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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 09月 29日

執権北条時宗の代理・平左衛門に三度目の国家諌暁を成した事を詳細に記した書【高橋入道殿御返事】

【高橋入道殿御返事】
■出筆時期:建治元年(1275年)七月十二日 五十四歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は駿河富士郡加島(現富士町)に住む高橋入道が、身延の大聖人を訪ねられた事への返書となっておられます。高橋入道の妻は日興上人の叔母であり、その縁により大聖人に帰依したと思われます。
佐渡流罪赦免により鎌倉に帰還された大聖人は、本書を記された前年の四月八日、北条時宗の命を受けた平左衛門と対面し三度目の国家諌暁を成し遂げますが、本抄ではその時の状況を次のように詳しく記されておられます。「平左衛門尉にあひたりし時・やうやうの事ども・とひし中に、蒙古国は・いつよすべきと申せしかば、今年よすべし、それにとて日蓮はなして日本国にたすくべき者一人もなし、たすからんとをもひ・したうならば日本国の念仏者と禅と律僧等が頚を切つてゆいのはまにかくべし<中略>設い二年三年にやぶるべき国なりとも真言師にいのらする程ならば・一年半年に此のくに・せめらるべしと申しきかせて候いき」

さらに文末では、病弱でありながら身延へ見参された志を称えるとともに「御所労の大事にならせ給いて候なる事あさましく(嘆かわしく)候<中略>而も法華経は閻浮提人病之良薬とこそ、説かれて候へ、閻浮の内の人は病の身なり法華経の薬あり<中略>但し御疑ひのわたり候はんをば力をよばず」と記し、法華経は「閻浮提人病之良薬」であるが、疑いがあれば法華経の力は及ばない、と諭されておられます。
■ご真筆:静岡県西山本門寺(4紙~18紙)所蔵。他京都市妙満寺、富士大石寺所蔵。
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[真筆(第十三紙)本文箇所:ゆりて、三月の十三日に佐渡の国を立~それも今はすぎぬ]

[高橋入道殿御返事 本文]

 我等が慈父・大覚世尊は人寿百歳の時、中天竺に出現しましまして一切衆生のために一代聖教をとき給う。仏在世の一切衆生は過去の宿習有つて仏に縁あつかりしかば・すでに得道成りぬ。我が滅後の衆生をば・いかんがせんと・なげき給いしかば八万聖教を文字となして一代聖教の中に小乗経をば迦葉尊者にゆづり、大乗経並びに法華経・涅槃等をば文殊師利菩薩にゆづり給う。但八万聖教の肝心・法華経の眼目たる妙法蓮華経の五字をば迦葉・阿難にもゆづり給はず、又文殊・普賢・観音・弥勒・地蔵・竜樹等の大菩薩にもさづけ給はず。此等の大菩薩等の・のぞみ申せしかども・仏ゆるし給はず。大地の底より上行菩薩と申せし老人を召しいだして、多宝仏・十方の諸仏の御前にして釈迦如来、七宝の塔中にして妙法蓮華経の五字を上行菩薩にゆづり給う。

 其の故は我が滅後の一切衆生は皆我が子なり。いづれも平等に不便(ふびん)にをもうなり。しかれども医師の習い、病に随いて薬をさづくる事なれば、我が滅後・五百年が間は迦葉・阿難等に小乗経の薬をもつて一切衆生にあたへよ、次の五百年が間は文殊師利菩薩・弥勒菩薩・竜樹菩薩・天親菩薩に華厳経・大日経・般若経等の薬を一切衆生にさづけよ。我が滅後一千年すぎて像法の時には薬王菩薩・観世音菩薩等、法華経の題目を除いて余の法門の薬を一切衆生にさづけよ。末法に入りなば迦葉・阿難等・文殊・弥勒菩薩等・薬王・観音等のゆづられしところの小乗経・大乗経・並びに法華経は文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず。所謂(いわゆる)病は重し・薬はあさし。其の時・上行菩薩出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生にさづくべし。其の時一切衆生、此の菩薩をかたきとせん。所謂さるの・いぬをみたるがごとく、鬼神の人をあだむがごとく、過去の不軽菩薩の一切衆生にのり、あだまれしのみならず、杖木瓦礫(じょうもく・がりゃく)に・せめられしがごとく、覚徳比丘が殺害に及ばれしがごとくなるべし。

 其の時は迦葉・阿難等も或は霊山にかくれ・恒河に没し、弥勒・文殊等も或は都率の内院に入り・或は香山に入らせ給い、観世音菩薩は西方にかへり・普賢菩薩は東方にかへらせ給う。諸経は行ずる人はありとも、守護の人なければ利生あるべからず。諸仏の名号(みょうごう)は唱うるものありとも天神これをかご(加護)すべからず。但小牛の母をはなれ、金鳥のたか(鷹)にあえるがごとくなるべし。其の時十方世界の大鬼神・一閻浮提に充満して四衆の身に入つて或は父母をがいし、或は兄弟等を失はん。殊に国中の智者げなる・持戒げなる僧尼の心に此の鬼神入つて国主並びに臣下をたぼらかさん。此の時・上行菩薩の御かび(加被)をかほりて法華経の題目・南無妙法蓮華経の五字計りを一切衆生にさづけば、彼の四衆等・並びに大僧等・此の人をあだむ事父母のかたき、宿世のかたき、朝敵・怨敵のごとくあだむべし。其の時大なる天変あるべし。

 所謂日月蝕し・大なる彗星天にわたり、大地震動して水上の輪のごとくなるべし。其の後は自界叛逆難と申して国主・兄弟・並びに国中の大人をうちころし、後には他国侵逼難と申して鄰国より・せめられて或はいけどりとなり・或は自殺をし、国中の上下・万民・皆大苦に値うべし。此れひとへに上行菩薩のかび(加被)をかをほりて法華経の題目をひろむる者を・或はのり・或はうちはり・或は流罪し・或は命をたちなんどするゆへに、仏前にちかひをなせし梵天・帝釈・日月・四天等の法華経の座にて誓状を立てて法華経の行者をあだまん人をば父母のかたきよりも・なをつよく・いましむべしと・ちかうゆへなりとみへて候に、今日蓮日本国に生れて一切経並びに法華経の明鏡をもて日本国の一切衆生の面に引き向けたるに寸分もたがはぬ上、仏の記し給いし天変あり地夭あり。定んで此の国亡国となるべしとかねてしりしかば、これを国主に申すならば国土安穏なるべくも・たづねあきらむべし、亡国となるべきならば・よも用いじ、用いぬ程ならば日蓮は流罪・死罪となるべしと・しりて候いしかども、仏いましめて云く、此の事を知りながら身命ををしみて一切衆生にかたらずば、我が敵たるのみならず・一切衆生の怨敵なり。必ず阿鼻大城に堕つべしと記し給へり。

 此に日蓮・進退わづらひて此の事を申すならば我が身いかにもなるべし。我が身はさてをきぬ、父母兄弟並びに千万人の中にも一人も随うものは国主万民にあだまるべし、彼等あだまるるならば仏法はいまだわきまへず、人のせめはたへがたし、仏法を行ずるは安穏なるべしとこそをもうに・此の法を持つによつて大難出来するはしんぬ、此の法を邪法なりと誹謗して悪道に堕つべし、此れも不便なり。又此れを申さずは仏誓に違する上・一切衆生の怨敵なり。大阿鼻地獄・疑いなし。いかんがせんとをもひしかども・をもひ切つて申し出しぬ。申し始めし上は又ひきさすべきにもあらざれば・いよいよ・つより申せしかば、仏の記文のごとく国主もあだみ・万民もせめき。あだをなせしかば天もいかりて日月に大変あり、大せいせい(彗星)も出現しぬ、大地もふりかえしぬべくなりぬ、どしうちもはじまり他国よりもせめるなり。仏の記文すこしもたがわず、日蓮が法華経の行者なる事も疑はず。

 但し去年かまくらより此のところへ・にげ入り候いし時、道にて候へば各各にも申すべく候いしかども申す事もなし。又先度の御返事も申し候はぬ事は・べちの子細も候はず。なに事にか各各をば・へだてまいらせ候べき。あだをなす念仏者・禅宗・真言師等をも並びに国主等をもたすけんがためにこそ申せ、かれ等のあだをなすは・いよいよ不便(ふびん)にこそ候へ。まして一日も我がかた(方)とて心よせなる人人は・いかでか・をろかなるべき。世間の・をそろしさに妻子ある人人の・とをざかるをば・ことに悦ぶ身なり。日蓮に付きてたすけやりたる・かたわなき上・わづかの所領をも召さるるならば子細もしらぬ妻子・所従等がいかに・なげかんずらんと心ぐるし。

 而も去年(こぞ)の二月に御勘気をゆりて三月の十三日に佐渡の国を立ち、同月の二十六日にかまくらに入る。同四月の八日、平左衛門尉にあひたりし時、やうやうの事ども・とひし中に、蒙古国は・いつよすべきと申せしかば・今年よすべし。それにとて日蓮はな(離)して日本国にたすくべき者一人もなし。たすからんと・をもひ・したうならば日本国の念仏者と禅と律僧等が頚を切つてゆい(由比)のはまにかくべし。それも今はすぎぬ。
 但し皆人のをもひて候は、日蓮をば念仏師と禅と律をそしると・をもひて候。これは物のかずにてかずならず。真言宗と申す宗がうるわ(麗)しき日本国の大いなる呪咀(じゅそ)の悪法なり。弘法大師と慈覚大師、此の事にまどひて此の国を亡ぼさんとするなり。設い二年三年にやぶるべき国なりとも、真言師にいのらする程ならば一年・半年に此のくに・せめらるべしと申しきかせて候いき。

 たすけんがために申すを此程あだまるる事なれば、ゆりて候いし時・さどの国より・いかなる山中海辺にもまぎれ入るべかりしかども、此の事をいま一度平左衛門に申しきかせて日本国にせめのこされん衆生をたすけんがためにのぼりて候いき。又申しきかせ候いし後は・かまくらに有るべきならねば、足にまかせていでしほどに、便宜(びんぎ)にて候いしかば・設い各各は・いと(厭)はせ給うとも、今一度はみたてまつらんと千度(ちたび)をもひしかども、心に心をたたかいて・すぎ候いき。そのゆへはするがの国は守殿(こうどの)の御領・ことにふじ(富士)なんどは後家尼ごぜんの内の人人多し。故最明寺殿・極楽寺殿のかたきと・いきどをらせ給うなれば・ききつけられば・各各の御なげきなるべしとおもひし心計りなり。いまにいたるまでも不便(ふびん)にをもひまいらせ候へば、御返事までも申さず候いき。この御房たちのゆきすり(通行)にも、あなかしこ・あなかしこ、ふじ・かじま(富士・賀島)のへんへ立ちよるべからずと申せども・いかが候らんと・をぼつかなし。

 ただし真言の事ぞ御不審にわたらせ給い候らん。いかにと法門は申すとも御心へあらん事かたし。但眼前の事をもつて知しめせ。隠岐の法皇は人王八十二代、神武よりは二千余年・天照太神入りかわらせ給いて人王とならせ給う。いかなる者かてき(敵)すべき上、欽明より隠岐の法皇にいたるまで漢土・百済・新羅・高麗よりわたり来る大法秘法を叡山・東寺・園城・七寺並びに日本国にあがめをかれて候。此れは皆国を守護し国主をまほらんためなり。隠岐の法皇・世をかまくらにとられたる事を口を(惜)しとをぼして、叡山・東寺等の高僧等をかたらひて義時が命をめしとれと行ぜしなり。此の事一年二年ならず・数年調伏(じょうぶく)せしに、権(ごん)の大夫殿はゆめゆめ・しろしめさざりしかば一法も行じ給はず。又行ずとも叶うべしともをぼへずありしに、天子いくさにまけさせ給いて隠岐の国へつかはされ・させ給う。
 日本国の王となる人は天照太神の御魂(みたま)の入りかわらせ給う王なり。先生の十善戒の力といひ・いかでか国中の万民の中には・かたぶくべき。設いとがありとも・つみある・をやを失(とが)なき子のあだむにてこそ候いぬらめ。設い親に重罪ありとも子の身として失に行はんに・天うけ給うべしや。しかるに隠岐の法皇のはぢにあはせ給いしは・いかなる大禍ぞ。此れひとへに法華経の怨敵たる日本国の真言師をかた(語)らはせ給いしゆへなり。

 一切の真言師は潅頂(かんじょう)と申して釈迦仏等を八葉の蓮華にかきて此れを足にふみて秘事とするなり。かかる不思議の者ども諸山・諸寺の別当とあおぎて・もてなすゆへに、たみの手にわたりて現身にはぢにあひぬ。此の大悪法又かまくらに下つて御一門をすかし、日本国をほろぼさんとするなり。此の事・最大事なりしかば弟子等にもかたらず、只いつはり・をろかにて念仏と禅等計りをそしりて・きかせしなり。

 今は又用いられぬ事なれば身命もおしまず弟子どもにも申すなり。かう申せば・いよいよ御不審あるべし。日蓮いかにいみじく尊くとも慈覚・弘法にすぐるべきか。この疑ひ・すべて・はるべからず・いかにとかすべき。
 但し皆人はにくみ候に・すこしも御信用のありし上、此れまでも御たづねの候は只今生計りの御事にはよも候はじ。定めて過去のゆへか。

 御所労の大事にならせ給いて候なる事・あさましく候。但しつるぎはかたきのため、薬は病のため。阿闍世王は父をころし仏の敵となれり。悪瘡身に出で・後に仏に帰伏し、法華経を持ちしかば悪瘡も平癒し・寿(いのち)をも四十年のべたりき。而も法華経は「閻浮提人・病之良薬」とこそとかれて候へ。閻浮の内の人は病の身なり、法華経の薬あり、三事すでに相応しぬ。一身いかでか・たすからざるべき。但し御疑ひのわたり候はんをば力をよばず。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。

 覚乗房・はわき(伯耆)房に度度よませて・きこしめせ・きこしめせ。

 七月十二日          日 蓮  花押

 進上 高橋六郎兵衛入道殿 御返事




by johsei1129 | 2015-09-29 21:46 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)


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