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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 03月 22日

日蓮大聖人出世の本懐『弘安二年十月十二日建立の一閻浮提総与の大御本尊』にかかわる事をご指南なされたと推知される書【一大事御書】

【一大事御書】
■出筆時期:弘安二年(1279年)五月十三日 五十八歳御作。
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本書を記された弘安二年五月十三日の約一ヶ月前の四月八日、天台宗滝泉寺院主代の行智の策謀で、法華信徒の四郎が熱原浅間(せんげん)神社での流鏑馬(やぶさめ)の最中に負傷させられるという、後の熱原法難の予兆ともいえる事件が発生しました。そのような状況の時期に本書がしたためられた願意を考えると、ちょうど半年後の十月十二日の一閻浮提総与の大御本尊の建立を想起させられます。
その前提で本書の「日蓮が身のうえの一大事なり」を拝すると、大御本尊建立にかかわる何らかの大聖人のご指示が、弟子または強信徒の一人にあったのではないかと強く推知されます。一閻浮提総与の大御本尊はそれまでの紙幅の御本尊と異なり、末法万年に耐えうるよう、楠の大木を半丸太状態に造作しておられます。その前面に大聖人が十界曼荼羅を認められ日法上人がそれを刻印、さらに大聖人が墨で末法の本仏の魂魄をしたため文字は金箔で覆い全面を漆塗りにて仕上げられたと推察されます。それ故実際に造立にかかった日数は相当の期間が必要であったと思われ、五月十三日という時に大御本尊に関わる何がしかのことをご指示なされたことは極めて自然であると考えられます。

尚、日蓮正宗第六十六世日達猊下は【戒壇の大御本尊】について次のように御指南されておられます。
『また戒壇の御本尊様は楠の板である。楠の板で大部古くなり、ほこりが後ろの方にたまり今度御水洗いする事になり洗ったのである。実際に大御本尊は楠の板で其の時分はカンナがなかった。鎌倉時代には手斧(ちょうな)である。だからあの御本尊は手斧けずりである。それを見ればすぐ分かる。それを知らないで漆を塗ってあるからあれは足利時代に出来たとか、最近は徳川時代に出来たなどととんでもない事を言う。ところが、あれは後ろを見るとみんな削ったあとがちゃんと残っている。それを見ても明らかに鎌倉時代である。しかも手斧で明治時代の人は知っている。丸いものではない。 あの時代には鉞(まさかり)みたいな手斧で削った。其の板です。実際に見ればはっきり分かる。そういう事はこちらも誰も言わないけれども、信者の人なら申しても差し支えないから申し上げます。表の方は本当は漆を塗ってあるから分からないけれども私は御虫払いで、いつも御拭きしますから分かります。今の板御本尊みたいに滑らかではない。ぎざぎざしている。それに漆を塗ったのである。そういう事を見てもはっきり鎌倉時代の板本尊である』日達上人全集より。
■ご真筆:東京 常泉寺に存在していたが現在は所在不明となっております。

【一大事御書 本文】

 あながちに(注)申させ給へ、日蓮が身のうえの一大事なり。あなかしこあなかしこ。

 五月十三日       日 蓮 花押


※注(あながちに):熱心に、ひたむきに、一方的に、の意であるが、ここでは熱心にの意味であろうと拝します。




by johsei1129 | 2016-03-22 23:17 | 重要法門(十大部除く) | Trackback


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