【窪尼御前御返事】
■出筆時期:弘安三年(1280)六月二十七日 五十九歳御。
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本消息は日興上人の叔母と伝えられている駿河の窪尼に送られた消息です。
大聖人は、釈尊十大弟子の一人で天眼第一と称えられた
阿那律が、過去世に辟支仏(縁覚)に稗飯を供養した功徳で普明如来の記別を受けた謂れを引いて、この度窪尼が粟の早稲米を法華経に供養されたのは、阿那律と同様に仏になることは間違いないと窪尼の志を称えられておられます。
尚、仏伝では阿那律は釈尊が説法中に居眠りをし叱責されると、それ以降眠りを絶って失明するが天眼を得たと伝えられております。
また阿那律が衣の繕いで針に糸を通すのに苦労し「私を助けて功徳を積み幸福になりたい人はいないだろうか」と考えていた時、「私が功徳を積ませて頂きましょう」という釈尊の声が聞こえます。
阿那律が恐縮していると釈尊は「私だって功徳を積んで幸福になりたいのだよ」と言ったという。仏教の開祖釈尊の人柄を偲ばせるエピソードです。
■ご真筆:現存しておりません。古写本:日興上人筆(富士大石寺蔵)
【窪尼御前御返事 本文】
仏の御弟子の中にあなりち(阿那律)と申せし人は、こくぼん(斛飯)王の御子、いえ(家)にたから(宝)を・みてて・おはしき。
のちに仏の御でし(弟子)となりては天眼第一のあなりちとて三千大千世界を御覧ありし人、法華経の座にては普明如来(ふみょうにょらい)とならせ給う。
そのさきの・よ(前世)の事をたづぬれば、ひえ(稗)のはん(飯)を辟支仏と申す仏の弟子にくやう(供養)せしゆへなり。
いまの比丘尼はあわ(粟)のわさごめ(早稲米)山中にをくりて法華経にくやう(供養)しまいらせ給う。
いかでか仏にならせ給はざるべき、恐恐謹言。
六月二十七日 日 蓮 花 押
くぼの尼御前御返事