日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 11月 25日 ( 2 )


2015年 11月 25日

撰時抄愚記 下一二

 四日

 第二十八段 (えん)()第一の法華経の行者

一 亡国(ぼうこく)のかなしさ等

 此の下は大段の第二、(しょう)を顕すなり。正は即ち最大深秘(じんぴ)の大法なり。中に於て末法流布の正体、本門の本尊・妙法蓮華経の五字は(すなわ)ち是れ所持の法なり。我が蓮祖大聖人は即ち是れ能持(のうじ)の人なり。能持の人は即ち是れ末法下種の教主なり。(いま)当抄の(こころ)は、能持・所持の中に於て能持の人を以て表と為すなり。例せば「法妙なるが故に人(とうと)し」の意の如し。

 故に此の文より下「(そもそも)此の法華経」等の文の上に至るまで、(まさ)しく三義を以て、蓮祖は是れ末法下種の教主なることを顕示(けんじ)するなり。

一には、日蓮は是れ閻浮第一の法華経の行者なるが故に。是れ(すなわ)ち前代未聞(みもん)の大法を弘通(ぐつう)したもうが故に。

二には、日蓮は是れ閻浮第一の智人なるが故に。是れ則ち瑞相(ずいそう)の根源を知ろし()すが故なり。

三には、日蓮は是れ閻浮第一の聖人なるが故に。是れ(すなわ)ち自他の兵乱を兼知(けんち)したもうが故なり云云。

 故に蓮祖は是れ末法下種の教主なり、故に知んぬ、末法下種の(にん)本尊なり云云。

 次に正しく文を(しょう)せば、此の「亡国のかなしさ」の下は第二に、正を顕す、(また)二あり。初めに略して示し、次に「漢土・日本」の下は広釈なり。初めの略して示すに亦三あり。初めに怨嫉(おんしつ)来難、次に「而る間」の下は自他の兵乱(ひょうらん)、三に「吉凶」の下は天地の瑞相なり云云。

一 ただ()ざんげん(讒言)のことばのみ用いて等

 (あるい)は多人に付き、或は上代(そう)(じゅう)の法の改め難き故に、或は自身愚痴(ぐち)故に、或は実経の行者を(かろ)んずるが故に、但讒言(ざんげん)のみを用い、実経の行者を(あだ)むなり。二十八巻二十九()いて見よ。

一 (いにしえ)(ほう)(ぼう)をば不思議とは等

 録外(ろくげ)第四十五、往いて見よ。

一 (かく)(とく)比丘(びく)殺害(せつがい)に及びしに等

 安国論十九涅槃(ねはん)経第三・五十二を引く。

一 吉凶(きっきょう)につけて(きざし)多ければ難多かるべき等

 録外の十六・二十一()いて見よ。

一 (がっ)()漢土(かんど)・日本等

 此の下は二に広釈、三あり。初めに日蓮は(えん)()第一の法華経の行者なることを明かし、次に「問うて云く、正嘉」の下は、日蓮は閻浮第一の智人なることを明かし、三に「いまにしもみよ」の下は、日蓮は閻浮第一の聖人(しょうにん)なることを明かすなり。

第一の閻浮第一の法華経の行者なることを明かす、亦三あり。初めに略して(しょ)(にん)怨嫉(おんしつ)を示し、次に「先づ眼前」の下は広釈、三に「日蓮は日本第一」の下は結なり。

一 ()眼前(げんぜん)の事をもつて日蓮は閻浮提第一の者としるべし

 此の下は次に広釈、又三あり。初めに前代流布(るふ)、次に「此の念仏」の下は序、三に「欽明」の下は正釈。

一 仏には阿弥陀(あみだ)仏等

 是れは本尊に約す。「諸仏の名号(みょうごう)には」等とは修行に約するなり。

一 心()らん人は此れをすひ()ぬべし

 前権(ぜんごん)(こう)(じつ)は諸仏説法の儀式なるが故なり云云。

一 (きん)(めい)より乃至智人なし等

上巻二十三に云く「南無妙法蓮華経と一切衆生に(すす)めたる人一人(いちにん)もなし。此の徳は誰か一天に眼を合せ、四海に肩をならぶべきや」云云。

 問う、上巻二十二に云く「日本国に仏法渡って七百余年、伝教大師と日蓮とが(ほか)は一人も法華経の行者なきぞかし」云云。如何(いかん)

 答う、()し像法当分に約すれば伝教大師も法華経の行者なり。是れ(すなわ)ち像法適時(ちゃくじ)、如説の行者なるが故なり。若し末法に望むれば(なお)真の法華経の行者に非ず。是れに(しばら)く二意あり。

 一には、()の時は法華(まさ)しく流布(るふ)の時に非ざるが故に。故に上巻九に云く「法華経の流布の時・二度あるべし、所謂(いわゆる)在世の八年・滅後には末法の始の五百年なり、(しかる)に天台・妙楽・伝教等は進んでは在世法華経の時にも・もれさせ給いぬ、退いては滅後・末法の時にも生まれさせ給はず中間(ちゅうげん)なる事をなげ()かせ給いて」と云云。既に(まさ)しく流布の時に非ざるが故に、(また)真の法華経の行者には非ざるなり。

二には、伝教大師は(なお)南無妙法蓮華経と一切衆生に(すす)め給わざるが故なり。即ち今文の如し。故に真の法華経の行者に非ざるなり。()し此の意を得ば処々分明(ふんみょう)なり

一 一閻浮提(いちえんぶだい)の内にも肩をならぶる者は()るべからず

 問う、何を以て()の事を知らんや。

 答う、顕仏未来記二十七・三十一に云く「疑って云く、(ただ)()天竺(てんじく)並びに漢土(かんど)等にも法華経の行者(これ)有るか如何(いかん)。答えて云く、()天下(てんげ)の中に全く二の日無し、四海の内(あに)両主有らんや」文。経に云く「世に二仏無く、国に二主無く、一仏の境界に二つの尊号(そんごう)し」と云云。秘すべし、秘すべし云云。他流の知らざる法門なり。(あえ)(てい)()することなかれ。報恩抄の上三十五には、釈尊を法華経の行者と名づくるなり。
 
 
                     つづく
撰時抄愚記下 目次



by johsei1129 | 2015-11-25 20:58 | 日寛上人 御書文段 | Comments(0)
2015年 11月 25日

日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり、天のあたへ給うべきことわりなるべし、と説いた【別当御房御返事】

【別当御房御返事】
■出筆時期:文永十一年(1274) 四、五月頃 五十三歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は清澄寺の住職(別当)より、大聖人に故郷二間寺・清澄寺の所当職への就任を依頼されたことへの返書となっております。
冒頭で「聖密房の文に詳しく書きて候より、会いて聞かせ給い候へ」とあるのは、本消息と同時期に聖密房に送られた真言破析の書『聖密房御書』を聖密房に会って聞かせてもらうよう、住職に伝えたものと思われます。
また二間寺・清澄寺の所当職への就任については「幾ら程の事に候べき、但名ばかりにてこそ候はめ」と記されると共に、後段では「日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり、天のあたへ給うべきことわりなるべし」と宣言し、二間寺・清澄寺に関わっていられないことを示されると同時に「日蓮心ざす事は生処なり、日本国よりも大切にをもひ候」と記され、故郷のことを忘れているわけではないと示されておられます。
■ご真筆:身延久遠寺に全四紙が存在していたが明治八年の大火で焼失。

[別当御房御返事 本文]

聖密房のふみ(文)にくは(詳)しくかきて候より、あ(会)いてきか(聞)せ給い候へ。
なに事も二間清澄の事をば聖密房に申しあわせさせ給うべく候か。世間のりをしりたる物に候へばかう申すに候、これへの所当なんどの事は・ゆめゆめをもはず候。いくらほどの事に候べき、但なばかりにてこそ候はめ。又わせいつをの(注)事をそれ入つて候。いくほどなき事に御心ぐるしく候らんと・かへりてなげき入つて候へども、我が恩をば・しりたりけりと・しらせまつらんために候。※[わせいつをの]は誤書写と思われ意味は不明です。

大名を計るものは小耻にはぢずと申して、南無妙法蓮華経の七字を日本国にひろめ震旦高麗までも及ぶべきよしの大願をはらみて其の願の満すべきしるしにや、大蒙古国の牒状しきりにありて此の国の人ごとの大なる歎きとみへ候。

日蓮又先きよりこの事をかんがへたり閻浮第一の高名なり、先きよりにくみぬるゆへに・ままこのかうみやうのやうに専心とは用い候はねども・終に身のなげき極まり候時は辺執のものどもも一定とかへぬとみへて候。これほどの大事をはらみて候ものの少事をあながちに申し候べきか、
但し当時・日蓮心ざす事は生処なり、日本国よりも大切にをもひ候。例せば漢王の沛郡を・をもくをぼしめししがごとし、かれ生処なるゆへなり。聖智が跡の主となるをもつてしろしめせ、日本国の山寺の主ともなるべし、日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり、天のあたへ給うべきことわりなるべし。

米一斗六升・あはの米二升・やき米はふくろへ・それのみならず人人の御心ざし申しつくしがたく候。これは・いたみをもひ候、これより後は心ぐるしく・をぼしめすべからず候、よく人人にしめすべからず候、よく人人にもつたへさせ給い候へ。
乃 時
別当御房御返事





by johsei1129 | 2015-11-25 19:36 | 弟子・信徒その他への消息 | Comments(0)