日蓮大聖人『御書』解説

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2017年 03月 20日 ( 2 )


2017年 03月 20日

29  平頼綱への諌暁

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                  良観、問注所へ日蓮を讒訴する図 日蓮大聖人御一代記より


良観は日蓮つぶしの策を懸命にめぐらした。時宗が日蓮の処罰に消極的であるのを知ると、尼御前を中心とした女性たちに訴えたのである。尼御前たちは良観を盲目的に信じている。彼女たちにとって日蓮が蒙古来襲を予言したのも雨をふらせたのも、ただの偶然である。逆に良観の涙ながらの訴えは女たちを動かした。情に動く尼御前は、日蓮憎しの感情を爆発させた。

日蓮はこの良観による策謀のはげしさを、五年後の建治五年に著した『報恩抄』で次のように証言している。

かういよいよ身を()しまず()めしかば、禅僧数百人、念仏者数千人、真言師百千人、或は奉行(ぶぎょう)につき、或はきり(権家)人につき、或はきり(権閨)女房につき、或は後家(ごけ)(あま)御前等えつひて無尽のざんげん(讒言)をなせし程に、最後には天下第一の大事、日本国を失わんと(じゅ)()する法師なり。故最明寺(こさいみょうじ)殿・極楽寺殿を無間地獄に堕ちたりと申す法師なり。御尋ねあるまでもなし、但須臾(しゅゆ)(くび)をめせ。弟子等をば又或は頸を切り、或は遠国につかはし、或は(ろう)に入れよと尼()ぜん()たち()いからせ給ひしかば、そのまゝに行われけり。

最明寺入道とは北条時頼、極楽寺入道とは重時のそれぞれの法名である。日蓮は鎌倉幕府に多大な功績のあった二人を無間地獄に堕ちたという。

良観をはじめとして日蓮を憎む者たちの逆襲が始まった。祈雨の勝負で日蓮の名声は高まったが、それにもまして憎悪する者たちの怒りは強まったのである。

だが日蓮は憎悪する者、すなわち三類の強敵を恐れない。日蓮に妥協はない。折伏はいよいよ強まった。両者の激突は決定的になっていく。

日蓮はかれらの本性を嫉妬に狂う女性にたとえている。

(たと)へば女人物をねためば胸の内に大火もゆる故に、身変じて赤く、身の毛さかさまにたち、五体ふるひ、面に炎あがり、かほは朱をさしたるが如し。目まろ()になりて、()の眼のね()みをみるが如し。手わなゝきて、か()わの葉を風の吹くに似たり。か()はらの人是を見れば大鬼神に異ならず。日本国の国主・諸僧・比丘・比丘尼等も又()くの如し。たのむところの弥陀念仏をば、日蓮が無間地獄の(ごう)と云ふを聞き、真言は亡国の法と云ふを聞き、持斎は天魔の所為(しょい)と云ふを聞いて、念珠をくりながら歯をくひちがへ、(れい)をふるに()びをどりおり、戒を持ちながら悪心をいだ()く。極楽寺の生き仏の良観聖人、折り紙をさゝ()げて(かみ)へ訴へ、建長寺の道隆聖人は輿(こし)に乗りて奉行人にひ()まづく。諸の五百戒の尼御前等ははく()つか()ひてでん()そう()をなす。  『妙法比丘尼御返事

日蓮は弟子信徒に問注所への喚問が決まったことを告げた。

弟子たちの中には顔を曇らせる者もいたが、日蓮はいつになく機嫌が良かった。伯耆房日興にとって、こんな笑顔の上人を見るのははひさしぶりのことだった。

「先ほど侍所から呼びだしがありました。まちにまったことです。かならず何事かおこるでしょう。仏は記している。釈迦滅後二千年すぎて、末法のはじめに法華経の肝心である題目の五字ばかりを弘めん者があらわれる。その時、悪王悪人が大地の土くれより多くして在家の信徒を語らい、あるいは誹謗し、あるいは打ち、あるいは牢に入れ、あるいは所領を召し、あるいは流罪、あるいは首をはねる、などいうとも退転なく弘むるほどならば、あだをなす者は、国主は同士討ちをはじめ、餓鬼のごとく身を食らい、のちには他国より攻められるべし。これひとえに梵天・帝釈・日月・四天王らが、法華経の敵なる国を他国より攻めさせたもうなるべしと」

弟子や信徒がざわついた。不安がたかまっている。

「おのおの、わが弟子と名なのらん人々は一人も臆病であってはなりませぬ。親を思い、妻子を思い、所領をかえりみてはなりませぬ。はるか昔よりこのかた、われらは親子のため、所領のために命を捨てたことは大地(だいち)微塵(みじん)よりも多かった。しかし法華経のゆえには一度も捨てることがなかった。法華経をあれこれ行じてはいたが、大難がおきると退転してとどまった。たとえば湯をわかしても水を入れ、火をおこすのをやめてしまうようなものです。おのおの思い切りなされ。この身を法華経に替えるのは、石を黄金にかえ(ふん)を米にかえることなのです。よろしいかな」

即座に四条金吾が口元を引き締め返事をした。

これにつられて信徒がつぎつぎと立ちあがり、誓いの言葉をのべていく。

いいしれぬ高揚感がみなぎっていた。みな敵などないかのように陽気に叫んだ。

「わたしはどんな難があっても退転はいたしませぬ」

(それがし)は一生この信心を貫いてみせます」

「わたしはどんな権威も恐れませぬ。勇気をもって法華経が第一であるといいきります」 
  

喚問の日がきた。文永八年九月十日である。

日蓮が侍所の門をくぐりぬけていく。

うす暗い廊下をわたる。

警護の武士が通りすぎる日蓮を凝視する。

日蓮は表情を変えず、まっすぐに進む。

広間では侍所の面々がいた。みな緊迫した面持ちで日蓮があらわれるのをまっている。

中央に平頼綱。そのわきに郎従の少輔房(しょういぼう)がいた。
 その少輔房がしたり顔で発言する。

「日蓮はまず腹の内は見せますまい。弁舌はたくみとのこと。この場ではのらりくらりと答えるだけでしょうな。さもなくば、われらにおじ気づいて思うことの半分も言えぬはず。ここにきた者は泣いてわびる者もおりますからな」

 頼綱はつまらなそうだった。

 天下をとりしきる北条の執事が一介の坊主を相手にしなければならない。少輔房の話を右から左に聞き流していた頼綱がつぶやいた。

「このわしにどのようにでるか。良観のように尻尾をふるのならよし。さもなくば・・」

「首を斬るまで」と少輔房が冗談めかしに相槌をうった。

すると頼綱が不敵な笑いをうかべて少輔房をとがめた。

「これ、めったなことを申すな。若殿からお叱りをうけるぞ。日蓮は世間を騒がすだけの男だ。この日本のあらゆる坊主が立身出世したいように、日蓮も幕府に取り入りたいのだ。おどして甘い話をもちかければ、なびくであろうて」

頼綱はこの時三十歳。日蓮とは二十歳年下の若さだったが、鎌倉幕府創設いらい、御内人の筆頭として執事を務めた一族の威光といい、執権時宗の後ろ盾といい、こわいものなしの傲慢さをもちあわせている。そのためだれも頼綱に意見をいえない。彼はますます傍若無人となった。

役人が声をあげた。

「日蓮上人が出頭いたしまする」

日蓮が登場した。いつになく静かな面持ちだった。

頼綱の郎党が日蓮をとりかこみ、なめまわすように見た。あたかも獲物をねらう野獣の目だった。

日蓮が下座につく。

少輔房が口火を切った。

「そのほうが日蓮か。さっそくだが聞こう。おぬしの嫌疑はかず知れぬ。兇徒を集め、刀杖を蓄えている疑いあり。いつわりないか」

日蓮はすぐさま答えた。

「そのとおりです」

一同が驚愕した。彼らは日蓮が自分で不利となる証言をいうとは思わなかった。ずばり言ってのけるとは。

日蓮はこともなげにつづける。

「ただし兇徒とは全くのいつわりであります。法華経の信徒を兇徒呼ばわりする者にそのままお返しいたします。つぎに刀杖の件ですが、法華経守護のための弓箭(きゅうせん)(へい)(じょう)は仏法の定まれる法にございます。例せば国王守護のために刀杖を集むるがごとしでございます」

 あまりの返答ぶりにみな言葉がでない。

勇猛なはずの少輔房の声がふるえた。

「されば今は亡き北条時頼様、重時様を地獄に堕ちたと申し、建長寺、極楽寺を焼きはらえと申し、良観上人、道隆上人の首をはねよと申したということ。これらはまさか本心ではあるまいな、いつわりであろうな」

沈黙がながれた。

平頼綱がじれ、はじめて声をかけた。

「どうした日蓮、答えぬか」

日蓮は一旦呼吸を整え、気力を振りしぼり一気に論陣を張った。

「それらのこと一言も(たが)わず申しました」

武士がまた驚嘆した。扇子をおとす者がいる。頼綱も唖然(あぜん)とした。

「ただし、時頼殿、重時殿が亡くなった時に地獄に堕ちた、ということはいつわりであります。なぜならこれらのことは、お二人の御存生の時からすでに申しあげていること」

頼綱が日蓮の前で仁王立ちになった。

「気でも狂ったか」

 頼綱にはそうとしか思えない。幕府にたいする挑戦ではないか。これでは自分を処罰せよといっているようなものだ。

日蓮は、戸惑いを隠せない幕府役人には目もくれず、淡々と話し続けた。

「それらのことはこの国を思って申した事。世を安穏に保たんと(おぼ)し召すならば、かの僧侶どもを召しあわせてお聞きくだされ。そうではなく理不尽に行われるのであれば国に後悔あり。日蓮重罪をうけるならば、仏の使いを用いぬことなり。梵天・帝釈・日月・四天のおとがめあって流罪死罪の後、百日、一年、三年、七年の内に自界(じかい)叛逆難(ほんぎゃくなん)と申して、ご一門は同士討ちをはじめるでありましょう」

一同がさわぐ。

怒声を浴びた日蓮は声高になった。

「そののちは他国侵逼難(たこくしんぴつなん)といって四方より、ことには西方より攻められるであろう。そのとき後悔あるべし、平の左衛門の尉殿」

頼綱が激高した。

「たわけ者めが。なにを申すか。おまえなぞ、今すぐにでも首を斬れるのだ。わしをだれだと思っている」

日蓮は頼綱の目を見すえた。

「侍大将なり」

頼綱がさらに逆上した。

「なめておるのか。日本国の武士をつかさどる者に、なんという口のききかただ。あの無礼な書状といい、いまの暴言といい、だんじて許せぬ。さらし首にしてくれようか」

 日蓮は諭すように頼綱に語りかける。

「貴殿は天下の棟梁ですぞ。なぜ日本国を救う柱を損なおうとするのか。なによりも国難に思いをめぐらして、すべからく異敵を退ける事こそ肝要でありましょう。世を安んじ、国を安んずるを忠となし孝となす。これひとえに我が身のために申すにあらず。日本国のため、幕府のため、民のために申しあげるのです」

場内は日蓮の気迫にのまれたが、頼綱だけは日蓮にあらんかぎりの罵声を浴びせた。

「ええい、ここから立ち去れ、安房の乞食坊主め。念仏無間、禅天魔と悪口(あっく)をほしいままにし、兵杖をたくわえて世を乱す。おぬしこそ地獄に堕ちようぞ。かならず首をはねてやる」

頼綱の罵詈(ばり)雑言(ぞうごん)がやまない。日蓮は安房の地頭だった東条景信を思いだした。景信も横暴のかぎりをつくしたが頼綱の比ではない。景信は一地頭だが、頼綱は天下を仕切っていた。のちにこの時の様子をしるす。

太政入道のく()ひしやうに、すこしもはゞかる事なく物にくるう  『種々御振舞御書

頼綱は平清盛のように狂乱の本性をあらわした。極楽寺良観は僭聖(せんしょう)増上慢の本性を、頼綱は第六天の魔王(注)の本性をむきだしにした。

日蓮は頼綱の予想された反応に驚きもせず、泰然として問注所を後にした。

 平頼綱は日蓮が去ったあとも、こぶしを握りしめたまま立っていた。

彼は自分が今の日本を支配する者と自負していた。主の時宗以外、右に出る者はないと思っていた。御家人の安達泰盛さえ眼下においた。しかしこの高慢心は日蓮によって砕かれた。

(この俺に意見する者がいたとは)


灯心が侍所の一室で光り、平頼綱と北条宣時を不気味にてらす。

頼綱がきりだした。

「危険だ。今まであのような男を見たことがない。このままほおっておけば一大事となろう」

宣時は不安げにいう。

「しかし若殿がどうでるか問題だ。殿は日蓮をかばっているようにみえる」

頼綱が宣時の不安を振り払うかのように断言した。

「殿はまだお若い。これからはわれらの出番だ。われらが日蓮を隠密裏に処置し、全てがとどこおりなく終わった後に報告すれば、殿ももはや手出しはできない。後の祭りということだ」

日蓮を闇から闇へ葬る策謀だった。頼綱は日蓮を処刑することに決めた。独裁者の側近が使う手である。日蓮を処刑したあと、処理済の案件として時宗に報告すれば、いっときひと悶着あったとしても、時間がたてば最後は不問に付すしかない。

日蓮は彼らの本質を見ぬいていた。(くぼ)(あま)御前の手紙にしるす。

これにつけても(かみ)と国とのためあはれなり。木のした()なるむし()の木を()らひ()うし、師子の中のむしの師子を食らひ()しなふやうに、守殿の御をん()にてすぐる人々が、守殿の御威を()りて一切の人々を()どし、なやまし、わづらはし候うえ、(かみ)の仰せとて法華経を失ひて、国もやぶれ、主をも失って、返って各々が身を()ろぼさんあさましさよ。『窪尼御前御返事

守殿とは時宗のことである。頼綱は日蓮を罰しようとして、かえって災いが自分の身にふりかかるのを、この時は露ほども知らない。
 日蓮は罵声を浴びたが、彼らの末路を思うとあわれを感じ、懸命の説得に動いた。

日蓮は問注所で対面した翌々日の申の時(午後三時~五時)、立正安国論を添えて頼綱に次の書状(一昨日御書)をとどけている。日蓮は自身が罪人となることを回避しようとしたわけではない。あくまで日本の国主、時宗が法華経に帰依することを願っていた。そのため側近の頼綱に一()の望みをかけた。


()一昨日見参に罷入(まかりいり)候の条悦び入り候。(そもそも)人の世に在る誰か後世を思わざらん仏の出世は(もっぱ)ら衆生を救わんが為なり。(ここ)に日蓮比丘(びく)と成りしより(かたがた)法門を開き、已に諸仏の本意を覚り、早く出離(しゅつり)の大要を得たり。其の要は妙法蓮華経(これ)なり。一乗の崇重、三国の繁昌の()、眼前に流る、誰か疑網(ぎもう)(のこ)さんや。而るに専ら正路に背いて(ひとえ)(じゃ)()を行ず然る間、聖人国を捨て、善神(いかり)を成し、七難並びに起つて四海(しず)かならず。(まさ)(いま)世は悉く関東に帰し人は皆士風を貴ぶ。就中(なかんずく)日蓮生を此の土に得て(あに)吾が国を思わざらんや。()つて立正安国論を造つて故最明寺入道殿の御時、宿屋の入道を以て見参に入れ(おわ)んぬ。而るに近年の間、多日の程、(けん)(じゅう)(中国の異民族)浪を乱し()(てき)(蒙古)国を伺う。先年勘え申す所、近日()(ごう)せしむる者なり。彼の太公が(いん)の国に入りしは西伯(せいはく)の礼に依り、(ちょう)(りょう)が秦朝を(はか)りしは漢王の(まこと)を感ずればなり。是れ皆時に当つて賞を得たり、(はかりごと)()(ちょう)の中に(めぐ)らし勝つことを千里の外に決せし者なり。(それ)()(ぼう)を知る者は(りく)(せい)()(注)なり。法華を弘むる者は諸仏の使者なり。而るに日蓮(かたじけな)くも(じゅ)(れい)(かく)(りん)(注)の文を開いて、()(おう)烏瑟(うしつ)(注)の志を覚る。(あまつさ)へ将来を勘へたるに(ほぼ)普合することを得たり。先哲に及ばずと(いえど)(さだ)んで(こう)(じん)には(まれ)なるべき者なり。法を知り国を思ふの志(もっと)も賞せらるべきの(ところ)邪法(じゃほう)邪教(じゃきょう)(やから)讒奏(ざんそう)讒言(ざんげん)するの(あいだ)久しく大忠(だいちゅう)(いだ)いて而も未だ()(ぼう)を達せず。(あまつさ)へ不快の見参に(まか)り入ること(ひとえ)に難治の次第を(うれ)ふる者なり。

伏して(おもんみ)れば(たい)(ざん)に昇らずんば天の高きを知らず、深谷に入らずんば地の厚きを知らず。()て御存知の為、立正安国論一巻(これ)を進覧す。(かんが)()する所の文九牛(きゅうぎゅう)一毛(いちもう)り。未()を尽くさざるのみ。

(そもそも)貴辺は当時天下棟梁(とうりょう)なり。何ぞ国中の良材を損ぜんや。早く賢慮(けんりょ)(めぐ)して(すべから)く異敵を退くべし。世を安んじ国を安んずるを忠と為し孝と為す(これ)(ひとえ)に身の為に之を述べず、君の為、仏の為、神の為、一切衆生の為に言上せしむる所なり。恐々謹言。


  文永八年九月十二日               日蓮花押

謹上 平左衛門尉殿                      


日蓮はこの書で、時宗の側近である頼綱に、事実上の第二回目の国家諌暁を成し遂げた。しかし頼綱の方針が覆ることはなかった。日蓮が言ったとおり、頼綱は御しがたい「難治」だった。
 そして日蓮は、この文永八年九月十二日の第二回目の国家諌暁が、生涯最大の運命の分岐点となることを願っていた。


30 竜の口の法難 へつづく

上巻目次


 

第六天の魔王

第六天とは他化自在天のこと。()(じゅん)ともいう。欲界の六欲天の最頂に住する。大智度論に「此の天は他の化する所を奪って而して自ら娯楽するが故に他化自在と言う」とある。また多くの眷属とともに仏道を成ずるのを妨げ、智慧の命を奪うので(だつ)(みょう)ともいう。三障四魔の中の天子魔にあたる。この魔は一切衆生の命に宿る。

「元品の法性(ほっしょう)梵天(ぼんてん)帝釈(たいしゃく)等と(あら)われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」 『治病抄』

六正の聖臣

「ろくせいのせいしん」とも読む。儒家で正しい臣下の標準を六種に分類した六正(聖臣・良臣・忠臣・智臣・貞臣・直臣)のうちの最高の臣下・聖臣のこと。いまだ現れない事柄や存亡の機・得失を予知して、常に主君を安泰にしておく臣下をいう。


( )・鶴林の文

 鷲嶺は霊鷲山の意で法華経のこと。鶴林は釈迦入滅の地の沙羅樹林で涅槃経のこと。


()(おう)烏瑟(うしつ)

どちらも仏の異称。鵞は鵞鳥のこと。応化の仏の三十二相の中の手足指縵網(しゅそくしまんもう)相(手足の指の間に水かきがあること)から転じたもの。

 烏瑟とは、(ぶっ)(ちょう)()(けん)(ちょう)(にく)(けい)と訳す。仏の三十二相の一つ。頂骨が隆起し、(もとどり)のようなさまをさす。






by johsei1129 | 2017-03-20 17:55 | 小説 日蓮の生涯 上 | Comments(0)
2017年 03月 20日

28 極楽寺良観の策謀

時宗の妻祝子(のりこ)が二人の乳母に両手をかかえられ館の廊下を歩いていた。

身重であった。

色白く、一見ひ弱に見える十九歳の若妻が、二十歳の時宗の前にゆっくりとかしずき、うやうやしく両手をそろえる。

祝子は安達泰盛の腹違いの妹で、四十歳の泰盛とはかなりの歳のひらきがあった。このため父亡き後、泰盛は祝子を養子にしていた。

「殿にはご機嫌よろしゅうあそばされ、なによりにございます」
「大きくなったのう」
 時宗は満面の笑みで祝子の腹に目をやる。
彼女は腹をなぜた。

「わらわもあとすこしで願いが叶えられまする」
 祝子は今執権の妻として幸せの絶頂にいた。

今日の時宗はにこやかである。

「安静にいたせ。その子は北条の頭領になるやもしれぬ」

「わらわも殿の望む男の子を生みとうございます。わらわのまわりは、みな男であることを願っておりますが、もし叶わなければ心苦しゅうございます」

「そんなことは気にするな。男であれ、女であれ元気に生まれてくるのがなにより。どちらが生まれてくるかは天の思し召し。案ずることはない。今は安静がなにより大事だ」

「それをうかがいまして安心いたしました。肩の荷がおりたような気がします。身も不自由で、なにかと周りの者も気ぜわしい毎日で・・」   

乳母が気を利かして出ていった。

祝子はだれもいなくなったのを確かめると、そっと時宗にだきついた。涙目である。

「もっと殿に会いとうございます。わらわのわがままでございましょうか」

 時宗が祝子の肩を強くだいた。

「我慢いたせ。もう少しの辛抱ではないか。わしもそなたに会いたい。国の一大事を片づけなければ、わしも自由になれないのだ」

祝子が夫の目を見つめた。

「むくりのことでございますか」

 当時、人々は蒙古のことを「むくり」とよんでいた。

「むくりだけではない。このたびの飢饉もなんとかやり過ごすことができた。次から次へと、わしの手に負えぬことばかりだが」

時宗はもう一度、祝子の腹に手をあてる。

「この子のためにも、懸命に執権のお役目を果たすだけだ」

祝子がふたたび時宗の胸に顔をうずめた。至福の時である。

その時、時宗は戸のむこうに人の気配を感じた。

執事の平頼綱だった。

「殿、来客でございます」

「左衛門の尉、いま手がこんでおる。あとにせい」
 時宗は祝子を抱いたまま返事をする。

頼綱の返事はいつもとちがい歯ぎれが悪い。

「それが困ったことに・・」

「どうした。だれがきたのだ」

「葛西殿、讃岐の局、冶部卿、そのほか尼御前方が多数お見えで」

祝子は思わず時宗からはなれ、身繕いをする。

時宗が吐き捨てる。

「幕府が窮状のさなかに、母上たちはいったいなんの用なのだ」

謁見の間ではすでに大勢の尼や女房がいならんでいた。

筆頭は亡き北条時頼の正室、葛西殿。側室の讃岐尼、北条重時の未亡人冶部卿がいる。彼女たちは後家尼の象徴である黒衣をまとっていた。

突然の来訪である。

時宗が上座で対面した。その横には頼綱、安達泰盛のほか、葛西殿謁見(えっけん)知らせを聞いた北条宣時ら幕府重臣がならんだ。

葛西殿がうやうやしく挨拶する。

殿、おひさしゅうござります。元気そうな尊顔を拝し、安心しました。祝子(のりこ)殿も、見目麗しくなによりです。殿は日ごろ何かと煩わしい事がおありとおもわれますので、早速ですが一言申し上げさせていただきます。昨今、内外に多くの憂いがあり、時宗殿なら間違うことはないと思ってはおりますが、わらわも生来の気の弱さもあって心配でなりませぬ」

時宗は母親の謁見の意図を探るかのように、慎重に返答する。

「母上、お久しぶりですが、元気な様子でなによりです。身重の祝子の様子伺いかと思いますが、ご心配めされるな。祝子もまもなく臨月ですが、なんのさわりもありませぬ。世継ぎが生まれるかどうかは、御家人が恐れをなす執権時宗といえど、いかんともしがたい事ですが、無事良い子が生まれてくるでしょう。わたくも、はやり病にもかからず、息災の日々でございます」

葛西が笑みを浮かべた。

「それはそれは、なによりです。わらわもあと少し長生きできるというもの」

時宗が切りだした。

「しかしおどろきましたな。母上、讃岐様そして亡き重時様のご正室・治部卿様がお集まりになるとは。よほどのことでございますか」

冶部卿が告げた。彼女の亡夫重時は日蓮を伊豆流罪にしている。

「われら仏門に帰依してより、思いは仏の道しかありませぬ。仏の道とは成仏すること」

 時宗が笑みをうかべる。

「それは殊勝でございます。父上も禅に熱心であられました。最後は仏にすがっておられました」

実母の葛西が意を決したように告げる。

「時宗殿。今日はそなたの父上のことでまいったのじゃ」

時宗が何事かとばかりに首をかしげる。

葛西が上目づかいに語りはじめた。

「仏の道とは念仏であれ、禅宗であれ、成仏を願うもの。さりながら殿、その仏教を破滅させようとする僧侶がこの鎌倉にいるのです。すでに御承知かと存じますが、名は日蓮と申す」

場がざわめいた。平頼綱がにやりとし、安達泰盛が不安にかられた。

「その日蓮を殿の手で捕らえていただきたいのです」

時宗は驚きをかくしてこたえる。

「なぜでござるか。日蓮殿は過日、旱魃の日本に雨をふらせて名声が高まっており、鎌倉の民もなびいていると聞いております。その日蓮殿を捕えよと」
 葛西の口調がしだいに強くなった。

「日蓮いわく、念仏は無間地獄の業因、禅宗は天魔の所為、真言は亡国の悪法、律宗は国賊の妄説と」
 重時の妻、治部卿がさらにたたみかける。

「そのうえ家々に先祖代々つたわる阿弥陀や観音の像を火に入れ、水に流しておりまする。また鎌倉中の罪人をかくまっているとのこと。そして刀・弓など武具をあつめているのです。ごぞんじでしたか」

時宗が弁護した。

「なにかのまちがいではござらぬか。事実なら、まず幕府に訴えがあるもの」

 葛西はくいさがる。

「かの日蓮は弁舌たくみで、よく人をまどわしまする。評定所に訴えても詭弁(きべん)(ろう)して沙汰人をいつわります。それゆえ、われらほかに手立てがなく、殿じきじきに訴えでた次第。どうかお取りなしを」

時宗はむきになった。

「おまちくだされ。亡き父上は日蓮殿を島流しにしましたが、それを悔やんで無罪としたのです。父上は日蓮殿を罪人とは思っておりませんでした。わたしもそれに従うまでです」

実母がここで涙を流し、感情をあらわにした。

「日蓮はおまえ様の父上、わが夫の時頼殿を地獄に堕ちたと申しているのですぞ」

冶部卿も周りに(はばか)()なく涙を流していた。

「日蓮はわが夫、重時殿も無間地獄にいると」

座が凍りついた。尼たちのすすり泣きがひろがる。

葛西が最後に告げた。

「殿、母として申します。あの憎い坊主を捕らえなければ、この身も殿も安穏ではありませぬ。どうか、良きにお計らいたもれ」

時宗が腕を組み、じっと天を仰いだ。

時宗は尼御前が退出したあとも腕を組んでいた。まわりには頼綱、泰盛、宣時がいる。

みな深刻である。

時宗が思案にくれてつぶやいた。

「あの母上たちの口ぶり、異様な興奮・・ただごとではない。だれかにそそのかされたか」

頼綱は尼たちを弁護する。

「後家尼御前の力は幕府でも絶大。御家人の大半は女どもの尻にしかれておる。尼将軍の政子様がお手本じゃ。また後家尼らの所領は数多い。蒙古との備えもあります。財政面で後家尼どもに援助してもらわねばなりませぬ。その意味で後家尼殿の御意向は粗略に扱うわけにはいきませぬ」

泰盛が反論した。

「しかし御成敗式目に鑑みれば、証拠がなければ日蓮を捕らえることはできぬ。他宗の批判は世上を惑わさないかぎり、幕府も許しております。武器を蓄え、悪人を集め、亡き殿を地獄に堕ちたなどという証拠は今のところありませぬ。それに・・」

頼綱がさえぎった。

「いや日蓮は捕らえるべきですな。この鎌倉ではいまや念仏にかわって法華経の題目がうずまいている。危険でござる。これ以上拡大させるべきではありませぬ。もし・・」

こんどは泰盛がさえぎった。

「殿、ひとつ考えがあります。日蓮の祈りの力用(りきゆう)恐るべきものでござる。蒙古の予言といい降雨の祈りといい、あれほどの力用を示した高僧はおりませぬ。蒙古の退治も日蓮を利用すれば必ずしるしがあるはず」

頼綱がいきりだした。

「ばかな。なにを申す」

泰盛もむきになった。

「おぬしこそ。幕府をほろぼす気か」

時宗は決断した。

「まて、母上まで出てきてはいたしかたない。一度は日蓮殿を問注所に召喚することにしよう」

泰盛は落胆した。

「日蓮殿を召喚する。結論はそれからだ。召し出して詰問すれば、尼御前たちは納得して静まるだろう。召喚の担当は頼綱、そちがせよ。だがくれぐれもはきちがえるな。日蓮殿は罪人ではない。丁重にあつかえ」

時宗は楽観的だった。

日蓮は悪人ではない。幕府が真意を聞いて公表でもすれば、自然に騒ぎはおさまると思っていた。しかしこれが頼綱の暴走をまねくことになる。

頼綱はうやうやしく時宗に平伏し、横に控えていた北条宣時に目で合図した。

尼御前の輿(こし)が葛西殿を先頭に若宮大路をすすむ。

執権の母である。すれちがう武士が頭をさげ、町民がひれふした。

そのなかで、ひときわ目だつ黒衣の僧が伏せていた。

葛西がにこやかに(すだれ)をあげて見おろした。

平伏した僧はこれに答え、うやうやしく顔をあげた。

極楽寺良観であった。


(    
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              29 平頼綱への諌暁 につづく
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by johsei1129 | 2017-03-20 17:22 | 小説 日蓮の生涯 上 | Comments(0)