日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 04月 08日

当体義抄文段 三  妙経読誦の功用に由り、胸間の白蓮の顕現するなり。今唱題を励まば、豈顕現せざらんや。


一 釈名(しゃくみょう)の下。

  当体蓮華に即ち二義あり。一には、十界三千の妙法の当体を(ただ)ちに蓮華と名づく、故に当体蓮華と云うなり。此の義は入文の相に分明(ふんみょう)なり。二には、一切衆生の胸間(きょうかん)の八葉を蓮華と名づけ、是れを当体蓮華と云う。故に伝教大師の牛頭決(ごずけつ)七十二に云く「当体蓮華とは、一切衆生の胸の間に八(よう)の蓮華あり。之を名づけて当体蓮華と為す」等云云。

然るに此の胸の間の八葉の蓮華は、男子は(あお)ぐなり、女人は()するなり。然るに女人有って、此の妙法を信受すれば、()の胸間の八葉は即ち仰ぎ、全く男子に同じきなり。故に当流の女人は、外面(げめん)は是れ女人なりと雖も、内心は即ち是れ男子なり。涅槃(ねはん)経の第九巻四十に「仏性を見る者は是れ女人なりと雖も、(また)男子と名づく」と説きたもうは是れなり。若し(ごん)経権門の女人は、是れ女人なりと雖も、(また)是れ夜叉(やしゃ)なり。故に華厳経に云く「外面は菩薩(ぼさつ)に似て、内心は夜叉の如し」等云云。

  問う、胸間の蓮華、其の色は如何(いかん)

  答う、是れ(びゃく)蓮華なり。大日経第一・十九に、胸間の蓮華を説く文に云く「内心をば妙白蓮にし、八葉(まさ)しく円満にし」等云云。録外(ろくげ)二十三・三に云く「当体蓮華とは、一切衆生の胸の内に八分の肉団あり。白くして清し。(およ)そ生を受けたる者は皆(ことごと)く此の八葉の蓮華、胸の内に収まれり」(新定二一三四)等云云。

又法華伝第六・十三に云く「比丘尼(びくに)妙法、俗姓は()氏。年(ようや)く長大にして、(こころ)に出家(よろこ)ぶ。年十二の時、其の姉、法華経を教ゆ。日に八紙を(じゅ)し、月余にして一部を誦し(おわ)る。人、其の徳を(よみ)して、名づけて妙法と()う。(がん)を立てて諷誦(ふうじゅ)すること八千(べん)、臨終の時、座に三(くき)の白蓮を生ず。池に生ずる時の如く、七日にして萎落(いらく)せず」等云云。

又釈書十一・十五に云く「釈氏蓮長、天性精勤にして妙経を持し、唇舌(しんぜつ)迅疾(じんしつ)なり。一月に千部を()ゆ。臨終の時、手に不時(ふじ)の蓮華一茎を()る。鮮白(せんびゃく)薫烈(くんれつ)なり。傍人(ぼうじん)、問うて云く『此の(はな)(いずこ)より得たるや』と。答う『是れ則ち妙法蓮華なり』と。言い(おわ)って寂す。手中の蓮華、忽然(こつねん)として見えず」等云云。

並びに妙経読誦の功用(くゆう)()り、胸間(きょうかん)の白蓮の顕現するなり。像法(すで)(しか)なり。今唱題を励まば、(あに)顕現せざらんや。故に知んぬ、胸間の蓮華は正に是れ白蓮(びゃくれん)り。(いわん)(また)末法下種の三宝は、是の胸間の白蓮華の顕現し給えるなり。


                      つづく
当体義抄文段 目次



by johsei1129 | 2016-04-08 22:19 | 日寛上人 御書文段 | Comments(0)


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