人気ブログランキング | 話題のタグを見る

日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ
2015年 10月 06日

撰時抄愚記 上一  文底深秘の大法とは天台未弘(みぐ)の大法・三大秘法の随一・本門戒壇の御本尊の御事なり

       正徳(しょうとく)乙未(きのとひつじ)六月十三日大貳(たいに)(にち)(かん)


             序

一 (まさ)にこの(しょう)(だい)(しゃく)せんとするに(すべから)く通別を(りょう)すべし。即ち三意あり。

一には「撰時」の二字は是れ別なり。別して()抄に題するが故なり。「抄」の一字は(つう)なり。諸御抄に通ずるが故なり。

二には「撰」の字は通なり。宗教の五()に通ずるが故なり。(いわ)く、権迹(ごんしゃく)(えら)()て本門を撰び取るは、是れ教を知るなり。権迹の機を撰び捨て本門の直機(じっき)を撰び取るは、是れ機を知るなり。権迹の時を撰び捨て本門の時を撰び取るは、是れ時を知るなり。権迹流布(るふ)の国を撰び捨て本門流布の国を撰び取るは、是れ国を知るなり。前代流布の権迹を撰び捨て末法適時(ちゃくじ)の本門を撰び取るは、是れ教法流布の前後を知るなり。故に「撰」の一字は宗教の五()に通ずるなり。故に通と云うなり。「時」の一字は別して第三に()り。故に別と云うなり。

三には文通(もんつう)()(べつ)なり。文通と言うは、「撰」は撰捨・撰取に通じ「時」は正像末に通ず。故に文通と云うなり。意別とは「撰」は(ただ)(せん)(しゅ)、「時」は只是れ末法、故に本意は別して末法の時を選取するに()り、故に「撰時抄」と云うなり。

問う、別して末法の時を撰取する意如何(いかん)

答う、(ここ)に両意あり。

一には末法に於ては、必ず(まさ)に文底秘沈の大法広宣流布すべし。

二には今末法に於ては、(まさ)に日蓮を以て下種の本尊と()すべし云云。

初義に(しばら)く三文を引き(これ)を証せん。

一には下の文(いわ)く「彼の大集経の白法(びゃくほう)隠没(おんもつ)の時は第五の五百歳当世なる事は疑ひなし、(ただ)し彼の白法隠没の次には法華経の肝心(かんじん)たる南無妙法蓮華経の大白法の一閻(いちえん)浮提(ぶだい)の内(乃至)広宣流布せさせ給うべきなり」已上。

是れ付文(ふもん)の辺は権実相対なり。故に(ただ)「法華経」等と云うなり。若し元意(がんい)の辺は文底深秘の大法なり。故に(こころ)実には法華経の本門寿量品の肝心・南無妙法蓮華経の大白法(びゃくほう)等なり。「肝心」とは即ち是れ文底なり云云。

二には下の文(いわ)く「上行菩薩の大地より出現し給いたりしをば(乃至)観世音菩薩・薬王菩薩等の四十一品の無明(むみょう)を断ぜし人人も、元品(がんぽん)の無明を断ぜざれば、愚人といはれて寿量品の南無妙法蓮華経の末法に流布せんずるゆえに、此の菩薩を()(いだ)されたるとはしらざりしと云う事なり」文。

是れ付文の辺は本迹(ほんじゃく)相対なり。故に但「寿量品」と云うなり。若し元意の辺は文底沈秘の大法なり。故に(こころ)実には法華経の本門寿量品の肝心(かんじん)南無妙法蓮華経の末法に流布せん等なり。文語少しく略するなり。

三には下の文に云く「竜樹(りゅうじゅ)無著(むじゃく)(てん)(じん)・乃至天台・伝教(でんぎょう)のいまだ弘通(ぐつう)しましまさぬ最大の(じん)(みつ)の正法、教文の(おもて)現前(げんぜん)なり、此の深法(じんほう)今末法の始め五五百歳に一閻浮提に広宣流布すべし」文。

此れ即ち(しゅ)(だつ)相対なり。天台未弘(みぐ)の「最大深秘の大法」(あに)寿量文底の秘法に非ずや。(かえ)って文言(もんごん)(また)略するなり。(こころ)実には本門寿量の文底、最大深秘の大法等なり。妙楽云く「若し文に(したが)って()を生ぜば、(すなわ)ち前後(ぞう)(らん)す。若し文の大旨(たいし)()れば、則ち元由(がんゆ)(くら)からず」等云云。

今文の大旨を得るに、若し(つぶさ)(これ)を言わば、法華経の本門寿量品の文底最大深秘の大法、()の五百歳に一閻浮提に広宣流布すべしと云う文の意なり。学者(これ)を思え。

問う、文底深秘の大法、其の(たい)如何(いかん)

答う、則ち是れ天台未弘(みぐ)の大法・三大秘法の随一・本門戒壇の御本尊の御事なり。
 故に
顕仏未来記二十七・三十に云く「本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮(えんぶ)(だい)に広宣流布せしめん」等云云。故に此の本尊は(こう)()の根源なり。

次に今末法に於て、日蓮を以て下種の本尊と()すべしとは、

下の文に云く「法華経をひろ()むる者は日本国の一切衆生の父母なり(乃至)されば日蓮は当帝の父母、念仏者・禅衆・真言師等が師範(しはん)なり、又主君なり」等云云。「法華経を弘む」とは()の法華経、即ち本門の本尊の妙法蓮華経の五字なり。是れ(すなわ)ち成仏の種子(しゅし)なり。此の種子の妙法蓮華経の五字を弘めて、日本国の一切衆生の(しん)(でん)(くだ)すが故に「父母」と云うなり。故に蓮師は一切衆生の父母なり。(また)れ師範なり、亦是れ主君なり。故に今末法に於ては、(まさ)に日蓮を以て下種の本尊と()すべし云云。此れ是の文の元意(がんい)なり。開目抄始終(これ)を思い合すべし。


                          つづく
 撰時抄愚記上 目次



by johsei1129 | 2015-10-06 22:24 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


<< 法華経は一切経の中の第一の経王...      撰時抄上愚記 目次 >>