七日
第三十一段 閻浮提第一の聖人
一 いまにしもみよ等文。
此の下は第三に、日蓮は閻浮第一の聖人なることを明かす、三あり。
初めに略して兼知の兵乱を示し、次に「外典に曰く」の下は広く釈し、三に「されば国土いたくみだれば」の下は結。初めの兼知兵乱を示す中に、先ず正しく示し、次に信伏を明かす中に内外の例を引くなり。(註:兼知=かねて知る事。予知、予言。兼讖と同義)
一 月支の大族王。
西域四・二。註の所引の如し。
一 宗盛は景時をうやまう等文。
「景時」の二字は応に「能員」に作るべし。即ち是れ比企四郎能員なり。東鑑第四の元暦二年、盛衰記四十五・五の如し。此の能員は安国論所覧の比企大学三郎の父なり。
一 提婆乃至南無と唱え等文。
増一阿含の四十六・十三に云云。「南無」の事、種々の因縁は林の二十・二十、愚案記の十六巻五十七に云云。
一 南無日蓮聖人等文。
聖人知三世抄二十八・九に云く「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」文。経に云く「慧日大聖尊」云云。「尊」とは人なり。人即尊なり。「唯我独尊・唯我一人」之を思え、当に知るべし「大聖人」とは即ち仏の別号なり。是れ則ち末法下種の教主なるが故なり。江戸阿私加大論二十二・十六。
つづく
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