2017年 03月 20日 ( 6 )


2017年 03月 20日

31 発迹顕本

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               (竜の口へつづく湘南の海岸 前方は江の島)

  すでに真夜中になっていた。
 宣時邸の門前では、幾本もの松明(たいまつ)が赤々と暗闇を照らしていた

平頼綱があらわれ鎧姿で馬にのった。

このあと日蓮が屋敷からでてきた。

兵士が両側にまっすぐ直立し、日蓮がそのあいだをすすむ。

兵士の中には、何故僧が打ち首になるのか戸惑いを隠せない者もいた。しかし頼綱の命は絶対であり従うしかない。

彼らは日蓮を鞍のない裸馬に乗せた。

松明をもつ先頭の一団が夜の鎌倉を出発した。戦闘でもないのに、真夜中に多数の兵士が隊列を組んで鎌倉の街道を進んでいく。異様な光景だった

味方はいない。

弟子たちは捕縛され追いたてられて散りじりとなり、小僧の熊王だけが、とぼとぼと馬のあとをついていく。熊王は歩きながら泣きじゃくる。少年は日蓮に助けられていらい、身辺の雑事を引きうけていた。その日蓮が死の淵に立たされている。父親が連れ去られて、泣かない子がどこにいよう。

やがて日蓮の目に鶴岡八幡宮の社がみえてきた。

八幡宮は月明かりの中、悠然とそびえ建っている。

頼綱が馬をおり、武士の神である八幡宮にむかって頭をさげた。郎従や兵士も一列に静止して頭を下げる。
 頼綱がふたたび馬にのり、全軍がすすもうとしたその時だった。

日蓮が声をあげた。

「またれい」

日蓮が、一行を制する声を聞いて兵士がおもわず歩みを止めた

「この期におよんで、おじけづいたか」

頼綱が軽蔑の目でみた。死を前にしての狼狽は恥とされる。

しかし日蓮はおちついていた。

「おのおの方、騒ぐべからず。べつのことはなし。八幡大菩薩に最後に申すべきことあり」

日蓮は馬からおりたとたん、あろうことか八幡を大音声で叱責した。人がかわったような叫びだった。

「いかに八幡大菩薩は、まことの神か」

一列にならんだ兵士が驚愕し、体をふるわせた。われらの氏神を罵倒するとはなんという僧侶。

日蓮が腹の底から雄たけびをあげる。

()()()()今日蓮は日本第一の法華経の行者なり。そのうえ身に一分のあやまちなし。日本国の一切衆生の法華経を謗じて無間地獄におつべきを、助けんがために申す法門なり。また大蒙古国よりこの国を攻むるむらば、天照大神・正八幡とても安穏におわすべきか。

 そのうえ釈迦仏が法華経を説きたまいしかば、多宝仏・十方の諸仏・菩薩あつまりて、日と日と、月と月と、星と星と、鏡と鏡とをならべたるがごとくなりし時、無量の諸天ならびに天竺・漢土・日本国等の善神聖人あつまりたりし時、おのおの法華経の行者におろかなるまじき由の誓状まいらせよとせめられしかば、一々に御誓状をたてられしぞかし。

 さるにては日蓮が申すまでもなし、急ぎ急ぎこそ誓状の宿願をとげさせたもうべきに、いかにこの処にはおちあわせたまわぬぞ」

日蓮の大音声が闇夜に響きわたる。

平頼綱が呆然とした。

最後に日蓮がおどすように叫ぶ。

「日蓮、今夜首切られ霊山浄土へまいりてあらん時は、まず天照大神・正八幡こそ誓いを用いぬ神にて候いけれと、さしきりて教主釈尊に申しあげ候わんずるぞ。痛しとおぼさば、急ぎ急ぎ御計らいあるべし」

この日蓮の大音声は「八幡大菩薩が法華経の行者を守るという誓いを破り、日蓮が今夜首を切られ、霊山浄土へ行くようなことになったら、誓いを守らない神だと教主釈尊に言いつけるぞ」という趣旨である。
 だが八幡大菩薩は闇につつまれ、沈黙したままだった。

日蓮がふたたび馬にまたがる。

全軍馬をすすめたが鎌倉幕府の守り神、八幡大菩薩を叱りつけるという日蓮のただならぬ大音声に驚愕し、兵士の中には身震いする者も少なくなかった

頼綱の軍馬が若宮大路をくだる。

月明かりの下、人影はなかった。

この大路は昔、征夷大将軍源頼朝の妻、政子の安産のために開かれた。いま兵隊は僧侶の首を刎ねるためにとおる。

ここに日妙と娘の乙御前が手をあわせていた。日妙は気丈に振る舞っているが、乙御前は涙が止まらない。

「日蓮聖人様」

日妙が日蓮の馬に近づいたが、兵士にはねとばされてしまった。

乙御前が母にだきつく。二人は地べたにすわりこみ、日蓮の無事を祈るばかりだった。


隊列はかまわずすすむ。

前方に黒衣の僧の一団がみえた。

彼らは日蓮にむかって念仏を唱和しだした。

そのなかに扇子を開いて顔を隠す者がいる。僧侶は扇子の骨の間から日蓮を見つめた。

極楽寺良観その人だった。


月光が闇夜の太平洋を照らしていた。

日蓮の隊列はようやく由比の浜についた。

ここに(やしろ)があった。鎌倉の基礎を築いた権五郎景政を祀る()(りょう)だった。

ここを右手におれて江の島竜の口の道を進もうとしたとき、日蓮がまたも声をかけた。

「しばしまて。告げるべき人あり。熊王よ」

熊王少年すぐにかけよった。

「熊王、四条金吾殿を呼んでまいれ」

少年は日蓮の目を見てうなずき、一目散で飛ぶように走った。

熊王にとって日蓮は育ての親以上であり、人生の師でもあった。日蓮にお供することが自分の人生そのものになっていた。その日蓮に死が迫る。

熊王は四条金吾様ならこの絶体絶命の窮地から救ってくれると直感した。彼はそう思うと、いてもたってもいられず、まるで空中を飛び跳ねるかのように金吾の屋敷にむかって駆け抜けた。

四条金吾の屋敷には明かりがついていた。

熊王がやっとのことでたどりつく。熊王の膝はもはや立たなくなっていた。彼は屋敷の明かりにむかって声をふりしぼった。

「きんごさま・・」

扉が開き、燭台を手にした金吾がでてきた。金吾はこの夜中になにごとかと警戒したが、熊王少年とわかるとすぐに事態を飲み込んだ。

「熊王ではないか、聖人に何かおきたか」

少年は涙声で告げた。

「聖人が、聖人がお呼びです。頼綱様の兵隊にさらわれて」

「しまった、今どこだ」

「由比の浜の御霊(ごりょう)の前です」

金吾が熊王をかかえて家に入れてると、すぐさま支度をはじめた。

着物の裾をしばり、刀を差した。そして勇躍外へでようとしたが、目の前に妻の日眼女があらわれた。
 娘をだいている。

日眼女は正座した。

金吾もゆっくりとひざを折った。

「すまぬ・・聖人に一大事だ。いかねばならぬ。帰ってはこぬかもしれぬ・・」

妻は不思議に笑顔である。

「覚悟しておりました。おまえ様、それでこそ日蓮聖人の一のお弟子」

「わしこそ、そなたを妻にしたのが誇りであった。すまぬ、月満をたのむ」

金吾が外にでて、月天子にむかって叫んだ。

「どうか日蓮聖人をお守りくだされ」

金吾は裸足で一目散に油井の浜にむかった。また居合わせた金吾の兄弟三人もあとにつづいた。

のこった日眼女が娘をかかえ、おなじく叫ぶ。

「どうか日蓮聖人を、四条金吾頼基(よりもと)お助けくだされ」

たどりついた金吾は月夜の下、馬上の日蓮が由比の浜で兵士に取りかこまれているのを見た。

最初、兵士は金吾におどろいて薙刀(なぎなた)ふせいだ。しかし平頼綱は興奮する兵士をなだめた。

「静まれ、静まれ。その者をとおしてやれ。日蓮一番の弟子、四条中務三郎左衛門尉頼基殿のおでましだ」

 頼綱に侮蔑の口吻がまじる。法華宗の金吾は御家人のあいだでも有名である。頼綱は師弟の最後の対面を許した。

金吾が馬の手綱をとった。

「ご無事でしたか。不肖の弟子ですが、なんとか間に合いました」

師日蓮は意外にもにこやかだった。

「今宵、首を斬られにまいるのです。この数年があいだ願っていたことです。この娑婆世界に(きじ)となったときには(たか)につかまれ、(ねずみ)となったときには猫に食われした。あるいは妻のために、子のために、また敵に身を失ったことは大地微塵よりも多いのです。いずれにしても死は一定です。されば日蓮、今世では貧道の身と生まれ父母の孝養は心に足らず、国の恩に報いる力もない。このたび首を法華経にたてまつり、その功徳を父母にたむけます。そのあまりはそなた方弟子檀那に分けてさしあげよう。問注があった日の夜、館で申したことはこの日の事だったのです」

平頼綱が改めて全軍に力強く命じた。

「これより、竜の口にむかう」

先頭に松明をもつ兵士数人。つづいて日蓮をかこむ軍団がすすむ。

平頼綱はここで軍団を見送り、鎌倉へ引きかえした。

頼綱の仕事はここで終わった。あとは自邸に帰って日蓮の首をまてばよい。闇にまぎれて暗殺するのは幕府執事のやることではない。あとは雑兵どもにまかせればよいと・・。

澄みきった秋の夜長、空には一片の月と無数の星霜が輝く。

右にけわしい山々。左に広大な太平洋を望む。

日蓮を乗せた馬は、金吾のもつ手綱に引かれて潮騒の音がやまない海岸線を粛々とすすむ。

いっぽうこの時間、北条時宗邸の寝室では、時宗が妻(のり)子の大きな腹をなでていた。彼はこの夜中に深刻な事態が進行中であることをつゆ程も知らない。

二人はたがいにほほえみあった。

時宗が祝子の腹に耳をあてた。

「早くでてこぬかのう」

祝子が笑う。

「そんなわがままをいってはなりませぬ。もう少したたないと生まれてはきませぬ」

「まちどおしいのう。生まれる日がはやくこぬかのう」

「殿はどうあれ。わたしは今がいちばんでございます」

「どうしてじゃ」

「このように殿にだいじにされるのが、いちばんうれしゅうございますもの」

祝子が時宗の胸に顔をうずめた。

この時、戸の向こうからささやく声がした。

「殿、殿、お休みでございまするか。殿・・」

安達泰盛の声だった。

時宗は何事かと立ち上がり、(ふすま)あけた

泰盛が正座してかしこまっている。

祝子がおどろいた。

「お兄さま」

時宗は泰盛の突然の訪問に戸惑いをかくせない。

「泰盛殿、この夜半に、いかがした」

泰盛が頭をあげ、憤怒の目を光らせた。

「たったいま注進がございました。日蓮の御坊が頼綱の兵に拉致され、竜の口にむかったとのことでございます」

「なに、日蓮殿を首を斬るというのか」

竜の口は斬首の代名詞である。祝子が時宗の背にだきついてふるえた。

時宗の声が邸内にひびきわたる。

「止めよ。頼綱に申せ。御台所懐妊の時に、僧侶の首を斬るとは何事ぞ。日蓮殿に罪はない。誤っては後悔あるべし」

月明かりの下、配下の武士が馬にとび乗った。

泰盛が時宗の書状を託して叱咤(しった)した。

「いそげ、竜の口だ」

泰盛は頼綱の横暴に憤っていた。頼綱の専横がつづけば自分も危うくなる。どうすればよいか。

泰盛は考えを張りめぐらした。

日蓮の処刑を妨害すれば、頼綱の力をそぐことになる。日蓮を助けるためではない。己の保身のためにだ。

日蓮を乗せた馬が海岸線の道を竜の口に向け、さらにすすむ。

現在もそうだが、左は海、右はせりたった山がつづいている。逃げ場はない。

平頼綱は闇の中で日蓮を葬るつもりでいる。鎌倉幕府は要人の処刑をつねに隠密裏に行った。都では斬らない。平家の処刑しかり、承久の変で捕えた公家しかりである。

かたや四条金吾は日蓮の馬の手綱をとり胸をはった。さえぎる敵などないかのように。

金吾はすでに覚悟を決めていた「平頼綱が竜の口と決めた以上、日蓮上人の死は免れない。ならば自分も腹を切るまで」と。

金吾は日蓮から日ごろ度々聞かされていた。「死は一定」と。

いずれ人は死ぬ。されば何のために死ぬかで来世の命運が決まる。武士としての師は北条一門の名越光時だが、三世に亘る法華経の師は日蓮に他ならない。その師ともに霊山に行くことができるのなら、己の人生に何の不足があろうか。

竜の口の刑場に波がよせては返す。

暗闇に広大な太平洋がひろがる。

砂浜の一角の四方に松明がともされ、兵士が守りをかためていた。

ひとりの兵士が首のおちる穴を掘る。

太刀取りの依智三郎直重は傲然と床几に腰かけ、名刀蛇胴丸を左脇に立てて日蓮の到着を待っていた。その刀の柄が松明に照らされ不気味に光った。

時宗の使者が海岸線を疾駆していた。だがいま一歩おそかった。

日蓮の一行はすでに竜の口の目と鼻の先まで近づいていた。

月明かりの下、彼方に江ノ島が見えてきた。

ここで金吾は日蓮の馬の手綱を引きながら思いにふける。彼は日蓮との出会いを回想していた。

はじめて会った時、金吾は日蓮に食ってかかった。それをやさしく受けとめてくれた師匠の笑顔。

入信して日蓮に喜ばれた日。

我が子をだいてよろこぶ日蓮の姿。

そして証人となるようにと言われた時の日蓮の親をも凌ぐ愛情。

いまになって、どれもこれもがいとしい。

金吾がますます感傷にふけった。

(ああそうだ、そうだったのだ。このお方は自分の主であり、師匠であり、父だったのだ。今それがしかとわかった)

 この時金吾は、日蓮から説法をうけた法華経()(じょう)()()を思い起こした。「在在諸仏土(じょう)()(しぐ)(しょう)」ここかしこの仏国土に、常に師と俱に生るるなり、と。


やがて前方に刑場の灯がみえた。

悲愁が金吾を襲った。

刑場の兵士がさわぐ。

「きたぞ」

兵士が日蓮の馬をとりかこんだ。

ここで金吾が感きわまり、手綱をつかみながら声をふりしぼった。

「上人、ここで今生のお別れでございます・・」

金吾は大声で泣いた。

ふだんは短気で強情な四十一歳の男だった。しかし涙が流れるのをとめることができない。

馬上の日蓮は金吾を見て慈愛の目をみせた。しかしつぎの瞬間、厳父の顔で金吾を叱りつけた。

「なんと情けない武士だ、金吾よ。これほどのよろこびをなぜ笑わぬ。なぜ約束をやぶるのだ」

金吾は手綱をつかみながらひざまずき、泣くのをやめない。

御書にいう。

左衛門尉申すやう、ただ今なりとなく()。日蓮申すやう、かく()のとのばらかな。これほどの悦びをば笑えへかし。いかにやく()そく()をばたがへらるゝぞ 『種々御振舞御書

最後の最後まできびしい師匠であった。この期におよんでも弟子を叱った。だが日蓮にとって一緒に死のうとする金吾の気持ちを思えば、これほどうれしいことはない。しかし今、自身が末法の法華経の行者として最大の岐路を迎える瞬間がせまっている。その時になにがおきるのか。日蓮は予感していた。だがそこに証人がいなければ、後世に正しく伝わらなくなる。歴史の荒波に藻屑として消えるやもしれないのだ。

日蓮は金吾をさますため叱責した。

(四条金吾よ、しっかりするのだ、心して見ておけ)

日蓮が馬からおり、刑場へおもむく。

現在の午前三時前後、丑寅の刻であった。

月と松明の明かりの中、筵がしかれている。そこに首切り役人がまっていた。

日蓮は敷物に正座し手をあわせた。

ここでようやく伯耆房ら弟子たちが追いついた。彼らは数珠をとりだし、涙とともに題目を唱えはじめた。つねひごろ気丈な伯耆房の目頭からも、さすがに一筋の涙がこぼれた。

四条金吾は日蓮のななめうしろに正座した。そして上半身裸となり、短刀の鞘からおもむろに刀をぬく。日蓮と死を共にするためだ。

号令がかけられた。

「はじめ」

日蓮が唱える。

「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・」

首切り役人が日蓮の左うしろにすすみ、ゆっくりと刀をぬき、高くかかげた。

この時である。

どこからか、光が刀剣に反射した。

役人があやしんで動きをとめた。

光は海のむこう、江の島方向の太平洋の暗闇からだった。

満月と見まごうほどの大きさの白い光り物が、ゆっくりとこちらにむかってくる。

「あれはなんだ」

目の前の江ノ島全体が不気味にかがやいた。

兵士が絶叫した。

光が音もなく、兵士一人一人の顔を照らし、竜の口の刑場一面が真昼のようになった。

「でた」

首切り役人は倒れ伏し、兵士は悲鳴をあげて逃げ散った。武士は馬からおり、ふるえながら手をあわせる。馬の上でうずくまる者もいた。

古来、竜の口の法難についてはさまざまなことがいわれてきた。斬る瞬間に雷がおちたとか、刀がこなごなにわれたとか、まことしやかにいわれるが真相は以上である。

光物に関する詳細な史料はただ一つ、日蓮がのこした『種々御振舞御書』にしかない。

()しま()のかたより月のごとくひかり()たる(もの)まり()のやうにて辰巳(たつみ)(東南の方角)のかたより戌亥(いぬい)(西北)のかたへひか()りわたる。十二日の夜のあけ()ぐれ()、人の(かお)()へざりしが、物のひか()り月()のやうにて人々の面もみなみゆ。太刀取り目くらみ()ふれ臥し、兵共(つわものども)おぢ(おそ)れ、けう()さめ()て一町計りはせのき、或は馬よりおりてかしこまり、或はうま()の上にてうずくまれるもあり。

兵隊は刑場周辺に散り散りとなった。のこされたのは日蓮と金吾、伯耆房ら日蓮門下の弟子信徒だけとなった。

奇跡であった。

読者はこの劇的な事件が作り話と思われるかもしれない。

じつは光物の登場はこれがはじめてではない。

北条幕府の公式記録「吾妻鏡」におなじ光物の記録がある。この日からさかのぼること五十年前、寿永元年六月二十日のことだった。

  戌剋(イヌノコク)。鶴岳辺有光物。指前浜辺飛行。其光及数丈(シバラク)不消。

(午後八時頃、鶴岡の辺に光る物があらわれた。前浜の辺へと飛んでいき、その光は数丈に及び、しばらく消えなかった)

 鶴岳とは日蓮が叱咤した八幡宮の場所である。光物はここから海にむかって飛来したという。竜の口の光物は寅の刻、午前三時頃の深更にあらわれた。また進入経路も五十年前とは逆で、太平洋から内陸にむかって飛んでいる。


またこの現象を科学的な見地から推測した学者がいる。東京天文台長で、東大教授だった広瀬英雄は、この光物の正体は彗星が落とした破片(流星)だったという。

この日、文永八年九月十二日は太陽暦で今の十月二十五日にあたる。日蓮によると光物が出現する直前は真っ暗で、人の顔も見えなかった。この時を「あけぐれ」と呼んでいる。天体運用表で計算してみると、当日の月没時刻は午前三時四十四分(日本標準時)であるから、死刑執行予定時刻は月没ごろかその少しあと、ほぼ現在の午前四時前と考えてよい。(うし)の刻の終わりである。

さらに広瀬はこの光物が、おひつじ・おうし座の流星群に属するものと考えた。なぜならこの流星群は十月下旬に活動し、しばしば明るい流星を発生させるからである。この流星群を発生させる母体がエンケ彗星である。この彗星は太陽の周りを3.3年の周期で公転する。その軌道に沿って落としていった小さな破片(流星)が地球に落下し、日蓮の命を救ったという。『流星光底の長蛇・日蓮と星』一九七三年

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                  エンケ彗星 Wikipedia より

 いずれにせよ光物は日蓮を闇の中で葬ろうという陰謀を、白日のもとに暴いたのだった。

 四条金吾は絶体絶命の窮地を乗り越えたことに驚愕するとともに無事であることの喜びで師のもとにかけよった

「聖人、ご無事でなによりでございます」

しかし日蓮はどうしたことか意外な行動にでた。

立ちあがり、逃げ散った兵士を叱ったのである。

いかにとのばら・かかる大禍ある召人(めしうど)にはとを()のくぞ近く打ちよれや打ちよれや。 
 ()あけば・いかにいかに(くび)(きる)べくわいそぎ切るべし夜明けなば()ぐる()しかりなん。  「種々御振舞御書

「どうしたおのおのがた。この囚人になぜ離れる。もどらぬか。近くにきてこの日蓮を斬ってしまえ。もう夜が明ける。急いで斬るべきだ。明るくなれば見苦しいではないか」

 すさまじい気迫である。

だが兵士は草や砂に身をかがめて動けず恐怖にふるえた。戦いでは勇猛果敢でも、得体の知れない相手には死ぬほど臆病だった。

日蓮はなおも怒ったように呼ぶ。

()()()()(
)

答える者はだれもなかった。

この時、かがやく朝日がかなたの水平線から顔を出し、暗闇がやぶられた。

日蓮が光を真正面に受け、砂浜に正座した。

そして太陽にむかい、手をあわせて「南無妙法蓮華経」と一声題目を唱え、地にひれ伏した。

よせる波がざわめく。

ひれ伏していた日蓮が上体をおこすと、太陽の光線が日蓮の全身をてらした。

四条金吾、伯耆房らの弟子信徒がこの姿に打ち震え、かけよって日蓮その人にひれ伏した。

元初の日天子が天空にみなぎり、日蓮とその門下をてらす。

日蓮はこの時の心情を、九日後に四条金吾に宛てた手紙で次のように書きのこしている。


今度法華経の行者として流罪・死罪に及ぶ。流罪は伊東、死罪はたつのくち。相州のたつのくちこそ日蓮が命を捨てたる処なれ。仏土におと()るべしや。其の故はすでに法華経の故なるがゆへなり。経に云はく「十方仏土の中には(ただ)一乗の法のみ有り」と、此の意なるべきか。此の経文に一乗法と説き給ふは法華経の事なり。十方仏土の中には法華経より(ほか)は全くなきなり。「仏の方便の説をば(のぞ)く」と見えたり。()し然らば日蓮が難に()う所ごとに仏土なるべきか。娑婆世界(注)の中には日本国、日本国の中には相模国、相模国の中には片瀬、片瀬の中には(たつ)(のくち)に、日蓮が命をとゞめをく事は、法華経の御故なれば寂光土(じゃっこうど)(注)ともいうべきか。神力品(じんりきぼん)に云はく「若しは林中に於ても、若しは園中に於ても、若しは山谷(さんごく)曠野(こうや)にても、是の中に乃至(ないし)(はつ)涅槃ねはん)したまふ」とは是か。 『四条金吾殿御消息



           32 虎口からの脱出 につづく
上巻目次

発迹(ほっしゃく)顕本(けんぽん

)迹を(ひら)いて本を(あらわ)す、と読み下す。天台は、法華経如来寿量品第十六で、釈尊が始成正覚(釈迦族の王宮をでて出家し、菩提樹の下で悟りを開いた)という迹を(はら)って五百(じん)(てん)(ごう)()()他阿(たあ)僧祇(そうぎ)久遠(くおん)成道(じょうどう)したという「久遠(くおん)(じつ)(じょう)」の本地を顕したと説いた。日蓮大聖人は竜の口の法難で、上行菩薩の再誕という迹を発って、末法の本仏としての本地を顕した。


娑婆世界

苦悩が充満している人間世界のこと。忍土・忍界ともいう。娑婆は梵語サハーの音訳で、勘忍(かんにん)・能忍と訳す。また娑婆とは法華経弘通の世界である。釈尊は法華経如来寿量品第十六で「我常在此 娑婆世界説法敎化 亦於餘處 百千萬億 那由佗 阿僧祇國 導利衆生(我は娑婆世界で常に説法敎化してきた。また余所の幾千万億の国でも衆生を導き利してきた」と説いている。ここから狭義の意味では娑婆は釈尊有縁の仏国土=地球と言える。また余所の幾千万億の国という表現は、この宇宙に仏が出現する仏国土つまり星は無数にあることを示している。

「御義口伝に云はく、本化弘通の妙法蓮華経を大忍辱(にんにく)の力を以て弘通するを娑婆と云ふなり。忍辱は寂光土なり。此の忍辱の心に釈迦牟尼仏あり。娑婆とは堪忍世界と云ふなり云云」『神力品八箇の大事』

寂光土

常寂光土ともいう。観無量寿経疏等で天台が説いた四土の一つ。真実の本仏が住する国土のこと。常は本有(ほんぬ)常住またはその体である(ほっ)(しん)、寂は寂滅・解脱、光は光明・諸相を照らす智慧般若(はんにゃ)の意。この常住・寂滅・光明の仏土が常寂光土である。しかし釈迦は法華経如来寿量品第十六で「是れより(このかた)(われ)(つね)()の娑婆世界()って説法教化す」と説いて娑婆世界が即常寂光土であることを明かした。日蓮大聖人は妙法(たも)つ者の住所が常寂光土であると説く。

「今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は化城即宝処なり。我等が居住の山谷(せんごく)(こう)()皆々常寂光の宝処なり云云」『御義口伝 化城喩品七個の大事




by johsei1129 | 2017-03-20 21:03 | 小説 日蓮の生涯 上 | Comments(0)
2017年 03月 20日

29  平頼綱への諌暁

良観は日蓮つぶしの策を懸命にめぐらした。時宗が日蓮の処罰に消極的であるのを知ると、尼御前を中心とした女性たちに訴えたのである。尼御前たちは良観を盲目的に信じている。彼女たちにとって日蓮が蒙古来襲を予言したのも雨をふらせたのも、ただの偶然である。逆に良観の涙ながらの訴えは女たちを動かした。情に動く尼御前は、日蓮憎しの感情を爆発させた。

日蓮はこの良観による策謀のはげしさを、五年後の建治五年に著した『報恩抄』で次のように証言している。

かういよいよ身を()しまず()めしかば、禅僧数百人、念仏者数千人、真言師百千人、或は奉行(ぶぎょう)につき、或はきり(権家)人につき、或はきり(権閨)女房につき、或は後家(ごけ)(あま)御前等えつひて無尽のざんげん(讒言)をなせし程に、最後には天下第一の大事、日本国を失わんと(じゅ)()する法師なり。故最明寺(こさいみょうじ)殿・極楽寺殿を無間地獄に堕ちたりと申す法師なり。御尋ねあるまでもなし、但須臾(しゅゆ)(くび)をめせ。弟子等をば又或は頸を切り、或は遠国につかはし、或は(ろう)に入れよと尼()ぜん()たち()いからせ給ひしかば、そのまゝに行われけり。

最明寺入道とは北条時頼、極楽寺入道とは重時のそれぞれの法名である。日蓮は鎌倉幕府に多大な功績のあった二人を無間地獄に堕ちたという。

良観をはじめとして日蓮を憎む者たちの逆襲が始まった。祈雨の勝負で日蓮の名声は高まったが、それにもまして憎悪する者たちの怒りは強まったのである。

だが日蓮は憎悪する者、すなわち三類の強敵を恐れない。日蓮に妥協はない。折伏はいよいよ強まった。両者の激突は決定的になっていく。

日蓮はかれらの本性を嫉妬に狂う女性にたとえている。

(たと)へば女人物をねためば胸の内に大火もゆる故に、身変じて赤く、身の毛さかさまにたち、五体ふるひ、面に炎あがり、かほは朱をさしたるが如し。目まろ()になりて、()の眼のね()みをみるが如し。手わなゝきて、か()わの葉を風の吹くに似たり。か()はらの人是を見れば大鬼神に異ならず。日本国の国主・諸僧・比丘・比丘尼等も又()くの如し。たのむところの弥陀念仏をば、日蓮が無間地獄の(ごう)と云ふを聞き、真言は亡国の法と云ふを聞き、持斎は天魔の所為(しょい)と云ふを聞いて、念珠をくりながら歯をくひちがへ、(れい)をふるに()びをどりおり、戒を持ちながら悪心をいだ()く。極楽寺の生き仏の良観聖人、折り紙をさゝ()げて(かみ)へ訴へ、建長寺の道隆聖人は輿(こし)に乗りて奉行人にひ()まづく。諸の五百戒の尼御前等ははく()つか()ひてでん()そう()をなす。  『妙法比丘尼御返事

日蓮は弟子信徒に問注所への喚問が決まったことを告げた。

弟子たちの中には顔を曇らせる者もいたが、日蓮はいつになく機嫌が良かった。伯耆房日興にとって、こんな笑顔の上人を見るのははひさしぶりのことだった。

「先ほど侍所から呼びだしがありました。まちにまったことです。かならず何事かおこるでしょう。仏は記している。釈迦滅後二千年すぎて、末法のはじめに法華経の肝心である題目の五字ばかりを弘めん者があらわれる。その時、悪王悪人が大地の土くれより多くして在家の信徒を語らい、あるいは誹謗し、あるいは打ち、あるいは牢に入れ、あるいは所領を召し、あるいは流罪、あるいは首をはねる、などいうとも退転なく弘むるほどならば、あだをなす者は、国主は同士討ちをはじめ、餓鬼のごとく身を食らい、のちには他国より攻められるべし。これひとえに梵天・帝釈・日月・四天王らが、法華経の敵なる国を他国より攻めさせたもうなるべしと」

弟子や信徒がざわついた。不安がたかまっている。

「おのおの、わが弟子と名なのらん人々は一人も臆病であってはなりませぬ。親を思い、妻子を思い、所領をかえりみてはなりませぬ。はるか昔よりこのかた、われらは親子のため、所領のために命を捨てたことは大地(だいち)微塵(みじん)よりも多かった。しかし法華経のゆえには一度も捨てることがなかった。法華経をわずかに行じてはいたが、大難がおきると退転してとどまった。たとえば湯をわかして水を入れ、火をおこすのをやめてしまうようなものです。おのおの思い切りなされ。この身を法華経に替えるのは、石を黄金にかえ(ふん)を米にかえることなのです。よろしいかな」

即座に四条金吾が口元を引き締め返事をした。

これにつられて信徒がつぎつぎと立ちあがり、誓いの言葉をのべていく。

いいしれぬ高揚感がみなぎっていた。みな敵などないかのように陽気に叫んだ。

「わたしはどんな難があっても退転はいたしませぬ」

(それがし)は一生この信心を貫いてみせます」

「わたしはどんな権威も恐れませぬ。勇気をもって法華経が第一であるといいきります」 
  

喚問の日がきた。文永八年九月十日である。

日蓮が侍所の門をくぐりぬけていく。

うす暗い廊下をわたる。

警護の武士が通りすぎる日蓮を凝視する。

日蓮は表情を変えず、まっすぐに進む。

広間では侍所の面々がいた。みな緊迫した面持ちで日蓮があらわれるのをまっている。

中央に平頼綱。そのわきに郎従の少輔房(しょういぼう)がいた。
 その少輔房がしたり顔で発言する。

「日蓮はまず腹の内は見せますまい。弁舌はたくみとのこと。この場ではのらりくらりと答えるだけでしょうな。さもなくば、われらにおじ気づいて思うことの半分も言えぬはず。ここにきた者は泣いてわびる者もおりますからな」

 頼綱はつまらなそうだった。

 天下をとりしきる北条の執事が一介の坊主を相手にしなければならない。少輔房の話を右から左に聞き流していた頼綱がつぶやいた。

「このわしにどのようにでるか。良観のように尻尾をふるのならよし。さもなくば・・」

「首を斬るまで」と少輔房が冗談めかしに相槌をうった。

すると頼綱が不敵な笑いをうかべて少輔房をとがめた。

「これ、めったなことを申すな。若殿からお叱りをうけるぞ。日蓮は世間を騒がすだけの男だ。この日本のあらゆる坊主が立身出世したいように、日蓮も幕府に取り入りたいのだ。おどして甘い話をもちかければ、なびくであろうて」

頼綱はこの時三十歳。日蓮とは二十歳年下の若さだったが、鎌倉幕府創設いらい、御内人の筆頭として執事を務めた一族の威光といい、執権時宗の後ろ盾といい、こわいものなしの傲慢さをもちあわせている。そのためだれも頼綱に意見をいえない。彼はますます傍若無人となった。

役人が声をあげた。

「日蓮上人が出頭いたしまする」

日蓮が登場した。いつになく静かな面持ちだった。

頼綱の郎党が日蓮をとりかこみ、なめまわすように見た。あたかも獲物をねらう野獣の目だった。

日蓮が下座につく。

少輔房が口火を切った。

「そのほうが日蓮か。さっそくだが聞こう。おぬしの嫌疑はかず知れぬ。兇徒を集め、刀杖を蓄えている疑いあり。いつわりないか」

日蓮はすぐさま答えた。

「そのとおりです」

一同が驚愕した。彼らは日蓮が自分で不利となる証言をいうとは思わなかった。ずばり言ってのけるとは。

日蓮はこともなげにつづける。

「ただし兇徒とは全くのいつわりであります。法華経の信徒を兇徒呼ばわりする者にそのままお返しいたします。つぎに刀杖の件ですが、法華経守護のための弓箭(きゅうせん)(へい)(じょう)は仏法の定まれる法にございます。例せば国王守護のために刀杖を集むるがごとしでございます」

 あまりの返答ぶりにみな言葉がでない。

勇猛なはずの少輔房の声がふるえた。

「されば今は亡き北条時頼様、重時様を地獄に堕ちたと申し、建長寺、極楽寺を焼きはらえと申し、良観上人、道隆上人の首をはねよと申したということ。これらはまさか本心ではあるまいな、いつわりであろうな」

沈黙がながれた。

平頼綱がじれ、はじめて声をかけた。

「どうした日蓮、答えぬか」

日蓮は一旦呼吸を整え、気力を振りしぼり一気に論陣を張った。

「それらのこと一言も(たが)わず申しました」

武士がまた驚嘆した。扇子をおとす者がいる。頼綱も唖然(あぜん)とした。

「ただし、時頼殿、重時殿が亡くなった時に地獄に堕ちた、ということはいつわりであります。なぜならこれらのことは、お二人の御存生の時からすでに申しあげていること」

頼綱が日蓮の前で仁王立ちになった。

「気でも狂ったか」

 頼綱にはそうとしか思えない。幕府にたいする挑戦ではないか。これでは自分を処罰せよといっているようなものだ。

日蓮は、戸惑いを隠せない幕府役人には目もくれず、淡々と話し続けた。

「それらのことはこの国を思って申した事。世を安穏に保たんと(おぼ)し召すならば、かの僧侶どもを召しあわせてお聞きくだされ。そうではなく理不尽に行われるのであれば国に後悔あり。日蓮重罪をうけるならば、仏の使いを用いぬことなり。梵天・帝釈・日月・四天のおとがめあって流罪死罪の後、百日、一年、三年、七年の内に自界(じかい)叛逆難(ほんぎゃくなん)と申して、ご一門は同士討ちをはじめるでありましょう」

一同がさわぐ。

怒声を浴びた日蓮は声高になった。

「そののちは他国侵逼難(たこくしんぴつなん)といって四方より、ことには西方より攻められるであろう。そのとき後悔あるべし、平の左衛門の尉殿」

頼綱が激高した。

「たわけ者めが。なにを申すか。おまえなぞ、今すぐにでも首を斬れるのだ。わしをだれだと思っている」

日蓮は頼綱の目を見すえた。

「侍大将なり」

頼綱がさらに逆上した。

「なめておるのか。日本国の武士をつかさどる者に、なんという口のききかただ。あの無礼な書状といい、いまの暴言といい、だんじて許せぬ。さらし首にしてくれようか」

 日蓮は諭すように頼綱に語りかける。

「貴殿は天下の棟梁ですぞ。なぜ日本国を救う柱を損なおうとするのか。なによりも国難に思いをめぐらして、すべからく異敵を退ける事こそ肝要でありましょう。世を安んじ、国を安んずるを忠となし孝となす。これひとえに我が身のために申すにあらず。日本国のため、幕府のため、民のために申しあげるのです」

場内は日蓮の気迫にのまれたが、頼綱だけは日蓮にあらんかぎりの罵声を浴びせた。

「ええい、ここから立ち去れ、安房の乞食坊主め。念仏無間、禅天魔と悪口(あっく)をほしいままにし、兵杖をたくわえて世を乱す。おぬしこそ地獄に堕ちようぞ。かならず首をはねてやる」

頼綱の罵詈(ばり)雑言(ぞうごん)がやまない。日蓮は安房の地頭だった東条景信を思いだした。景信も横暴のかぎりをつくしたが頼綱の比ではない。景信は一地頭だが、頼綱は天下を仕切っていた。のちにこの時の様子をしるす。

太政入道のく()ひしやうに、すこしもはゞかる事なく物にくるう  『種々御振舞御書

頼綱は平清盛のように狂乱の本性をあらわした。極楽寺良観は僭聖(せんしょう)増上慢の本性を、頼綱は第六天の魔王(注)の本性をむきだしにした。

日蓮は頼綱の予想された反応に驚きもせず、泰然として問注所を後にした。

 平頼綱は日蓮が去ったあとも、こぶしを握りしめたまま立っていた。

彼は自分が今の日本を支配する者と自負していた。主の時宗以外、右に出る者はないと思っていた。御家人の安達泰盛さえ眼下においた。しかしこの高慢心は日蓮によって砕かれた。

(この俺に意見する者がいたとは)

頼綱の目に赤い光線が走った。

灯心が侍所の一室で光り、平頼綱と北条宣時を不気味にてらす。

頼綱がきりだした。

「危険だ。今まであのような男を見たことがない。このままほおっておけば一大事となろう」

宣時は不安げにいう。

「しかし若殿がどうでるか問題だ。殿は日蓮をかばっているようにみえる」

頼綱が宣時の不安を振り払うかのように断言した。

「殿はまだお若い。これからはわれらの出番だ。われらが日蓮を隠密裏に処置し、全てがとどこおりなく終わった後に報告すれば、殿ももはや手出しはできない。後の祭りということだ」

日蓮を闇から闇へ葬る策謀だった。頼綱は日蓮を処刑することに決めた。独裁者の側近が使う手である。日蓮を処刑したあと、処理済の案件として時宗に報告すれば、いっときひと悶着あったとしても、時間が経てば最後は不問に付すしかない。

日蓮は彼らの本質を見ぬいていた。(くぼ)(あま)御前の手紙にしるす。

これにつけても(かみ)と国とのためあはれなり。木のした()なるむし()の木を()らひ()うし、師子の中のむしの師子を食らひ()しなふやうに、守殿の御をん()にてすぐる人々が、守殿の御威を()りて一切の人々を()どし、なやまし、わづらはし候うえ、(かみ)の仰せとて法華経を失ひて、国もやぶれ、主をも失って、返って各々が身を()ろぼさんあさましさよ。『窪尼御前御返事

守殿とは時宗のことである。頼綱は日蓮を罰しようとして、かえって災いが自分の身にふりかかるのを、この時は露ほども知らない。
 日蓮は罵声を浴びたが、彼らの末路を思うとあわれを感じ、懸命の説得に動いた。

日蓮は問注所で対面した翌々日の申の時(午後三時~五時)、立正安国論を添えて頼綱に次の書状をとどけている。日蓮は自身が罪人となることを回避しようとしたわけではない。あくまで日本の国主、時宗が法華経に帰依することを願っていた。そのため側近の頼綱に一()の望みをかけた。


()一昨日見参に罷入(まかりいり)候の条悦び入り候。(そもそも)人の世に在る誰か後世を思わざらん仏の出世は(もっぱ)ら衆生を救わんが為なり。(ここ)に日蓮比丘(びく)と成りしより(かたがた)法門を開き、已に諸仏の本意を覚り、早く出離(しゅつり)の大要を得たり。其の要は妙法蓮華経(これ)なり。一乗の崇重、三国の繁昌の()、眼前に流る、誰か疑網(ぎもう)(のこ)さんや。而るに専ら正路に背いて(ひとえ)(じゃ)()を行ず然る間、聖人国を捨て、善神(いかり)を成し、七難並びに起つて四海(しず)かならず。(まさ)(いま)世は悉く関東に帰し人は皆士風を貴ぶ。就中(なかんずく)日蓮生を此の土に得て(あに)吾が国を思わざらんや。()つて立正安国論を造つて故最明寺入道殿の御時、宿屋の入道を以て見参に入れ(おわ)んぬ。而るに近年の間、多日の程、(けん)(じゅう)(中国の異民族)浪を乱し()(てき)(蒙古)国を伺う。先年勘え申す所、近日()(ごう)せしむる者なり。彼の太公が(いん)の国に入りしは西伯(せいはく)の礼に依り、(ちょう)(りょう)が秦朝を(はか)りしは漢王の(まこと)を感ずればなり。是れ皆時に当つて賞を得たり、(はかりごと)()(ちょう)の中に(めぐ)らし勝つことを千里の外に決せし者なり。(それ)()(ぼう)を知る者は(りく)(せい)()(注)なり。法華を弘むる者は諸仏の使者なり。而るに日蓮(かたじけな)くも(じゅ)(れい)(かく)(りん)(注)の文を開いて、()(おう)烏瑟(うしつ)(注)の志を覚る。(あまつさ)へ将来を勘へたるに(ほぼ)普合することを得たり。先哲に及ばずと(いえど)(さだ)んで(こう)(じん)には(まれ)なるべき者なり。法を知り国を思ふの志(もっと)も賞せらるべきの(ところ)邪法(じゃほう)邪教(じゃきょう)(やから)讒奏(ざんそう)讒言(ざんげん)するの(あいだ)久しく大忠(だいちゅう)(いだ)いて而も未だ()(ぼう)を達せず。(あまつさ)へ不快の見参に(まか)り入ること(ひとえ)に難治の次第を(うれ)ふる者なり。

伏して(おもんみ)れば(たい)(ざん)に昇らずんば天の高きを知らず、深谷に入らずんば地の厚きを知らず。()て御存知の為、立正安国論一巻(これ)を進覧す。(かんが)()する所の文九牛(きゅうぎゅう)一毛(いちもう)り。未()を尽くさざるのみ。

(そもそも)貴辺は当時天下棟梁(とうりょう)なり。何ぞ国中の良材を損ぜんや。早く賢慮(けんりょ)(めぐ)して(すべから)く異敵を退くべし。世を安んじ国を安んずるを忠と為し孝と為す(これ)(ひとえ)に身の為に之を述べず、君の為、仏の為、神の為、一切衆生の為に言上せしむる所なり。恐々謹言。


  文永八年九月十二日               日蓮花押

謹上 平左衛門尉殿                        『一昨日御書


日蓮はこの書で、時宗の側近である頼綱に、事実上の第二回目の国家諌暁を成し遂げた。しかし頼綱の方針が覆ることはなかった。日蓮が言ったとおり、頼綱は御しがたい「難治」だった。
 そして日蓮は、この文永八年九月十二日の第二回目の国家諌暁が、生涯最大の運命の分岐点となることを願っていた。


30 竜の口の法難 へつづく

上巻目次


 

第六天の魔王

第六天とは他化自在天のこと。()(じゅん)ともいう。欲界の六欲天の最頂に住する。大智度論に「此の天は他の化する所を奪って而して自ら娯楽するが故に他化自在と言う」とある。また多くの眷属とともに仏道を成ずるのを妨げ、智慧の命を奪うので(だつ)(みょう)ともいう。三障四魔の中の天子魔にあたる。この魔は一切衆生の命に宿る。

「元品の法性(ほっしょう)梵天(ぼんてん)帝釈(たいしゃく)等と(あら)われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」 『治病抄』

六正の聖臣

「ろくせいのせいしん」とも読む。儒家で正しい臣下の標準を六種に分類した六正(聖臣・良臣・忠臣・智臣・貞臣・直臣)のうちの最高の臣下・聖臣のこと。いまだ現れない事柄や存亡の機・得失を予知して、常に主君を安泰にしておく臣下をいう。


( )・鶴林の文

 鷲嶺は霊鷲山の意で法華経のこと。鶴林は釈迦入滅の地の沙羅樹林で涅槃経のこと。


()(おう)烏瑟(うしつ)

どちらも仏の異称。鵞は鵞鳥のこと。応化の仏の三十二相の中の手足指縵網(しゅそくしまんもう)相(手足の指の間に水かきがあること)から転じたもの。

 烏瑟とは、(ぶっ)(ちょう)()(けん)(ちょう)(にく)(けい)と訳す。仏の三十二相の一つ。頂骨が隆起し、(もとどり)のようなさまをさす。






by johsei1129 | 2017-03-20 17:55 | 小説 日蓮の生涯 上 | Comments(0)
2017年 03月 20日

28 極楽寺良観の策謀

時宗の妻祝子(のりこ)が二人の乳母に両手をかかえられ館の廊下を歩いていた。

身重であった。

色白く一見ひ弱に見える十九歳の若妻が、二十歳の時宗の前にゆっくりとかしずき、うやうやしく両手をそろえる。

祝子は安達泰盛の腹違いの妹で、四十歳の泰盛とはかなりの歳のひらきがあった。このため父亡き後、泰盛は祝子を養子にしていた。

「殿にはご機嫌よろしゅうあそばされ、なによりにございます」
「大きくなったのう」
 時宗は満面の笑みで祝子の腹に目をやる。
彼女は腹をなぜた。

「わらわもあとすこしで願いが叶えられまする」
 祝子は今執権の妻として幸せの絶頂にいた。

今日の時宗はにこやかである。

「安静にいたせ。その子は北条の頭領になるやもしれぬ」

祝子が悲しげな顔をした。

「わらわも殿の望む男の子を生みとうございます。わらわのまわりは、みな男であることを願っておりますが、もし叶わなければ心苦しゅうございます」

「そんなことは気にするな。男であれ、女であれ元気に生まれてくるのがなにより。どちらが生まれてくるかは天の思し召し。案ずることはない。今は安静がなにより大事だ」

「それをうかがいまして安心いたしました。肩の荷がおりたような気がします。身も不自由でなにかと周りの者も気ぜわしい毎日で・・」   

乳母が気を利かして出ていった。

祝子はだれもいなくなったのを確かめると、そっと時宗にだきついた。涙目である。

「もっと殿に会いとうございます。わらわのわがままでございましょうか」

 時宗が祝子の肩を強くだいた。

「我慢いたせ。もう少しの辛抱ではないか。わしもそなたに会いたい。国の一大事を片づけなければ、わしも自由になれないのだ」

祝子が夫の目を見つめた。

「やはり、むくりのことでございますか」

 当時、人々は蒙古のことを「むくり」とよんでいた。

「むくりだけではない。このたびの飢饉もなんとかやり過ごすことができた。次から次へと、わしの手に負えぬことばかりだが」

時宗はもう一度祝子の腹に手をあてる。

「この子のためにも、懸命に執権のお役目を仕事を果たすだけだ」

祝子がふたたび時宗の胸に顔をうずめた。至福の時である。

この時、時宗は戸のむこうに人の気配を感じた。

執事の平頼綱だった。

「殿、来客でございます」

「左衛門の尉、いま手がこんでおる。あとにせい」
 時宗は祝子を抱いたまま返事をする。

頼綱の返事はいつもとちがい歯ぎれが悪い。

「それが困ったことに・・」

「どうした。だれがきたのだ」

「葛西殿、讃岐の局、冶部卿、そのほか尼御前方が多数お見えで」

祝子は思わず時宗からはなれ、身繕いをする。

時宗が吐き捨てる。

「幕府が窮状のさなかに、母上たちはいったいなんの用なのだ」

謁見の間ではすでに大勢の尼や女房がいならんでいた。

筆頭は亡き北条時頼の正室、葛西殿。側室の讃岐尼、北条重時の未亡人冶部卿がいる。彼女たちは後家尼の象徴である黒衣をまとっていた。

突然の来訪である。

時宗が上座で対面した。その横には頼綱、安達泰盛のほか、葛西殿謁見の知らせを聞いた北条宣時ら幕府重臣がならんだ。

葛西殿がうやうやしく挨拶する。殿、おひさしゅうござります。元気そうな尊顔を拝し、安心しました。祝子(のりこ)殿も、見目麗しく何よりです。殿は日ごろ何かと煩わしい事がおありとおもわれますので、早速ですが一言申し上げさせていただきます。昨今、内外に多くの憂いがあり、時宗殿なら間違うことはないと思ってはおりますが、わらわも生来の気の弱さもあって心配でなりませぬ」

時宗は母親の謁見の意図を探るかのように、慎重に返答する。

「母上、お久しぶりですが、元気な様子でなによりです。身重の祝子の様子伺いかと思いますが、ご心配めされるな。祝子もまもなく臨月ですが、なんのさわりもありませぬ。世継ぎが生まれるかどうかは、御家人が恐れをなす執権時宗と言えど、いかんともしがたい事ですが、無事良い子が生まれてくるでしょう。わたくも、はやり病にもかからず、息災の日々でございます」

葛西が笑みを浮かべた。

「それはそれは、なによりです。わらわもあと少し長生きできるというもの」

時宗が切りだした。

「しかしおどろきましたな。母上、讃岐様そして亡き重時様のご正室、治部卿様がお集まりになるとは。よほどのことでございますか」

冶部卿が告げた。彼女の亡夫重時は日蓮を伊豆流罪にしている。

「われら仏門に帰依してより、思いは仏の道しかありませぬ。仏の道とは成仏すること」

 時宗が笑みをうかべる。

「それは殊勝でございます。父上も禅に熱心であられました。最後は仏にすがっておられた」

実母の葛西が意を決したように告げる。

「時宗殿。今日はそなたの父上のことでまいったのじゃ」

時宗が何事かとばかりに首をかしげる。

葛西が上目づかいに語りはじめた。

「仏の道とは念仏であれ、禅宗であれ、成仏を願うもの。さりながら殿、その仏教を破滅させようとする僧侶がこの鎌倉にいるのです。すでに御承知かと存じますが、名は日蓮と申す」

場がざわめいた。平頼綱がにやりとし、安達泰盛が不安にかられた。

「その日蓮を殿の手で捕らえていただきたいのです」

時宗は驚きをかくしてこたえる。

「なぜでござるか。日蓮殿は過日、旱魃の日本に雨をふらせて名声が高まっており、鎌倉の民もなびいていると聞いております。その日蓮殿を捕えよと」
 葛西の口調がしだいに強くなった。

「日蓮いわく、念仏は無間地獄の業因、禅宗は天魔の所為、真言は亡国の悪法、律宗は国賊の妄説と」
 重時の妻、治部卿がさらにたたみかける。

「そのうえ家々に先祖代々つたわる阿弥陀や観音の像を火に入れ、水に流しておりまする。また鎌倉中の罪人をかくまっているとのこと。そして刀・弓など武具をあつめているのです。ごぞんじでしたか」

時宗が弁護した。

「なにかのまちがいではござらぬか。事実なら、まず幕府に訴えがあるもの」

 葛西はくいさがる。

「かの日蓮は弁舌たくみで、よく人をまどわしまする。評定所に訴えても詭弁(きべん)(ろう)して沙汰人をいつわります。われら、せんかたなく殿じきじきに訴えでた次第。どうかお取りなしを」

時宗はむきになった。

「おまちくだされ。亡き父上は日蓮殿を島流しにしましたが、それを悔やんで無罪としたのです。父上は日蓮殿を罪人とは思っておりませんでした。わたしもそれに従うまでです」

実母がここで涙を流し、感情をあらわにした。

「日蓮はおまえ様の父上、わが夫の時頼殿を地獄に堕ちたと申しているのです」

冶部卿も周りに(はばか)()なく涙を流していた。

「日蓮はわが夫、重時殿も無間地獄にいると」

座が凍りついた。尼たちのすすり泣きがひろがる。

葛西が最後に告げた。

「殿、母として申します。あの憎い坊主を捕らえなければ、この身も殿も安穏ではありませぬ。どうか良きにお計らいたもれ」

時宗が腕を組み、じっと天を仰いだ。

時宗は尼御前が退出したあとも腕を組んでいた。まわりには頼綱、泰盛、宣時がいる。

みな深刻である。

時宗が思案にくれてつぶやいた。

「あの母上たちの口ぶり、異様な興奮・・ただごとではない。だれかにそそのかされたか」

頼綱は尼たちを弁護する。

「後家尼御前の力は幕府でも絶大。御家人の大半は女どもの尻にしかれておる。尼将軍の政子様がお手本じゃ。また後家尼らの所領は数多い。蒙古との備えもあります。財政面で女どもに援助してもらわねばなりませぬ。その意味で後家尼殿の御意向は粗略に扱うわけにはいきませぬ」

泰盛が反論した。

「しかし御成敗式目に鑑みれば、証拠がなければ日蓮を捕らえることはできぬ。他宗の批判は世上を惑わさないかぎり、幕府も許しております。武器を蓄え、悪人を集め、亡き殿を地獄に堕ちたなどという証拠は今のところありませぬ。それに・・」

頼綱がさえぎった。

「いや日蓮は捕らえるべきですな。この鎌倉ではいまや念仏にかわって法華経の題目がうずまいている。危険でござる。これ以上拡大させるべきではありませぬ。もし・・」

こんどは泰盛がさえぎった。

「殿、ひとつ考えがあります。日蓮の祈りの力用は恐るべきものでござる。蒙古の予言といい降雨の祈りといい、あれほどの力量を示した高僧はおりませぬ。蒙古の退治も日蓮を利用すれば必ずしるしがあるはず」

頼綱がいきりだした。

「ばかな。なにを申す」

泰盛もむきになった。

「おぬしこそ。幕府をほろぼす気か」

時宗は決断した。

「まて、母上まで出てきてはいたしかたない。一度は日蓮殿を問注所に召喚することにしよう」

頼綱が喜びの顔、泰盛が落胆の表情をあらわした。

「日蓮殿を召喚する。結論はそれからだ。召し出して詰問すれば、尼御前たちは納得して静まるだろう。召喚の担当は頼綱、そちがせよ。だがくれぐれもはきちがえるな。日蓮殿は罪人ではない。丁重にあつかえ」

時宗は楽観的だった。

日蓮は悪人ではない。幕府が真意を聞いて公表でもすれば、自然に騒ぎはおさまると思っていた。これが頼綱の暴走をまねくことになる。

頼綱はうやうやしく時宗に平伏し、横に控えていた北条宣時に目で合図した。

尼御前の輿(こし)が葛西殿を先頭に若宮大路をすすむ。

執権の母である。すれちがう武士が頭をさげ、町民がひれふした。

そのなかで、ひときわ目だつ黒衣の僧が伏せていた。

葛西がにこやかに(すだれ)をあげて見おろした。

平伏した僧はこれに答え、うやうやしく顔をあげた。

極楽寺良観であった。


(    
)

              29 平頼綱への諌暁 につづく
上巻目次




by johsei1129 | 2017-03-20 17:22 | 小説 日蓮の生涯 上 | Comments(0)
2017年 03月 20日

27 大難への予兆

 日が暮れて鎌倉中が暗くなってきた。

 極楽寺では人々が雨のおちる門前にあつまり、平形の数珠を投げすてた。

 日蓮の法華宗への転教である。

 寺の中では周防房と入沢入道が良観をさがしていた。行方不明になったのである。

 やがて良観は邸内の庭にいることがわかった。

 彼は草かげにうずくまり、湿った地面を凝視していた。

 雷の光が良観のすさまじい怒りの顔面をてらした。

 良観は釈尊の仏敵、提婆(だいば)(だっ)()になることをきめた。いや、なるべくしてなった。

 なんとしてでも怨敵となって、日蓮を葬り去ることをきめたのである。

 提婆達多は釈迦の命をねらいつづけ、最後は自らの親指に毒を仕込み、釈迦を殺害しようとしたが、自分自身に毒が回り、大地が割れ現身のまま無間地獄におちたという。

 その提婆逹多が釈迦を憎んだ直接の理由は、公衆の面前で罵倒されたからである。

 世尊提婆(だいば)(だつ)()を汝愚人・人の(つばき)を食らふと罵詈(めり)せさせ給ひしかば毒箭(どくせん)の胸に入るがごとくをもひて、うらみて云はく「()(どん)仏陀(ぶつだ)にはあらず。我は(こく)(ぼん)(のう)(注)の嫡子、阿難尊者が兄、瞿曇が一類なり。いかにあしき事ありとも、内々教訓すべし。(これ)()(ほど)の人天大会に、此程の大禍を現に向かって申すもの大人仏陀の中にあるべしや。されば先々(さきざき)妻のかたき、今は一座のかたき、今日よりは生々世々に大怨敵(おんてき)となるべし」と誓ひしぞかし。『開目抄上

 瞿曇とは釈迦のことである。

 釈迦は悪意があって提婆を叱責したわけではない。

 提婆はもともと釈迦の弟子だった。彼は釈迦とおなじ印度の王族であり、いとこ同士だった。それだけに智慧もあり衆望もあつかったが反面、功名心が異常に強く、釈迦のあとは自分が引きつぐと慢心していた。

 釈迦はそのような提婆をいくども教訓したが提婆は聞かない。釈迦は彼のどす黒い心性を見抜き、未来を思って叱責したのだった。

 人の唾を食うとは痛烈である。

 それほど提婆の暗い本性は底知れなかった。名聞名利で生きる提婆にとって大衆の面前で罵倒されることは死ぬことよりもつらい。提婆の心中に毒の矢が刺さった。立身にはやる提婆にとって、公衆の面前で面罵されたことは抜きがたい恨みとなった。印度第一の美女、耶輸(やしゅ)多羅(たら)(にょ)を妻にしようとして釈迦に敗れた遺恨もあった。

 提婆は思った。釈迦を亡きものにすることが自分を救うことだ。いらい彼は終生、釈迦の命をねらった。

 男は恥に命を捨てるという。提婆は公衆の面前で恥をかかされて、その本性をあらわにした。

 ちなみに提婆逹多はこのあと三逆罪を犯す。()阿羅漢、破和合僧、出仏(すいぶつ)(しん)(けつ)である。まず釈迦の弟子であり養母だった摩訶波闍(まかはじゃ)波提(はだい)を殺害した。つぎに釈迦の教団から自分の弟子を連れ出して分裂させ、存亡の際まで追いつめた。最後は岩石を落として釈迦の小指をつぶしている。いかに悪人といえど、仏の身を傷つけたのは、あとにも先にも提婆達多と小松原の法難で日蓮の額を刀で切りつけた東条景信だけである


 良観は祈雨の勝負で立ち直れないまでの敗北を味わった。この恨みを晴らすためには、日蓮を抹殺する以外にない。いまの良観にとって日蓮の門下にくだるどころか、懺悔など露ほども考えられないことである。威光を取りもどすには、日蓮を殺害する以外に方法がない。そのためにあらゆる手段を使わねばならない。僭聖(せんしょう)増上慢の本性をむき出しにしたのである。

 日蓮は釈迦と提婆逹多の二人の出会いが宿命であり、おなじく聖徳太子と物部守(もののべのもりや)の関係と同様であるという。法華経の行者の前に怨敵がいるのは必然であるといいきっている。

仏と提婆とは身と影のごとし、生々にはなれず。聖徳太子と守屋(注)とは蓮華の花果(けか)、同時なるがごとし。法華経の行者あれば必ず三類の怨敵(おんてき)あるべし。三類はすでにあり、法華経の行者は誰なるらむ。求めて師とすべし。一眼の眼の亀の(ふぼ)((注)に()ふなるべし。 『開目抄下

降雨の祈りを終えた日蓮の一行がしとしと降る雨の中、若宮大路を進んだ。

勝者の行進だった。

沿道の衆が大歓声でむかえた。

無理もない。

関東の一円はこの雨で蘇生した。飢饉は間一髪でまぬかれたのである。

弟子たちが笑顔でこたえた。だが日蓮の表情は意外にもけわしかった。

祈雨の勝利によって日蓮に帰依する人々は爆発的にひろまった。

晴れた日の広場に人々があつまった。

木々の緑はあざやかによみがえっていた。

伯耆房が館で法華経の説法をした。

また念仏の寺院では日朗が黒衣の僧と対面した。念仏僧が手をあわせて日朗に深々と頭をさげ、帰順の態度をしめした。

武家屋敷では三位房がいならぶ武士の前で説法した。武士の一人が手をあわせるのにつづき、ぞくぞくと三位房に合掌した。

三位房は得意そうな顔でうなずいた。

鎌倉中が寝静まった夜、いつものように日蓮は弟子たちを前に法華経の講義をした。座は熱気にあふれ、広宣(こうせん)流布(るふ)(注)への機運がいやがうえにも高まってきていた。

一念三千と申す事は迹門(しゃくもん)にすらなを()許されず(いか)(いわん)()(ぜん)(ぶん)()へたる事なり。一念三千の出処は(りゃっ)(かい)(さん)の十如実相なれども、義分は本門に限る。爾前は迹門の()()(はん)(もん)、迹門は本門の依義判文なり。(ただ)真実の()(もん)(はん)()は本門に限るべし。されば円の行まち()まち()なり(いさご)かず()へ大海を()なを()円の行なり。何に況や爾前の経をよみ弥陀等の諸仏の名号を唱うるをや。但これらは時時(よりより)の行なるべし。真実に円の行に順じて常に口ずさみにすべき事は南無妙法蓮華経なり。心に存すべき事は一念三千の観法なり。これは智者の(ぎょう)()なり。日本国の在家の者には但一向に南無妙法蓮華経ととな()へさすべし。名は必ず体にいたる徳あり。法華経に十七種の名ありこれ通名なり。別名は三世の諸仏(みな)南無妙法蓮華経とつけさせ給いしなり。十章抄

 講義のあと、伯耆房がうれしさをこらえきれず話しだした。

「法華経の説法をぜひ聞きたいと申しこみが殺到しております。われら上人門下の人数ではとてもさばけぬほどかと」

日朗もつづいた。

「上人の祈雨が叶ったとの噂が広がり、鎌倉以外の地からも説法を請う者が数えきれないほどです。この十余年、日本国はみな念仏者でございましたが、上人のお力で十人に一人二人が南無妙法蓮華経と唱え、二三人は南無妙法蓮華経と南無阿弥陀仏の両方を唱え、また未だ念仏を申す者も、心は法華経を信じているように見受けられます」

つづいて三位房も鼻高々だった。

「わたくしめも幕府をつかさどる武家の面々の前で説法することができました」

ここで彼は急に京都なまりになった。

「さきごろは京都でお公家様がたに召され、お話をいたして面目をほどこしました。そこでわたしは名を変えてみようかと思っております」
三位房はいささか公家なまりで滔々と語りだした。

日蓮が話をさえぎった。

「まて、三位房。そなたの話はいかにも気がかりに思われる」

三位房が意外な顔をした。法華経がいま勢いよく流布しているというのに日蓮の表情はけわしい。

「たもつ法はこの世にまたとない法門である。たとえ大菩薩であろうとなんであろう。まして日本の天皇はただ小島の(おさ)である。長なんどに仕える者どもに召されたとか、面目なんど申すのは、(せん)ずるところは日蓮を卑しんで申すようなものだ。総じて日蓮の弟子は京にのぼれば、はじめは忘れぬようにて、のちには天魔がついてものに狂う少輔房のようだ。おまえも少輔房のようになって天の怒りを招くことになる。わずかのあいだに名を変えるとは正気の沙汰とは思えない。言葉つきも声も京なまりになった。(ねずみ)がこうもりになったようだ。鳥にもあらず鼠にもあらず、田舎坊主にもあらず京法師にも似ず、すっかり少輔房になったようだ。言葉は田舎なまりで通せ。その浮かれた振る舞いは、なかなか悪い前兆であるぞ」

座が緊張した。

今や高弟となった三位房が信徒の面前で叱責された。しかし三位房の顔は納得していない。

日蓮がつづける。

「一切衆生の尊敬すべきものに三つあり。いわゆる主と師と親である。また習学すべきもの三つあり。儒教・外道・仏法である。この中に過去、現在、未来を見とおしてすぐれた教えは仏法である。その仏法の中でただ一つの正しい教えは法華経である。あらゆる虚飾をとりはらい、永劫の命を説いた法華経こそ真実の教えである。しかしだれもが法華経を見たが、読んだ者はいない」

弟子はいぶかしがった。

日蓮が法華経をひらく。

「『諸の無智の人有って悪口(あっく)罵詈(めり)等し及び(とう)(じょう)を加ふる者あらん』と。この一節は日蓮がこの世に生まれなければ、釈尊はほとんど妄語の人となったであろう。釈尊滅後、いったいだれが法華経のために悪口罵詈せられ、刀杖の難をうけた者がいたであろうか。日蓮がいなければ、法華経のこの偈は虚妄となってしまう」

日蓮の真意とは反対に、弟子の中で日蓮を疑う者がいた。

三位房はその筆頭で、内心ではこうつぶやいていた。

(師匠の思いあがりだ)

 日蓮は淡々と説いていく。

「『この悪僧、常に大衆の中にあって国王、大臣、()羅門(らもん)に向かって我等の悪を説く』と。今、世の僧らが日蓮を誹謗し流罪にしなければこの経文はむなしい。この釈尊の予言が適うゆえに、ただ日蓮一人がこれを身で読んだのである。いまもまた三類の強敵(ごうてき)がうごめいている。すでに()()良観らが訴状をしるして将軍家に献上しようとしているのだ。これが三類の強敵でなくして、なんであろうか」

祈雨の勝利によって鎌倉での日蓮の評判は激的に好転したが、同時に日蓮を亡き者にしようとする勢力はその本来の力をむきだしにして策謀しはじめた。

良観は念仏僧の念阿とともに、訴状を将軍家にさしだして日蓮を訴え、建長寺道隆は自ら奉行所に出むいて讒言した。

日蓮はこの動きを察知していた。それはきたるべき大難の予兆だった。

弟子たちは法華経の流布が進展していることに浮かれていたが、一人さめていたのである。


 ここで疑問が残る。

 日蓮はなぜ良観に降雨の対決を迫ったのかという疑問が。

 疑問の一つは、宗教の正邪は経による法論で決すべきと主張してきた日蓮が、なぜ降雨の対決で正邪を決しようと良観に迫ったのか。

 もう一つは、日蓮はこの時代では確実な予測が極めて困難な、しかも七日先までの天候について如何(いか)にして予知できたのであろうか、仮に予知測ができたとしたら、その根拠はいったい何だったのか。一説には日蓮は安房・()(みなと)の漁師の家で生まれたので、父親から天候の予測を聞いて育ったから雨が降らないことをあらかじめ予測ができたのだろう、と言う主張がある。しかし天候は変動する。しかも七日先までに雨が降らないという確実な予測は困難だ。

 生涯、法華経の弘通(ぐつう)に身を投じた日蓮が、宗教の正邪ではなく、雨が降らすことができるかどうかで宗教の勝劣を決するというのは、ある意味、博打(ばくち)同然であるとさえ思えてくる。そうなれば行き着く結論は、日蓮は自らが天候を自在に左右するだけの力用(りきゆう)を有していて、その絶対的確信をもって良観との降雨の対決に持ち込んだとしか考えられない。

 その意味で、日蓮大聖人は、良観に降雨の対決を迫った時点で、すでに末法の本仏としての確信を得ていたのではと、強く推察される。

 
          28 極楽寺良観の策謀 につづく

上巻目次

 斛飯王

迦毘(かぴ)()城の主。師子(しし)(きょう)王の子。(じょう)(ぼん)(おう)の弟で、釈迦の叔父。竜樹の大智度論によると提婆(だいば)(だっ)()・阿難兄弟のの父となっている。

 守屋

物部守屋(もののべのもりや)のこと。?~五八七年。大和時代の中央貴族。弓削(ゆげの)大連(おおむらじ)ともいう。()輿(こし)の子。敏達・用明朝に大連となり、父・尾輿の排仏論を受けて崇仏派の蘇我馬子と対立した。日本書紀によると、敏達天皇十四年、馬子が大野岡に塔を起こして仏会を行ったのに対し、その頃、起こった疫病は崇仏が原因であるとして中臣(なかとみ)勝海(のかつみ)と共に排仏を上奏した。そして勅によって寺を焼き、仏像を焼いて難波の堀江に流した。その時、疱瘡が流行し、天皇・守屋・馬子共に患い、ついに天皇は逝去した。次いで用明天皇二年、勅によって崇仏が行われたが、守屋はこれに反対して軍勢をおこした。天皇の没後、(あな)穂部(ほべの)(おうじ)を擁立しようとして更に馬子と対立し、数度の戦いの後、(うまや)(どの)皇子(おうじ)(聖徳太子)が四天王に祈願した矢にあたって敗死した。以後、物部氏は衰退した。

一眼の亀の浮き木

 大海にすむ一眼の亀が、広大な海の中で我が身を癒す栴檀の浮き木にあいがたいこと。人間に生まれて正法にあうことの難しさをたとえたもの。

「仏には()いたてまつること得難し。()曇波(どんば)()()の如く、又、一眼の亀の浮き木の(あな)に値えるが如し」 「妙荘厳王本事品」

 広宣流布

仏法を広く()べ流布すること。法華経薬王菩薩本事品第二十三に「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提(えんぶだい)に広宣流布して、断絶して悪魔、魔民、諸天、竜、夜叉(やしゃ)鳩槃(くはん)()等に、()便(たより)を得せしむること無けん」とある。仏法を広く世界に弘め伝えることによって平和な社会を築くことをいう。歴史上では、紀元前三世紀ごろ、インドの()(そか)王時代の小乗教流布、六世紀、中国・天台の法華経迹門(しゃくもん)の流布などがあり、日本では平安初期に伝教大師が法華経迹門の戒壇を比叡山に建立している。

日蓮大聖人は末法に広宣流布すべき法門として三大秘法を打ち立て、在世中に本門の本尊を顕し、滅後に本門の戒壇の建立を遺命した。

「御義口伝に云はく、畢竟(ひっきょう)とは広宣流布なり、住一乗とは南無妙法蓮華経の一法に住すべき者なり、是人とは名字即の凡夫なり、仏道とは究竟(くきょう)(そく)是なり、疑とは根本疑惑の無明を指すなり。末法当今は此の経を受持する一行計りにして成仏すべきこと決定(けつじょう)なり云云。」 『神力品八箇の大事 畢竟(ひっきょう)(じゅう)一乗(いちじょう)○是人於仏道 決定(けつじょう)()有疑(うぎ)の事』

 地涌の菩薩

釈迦の説法を助け、滅後の弘教を誓った本化の菩薩のこと。法華経従地涌出品第十五に説かれている。地涌の大士・地涌千界の大菩薩・本化の菩薩ともいい、末法に妙法を弘通するために出現する菩薩をいう。滅後の弘通を勧める釈迦の呼びかけに応えて大地の底から()き出てきたゆえに「地涌の菩薩」といい、上行・無辺(むへん)(ぎょう)・浄行・安立(あんりゅう)(ぎょう)の四菩薩を上首とする。釈迦は他方および迹化の菩薩を退(しりぞ)けて、如来神力品第二十一で上行等の四菩薩を上首とする地涌の菩薩に妙法を結要付嘱し、末法の弘通を託している。末法に三大秘法の南無妙法蓮華経を唱える者が地涌の菩薩となる。

「今日蓮等の(たぐい)南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は従地涌出の菩薩なり。外に求むる事無かれ云云。」『御義口伝 二十八品は悉く南無妙法蓮華経の事』



by johsei1129 | 2017-03-20 16:29 | 小説 日蓮の生涯 上 | Comments(0)
2017年 03月 20日

26 日蓮、降雨へ渾身の祈り

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                        (日蓮聖人御一代記より)
 良観が阿弥陀像の前で正座した。
 そこに入沢入道が息を切らせて走りこんできた。
「日蓮の使いがきております」

 良観がおどろいたのと同時に日蓮の弟子、日朗があらわれた。

 薄墨色の法衣を着た日朗は黒衣の僧を見まわし、一字一句かみしめるように言い伝えた。

「日蓮上人の弟子、筑後房日朗が謹んで上人の伝言を申しあげまする。雨の祈りは本日一日、良観上人にとって運命の日でござる。もし本日雨がふらなければ、かねてのお約束どおり日蓮上人の弟子となって、一から法華経の修行に励み候べし。さもなくば山林に身を隠するがよろしかろう」

極楽寺の信者が日朗につかみかかったが、周防房と入沢入道が止めた。信者は憎しみをむきだしにしたが、周防房が懸命にさとした。

「さわぐな。ここで手をあげれば、われわれの負けだぞ」

 信者は日朗に罵声をあびせた。

「まだ終わったわけではないぞ」

 彼らは罵りながら早々に日朗を追いだした。

 日がかたむき、祈祷所に風が舞う。

 極楽寺の信者が一人二人去っていく。

 このうち一人が腹立たしげに平形の念珠を地面にたたきつけた。平型は念仏宗の象徴である。

 信者がまばらになっていく。

 ここで二度目の使者、日昭があらわれた。

「日蓮上人の弟子、弁阿闍梨日昭が上人の伝言を申しあげる。良観殿、もう日はくれる。いさぎよく負けを認めなされ。良観殿、見苦しい姿を見せるのはやめたまえ。しょせん戒律・念仏はとるにたらず、法華経におよばないのだ。良観殿、観念したまえ」

 良観には聞こえない風だった。彼はなおもうつろな顔で念仏を唱えていた。

 太陽が山の端にさしかかり一日が終わろうとしている。

 ここで良観は突然、もっていた数珠を引きちぎり空に叫んだ。怨恨をこめた怒声だった。

「なぜふらぬ。余はかつて雨をふらせないことはなかったのだ。だが今なぜふらぬ。余のどこに落ち度がある。余はこんなところで祈る者ではないのだ。鎌倉はもとより、奈良・京都に君臨する大僧正、いや大師と呼ばれるにふさわしい身なのだ。そうだ、余に失敗は許されぬ。これからも愚かな大衆の上に君臨しなければならない身だ。それなのになぜ今・・」

 良観が頭を地面にこすりつけ、なんどもたたいた。

 それでもなお諦めきれない良観の信者は念仏を唱え続ける。やめれば敗北を認めることになる。それはさすがに耐えきれないのだろう。

 良観の敗北が決定的になった時、三度目の使者、伯耆房日興が登場し夕陽を背に高らかに告げた。

「日蓮上人の弟子、伯耆房日興が上人の伝言を申しあげる。忍性良観殿、雨ふらずして悪風のみ吹きたるは何事である。戒律第一の良観聖人は法華・真言の義理をきわめ、慈悲第一と聞こえたもう。それが数百人の宗徒をひきいて七日のうちになぜふらすことができぬ。これをもって思いたまえ、一丈の堀をこえぬ者、十丈二十丈の堀をこうべきか。やすき雨さえふらすことができぬ、いわんやかたき往生成仏をや。しかれば今よりは日蓮を(あだ)みたもう邪見をば、これをもって(ひるがえ)したまえ。なんじ来世を恐ろしく思わば、約束のままに急ぎ来たりたまえ。雨ふらす法と仏になる道を教えてつかわそう」

 良観が伯耆房をにらみ、声をうならせた。記録によれば、彼は泣いて感情をむきだしにしたという。

 尋常ではない。鎌倉の生き仏といわれた聖人である。良観がこれほどの屈辱をうけたことはいまだかつてない。

 しかし伯耆房は容赦なく言いはなつ。

「干魃はいよいよさかん、悪風はますます吹きかさなって民のなげきいよいよ深い。すみやかにその祈りをやめたまえ」

 信徒が我にかえったように念仏をやめ、伯耆房を仰ぎ見た。

 怨念の声があがった。

 この怨嗟(えんさ)の響きが外にもれ、様子を見ていた群衆が逃げだした。

 日蓮はのちにこの祈雨について、建治五年五十六歳の時、著した「下山御消息」で次のように記している。

 起世経に云はく「諸の衆生放逸(ほういつ)()し、清浄の行を汚す、故に天即ち雨を(くだ)さず」と。又云はく「不如法(ふにょほう)なる有り、慳貪(けんどん)嫉妬(しっと)邪見(じゃけん)顛倒(てんどう)せる故に天則ち雨を(くだ)さず」と。又(きょう)(りつ)異相(いそう)に云はく「五事有って雨無し。一二三これを略す。四には雨師(うし)淫乱、五には国王理をもって治めず、(うし)(いか)る故に()らず」云云。此等の経文の亀鏡をもって両火房が身に指し当てゝみよ、少しもくもりなからむ。一には名は持戒ときこゆれども実には放逸(ほういつ)なるか。二には慳貪なるか。三には嫉妬なるか。四には邪見なるか。五には淫乱なるか。()の五にはすぐべからず。又此の経は両火房一人には(かぎ)るべからず。昔をか()み今をもしれ。

 両火房とは良観の別称である。祈りが叶わないのは、放逸・慳貪・嫉妬・邪見・淫乱のゆえという。

良観は完膚なきまでに敗れた。この瞬間、名声は地におちた。

 北条時宗邸では安達泰盛と平頼綱が激論していた。扇子をかざしながら非難の応酬である。

 泰盛が唾をとばして頼綱をなじった。

「おぬしも雨乞いの件は賛成したではないか」

 頼綱が食ってかかる。

「なにを申す。わしがいいたいのは結果だ。この責任をどうするのだ。この七日間、期待をかけたばかりに、干魃はひどくなったのだ。責任をとられよ」

「おぬしこそなにをしていた。北条の官房でありながら、無策の毎日だったではないか。その言葉、そのままかえすぞ」

 すわっていた二人が刀をつかんで立ち膝になった。
 時宗が怒る。

「まて。つまらぬ争いはやめよ。すぎたことはいたしかたない。これからどうするかが問題であろう」

 二人がふてくされてすわった。しばらくして泰盛がつぶやいた。

「それにしても、町では日蓮が良観の祈祷をさえぎったとの評判でござる。それがまことならば許してはおけぬ」

 頼綱が吐きすてた。

「日蓮にそのような力はないわ。良観に実力がなかっただけのことだ。まったく、金の力で成りあがった坊主に期待をかけるとはな」

 時宗の前で頼綱頼になじられた泰盛は、悔しさで身震いした。泰盛の妹で、父亡き後養子とした覚山尼は、時宗の正室となっている。泰盛は北条の外戚として時宗を支えている。北条とは無縁の頼綱ごときに非難される筋合いはないと怒りが収まらない。この二人の軋轢(あつれき)は幕府を揺るがす火種となった。

 いっぽう泰盛の思いなど眼中にない頼綱が主人に告げる。

「いずれにしても日蓮は捕らえるつもりでござる。われらを支配者と認めぬ者は首を斬るのが筋」

 時宗がなだめた。

「頼綱、早まるな。父上の遺言である。日蓮上人に手を出してはならぬ」

 頼綱はねばる。

「今回の件で日蓮の一派が勢いづき、信者をふやしております。危険は増しておる。殿、日蓮は良観のように従順ではございませぬぞ。あやつを捕縛しなければ、必ず禍根をのこします。事がおきる前に処理すべきでござる」

 泰盛がいきどおった。

「執権の命令を聞かぬか。そんなことをしても、だれも納得せぬわ」

 頼綱が目を細めた。

「日蓮は祈祷に勝っただけだ。雨をふらせたわけではない。今回の件は時がすぎればおさまる。かえって鎌倉のだれもが雨を止めた日蓮を恨むであろう。日蓮の逮捕は世を静めることになる。もっとも日蓮にふらす力があればべつだが」

 時宗と泰盛が腕を組んだ。

 この時、小姓があわただしくやってきて時宗の耳にささやいた。

 幕府の重鎮が談合している最中に、時宗お墨付きの小姓とはいえ、割って入るとは急な事態が起きたことは間違いない。

 泰盛と頼綱がなにごとかと時宗の目を見る。

 時宗がつぶやいた。

「日蓮殿が雨の祈祷をされる」

「なんとなんと、日蓮殿が祈祷とは」

 思いがけない展開に泰盛は一瞬笑みをこぼす。いっぽう良観の肩を持つ頼綱は憎々しげに泰盛を睨みつけた。

 ぎらつく太陽の下、町衆が日蓮の館の前でひしめきあった。群衆は暑い日刺しにさらされぬよう傘をさすか、かぶり物をつけている。

 日蓮らの一行が出てきた。彼らは良観の黒衣とは対照的に、薄墨の衣であらわれた。

 鎌倉の期待は一気に日蓮にあつまった。

 大衆が歓声をあげる。

「日蓮上人様」

 なかには「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と唱える者まででてきた。日照りに苦しむ農民にとって雨の願いは切実だ。良観殿の念仏がだめなら、日蓮上人の法華経にすがるしかないとの思いがひしひしと伝わってくる。
 一行は四条金吾、土木常忍を露払いとして出発した。
伯耆房、日朗、日昭が香炉、燭台、花立をもってすすむ。少年の熊王は誇らしげに南無妙法蓮華経と大書した旗をもった。

 群衆がそのあとをついていった。彼らは日蓮の背中によびかけた。

「日蓮上人、どこへゆきなさる」

 伯耆房が固い決意でいる。だがほとんどの弟子は不安な面持ちだった。

 極楽寺は閑散としていた。信者は広い本堂にまばらである。

 良観はやつれてはいたが平静をよそおっていた。彼は苦しまぎれに話しだした。

「このたびの件はわけもないことでございます。雨の祈りというものは、十回祈って一回ふれば大成功なのです。このつぎはこの良観、かならずふらせてみせましょう。であるから雨をふらせるのに勝負ということは、あまりに軽率なことで・・」

 良観は赤恥をかかされても説法をやめない。はなれた信者をつなぎとめようと必死だった。

 ここに周防房が汗まみれで本殿に入ってきた。

 良観がとがめる。

「いかがいたした。そのあわてぶりは」

 周防房はいかにも恐ろしげだった。

「日蓮が雨の祈りを始めるとのことです」

 これを聞いた信者がつぎつぎと外へでていった。

 鎌倉郊外。

 強い紫外線のもと、日蓮の一行が田舎道をすすむ。彼らは小高い山裾の道を歩いていた。群衆がついていく。

 林に囲まれた池があった。

 一行が池のほとりに(むしろ)をしいた。

 伯耆房らが香炉や経机を運んで準備をはじめた。

 群衆があきれた。

「こんなへんぴな所で祈るのか」

「しかもたったあの人数で・・」

 四条金吾が最後尾で聴衆を静める。

「みなの衆、日蓮上人の祈りがはじまりまするぞ。お静かに願いつかまつります」
 金吾も町民や農民に対してはいつもとちがっていやさしく語る

 日蓮がおもむろに胸から一枚の板をとりだし、筆でさらさらと祈祷文をしたためた。そして板をゆっくりと池に入れ、手をあわせ一声力強く「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と題目を三遍唱えた。このあと方便品第二、如来寿量品第十六を読誦する勤行がはじまった。

 鎌倉御所では汗まみれの泰盛と頼綱がうらめしく空を見ていた。

 庭の花が枯れかかっている。

 極楽寺では良観が座敷をせわしげに歩き回った。良観は膳の美食にも手をつけられない。不安にさいなまれる自分をどうすることもできない。

 日蓮の読経()がつづく。

「毎時作是念。以何令衆生。得入無上道。即成就仏身。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経経・・」

 伯耆房日興が太鼓をたたく。この音にあわせて日蓮が題目を唱えはじめた。

 日蓮はあらかじめ弟子たちに『雨が降るまで唱題は止めない』と厳命していた。

 雌雄を決する時がきた。日蓮門下の弟子一同、また金吾・常忍・乗明等の強信徒も決死の形相で日蓮につづく。

 群衆がしばらく見守っていたが、灼熱の空に変化はない。

 首をふって帰る者がでてきた。

「ふるわけがない。これでもう、だれも信じられなくなったわ」

 この時、かたわらの大きな葉に一粒のしずくがおちた。

 炎天下に田畑は枯れきった。

 ひとりの百姓が桶を天秤で運んできた。桶は井戸からくんだ水である。日の出から沈むまで、何回もくみあげた。大切な畑のためだった。それでも足りない。

 百姓は汗だくになりながら桶をおいた。水は半分にも満たない。

 そこへ赤子が近づいて水を飲もうとした。子供もかわいていたのだ。

「おとう。みず、みず」

 百姓が子供に気づいたがおそかった。子供が桶をたおしてしまった。

 おどろいて駆けより、流れた水をすくったが、水は乾いた地面に吸い込まれた。

 思わず子供をつきとばした。赤子が泣きじゃくる。

 はっとして我にかえった。

 妻が家から出てきて子供をかばい、涙声でなじった。

「子供にあたってどうする」

 妻は子を抱きかかえ家にはいる。家では床に伏せた老婆がいた。

 百姓が子供の泣き声を聞きながら畑にうずくまり、なんども土をたたいた。

 しぼりだすように涙がでる。土をつかんだ手の甲に涙がぽたりぽたりとおちた。もう限界だった。

 しかしどうしたことか、百姓はしずくがまわりの地面にも落ちているのに気づいた。

 はっとして空を見あげた。

 一片の雲が真上にあるのを見た。

 雨がぱらぱらと落ちてきた。

 百姓に生気がもどった。

「雨だ」

 百姓がいそいで家にかえった。

「雨だ、雨だぞ」

 妻、子供、寝ていた老婆も、外を見あげた。

 雨がしずしずとふる。すべてをうるおす甘露だった。空はうす曇りとなり、水滴がゆっくりとおちてきた。

 人々は思わず道にでた。みなよろこびの顔で雨露にうたれた。

 池では群衆が空を見あげて大騒ぎになっていた。

「雨だ、雨だ」

 空全体がみるみる薄黒い雲でおおわれていく。

 だきあう者、泣きだす者。雨で顔をあらう者がいる。祈っていた四条金吾も土木常忍も抱きあってよろこんだ。太田乗明が涙ぐむ。

 伯耆房の太鼓が響く中、なおも題目の声がひびく。

 この時、雷が光とともに音をたてた。轟音は地面をゆるがし、歓声がいっそう高くなった。

 やがて群衆が日蓮の姿に気づいた。

 一心不乱に題目をあげている。
 雨がふろうがふるまいが懸命に祈っている。その姿は降雨という、ひと時の現象が問題ではなく、その先にある成仏こそが大切なのだと教えているかのようだった。

群衆はかぶり物をはずし、雨に濡れるのを厭わず地面に正座し、いっせいに手をあわせた。

日蓮にたいする感謝の一念が自然に人々をそうさせた。彼らにとって眼の前の日蓮は神・仏と仰ぐべき救世主だった。はじめは単なる野次馬だった。法華経の信心など、まるで縁のない民であった。だが今、池をとりかこむすべての大衆が太鼓の音にあわせ唱えはじめた。

「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・」

 民衆は今降ったばかりの雨に濡れて粗末なむしろに座る日蓮をとりかこんだ。かれらはこの日、日蓮門下の僧俗と一つになった。

            27 大難への予兆 につづく
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by johsei1129 | 2017-03-20 12:19 | 小説 日蓮の生涯 上 | Comments(0)
2017年 03月 20日

25 極楽寺良観と日蓮、降雨の対決

時は文永八年。日蓮は齢五十歳になっていた。
 太陽がぎらぎらと燃える。

田畑は干あがり始めていた。

乾いた砂ぼこりが舞う。

やせ細った馬がぐったりとしていた。

汗だくの百姓が鍬で土を掘るが砂のようにこぼれてしまう。彼は土おこしをあきらめた。

一面の大地に旱魃がはじまった。人々は十年前の正元元年春の大飢饉・大疫病をいやでも思いおこした。

百姓が心配そうに一枚一枚の葉をなでた。そして真っ赤な太陽をうらめしく見あげた。

鎌倉でも人々は灼熱の太陽の下、木かげや家の影でたむろしていた。

みなうらめしそうに空を見た。

北条時宗邸の一室に安達泰盛、平頼綱、北条宣時など幕府の御家人があつまった。みな扇子をふるのにいそがしい。

泰盛がうだるような暑さに閉口しながら会議の口火を切った。

「諸国が飢饉が蔓延しているとの知らせが頻繁に届いています」

頼綱が同調する。

「地頭も弱っておる。かれらは百姓に苗や銭を貸しているが、こう雨がふらねば共倒れになるのは必定じゃ」

宣時もつられて後追いする。

「各所で水争いがおきております。蒙古にくわえて、やっかいなことになり申した」

泰盛が時宗に伺った。

「その蒙古の使者が、また太宰府にきております。いかがすれば」

 時宗は吐きすてた。

「ほおっておけ。それよりも飢饉のことだ。なにか妙案はないのか。今年もまた不作となれば人心はますます乱れよう。いまは国がひとつにならねばならぬ時なのだ。蒙古どころではない。知恵をだすのだ」

北条宣時がまっていたとばかり言上した。

「殿、極楽寺の良観殿に祈らせてはいかがでございましょう」

宣時は良観の大檀那であり、念仏者である。

泰盛が手をうった。

「そうじゃ、それだ。良観殿がいた。雨乞いの名人だ。実績もあるぞ。あの僧ならば雨をふらす術にたけておる」

「殿、幕府の命により、良観殿をご指名くだされ。さすれば殿の御ためにも幕府の御ためにも、有難きことに」

時宗は答えず瞑目したままでいる。

泰盛が了解と察知し指示した。

「すぐに良観殿を政所に召されよ」

極楽寺良観は政所迎賓の間に到着した。彼のそばには弟子の周防(すおう)房、入沢(いるさわ)入道がひかえる。

安達泰盛と北条宣時が真っ白い下文を携えて、あわてて迎賓の間に入ってきた。

泰盛はたった今しがた、時宗が花押をしたためた下文を読みあげた。

「諸国、干魃により被害すくなからず。わが幕府もこのまま手をこまねくは本意にあらず。よって汝極楽寺良観殿に雨の祈祷を命ずる。古来、五穀豊穣は上の願うところ、民の頼むところなり。(よろ)しく法の(しるし)をあらわし、民のため幕府のため勤めるよう」

良観の答えはうやうやしい。

「おそれ多いお言葉。しかとうけたまわりました。雨をふらすは、たやすくないとぞんじますが、かならずやご期待にそえるよう、阿弥陀仏に願いたてまつりまする」

 良観と北条宣時との目があった。
 

良観殿が幕府から降雨の祈祷を命じられた、との噂を聞きつけた信徒、武士、町民など大勢が良観一行を出迎えた。

 みな良観に祈るように手をあわせた。

 大檀那の北条光時が頭をさげる。四条金吾の主君である

「上人様、雨の祈祷を時宗様からおおせられたとか」

良観がうなずいた。

「容易なことではありませんが、阿弥陀仏の本願により、祈りは間違いなく叶うでありましょう」

 町民が手をあわせた。

「良観様、お願いでございます。このままでいくと、鎌倉の田畑は全滅でございます。上人のお力で恵みをお与えくだされ」

 良観は満足だった。

「おまかせあれ、ふらせてみせよう。ただひとつ気がかりなのは『念仏無間、律国賊』などと、たわけたことをぬかす日蓮のことです。日本国の僧侶男女におしなべて戒律をもたせ、国中の殺生、天下の酒を止めよう思うのだが、日蓮がこの願いをさまたげておりまする。この日本国にとって嘆かわしいことでございます」

良観は五十六歳、鎌倉幕府の手厚い庇護もあり得意の絶頂にあった。

彼は執権時宗にも影響力をもっていた。飯島からの関米徴収権、鎌倉七道における木戸銭徴収権を得て幕府に上納していた良観は、国家鎮護の宗教的バックボーンとして、また経済的にも幕府と表裏一体の強い影響力を持つ存在だった。

 ふたたび松尾剛次氏の論文から引用する。松尾氏は良観の慈善活動が幕府と一体であったことを指摘している。

 桑ヶ谷は、現在の光則寺のある谷の北隣の谷で、極楽寺の東方に隣接する谷でもある。当初、極楽寺の建設予定地で、おそらく北条重時流の所領であったのだろう。それゆえ、忍性は、そこに病院を建て、病者の治療活動に邁進できたのであろう。

 ところで、こうした忍性の慈善救済活動を支えたのは、信者たちの寄付のみでなく、鎌倉幕府の後援も大きな意味をもっていた。(中略)桑ヶ谷の療病所では、二○年間で、四万六八○○人が治療を受けたが。その内、死者は一万四五○人で、実に五分の四の人が治癒したという。こうした治療活動は、北条時宗が発し、忍性が助けて実行していた点である。

それゆえ、北条時宗は、土佐国(高知県)の大忍(おおさとの)(しょう)を忍性に与えて、桑ヶ谷での治療活動にかかる費用に充てさせたという。たしかに、極楽寺にも病宿(病院のこと)があり、極楽寺内での病宿で行うのがやりやすかったはずである。しかし極楽寺内の病宿ではなく、桑ヶ谷という極楽寺外で病院を作り、しかも二○年間で、四万六八○○人もの人々の治療活動を行っている。とすれば、桑ヶ谷での治療活動は、たんなる極楽寺の独自な活動という性格のものではなく、得宗(とくそう)(注)たる北条時宗の意向を代行するものであった。つまり、幕府の実質上の最高責任者である北条時宗が、忍性に救済事業を代行させていたのである。

極楽寺良観は権力の中枢にわけ入っている。彼の前に敵はいない。いるとすれば日蓮一人だったが、信者同士で小ぜりあいがある程度だ。良観にとって、無位無冠の日蓮など眼中になかったのである。

その夜、五十歳になった日蓮が説法をはじめた。頭には白髪が目立ちはじめた。

聴衆は暑さで扇子をふる者、汗をぬぐう者が大勢である。

この中に良観の弟子、周防房・入沢入道がいた。二人は偵察のためにきていた。日蓮に動きがあれば、すぐ良観に報告していた。

日蓮の説法はきびしさを増す。

「この鎌倉に良観という法師がおられます。身なりは質素であり、二百五十戒をかたくたもち威儀正しい。世間の無知の道俗はもちろん、国主より万民にいたるまで生き仏とあおいでいる。だが法華経を拝見するに、末法に入れば法華経を弘める者に、三人の強敵(ごうてき)があらわれると説かれている。余はその中のもっとも(はなは)だしい第三の敵はこの良観殿とみている」

周防房がたまらず口をはさんだ。

「おまちくだされ。なにを根拠にそのようなたわごとを」

日蓮おもむろに法華経巻五を手にとり、勧持品第十三を開いた。

「唯願不為慮 於仏滅度後 恐怖悪世中 我等当広説 有諸無智人 悪口罵詈等 及加刀杖者 我等皆当忍。

 (ただ)願わくは(うらおも)いしたもう()からず、仏の滅度の後の恐怖(くふ)(あく)()の中に()いて我等(まさ)に広く説くべし。(もろもろ)の無智の人の悪口(あっく)罵詈(めり)等し及び(とう)(じょう)を加うる者有らん、我等皆(まさ)に忍ぶべし」ではじまる二十行の偈である。

仏の滅後、ひとりの僧侶があろう。戒律をたもつようにみせかけ、わずかに教典を読んでは飲食に執着し、その身を養うであろう。袈裟(けさ)を着るといえども信徒にむかい、猟師が鹿を狙うように、猫が鼠を伺うように。さらにこの僧は常にこの言葉を唱えるだろう、われ悟りを得たりと。外面は賢善をあらわし、内には貪欲をいだく。口をあけた()羅門(らもん46)のように、実には僧にあらずして僧の形をあらわし、邪見さかんにして正法を誹謗する」


入沢(いるさわ)入道があざ笑う。

「なんというともわが良観上人は、時宗様もお認めなられる鎌倉随一の名僧でござる。先日も幕府より雨の祈りを命ぜられました。失礼ながら日蓮殿には願っても叶わぬことでございまする」

周防房も薄笑いし、日蓮に言い放った。

「これにて失礼いたす。所詮われらと日蓮殿とは水と油でございまするな。御坊がなにを申されても世間の人々は全く認めておりませぬ。これで失礼いたす。われらは雨乞いの準備がありますので・・」

その時、日蓮は二人が立ちあがるのを止めた。

「おまちなされい。六月十八日より雨の祈りとのこと。もし良観殿が七日のうちに雨をふらせたならば、某は良観殿の弟子となろう」

聴衆は降雨の対決を迫る日連の発言に驚きの声を隠せなかった。

入沢と周防が顔を見合わせ、すわりなおした。

日蓮はつづける。

「七日のうちに雨一粒もふらすことができたならば、日蓮は良観殿の弟子となって二百五十戒をつぶさに(たも)たんうえに、念仏は無間地獄と申した法門は誤りだったと捨ててご覧に入れましょう」

聴衆は日蓮の言葉にあっけにとられた。まさか雨乞いの名人と対決するとは。

周防房はまさかの展開に半信半疑だった。
「日蓮御坊殿、その言葉、うそいつわりはございますまいな」

日蓮は断言した。
「日蓮が帰伏したならば、余の弟子をはじめとして日本国は良観上人になびくでありましょう。逆に雨がふらずば、良観殿の戒律が誤りなのは明らかである。いさぎよく法華経に帰伏していただきます」

二人は思わぬ展開に互いの手をにぎりあった。

「信じがたい。良観上人にたちむかうとは。日蓮殿はうつけ者なのか・・」

 日蓮はふだん通り冷静である。

「いにしえも雨乞いについて、勝負を決したためしは多い。いわゆる伝教大師と()(みょう)(注)と(しゅ)(びん)(こう)(ぼう)(注)となり。これをもって勝負といたそう」

二人は信じられないとばかり日蓮に念を押した。

「今の言葉、くつがえすことはできぬぞ。お忘れなきよう」

二人が立ち去った。

日蓮の弟子たちは茫然とした。その一人、大進房が飛びたしてきた。

「上人。良観殿は雨乞いの達人です。とてもかなうものでは・・」

 日蓮が真正面をむいた。

「現証で決着をつけるのです。良観の大慢心を倒して、無間地獄の苦を救うのだ」


周防房と入沢入道が高笑いしながら大路を小走りに去っていく。

二人は思った。

これでわが良観和尚の敵はいなくなった。いままで日蓮に煮え湯を飲まされてきたが、その日蓮が無謀な挑戦をしかけてきたのだ。笑いが止まらなかったのである。

干魃が本格的になっていた。

田畑の空には雲ひとつない、燃えるような太陽だけだった。くもりの日があっても風が鳴るだけで、渇きはいっそうひどくなっていった。

百姓が枯れかかった稲を心配そうに見た。そしてうらめしく空を見上げた。

今の日本には深刻な旱魃はない。だが灌漑設備の乏しい当時は、わずかな日照りで深刻な飢饉をもたらした。今も世界中では旱魃による飢饉が頻繁である。異常気象をふせぐのは人智ではどうにもならない。

科学が未発達だった時代、宗教による祈りはこうした自然の驚異にたいして世界共通の究極の解決策だった。万策尽きた人々にとって、あとにのこる手立ては祈りしかなかった。

館では日蓮を導師に弟子信徒が祈った。

日蓮はいつもと同じ祈りだったが、弟子檀那はちがった。みな真剣な表情である。もし雨がふれば、自分たちの未来はない。師匠を良観の弟子にさせてはならない。悲壮な唱題だった。 


いっぽう極楽寺の入口は群衆でごったがえしていた。そこへ黒衣の僧が大挙して入っていく。
 群衆は汗だくになりながらも僧侶を迎え、手をあわせた。

ここに良観があらわれた。彼は僧侶の大群をひきいて登場した。

群衆が手をふり、歓声がひときわ大きくなった。

「良観様」

祈祷の場が極楽寺の境内にできた。急ごしらえの吹きさらしの家屋である。良観を先頭にして数百人の僧侶がつづく。壮観である。極楽寺を総動員した祈禱だった。

祈祷所には地蔵もあれば阿弥陀像もあり、あらゆる仏像がならべられた。この雑多な仏像の前に黄金のたらいがおかれた。稚児がうやうやしく柄杓の水をはこぶ。良観がその水をうけとり、たらいに入れた。そして僧侶の一団にむかって演説した。

「このたび鎌倉殿のおおせあって、雨の祈祷を行ずることになった。ここでわれらは民の苦しみを抜く祈りをおこなう。われらがいただく戒律と念仏が正しければ、雨はかならずふる。ふらぬと申す輩もいるようだが」

僧侶たちが傲慢に笑いだした。

「さりながら油断はならぬ。期限は七日間。おのおの自らの宗義をかたく守り、勤めあげるよう」

文永八年六月十八日、良観が読経を開始した。二十四日まで七日間の勝負である。もし雨がふれば日蓮は敗れ、良観の門下に下る。

数百人の僧がいっせいにつづく。地鳴りに似た響きだった。

北条時宗が窓ごしに空を見ていた。安達泰盛、平頼綱がうしろでひかえる。泰盛が口をひらく。

「いやはや、町では良観殿と日蓮の対決で、もちきりでござる。どちらが勝つか」

時宗が他人事のように聞いた。

「評判はどちらじゃ」

頼綱があざ笑った。

「良観にきまっておりまする。日蓮め、墓穴をほりましたな。蒙古の予言がまぐれ当たりだったのを幸いに、よりによって良観に刃向かうとは。勝負は七日間。七日をすぎたところで日蓮を捕らえるつもりでござる」

泰盛がおどろいた。

「捕らえる。罪状は」

「しれたこと。幕府の雨乞いを妨害したのでござる。これは幕府を非難するにひとしい。いかが」

泰盛が時宗を見た。

「いかがでございましょう」

時宗がだまったまま、かすかに聞こえる読経に耳をすませた。

祈りの効果は早速あらわれた。

町民が空を指さした。驚いたことに、雲一つなかった空のかたすみに黒雲がわいてきたのだ。

「見ろ。雲だ、雨雲だぞ」

町民が歓びにあふれた。

雲はつぎつぎに集まり、空が暗くなっていく。

良観の読経がこだましていた。

夕闇がせまった。今にも泣きだしそうな空となった。

良観がここで初日の読経を終えた。

引きあげる僧侶が満足げに見あげた。

「明日は間違いなくふるであろう。駿河ではすでに雨だそうな」

「日蓮め、後悔していることだろうて」

僧侶が笑いあった。

その夜、良観は勝利を確信して眠りについた。雨乞いは以前にも成功している。ぬかりはない。

こうなれば日蓮という目の上のこぶをはらい、幕府に恩を着せることができる。彼の師の叡尊が朝廷から興正菩薩の名を賜わり、四天王寺の別当となったように、身の栄達が目前だった。良観の喜悦ははかりしれない。自分を誹謗する者がいなくなるのだ。なんと心地よいことか。鎌倉は思いのままになる。良観は安堵感と同時に浮かれないではいられなかった。

良観はその日の未明に夢をみた。

厚い雨雲に覆われた薄暗い日中、良観がおごそかに祈る。

突然雷が天空に響き、大粒の雨がふり始めた。

群衆が喜びあう。

そこに日蓮がずぶぬれで近づき、おもむろに良観に手をあわせた。

良観は予期せぬ事態に思わず後ずさりする。
 そこで目が覚めた。はたして正夢となるのか。

翌朝。寝室は雨戸で閉めきられて暗かった。光がわずかにさしている。

外から弟子の呼ぶ声がする。

「お師匠様、お師匠様」

夢の余韻に浸っていた良観が驚いたようにとびおきた。

弟子の周防房だった。

「お時間でございます」

良観が思い出したように、いそいそと雨戸をはずした。

(雨がふっているのであろう)

しかし光線が刃のように目を刺した。思わず袂で目をおおった。

鎌倉は灼熱の空にもどっていた。昨日までの雲は完全に消えていた。

読経が延々とつづく。

僧侶の頭から湯気がでてきた。

彼らは湿気のない空をうらめしそうに見あげた。

燃えるような夕陽が鎌倉の西の空をおおった。

炎天の下、旅人が道ばたですわりこむ。

こうして二日目がおわった。

三日目の朝となった。

弟子たちがみな焦りだした。良観を中心に輪ができた。みな一様に頭をかかえた。

「雨がふるどころか、空には一つの雲さえありません。良観様、なにかよい手だてはありませぬか」

「案ずることはない。延暦寺の開祖、伝教大師とて三日かかったのだ」

「しかしこれだけの大勢の僧が真剣に祈っているのに、全くしるしがないとは、いったいなにがいけないのだ」

 自身への疑いが広がり始めた。その場の空気を察した良観が突然提案した。

「雨は必ず降らせねばならない。いまさら日蓮の門下にくだるわけにはいかない。背に腹は代えられぬ。どうであろう、このさい法華経で祈ってみるのは」

周防房が手をうった。

「そうでした。法華経があった。法然上人も法華経は衆生にとっては難信(なんしん)難解(なんげ)と説いてはいたが、優れた経であることは認めていた。このさい日蓮が頼みとする法華経で祈りましょう。我々は題目ではなく法華経一部を読誦しましょう。必ずしるしがあるはずです」

なりふりかまってはいられない。良観は法華経の八巻を用意すると、すぐに声を合わせて読経をはじめた。

「爾時世尊。従三昧。安詳而起。告舎利弗。諸仏智慧。甚深無量。其智慧門。難解難入。一切声・・」

するとどうしたことであろう。鎌倉の山なみから黒々とした雲がわきおこってきた。

黒雲は一天をおおうようになった。

良観が声を一段と強める。

この時だった。

悲鳴に似た音をたてて突風がおき、吹きさらしの建物をゆらした。

宝殿に安置していた諸仏、諸菩薩の立像が倒れだした。

僧侶たちは驚いて読経をやめたが、ひとり良観だけは懸命に唱えていた。


 鎌倉市街には砂嵐が襲った。
 町民が悲鳴をあげて逃げまどう。

屋根が突風で吹き飛ばされた。切望していた雨ではなく逆風だった。

混乱に明け暮れた三日目の夜がふけた。

夜中じゅう、鎌倉の町には風が切るような音をたてた。

北条時宗は執権の間で格子ごしに町をながめていた。

いつものように泰盛、頼綱が控えている。

泰盛がうなった。

「いかん。この風は。いよいよ日照りがすすむぞ」

農地は地割れをおこしはじめた。くわえて空っ風が追い打ちをかけた。

 土地をひきはらう百姓が続出した。彼らは当座の荷をかつぎ、身寄りのいるところへ肩をおとしながら去っていった。

 明るいうちに支度できる百姓はよかった。ほとんどの農家が借金を払えず夜逃げした。

 だがその中でも土地に居すわり、収穫をあきらめずにいる百姓がいた。

 家には妻が力なくすわりこんでいる。奥には老婆と幼い子供がよりそって寝ていた。

 百姓は叫んだ。

「おれは負けんぞ。かならず米を実らせてやる」

四日目。風の吹く中、然阿良忠を先頭にした黒衣の僧百名が大路を行進した。

 沿道の町民は念仏僧の大群に目をみはった。

 百名は極楽寺についた。

 良観が笑顔で出むかえ、然阿と対面した。

「よくぞ来られました」

念阿がうなずく。

出過ぎた振舞ではないかと躊躇(ちゅうちょ)しましたが、加勢いたすことにしました。この鎌倉を日蓮に我が物顔で振る舞わせる訳にはいきません(せん)ずる所、雨を降らす法は念仏をおいてほかにござらぬ」

 良観一門が祈る。然阿一門がそれに続く。祈祷所全体が前よりも倍した声で念仏を唱え始めた。

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・」

念仏の声が乾いた空に増幅され周囲に響き渡る。しかし刺すような光線が祈祷所にそそいできた。さらにこの反射した光線が良観を襲った。

良観が思わずかがみこんだ。

やがて夜がふけていった。

祈祷所から汗だくの僧侶が極楽寺に引きあげた。みな争うように水を飲みこんだ。

良観と周防房、入沢入道の三人は、なおも祈祷所にのこり、念仏を唱えていた。

弟子の二人が顔を見あわせ、背中越しに良観に話しかけた。
「お師匠様、明日がございます。今日はここまでとしたほうが・・」

しかし良観は耳に入らないのか念仏を唱え続けている。

二人が前へでて、良観の顔をのぞいて仰天した。
 げっそりと頬が落ちている。なにかにとり()れた形相である。

「そうか・・」

良観は弟子の問いかけに答えることなく、ふらふらと立ちあがった。


あくる日も祈りがつづいた。

僧侶のなかに祈りながら床に伏して倒れる者がでてきた。意識がもうろうとしている。熱射病である。口から泡を吹く者、嘔吐する者もいた。一人もう一人と前に倒れ、横に倒れて担ぎだされていく。

 良観はあいかわらず憑かれたように祈り続けていた。

 周防房と入沢入道も体調に異変が起き、苦しみだした。


ついに日蓮と約束した七日目の朝がきた。

雨の気配はなく、乾いた風が吹く。

朝、良観はふらふらと祈祷所にむかった。

驚いたことに、良観の目の前を念阿の集団が横ぎった。彼らは退去するところだった。良観があわてて追いかけた。

「然阿殿。いかがいたした。今日が最後でございますぞ。どちらへ」

然阿は、ばつ悪そうだった。

「これは貴殿と日蓮との賭け事でしたな。われらがさしでがましい事をしでかすのはどうかと思いましてな」

良観の口ぶりは哀願がこもる。

「とんでもございませぬ。然阿殿はわれわれにとって心強い味方ですぞ。どうかおのこりあって・・」

「いや失礼いたす。六日間、飽かずに祈ったのでござる。それにこの空です。今日一日でふるとは、思いませなんでな」

ここで良観がはじめて然阿に詰問した。

「然阿殿、余は今まで律僧でありながら、そなたの念仏を弘めてきたのですぞ。貴殿にとって余は一番の味方のはず。この良観は鎌倉殿も御帰依の身。この上はどうなるか承知でしょうな」

念阿が突きはなした。

「それでは。法要がありますので」

念阿らが大挙して去っていく。

良観が背をむけた一団をなじった。

「もともと頼りにはしていなかったのだ。どこへでもいくがいい」

念阿はふりむかずに去った。彼は最初、数をたよりに加勢したが、分が悪いのを見ると、素知らぬように逃げた。
 当時、悪い事態をさらに悪化させる人を
立入(たていり)(もの)と呼んだ。念阿は良観にとって立入者だった。



              26 日蓮、降雨へ渾身の祈り  につづく
上巻目次


得宗

鎌倉幕府北条氏惣領の家系をいう。初代執権北条時政以後、二代義時の嫡流である泰時、時氏、経時、時頼、時宗、貞時、高時まで九代続いた。


護命 ()()()()()()()()()()()修円

22 三類の怨敵 参照

 



by johsei1129 | 2017-03-20 11:50 | 小説 日蓮の生涯 上 | Comments(0)