人気ブログランキング | 話題のタグを見る

日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ
2015年 12月 15日

報恩抄文段 上十一 呵責謗法に四つの所以


 「
真言(しんごん)善無畏(ぜんむい)」とは、(がっ)()烏萇奈(うじょううな)国仏(こくぶっ)(しゅ)(おう)の太子にて、七歳にして位に()き、十三にして国を兄に(ゆず)り、出家遁世(とんせ)して()天竺(てんじく)を修行し、(だる)磨掬(まきく)()()い奉り、真言の(もろもろ)(いん)(けい)を一時に頓受(とんじゅ)し、即日(そくじつ)(かん)(じょう)あって、人天(にんでん)の師と定まり給えり。(けい)足山(そくせん)に入り、迦葉(かしょう)の髪を()り、王城に(おい)て雨を祈りたもうには、観音(かんのん)日輪(にちりん)の中より()で、水瓶(すいびょう)を以て水を(そそ)ぐ。北天竺(きたてんじく)(こん)(ぞく)(おう)塔の下にして仏法を祈請(きしょう)したもうには、文殊師(もんじゅし)()、大日経の胎蔵(たいぞう)(まん)()()を現じて之に授く。

其の(のち)開元(かいげん)四年(ひのえ)(たつ)漢土に渡り、玄宗(げんそう)皇帝(こうてい)(これ)(とうと)ぶこと日月の如し。亦大旱魃(だいかんばつ)あり。皇帝(ちょく)(くだ)す。三蔵、一鉢(いっぱつ)に水を入れ(しばら)加持(かじ)したまうに、水中に(ゆび)(ばか)りの物あり、変じて竜と()り、其の色は赤色なり。(はく)()()(のぼ)り、(はち)より竜()でて虚空(こくう)(のぼ)り、(たちま)ちに雨を()す。()くの如き霊験(れいげん)の大聖なり。

弘法(こうぼう)()(かく)智証(ちしょう)」等は、入唐(にっとう)求法(ぐほう)大徳(だいとく)、天子御帰依(ごきえ)の高僧なり。

(これ)()の人々は、並びに是れ八万宝蔵を胸に浮べ、十二部経を(たなごころ)(にぎ)る。故に仏法の(つゆ)(いっ)(てき)(あやま)り有るべからず。何ぞ是れ仏敵ならん是一。

(いわん)(これ)()の人々は、漢土(かんど)日域(にちいき)には先聖(せんしょう)・王公・大人(たいじん)明師(みょうし)にして、智は日月の如く徳は四海に(わた)れり。(しか)るに恐れをも(いだ)かずして仏敵と云うか是二。

況や此等の人々は(おのおの)一宗を立て、(あまね)群類(ぐんるい)(すく)う。故に天下の万民、諸天の帝釈(たいしゃく)(うやま)い、衆星の日月に(したが)うが如く、渇仰(かつごう)すること年()り、(しん)(ぎょう)日に(あらた)なり。()末師(まっし)(あやま)りは、(たと)い之を破すと雖も、其の元祖に於ては、最も恐慮(くりょ)すべき事ぞかし。然るに恐れをも(いだ)かずして仏敵と云うか是三。

(いわん)や此等の人々は、()(とく)霊験(れいげん)の高徳、内証(ないしょう)不測(ふそく)の大聖なり。(たと)心中に其の謬りを知ると雖も、口外(こうがい)(これ)(いだ)さんことは恐るべきの(はなは)だしきなり。(しか)るに恐れをも(いだ)かずして是れを仏敵と()たもうは、(まさ)に其の(いわれ)あるべし。委細(いさい)に之を聞かん是四。

一 答えて云く(これ)大なる難なり

  此の下は答、文(また)二と()す。初めに問を(たん)じ、次に「()(がん)」の下は正しく答う、亦二と為す。初めに略して呵責(かしゃく)謗法(ほうぼう)所以(ゆえん)を示し、次に「むべなるかなや」の下は、広く値難(ちなん)(もっ)て法華の行者を(あらわ)す。初めの文に四段あり、(すなわ)ち四問に答う。文に配して見るべし。

  文に云う「法華経に(すぐ)れたる経ありといはん人」等とは、意に(いわ)く「()(こん)(とう)」の文を破し「(もっと)()(かみ)に在り」の文に(そむ)いて法華経に勝れたる経ありと云わん人は、八万・十二を胸に浮ぶる人と(いえど)も、謗法は(まぬか)れずと見えたり。(しか)も経文の如く申さば(いか)でか仏敵たらざるべき是一。

  ()し王公・大人(たいじん)師範(しはん)なるが故に(おそ)れをなして仏敵なりと()さずんば、(まさ)一切(いっさい)(きょう)勝劣(しょうれつ)(むな)しかるべし是二。

  又宗々の元祖(がんそ)にして万民敬信(きょうしん)する故に、此の人々を恐れて末師を仏敵と云わんとすれば、末師には(とが)なし、元祖に(ゆず)る故なり是三。

  又日蓮、此の人々の謗法(ほうぼう)を知りながら、恐れを(いだ)いて之を申さずんば、仏陀(ぶつだ)(かん)(ぎょう)を用いぬ者となりぬ。いかんがせん。委細(いさい)に之を言わんとすれば「恐怖(くふ)(あく)世中(せちゅう)」の世間(おそろ)し。黙止(もだ)せんとすれば、仏の諌暁(のが)れ難し。進退(ここ)(きわま)れり。

二辺の中には、言わざるべからずとの意なり。「進退(ここ)(きわま)り」とは、詩経十八の言を借用せり。


                   つづく


報恩抄文段上 目次



by johsei1129 | 2015-12-15 21:06 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


<< GOSHO 立正安国論50 勘...      GOSHO 立正安国論49 勘... >>