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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 02月 07日

法華経題目抄 文段七 「根深ければ枝繁く、源遠ければ流れ長し」

  十 五 日

一 双林(そうりん)最後

「双林」は(すなわ)ち是れ沙羅(しゃら)双樹(そうじゅ)なり。仏、拘尸那(くしな)(じょう)跋提(ばつだい)()(ほとり)(いま)して御涅槃(ねはん)に入りたもう時、一日一夜の御説法なる故に「双林最後の涅槃経」と云うなり。四方に各(ふた)つ、故に双樹と名づくるなり。四方の八株(ことごと)く高きこと五丈、下の根は相(つら)なり、上の枝は相合い、其の葉は豊蔚(ほうじょう)に、花は車輪の如く(このみ)は大にして(かめ)の如く、其の味(みつ)の如し。此の八株通じて一林と名づく。故に「双林」と云うなり。

  仏涅槃に入り(おわ)れば、東西の二双、合して一樹となり、南北の二双(また)合して一となる。二合(みな)悉く如来を(すい)(ふく)す。其の樹(みな)変じて白し。故に亦(かく)(りん)と名づくるなり。多く所表の法門あり。(つぶさ)には会疏(えしょ)の一初三十八、弘の七本三十五の如し。

一 涅槃経に云く

  是れ会疏の三十二・二十九紙の文なり。今所引の意に云く、既に法華の文に「以信得入」と云う。何が(ゆえ)(ただ)信心を以て入ることを得るや。故に此の文を引いて、其の所以(ゆえん)を顕すなり。

「此の菩提(ぼだい)の因は(また)無量なりと雖も」とは、()れ円教の菩提の因は十乗観法、読誦(どくじゅ)教典、更加説法、六度万行、事行五悔(ごげ)及び神通示現(じげん)乃至百仏世界等に分身(ふんじん)散影(さんよう)し、一切衆生を利益す。()くの如き自行化他の菩提の因は無量なりと雖も、皆信心の中に()(あまね)(しょう)(じん)す。故に「若し信心を説けば、則ち(すで)に摂尽す」と云うなり。若し位に約して判ずれば、観行已後の(もろもろ)の位の功徳は是れ無量なりと雖も、皆名字(みょうじ)(そく)の信心の中に()するなり。宗祖云く「信は()の因・名字即の位なり」云云。

一 ()れ仏道に入る根本は等

  文の意に云く、何を以て涅槃経に無量の菩提の因を信心の中に(せっ)すると云うや。故に今、其の所以(ゆえん)を顕して「仏道に入る根本」等と云うなり。(いわ)く、信心は根本なり。無量の行は枝葉(しよう)なり。()し根本無くんば何ぞ百千枝葉を生ぜん。故に知んぬ、百千の枝葉は同じく一根に(おもむ)く。

霊山に大樹あり。大薬王樹と名づく。其の樹の高さ十六万八千()(じゅん)なり。(がっ)()に樹有り。尼拘(にく)盧樹(るじゅ)と名づく。其の樹の(かげ)、五百乗の車を(おお)う。昔、筑紫(つくし)に大いなる(くぬぎ)有り、(たけ)九百七十丈。又近江(おうみの)(くに)栗田郡(くりたぐん)に大いなる(たら)の木あり。其の(まわり)五百(ひろ)(あした)丹波(たんばの)(くに)を覆い(ゆうべ)()(せの)(くに)を覆う。此等の大樹の枝葉の繁茂(はんも)、心を以て知るべし(ことば)()ぶべからず。()の無量の枝葉、皆一根より生ずるが故に、皆同じく根本に趣くが如し。無量の菩提(ぼだい)の因も皆信心より生ずるが故に皆根本の信心に摂するなり。今()の意を顕す故に「仏道に入る根本は信を以て本とす」云云。(すなわ)ち別教の五十二位を引いて、信を以て本とする義を証するなり。(いわ)く、別教の信心の位は始めて次第三諦(さんたい)を聞いて、随順(ずいじゅん)して疑わざる位なるが故なり。

  又本業(ほんごう)瓔珞(ようらく)経に云く「初めて三宝海に入る、信を以て本と為す」等云云。止観第五・三十五に云く「仏法は海の如し。(ただ)信のみ()く入る。信は即ち道の(みなもと)功徳の母、一切の善法は之に()りて生ずるなり」文。(およ)そ仏法の妙理は(たて)に深く横に広きこと、(なお)大海の深広なるが如し。故に「仏法は海の如し」と云うなり。(たと)身子(しんし)の智慧と雖も、能く測量する所に非ざるが故に「(ただ)信のみ能く入る」と云うなり。大論の一・二十に云く「仏法は深遠なり。仏のみ(いま)し能く知ろしめす」と。又云く「自ら智慧を以て求めば得ること(あた)はず。何を以ての故に。仏法(じん)(じん)なるが故に」等云云。

「信は即ち道の源、功徳の母」とは、()し信心の源無くんば、何ぞ諸善の流れ有らん。若し信心の母無くんば、何ぞ諸善の子有らんや。故に信心は母の(ごと)く、源の如し。一切の善法は子の如く、流れの如し。故に「一切の善法は(これ)に由りて生ず」と云うなり。(あに)信を以て本と為すに非ずや。智者大師云く「根深ければ枝(しげ)く、源遠ければ流れ長し」等云云。(これ)を思い合わすべし云云。


 つづく


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by johsei1129 | 2016-02-07 14:46 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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