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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 04月 06日

当体義抄文段 一  相伝に云く、開目抄と観心本尊抄と当抄とを教・行・証に配するなり


  当体義抄文段
       日寛之を記す

 

一 (まさ)に当抄を釈せんとするに(すべから)く三門に約すべし

所謂(いわゆる)大意・釈名(しゃくみょう)入文(にゅうもん)判釈(はんじゃく)なり。

初めに大意、亦二と為す。初めに総じて大意を論じ、次に別して大意を論ず。妙楽の云く「(およ)そ一義をするに、皆一代を(こん)じて其の始末を(きわ)めよ」。又云く「文の大意を得る(とき)元由(がんゆ)(くら)からず。文に随って()を生ぜば前後雑乱(ぞうらん)せん」等云云。

総じて大意を論ずとは、相伝に云く、開目抄と観心抄と当抄とを次の如く教・(ぎょう)・証に配するなり。

  所謂開目抄には、一代諸経の浅深勝劣を判ずる故なり。(ここ)に五段の教相あり。

一には内外(ないげ)相対。(いわ)く、通じて一代諸経を以て外典(げてん)外道(げどう)に対して之を論ずるなり。彼の文に云く「されば一代・五十余年の説教は外典外道に対すれば大乗なり大人(だいにん)の実語なるべし」云云。  

 二には権実相対。謂く、八()年の法華を以て四十余年の権経に対して之を論ずるなり。彼の文に云く「大覚世尊は四十余年の年限を指して其の内の恒沙(ごうしゃ)の諸経を未顕(みけん)真実(しんじつ)・八年の法華は要当説(ようとうせつ)真実(しんじつ)と定め給しかば」等云云。  

三には権迹相対。謂く、迹門の二乗作仏を以て()(ぜん)(よう)不成仏に対して之を論ずるなり。彼の結文に云く「此の法門は迹門と爾前と相対して」等云云。 

四には本迹相対。謂く、(ただ)本門を以て通じて爾前・迹門に対して之を論ずるなり。彼の文に云く「本門にいたりて(乃至)迹門の十界の因果を打ちやぶって本門の十界の因果をとき(あらわ)す」等の文是れなり。  

五には種脱相対。謂く、寿量品の文上は(だっ)(ちゃく)、文底は下種なり。彼の文に云く「一念三千の法門は(ただ)法華経の本門・寿量品の文の底に秘し沈め給へり」等云云。

(まさ)に知るべし、一念三千の法門は一代諸経の中には但法華経、法華経の中には但本門寿量品、本門寿量品の中には但文底(もんてい)に秘し沈め給へるなり云云。此の一文の中に権実相対・本迹相対・種脱相対は分明(ふんみょう)なり。「日蓮が法門は第三の法門なり」云云。

諸宗の(やから)、但内外相対を知って自余の相対を知らず。一致門流の(やから)は、但権実相対を知って(なお)(いま)だ本迹相対を知らず。(いわん)や種脱相対をや。(もろもろ)の勝劣の人は、本迹相対を知ると雖も(なお)種脱相対に(くら)し。故に蓮祖の法門に達せざるなり。妙楽云く「(およ)そ諸の法相は所対不同なり」等云云。

宗祖云く「所詮所対を見て経経の勝劣を(わきま)うべきなり」等云云。常に之を記憶せよ。


つづく


当体義抄文段 目次



by johsei1129 | 2016-04-06 22:14 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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