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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 27日

「世間の学者仏法を学問して智恵を明らめて我も我もと・おもひぬ<略>ゆめのごとくに申しつれども唯一大事を知らず」と断じた【さだしげ殿御返事】


【さだしげ殿御返事】
■出筆時期:建治二年(1276年)十二月二十日 五十五歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本消息を送られた「さだしげ殿」の詳細は不明ですが、冒頭で『さきざきに申しつるがごとし』と記されておられることから、大聖人の説法を直接聞いたか若しくは法門について認められた消息を賜ったことのある在家の信徒と思われます。
また文中の「世間の学者」とは、念仏の法然、律宗の極楽寺・良観、禅宗の道隆、真言の弘法大師ら小乗・権大乗諸派の僧を指し示していることは明白です。

さらに「唯一大事を知らず」と法華経方便品第二の「唯以一大事因縁故」を示しており、大聖人は御義口伝【方便品八箇の大事】でこの「唯以一大事因縁故」を次のように説かれておられれます。

第三 唯以一大事因縁の事

<前略>
 一とは妙なり、大とは法なり、事とは蓮なり、因とは華なり、縁とは経なり云云。
 又云く我等が頭は妙なり、喉(のど)は法なり、胸は蓮なり、胎(はら)は華なり、足は経なり。此の五尺の身・妙法蓮華経の五字なり。此の大事を釈迦如来・四十余年の間・隠密したもうなり。今経の時・説き出だしたもう。此の大事を説かんが為に仏は出世したもう。
 我等が一身の妙法五字なりと開仏知見する時・即身成仏するなり。開とは信心の異名なり。信心を以て妙法を唱え奉らば・軈(やが)て開仏知見するなり。
 然る間・信心を開く時、南無妙法蓮華経と示すを示仏知見と云うなり。
 示す時に霊山浄土の住処と悟り、即身成仏と悟るを悟仏知見と云うなり。
 悟る当体・直至道場なるを入仏知見と云うなり。
 然る間信心の開仏知見を以て正意とせり。入仏知見の入の字は迹門の意は実相の理内に帰入するを入と云うなり。本門の意は理即本覚と入るなり。今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉る程の者は宝塔に入るなり云云。
 又云く、開仏知見の仏とは九界所具の仏界なり。知見とは妙法の二字、止観の二字、寂照の二徳、生死の二法なり、色心因果なり。
 所詮知見とは妙法なり。九界所具の仏心を法華経の知見にて開く事なり。
 爰を以て之を思うに、仏とは九界の衆生の事なり。此の開覚顕れて今身より仏身に至るまで持つや否やと示す処が妙法を示す示仏知見と云うなり。
 師弟感応して受け取る時、如我等無異と悟るを悟仏知見と云うなり。
 悟つて見れば法界三千の己己の当体法華経なり。此の内証に入るを入仏知見と云うなり。秘す可し云云。 
<後略>

■ご真筆:京都市 頂妙寺所蔵。

【さだしげ殿御返事 本文】

 さきざきに申しつるがごとし、世間の学者・仏法を学問して智恵を明らめて、我も我もと・おもひぬ。一生のうちに・むなしくなりて・ゆめのごとくに申しつれども唯一大事を知らず。よくよく心得させ給うべし。あなかしこ・あなかしこ。

十二月二十日 日 蓮 花押

さだしげ殿御返事


【妙法蓮華経 方便品第二】
諸仏世尊。唯以一大事因縁故。出現於世。
舎利弗。云何名諸仏世尊。唯以一大事因縁故。出現於世。
諸仏世尊。欲令衆生。開仏知見。
使得清浄故。出現於世。欲示衆生。仏知見故。
出現於世。欲令衆生。悟仏知見故。出現於世。
欲令衆生。入仏知見道故。出現於世。舎利弗。
是為諸仏。唯以一大事因縁故。出現於世

[和訳]
諸仏・世尊は、唯、一大事の因縁を以ての故に世に出現せり。
舎利弗よ、何をもって、諸仏・世尊は唯、一大事の因縁を以ての故に世に出現せりと名づくるや。
諸仏及び世尊は、衆生をして、仏知見(仏性)を開かしめ、
清浄なることを得さしめんと欲するが故に、世に出現せり。
衆生をして仏知見に入らしめんと欲するが故に、世に出現せり。
衆生をして、仏知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現せり。




by johsei1129 | 2019-10-27 10:57 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)


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