし給うところに還りて義時にまけ給いぬ。結句・我が身は隠岐の国にながされ太子二人は佐渡の国・阿波の国にながされ給う。公卿七人は忽に頚をはねられてき、これはいかにとしてまけ給いけるぞ国王の身として民の如くなる義時を打ち給はんは鷹の雉をとり猫の鼠を食むにてこそあるべけれ。これは猫のねずみにくらはれ鷹の雉にとられたるやうなり。しかのみならず調伏力を尽せり所謂天台の座主・慈円僧正・真言の長者・仁和寺の御室・園城寺の長吏・総じて七大寺・十五大寺・智慧戒行は日月の如く、秘法は弘法・慈覚等の三大師の心中の深密の大法・十五壇の秘法なり。

五月十九日より六月の十四日にいたるまであせをながしなづきをくだきて行いき最後には御室・紫宸殿にして日本国にわたりていまだ三度までも行はぬ大法・六月八日始めて之を行う程に・同じき十四日に関東の兵軍・宇治勢多をおしわたして洛陽に打ち入りて三院を生け取り奉りて九重に火を放ちて一時に焼失す。

三院をば三国へ流罪し奉りぬ又公卿七人は忽に頚をきる、しかのみならず御室の御所に押し入りて最愛の弟子の小児勢多伽と申せしをせめいだして、終に頚をきりにき御室思いに堪えずして死に給い畢んぬ。母も死す童も死す。
すべて此のいのりをたのみし人、いく千万といふ事をしらず死にきたまたまいきたるもかひなし。御室祈りを始め給いし六月八日より同じき十四日までなかをかぞふれば七日に満じける日なり、此の十五壇の法と申すは一字金輪・四天王・不動・大威徳・転法輪・如意輪・愛染王・仏眼・六字・金剛童子・尊星王・太元守護経等の大法なり。此の法の詮は国敵王敵となる者を降伏して命を召し取りて其の魂を密厳浄土へつかはすと云う法なり。其の行者の人人も又軽からず天台の座主慈円・東寺・御室・三井の常住院の僧正等の四十一人並びに伴僧等・三百余人なり云云。

法と云ひ行者と云ひ又代も上代なり、いかにとしてまけ給いけるぞ、たとひかつ事こそなくとも即時にまけおはりて、かかるはぢにあひたりける事、いかなるゆへといふ事を余人いまだしらず。国主として民を討たん事、鷹の鳥をとらんがごとしたとひまけ給うとも、一年・二年・十年・二十年もささうべきぞかし。五月十五日におこりて六月十四日にまけ給いぬ、わづかに三十余日なり。権の大夫殿は此の事を兼てしらねば祈祷もなしかまへもなし。

さらに日蓮大聖人は、「蒙古対峙の為に真言を用いるならば日本国が逆に蒙古に調伏させられる」と、警鐘を鳴らされ、この事は自身の父母及び清澄寺時代の師である道善御房への報恩の為であると明言されます。

日蓮がいさめを御用いなくて真言の悪法を以て大蒙古を調伏せられば、日本国還つて調伏せられなむ、還著於本人と説けりと申すなり。然らば則ち罰を以て利生を思うに法華経にすぎたる仏になる大道はなかるべきなり、現世の祈祷は兵衛佐殿・法華経を読誦する現証なり。
 此の道理を存ぜる事は父母と師匠との御恩なれば、(日蓮大聖人ご自身の)父母はすでに過去し給い畢んぬ、故道善御房は師匠にておはしまししかども法華経の故に地頭におそれ給いて心中には不便とおぼしつらめども、外には(日蓮を)かたきのやうににくみ給いぬ。後にはすこし信じ給いたるやうにきこへしかども、臨終にはいかにやおはしけむおぼつかなし。地獄まではよもおはせじ又生死をはなるる事はあるべしともおぼへず中有にやただよひましますらむとなげかし。

最後に日蓮大聖人は浄顕房に授与された御本尊の意義について解き明かし、本抄を結ばれます

『貴辺(清澄寺時代の兄弟子・浄顕房)は地頭のいかりし時、義城房とともに清澄寺を出でておはせし人なれば何となくともこれを法華経の御奉公とおぼしめして生死をはなれさせ給うべし。


 此の御本尊は世尊説きおかせ給いて後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内にいまだひろめたる人候はず。漢土の天台日本の伝教ほぼしろしめしていささかひろめさせ給はず。当時こそひろまらせ給うべき時にあたりて候へ。経には上行・無辺行等こそ出でてひろめさせ給うべしと見へて候へども、いまだ見へさせ給はず、日蓮は其の人に候はねどもほぼこころえて候へば地涌の菩薩の出でさせ給うまでの口ずさみにあらあら申して況滅度後のほこさきに当り候なり。

願わくは此の功徳を以て父母と師匠と一切衆生に回向し奉らんと祈請仕り候、其の旨をしらせまいらせむがために御不審を書きおくりまいらせ候に、他事をすてて此の御本尊の御前にして一向に後世をもいのらせ給い候へ。又これより申さんと存じ候、いかにも御房たちはからい申させ給へ。日蓮花押』







by johsei1129 | 2016-12-10 19:22 | 御書十大部(五大部除く) | Comments(0)
2016年 12月 09日

本尊問答抄 要点解説その二

次に日蓮大聖人は蒙古の再度の来襲が不可避の状況下で、亡国の最大の要因となる「真言」の破折を論じていきます。
問う今日本国中の天台・真言等の諸僧並びに王臣・万民疑つて云く、日蓮法師めは弘法・慈覚・智証大師等に勝るべきか如何。答う日蓮反詰して云く、弘法・慈覚・智証大師等は釈迦・多宝・十方の諸仏に勝るべきか是一。
今日本の国王より民までも教主釈尊の御子なり。釈尊の最後の御遺言に云く「法に依つて人に依らざれ」等云云。法華最第一と申すは法に依るなり、然るに三大師等に勝るべしやとの給ふ、最も其の下に在り。又読み給う様に云く、薬王今汝に告ぐ、我が所説の諸経あり而も此の経の中に於て法華最第三云云、又慈覚智証大師の読み給う様に云く諸経の中に於て最も其の中に在り又最為第二等云云。
釈迦如来・多宝仏・大日如来・一切の諸仏・法華経を一切経に相対して説いての給はく、法華最第一、又説いて云く法華最も其の上に在り云云。
所詮釈迦十方の諸仏と慈覚・弘法等の三大師といづれを本とすべきや、但し事を日蓮によせて釈迦・十方の諸仏には永く背きて三大師を本とすべきか如何。、文武の御宇に新羅国の智鳳・法相宗をわたす、第四十四代元正天皇の御宇に善無畏三蔵・大日経をわたす、然而弘まらず、聖武の御宇に審祥大徳・朗弁僧正等・華厳宗をわたす、人王四十六代・孝謙天皇の御宇に唐代の鑒真和尚・律宗と法華経をわたす、律をばひろめ法華をば弘めず。

第五十代桓武天皇の御宇に延暦二十三年七月・伝教大師勅宣を給いて漢土に渡り妙楽大師の御弟子・道邃・行満に値い奉りて法華宗の定慧を伝え、道宣律師に菩薩戒を伝え順暁和尚と申せし人に真言の秘教を習い伝えて日本国に帰り給いて、真言・法華の勝劣は漢土の師のおしへに依りては定め難しと思食しければ、ここにして大日経と法華経と彼の釈と此の釈とを引き並べて勝劣を判じ給いしに、大日経は法華経に劣りたるのみならず、大日経の疏は天台の心をとりて我が宗に入れたりけりと勘え給へり。
 其の後・弘法大師・真言経を下されける事を遺恨とや思食しけむ、真言宗を立てんとたばかりて法華経は大日経に劣るのみならず華厳経に劣れりと云云。

あはれ慈覚・智証・叡山・園城にこの義をゆるさずば弘法大師の僻見は日本国にひろまらざらまし、彼の両大師・華厳・法華の勝劣をばゆるさねど法華・真言の勝劣をば永く弘法大師に同心せしかば、存外に本の伝教大師の大怨敵となる。其の後日本国の諸碩徳等各智慧高く有るなれども彼の三大師にこえざれば今四百余年の間、日本一同に真言は法華経に勝れけりと定め畢んぬ。たまたま天台宗を習へる人人も真言は法華に及ばざるの由存ぜども、天台の座主御室等の高貴におそれて申す事なし。あるは又其の義をもわきまへぬかのゆへにからくして同の義をいへば、一向真言師はさる事おもひもよらずとわらふなり。

 然らば日本国中に数十万の寺社あり皆真言宗なり。たまたま法華宗を並ぶとも真言は主の如く法華は所従の如くなり、若しくは兼学の人も心中は一同に真言なり。座主・長吏・検校・別当・一向に真言たるうへ上に好むところ下皆したがふ事なれば、一人ももれず真言師なり。
されば日本国・或は口には法華経最第一とはよめども心は最第二・最第三なり、或は身口意共に最第二三なり。
三業相応して最第一と読める法華経の行者は四百余年が間一人もなし。まして能持此経の行者はあるべしともおぼへず、如来現在・猶多怨嫉・況滅度後の衆生は上一人より下万民にいたるまで法華経の大怨敵なり。


本尊問答抄 要点解説その三に続く





by johsei1129 | 2016-12-09 17:50 | 御書十大部(五大部除く) | Comments(0)
2016年 12月 08日

本尊問答抄 要点解説その一

本抄は大聖人が幼少の頃修行した清澄寺時代の兄弟子・浄顕房(後に大聖人に帰依)からの本尊についての質問に答えられて述作されました。
尚、日興上人筆の古写本(断簡)が北山本門寺と日蓮正宗富久成寺に所蔵されております。

日蓮大聖人は本抄の冒頭で『末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、答えて云く法華経の題目を以て本尊とすべし』と、示され、引き続きその根拠を順次解き明かしていきます。

『問うて云く何れの経文何れの人師の釈にか出でたるや、答う法華経の第四法師品に云く「薬王在在処処に若しは説き、若しは読み、若しは誦し、若しは書き、若しは経巻所住の処には皆応に七宝の塔を起てて、極めて高広厳飾なら令むべし。復舎利を安んずることを須いじ所以は何ん、此の中(法華経)には已に如来の全身有す」等云云。
涅槃経の第四如来性品に云く「復次に迦葉諸仏の師とする所は所謂法なり、是の故に如来恭敬供養す、法常なるを以ての故に諸仏も亦常なり」云云。
天台大師の法華三昧に云く「道場の中に於て好き高座を敷き法華経一部を安置し、亦必ずしも形像舎利並びに余の経典を安くべからず唯法華経一部を置け」等云云。

日蓮大聖人は引き続き、「釈迦を以て本尊とせずして法華経の題目を本尊とするや」と質し、その証拠を解き明かします。

問うて云く然らば汝云何ぞ釈迦を以て本尊とせずして法華経の題目を本尊とするや、答う上に挙ぐるところの経釈を見給へ私の義にはあらず釈尊と天台とは法華経を本尊と定め給へり。末代今の日蓮も仏と天台との如く法華経を以て本尊とするなり。其の故は法華経は釈尊の父母・諸仏の眼目なり釈迦・大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり故に今能生を以て本尊とするなり。

問う其証拠如何、答う普賢経に云く「此の大乗経典(法華経)は諸仏の宝蔵なり、十方三世の諸仏の眼目なり、三世の諸の如来を出生する種なり」等云云。又云く「此の方等経は是れ諸仏の眼なり諸仏は是に因つて五眼を具することを得たまえり仏の三種の身は方等より生ず是れ大法印にして涅槃海を印す此くの如き海中より能く三種の仏の清浄の身を生ず此の三種の身は人天の福田応供の中の最なり」等云云。

此等の経文、仏は所生、法華経は能生。仏は身なり、法華経は神なり。然れば則ち木像画像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし。而るに今木画の二像をまうけて大日仏眼の印と真言とを以て開眼供養をなすはもとも逆なり』と。



本尊問答抄 要点解説その二に続く。





by johsei1129 | 2016-12-08 21:30 | 御書十大部(五大部除く) | Comments(0)
2016年 12月 07日

法華取要抄 要点解説その四

本抄の最終段で日蓮大聖人は門下の弟子信徒に「我が門弟、之を見て法華経を信用せよ目を瞋らして鏡に向え、天瞋るは人に失有ればなり」と諭され、「是くの如く国土乱れて後に上行等の聖人出現し本門の三つの法門之を建立し一四天・四海一同に妙法蓮華経の広宣流布疑い無き者か」と、本抄を結ばれます。
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[法華取要抄 文末御真筆]

「此等の明鏡を齎て当時の日本国を引き向うるに天地を浮ぶること宛も符契の如し眼有らん。
我が門弟は之を見よ、当に知るべし此の国に悪比丘等有つて天子・王子・将軍等に向つて讒訴を企て聖人を失う世なり。
問うて曰く弗舎密多羅王・会昌天子・守屋等は月支・真旦・日本の仏法を滅失し提婆菩薩・師子尊者等を殺害す其の時何ぞ此の大難を出さざるや、答えて曰く災難は人に随つて大小有る可し正像二千年の間悪王悪比丘等は或は外道を用い或は道士を語らい、或は邪神を信ず仏法を滅失すること大なるに似たれども其の科尚浅きか。

今当世の悪王・悪比丘の仏法を滅失するは小を以て大を打ち権を以て実を失う人心を削て身を失わず寺塔を焼き尽さずして自然に之を喪す其の失前代に超過せるなり。

我が門弟之を見て法華経を信用せよ。目を瞋らして鏡に向え、天瞋るは人に失有ればなり、二の日並び出るは一国に二の国王並ぶ相なり、王と王との闘諍なり、星の日月を犯すは臣・王を犯す相なり、日と日と競い出るは四天下一同の諍論なり、明星並び出るは太子と太子との諍論なり、是くの如く国土乱れて後に上行等の聖人出現し本門の三つの法門之を建立し一四天・四海一同に妙法蓮華経の広宣流布疑い無き者か




by johsei1129 | 2016-12-07 17:57 | 御書十大部(五大部除く) | Comments(0)
2016年 12月 06日

法華取要抄 要点解説その三

次に日蓮大聖人は「問うて云く如来滅後二千余年・竜樹・天親・天台・伝教の残したまえる所の秘法は何物ぞや」と質し、本抄の要の法門について問答方式で詳細に解き明かします。
答えて云く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり」と。

「問うて曰く正像等に何ぞ弘通せざるや。答えて曰く、正像に之を弘通せば小乗・権大乗・迹門の法門・一時に滅尽す可きなり」
問うて曰く仏法を滅尽するの法何ぞ之を弘通せんや。答えて曰く末法に於ては大小・権実・顕密共に教のみ有つて得道無し、一閻浮提皆謗法と為り畢んぬ。逆縁の為には但妙法蓮華経の五字に限る、例せば不軽品の如し。我が門弟は順縁なり日本国は逆縁なり。

疑つて云く何ぞ広略を捨て要を取るや。答えて曰く、玄奘三蔵は略を捨てて広を好み四十巻の大品経を六百巻と成す。羅什三蔵は広を捨て略を好む、千巻の大論を百巻と成せり。日蓮は広略を捨てて肝要を好む。所謂上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり。
九包淵が馬を相するの法は玄黄を略して駿逸を取る、支道林が経を講ずるには細科を捨てて元意を取る等云云。仏既に宝塔に入つて二仏座を並べ分身来集し地涌を召し出し、肝要を取つて末代に当てて五字を授与せんこと当世異義有る可からず。


次に日蓮大聖人は「妙法蓮華経の五字を末法に流布するにあたり
「先相之れ有りや」と質します。

「疑って云く、今世に此の法を流布せば先相之れ有りや、答えて曰く法華経に「如是相乃至本末究竟等」云云。天台云く「蜘虫掛りて喜び事来たり、かん鵲鳴いて客人来る。小事猶以て是くの如し何に況や大事をや」取意。
問うて曰く若し爾れば其の相之れ有りや、答えて曰く去ぬる正嘉年中の大地震・文永の大彗星、其より已後今に種種の大なる天変・地夭此等は此先相なり。
仁王経の七難・二十九難・無量の難、金光明経・大集経・守護経・薬師経等の諸経に挙ぐる所の諸難皆之有り、但し無き所は二三四五の日出る大難なり。而るを今年佐渡の国の土民は口口に云う、今年正月廿三日の申の時西の方に二の日出現す。或は云く三の日出現す等云云。二月五日には東方に明星二つ並び出ず其の中間は三寸計り等云云。
此の大難は日本国先代にも未だ之有らざるか、最勝王経の王法正論品に云く「変化の流星堕ち二の日倶時に出で他方の怨賊来つて国人喪乱に遭う」等云云。首楞厳経に云く「或は二の日を見し或は両つの月を見す」等、薬師経に云く「日月薄蝕の難」等云云、金光明経に云く「彗星数ば出で両つの日並び現じ薄蝕恒無し」大集経に云く「仏法実に隠没せば乃至日月明を現ぜず」仁王経に云く「日月度を失い時節返逆し或は赤日出で黒日出で二三四五の日出ず或は日蝕して光無く或は日輪一重二三四五重輪現ぜん」等云云。此の日月等の難は七難二十九難無量の諸難の中に第一の大悪難なり。

問うて曰く此等の大中小の諸難は何に因つて之を起すや、答えて曰く「最勝王経に曰く非法を行ずる者を見て当に愛敬を生じ善法を行ずる人に於て苦楚して治罰す」等云云。
法華経に云く・涅槃経に云く・金光明経に云く「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に星宿及び風雨皆時を以て行われず」等云云。大集経に云く「仏法実に隠没し乃至是くの如き不善業の悪王悪比丘我が正法を毀壊す」等、仁王経に云く「聖人去る時七難必ず起る」等。又云く「法に非ず律に非ず比丘を繋縛すること獄囚の法の如くす爾の時に当つて法滅せんこと久しからず」等。又云く「諸の悪比丘多く名利を求め国王太子王子の前に於て自ら破仏法の因縁破国の因縁を説かん其の王別まえずして此の語を信聴せん」等云云。


法華取要抄 要点解説その四に続く







by johsei1129 | 2016-12-06 22:37 | 御書十大部(五大部除く) | Comments(0)