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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 21日

後に大石寺の開基檀那となった南条時光にあてた最初の消息【上野殿御返事】

【上野殿御返事】
■出筆時期:文永十一年(1274年)十一月十一日 五十三歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本消息は、日興上人が身延離山の際、富士上野郷に招き富士大石寺の開基檀那となった南条時光(南条七郎次郎)が十六歳の時にあたえられたものです。
 時光は七歳の時、父南条兵衛七郎が亡くなり、家督とともに大聖人への帰依を継がれ、大聖人は後に時光(上野殿)を上野賢人と称え数々の消息を与えられておられます。恐らく本消息が時光に与えられた最初の手紙であろうと思われます。
 本抄を記された文永11年は、蒙古軍が北九州に来襲した文永の役の直後で「日蓮は日本国をたすけんとふかくおもへども<中略>大蒙古国よりよせて候と申せば、申せし事を御用いあらば・いかになんど・あはれなり」と断じ、念仏宗、禅宗、真言宗を強く破折されおられます。
 さらに文末では時光に「今始めて申すにあらず、二十余年が間、音(こえ)もを(惜)しまずよばはり候いぬるなり<略>この御文は大事の事どもかきて候、よくよく人によ(読)ませてき(聞)こしめせ、人もそしり候へ・ものともおもはぬ法師等なり」と記し、念仏宗、禅宗、真言宗の邪宗の事を人々によく読んで聞かせなさいと指導されるとともに「人々が日蓮を謗るなら謗らせておきなさい。念仏・禅・真言の法師等などは恐るにたらない存在である」と喝破されておられます。
■ご真筆:現存しておりません。古写本:日興上人筆(富士大石寺蔵)

[上野殿御返事 本文]

 聖人二管(すみざけ・ふたつつ)・柑子一篭(こうじ・いっこ)・蒟蒻(こんゃく)十枚・薯蕷(やまのいも)一篭・牛房(ごぼう)一束・種種の物送り給び候。

 得勝・無勝の二童子は仏に沙(すな)の餅(もちい)を供養したてまつりて・閻浮提(えんぶだい)三分が一の主となる。所謂阿育(あそか)大王これなり。儒童菩薩は錠光仏(じょうこうぶつ)に五茎の蓮華を供養したてまつりて仏となる、今の教主釈尊これなり。法華経の第四に云く「人有つて仏道を求めて、一劫の中に於て合掌して我が前に在つて無数の偈を以て讃めん。是の讃仏に由るが故に無量の功徳を得ん。持経者を歎美せんは其の福・復彼れに過ぎん」等云云。

 文の心は仏を一中劫が間供養したてまつるより、末代悪世の中に人のあながちに・にくむ法華経の行者を供養する功徳はすぐれたりと・とかせ給う。たれの人の・かかるひが事をばおほせらるるぞと疑いおもひ候へば、教主釈尊の我とおほせられて候なり。疑はんとも信ぜんとも・御心にまかせまいらする。仏の御舌は或は面(おもて)に覆ひ、或は三千大千世界に覆ひ、或は色究竟天までに付け給う。過去遠遠劫よりこのかた一言も妄語のましまさざるゆへなり。されば或経に云く「須弥山はくづるるとも・大地をばうちかへすとも・仏には妄語なし」ととかれたり。

 日は西よりいづとも・大海の潮はみちひずとも、仏の御言(みことば)はあやまりなしとかや。其の上・此の法華経は他経にもすぐれさせ給へば・多宝仏も証明し・諸仏も舌を梵天につけ給う。一字一点も妄語は候まじきにや。
 其の上・殿はをさなく(幼少)をはしき。故親父は武士なりしかども・あながちに法華経を尊み給いしかば、臨終正念なりけるよしうけ給わりき。其の親の跡をつがせ給いて又此の経を御信用あれば、故聖霊いかに草のかげにても喜びおぼすらん。あわれ・いきてをはせば・いかにうれしかるべき。此の経を持つ人人は他人なれども同じ霊山へ・まいりあはせ給うなり。いかにいはんや故聖霊も殿も同じく法華経を信じさせ給へば、同じところに生まれさせ給うべし。いかなれば他人は五六十までも親と同じ・しらが(白髪)なる人もあり。我がわかき身に親にはやく・をく(後)れて教訓をもうけ給はらざるらんと・御心のうちをしはかるこそ・なみだもとまり候はね。

 抑(そもそも)日蓮は日本国をたすけんとふかくおもへども、日本国の上下万人・一同に国のほろぶべきゆへにや・用いられざる上、度度あだ(怨)をなさるれば力をよばず・山林にまじはり候いぬ。大蒙古国よりよせて候と申せば、申せし事を御用いあらば・いかになんど・あはれなり。皆人の当時のいき・つしま(壱岐・対馬)のやうにならせ給はん事・おもひやり候へば・なみだもとまらず。

 念仏宗と申すは亡国の悪法なり。このいくさには大体・人人の自害をし候はんずるなり。善導と申す愚癡の法師がひろめはじめて自害をして候ゆへに、念仏をよくよく申せば自害の心・出来し候ぞ。
 禅宗と申し当時の持斎・法師等は天魔の所為(そい)なり。教外別伝と申して神も仏もなしなんど申す・ものくるはしき悪法なり。
 真言宗と申す宗は、本は下劣の経にて候いしを・誑惑(おうわく)して法華経にも勝るなんど申して多くの人人、大師僧正なんどになりて日本国に大体充満して上一人より頭をかたぶ(傾)けたり。これが第一の邪事(ひがごと)に候を、昔より今にいたるまで知る人なし。但伝教大師と申せし人こそ・しりて候いしかども・くはしくもおほせられず。さては日蓮ほぼこの事をしれり。後白河の法皇の太政の入道にせめられ給いし、隠岐の法王のかまくらにまけさせ給いし事、みな真言悪法のゆへなり。漢土にこの法わたりて玄宗皇帝ほろびさせ給う。この悪法・かまくらに下つて当時かまくらにはや(流行)る僧正・法印等は是なり。これらの人人・このいくさを調伏せば、百日たたかふべきは十日につづまり、十日のいくさは一日にせめらるべし。

 今始めて申すにあらず、二十余年が間・音(こえ)もをしまず・よばはり候いぬるなり。あなかしこ・あなかしこ。この御文(ふみ)は大事の事どもかきて候。よくよく人によませて・きこしめせ。人もそしり候へ、ものともおもはぬ法師等なり、恐恐謹言。

 文永十一年太歳甲戌十一月十一日         日 蓮 花 押

 南条七郎次郎殿御返事




by johsei1129 | 2019-10-21 17:39 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)


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