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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 12月 01日

南条時光の所領・上野郷の殿原一同からお正月に供養されたもちいを「金のもちゐ」と称えられた書【上野郷主等御返事】

【上野郷主等御返事】
■出筆時期:弘安五年(1282年)一月十一日 六十一歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本消息は大聖人御遷化なされる年の正月十一日に認められた消息です。
 上野郷は南条時光が支配する所領で、本消息の宛名が「上野郷主等の殿原(武士達の尊称)」となっておられるので、南条時光と配下の武士一同でもちゐ二十枚をご供養されたものと思われます。
 大聖人は、徳勝童子が土のもちゐを仏にまいらせて一閻浮提の主となった謂れを引いて、上野郷主の殿原一同のご供養をいたく喜ばれ「金のもちゐを法華経の御前にさゝげたり。後生の仏は疑ひなし」と称えられておられます。
■ご真筆:身延久遠寺にかって存在したが明示八年の大火で焼失。 高知市要法寺に形木所蔵。

【上野郷主等御返事 本文】

昔の徳勝童子は土のもちゐ(餅)を仏にまいらせて一閻浮提の主となる。
今の檀那等は二十枚の金(こがね)のもちゐを法華経の御前にさゝげたり。
後生の仏は疑ひなし。なんぞ今生にそのしるし(験)なからむ。恐々。

正月十一日            日 蓮 花押

上のの・がうす(郷主)等のとのばら




by johsei1129 | 2019-12-01 12:02 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)


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