日蓮大聖人『御書』解説

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2017年 03月 26日 ( 1 )


2017年 03月 26日

32 虎口からの脱出

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                       (日蓮大聖人御一代記より)

 黒衣の僧が極楽寺で輪になった。
 みな腕をくみ、険しい目で上を見たり、隣の仲間の僧の様子を伺ったりと落ち着きがない。
 戸が乱暴にひらき、良観があらわれた。彼は怒りと絶望で常軌を逸していた。

「日蓮が生きている、なぜだ」

「首を切ろうとしたら光り物があらわれ、刀が折れたというではないか」

念仏僧が恐ろしげにいう。

「人玉ではないか」
 別な僧侶が話に参加する。

「まさか人玉では刀は折れん」
 僧侶らは日蓮の光物の話題に熱中しだした。

良観がさえぎった。

「冗談をいっている場合ではない。日蓮が生きていれば、われらは破滅ですぞ。日蓮をはめた仕掛けが露見すれば、とがめられるのはわれわれだ」

良観が唇をかみしめる。

「手段を選んではならぬ。日蓮はなんとしても生かしてはおくわけにはいかぬ」

良観にとって日蓮が存在すること自体が危険なのだ。

当初、良観は策謀によって日蓮を殺害しようとした。指揮するのは平頼綱。まちがいなく成功するはずだった。しかし思わぬ事態で頓挫した。

日蓮は生きている。こんどは自分が狙われる番である。なんとしても日蓮をくじいてしまわねばならない。

良観はこの三十二年後、八十七歳で亡くなった。

彼はそれなりに成功をおさめ歴史に名をのこしたが、日蓮との祈雨対決での敗北は生涯、屈辱にさいなまれたようである。

彼はこののちも幕府から雨乞いを命じられ祈禱している。権力の庇護をうけている以上、ことわるわけにはゆかない。聖職者の衣をまとってはいたが、これほどつらいものはなかったろう。ふらせてあたりまえ、ふらなければ権威は失墜する。権力について名声を得たが、罵声を浴びるのも隣りあわせだった。生きるよりつらかったかもしれない。

彼の晩年は雨乞いに苦しめられて世を去った。松尾氏が解説する。

八十七歳嘉元元、累日炎旱、草枯レザルハナシ、(あまね)ク斎戒ヲ三万余ニ授ク、一日大般若ヲ摺寫(しょうしゃ)ス、一渧降(たいふら)ズ、五日ヲ()(せい)(ろう)ニ身命ヲ捨テンコトヲ祈誓シ、小蛇出現シテ甘雨降ル

嘉元元(一三○三)年、八十七歳の時には、連日日照りが続き、草木は枯れ続けた。そこで、忍性は斎戒を三万人余に授け、大般若経を摺写したが、一滴も降らなかった。五日後に自己の身命に代えてでも雨を降らせてほしいと精瀧に祈った。すると、小さな蛇が出現し、恵みの雨が降ったという。精瀧がどこかはっきりしないが、「極楽寺絵図」には、南側に請雨池が描かれ、西側には飛龍権現などが描かれており、そうした所に祀られた龍神であろうか。

そのせいか、嘉元元(一三○三)年、六月二三日に病気となり床に伏し、治療の甲斐無く、七月一二日に死去した。

さて日蓮は危機を脱したが、このあともしばらく浜にいた。

幕府によって連行された以上、おとなしくしていなければならない。処刑はまぬかれたが、追加の命令がくだるかもしれなかった。日朗たち五人は土牢に幽閉されたままである。緊迫した状況にかわりはなかった。

やがて幕府から使者がきたが、その口上は間のぬけたものだった。

はるか計りありて云はく、さがみ(相模)()()と申すところへ入らせ給へと申す。此は道知る者なし、さき()うち()すべしと申せども、うつ人もなかりしかば、さてやすらふ(小憩)ほどに、或る兵士(もののふ)の云はく、それこそその道にて候へと申せしかば、道にまかせてゆく。(うま)の時計りに()()と申すところへゆき()つき()たりしかば、本間の六郎左衛門が()へに入りぬ。『種々御振舞御書

相模の依智にいけという。今の神奈川県厚木市である。

だが案内する者がいない。

しばらく休んでいたら、この道だろうと教える者がいた。
 ずいぶんのんびりしている。しかし日蓮はこの知らせを聞いて佐渡に流罪かと推測した。依智領主の本間六郎左衛門重連(しげつら)は佐渡の守護代だったからである。

やがて日蓮は本間六郎左衛門の屋敷についたが、あろうことか日蓮は金吾に手配を頼んで鎌倉からやってきた兵士に酒をふるまった。

  さけ()とりよせて、も()ゝふ()どもに()ませてありしかば、(おのおの)()へるとてかう()べをうなだれ、手をあざ()へて申すやう、このほどはいかなる人にてやをはすらん、我等がたのみて候阿弥陀仏をそし()らせ給ふとうけ給はれば、にくみまいらせて候ひつるに、まのあたり()がみまいらせ候ひつる事どもを見て候へば、()うとさにとしごろ申しつる念仏はすて候ひぬとて、ひうち(火打)ぶくろ()よりすゞ(数珠)とりいだしてすつる者あり。今は念仏もうさずとせいじゃう(誓状)をたつる者もあり。六郎左衛門尉が郎従等(ばん)をばうけとりぬ、さえ(左衛)もん()じょう()もかへりぬ。

兵士たちは酒をふるまわれ、ほっとしたという。彼らにとってこの一日は激動の連続だった。

彼らは親の敵よりも憎かった日蓮が、うわさとはまったくちがう人物であったことにおどろいた。今となっては、日蓮は罪人ではなく、自分たちだったような感覚だった。

無理もない。

日蓮を捕らえてみれば、泣きわめくかと思いきや堂々としている。これまで竜の口に送られた罪人は、いざとなると命乞いをするのが常だった。意外だった。ほんとうに罪人なのか。しかも八幡様を罵倒するとは、なんという僧侶であろう。これはなにかあるにちがいない。そのきわめつきが暗闇から突如出現した光物だった。

最初、彼らは日蓮への憎悪で集団ヒステリーとなり、日蓮が八幡大菩薩を叱咤すると極度の不安にかられ、光物の出現で恐怖のどん底を味わうことになる。そして今は泥のような疲労感がのこった。彼らがとぼとぼと帰る姿が目に浮かぶようである。

四条金吾はひと安心したのであろう。いったん鎌倉へ帰っていった。日蓮には伯耆房たちが身の回りの世話をしていた。

こうして大難の翌日、九月十三日は暮れようとしていたが、またしても想像を絶する現象がおきた。

日蓮の目の前に星が下ったという。


其の夜は十三日・兵士(つわもの)ども数十人・坊の(あた)り並びに大庭になみ()()て候いき、九月十三日の夜なれば月・(おおい)に・はれてありしに夜中に大庭に立ち出でて月に向ひ奉りて・自我(じが)()少少よみ奉り諸宗の勝劣・法華経の文のあらあら申して(そもそも)今の月天は法華経の御座に(つらな)りまします名月天子ぞかし、宝塔(ほうとう)品にして(ぶつ)(ちょく)をうけ給い(ぞく)(るい)(ぼん)にして仏に(いただき)()でられまいらせ「世尊の(みことのり)の如く(まさ)(つぶさ)に奉行すべし」と誓状(せいじょう)をたてし天ぞかし、仏前の(ちかい)は日蓮なくば(むなし)くてこそをはすべけれ、今かかる事出来せばいそぎ悦びをなして法華経の行者にも・かはり仏勅をも・はたして誓言のし()しをば()げさせ給うべし、いかに今しるしのなきは不思議に候ものかな、(いか)なる事も国になくしては鎌倉へもかへらんとも思はず、しるしこそなくとも・うれ()がを()にて(すみ)渡らせ給うはいかに、大集経には「日月(みょう)を現ぜず」ととかれ、仁王経には「日月()を失う」とかかれ、最勝王経には「三十三天(おのおの)瞋恨(しんこん)を生ず」とこそ見え(はべ)るに・いかに月天いかに月天と()めしかば、其のしるしにや(そら)より明星の如くなる大星下りて前の梅の木の枝に・かかりてありしかば・もののふども皆えん()より・とびをり或は大庭にひれ()()し或は家のう()ろへ()げぬ、やがて即ち(そら)かきくもりて大風吹き来りて()の島のなるとて(そら)のひびく事・大なるつ()みを打つがごとし。『種々御振舞御書


この信じられない現象をどう解釈すればよいのか。

前述の天文学者、広瀬英雄氏はこの文を読んだ瞬間、これは金星(注)の最大光輝に関係があると思ったという。

最大光輝とは惑星が最も地球に近づく時、太陽の光を反射して強く光る現象をいう。実際に広瀬氏が天体運用表で計算してみると、九月十三日前後の金星は最大光輝に達しており、一等星の百倍もの光を放っていたはずであることが判明した。

地球から見ると、金星は明け方と夕方のみ観測することができる。明けの明星と(よい)明星一番星場合金星

方西明星った計算日没後、明星は二時間以上見当日日没午後五時星下日没七時推定る。

そして広瀬氏はこの夜の出来事をこう解釈する。


「十三日早朝の難を逃れることができた日蓮は依知に入り、佐渡地頭の邸の一室で弟子たちを励ましているうちに夜になった。日没ごろ夕食を済ませたが、弟子たちは次に来る沙汰が何か不安であった。そこで日蓮は夕食後一時間ほどたったとき、天と問答するため庭へ出た。西空には雲があって、そのあたりの星は見えなかったが、東の空は晴れていて、十三夜の月が出ていた。問答が佳境に入ったころ、西方の桜(梅)樹のあたりの雲が切れて、突然、最大光輝の金星が輝いて見えたので、同日朝の大流星に畏怖(いふ)監視恐怖おそ変騒真相江の島とくひびいたの天文現象関係う」


日蓮と天体の関係を言うならば、文永元年の大彗星があげられる。日蓮はこの彗星の出現を幾度となく説いて国家の危機を訴えた。

広瀬氏はいう。

「天変地異に刺激されて活動を活発化した日蓮は、その身と天体の一致まで信じるようになったのだと思う。そこまで天体信仰を(たか)い」


本間重連の屋敷にやわらかな日差しがさしていた。ここで日蓮と弟子たちは、まる一月も滞在することになる。

いっぽう鎌倉は騒動の真っ最中だった。


            33 二度目の流罪、日蓮佐渡ケ島へ につづく
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金星

 ラテン語・英語名Venus。金星は、太陽系で太陽に近い方から二番目の惑星。また、地球に最も近い公転軌道を持つ惑星である。 地球型惑星であり、太陽系内で大きさと平均密度が最も地球に似た惑星であるため「地球の姉妹惑星」と表現されることがある。また、太陽系の惑星の中で最も真円に近い公転軌道を持っている。

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by johsei1129 | 2017-03-26 14:54 | 小説 日蓮の生涯 上 | Comments(0)