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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 27日

身延山中の草庵の周辺の状況を詳しく記された貴重な一書【九郎太郎殿御返事】

【九郎太郎殿御返事】
■出筆時期:建治二年(1276年)九月十五日 五十五歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本消息を送られた九郎太郎殿は、駿河国富士方面の信徒で南条時光殿の父(故)南条兵衛七郎の近親、あるいは兄弟ではないかと思われます。

本抄は九郎太郎殿からいゑの芋一駄をご供養されたことへの返書となっており、大聖人は本消息で「いものやうに候石は一も候はず、いものめづらしき事くらき夜のともしびにもすぎ」と九郎太郎のご供養の志を喜ばれるとともに、身延の沢の状況を詳しく記されておられ、当時の大聖人の暮らしぶりを垣間見ることができる貴重な消息となっております。尚、本消息を記された二年後の弘安元年十一月一日に九郎太郎に送られた「九郎太郎殿御返事」では、故南条兵衛七郎の事が記されておられます。
■ご真筆:現存しておりません。

【九郎太郎殿御返事 本文】

 いゑ(家)の芋一駄・送り給び候。こんろん(崑崙)山と申す山には玉のみ有りて石なし。石とも(乏)しければ玉をもつて石をかう。はうれいひん(彭蠡浜)と申す浦には木草なし。いを(魚)もつて薪をかう。鼻に病ある者はせんだん(栴檀)香・用にあらず、眼なき者は明らかなる鏡なにかせん。

 此の身延の沢と申す処は甲斐国・波木井の郷の内の深山なり。西には七面のがれ(崩)と申すたけ(岳)あり。東は天子のたけ・南は鷹取のたけ・北は身延のたけ・四山の中に深き谷あり。はこ(箱)のそこ(底)のごとし。峯(みね)には・はこう(巴峡)の猿の音(こえ)かまびすし、谷にはたいかい(磈)の石多し。

 然れどもするが(駿河)のいものやうに候石は一つも候はず。いものめづらしき事・くらき夜のともしびにもすぎ、かは(渇)ける時の水にもすぎて候ひき。いかに・めづらしからずとは・あそばされて候ぞ。されば其(それ)には多く候か、あらこひし・あらこひし。法華経・釈迦仏にゆづりまいらせ候いぬ。定めて仏は御志をおさめ給うなれば御悦び候らん。霊山浄土へまひらせ給いたらん時・御尋ねあるべし。恐恐謹言。

建治二年丙子九月十五日   日蓮花押

九郎太郎殿御返事




by johsei1129 | 2019-10-27 09:46 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)


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