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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 01月 03日

報恩抄文段 下二 善神必ず謗国を捨離する三つの所以(ゆえん)


一 かかる謗法の国なれば天もすてぬ等

  次に此の文の(しも)は正しく明かす、亦二と()す。

初めに呵責(かしゃく)謗法、次に「()の事日本国の中」の下は知恩報恩なり。

初めの呵責謗法、亦二と為す。初めに国主(かん)(ぎょう)、次四丁に「(ほう)滅尽(めつじん)(きょう)」の下は真言責破(しゃくは)なり。

初めの国主諌暁を亦二と為す。初めに諸天善神の謗国を(しゃ)()するを示し、次に「(ただ)日蓮」の下は正しく諫暁を明かす。

初めの文に「守護の(ぜん)(しん)」と云うは、(およ)そ神に三種あり。所謂(いわゆる)法性(ほっしょう)(じん)()(かく)(じん)(じゃ)(おう)(じん)なり。

法性神と云うは是れ万法(ばんぽう)精霊(しょうりょう)、天然不測(ふそく)の理なり。故に善悪(ぜんなく)として(わか)つべき無く、来去(らいこ)として論ずべきなし。(けだ)し邪横神とは、即ち是れ実迷の(あく)(りょう)神なり。故に今の所論(しょろん)(あら)ず。第二の()(かく)(じん)とは、(すなわ)ち是れ垂迹(すいじゃく)和光(わこう)神明(しんみょう)なり。所謂(いわゆる)仏菩薩の内証三身の光を(やわら)げ、同居四(どうこし)(じゅう)(ちり)(まじわ)り、物と結縁(けちえん)したもうを即ち(ぜん)(じん)と名づくるなり。今は第二の有覚神に約す。故に「守護の善神」と云うなり。

  問う、善神何ぞ必ず謗国を捨離(しゃり)するや。

  答う、多くの所以(ゆえん)あり。

  一には仏前の誓約(せいやく)()る故なり。(しばら)く一文を引かん。(こん)光明(こうみょう)(きょう)に云く「()の国土に於て()の経有りと(いえど)も、(いま)(かつ)流布(るふ)せず、捨離の心を生じ乃至(つい)に無量の諸天をして此の(じん)(じん)の妙法を聞くを得ざらしめ、威光(いこう)及以(およ)勢力(せいりき)有ること無からしむ。()(そん)、我等()くの如き()を見て其の国土を()てて、擁護(おうご)の心無けん。(また)無量の諸大善神有らんも、皆(ことごと)捨去(しゃこ)せん」等云云。(つぶさ)安国論の如し。()の四の新池抄に云く「霊山(りょうぜん)起請(きしょう)おそ()ろしさに(やしろ)を焼き払いて天に(のぼ)らせ(たま)いぬ」等云云。

  二には法味(ほうみ)()めざるに()る故なり。謗法の法味は(かわや)糞土(ふんど)の如し。妙法の法味は天の甘露(かんろ)の如し。

  唱法華題目抄三十三に云く「守護の善神は法味ほうみめざる故に威光を失ひ利生りしょうの国をて他方に去り給い」等云云。そのほか諸文にこれ多し。

  三には住処(じゅうしょ)なきに依る故なり。謗法の(いただき)(どう)(ねん)猛火(もうか)の如く、正法の頂は七宝(しっぽう)の宮殿の如し。

  四条金吾抄十六・六十に云く「八幡大菩薩は乃至正直の(いただき)に・やど(宿)らんと(ちか)い給ふ乃至正直の人の頂の候はねば居処(いどころ)なき故に(すみか)()くして天にのぼ()り給いけるなり」云云。八幡(すで)(しか)なり、()(じん)も亦爾なり。

  新池抄に云く「天照大神・八幡大菩薩・天に(のぼ)らせ給はば()の余の諸神(いかで)(やしろ)(とどま)るべき」等云云。

  問う、開目抄上十に云く「天照大神・正八幡(しょうはちまん)山王(さんのう)等・(もろもろ)の守護の諸大善神も法味を・()めざるか国中を去り給うかの故に悪鬼・便(たより)を得て国すでに破れなんとす」と云云。

  太田抄二十五・十五に云く「(えん)()守護の天神・地祇(ちぎ)(あるい)は他方に去り或は()の土に住すれども悪国を守護せず或は法味を()めざれば守護の力無し」等云云。(すで)に「或は去り或は住す」と云う、何ぞ諸神は天上と云うや。

  答う、或は住する辺有りと(いえど)も、既に悪国を(まも)らず。(たと)い護らんと(ほっ)すと雖も、法味を嘗めざれば威力あること無し。故に住すと雖も住せざるが如し、去らずと雖も去るが如し。故に通じて諸神天上と云うなり。金山の第一の中二十二の()は不可なり。



報恩抄文段下 目次



by johsei1129 | 2016-01-03 16:06 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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