■出筆時期:弘安五年(1282)一月十四日 六十一歳御作。
■出筆場所:身延山中の館にて。
■出筆の経緯:本抄は大聖人が御遷化なされる九ヶ月前に、内記左近入道に宛てられた消息です。内記左近入道への消息は本抄だけが伝えられており人物の詳細は不明ですが、追伸に「御器の事は越後公御房申し候べし。御心ざしのふかき由、内房へ申させ給ひ候へ」と記されておられる事から駿河国富士郡出身の越後公(日弁)及び駿河・内房の強信徒、
内房女房と親しい信徒ではないかと思われます。
大聖人は内記左近入道が去年、身延山中に見参されたことを三千年に一度花が咲くという優曇華(うどんげ)に例えられるとともに、新春の祝を届けられた志を「まことなりけるやと・おどろき覚へ候へ」と喜ばれておられます。内記左近入道が届けられた品々の詳細は不明でが「御器の事は越後公御房申し候べし」と記されていることから仏事に使用する何らかの器も含まれていたと思われ、器に関しての謂れは越後公御房が話してくれるでしょうと結んでおられます。体調が万全であれば恐らくご自身でその謂れを認められたと思われれますが、この頃の大聖人の体調がきわめて思わしくなかったのではと拝されます。
■ご真筆:堺市 妙国寺(第一紙)所蔵、及び東京都本行寺(第二、第三紙)所蔵。
【内記左近入道殿御返事 本文】
春の始めの御悦び、自他申し籠(こ)め候ひ了んぬ。
抑(そもそも)去年の来臨は曇華(どんげ)の如し。
将又(はたまた)夢か幻(まぼろし)か、疑ひ・いまだ晴れず候処に、今年の始め、深山(みやま)の栖(すみか)・雪中の室え、多国を経ての御使ひ、山路をふみわけられて候にこそ、去年(こぞ)の事はまことなりけるや・まことなりけるやと・おどろき覚へ候へ。
他行の子細、越後公御房の御ふみに申し候か。恐々謹言。
正月十四日 日蓮 花押
内記左近入道殿御返事
追伸。御器の事は越後公御房申し候べし。御心ざしのふかき由、内房(うつぶさ)へ申させ給ひ候へ。