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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 09月 14日

弟子の教化のため、釈尊の一切経(八教)を三つの教相の観点から分別し論じられた法門【三八教】

■出筆時期:文永六年(1269年)三月十六日  四十八歳御作。
■出筆場所:鎌倉 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は大聖人が弟子の教化のために、天台の法華玄義に説かれている三つの教相で釈尊の一切経を分別して論じられた法門です。

尚ご真筆は全十六紙一巻で京都市妙顕寺に所蔵されておられますが、末尾の「日蓮花押」は大聖人ご自身ではなく、後世に別人が書き加えたとものと考えられておられます。
■ご真筆:京都市 妙顕寺(16紙一巻)所蔵。
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【三八教 本文】 

 妙法蓮華経。  
 玄義の一に云はく「教相を 経の一字三八教あり 三と為す。一には根性の融不融(ゆうふゆう)の相。二には化導の始終不始終の相。三には師弟の遠近不遠近の相」と。
 一に根性の融不融の相とは、籤の一に云はく「列中三意とは前の両意は迹門に約し、後の一意は本門に約す」と。又云はく「初めの根性の中に二と為す、初めには八教を明かして以て昔を弁じ、次には今経を明かして以て妙を顕はす」と。玄の一に云はく「云何(いかん)が分別せん。日の初めて出でて先づ高山を照らすが如し○頓(とん)教の相と名づけ○乳味を出だす相なり。次に幽谷を照らす○此は三蔵の如し○漸(ぜん)教の相と名づけ○酪味の相と名づく。次に平地を照らす○此は浄名方等の如し○猶是漸教なり○生蘇味の相なり○復た義あり○具(つぶさ)に大品の如し○猶是漸教なり○熟蘇味(じゅくそみ)の相と名づく。復た義あり、日光普(あまね)く照らして高下悉く均平なり。土圭(どけい)をもて影を測るに縮ならず盈(えい)ならず。若しは低頭(ていず)・若しは小音・若しは散乱・若しは微善(みぜん)、皆仏道を成ず。人として独り滅度を得ることあらしめずして皆如来の滅度を以て之を滅度す。具に今経の如し。若し法を縁に被(こうむ)らしむるに約せば漸円教と名づく。若し説の次第に約すれば醍醐味の相なり」と。又云はく「若し不定を論ずれば義則ち然らず○此乃ち顕露不定なり」と。又云はく「秘密不定は其の義然らず」と。又云はく「復た甚だ多しと雖も、亦漸頓不定秘密を出でず」と。又云はく「今の法華は是顕露にして秘密に非ず、是漸頓にして漸々に非ず。是合にして不合に非ず。是醍醐にして四味に非ず。是定にして不定に非ず。此くの如く分別するに此の経と衆経の相と異なるなり」と。

 籤(せん)の一に云はく「初めに五味、次に不定、三に秘密、即ち八教なり。五味は即ち漸頓なるが故なり。漸の中に四を開し、不定等の二并(あわ)せて即ち八と為すなり」と。籤の一に云はく「若し法を縁に被らしむるに、約して漸円教と名づくるとは此の文の語は略なり。具足して応に云ふべし、鹿苑の漸の後に漸を会して円に帰す、故に漸円と云ふ」と。人之を見ずして便(すなわ)ち法華を漸円と為し、華厳を頓円と為すと謂えり。華厳の部の中に別あるを乃至般若の中の方便の二教は皆法華の一乗より開出するを知らず。故に「一仏乗に於て分別して三と説く」と云ふ。故に疏(しょ)に云はく「一仏乗に於て帯二帯三を開出す」と。今法華の部は彼の二三なし。故に「二無く亦三無し」と云ふ。又上に結して「華厳は兼等、此の経は復た兼但対帯なし」と云ふ。此見難きに非ず、如何ぞ固く迷へる。
 又今の文の諸義は凡(およ)そ一々の科、皆先づ四教に約して以て麁妙を判ず。則ち前の三を麁(そ)となし、後の一を妙と為す。次に五味に約して以て麁妙を判ず。則ち前の四味を麁と為し、醍醐を妙と為す。全く上下の文意を推求せずして、直ちに一語を指して便ち法華は華厳に劣ると謂へり。幾許(いくばく)ぞ誤るや、幾許ぞ誤るや。又云はく「初の文は秘密に対せんが為なり。須く○此に準ずるに亦倶頓・倶漸・倶不定と云ふべし。文に無きは此亦略せり。既に倶黙・倶説互ひに相知らず。之を名づけて密と為すと云ふ。何ぞ倶頓互ひに相知らざるを妨げん」と。又云はく「不定と秘密と倶に互知と互不知とありて以て両異を弁ず。此の中の顕露も亦義・余の七に通ず。秘は此の七を出でざるを以ての故なり。故に前の文に顕露の漸頓及び顕露の不定と云ふ。故に七并(なら)びに是顕露の意なり」と。又云はく「文に今法華は是顕露等と云ふは秘密に対非す、故に顕露と云ふ。顕露の七が中に於て通じて奪って之を言へば并びに七に非ざるなり。別して与へて之を言へば但前の六に非ず。何となれば七が中に円教ありと雖も兼帯を以ての故に是の故に同じからず。此は部に約して説くなり。彼の七が中の円と法華の円と其の体別ならず。故に但六を簡(えら)ぶなり。此は教に約して説くなり。次に是漸頓(ぜんとん)にして漸々に非ずと云ふは具に前に判ずるが如し。今の法華経は是(これ)漸の後の頓なり。 

 謂はく漸を開し頓を顕はす。故に漸頓と云ふ。法華の前の漸の中の漸に非ず。何となれば前には生熟二蘇(しょうじゅくにそ)を判じて同じく名づけて漸と為し、此の二経の中に亦円頓あり。今の法華の円と彼の二経の円頓と殊(こと)ならず。但し彼の方等の中の三・般若(はんにゃ)の中の二に同じからず。此の二と三とを漸の中の漸と名づく。法華は彼に異なるなり、故に非漸々と云ふのみ。人之を見ずして便(すなわ)ち法華を漸頓と為し華厳を頓々と為すと謂へり。恐らくは未だ可ならず。是合等とは是開権(かいごん)の円なり、故に是合と云ふ。諸部の中の円に同じからず。故に非不合と云ふ。合とは只是会の別名なり。此則ち已に蔵等の四に約して以て権実を簡ぶに当たれり。故に復是円にして三に非ずと云はず。既に是法華の前の顕露(けんろ)に非ざることを知り已竟(おわんぬ)れば、則ち法華は倶に七教に非ざることを了す。此即ち八教に対して簡(えら)ぶなり」と。 

  |-------別を麁(そ)とし円を妙とす
華厳の円---相待妙---麁妙を判ず
    
  |-------前の三を麁と為し後の一を妙と為す
方等の円---相待妙----麁妙を判ず
 
  |-------前の二を麁と為し後の一を妙と為す
般若の円---相対妙--- 麁妙を判ず

 法華の円の二妙
            
    |-----前四味を麁と為し醍醐(だいご)を妙と為す
|-----相待妙---麁妙を判ず
|    |-----前三を麁と為し後一を妙と為す
|     
|-----絶待妙---麁を開し妙を顕はす

相待妙

    |---縦待
    |---約部
|---前四味を麁と為し醍醐(だいご)を妙と為す
|---前の三を麁と為し後一を妙と為す
   |---横待

当分---相待妙
跨節(かせつ)---絶対妙

 籤の二に云はく「当分は一代に通ず、今に於ては便(すなわ)ち相待を成ず。跨節は唯今経に在り、妙意は今に適(かな)ひたるに非ざるなり」と。玄の二に云はく「此の経は唯二妙を論じて更に非待・非絶の文なし」と。此即ち初門の摂なり。故に二妙を須(もち)ひて以て三法を妙ならしむ。諸味の中に於て円融有りと雖も全く二妙無し。
 
     |----心法妙-----相待妙
 華厳経円|----衆生法妙---相待妙
     |----仏法妙-----相待妙
         

    |---衆生法妙---相待妙
 方等 |---仏法妙-----相待妙     
    |---心法妙-----相待妙     
         

    |---仏法妙-----相待妙
 般若 |---衆生法妙---相待妙  
    |---仏法妙-----相待妙     
               
         
           |---相待妙   
     |----心法妙---|---絶待妙

           |---相待妙
 法華  |----衆生法妙-|---絶待妙
     
           |---相待妙
     |----仏法妙---|---絶待妙
                     
              

 
 華厳の円---- 仏慧 籤の二に云はく「若し相対の中には展転(てんでん)して妙を明せども、前の麁猶存せり。今絶対を論ずるに前の諸麁を絶して形待す可きなし」
 
 方等の円--- 仏慧
 般若の円--- 仏慧
      
 法華の円--|----仏慧
       |---開会
 

 玄の二に云はく「此の両妙を用(もち)ひて上の三法を妙ならしむ。衆生の法に亦是の二妙を具足す。之を称して妙と為す。仏法・心法に亦二妙を具す、之を称して妙と為す」文。籤の二に云はく「二妙をもて上の三法を妙にすとは、三の妙・法華に在りて方(まさ)に妙と称することを得ることを明かさんと欲す。故に二妙を須ひて以て三法を妙ならしむ。故に諸味の中に円融ありと雖も全く二妙なきなり」云云。





by johsei1129 | 2019-09-14 22:28 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)


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