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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 12月 01日

撰時抄愚記 下二一

   三月七日


一 此の三つの大事は日蓮が申したるにはあらず

  此の下は二に結成(けつじょう)。此れに(また)二あり。初めに兼知符合(ふごう)所以(ゆえん)、次に「経に云く所謂(いわゆる)」の下は釈尊の兼知符合。

一 (ただ)(ひとえ)に釈迦如来(にょらい)の御(たましい)我が身に入りかわらせ給いけるにや

  日朝が云く「唯仏(ゆいぶつ)与仏(よぶつ)の極智を凡心に(これ)を成ず。是れを以て(もろもろ)の菩薩衆の信力堅固(けんご)なる者を除く」と云云。又云く「仏果の極智、三世了達の照見も、一念三千の果徳に達するが故になり。(いま)元祖の未来記、(しか)ながら三世一念三千の了達、善悪(ぜんなく)互具の意趣(いしゅ)なり。(あに)一念三千に非ずや」取意。

  日講が云く「玄二に云く『如来の(どう)(たつ)、十法の底を(きわ)め、十法の(ほとり)を尽くす』と云云。是れ即ち如来所証の一念三千の境界なり。吾が祖、目前の(しょう)(かん)()(ごう)す。(また)一念三千の妙用を振舞いたもうなり」云云。

  今謂く、今日(こんにち)の「釈迦如来の御(たましい)」とは、即ち是れ()(おん)元初(がんじょ)自受(じじゅ)(ゆう)(しん)なり。久遠(くおん)元初(がんじょ)の自受用身とは即ち是れ今の日蓮聖人なり。故に「釈迦如来の御(たましい)身に入り替る」と云うなり。()自受用身とは即ち是れ一念三千の仏なり。故に「一念三千と申す大事の法門は是なり」と云う。伝教大師云く「一念三千(そく)自受用身」云云。御義口伝上十八に云く「事の一念三千は日蓮が身に(あた)たりての大事なり」と云云。

  (にち)()の本尊抄見聞に云く「日蓮()に当りての大事とは、日蓮が当体(とうたい)ぞと云う事なり」云云。文意に云く、此の三つの大事は日蓮が申したるには非ず、釈迦如来の御(たましい)たる久遠元初の自受用身の仰せられたるにてあるなり。(あに)符合(ふごう)せざるべけんや。外の十三・二十ウ。

一 経に云く所謂(しょい)諸法(しょほう)実相等

  此の下は釈尊の兼知符合、(また)二あり。見るべし。

一 十(にょ)()()めの相如是が第一の大事にて候へば仏は世にいでさせ給う

  此の文、()し難し、知り難し。故に諸師に多義あり。(いま)初学の為に意を取って之を示さん。

 一義に云く、(およ)そ如来の出世は衆生(ほん)()の仏知見を開示(かいじ)悟入(ごにゅう)せしめんが為なり。(しか)るに如来、衆生の仏知見を開くべき先相を照見して出世し給う。故に「相如是が第一の大事」と云うなりと。

一義に云く、十如是の中に於て、初めの如是相は別して実相(じっそう)の義を顕し、三千皆実相、相(おん)(ねん)(じん)()(しゃく)(ねん)たり。故に如是相は最も肝要(かんよう)なり。故に「第一の大事」と云うなりと。

一義に云く、即事而(そくじに)(しん)(とう)()即妙は法華の深旨、円宗の(こう)(はん)なり。故に「相如是が第一の大事」と云うなりと。

  一義に云く、吾が祖、台家理具の(ぶん)(ざい)を簡んで一念三千、事々()()を顕す。故に今、「相如是が大事」と云うなりと。已上四義は日講なり。

  一義に云く、仏出世し、善悪(ぜんなく)の因果を記し、未来作仏(さぶつ)の記を(さず)けたもう事も、(しか)しながら(もろもろ)法相(ほっそう)隠顕(おんけん)()く明らかに照見したまう上の事なるが故に「相如是が大事」と云うなりと。是れは日朝の義なり。

  今(いわ)く「相」とは是れ前相、瑞相(ずいそう)なり。故に通じて一切に(わた)ると雖も、別して今()う所の「相如是」とは、(まさ)しく本化(ほんげ)()(しゅつ)を指して「相如是」と名づけ、(また)出世の大事と名づくるなり。是れ則ち本化の涌出は寿量の妙法の末法流布(るふ)の瑞相なるが故なり。故に「智人は()を知る」等の文を引いて、以て此の義を証するなり。

  ()十六・十九に云く「されば法華経序品(じょほん)(ろく)(ずい)は一代超過の大瑞なり、涌出品は又此れには似るべくもなき大瑞なり」云云。大瑞(あに)相如是に非ずや。

涌出品に云く「無量千万億の大衆の諸の菩薩、四方(しほう)の地震裂(しんれつ)して、皆中(みななか)より涌出せり。是の諸の菩薩衆、本末の因縁(いんねん)あるべし。無量徳の世尊、(ただ)願わくは(しゅ)(うたがい)を決したまえ。()の時に仏、弥勒(みろく)に告げたまわく、(いま)()く仏に()くの如き大事を()えり」略抄。

弥勒は本化の涌出を問う。仏答えて「是くの如き大事」と云う。(あに)本化の涌出を「大事」と名づくるに非ずや。


  つづく


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by johsei1129 | 2015-12-01 20:05 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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