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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 06月 02日

佐渡流罪以前に法華経の行者の立場で、仏は主師親の三徳を具していることを説かれた書【主師親御書】

【主師親御書】
■出筆時期:建長七年(1255年)三十四歳御作。
■出筆場所:鎌倉 松葉ヶ谷の草庵と思われます。
■出筆の経緯:本抄は立宗二年後に弟子・信徒教化のために著された書で、大聖人はあくまで法華経の行者の立場で「釈迦仏は我等が為には主なり・師なり・親なり」と説かれておられます。
 そして本御書を著された十七年後、竜の口の法難で発迹顕本なされた日蓮大聖人は、流罪地の佐渡で【開目抄】を著されます。その開目抄(上)の冒頭で「夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり、所謂(いわゆる)主師親これなり」と記され、仏は「主師親」の徳を具していると示すとともに、開目抄(下)の文末では「日蓮は日本国の諸人にしうし(主師)父母なり」と断じ、自身が末法の本仏であることを宣言なされておられます。
■ご真筆:現存しておりません。

【主師親御書 本文】

 釈迦仏は我等が為には主なり・師なり・親なり。一人してすくひ護ると説き給へり。阿弥陀仏は我等が為には主ならず・親ならず・師ならず。然れば天台大師是を釈して曰く「西方は仏別にして縁異なり、仏別なるが故に隠顕(おんけん)の義成ぜず。縁異なるが故に子父の義成ぜず。又此の経の首末に全く此の旨無し。眼を閉じて穿鑿(せんさく)せよ」と。
 実なるかな釈迦仏は中天竺の浄飯大王の太子として十九の御年・家を出で給いて檀特山と申す山に篭らせ給ひ、高峯に登つては妻木(つまぎ)をとり、深谷に下つては水を結び、難行苦行して御年三十と申せしに仏にならせ給いて、一代聖教を説き給いしに・上には華厳・阿含・方等・般若等の種種の経経を説かせ給へども、内心には法華経を説かばやと・おぼしめされしかども、衆生の機根まちまちにして一種ならざる間、仏の御心をば説き給はで人の心に随ひ万(よろず)の経を説き給へり。
 此くの如く四十二年が程は心苦しく思し食しかども、今法華経に至つて我が願既に満足しぬ、我が如くに衆生を仏になさんと説き給へり。久遠より已来(このかた)、或は鹿となり・或は熊となり・或時は鬼神の為に食われ給へり。此くの如き功徳をば法華経を信じたらん衆生は是真仏子とて是実の我が子なり、此の功徳を此の人に与へんと説き給へり。是れ程に思食したる親の釈迦仏をば・ないがしろに思ひなして、唯以一大事と説き給へる法華経を信ぜざらん人は・争か仏になるべきや。能く能く心を留めて案ずべし。
 二の巻に云く「若し人信ぜずして・此の経を毀謗せば・即ち一切世間の仏種を断ず・乃至余経の一偈をも受けざれ」と。文の心は仏にならん為には唯法華経を受持せん事を願つて余経の一偈一句をも受けざれと。
 三の巻に云く「飢国(けこく)より来つて忽ち大王の膳に遇うが如し」と。文の心は飢えたる国より来つて忽ちに大王の膳にあへり。心は犬野干の心を致すとも、迦葉・目連等の小乗の心をば起さざれ。破れたる石は合うとも、枯木に花はさくとも、二乗は仏になるべからずと仰せられしかば、須菩提(しゅぼだい)は茫然として手の一鉢をなげ、迦葉は涕泣(ていきゅう)の声大千界を響かすと申して歎き悲しみしが、今法華経に至つて迦葉尊者は光明如来の記別を授かりしかば、目連・須菩提・摩訶迦旃延(まかかせんねん)等は是を見て我等も定めて仏になるべし、飢えたる国より来つて忽に大王の膳にあへるが如しと喜びし文なり。
 我等衆生・無始曠劫(むし・こうごう)より已来(このかた)、妙法蓮華経の如意宝珠を片時も相離れざれども、無明の酒にたぼらかされて衣の裏にかけたりと・しらずして少きを得て足りぬと思ひぬ。南無妙法蓮華経とだに唱え奉りたらましかば速(すみ)やかに仏に成るべかりし衆生どもの、五戒・十善等のわずかなる戒を以て或は天に生れて大梵天・帝釈の身と成つていみじき事と思ひ、或時は人に生れて諸の国王・大臣・公卿・殿上人等の身と成つて是れ程のたのしみなしと思ひ、少きを得て足りぬと思ひ・悦びあへり。是を仏は夢の中のさかへ・まぼろしの・たのしみなり、唯法華経を持ち奉り速やかに仏になるべしと説き給へり。
 又四の巻に云く「而も此の経は如来の現在すら猶怨嫉多し。況や滅度の後をや」云云。釈迦仏は師子頬王(きょうおう)の孫・浄飯王には嫡子なり。十善の位をすて五天竺第一なりし美女・耶輸多羅女(やしゅたらにょ)をふりすてて十九の御年・出家して勤め行ひ給いしかば、三十の御年・成道し御坐(ましま)して三十二相・八十種好の御形にて・御幸(みゆき)なる時は大梵天王・帝釈・左右に立ち、多聞・持国等の四天王・先後囲繞(いにょう)せり。法を説き給ふ御時は四弁・八音の説法は祇園精舎に満ち、三智五眼の徳は四海にしけり。然れば何れの人か仏を悪(にく)むべきなれども尚怨嫉するもの多し。まして滅度の後・一毫(いちごう)の煩悩をも断ぜず、少しの罪をも弁へざらん法華経の行者を悪み・嫉む者多からん事は雲霞(うんか)の如くならんと見えたり。然れば則ち・末代悪世に此の経を有りのままに説く人には敵多からんと説かれて候に、世間の人人我も持ちたり・我も読み奉り行じ候に、敵なきは仏の虚言(そらごと)か法華経の実ならざるか。又実の御経ならば当世の人人、経をよみまいらせ候は虚(そら)よみか、実の行者にてはなきか如何。能く能く心得べき事なり、明むべき物なり。
 四の巻に多宝如来は釈迦牟尼仏・御年三十にして仏に成り給ふに、初には華厳経と申す経を十方華王のみぎりにして別円頓大の法輪・法慧・垢徳林(くどくりん)・金剛幢(こんごうどう)・金剛蔵の四菩薩に対して三七日の間説き給いしにも来たり給はず。其の二乗の機根叶はざりしかば瓔珞細軟(ようらくさいなん)の衣をぬぎすて麤弊垢膩(そべい・くに)の衣を著(き)・波羅奈国(はらないこく)・鹿野苑(ろくやおん)に趣いて十二年の間・生滅四諦の法門を説き給ひしに、阿若(あにゃ)・倶鄰(くりん)等の五人証果し、八万の諸天は無生忍を得たり。次に欲色二界の中間・大宝坊の儀式・浄名の御室には三万二千の牀(とこ)を立て、般若・白鷺池(びゃくろじ)の辺(ほとり)・十六会の儀式・染浄虚融(せんじょう・こゆう)の旨をのべ給いしにも来たり給はず。法華経にも一の巻乃至四の巻・人記品までも来り給はず、宝塔品に至つて初めて来り給へり。
 釈迦仏・先四十余年の経を我と虚事(そらごと)と仰せられしかば、人用うる事なく・法華経を真実なりと説かせ給へども、仏と云うは無虚妄の人とて永く虚言し給はずと聞きしに、一日ならず・二日ならず・一月ならず・二月ならず・一年二年ならず・四十余年の程まで虚言したり仰せられしかば又此の経を実と説き給うも虚言にやあらんずらんと不審なししかば、此の不審・釈迦仏一人しては舎利弗を始め・事はれがたかりしに、此の多宝仏・宝浄世界よりはるばると来たらせ給いて法華経は皆是れ真実なりと証明し給いしに、先の四十余年の経を虚言と仰せらるる事実の虚言に定まるなり。
 又法華経より外の一切経を空に浮べて文文・句句・阿難尊者の如く覚り、富楼那(ふるな)の弁舌の如くに説くとも其れを難事とせず、又須弥山と申す山は十六万八千由旬の金山にて候を、他方世界へつぶてに・なぐる者ありとも難事には候はじ。仏の滅度の後・当世・末代悪世に法華経を有りのままに能く説かん、是を難しとすと説かせ給へり。五天竺・第一の大力なりし提婆達多も長(たけ)三丈五尺・広(はば)一丈二尺の石をこそ仏になげかけて候いしか。又漢土第一の大力・楚の項羽と申せし人も九石入の釜に水満ち候いしをこそ・ひさげ候いしか。其れに是は須弥山をばなぐる者は有りとも、此の経を説の如く読み奉らん人は有りがたしと説かれて候に、人ごとに此の経をよみ書き説き候。経文を虚言に成して当世の人人を皆法華経の行者と思ふべきか。能く能く御心得有るべき事なり。
 五の巻・提婆品に云く「若し善男子・善女人有りて妙法華経の提婆達多品を聞いて浄心に信敬して疑惑を生ぜざらん者は、地獄・餓鬼・畜生に堕せずして十方の仏前に生ぜん」と。
 此の品には二つの大事あり。一には提婆達多と申すは阿難尊者には兄・斛飯王(こくぼんのう)には嫡子(ちゃくし)・師子頬王(ししきょうおう)には孫・仏にはいとこにて有りしが、仏は一閻浮提第一の道心者にてましまししに怨をなして、我は又閻浮提第一の邪見・放逸の者とならんと誓つて万の悪人を語らいて仏に怨をなして・三逆罪を作つて現身に大地破れて無間大城に堕ちて候いしを、天王如来と申す記別を授けらるる品にて候。然れば善男子と申すは男・此の経を信じまひらせて聴聞するならば提婆達多程の悪人だにも仏になる。まして末代の人はたとひ重罪なりとも多分は十悪をすぎず。まして深く持ち奉る人・仏にならざるべきや。
 二には娑竭羅(しゃかつら)竜王のむすめ竜女と申すは八歳のくちなは(小蛇)・仏に成りたる品にて候。此の事めづらしく貴き事にて候。其の故は華厳経には「女人は地獄の使なり。能く仏種子を断ず。外面は菩薩に似て内心は夜叉(やしゃ)の如し」と。 文の心は女人は地獄の使ひ・よく仏の種をたつ。外面は菩薩に似たれども内心は夜叉の如しと云へり。
 又云く「一度女人を見る者はよく眼の功徳を失ふ。設ひ大蛇をば見るとも女人を見るべからず」と云い、又有る経には「所有の三千界の男子の諸の煩悩を合せ集めて一人の女人の業障と為す」と。三千大千世界にあらゆる男子の諸の煩悩を取り集めて女人一人の罪とすと云へり。或経には「三世の諸仏の眼は脱(ぬ)けて大地に堕つとも、女人は仏に成るべからず」と説き給へり。此の品の意は人畜をいはば、畜生たる竜女だにも仏に成れり、まして我等は形のごとく人間の果報なり。彼の果報にはまされり、争でか仏にならざるべきやと思し食すべきなり。
 中にも三悪道におちずと説かれて候。其の地獄と申すは、八寒八熱乃至八大地獄の中に初め・浅き等活地獄を尋ぬれば此の一閻浮提の下一千由旬なり。其の中の罪人は互ひに常に害心をいだけり。もし・たまたま相見れば猟師が鹿にあへるが如し。各各(おのおの)鉄の爪を以て互につかみさく。血肉皆尽きて唯残つて骨のみあり。或は獄卒棒を以て頭よりあなうらに至るまで皆打ちくだく。身も破れくだけて猶沙(いさご)の如し。焦熱なんど申すは譬えんかたなき苦なり。鉄城四方に回つて門を閉じたれば力士も開きがたく、猛火高くのぼつて金翅(こんじ)のつばさもかけるべからず。
 餓鬼道と申すは其の住処に二あり。一には地の下五百由旬の閻魔王宮にあり。二には人天の中にもまじはれり。其の相種種なり。或は腹は大海の如く・のんどは鍼(はり)の如くなれば明けても暮れても食すとも・あくべからず。まして五百生・七百生なんど飲食の名をだにもきかず。或は己が頭をくだきて脳を食するもあり、或は一夜に五人の子を生んで夜の内に食するもあり。万の菓・林に結べり・取らんとすれば悉く剣の林となり、万水大海に流入りぬ・飲まんとすれば猛火となる。如何にしてか此の苦をまぬがるべき。
 次に畜生道と申すは其の住所に二あり、根本は大海に住す、枝末は人天に雑れり。短き物は長き物にのまれ、小き物は大なる物に食はれ、互に相食んでしばらくもやすむ事なし。或は鳥獣と生れ・或は牛馬と成つても重き物をおほせられ、西へ行かんと思へば東へやられ、東へ行かんとすれば西へやらる。山野に多くある水と草をのみ思いて余は知るところなし。
 然るに善男子・善女人・此の法華経を持ち南無妙法蓮華経と唱え奉らば此の三罪を脱るべしと説き給へり。何事か是にしかん、たのもしきかな・たのもしきかな。
 又五の巻に云く「我れ大乗教を闡(ひら)いて苦の衆生を度脱す」と。心は・われ大乗の教をひらいてと申すは法華経を申す。苦の衆生とは何ぞや、地獄の衆生にもあらず餓鬼道の衆生にもあらず只女人を指して苦の衆生と名けたり。
 五障三従と申して三つしたがふ事有つて五つの障(さわ)りあり。竜女・我女人の身を受けて女人の苦をつみしれり。然れば余をば知るべからず、女人を導かんと誓へり。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。

         日蓮   花押




by johsei1129 | 2016-06-02 20:25 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)


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