日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 11月 23日

観心本尊抄 要点解説 その十

日蓮大聖人は『此の時地涌の菩薩始めて世に出現し、但妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ』と断じ、次に御本尊が出現する時、建立する人、有縁の国、及びその瑞相について経、天台・妙楽等の釈を引いて詳細に示します。

問うて曰く仏の記文は云何答えて曰く「後の五百歳閻浮提に於て広宣流布せん」と、天台大師記して云く「後の五百歳遠く妙道に沾おわん」
妙楽記して云く「末法の初冥利無きにあらず」伝教大師云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り」等云云。末法太有近の釈は我が時は正時に非ずと云う意なり。
伝教大師日本にして末法の始を記して云く「代を語れば像の終り末の初、地を尋れば唐の東・羯の西、人を原れば則ち五濁の生・闘諍の時なり。経に云く猶多怨嫉・況滅度後と、此の言良とに以有るなり

 此の釈に闘諍の時と云云、今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すなり。
此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し。

月支震旦に未だ此の本尊有さず、日本国の上宮・四天王寺を建立して未だ時来らざれば阿弥陀・他方を以て本尊と為す。聖武天皇・東大寺を建立す、華厳経の教主なり。未だ法華経の実義を顕さず。伝教大師粗法華経の実義を顕示す、然りと雖も時未だ来らざるの故に東方の鵝王を建立して本門の四菩薩を顕わさず。所詮地涌千界の為に此れを譲り与え給う故なり。
此の(地涌の)菩薩、仏勅を蒙りて近く大地の下に在り、正像に未だ出現せず、末法にも又出で来り給わずば大妄語の大士なり。三仏の未来記も亦泡沫に同じ。

此れを以て之を惟うに正像に無き大地震・大彗星等出来す。此等は金翅鳥・修羅・竜神等の動変に非ず、偏に四大菩薩を出現せしむ可き先兆なるか。
天台云く「雨の猛きを見て竜の大なるを知り花の盛なるを見て池の深きことを知る」等云云。
妙楽云く「智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云、天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか。

一念三千を識らざる者には仏、大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う。
四大菩薩の此の人を守護し給わんこと太公周公の文王を摂扶し、四皓が恵帝に侍奉せしに異ならざる者なり』と。ここで観心本尊抄は完結します。

「一念三千を識らざる者には仏」とは、日蓮大聖人ご自身です。
「五字の内に此の珠を裹み」とは妙法蓮華経の五字に、末法の本仏日蓮大聖人の魂(=仏の慈悲)を
裹んでいる『曼荼羅御本尊』となります。
また「末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」の末代幼稚とは末法の衆生であり、「頚に懸けさしめ給う」とは、当時の人々の習慣として、遺骨などの非常に大事なものは自分の首に懸けて運んだことから、このご本尊は非常に大切なものであることを門下に示しておられます。

遺骨を自分の首に懸けて運んだ事例は、阿仏房の息子が佐渡から阿仏房の遺骨を身延の大聖人の草庵に持ち寄ったことを大聖人が「千日尼御返事」で記されておられます。
「其の子藤九郎守綱は此の跡をつぎて一向法華経の行者となりて、去年は七月二日の舎利を頚に懸け、一千里の山海を経て甲州・波木井身延山に登りて法華経の道場に此れをおさめ」と。




by johsei1129 | 2016-11-23 00:41 | 観心本尊抄(御書五大部) | Comments(0)


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