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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 01月 21日

報恩抄文段 下二三  三大秘法の明文を説き明かす


  第二に功帰とは
(また)二意を含む。所謂(いわゆる)本果(ほんが)本因(ほんいん)なり

  玄の一に云く「()の妙法蓮華経は本地甚(ほんちじん)(じん)奥蔵(おうぞう)なり。三世(さんぜ)諸仏(しょぶつ)証得(しょうとく)する所なり」文。(せん)一本に云く「(しゃく)中に()くと雖も、功を(たず)ぬるに()ること()り、故に本地と云う」等云云。文の意に云云。

  初めに本果とは、即ち是れ本果所証の妙法を()して本地甚深等と云うなり。此れは是れ外適(げちゃく)の辺、寿量品(じゅりょうぼん)の文の上の意なり。

  次に本因(ほんいん)とは、即ち是れ本因名字(みょうじ)所証(しょしょう)を指して本地甚(ほんちじん)(じん)と云うなり。此れは是れ内鑑(ないがん)の辺、寿量品の文底(もんてい)の意なり。(まさ)に知るべし、本因名字の所証とは、即ち是れ三大秘法総在(そうざい)の妙法蓮華経なり。

文に「本地」とは即ち是れ本門の戒壇(かいだん)なり。(いわ)く、本尊(じょ)(じゅう)の地なり、故に本地という。本尊所住の地、(あに)戒壇に非ずや。

文に「甚深」とは即ち是れ本門の本尊なり。天台(てんだい)玄の一・二十一に云く「実相を甚深と名づく」云云。妙楽(みょうらく)云く「実相は必ず諸法、諸法は必ず十如、十如は必ず十界(じっかい)、十界は必ず身土(しんど)」云云。実相・甚深、(あに)一念三千の本尊に非ずや。

文に「奥蔵(おうぞう)」とは、奥蔵は能歎(のうたん)なり。例せば()()第四に「最も深隠(じんいん)と為す、故に(これ)を奥と謂い、蔵とは天台云く、包蘊(ほううん)を蔵と為す」と云うが如し云云。故に知んぬ、奥蔵とは本門の題目なり。所謂(いわゆる)題目の中に万行を包蘊するが故なり。

(いま)三大秘法総在の妙法に約する故に、「()の妙法蓮華経は本地甚深の奥蔵」と云うなり。当に知るべし、今日の一部八巻二十八品は、()し其の功を論ずれば、近くは本果の所証に()し、遠くは本因(ほんいん)の所証に帰す。故に本因名字の所証を(もっ)て本中の本、妙中の妙とするなり。

若し此の義に依って(まさ)しく文相(もんそう)(しょう)せば、「如是我聞(にょぜがもん)の上の妙法蓮華経の五字」は即ち本果所証の妙法なり。此の本果所証の妙法に通じて一部八巻を(おさ)む。故に「肝心(かんじん)と云うなり。記の九末五十四に云く「本迹(ほんじゃく)の妙理、是れ仏の本証なり」等云云。(いわ)く、今日(こんにち)迹中(しゃくちゅう)の本迹の妙理は即ち是れ仏の本果の所証の妙法なり云云。記の十・三に云く「(ただ)指すこと久本(くほん)に在り、功は実証に()す」と云云。今日迹中の二門の妙理は、功、本果の実証に帰す等云云。()は是れ本果肝心の義なり。

  又「如是我聞の上の妙法蓮華経の五字」は(すなわ)ち本因所証の妙法なり。此の本因所証の妙法に通じて一部八巻を収む。故に「肝心」というなり。(せん)八・十四に云く「本迹二門(みな)実相に帰す」等云云。今日迹中の本迹二門は、皆本因(ほんいん)所証の実相、(じん)(じん)の本尊、一念三千の妙法に帰するなり云云。此れは是れ本因肝心(かんじん)の義なり。

  (まさ)に知るべし、(これ)()の法門は当流(とうりゅう)(じん)()なり。()本迹(ほんじゃく)一致(いっち)(ただ)(ごん)(じつ)相対(そうたい)名通(みょうつう)の一辺を知って、(なお)義別の辺を知らず、(いわん)功帰(こうき)の辺を知らんや。(けだ)(もろもろ)勝劣(しょうれつ)(たぐい)(ただ)義別(およ)本果(ほんが)肝心を知って、(いま)本因肝心の義を知らず。(いわ)く、彼は(ただ)本迹相対を知って未だ(しゅ)(だつ)相対を知らざる故なり。但当流のみ()く文底の深義を知り、本因所証(しょしょう)の妙法を(りょう)するなり。当に知るべし、玄文の意は「如是我聞(にょぜがもん)の上の妙法蓮華経の五字」は即ち戒壇(かいだん)の本尊の南無妙法蓮華経なりと云云。()く能く思うべし。


つづく


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by johsei1129 | 2016-01-21 11:37 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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