十五日
一 伝教大師云く等文。
秀句の下十紙の文なり。
一 強盛に信じて而も一分の解なからん人人等文。
経に「有能受持」と云う、故に無解有信に約するなり。是れ即ち「信力の故に受け、念力の故に持つ」の故なり。
一 彼の人人は或は彼の経経等文。
第一の句は色心倶に移るの人なり。嘉祥等の如きなり。第二の句は心を移して身を移さず。慈恩等の如し。第三の句は色心倶に移らず。善導・法然等の如し云云。
一 されば今法華経の行者は心うべし文。
意に云く「有能受持」等の文は第八の譬の下に在りと雖も、十喩の一一の下に之有りと心得べしとなり。
一 又衆星の中に(乃至)如く文。
問う、何ぞ別して大海、月天の二喩を挙ぐるや。
答う、大海の譬の如き、且く二意を明かさば、一には竪に深く横に広し。是れ蓮祖の慈悲の広大を顕す。二には大海は平等なれども死屍を留めず。是れ慈悲は平等なれども謗者を度せざるを顕すなり。三十三・九云云。
次に月の喩の如きは、是れ蓮祖の三徳を顕すなり。謂く、月は虚空に住し能く諸の闇を除き、能く万物を育つ。虚空に住するは是れ主君の徳なり。闇を除くは是れ師の徳なり。万物を養うは是れ親の徳なり。然りと雖も、別して之を論ぜば但是れ師の徳なり。故に経に「照明」と云うなり。
一 日蓮は満月のごとし文。
「満月」は是れ妙覚究竟の譬なり。会疏の十八・五、文の三・九十三。亦信心の厚薄に約す。三十三・十二に云く「法華経を深く信ぜざるは半月の如し。深く信ずる者は満月の如し」等云云。
「伝教大師の云く」とは、秀句下十三の文なり。
つづく
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