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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 07月 07日

 法華取要抄私記 十八 爾前も法華経も無得道と云うなり。されば南条抄に「余経も法華経も詮(せん)なし」等云云。  


一「教のみ有って得道無し」とは。

啓蒙に云わく「爾前の大小・権実・顕密は(とも)に教は有れども無得道なり」と。

私に云く、此の義不可なり。「大小・権実・顕密」とは法華経も共に収めて(しか)と云うなり。是れ則ち爾前も法華経も無得道と云うなり。

されば南条抄に「余経も法華経もせん()なし」等云云。

一「弗舎(ほっしゃ)(みっ)多羅(たら)(おう)」の事。(つぶさ)に啓蒙の如し。

一「本門の三()の法門」の

啓蒙に云わく「本門の言は迹化(しゃっけ)迹門の弘通に対して、末法の(ほん)()弘通の規模を顕さんが為なり。又『予が読む所の迹には非ず』と(えら)ぶが如く、宗家の本迹は本が家の迹にして、一妙法の上の本有の徳用なれば、(いち)()唯本(ゆいほん)の意にて、本門の三大秘法と名を立つる義と両向を以て(こころ)()べきなり。是れ則ち相待(そうたい)絶待(ぜったい)の意なり」と。又(ごん)抄に云わく「略を捨つる時は寿量品も捨つるなり。是れ相対の意なり。宗家の本迹は本地所証の妙法が家の本迹にして、(ほん)()の迹覚本覚を帰示せる体徳の妙用なれば、妙法(そく)本迹、本迹即妙法にして不可思議の重なり。是れ則ち絶待の妙の意なり」云云。又啓蒙に云わく「逆縁の正意の(かた)に約して広宣流布を点示するなり」云云。

私に云わく、三箇の法門、三大秘法抄にあり。是れ則ち一箇の相承なり。()れ本尊とは、総別・人法等と種々の分別あり云云。さて本迹の沙汰は一往再往ともに勝劣なり。総じて五重の勝劣あり。一には(ない)()相対、二には大小相対、三には権実相対、四には本迹相対、五には種脱相対の法門なり。()くの如き重々の相対の上に下種の法を顕すなり。文底(もんてい)とは是れなり。

一 此の御書は正本に年号月日なし。「土木(とき)殿へ」ともなし。後人(これ)を加う。さて年号月日の事は二説あり。一は文永十一(きのえ)(いぬ)五月二十四日、二に同じき正月二十四日と云云。中に於て五月と云う事分明なり。十三丁()いて見よ。正本は中山に有り。

一 此の法華経は()(ぜん)の諸経・諸宗に超過して勝れたることを判ず。

付けたり、諸宗の(りゅう)()の事、初丁

付けたり、()(こん)(とう)の三字第一なる事、二丁ウ

付けたり、諸経に已今当相似(そうじ)の文を()する事、三丁ヲ

付けたり、所対を見て経々の勝劣(しょうれつ)を弁ずべきこと、三丁ウ

一 教主の()(えん)無縁の判四丁ヲウ。「今法華経」の下、一に権果に約し、二に迹因に約し、三に本果に約す。

付けたり、大日如来・阿弥陀(あみだ)如来は我等が本師釈尊の所従なる事、五ヲ

付けたり、弥陀・釈迦とは宿(むか)()の生養(えん)異なりて父子の義を生ぜざる事、五ヲ

付けたり、華厳経の十方台上の盧舎那(るしゃな)、大日経・金剛(こんごう)(ちょう)(きょう)の両界の大日、多宝の(きょう)()の事、五ウ

付けたり、多宝も釈迦の(しょ)(じゅう)の事、五ウ

付けたり、釈尊の忌日(きじつ)を他仏に()うるは誤りなる事、六ウ


つづく


本書目次  日寛上人 文段目次



by johsei1129 | 2016-07-07 21:12 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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