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日蓮大聖人『御書』解説

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2017年 01月 22日

立正観抄 要点解説その三

引き続き日蓮大聖人は「観心の釈の時本迹を捨つと云う難は、法華経何れの文、人師の釈を本と為して仏教を捨てよと見えたるや。設い天台の釈なりとも、釈尊の金言に背き法華経に背かば、全く之を用ゆ可からざるなり。依法不依人の故に竜樹・天台・伝教元よりの御約束なるが故なり」と示し、「依法不依人の故に、天台の釈なりとも、釈尊の金言に背き法華経に背かば、全く之を用ゆ可からざるなり」と断じます。
更に「妙法を捨てば何物を己心と為して観ず可きや。如意宝珠を捨て瓦石を取つて宝と為す可きか」と示し、
「天台の摩訶止観の修行は法華経に勝っているゆえに法華経を捨ててよい」との比叡山・天台宗の妄説を根底から破折します。
「其上天台の釈の意は、迹の大教起れば爾前の大教亡じ、本の大教興れば迹の大教亡じ、観心の大教興れば本の大教亡ずと釈するは、本体の本法をば妙法不思議の一法に取り定めての上に修行を立つるの時、今像法の修行は、観心修行を詮と為るに、迹を尋ぬれば迹広し本を尋ぬれば本高うして極む可からず。故に末学機に叶い難し。但己心の妙法を観ぜよと云う釈なり。然りと雖も妙法を捨てよとは釈せざるなり。若し妙法を捨てば何物を己心と為して観ず可きや。如意宝珠を捨て瓦石を取つて宝と為す可きか」と。

引き続き日蓮大聖人は真言に染まった当時の天台宗の学者に対し「念仏・真言・禅宗・等に同意するが故に、天台の教釈を習い失つて法華経に背き大謗法の罪を得るなり」と痛烈に批判します。 
「悲しいかな当世天台宗の学者は念仏・真言・禅宗・等に同意するが故に、天台の教釈を習い失つて法華経に背き大謗法の罪を得るなり。 
 若し止観を法華経に勝ると云わば種種の過之有り。止観は天台の道場所得の己証なり、法華経は釈尊の道場所得の大法なり是一釈尊は妙覚果満の仏なり、天台は住前未証なれば名字・観行・相似には過ぐ可からず四十二重の劣なり是二法華は釈尊乃至諸仏出世の本懐なり、止観は天台出世の己証なり是三法華経は多宝の証明あり、来集の分身は広長舌を大梵天に付く皆是真実の大白法なり是四。止観は天台の説法なり。是くの如き等の種種の相違之有れども、仍お之を略するなり。
<中略>
 故に知んぬ天台弘通の所化の機は在世帯権の円機の如し。本化弘通の所化の機は法華本門の直機なり。止観・法華は全く体同と云わん。尚人師の釈を以て仏説に同ずる失、甚重なり。何に況や止観は法華経に勝ると云う邪義を申し出すは。但是れ本化の弘経と迹化の弘通と、像法と末法と迹門の付属と本門の付属とを、末法の行者に云い顕わさせん為の仏天の御計いなり。爰に知んぬ当世天台宗の中に此の義を云う人は、祖師天台の為には不知恩の人なり。豈其の過を免れんや。夫れ天台大師は昔霊山に在ては薬王と名け、今漢土に在ては天台と名け、日本国の中にては伝教と名く。三世の弘通倶に妙法と名く。
是くの如く法華経を弘通し給う人は、在世の釈尊より外は三国に其の名を聞かず。有り難く御坐します大師を、其の末学、其の教釈を悪く習うて失無き天台に失を懸けたてまつる。豈大罪に非ずや」と。


立正観抄 要点解説その四に続く





by johsei1129 | 2017-01-22 22:57 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)


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