【正当此時御書】
■出筆時期:文永十年(1273)四月 五十二歳御作
■出筆場所:佐渡 一の谷入道の屋敷にて。
■出筆の経緯:大聖人は文永十年四月二十五日、法本尊(御本尊)開顕の書
【如来滅後五五百歳始観心本尊抄】を書き上げ、翌二十六日には佐渡に来ていた富木常忍の使いのものに送状を添えて持たせております。その
『送状』には「観心の法門少少之を注して大田殿・教信御房等に奉る、此の事日蓮身に当るの大事なり之を秘す、無二の志を見ば之を開拓せらる可きか、此の書は難多く答少し未聞の事なれば人耳目を驚動す可きか、設い他見に及ぶとも三人四人坐を並べて之を読むこと勿れ」と記されておられます。
恐らく本書は、鎌倉の留守を預かる弟子等に【観心本尊抄】の写本を送られた時の添え状ではないかと思われます。
文中では「志有らん者度々之を聞き、其れを終へて後・之を送れ。咸(ことごと)く三度を以て限りとして聴聞すべし」と、富木常忍への送状と同じ趣旨の文言を記されておられることからも、観心本尊抄の重要性を弟子等に知らしめておられると拝されます。
■ご真筆:京都市 妙覚寺(断簡)所蔵。
【正当此時御書 本文】
正しく此の時に当たる。
而も随分の弟子等に之を語るべしと雖も、国難・王難・数度の難等重々来たるの間、外聞の憚(はばか)り之を存じ、今に正義を宣べずば、我が弟子等定めて遺恨有らんか。
又抑(そもそも)時の失(とが)之有るが故に今粗(ほぼ)之を註す。志有らん者・度々之を聞き、其れを終へて後・之を送れ。
咸(ことごと)く三度を以て限りとして聴聞(ちょうもん)すべし。其の後
(注:これ以降の文は伝えられておりません)